「桃海亭の斜め前の花屋、フローラル・二ダウで働いているリコちゃんが見た、ある日の桃海亭2」<エンドリア物語外伝10>
エンドリアの王都ニダウ。
小さな国の小さな王都。
のんびりしたお人好しの王様が治める、おだやかな都。
その都の裏通りにあるキケール商店街にある花屋、フローラル・ニダウであたしは働いている。
切り花を並べていると奥さんから声がかかった。
「リコちゃん、そろそろお店を開ける時間よ」
「はーい」
花は大好き。店長夫婦も優しい。
楽しかった職場に憂鬱がもちこまれたのは1年ほど前。
「今日も良い天気だ」
店長が店先で空を見あげている。
そばには見知らぬ人が数人。
ここ数ヶ月で、キケール商店街は有名な観光地になった。まだ開いていない店もあるのに、通りのあちこちに観光客とおぼしき人がいる。
でも。
「留守ですよね、今」
斜め前の古魔法道具店”桃海亭”
あたしの憂鬱の種で、キケール商店街を観光地にした原因。
”桃海亭”は急に休むことがよくある。今もドアにかかっている臨時休業の札は3日前の朝、飛び出していくウィルによってかけられたもの。
「帰ってきたよ、昨日の夜中に」
アハハッと笑う店長の声が、どこか乾いている。
あたしも思わず「はぁーーー」とため息をついてしまった。
”桃海亭”のおかげでキケール商店街は有名になったし、お客も増えた。
本当なら感謝こそすれ、ため息の原因にならないのだろうけれど”桃海亭”に限っては例外。
「綺麗!」
観光客から歓声が上がった。
空気がキラキラと輝いている。
「セラの槍だ!」
歓声をあげている人達を、慌てて扉の中に呼び込んだ。
「早く、早く、店に入ってください」
セラの槍。
”桃海亭”にある銀の槍。最新版の観光ガイドにも載っている有名な槍で、冷気を操る魔槍。
細かい装飾が施された綺麗な槍で、わざわざ見に来る人がいるほど人気がある槍だけれど、近くに住むあたし達には大迷惑の槍。
「よし、みんな入ったな。通りに残っていないな」
店長の声も緊迫している。
ほぼ同時にダイヤモンドダストが一気に増えた。
カシャーンとガラスの割れる音。
”桃海亭”の2階の窓から、セラの槍が飛び出してきた。続いて飛び出してきたのは、”桃海亭”の店長ウィル。空中で一回転すると器用に足から着地した。
「いい加減に諦めろ、このドグサレ槍が!!!」
相当怒っている。
ウィルと対峙したセラの槍から冷気が霧となって噴出した。ウィルは冷気をヒョイと器用に避けると、セラの槍に向かって突っ込んでいった。
「くらえ!」
すれ違いざまに手から撒かれた何百枚という大量の紙片。
それに触れたセラの槍が、地面に音を立てて転がった。
「手間かけさせやがって」
ウィルは地面に散った紙片を拾い上げると、ペタペタと槍に張りつけている。
あたしの隣に立っていた人が、驚きの声を上げた。
「あれは封印の札か」
「封印の札だだと問題があるのですか?」
思わず聞いてしまったあたしに、
「いや、問題はないが、ないのだが」
そういって窓の外に目をやった。
「セラの槍を封印するほどの強力な札ならば、1枚で金貨2,3枚はするはずなのだが」
通りにばらまかれた大量のお札。
買うお金はないから、きっと居候の魔術師が書いたんだろうけれど。
「ウィルくん、お札売ればお肉買えたのにね」
奥さんのつぶやきに、思わずうなずいてしまったあたしだった。
ウィルに札をベタベタ貼りつけられているのに、セラの槍はまだピクピク動いていた。
お札をせっせと張りつけているウィルは「金貨100枚、100枚、何を買おうかな」と、妙な節で歌っている。
店長が扉を半開きにして、恐る恐る顔を出した。
「ウィルくん、もしかしてセラの槍を売るのかい?」
「ええ、金貨100枚で売って欲しいと頼まれまして」
ご機嫌なウィル。
右頬に大きな青あざ。左肘に血のにじんだ包帯。
上着の背中は斜めに切り裂かれている。
「そうかい、よかったね」
心のこもった優しい声だった。
「おめでとう」
奥さんも祝福の言葉を掛けた。
「ありがとうございます」
セラの槍は古魔法道具店”桃海亭”の一番の問題品で、ウィルだけでなく客にも容赦なく槍先を向ける。そんな槍の前に立ち、みんなを守るのはいつもウィルの役目。売れれば、ようやく終わりになる。
「セラに負わされる傷もそれで最後かな」
店長がウィルの頬の傷を見た。
「いや、これはロクンカ半島のトレント…」
バタンと扉が閉められた。
モンスターに詳しくないあたしだって知っている。ロクンカ半島の樹人トレントは、高い知能を持ったモンスターで人嫌いで有名。なわばりにしている森に人がはいろうとすると植物から作った毒や病原菌をまき散らすという噂がある。
「違う、違う」
扉の向こうでウィルが否定している。
「トレントに頼まれて」
モンスターから依頼?
「だから、毒とか菌とか大丈夫ですから!」
奥さんが笑顔で優しく、扉のガラス越しにウィルに言った。
「わかったわ。大丈夫なのね」
ウィルがウン、ウンと頷いている。
「わかったから、扉から離れて”桃海亭”に入ってくれる?それから、しばらく”桃海亭”はお休みにしてくれる?」
ウィルがひきつった顔をした。
たぶん、お腹が空いているんだと思う。
お腹がペコペコ → 店を開けられない → お金がない → 飢え死に寸前 → どこからか、わずかなお金か食べ物を手に入れて、生き延びる。
うん、大丈夫。
いつものこと。
「本当ですよ!依頼内容は言えないけれど、オレには毒も菌もついていませんよ!」
扉をドンドンと叩くウィル。
「わかったわ。毒も菌もないのね。でも、店から出ないでくれると助かるわ」
はりついた笑顔で応戦する奥さん。
2人のやりとりを見ていたあたしの耳に、コロンという音が聞こえた。音の方を見て驚いた。誰もいなかったはずの通りに、数人の魔術師がいた。真っ黒なフードのついたマントを目深にかぶっている。場所はちょうどセラの槍のあるところ。槍に足が触れて音がしたみたい。
音に気がついて振り向いたウィルが慌てた。
「こら、槍を蹴るな!」
急いで取りに戻ろうとしたウィルの足元に、白い光が炸裂した。
「なにをしやがる!」
額に怒りマークのウィル。
そのウィルを魔術師達は半円形に取り囲んだ。
手に持った杖をウィルに向ける。
「マルコシアスの羽をよこせ」
「はぁ?」
ウィルが首を傾げた。
魔術師の人がイライラしたように言った。
「マルコシアスの羽だ。”桃海亭”にはあるはずだ」
「マルコシアスの羽……」
ウィルが腕組みをした。
「そんなものあったかな。羽というから、あれかな。そんな名前だったかな。でも、羽というのはあれしかないよな。うん、あれだよな。ちょっと待っていてくれ。店から取ってくる」
取り囲んだ魔術師の間を軽い足どりで抜け、店に戻っていく。
残された魔術師たちの反応が微妙。
魔法弾を放ち、杖で囲み緊迫感した雰囲気にいた魔術師たちは、店の品が売れるかもしれないというウィルの浮き浮き気分についていけてない。
「羽というのは」
魔術師のひとりがウィルの背中に声をかけたけど、ウィルは「すぐに持ってきますから」と早口で答えて”桃海亭”に消えた。
魔術師たちはフードを寄せてコソコソと話し始めた。
ウィルは数分と立たずに戻ってきた。
手に持っている大きな白い羽。
シュデルも続いてでてきて「店長、違うと思います」と言っている。
「いいんだよ。金になれば」
小声で言っているつもりだろうけれど、聞こえている。
「はい、マルコシアスの羽です」
白い羽を魔術師たちに差し出した。
「違う!!!」
見事にはもった怒声。
「マルコシアスの羽というのは、羽でない!」
リーダーらしき魔術師が怒鳴った。
シュデルがポンと手を打った。
「マルコシアス……魔法材料のマルコシアスの羽のことですか?」
「そうだ、わかるのか」
ようやく話が通じる相手ができたと魔術師達がシュデルの周りに集まった。
羽を片手にポツンと残されたウィル。
シュデルが困った顔をした。
「探しているマルコシアスの羽というのは、焦げ茶の硬い欠片ですよね」
「そうだ。あるのか」
「ありました。いまはありません」
「どういうことだ!」
悲鳴に近い声。
「3日前に当店の居候ペトリが持って出ていきました。昨夜、帰ってきた時には持っていませんでしたので、使われてしまったのではないでしょうか」
ガックリと膝をついた魔術師たち。両手で顔を覆ったり、天を仰いだり、大声で泣いている魔術師もいる。
「これで我らの望みは絶たれた」
リーダーらしき魔術師が暗い声でつぶやいた。
悲嘆っぷりに同情したのかシュデルが声をかけた。
「ペトリに聞いてきましょうか?」
「お願いできますか」
弱々しい声で頭を下げる。
「少しお待ちください」
会釈すると店に消えた。
「シュデル見れちゃった、ラッキー」
店の中にいた観客の女の子のつぶやきが聞こえた。
最近、シュデルの人気が凄い。
容姿がいいのは最初からだけれど、立ち居振る舞いも流れるように綺麗で、”桃海亭”の窓にはシュデル目当てでのぞきこむ女の子がよくいる。
恋する乙女には壺や石板と話すことくらい、気にならないみたい。
「あーーー、眠いしゅ」
ボサボサの髪。
「寝てたしゅ」
ショッキングピンクのしわくちゃの服。
「眠いーーしゅ!!」
”桃海亭”の扉からシュデルと共にでてきたのは、チビの魔術師ムー・ペトリ。
そうは見えないけれど、ルブクス大陸最凶の魔術師。
「マルコシアスの羽をご存じありませんか」
リーダーらしき魔術師がウィルに対する高圧的な態度とは別人みたいにへりくだった態度でムーに聞いた。
「使っちゃったしゅ」
「あぁーー!」
あっさりとした答えに、魔術師たちは一斉に嘆きの声を上げた。
「よいしょ」と地面に腰を下ろしたムーが「何に必要だしゅ?」と聞いた。
「虫の駆除に…」
「虫しゅか?」
「今年の春に我らが住む地の森に赤い斑点がのある甲虫が大発生したのです。駆除を試みたのですが、既存の虫除けの魔法も除虫剤もまったく効きませんでした。コーディア魔力研究所に相談すると、マルコシアスの羽から作った熱魔法で滅することができると教えてくれたのですが、希少材料で置いている魔法材料店はありませんでした。そこで再びコーディア魔力研究所に入手できるところを問い合わせたところ、この”桃海亭”を教えていただいたのです」
「あー、そっちも赤い虫しゃんすか」
「そっちも?」
「昨日、ロクンカ半島の虫しゃん焼くのに使っちゃいました」
「あと少し早ければ」
ガッカリしている魔術師の肩をムーがポンと叩いた。
「大丈夫しゅ」
「はい?」
魔術師が顔を上げた。
「ちょっと待つしゅ」
そういうとムーはポケットから蝋石を取り出して地面に何かを書き出した。それを見たシュデルが慌てた。
「わぁー!何をするんですか」
止めようとするシュデル。
そのシュデルを魔術師たちが押さえ込んだ。
振り払ってムーに近づこうとするシュデル。
「離してください!」
押さえ込んでいた魔術師の杖が、振り払おうとしたシュデルの手の甲に当たった。はめ込まれた石が皮膚を破き、血が飛び散った。
店内から悲鳴がいくつも上がった。
キャーは女の子達。
ヒェーは”桃海亭”の事情に詳しい店長と奥さん。たぶん、あたしも叫んでいたと思う。
キィーンと細かい振動音が響く。
「セラの槍が……」
誰かのつぶやき声。
地面に転がっていたはずのセラの槍が浮いている。
ウィルが苦労して貼った封印の紙は粉となって散っていく。
槍の先端から白い冷気が筋となって流れだし、周りの空気がキラキラと輝きだした。
「なにが…」
魔術師たちも異変に気がついたみたいで、見回してセラの槍を見つけた。
セラの槍が魔術師たちに突進した。
逃げまどう魔術師たち。
「シュデルくんを傷つけたりするから」
ハァと奥さんがため息をついた。
セラの槍は誰のいうことも聞かない。好き勝手に暴れてウィルを悩ませている。ウィルのことも攻撃するし、ムーもモジャさんがいなければ襲われる。ただし、シュデルだけは襲わない。
理由はわからないけれど、セラの槍にとってシュデルが特別な存在なのはキケール商店街の人はみんな知っている。
悲鳴を上げながら、セラの槍から逃げ回る魔術師たち。
自由になったシュデルはムーの側に駆け寄った。
「やめてください!」
ムーはいつの間にかチェリースライムが張ったドームの中で、楽しそうに魔法陣を書いている。
チェリードームをたたいてシュデルが必死にとめようとしている。
「危険です!お願いです、やめてください」
シュデルの様子から、ムーが危ないことをしようとしているのはあたしでもわかった。
「困ったな」
店長が眉間に縦じわを寄せた。
こんなとき、いつもなんとかしてくれるのはウィル。
そのウィルは道の真ん中で、白い羽を持ってボッと立っている。羽が売れなかったのが、相当ショックだったみたい。
「ダメです、やめてください」
シュデルの必死の声。
セラの槍が吹き出す冷気で、すでに魔術師の半分以上は地面に倒れている。動けなくなった身体に細かい氷が着きはじめている。
「ウィルくん!ムーくんを止めてくれ」
店長が窓越しに大声で頼んだ。
ウィルはボンヤリと羽を見ている。
ダメ。
声は届いていない。
「なんとかしないと」
店長の声に焦りがにじんでいる。
あたしも何か良い方法がないかと考え始めたとき、どこかでバタンと扉の開く音がした。
「おい、ウィル!」
開いた扉は、”桃海亭”の隣の隣の肉屋。
店主のモールさんが大声で叫んだ。
「こいつが全部片づいたら、巨大ハンバーグをごちそうしてやるぜ!」
ウィルがハッと顔を上げてモールさんを見た。
「ハンバーグ、無料ですよね!」
「もちろんだ!最高の焼き加減で、でっかいチーズも乗せてやるぜ」
「約束ですよ!」
モールさんが扉を店の閉めた時には、別人のように気合いが入ったウィルがいた。
「よっしゃぁ!」
素早い動きでシュデルに駆け寄った。
「店長、ムーさんが…」
「シュデル、オレが戻ってくるまでにセラの槍をなんとかしろ!いいな」
有無を言わさぬ迫力でいいつけると、ウィルは”桃海亭”に飛び込んだ。
シュデルは息を吸い込むと、大声で叫んだ。
「セラァーー!」
セラの槍の動きを止めた。
「セラ、こっちにおいで」
シュデルが右手を伸ばすと、飛んできてその手の前で止まった。
精緻な装飾の入った銀色の槍は、輝く白い霧に囲まれていてため息が出るほど綺麗。
「セラ、ボクのいうことを聞くというなら、店長にここに置いてもらえるようにかけあってみるけれど、どうする?」
迷うように2,3回ふわふわしたあと、スッーと動いてシュデルの右手に乗った。
右手に収まったセラの槍を優しくなぜて、「お店の中で待っていて」と言うと、セラの槍は素直に”桃海亭”に入っていった。
入れ違いに出てきたのはウィル。
「おい、セラの槍が」
「なんとかしました!」
叫ぶように言って話を打ち切った。
いぶかしげな顔のウィル。
「店長、その鏡は?」
全力で話をそらすシュデル。
「あっ、そうだ。シュデル、こいつで頼む」
持っていた手鏡をシュデルに渡した。
「わかりました」
シュデルが手鏡を頭上にかざすと、鏡が光り始めた。
「ほう、なかなかの魔法道具だのう」
観客にいた年取った魔術師が感心している。
「太陽からの光を増幅して拡散させておる。見ろ、もう溶けよった」
地面に横たわった魔術師についた氷が溶けている。気温も上がったみたいで、魔術師たちの震えがとまった。
鏡を下ろしたシュデル。落ちついたのか、冷静な声で言った。
「店長、ムーさんが」
「何しているんだ」
「悪魔を呼びだしています」
ヒェー。
あたしの心の内の悲鳴は、みんなの悲鳴だったらしく、店内は喧騒の渦に巻き込まれた。
「またかよ」
ウィルはこともなげに言うと、チェリードームの中のムーに声を掛けた。
「おい、やめておけよ」
「もうちょっとしゅ」
楽しそうに書き続けるムー。
「なあ、シュデル」
「はい」
「なぜ、こいつが呼びだしているのが悪魔だとわかったんだ?」
「魔法陣は簡略化されていますが、法則から悪魔と推測されます。それとマルコシアスの羽のマルコシアスとは炎を吐く悪魔です」
「犬みたいなヤツか?」
「羽の生えた狼で尻尾が蛇だそうです。資料を見ただけなので断言できませんけど」
ウィルがため息をついた。
「あー、たぶん見たな、そいつ」
「はい?」
「色々あって、さらに、色々あって、それから、色々あって、モジャにお願いして帰ってもらった」
あっさりというウィル。
驚愕で固まっているシュデル。
「マルコシアスの羽というのが、あの時の茶色いボロボロのゴミみたいのならムーの部屋のどこかに、まだあると思うぞ。かなり落ちていたからな」
ムーの奴、また忘れたんだろうなとため息をついている。
座り込んでいた魔術師たちが顔をあげた。
すがりつくような視線でウィルを見ている。
「シュデル、ちょっと探してこい」
ウィルが冷たい口調で命じた。
「イヤです。ムーさんの部屋に入りたくありません」
首をブンブンと振って拒否するシュデル。
「入って、マルコシアスの羽を見つけてこい」
「あそこに入ったら、生きて出られません」
きっぱりと拒否するシュデルの顔に、ウィルが顔を近づけた。
「なあ、シュデル」
「はい」
「セラの槍、売らないでくれとか言わないよな?」
シュデルの額に冷や汗が。
「売らないでくれとか言わないよな?」
「…あの」
「金貨100枚だからな?」
「マルコシアスの羽は……」
リーダーらしき魔術師が「金貨100枚で!!」と叫んだ。
「だそうです」と、シュデルがウィルを上目遣いに見た。
「わかった。マルコシアスの羽を見つけたら、セラの槍を置いてやる」
腕を組んで仁王立ちになったウィル。
とぼとぼと”桃海亭”に入っていったシュデルの背中は哀愁を帯びていた。
座り込んだ魔術師たちは、マルコシアスの羽が手にはいる希望がでてきたのかホッとしている。
けれど、店の中、あたしの周りは大騒ぎ。
「大丈夫なのか」
「悪魔と言っていたぞ」
「マルコシアスは地獄の大侯爵のはずじゃ」
ムーは楽しそうに魔法陣を書き続けている。
どうなるのだろうと脅えるあたしたち。
あたしたちは忘れていた。
”桃海亭”のことで悩んでも無駄なことを。
決着はすぐついた。
ウィルがチェリードームの中のムーに軽く言った。
「おーい、ムー。今日は生け贄がないぞー」
「リコちゃん、交代するわ」
太陽が真上にさしかかった頃、キケール商店街は落ち着きを取り戻していた。
あの後、ムーは魔法陣を書くのをやめて、シュデルは1時間ほどでマルコシアスの羽を見つけて、魔術師の人達は金貨100枚をウィルに渡して帰っていった。
金貨を貰ったときのウィルは嬉しそうに笑っていた。そして、今ちょっと前、肉屋のモールさんから約束の巨大ハンバーグを受け取って”桃海亭”に入っていった。幸せ全開の笑顔でスキップしていた。
「ウィルくん、珍しく幸せそうね」
奥さんの言葉に、思わずうなずいてしまったあたし。
本当に”珍しく”幸せそう。
「ハンバーグ、食べ始めたかな」
微笑んだ奥さんの言葉が終わる前に”桃海亭”の扉が吹き飛んだ。
中からでてきたのはセラの槍。
「なに考えてやがる!」
続いて飛び出してきたウィル。
手に持った長いヒモを、槍に投げつけた。
セラの槍が地面に落ちる。
ピクリともしないところを見ると絡みついたヒモに封印の力がこめられているんだと思う。
「攻撃しないと約束しただろうが!」
足先で蹴飛ばす。
「やめてください!」
”桃海亭”から飛び出してきたシュデルが、槍を慌てて抱き上げた。
「店長を攻撃していません!」
「オレを攻撃していなくても、あれは…あれはないだろう!」
悲痛な表情のウィル。
「とりゃー!しゅ」
扉か転がり出てきたムーも、シュデルの腕の中の槍を蹴飛ばした。
「蹴らないでください」
かばうように抱きしめるシュデル。
「そうやって甘やかすから、道具達がつけあがるんだ!」
「そうしゅ!」
「お前のせいで売られることに抵抗して居座っている道具が、どれだけいると思うんだ!」
「そうしゅ!」
「売らないと食えないんだぞ!」
せっぱ詰まったウィルの叫び。
「騒がしいのぉ」
そのウィルの後に立ったのは、白と水色のローブを着た老魔術師。
ムーのお祖父さんで、すごく偉い賢者様。
賢者様の後ろにも偉そうな魔術師が数人並んでいる。
「ああ、スウィンデルズの爺さんか。何か用か」
振り向いたウィルが疲れた顔で、後ろの魔術師達に会釈した。
「また、ムーが何かしたのか?」
「違う、あれだよ」
目でセラの槍を指す。
「セラの槍か。氷結魔法を得意とする最上級クラスの魔槍だったの」
「その氷結魔法でハンバーグを凍らせやがった」
ウィルの目が据わっている。
「オレが喰おうとした瞬間、熱々のハンバーガーを氷の塊にしやがった」
「ハンバーグしゃん、ガチガチしゅ」
ムーも訴える。
賢者様は一瞬驚いた顔をした。そして、言った。
「そういえば、先ほどプレクス公国の魔術師にあったぞ」
ハンバーグの件には関わらないことに決めたみたい。
「マルコシアスの羽の件、喜んでいたぞ」
「そいつは良かった」
力無く返事をするウィル。
「安く売ってもらえたと」
「……安く?」
怪訝そうに聞き返すウィル。
「プレクス公国の財政ではとても買えそうにないから強奪を考えたが、安く売って貰って助かったと」
ウィルの目つきが兇悪レベル。
「爺さん」
「なんじゃ」
「マルコシアスの羽って、いくらくらいするんだ?」
「相場で金貨3000枚といったところかのう」
少しの静寂、その後絶叫。
「くっそーー!3000枚、3000枚あれば、あれば、あれば………」
ウィルがクルリと向き直った。
「シュデル、もう1個探してこい」
「無理です」
「金貨3000枚」
「生きて戻ったのが奇跡です」
「金貨3000枚」
「店長が探しに行けばいいでしょう」
「オレに魔法材料を見つけられるかよ!」
「ムーさんに頼めばいいでしょう」
その手があったか、と、ムーに向き直った。
「ムー」
「ないかもしゅ」
「あるかもしれないだろ」
「それより、こっちの方が確実しゅ」
指したのは足元の魔法陣。
シュデルの話が本当ならば地獄の大侯爵の召喚陣。
「でも、こいつはなぁ」
迷っているウィル。
さっきは生け贄がないと言っていたのに。
「いっぱいあるしゅ」
ムーが指したのは賢者様とその一行。
「まあ、足りるよな。これだけいれば」
2人の話に賢者様が割り込んだ。
「何を話しているんじゃ」
「あー、気にするなよ」
「気にしないしゅ」
笑顔で追い返された賢者様、何気なく足元をみた。
「これは!!」
「気にしない、気にしない」
「気にしないしゅ」
賢者様のローブの袖が振られた。
「皆、逃げろーーー!」
声の鋭さに、賢者様の一行だけでなく、観光客も店に飛び込む。
「急げ、悪魔召喚の生け贄にされるぞ」
ふわりと宙に浮いた賢者様。
「そんなこと、オレ達がするわけないだろ!」
「そうしゅ!」
抗議するウィルとムー。
「ならば、聞こう。マルコシアスの羽はどうやって手に入れた」
朗々たる声で問う賢者様。
「企業秘密」
「悪魔召喚しゅ」
このバカと小声で言って、ムーの頭をたたくウィル。
「いつ、どこで、召喚を行ったのじゃ!生け贄にしたのは誰じゃ!」
凄い迫力で問う賢者様。
「違う、違うんだ。生け贄はいなかったんだ。爺さんが考えているような召喚じゃないんだ」
「半年くらい前にぼくしゃんの部屋で、生け贄しゃんは…」
ムーの口をウィルがふさいだ。
「生け贄は誰じゃ!」
モゴモゴと口を動かすムー。
「絶対に言うな!」
真剣なウィル。
賢者様が手を振ると、ウィルの手が外れた。
魔法で何かしたみたい。
「はぅ、苦しかったしゅ」
「言うな!」
「誰じゃ!」
緊迫の2人。
「大丈夫しゅ。ジジイは怒らないしゅ」
「そうじゃない、そうじゃないだろ!」
焦っているウィル。
「生け贄にしたのは…」
「わぁーーー!」
ウィルが大声で消そうとしたけれど、聞こえてしまった。
「壺しゅ」
「壺だと?」
聞き返した賢者様。
「はいしゅ。ピメの前王朝の毒壷がありまして、毒壺さんに魔力がいっぱいありまして、これでできるかなあと思ったら、来ちゃいました」
えへへっと笑うムー。
「本当なのか?」
予想外の内容にウィルに確認を取る賢者様。
「本当です。そのあと、人の魂でないのがばれて、大騒ぎになって、モジャに間にはいってもらって、帰っていただきました」
ウィルの表情からすると、本当に大変だったんだろうな。
「そうか、疑ってすまなかったな」
ゆっくりと地面に降りてきた賢者様。
その後ろにゆらりと影がたちあがった。
「……いま、ピメの前王朝の毒壷を生け贄にしたといいませんでしたか?」
シュデルがセラの槍を片手に、ウィルとムーを見ている。
「毒壺を生け贄にしたんですか?」
「えーとだな」
「半年ほど前から毒壺が新月の日を怖がって泣くんです。恐い経験をしたと」
槍を片手にユラユラと2人に近づいていくシュデル。
「犯人はあなたたちだったんですね」
シュデルは2人の前で止まった。
「あなたたちが、新月の夜、壺を、生け贄にしたんですね」
区切りながら確認するシュデルの声が、ものすごく冷たい。
ウィルが数歩あとずさった。
「だから、ほら、お前がやったんだから、お前が責任を取れ」
ムーの襟首をつかんでシュデルの眼前につきだした。
「壺は、壺しゅ、気にしないしゅ」
へらへらと笑ったムー。
「そうですか。では、槍も槍ですよね」
シュデルの手が封印のヒモをするりと取った。
銀色の瞳が細まる。
「行け」
一瞬で乳白色の氷霧がキケール商店街を覆った。
ウィルやムーの悲鳴に混じって賢者様の悲鳴も響いていたけれど、濃い氷霧で何も見えない。
「シュデル、やめさせろー!」
「ひょえーーーしゅ!」
「わしゃ、関係ないじゃろー!」
キケール商店街は”桃海亭”のせいで今日も騒がしいです。




