2話目
頭が痛い…。
意識を取り戻してまず最初に感じたのは、頭痛の鈍い痛みだった。
目を薄く開けて辺りを見回す。シャンデリアが天井を彩り、棚やテーブル、椅子、絨毯などなどが部屋を高級そうに彩っている。その全てが高貴な品物である事が一目で分かった。
窓から溢れてくる清々しい朝日の光が部屋の中を照らし、カーテンがゆらゆらと揺れている。
「…朝…」
俺は女の子の声でそう呟いて、ゆっくりとベッドから降りた。瞼を擦りながら窓に近づいてそこから景色を眺める。
庭師によって剪定された美しい庭がずっと向こうまで広がっている。花に蝶々が飛び交い、小鳥達が楽しそうに歌いあいながら飛んでいる。空は快晴で、庭の緑と空の青とが混ざりあってとても綺麗なコントラストを描いていた。
「…これは…一体…」
俺は思わず呟いた。
いや、分かっている。ここは『私』の部屋で、その窓から見えるこの庭は『私』の家の庭だ。頭では理解出来ている。
だけど、違う。『俺』の部屋はこんなに広くなかったし、シャンデリアなんてものは存在しなかった。マンションに住んでいたから庭なんてものある筈が無い。これも、頭で理解出来ている。
「…何が、どうして…」
『俺』の記憶と『私』の記憶がごちゃごちゃに混ざりあって反発しあう。こんなの『俺』の部屋じゃない。だけど『私』の部屋だ。『俺』の部屋とは全然違うのに。ああ、もう訳が分からない。
『俺』は『私』の身体をベッドに腰掛けさせた。身体から力が抜けて、立つ事さえ出来はしない。
「…これが、俺の身体…?」
窓際に掛けてある鏡に映った自分を見ながら呆然と呟く。
『俺』の身体は日本人の平均的な容姿だった筈だ。黒い短髪に平凡そのものの顔。中肉中背の平均的な体つき。強いて言うならば目つきがちょっとだけ鋭いのが特徴と言えるだろうか。『平均』という文字が服を着て歩いているような容姿。それが俺だった。
だけど、今の身体はどうだ。黒髪を腰の辺りまで伸ばし、目は空の様な碧眼。頬は薄桃色で小振りな鼻に桃色の唇。幼い顔つきは髪型と相まって人形の様な妖艶さを纏わせている。体つきは中学生程で、胸は小さい。白いネグリジェから覗く腕や太ももは真っ白でシルクのよう。全体的に幼い印象を受けるが、これから絶世の美女に成長する事は想像に難く無い。
美少女が、そこにはいた。
「…まじか」
俺は更に愕然と呟いた。
自分の姿が女の子になった。それだけでも充分に驚愕ものだが、それよりも深刻な事態が現在進行形だ。
この姿。そしてこの声。忘れもしない。というか俺が自分の嫁を忘れる訳が無い。
そう、俺が一目惚れしたアニメキャラクター、原作乙女ゲーでもアニメでも悪役として描かれ、無惨な最後を遂げた可哀想なあの少女。
『カタリナ・フォーゼ』が、鏡の中で目を見開いてこちらを見ていた。
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状況をまとめよう。
俺は、『カタリナ・フォーゼ』のそれそのものの姿になっていて、さらにカタリナの記憶が全て俺の記憶とともに混在しているらしい。ちなみに意識は殆どが『俺』が主導権を握っていて、カタリナの意識はあんまり無い。その代わり身体は『俺』では無くカタリナのもの。記憶は5:5で五分五分に分けているらしい。
『俺』としての最後の記憶は、カタリナたんへの愛のポエムを作っている途中、トラックに引かれて死んでしまう所までだ。そして目を覚ましたらカタリナたんの身体になっていて、さらにカタリナたんの家にいた。
うん。分かってる。分かってるよ。
つまり、これは。
「転生、ってやつ…なのかしら」
そう断定するには余り自信は無いが、そう考えるのが妥当だろう。ちなみに太ももをつねったり頬を叩いたりしても痛いだけだったので、夢でない事は確認済みである。なんてこったい。
というか、転生って言うよりも憑依って言った方が良いのかもしれない。『俺』の記憶も『私』の記憶も混同しているらしいし、意識と意識が交じりあっているのだろう。
結論、俺は『君の隣で愛を囁く』の世界の悪役に、憑依転生してしまった。
…なんてこったい。
ちなみに、身体的特徴が似ていて名前が一緒だからといってもゲームの中の『カタリナ・フォーゼ』ちゃんと同一人物と言えないんじゃないか、と一瞬考えた訳だが。その考えは『私』としての記憶がすぐに一蹴してしまった。
『私』の最後の記憶は、お母様が病気で亡くなってしまいその葬儀に出ていたのだが、その途中で気を失ってしまう、というものだった。
ゲームの中での『カタリナ・フォーゼ』たんも、若干12歳の若さで母親を亡くしている。そして『私』の記憶では自分の年齢はただいま12歳。これがただの偶然な訳がない。
そう、つまりだ。俺は死亡エンドしかない、プレイヤーが最も嫌うキャラランキング第一位の座を不動のものとするキングオブザ悪役、『カタリナ・フォーゼ』たんとして転生してしまったということだ。
つまりは、このまま行けば俺は主人公ちゃんやイケメン達に殺されたり、魔物に殺されたり、魔王に殺されたり、それだけならまだしも陵辱エンドを迎えたりする、という事で。
「あばっ、あばばばばばっばばば…どどどどうしよう…」
血の気が引いて顔が青ざめるのがよく分かる。鏡の中のカタリナたんもがたがた震えて顔を青ざめさせている。どうしようこれ。
路傍の石ころの様に全財産を失って路頭に迷うエンドならまだ良い。それだけならまだ死んでない。ゲーム内でのカタリナたんはサバイバル知識がなかったり常識が足りなかったりしたので飢えて死んでしまったが、今は『俺』という男としての記憶がある。なのでまだ生きていける、と思う。
問題は殺されるエンド、プラス魔王や魔物による陵辱エンドである。
『俺』は高校生と言う若い時分で夭折してしまったのだ。あの時の記憶はあんまり覚えていないが、俺は確かにあの時トラックに撥ねられ死亡した。夢は無かったが別に死にたくも無かった。家族もいたし友達もいた。未練が無いだなんて嘘になる。俺は無念のうちに死んでしまったのだ。カタリナたんの布教もまだ済んでなかったし。
だと言うのに、運命はまた死ねと言う。このまま進んでいけば俺は高確率でカタリナ・フォーゼとして殺されて命を落とす。それだけは絶対に嫌だ。また若くして死ぬなんて絶対に許さない。
それと、陵辱エンドだが。それだけはもう論外です。俺が女の身体で男から陵辱されるなんて吐き気がするね。俺は女の子、それも小さくて可愛くて可愛い声で甘えてくる様な可愛い女の子が好きなのだ。むさ苦しい男に辱められて死ぬなんてただ殺されるよりも残酷だ。絶対にそんなエンド許さない。
そして何より、この身体は『カタリナ・フォーゼ』たんのものである。カタリナたんは俺が最高に可愛いと認めた最高のロリっ娘。そんなロリっ娘を若くして亡くすなんて神が許しても俺は許さない。絶対にだ。
「死なない方法を何とか考えなくちゃいけないわ…」
ちなみに、喋ると自然とアニメやゲーム内でのカタリナたんの口調に強制的に自動変換されるらしい。
まず最初に厳守しなければならないのは、『登場人物に関わらない事』である。これだけでもう充分なくらい安全性は確保出来る。
そもそもカタリナたんはイケメン達にモテまくる主人公ちゃんに嫉妬して虐めているのを悪魔に目を付けられ、言われた通りに悪魔に魂を売ったりしたから殺されるのだ。俺が主人公ちゃんを虐めなければ、必然的にイケメン達に恨みをもたれたり、悪魔に目を付けられたりしなくなる。つまり俺が死ぬという可能性はグンと低くなる。
だが、やっぱりそれだけではちょっと不安だ。この先何が起こるか分からない。万事備えておいた方が良いだろう。
そう言う訳で、『極力目立たない』も追加しておこう。目立てば目立つだけ色々な人に目を付けられる確率が上がる。俺はただでさえ悪役令嬢。死の危険は多数日常に潜んでいると言っても過言ではない。具体的な方針としては、取り巻きを作らない、友達を作らない、地味に過ごす、辺りだろうか。うん、これで生存確率はさらに上がっただろう。きっと。
そして次。『剣や魔法を極める』。これは絶対重要事項である。
この世界は日常的に魔法が飛び交い、剣が火花を散らす世界である。もしイケメン達や主人公ちゃんが俺を殺しにくるような事態になった時、必然的に殺害には魔法か剣が使用されるだろう。そんな状況において、魔法や剣の腕が相手よりも格段に下でしたー、なんて事では話にならない。最終的に自分を守るのは自分の力である。少なくとも逃げ切れるくらいの力くらいは付けておいておきたい。
まあ、どうせ付け焼き刃だろうけどね。相手は学園内でも屈指の実力を持ったメンバーで、更に主人公ちゃんに至っては主人公ならではの補正パワーが働くので勝ち目は無いだろう。ゲーム内ではカタリナたん本人が悪魔の力を借りても倒せなかった実力差であるというのに、果たして俺が逃げ切れるものか…不安で仕方無いが、まあやるしか無いだろう。やったるでー。
最後は『勉強をする』である。これも重要。もし俺が路傍の石ころエンドを迎えた際、頼れるのは俺の知識のみである。男である『俺』の意思があるからって、この世界についてはアニメやゲーム越しでの知識しか持ち合わせていないのだ。この世界の事について、もっと良く調べなければ。
ひいては、この世界のわりと有名な職業である『冒険者』、それか『農家』を目指す所存でいる。冒険者になれば魔法がちょっとは使えるカタリナたんだったら生活費くらいは稼げるだろうし、農家だったらどこかの村に住まわせてもらって農業を手伝う形で生活出来る様になる…はずである。きっと。
娼婦?こんなロリっ娘にそんな事させられますか。論外ですが何か?
「やってやらなければ、殺られてしまう…!」
今の俺の年齢は12歳。魔法学院に行く事になるのが15歳からだから、大凡3年程の時間が俺には与えられた事になる。
そのうちに何とか魔法や剣を最低ランクまで習得しなければ。カタリナたんが殺されるのは入学してから2年と半年経ったときなので、実質的には5年の時間がある。が、途中で殺されないと誰が言い切れようか。つまり安全な時間は3年間。それが過ぎれば即デンジャラスでサバイバルな生活が幕を開けるのである。
だが、俺は負けない。理想のロリっ娘を守るため。そして何よりも俺自身を長生きさせるため。俺は生き続けてやる…!
「やってやるぞ!」
俺は天井へと腕を突き上げ、そう決意をしたのだった。
「…可愛いな、おい…」
ちなみに、鏡に映ったカタリナたんの何かを決意した様な険しい表情と腕を挙げるポーズがめちゃくちゃ可愛かったのはきっとナルシストではない。きっとカタリナたんが天使なのがいけない。カタリナたんマジ天使マジ。
さらにちなみに、鏡のカタリナたんの後ろの方で、メイドさんらしき女性がおろおろと困惑した表情でこちらを見ている現在進行形なう、とも付け加えておこう。
…俺の黒歴史ノートに、新たな項目が生まれた瞬間であった。
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