狐編 上
今は、まだ武士もいた時代。
自然を愛する人々が暮らす町の隣にある林にすむある狐の物語。
(言葉使いは現代のものにしております。)
ガサガサ
僕は少し背の高い草から顔を出す。
目に映るのは立ち並ぶ店たち。食料や家具、髪飾りの他にも色々な店がある。人々はその通りを楽しそうに会話をしながら歩いている。
そんな人間を見ることはとても楽しくて好きだ。いつの間にかここで人間を見るのが日常になっていた。
でも、最近は1人にしか目がいかない。
その人は「菫」と呼ばれている可愛らしい女性。つい最近、二十歳になったと聞く。
菫は「秋」という飲食店に働いていて、看板娘である。この時間になると、いつも店前を掃除している。
……あれ?
僕は周りを見渡すが、今日は菫が見当たらない。
何かあったのかな? 風邪、かな。昨日は元気そうに見えたんだけど……。
早く元気になってほしいな。
それから、毎日「秋」を見に行っても、菫の姿は見えなかった。
菫の姿が見えなくなってから数日後。
ある噂が僕の耳に入り込んできた。
『菫の愛人が戦で亡くなったらしい』
近頃、人間たちはよく戦をするようになった。
戦をすれば、誰かが死ぬ。
そんなこと人間が一番分かっているだろう。
それでも、戦わなければいけない時ってあるんだな。人間たちは、人間が全員仲間ってわけじゃないのかな。
僕は、ここで笑いあっている人間しか見たことがないから、よく分からない……。
そして、また数日たつと菫の姿が見えるようになった。
笑っていた。
でも
やっぱり、違うよ。
菫はあんな、泣きそうな顔で笑う人じゃない。もっと、幸せそうに笑うはずなのに……。
僕は無理に笑う菫に背を向けて、林の中に戻ると、周りを少し見渡す。
この辺りまで来れば、大丈夫かな。
BON!!
僕は菫と同じ歳の男性の姿に化ける。
優しい若葉色の着物に落ち着いた紺色の羽織、そして整った顔と体型。
よし、久しぶりにしては上出来!!
僕は満足してふんっ!と鼻を鳴らす。
僕が化けたところで菫と話すことができるか分からないし、話しても何も変わらないかもしれない。
……でも、やりたい。可能性がある限り。やってみないと分からない!!
僕は、人が少ない所からこっそり町に出て、急いで「秋」の方に向かうと人の数も増えてきてにぎやかになる。
おお! 久しぶりに出た! やっぱり、実際に歩く方が楽しいな!
僕は興奮して笑みをこぼしながら、辺りをキョロキョロと見渡す。
人々の笑顔があちらこちらに広がっている。
……やっぱり、この町の皆は楽しそう。
余所見をしながら歩いていると、誰かとぶつかってしまった。ぶつかった相手は、しりもちをついてしまう。
はっ、しまった。つい興奮して……。
「す、すみません。大丈夫ですか?……っ!!」
僕は反射的に手を差し伸べる。
そして、相手の顔を見ると自分でも分かるくらいボンッと顔が赤くなる。
す、すすすす菫!? 何でこんなところに!
しりもちをついてしまった菫は、料理の材料が入っている買い物かごを持っていた。
あ、買い出しに行っていたのか。
……それにしても、重そうだな。これは女性に持たせるものじゃないでしょ。
「大丈夫です、ありがとうございます」
菫は僕の手を取って立ち上がると、ニコッと笑ってくれる。
……あれ?菫が小さい!! 違う、僕が大きくなったんだ!いつも見上げてたから違和感が……。
僕はブンブンと首を振る。
「あの、お詫びにその荷物、僕が持つよ。重いでしょ、それ」
僕は、菫が持っている荷物を指す。
菫は荷物を見て、パチパチとまばたきをしてから慌てて首を振る。
「いえいえ、大丈夫です! 私がぼーっとしていたのが悪いので」
菫は困った顔で笑う。
まぁ、そういうとは思ったけど……。
僕は、じゃあ、と口を開いて、買い物かごの持ち手の片方を持つ。
「片方だけ、持たせてよ。僕が余所見していたのも原因の1つだしさ」
僕は、菫にニッと笑顔を見せ、買い物かごの片方だけ持って歩き出す。
「え!?」
菫は驚いた顔を見せながら、俺に引っ張られてついてくる。
無理矢理すぎたかな。
で、でも、せっかく会えたし、話せるチャンスだし!
僕は、隣を歩いている菫の方をバッと見る。菫はまたパチパチとまばたきをした。
「えっと、菫、ちゃん…たよね?秋で働いている」
「はい。秋にいらしたことありましたっけ?」
菫は、不思議そうに首を傾げる。僕の顔はさぁっと青ざめる。焦っていることを隠すために笑ってみた。
やっぱり、急に名前を聞くのはまずかったかな……。
「い、いや、秋の前はよく通ってたから知ってるんだ。……それに、菫はずっと笑顔だったから覚えてるんだよ。」
僕は、はにかんで頭をかく。照れくさくて、菫から目を逸らしてしまう。
もう1度、あの笑顔を見たいな……なんていえる勇気があればいいのに。
僕が話を止めると、沈黙が続く。
……あれ?
菫に目線を戻すと、菫は真っ赤な顔で俺を見上げていた。僕も菫につられて顔が赤くなる。
え、え? 僕、変なこと言っちゃった!?
変人発言しちゃった!?
「ご、ごめんなさい。ちょっと、ある人のことを思い出しちゃって」
菫は自分の顔の前で片手をブンブンと振っている。
そのまま見てると、片手を真っ赤な頬に持っていき、小さなため息をついたりした。
面白い子だな。
「え?僕と話しているのに他の男のこと考えていたんだ」
僕はブーと口を尖らさせる。
「え、えぇ!?」
「ふっ、あはは、冗談だよ」
期待を裏切らない菫の反応に僕はついクスクスと笑ってしまう。
本当に、可愛い。
「もう!」
菫は少し怒った表情を見せたが、すぐに俺と一緒に笑った。
あ、笑った。僕が大好きな菫の笑顔だ。
えへへ、狐の僕でもできることあるんだなぁ。
僕は嬉しくて、笑みが止まらない。
あ、そうだ……。
「僕、蓮っていうんだ。よろしくね、菫」
僕は少し照れながら笑顔を見せる。
「…はい。よろしくお願いします、蓮君!」
菫も笑顔で返してくれた。
その笑顔は、本当の笑顔って思ってもいいのかな?
いや、きっとまだだ。分かっている。
でも、今はそれでいいよね?
少しずつ、少しずつでいいんだよ。
少しずつ、笑えるようになればいい。そうしたら、気づかないうちに元に戻っている。
だから、それまで僕も力になりたい。
いつかあの笑顔が返ってくるように……
ありがとうございました!