星人が流れた
短期連載、の予定です!
短めで、6話ほどまで。
20141121
生い茂る木々の葉は、様々な緑色。群青色の空を縁取るそれは、時折キラキラと光る。
横たわって見つめながら、深呼吸をした。
清々しい森を想像して呼吸をする。それは自律神経を整えるために、毎晩することだった。
だから気付くことが遅れてしまった。
葉を擦り合わせるそよ風が運ぶ香りも、小鳥の囀りも、虫の音も、地面の匂いも、全てが現実。
一定を保った呼吸を止めて、私は息を飲み込んだ。
起き上がれば思い知る。大きな大きな森の中に、横たわっていたこと。
暫く呆然と眺めていた。いつまでも続いていそうな森は、鬱蒼としている。
陽射しが差し込んでいても、この森の出口が見付けられるとは到底思えなかった。それは単に、私の視力が低いせいかもしれない。眼鏡がないから、光で眩む遠くはよく見えなかった。
寝間着の姿かと思いきや、黒のジャケットとブラウスとスキニー姿。
この森に来た経緯がわからず、この服を着たことから思い出そうとした。また暫く森の中に座り込んで考える。
でも、なかなか思い出せなかった。
この服に着替えた朝が記憶にない。
お尻が痛くなって、私はもう一度横たわる。ぼんやりと、ゆっくり思い出そうと努力してみた。
ほんの少しの寒気を感じて、空が赤色に染まり始めた頃に、漸く起き上がる。
お腹が空いた。
寝床を探しながら、なにか食べられるものを探して歩くことにした。
サクサクと草を踏む音と感触。夢ではないと、思う。リアルだと思う夢もあるけれど、これだけ時間が経っていても覚めないのならば現実。
いくら歩いても、人気は感じられないし、家も街も見付けられなかった。
代わりに見付けたものは、木の実だ。警戒しながらも、赤く丸い実を潰して匂いを嗅ぐ。酸っぱい匂い。指で掬って舐めてみれば、やっぱり酸っぱい。でも食べられそうだから、ブラウスで拭って食べた。梅干しを食べているようだったけれど、次第に甘さもほんのり感じてきたので、たくさん摘んで口に入れる。なにも食べないよりはましだ。
どっしりした木の根に丸まって、すっかり暗くなった森の中で一夜を過ごすことにした。
真っ暗な葉の隙間から、星空が見える。
遠くでは想像もできない獣の遠吠えが微かに聴こえた。この森には人が見当たらない。でも生き物の気配はする。
手ぶらで私は森にいるなんて、どう考えてもおかしい。それに私は自ら森にいくアウトドア派ではない。
連れ去られたのならば、どうして置き去りにされるのか。そもそもなんで記憶がないのか。
「……私は死んだのか」
記憶がないのに人気のない森にいた。永遠に続きそうな森は、もしかしたら想像とは違うあの世なのかもしれない。
記憶がない理由も、この森にいる理由も、わからない。
死んだと言う理由なら、なんとなく理由が出来る。
全てはあの世に来てしまったから。
それで片付く。
一先ず、ここはあの世だと思うことにして、今後を考えなければならない。
お腹は空くし、足は痛くなるし、眠くもなる。あの世でも生活をしなくてはならないみたい。
ある意味、地獄。死んだら終わりじゃない。死んだ方が楽なんて、思っていた罰だろうか。
深呼吸をして、黒の隙間から見える星の明かりを見つめれば、青色の流れ星を三つ見付けた。
空に線を残したそれは、それぞれ違う方向に伸びる。そして薄れて消えていく。
私はほっとして、息をつく。
まだ今後の苦労はわからないけれど、とても穏やかなあの世だと思う。
流れ星が消えるように、私の意識が薄れて眠りに落ちた。
翌朝は朝陽で目を覚ました。緑の隙間からキラキラと光が零れ落ちている。
欠伸をして、背伸びをした。ちょっと首痛い。
「さてと……水を確保しよう」
木の実を食べているだけでは、喉が渇く。飲み水を探す前に、木の枝に実を突き刺して、目印として地面に突き刺す。水と木の実があるなら、少しは持つ。
迷わないように目印も置いておけば、木の実の場所も寝床にも戻れる。
木の実をたくさん摘んで、ポケットに詰めて歩き出す。
水の場所なんてわからないから、適当に突き進んだ。
きらびやかな森の中は、穏やかだ。どこを見ても同じように見えてしまう辺り、抜け出せない迷路だけど。
「あ、木の実なくなった」
食べていたり、目印にしていたらポケットの中になくなってしまった。
仕方ないから葉っぱを突き刺して、目印を置いておく。
どんなに歩いても、水溜まりすら見付けられない。キノコを見付けたけれど、食べられるかどうかわからない。私にはそんな知識がないし、毒キノコなら危険なので試しに食べることはせずに放っておいた。
黄色い丸い木の実を見付けたけれど、食べてみたら苦い。だめだこりゃ。でも目印の代わりになるから、摘んでおくことした。
「……木、登ればいいんじゃないかな」
今まで地に足をつけていても木の実が採れたから、木に登って周りを確認することを思い付けなかった。
ジャケットを脱いで、ブラウスの袖を捲って、木に登ることにする。そう簡単にはいかず、擦り切れそうな手でなんとかよじ登った。
残念ながら、努力は無駄だった。少し考えれば予想できたことなのに……。
同じくらいの高さの木々が並んでいるから、葉っぱしか見えない。周りを確認することが出来ない。
また苦労して木から降りる。目印を頼りに引き返して、黄色い木の実を摘んだ。次は違う方角へ進む。
気配はするのに、やっぱり生き物と出会わない。
まぁ、会っても困るけど。
足が疲れたから、水探しを切り上げる。
原始的に火起こしにチャレンジ。試行錯誤した結果、日が暮れたあとに小さな火が灯せた。
あとは絶やさないようにするだけ。木が燃える匂いが辺りに広がり、煙を上げる。そばにいれば、ヒリヒリと熱を肌に感じた。
ゆらゆらと揺らめく橙色と黄色が混ざる炎を見つめる。リアルな感覚と、幻みたいな光景を味わう。
眠りたくなった頃。
またどんな動物か想像つかない遠吠えを耳にして、震え上がる。
ここが自分の知る世界ではないなら、動物とは限らない。火の煙で寄ってくることを恐れて、私は火を消して木の上に登ることにする。
不安定なそこで安心して眠れるわけないけれど、獣に噛み付かれたくない。
落ちないように工夫して枝の根に丸まる。気を緩めないようにしたから、なかなか寝付けなかった。
また朝陽で目覚める。木から降りて、背筋を伸ばす。
獣は来なかったみたい。
焚き火の跡を見つめながら、ぼんやりと赤い木の実を食べる。
水を確保して、家を建ててみようとは考えるけど、私はアウトドア派ではない。だから家を建てるとか、狩りをするとか、上手く行く気がしない。
でも他の人を見付けたり、他の家を見付けたりしても、誰かを頼るようなコミュニケーション能力はない。その自覚はある。
自力で生活する方がまし。
まぁでも、それもいいかもしれないと思う。元々私は他の人間には執着しない。一人で生活して、別に構わない。
森で平穏に過ごすことも、楽しそうだ。穏やかでいられる。
素敵な地獄とも言えるわね。生き抜けるかは自信がないけど。いや、地獄ならこの言い方はおかしいのかな。
「水だ水ー」
木の実じゃ足りない。脱水症状で倒れる前に見付けなくては。
目印のために黄色い木の実を摘んで、昨日とは違う別の方角を進んだ。
水が欲しい、水が。
お腹も空いているし、フラフラしながら歩いた。
今日泉か川を見付けられなかったら、明日はきっとうんざりしているだろう。
末路は瀕死になって獣の餌。それは流石にやだやだ。腕を組んで首を振る。
すると、目を見開く光景を目にした。
踏み出した先は――絶壁。
二十、もしや三十メートルほどの高さの崖に出てしまい、私は落ちてしまう。
咄嗟に掴んだのは崖から突き出た木の根。
絶体絶命で宙ぶらりん。
掌は締め付けられるような痛みがする。地面に吸い込もうとする重力をビシビシと感じた。ヒュウッと風が下から吹き上げてくる。
この世界があの世と言う確証はまだない。でも現実だと言う確証はこれで十分だ。
落ちたら間違いなく痛い。痛いどころでは済まない。
崖に足をついて、腕の負担をなるべく軽くして深呼吸した。少し登って手を伸ばせばいける気がする。力を込めたけれど、木の根から手を放せない。恐怖のせいだ。命綱から手を放せない。躊躇している間に、登る力が足りなくなってしまう。
ああもうだめだこりゃ。
耐えて耐えて、落ちるしかない。潔く死ぬか、必死こいて登って結局落ちるか。その二択だ。
深呼吸をして、意を決して落ちてしまおう。痛いことは早めに済ませてしまえばいい。
どうせ、生きることにも大して執着はしていないのだから。
何度目かわからない深呼吸をしたあとに、手を放そうとした。その直前に、私は気配に気付く。誰かがいる。
顔を上げれば、掌が差し出されていた。大きな男の人の手だ。
崖の上から差し出してくれる人は、黒髪だと言うことしかわからない。逆光で顔がはっきり見えなかったからだ。
「女性か……。すまない、直接触れないからこれに掴まって」
その声は、若い男の人で優しさを感じられた。でも言っていることは酷い。
落ちたら死にかねない崖に宙ぶらりんになっているのに、触れないと手を引っこめたのだ。
なにに掴まれと言うのかと思えば、手が差し出された。人間の手ではない。さっきの手の三倍の大きさ。まるで岩人間のゴツゴツした手だった。
限界だった私はそれに掴まるしかない。両手を離してそれにしがみつく。すぐに引き上げられた。
岩人間のような手は、地面から生えている。私から手を離すと、地面の中へ溶けて消えた。
絶体絶命から脱出した私はその場に座り込んで呆然と地面を見つめる。
立っていた男の人がしゃがんだから、そこで初めて目を合わせた。
顔の整った青年だ。肩にかかる黒い長髪の彼はイケメンと呼ばれそうだけど、どうもぱっとしない地味な印象を受ける。それはTVで活躍するイケメンのようなきらびやかさを持っていないせいか。
大人しそうな青年は微笑みを浮かんでいたけれど、私を注意深く見ていた。私の顔、私の服。
私も彼を観察するように見る。顔立ちは白人に近く、瞳の色は藍色だ。
服装はまるで一昔の村人A。質素な印象を抱くブイネックの長袖シャツと、黒いズボンと大きなブーツ。
あの世ではないとなると、ここは私のいた時代とは違う可能性がある。だが言葉が通じるという点がそれを否定をした。外国という可能性も。
別の時代へ来てしまった可能性が潰れるなら、もう一つの可能性はここは私のいた地球とは違う世界ということ。
「……助けてくださり、どうもありがとうございます」
互いに相手の出方を待つように沈黙してしまったが、私は救われたお礼を言わなくてはいけないから頭を下げて言う。
「いや、礼には及ばないよ。……一つ先に確認したいのだけれど、木の実や葉を枝に刺して地面に立てたのは君かな?」
「あ、はい。私です」
「そうか。君が迷子か」
彼は少し安心したように微笑んだ。どうやら迷子だと推測して私の目印を追ってきたみたい。
「昨夜、焚き火の明かりを目にしたから、様子を見に来たんだ。そうしたら、目印があったから遭難者だと思って。見付けられてよかった」
「おかげで救われました。ありがとうございます」
「いえいえ。星人を救えて、オレも嬉しいよ」
もう一度礼を言われ、彼は笑って妙な言葉を口にした。私は首を傾げる。
ふふ、と微笑むと彼は告げた。
「君のように異なる世界から現れてしまった者を、星人が流れたと言うんだ」