魔王の娘と魔力検診
不穏な空気
―――ついに、この時が来てしまった。
「パパ、おふねがおちてくるよ!」
「あれは落ちてるんじゃなくて、降りてきているんだよ」
ごうんごうんと轟音を立てながらゆっくりと降りてくる飛行船。
左右から生えた羽からは風が起こって、広場の草花を激しく揺らしている。
船体の底には、協会の所有物全てに描かれている十字架。
今日は協会の人間が来て、子供達の潜在魔力がどのくらいあるのか検診する日だった。
魔力検診が始まったのは魔王との闘いが始まる前、人間同士が戦争を行っていた時期からだから、それなりに長い歴史がある。
若い内に魔法を使える才能のある人間を学校に通わせて、一人前の魔法使いや僧侶にするという名目だ。
そこで、才能が認められれば特待生で魔法学校や神学校へ通うことが出来る。
貧しい人間には魔法使いや僧侶になれば生活の保障を受けられるので、大変重宝されているが、ボクは複雑な気持ちだ。
この検診で自分の魔力が認められれば、当座の生活は安定する。
だが一度戦争が起これば真っ先に徴兵されるのは、その子供達だ。
戦争が無くなればいいけれどそんな保障など、この不安定な情勢の中では無い。
ボクは、ニアに魔力検診を受けさせるのは反対だった。
何故ならニアが魔王の娘で、その潜在魔力がどのくらいなのか見当がつかないからだ。
魔力は大抵の場合、家系に依存する。
たまに突然変異のような形で魔力の無い家系に、才能有る子供が生まれる場合があるけど、そういうことが起こるのはめったにない。
魔王は強力な魔法を使っていたし、娘であるニアも魔力が高い可能性が高い。
その場合は、強制的に学校へ進学する羽目になるだろうけれど、ボクが恐れているのはそこではなくて。
もし、ニアが魔族だとバレたら。
強力すぎる魔力を持つ子供が現れたら、協会も混乱する。
父親であるボクには魔力は全く無いし、妻のメリアは多少魔力があったけれど簡単な治癒魔法しか使えなかった。
きっと協会はニアの出生を疑うし、ニアの魔力の秘密を探るだろう。
それを恐れて、ボクは今までニアに検診を受けさせることはさせていなかった。
しかし、ここで大きな問題が発生した。
なんと、今まで大きな町に行かないと受けられなかった検診が、検診用の飛行船が造られた事によって、僻地まで満遍なく検診が受けられるようになってしまったのだった。
しかも、この集落にはニアと同年代の子供もいるし、ニアだけ受けさせないのは周りへ要らぬ詮索をされる可能性がある。
ボクは悩んだけれど、これまでニアが魔法を使う仕草を一切していなかったのに賭けて、いっそのこと検診を受けさせてみようと思ったのだった。
強力な魔力の保有者は、詠唱無しでも魔法が使えるのだ。
「次の人」
「はい―――ほら、ニア」
「うー」
憧れの飛行船に乗れたというのに、ニアはどこか浮かない顔をしてボクの服の袖を掴んで放そうとしない。
それもそうだ。協会の僧侶は魔族に魅入られるのを防ぐために、基本的に感情を表に出さない訓練をしているからだ。
無表情の人間が回りを取り囲んでいる空間に慣れていないニアは、非常に不安になっているに違いない。
慣れていないのはボクも同じで、さっきから冷や汗が凄い出ているのだけれど。
検診室に入ると、よく知っている顔があった。
ベリーショートの金髪に緑色の瞳、銀縁の眼鏡。司祭用の真っ黒なロングコート。
ボクの仲間、アデルが椅子に座っていた。
「やあ、ジョシュア。元気そうで何よりだ」
彼女は、いつも通りの無表情でそう言った。
「ああ、久しぶりだね」
ボクがそう言うと、アデルの目がスッと細められる。
彼女は表情の変化に乏しいので一瞬見ると分からないけど、これが笑った時の表情だ。
「娘は息災の様だね」
「ああ、お蔭様で」
自身の目の前に座ったニアを見ながら、アデルが淡々と話す。
ニアは緊張しているのか、自身のワンピースを握りしめたまま俯いてしまっている。
「そういえば、どうしてアデルが現場にいるんだ?昇進したんだから、現場に出なくてもいいだろうに」
「君の娘が検診を受けると聞いたのでね。知り合いの娘が検診を受けることを話したら、許可が下りたのだよ。彼女を他の奴に見せるわけにはいかないだろう」
もしかして、アデルはニアの事を気にしてくれていたのだろうか。
「ありがとう。ニアを気にしていてくれて」
「ふん。別に心配していたわけではない」
アデルは、ボクの言葉等気にしていないかのように、淡々と機材を準備していた。
「さて、そこのガラス玉に両手を当てなさい」
ニアの目の前には、大人の頭くらいの大きさのガラス玉が小さな机に置かれていた。
中は空洞になっているようだが継ぎ接ぎが一切無く、直接何かを入れることが出来なくなっている。
「こ、こう?」
ニアが遠慮がちに両手をガラス玉に置く。
これだけ緊張しているニアを見るのは初めてだ。
ボクも若干緊張してしまう。
「そのガラス玉に水を満たすイメージをするんだ」
「おみず?」
「そうだ、出来るだけ多く水を注ぎこむんだ」
「………うーん」
ニアが目を瞑って、ガラス玉を触る手に力を入れた。
「………ふむ、魔力は全く無い、と」
「……!」
数分後―――いやもっと短い時間だったかもしれないが、ボクにとってはとても長い時間に感じられた―――アデルは表情を換えずに淡々と言う。
少なくとも動揺はしているようで、若干声が震えている。
「えー」
ニアは固く瞑っていた目を開けて、残念そうにガラス玉を見た。
ガラス玉には全く変化が無かった。悲しい程に。
「まあ、父親と同じで魔力が全くないという事で良いということで処理をしておく」
「何かの間違いじゃ……」
「残念ながら事実だ。水を満たす事をイメージさせたのは、あくまでポーズだ。このガラス玉は特殊だから、魔力が有るものが触れただけで水で満たされる魔術がかかっているのだよ。ほら、このように」
アデルがガラス玉に指先をつけると、ガラス玉の中に物凄い勢いで水が入っていく。
そしてあっという間にガラス玉の内側は水で満たされてしまった。
「すごーい」
ニアは呑気にガラス玉を見て、目をキラキラさせている。
ボクは、ほっとしたような不安なような複雑な気持ちになってしまった。
「どうしてだと思う?ニアに魔力が無いなんて」
仲間と久しぶりに会ったからという口実でニアをジムの母親に預けて、アデルと二人きりになることに成功したボクは、アデルに先程の件について聞いてみた。
「まあ、有りすぎるより無いほうがいいではないか」
アデルは他の子供のカルテを見ながら、淡々と答える。
「それはそうだけど。なんだかすっきりしないよ」
「………」
アデルはカルテから目を離すと、じっとボクを見た。
その顔は無表情で、何を考えているのかボクには理解できない。
「しかし、これで普通の人間として育てられるじゃないか」
「………まあ、そうなんだけれど」
ニアに魔力が無い、ということは魔族だと知られる可能性が限りなく少なくなったと言ってもいい。
でも、どうしてニアに魔力が無いのだろう。
「特殊な力が無いのは幸福なことだ」
「え」
「……ああ、すまない。独り言だ」
アデルはボクに聞こえない音量で何かを言ったみたいだが、ボクには聞き取ることが出来なかった。
「もしかしたら、魔族の魔力は自身の身体から来るものではないのかもしれないな」
アデルが独り言のようにつぶやくと、ガラス玉を持ち上げる。先ほどのように水が中に入り始める。
「これは、改良の余地があるかもしれない。魔族用の装置も作るべきか」
「魔族用?」
「ああ―――そうか。君は王都にいないから知らないのか」
アデルはガラス玉を置き、ボクを見つめる。
「レオンハルトが動き始めた。魔族の残党と停戦条約を結ぶ気のようだよ」
「……!」
レオンハルト――勇者がそんなことをしているだなんて聞いていない。
一体どうするつもりなのだろう。何故だかとても不安になってくる。
「まだ交渉段階だ。すぐに何か変わるわけではないがね」
「……何か進展があったら、教えてくれ」
「ああ」
その後、アデルと何か話したが、あまり覚えていない。
ボクは痛み始めた頭を押さえながら、検診室を出た。
ボクの知らない内に、王都では色々なことが起こっていたのだ。
「残念ねぇ。ニアちゃんに魔力が無いなんて」
「ボクに似てしまってニアには申し訳ない」
「まあ、うちのバカ息子も少しくらいしか魔力が無いから仲間だね」
ニアを預けていたジムの母親――ファナさんにお茶を出してもらい、なんとなく回復したボクはジムも魔力が無いことを知って少し安堵する。
ニアの遊び相手が国に取られなくて良かった。
ジムとニアの二人は魔力が無い事を気にした風でなく、いつも通り遊びに興じている。
穏やかな空気が漂っている。安心する。
この穏やかな日常が脅かされる日が来るのだろうか。
レオンハルトの事は勿論信用している。
ただ、交渉している魔族とはどのような人物なのだろう。
ニアの事を見つけられたらどうなるのだろう。
どうか、これからくる変化が悪い方向でありませんように。
ボクは、そんな不安を頭の片隅に追いやって、庭先で遊んでいる子供達をじっと見つめていた。