花冠と君の思い出
『ねえ、ジョシュア』
木漏れ日の中、彼女が言った。
風で彼女の顔に髪の毛がかかって、表情が上手く読み取れない。
『今、幸せ?』
「―――パ。パパ」
「ん」
「パパぁ!朝だからおきてよ!」
「んー」
「パーパー!」
「………あー、今起きるよニア」
それが夢だと気が付いたのは、眠っているボクの上に伸し掛かってきた銀髪の幼女が目に入ったからだった。
「パパはお酒が入ると、いつもおねぼうさんね!」
そう言って胸を張る幼女、ニアは4歳になる。ボクの可愛い娘。
背伸びをしたいお年頃なのか、よくボクに小言を言ってくるけれど、一体どこで覚えたのだろうか。
「今日は三つ編みにしてー」
朝ご飯を食べさせた後、ニアがボクに髪を結べとせがむ。
「はいはい」
髪を結うのは、世間の母親のように上手くできないけれど、最初の頃より大分上達したと思う。
朝のまま寝癖が少し付いた綺麗な銀髪に、櫛を入れてやるとニアは気持ちよさそうに目を細めた。
櫛を入れてやると銀髪が更に輝いた気がして、ボクも満足だ。
ふと、ニアの両耳の上にある人間だとあり得ない程固い場所に触れて、ボクの手は止まってしまった。
思えば、あの日から4年も経っているのか。
ボクが生まれた時は、あまり存在していなかった魔物が勢力を拡大して人間の村を襲い始めたのは、いつの頃だったのか。
ボクは魔物に妻を殺されて、幼馴染だった勇者と旅に出た。
辛い旅だった。でも途中で加わった仲間達と皆で一つの目標に向かうのは、とても楽しかった。
なにより、妻が死んだ事実を考える暇も無かったのがうれしかった。
そうして、ボク達は魔王を倒したのだ。10年もかかった。
死闘だった。でもこれで平和が訪れる、そう思ったんだ。
でもボクは聞いてしまった。
仰々しい魔王の椅子の裏から、赤ん坊の声が聞こえてくるのを。
銀髪の赤ん坊が白いおくるみに包まれて、泣いていた。
頭には魔王の血統の証である羊のような禍々しい角が生えていて、赤ん坊が魔王の子供であることは明白だった。
ボクは迷ってしまった。
きっとこの赤ん坊を殺さないと、後で大変なことになる。
でも、この子に本当に罪があるのだろうか。
ただ魔王の子供に生まれてきてしまっただけで、それだけで、殺さなくてはいけないなんて。
『私は反対よ!魔王の子を生かしておくだなんて!』
『気でも触れたのか?』
仲間の中には反対する人しかいなかった。
『でも』
『この子の角をごらんなさい。きっと将来魔王になるのよ』
『でもまだ赤ん坊じゃないか!』
『この子の親は、貴方の奥さんを殺したのよ!?』
『―――っ』
ボクは自分の腕の中で泣きつかれてすやすやと眠る赤ん坊を見た。
ボクの妻を殺した魔王の子供。
憎らしいのは確かだ。ボクは魔王が憎い。でも。
ボクの妻なら。どう言うだろうか。
『育てればいいじゃないか』
そんな時だった。
勇者がそう言い放った。
『お前だったら、良い父親になる』
『どうしてそんなことが言えるの!?』
魔法使いが勇者に掴みかかっている。
ボクはぼんやりとその光景を見ることしかできない。
『本当は、お前のそういう馬鹿みたいにお人好しなところにイライラしてる』
勇者はボクから目を反らさずに言った。
『自分の嫁を殺した相手の子供を育てようなんて、気が狂った事考えてるな、とも思ってる』
でも、と勇者は続けた。
『そんなお前じゃなければ、俺はお前の親友なんてやってない』
「パパ?」
「ああ、ごめん。三つ編みだったね」
随分と長い間考え込んでいたらしい。
ニアが不思議そうに見上げてくる。
あの後、他の仲間を説得して、ボクは赤ん坊を連れて故郷へと帰ることなく、魔境に程近い集落で暮らすことにした。
ニアの角は、その時に発覚したら危険だということで折った。
その後、ニアの頭には角の跡がはっきりと残っている。
ボクはその跡を髪の毛で覆い隠して、左右の耳の下で三つ編みを作ってやる。
「きょうはね、ジムくんとお花畑にいくの!花のかんむり作ってくれるんだって!」
「……ふーん」
ジムってニアと同じ年頃の、近所の鍛冶屋の息子だったはず。
「ぷろぽーずされたらどうしよー?ねー、パパ!」
「お前達にはまだ早いよ」
ちょっと鍛冶屋に行って、ジムを牽制しなくてはならないな、なんて。
ボクは、本当の父親みたいにそう思った。
「いってきまーす!」
「いってらっしゃい。暗くなる前に帰っておいで」
「はーい」
ジムと手を繋いで走っていくニアをボクは見送った。
ニアがいなくて、しんと静まり返った部屋の中。
『今、幸せ?』
彼女の、そんな一言が聞こえた気がした。
「幸せだよ」
ボクは彼女の形見になったネックレスを手に持ち眺める。
「ニアはいい子だよ。きっと素晴らしい大人になる」
でも。ここに。この部屋に。
「君もいてくれたら、もっと幸せだったのに」
ボクはネックレスに唇を落とした。
風がふわりと、カーテンを揺らしていた。