狐編 中ーanother storyー
愛人の健太郎を亡くして笑えなくなってしまった菫は蓮という青年と出会う。
蓮と出会ったことで少しずつ笑えるようになりたいと思う菫であった。
私と蓮君は他愛もない会話をしながら、「秋」に向かう。他愛もない会話でも蓮君は幸せそうに笑って、楽しそうで、私も一緒に笑うことができた。
「ありがとうございました! 助かりました」
私は蓮君から荷物を預かり、ペコリと頭を下げる。
あ、重い。あの時はぼーっとしてたから、あまり感じなかったけど……。長いこと持たせちゃった。悪いことしちゃったな……。
荷物から蓮君に視線を移すと、蓮君はブンブンと手を横に振る。
「いやいや、僕もここに向かっていたから気にしないで」
蓮君は私を安心させるように優しく微笑んでくれる。
「え!? そうだったんですか!? じゃあ、入りましょうか」
ここに向かってたんだ! じゃあ、新しいお客さんってことだ! 嬉しいな。……でも、大丈夫かな?
私は蓮君に背を向ける。
いや、大丈夫! 蓮君は本当に優しいし、いい人だし!
引き戸を開けると、中はいつも通りお客さんたちがワイワイと食事をしていた。今は昼食の時間だから、お父さんがこの店にいる。お父さんは、自分に近い年齢の男の人だと普通に仲良く食べるけど、私と近い年齢の男の人となるとすぐに店から追い出してしまう。そのおかげで、新しいお客さんが増えないと言ってもいい。
どうか蓮君が追い出されませんように……。蓮君とはもう少し話してみたいんだよね。
私は隣りに立っている蓮君を見上げてみる。蓮君は目を輝かせて店の中を見ていた。
店の雰囲気は気に入ってくれたみたい。
私は蓮君の様子を見て、ついクスッと笑ってしまう。
「ただいま戻りましたー! 」
私がここの店主の秋さんに聞こえるように言うと、お客さんからおかえり、菫ちゃん!などと言葉を返してくる。私は声が聞こえてきた方に、ふふっと笑顔を作る。
お客さんにどう反応したらいいか分からない時は、笑っていたらいいって健太郎に言われたっけ?
「おかえりー、菫ちゃん。ありがとうね、重かったやろ? 」
厨房の方から、秋さんが出てきて私から荷物を引き取ってくれる。
「あ、秋さん! いえいえ、色々あって、蓮君に手伝ってもらったので大丈夫です」
私がニコッと笑うと、秋さんはまぁ!と嬉しそうに柔らかな笑顔を見せる。
ふぅ、でも本当に重かった。この短時間で疲れるのに、蓮君は全然平気そう。力持ちなんだな……。
私は、また蓮君を見上げてしまう。でも蓮君の顔が少し青ざめているように見えた。
……もしかして、お父さん!?
私がお父さんの方を見ると、お父さんも周りのお客さんもいつもと変わらず楽しそうに食事をしていた。
気の、せい?
「蓮君もありがとうね! 紳士的やね! 」
秋さんは、ふふっと笑うと厨房へと戻っていく。
私も行かなきゃ! あ、でも蓮君ってここは初めてだから席を決めてあげた方がいいのかな?
私も厨房に行こうとしたが、1度立ち止まって蓮君のところへ戻る。
「蓮君、真ん中の方に席が空いてるので、そこにどうぞ! 注文が決まったら、また呼んでくださいね」
私は真ん中の方にある席を指すと、じゃあ後ほど!とだけ言って厨房へと急いで戻る。厨房に戻ると、お客さんには見えないところで壁に少しもたれ、はぁ…、とため息をつく。
緊張したぁ…。年齢が近い男の人と話すのって健太郎以来かもしれない。元から男の人と話せるような性格じゃないからなぁ。あぁー! ダメダメ! 今は仕事に集中!!
でも
私、笑えてた?
私は首を傾げてから気合の一息を吐くと、腕を捲って、仕事に移る。注文されたものを把握して、それを素早く丁寧にお客さんに持っていく。
仕事のことだけを考えないと!!
数分経って、蓮君が気になって横目で見てみると、お父さんたちに蓮君が絡まれていた。
あぁ、蓮君が捕まってる。蓮君の肩が上がっちゃってる。 そりゃあ、緊張もするし、怖いよね……。どうか無事に蓮君がここでご飯が食べられますように……。
私は祈りながら、仕事を続けるしかなかった。
助けてあげられなくてごめんね、蓮君。何回か止めに行ったことはあるんだけど、全部上手くかわされて話から追い出されちゃうんだ。
仕事に集中しようとは思っているのに、やっぱり蓮君のことが気になって目がいってしまう。
何か揉めてそう……。ご飯を食べに来ただけなのにあんな風に絡まれたら普通に怒るよね。蓮君、帰っちゃうのかな。
私はうつむいて着物をギュッと握る。
嫌、だな。
目を閉じ、深呼吸をする。
やっぱり、お父さんたちを止めに行かないと!!
「お前気に入った! 今日は、俺がおごってやる! 秋ちゃん、酒頼む! 」
声が聞こえた方を見ると、お父さんが立ち上がって、蓮君の頭をぐしゃぐしゃと撫でてから、秋さんに注文をしていた。
お父さんが頭を撫でるのは、私とお兄ちゃんとお姉ちゃんと健太郎。つまり、自分の子供と自分の子供のように気に入った人だけ。
蓮君が気に入られた!! 良かったぁ……。
お父さんたちはいつものように楽しそうに話し始めた。私と秋さんは急いでお酒と杯を用意して蓮君達の席に持っていく。
「はい、お酒。少なめにしなよ」
秋さんは、酒が入っている徳利をテーブルの上に置く。私は4人分の杯を徳利の横に置いて、蓮君にニコッと笑いかけてる。
蓮君、本当に良かったね。
私は安心して、仕事の方に集中することができた。
10分ほど経つとお父さんからお酒の追加が注文される。
お父さんお酒飲みすぎ! しんどくなっても知らないんだから!
お酒の追加を持っていくと、蓮君はもう眠ってしまっていた。
蓮君って、お酒に弱い人だったんじゃ……。
お父さんは人1倍お酒に強いから、お父さんに合わせたらお酒に弱い人は酔いつぶれてしまう。
「もうちょっと話したかったんだがな……。でも、ええ子や。菫、この子にしたらどうや?」
お父さんの言葉に、私は顔が熱くなる。
「な、何言ってるの!? お父さん!! 酔いすぎよ! 」
私はぎこちなく徳利を置いて、急いで厨房に戻ろうとすると後ろから声が聞こえてきた。
「……れ、す……れ、す、みれ」
!?
私だけじゃなく、店の中にいるお客さん全員が蓮君に目を向ける。
私の名前を呼んでるの?
「……わらって、よ……、すみ、れ……」
秋風が店の窓をカタカタと揺らす音さえも聞こえるほど、静かになる。耳まで赤くなるのが分かる。
「笑ってよ」という言葉が私の心を優しく包んでくれる。
それがとても温かく感じて涙がこみ上げてくる。お父さんはそんな私の頭を優しく撫でてくれた。
「こいつは、泣けとは言ってないぞ? 笑え、菫。な? 」
お父さんはニッと私に笑って見せる。私の瞳からは涙がこぼれてしまっているけど、笑顔は消そうとはしなかった。
私にとって、蓮君は今日初めて会った人。だけど、蓮君は私のことを気にかけてくれていて、私が笑わなくなってしまったことにも気付いてくれていて、それで……。
なんて、なんて優しい人なんだろう。
私は蓮君の大きな手を両手で包む。
「ありがとう、蓮君」
蓮君の手がすごく温かくてまた涙があふれ出してくる。お父さんは私と寝ている蓮君の頭を優しく撫でる。お客さんたちも私の背中を撫でてくれたりする。お父さんにバシッと手を叩かれているけど……。
私はこんなにたくさんの人に支えられて、幸せ者だ。
お客さんたちが昼食をし終えて、勘定を済ませる。その時に、皆表情は色々だけどこう言った。
『お似合いだと思う』
そういうのじゃないんだけどな……。
私は、気持ちよさそうに眠っている蓮君の方を見る。その時に戦に行く前の健太郎の顔が浮かんできた。困ったように笑っている健太郎の顔。
『もし、もしも俺が帰ってこれなかった時は、ずっと俺に縛られるなよ? そりゃあ、一途に思ってくれるのは嬉しいけどさ、俺はお前の幸せを1番に願ってくる。まあ、菫は俺と一緒にいるのが一番の幸せなんだろうけど! 』
健太郎が帰ってこないなんて考えもしなかった。考えたくなかった。けど、健太郎はもういない。分かっているけど、まだ生きているってどこかで思ってしまっている自分がいる。まだ健太郎が好きな自分がいる。
私は自分がどうしたいのか、よく分からないよ。