第一章 少女の過去
私立燐彩高校では学力と部活動に力を入れた進学校である。特に部活動では全国大会や地区大会優勝などでその名を馳せ、全国的に有名である。学力と部活で内申書に大きく響き渡り、難関大学に合格しているものも少なくない。現在、俺は生徒会副会長の立場にある。学力は上位をキープしている。ついでに言うと、三笠もトップクラス。
俺が生徒会副会長に就任したのは高校三年生、つまり今年だ。クラスの委員長である城馬鶴来の推薦により、生徒会に立候補し選挙で一票差により当選。
現在その立場にある。
この高校の生徒会はかなり特殊なものであり、警備用具を装備して担当の週の当番毎に学校内を徘徊する事がある。それは生徒たちが授業をサボっていないかとか、事件やトラブルを起越すことを防ぐためである。俺も何度かその経験をした。そのことから、生徒たちはやけに大人しくまじめな子が多い。学校の風紀を乱さないがための所以であろう。
(しかし、生徒会副会長になったとはいえ……)
特に目立ったような功績というか、そういったものは何一つない。
強いて言うなら、委員会のまとめ役をする位だ。
生徒会に入って間もないが、なんだか委員長の城馬には申し分けないような気持ちになる。せっかく推薦してくれたのだから、それなりの結果を残すべきだと俺は思っている。しかし、大きな仕事は主に会長がするものであって、副会長はその補佐に過ぎない。
もっとでかい役割をくれたら、それらしき顔はできるだろう?生徒会副会長としての威厳が損なわれるといった感じだ。
夕日が放課後の教室を差し込んでいた。たいていの生徒たちは、帰宅しているか部活動に打ち込んでいる頃であろう。俺は生徒会の仕事を一通り終え、一人佇む。なんだかやりがいがない。
「何深刻な顔をしているの?聖童くん」
そう言ってきたのは城馬だった。ショートヘアで両サイドに少しハネがかかり淡い瞳をした少女。績優秀、文武両道、気はしっかりしていて時には女の子らしい一面を持つ。まさに、委員長である。
「なんだか目つきが怖いよ?もしかして、私が生徒会に推薦させたことに対して腹を立ててるの……?」
「……そんな訳ないだろ」
半眼で突っ込む。とんだ被害妄想だ。少なくとも俺は城馬が推薦してくれたことに逆恨みをしたことなんて一度もない。むしろ感謝している。こんな俺を生徒会に入れてくれたのは、彼女のおかげなのだ。
「お前のおかげで俺は生徒会に入ることが出来、人間的にも成長できた。とても感謝している。俺なんかを推薦してくれてありがとうと言いたいくらいだ」
「それは私にとってもうれしい限りだわ。貴方の口から、そんな言葉が出るなんて思ってもいなかった……」
生徒会に入る前の俺は、とても物静かで人と接することを拒んでいた。今の三笠に近い感じだ。更生するきっかけを城馬は与えてくれたのだ。
「当初の貴方は、とても冷たかった……。今は無愛想だけど」
「ちょっと待て、それじゃあ更正できていないのと同じだ」
「いいえ、少なくとも今の貴方は更正しているわ。でもね聖童くん、あなたクラスのみんなからなんて呼ばれているか、知ってる?」
「……」
俺は三笠と同じく、クラスのみんなから異名が与えられていた。
“冷酷の貴公子”。
俺は元々目つきが鋭く、皆に冷たい人間だった。実際、人と触れ合うことに拒否反応を示していたのも事実だ。それはまるで冷酷の如く、当時の俺はすごく冷たかった(異名は現在も続いている)。そんな城馬はクラスで一緒になったとき、迷わず俺に話しかけてきたのだ。それも一番最初である。
俺が静かに机に佇んでいるときのことだった。
「ねぇ、よかったら私と友達になってくれる?」
「……何故だ?」
「特に理由はないのだけれど……。あえて言うなら、貴方とお話がしたいの」
こいつは本気で言っているのか?人は裏切る。その怖さを知らないのか?
「それだけか?」
「一年間一緒に楽しく過ごせたらなと思ってね」
「……」
俺はしばらくこいつをじっと見つめた。
「……あ、その眼は人を疑っているね?失礼だな、そういうときは人を信用してみるものなんだよ!」
「やけに騒がしい奴だな」
「だぁもう!細かいことは気にしないの!私は城馬鶴来、よろしくね!」
無視するのも癪だ。名前だけは名乗っておく。
「――聖童司」
「よろしく、聖童くん!」
言って、城馬はその場を去っていった。正直に言うと、あいつの目的が読めない。なぜ俺に話しかけてきたのか理解できなかった。俺自身、三笠と同じく人間が嫌いなのだ。拒否反応を示していたのはその名残である。先に断っておくが、俺は対人恐怖症ではない。俺が皆から“冷酷の貴公子”と呼ばれ始めたのは、高校二年生の時である。
それでも城馬は、俺に積極的に声をかけてきた。最近の出来事とか、学校楽しく過ごしているかといった具合だ。近況報告みたいなものだった。
そうしていくうちに、俺は徐々にあいつに心を開くようになっていった。彼女の積極的な振る舞いと、その優しさに惹かれていったのだと思う。それから俺は、城馬と話しをするようになり、時には一緒に昼を取ったこともあった。城馬といると、なんだか安らぎが得られるような気がしたのだ。
このような気分になれたのは、今回が初めてだろう。
それから程なくして、城馬はクラスの委員長に就任した。自ら立候補したのだ。クラスは俺を含め全員賛成。まさに、皆の信頼を勝ち取っていた。
そこに“寡黙の令嬢”は偶然欠席していたのか姿はなかった。
過去の回想から会話に戻す。
「最初のころを思い出すなぁ。まだ五月だけど。“冷酷の貴公子”と呼ばれた聖童くんと出会えたのは何かの縁かな?」
「偶々クラスが一緒になっただけで、縁も何もないだろう……」
「そういうのって、たとえば片思いの相手からしてみれば、縁を感じるものなのよ」
「それはあくまで“恋”の話だろ?別問題だ」
それはあくまで例えばの話だ。かといって悪い気はしないが。俺は話題を切り替える。
「まぁ、お前は以前からお人よしだったから、皆がお前に委員長を託すのは当然のことか……」
「変な物言いはやめて頂戴。私はただ、皆の役に立ちたいだけ」
「そういうところが“お人よし”だと言っているんだ。そのうち騙されるぞお前」
「し、失礼な!そこまでお人よしじゃないもん!」
彼女は頬をぷく~っとふくらます。
「聖童くんのそういうところが、私は“無愛想”だと思うんだけど」
「……悪かった」
素直に謝る俺。今のは言い過ぎたか。
放課後の教室で、俺と城馬は他愛のない会話を交わしている。“冷酷の貴公子”と委員長が会話をする風景は、周りからすると珍しいのかもしれない。
「でも、クラスのみんなから言われたら仕方がないことかもしれないね……」
「それは……」
城馬の性格はクラスで一緒になり、接していくうちに段々わかってきた。彼女はほかの人間にも同じような態度で人に接していることもあり、周りからは「優しい人」あるいは「お人よし」として認識されているようだった。
最初に言った、あいつが一番最初に俺に話しかけてきたのは恐らく「まずは一番やりにくい人間と解け合おう」という認識で間違いないだろう。普通はそのような行動は避けるはずだ。しかし、彼女の場合「何事も経験」をモットーにしているという。俺から言わせてみれば、大胆な人間である。
あえて危険を冒す。自らを犠牲にして。
言い方としては極端ではあるが、おそらく城馬はそのようなタイプの類似に近い。ヤンキーでも普通に接する度胸があると言っても過言ではないかもしれない。利用されるまではいかないのだろうが。
やりにくい人間と解け合うというハードルの高さを難なく乗り越えるところが、ある意味彼女の長所のようなものなのだ。
「……でもね、私誰とも話せるというわけでもないの」
「何?」
「一人苦手な人がいてね……」
「……」
何となく、予想はついた。
恐らく三笠であろう。あいつは俺以上に無愛想で冷酷な人間である。これまで、三笠の笑顔を見たことなんて一度もない。いつも物静かで相手を近づけさせない威圧的な雰囲気を漂わせている。それは俺も同じことだが。
「私、その人に話かけたらね、“消えて頂戴”って言われちゃってね……。へこんだなぁ、あれは……」
「そうか……」
三笠は相手が誰であろうと容赦ない。たとえ善人が話しかけてきたとしても、それは「偽りの優しさ、偽善」と捉えることしかできないのかもしれない。
――俺の場合、「人は裏切りであり偽善者」、「人間は信用するに値しない」という二つの観念を持っている。ただし一つは三笠と共通している点だと思われる。
周りからすれば、そんなことでよく生徒会副会長になれたなと言われるだろう。こればかりはやむを得ない。現段階では、俺は人間観察をしているといったほうが正解だろう。事実、城馬が推薦していなかったら生徒会などやっていない。
強いて言えば、彼女の期待に応えるために立候補したのだ。当選したのはたまたま運が良かっただけだ。
「人間など、信用するに値しない」
「人間はすべて、裏切りであり偽善者」
これは今まで俺が持っていた人間に対する観念である。人間にはそれぞれの価値観がある。それをどう捉えるかは結局その人自身なのだが、俺は高校に入学しても、この観念を曲げることなく高校生活を過ごしてきた。だが、城馬と出会えてその観念はほんの少しだけ薄らいだ。
これ以上黙っても話が進まない思い、自己紹介の際に言えなかったことを、俺はこの場で言った。
「城馬、今だから言えることだが……」
「うん?どうしたの?」
「俺は“人は裏切りであり偽善者。人は信用するに値しない”という観念を持って生きてきた。お前はそんな俺を、これからも引き受けてくれるのか?」
「……」
一瞬黙った。というより、固まった。
「現段階では、お前のおかげで少し薄らいでいる。だが、万人を信用できるわけではない。お前はそれでも、俺と友達でいてくれるのか?」
沈黙が教室を支配する。気まずい空気が流れてくる。
俺は今まで人に心を開くことは無かった。だが、城馬だけになら話をしても大丈夫かと思ったのだ。このままズルズルと引きずっても埒が明かないし、今ここで言っておかねば後々後悔することにもなりかねない。城馬がどのような反応を示すかはわからないが(もしかしたら引いているかもしれない)、言わないよりはマシである。
「聖童くん……」
城馬から重たい口が開かれた。
「私はね……、人が持つ観念とか価値観はよくわからないのだけれど……」
「……」
「人が人を簡単に裏切ることは無いと思うし、“偽善者”というのは、実際に味わった人にしかわからないと思うんだ……」
城馬の口からは、そんな言葉が放たれた。俺が持っている観念とは真逆の言葉を。
「貴方がそのような観念を持つのは否定しないよ。“冷酷の貴公子”と呼ばれた貴方なんですもの。実際に、“そういう経験をしてきたから言えること”、なんだよね?人は信用できないとか、偽善者だとか……」
城馬は嫌味ではないだろうが、俺の異名を言い放った。彼女はさらに続ける。
「最初に声をかけた時、少し私を疑ったよね?その時私が感じたのは、簡単には受け入れられない人もいるんだなと思ったの。信用されてないんだなって思った。でも、あなたは私を受け入れてくれた。それだけで凄くうれしかったんだ」
「城馬……」
そして、彼女はっきりとこう言った。
「――少なくとも私は、あなたを裏切らないし偽善な態度をとったりもしない。それだけは約束するわ。たとえあなたを裏切る人間がいたとしても、私は絶対に裏切らないよ」
彼女は、そう強く言い切った。
城馬鶴来。彼女だけは、信用できる。彼女だけが本当の友達であり、恩人だ。彼女は俺に絶対裏切らないと誓ってくれた。ならば俺もそれに応えねばならない。
「ありがとう。俺もお前を裏切らないし、偽善だとは思わない。お前に対しては、とことん心を開いていくつもりだ」
「ありがとう。これからもよろしくね、聖童くん」
今まで人に「ありがとう」という言葉を発したのは、多分城馬が初めてだろう。
俺は人を嫌い、裏切りと偽善の観念を持ちながら生きてきた。子供のころから冷めたところがあったのだ。しかし、親から虐待を受けたわけではなく、普通の子供として扱われてきた(ただし環境は変わってはいたが)。学校行事以外グループに所属することもなければ、誰かと一緒に帰ることもなかった。
小学四年生のあるとき、クラスの女子が「親友に裏切られた。今まで心を開いてきた人に騙された」と大泣きしたのを目撃した。
――“人間は裏切り、そして偽善者”。信頼は裏切りの裏返しである。
俺は泣いてる女子を見つめながら、人間の心の闇に触れたと確信した。今まで付き合ってきた人間に人に裏切られ、偽善と化す。人間は信用するに値しない。それが人間に対する二つの観念を生んだのであろう。
しかし、城馬だけは違った。
彼女は、裏切りも偽善もしないと強く言い切ったのだ。大抵の人間はその観念を持っていると聞いただけで俺を避けるだろう。だが城馬は、彼女だけは俺を受け入れてくれた。だから俺も、城馬のことをとことん受け入れていこうと、そう心に誓った。
あれから城馬と話を続けた。俺が生徒会副会長に就任したとはいえ、大した業績をあげられていないことを話すと、城馬はこう言った。
「まだ始まったばかりだから、そんなに慌てることはないよ」
確かに就任してからまだ一か月経ったばかりとはいえ、何もせずに終わるのは城馬に申し訳が立たない。
「あんまり深く考えなくてもいいよ。まだ先は長いんだしね」
「そうか……」
俺は城馬から視線をそらし、教室の窓の外に目をやる。
「……?」
校門前で、何やら起こっているようだった。一人の女子生徒が、おそらく他校であろう男子生徒数人に絡まれていた。こういう時間帯になると、不良共が意味不明な行動をとることが多いと聞く。
しかも女子一人相手に。懲らしめてやらねば。
「どうかしたの?」
異変に気付いた城馬が声をかけてくる。
「正門前で、他校の連中がうちの生徒を絡んでいる。大変なことになる前に、止めに行ってくる」
「えっ?ちょ、聖童くん!?」
「大丈夫だ、すぐに戻る」
俺は城馬の止を振り切り、教室を出る。一刻も早く駆けつけなければ大変なことにもなりかねん。もともと俺は人間は嫌いだが、こういう状況になると放っておけないタイプだ。
ここで出なければ生徒会副会長の名折れだ。面倒なことになる前に、事を済ませておこう。
学校の玄関前に出、正門に向かう。不良の人数は約五、六人といったところか。遠くから奴らの声が聞こえた。
「お嬢ちゃん、そんなカリカリすんなって。俺らと遊ぼうぜ?」
「いいところに連れてってやるからよぅ」
「……」
絡まれた少女は無言のままだった。背中まで伸びた長い髪を風が靡かせている。見覚えのある少女だった。
「そんな怖い目すんなよ、俺ら優しいし」
「ヒューヒュー!可愛いねぇ。一緒に遊びに行こうぜ」
少女は終始無言だった。すると不良がひとり駆け寄ってきた。
「話が聞けないようじゃ、無理矢理でも連れてくぜ?」
不良の一人が少女の腕をつかもうとした。その瞬間、少女は不良の手を薙ぎ払った。不良の一人が激昂する。本当に気の小さい連中だ。
「な、何すんだこの野郎!」
不良が少女に手を上げようとした、その時。
「……!?」
――バチバチバチバチッ!
「ぎゃああぁぁぁ!」
電気に感電したような鋭い音が聞こえた。少女は懐から手にしていたスタンガンでその不良にめがけて感電させたのだ。不良はみじめに転ぶ。
(スタンガン……?ということは……)
あれはもしかして……、三笠か?絡まれている少女は“寡黙の令嬢”こと三笠鈴姫なのか?だとしたら、不良たちはとんでもない行動に出たことになる。
「て、てめぇ!やりやがったな!」
もう一人の不良が三笠に手を出す。こいつもスタンガンで返り討ち。手の甲にスタンガンの電撃が走る。
「ぐあああああああ!」
三笠はスタンガンを構えながら、冷たい口から一言を放った。
「――邪魔よ、消えて頂戴」
「こ、この……!生意気なぁ!」
不良共が一斉に三笠に襲い掛かる。やれやれ、本当に手を焼かせる連中だ。俺は即座に奴らのもとへと駆け出し、服の懐に構えていた警備用具の警棒を取出し、三笠の後ろに素早く駆け込み、不良共の頭をめがけて警棒をたたき出す。
――クリティカルヒット。不良一人の頭に命中した。鈍い音が響く。不良は惨めに転がった。
「て、てめぇ何者だ!?」
「黙れ。貴様ら、なに気安く我が校の生徒に手を出している?痛い目に遭いたくなければ今すぐ消えろ」
「んだとコラァ!」
不良が拳を振りかざす。俺は応戦としてその不良の頬にめがけて警棒をたたき出した。
「ぐあっ……!」
「次は頭だけでは済まさんぞ。その顔を叩き潰してやる」
即座に攻撃態勢に移る。こういう人間には問答無用だ。こいつらには多少の制裁を食らわしても問題はないだろう。時には身体でわからせることも必要だ。
「――っ!お、覚えてやがれ!」
「失せろっ!」
止めと言わんばかりに警棒で腹にめがけて殴り飛ばした。不良は後ろに吹っ飛ばされる。残りの連中がその不良を抱え込み、みじめな声を上げながら逃げて行った。
逃げていった不良共の方角を見つめながら肩をすくめ一呼吸。とりあえず、これで一件落着だ。俺は踵を返し、三笠とすれ違いながら学校に戻る。
「――待ちなさい」
「……」
歩く足を止める。珍しくも三笠に呼び止められたが振り向かない。俺はそのまま三笠の次の反応を待つ。
「……貴方、一体どういうつもり?助けたとでもいうの?」
「特に理由などない」
「じゃあ何故首を突っ込んだの?あんな連中、私一人で十分だったのに」
「それをお前に答える義務が俺にあるのか?」
反応がない。こいつはいったい何が言いたいのだ。助けてくれてありがとうなんてことは絶対に言わないことは分かってはいたが、なんのために俺を呼び止めたのか、その理由がわからない。
「――燐彩高校生徒会副会長、“冷酷の貴公子”、聖童司くん。何が目的でここに来たの?」
「……鬱陶しい奴らを片付けるためだ。あのままでは他の人間にも迷惑だ」
正当な理由だ。校門前でナンパなど鬱陶しい極まりない。不良共は特に。
冷たい風が靡く。お互い口を開かずじっとしている状態だ。普段ならお互い会話を交わすことなどなかったが、今回の件に関しては相当しぶとい奴だった。俺は再び踵を返す。
「――っ!?」
「……」
振り向いたと同時に、三笠は持っていたスタンガンを俺の首に当てていた。凛々しい顔立ちでありながら、鋭利の様な刃をした目つきと威圧感のある少女だった。前髪が若干眼に掛かっているせいなのか、余計に鋭く見える。
冷たい機械が緊張感を走らせる。彼女は冷たい目でこちらを見つめてくる。
「――人間不信、信頼拒否、友達なんていらない。これは、私がずっと貫いてきた信念よ」
「……っ!」
三笠は続ける。
「貴方の場合、“人間は信用するに値しない、人間はすべて裏切りで偽善者”という観念を持っているのよね。言っておくけど、抵抗したり動いたりしたら、このスタンガンであなたを感電させるわ」
これは忠告よ、と三笠は言った。
なぜそれを知っている?誰にも話してはいない。
三笠がスタンガンを持っていたことは本当だった。だがそれは護身用のものであって、決して人間に危害を加えるために使われるのではないはずだ。そんなことしたら、軽犯罪で捕まってしまう。
「貴方のその観念はすでに知っているわ。だってそうでしょう。人間は偽善の塊。信用したってなんの得にもならない……」
それは正に人間嫌いの人間が言う典型的な台詞である。三笠は完全な人間不信のようだった。
「私、以前警察に怒られたことあるの。スタンガンは脅しのために使うんじゃないって」
「……」
結局使っていたのかよ。何やっているんだお前は。
「次見つかったら没収されるわね。話を戻すけれど、貴方の観念はどうなの?」
「どう、とは?」
「貴方が持ち続けた観念は、私と似ているところがあるのかどうかを、聞いているのよ」
正直に言うと、似ていないとは言い難いところがある。人間不信においては特に。
俺は今日城馬と信頼関係を築いたが、こいつの場合はそれを拒む。信頼拒否。ある意味重い言葉だった。誰とも触れ合うことを嫌い、常に単独で行動を好んでいる三笠の考え方は納得できないこともないが。
「……似ていないといえば、それは言い難い。しかし、信頼関係は少なくとも俺にはある。観念は今でも変わらない」
「……」
三笠は両目をゆっくりと閉じた。そして、右目だけを開く。
「――そう。じゃあ、さようなら」
「――っ!?」
三笠は構えていたスタンガンのスイッチを入れ、感電した。叫び声はあげなかったものの、かなりの痛みと衝撃が体全体に走る。彼女がスタンガンを離したと同時に、その場に屈み込む。
幸い、この場の近くには誰もいなかった。
「悲鳴を上げないなんて大したものね、褒めてあげるわ」
「――っ!……!」
声がうまく出せない。首を抑える。おそらく感電したせいなのか、喉にダメージを受けた。大したダメージではなかろうが。
「これ以上私に関わらないで。私は常に一人でいたいの。誰もいらないし、ましてや友情なんていらないわ」
「き、貴様……!」
「あら、何その鋭い目は。まるで私を憎んでいるかのようなその目……」
三笠はクスっと笑みを浮かべた。
「私に注がれるべき視線は、冷たい目……。憎しみなんて、いらないわ」
三笠は再び俺にめがけてスタンガンを放とうとした。その時である。
「コラァ!止めなさい!」
後ろから少女の叫び声がした。振り向くと、正面玄関に城馬の姿があったのだ。どうやら俺が戻ってくるのがあまりにも遅かったから、駆けつけてきたのだろう。
「……!」
三笠が呆気にとられている隙をついて、俺は彼女の腕を蹴り上げスタンガンを手首から離した。さらにそこから、反抗できないように関節を極めた。
“ぐきりっ!“と鈍い音が響いた。
「ぐっ……!」
かなりのダメージだったのか、三笠は思わず声を上げた。強いて言うなら、先ほどの仕返しである(嘘だが)。あのまま三笠が帰ってその場が収まるのもよかったのだが、城馬が来てしまった以上、彼女をこのまま帰すわけにもいかない。俺は三笠に声をかけた。
「ここは大人しく従え。――さっきのことは絶対に口を出すな。俺がごまかす」
「……?」
三笠が苦しそうにこちらに振り向いた。
城馬がこちらへ駆け寄ってきた。恐らく先ほどの取っ組み合いは気づいていないとは思うが……。
「今取っ組み合いをしてたでしょ!?校内暴力は許されないよ!」
「……は?」
おい、今なんて言ったこいつ?校内暴力?しかも気付かれてる!
それって圧倒的に俺が不利なんじゃ……。いや待て、いくらなんでもおかしすぎる。先ほどの状況を見ればわかるだろう。俺は不良に絡まれていた三笠と一緒に撃退して、その後一方的(?)に三笠から拷問らしき行為をされたんだぞ。それを校内暴力と断定するのはあまりにも理不尽極まりない。しかも俺限定。
「ちょっと待て城馬。お前先ほどの状況、見ていなかったのか?」
「見ていたよ。聖童くんが他校の不良たちから三笠さんを守って追い出したんだよね?あのあと、私教室の外に出たから見てないんだ……」
おい、そこ見て行けや。あの状況さえわかれば校内暴力とは断定しにくいだろう。おまけにスタンガン浴びせられたし。
「私が駆け付けた時。聖童くん、何した?」
「……?」
「女の子の関節極めたよね?それは立派な暴力だよ」
そこをピンポイントに置くな。俺が悪者みたいじゃないか。あれは正当防衛だ。少なくとも、それ以前に俺は三笠に危害を加えた覚えはない。ごまかしという意味では正解ではあるが。
「三笠さん、大丈夫?聖童くんにはきっちり叱ってもらうから安心して」
「おいコラ。ちょっと待てや」
「あ、今女の子に暴言吐いた」
――もはや何を言っても無駄のようだった。女子の特権をとことん利用してくるとは……。
あまりにも理不尽だ。神は俺に何の恨みがあるのだ。この状況、実際城馬が見ていたらまだ違っていただろう。
「今日のことは先生に報告するからね!聖童くんは教室で待ってなさい!」
そう言って城馬は学校の中へ入っていった。取り残された俺と三笠はその場で呆然としていた。これは言うなれば、俺限定への死刑判決だった。
あの後、いったん教室に戻り教師から呼び出しを受け、厳重注意で事は済んだ。校内暴力は本来なら家庭謹慎になるのだが、三笠を守り通したことに免じて今回の件は収まったのだ。
不良を追い出した件については、高校側が生徒会たちに見張りを強化するように声掛けをしておくとのことだった。ただし、過剰な制裁は注意された。城馬が先生に報告していたらしい。
教室に戻り、帰宅の準備をする。
「聖童くん」
廊下の扉に凭れていた三笠が声をかけてきた。珍しくも、穏やかな口調である。もちろんスタンガンは三笠に返してあげた。関節も元通りである。
「さっきのは傑作ね。いい眺めだったわ」
「黙れ」
「あなたが怒られる姿なんてめったに見ないものだから、腹の中で爆笑してやったわ。ざまあないわね」
「喋るな、その口閉じろ!さもなくば絞め殺す」
「また校内暴力起こす気?今度は厳重注意では済まされないわよ?」
「ぐっ……!」
おのれ、ここでそう来るか……!
俺は拳を握りしめ、ぐっと堪えるしかなかった。
「それはそうとあの子……。私たちのクラス委員長の城馬さんだっけ?私以前、あの子に声をかけられたことがあるわ。“友達になりましょう”って」
急に話を変えてきた。そういえば以前、こいつも城馬に声をかけられたんだったな。だがこの女は、城馬を追いだし苦手意識を作った張本人である。
「……知ってる。お前断った挙句に辛辣な発言であいつを追い出したんだろ」
「いやだわ、辛辣だなんて。丁重に“ごめんなさい”ってお断りしたわ」
「……大嘘つくな。城馬はお前の刺々しい言葉で「凹んだ」って言ってたぞ」
正直に言うと、呆れる。城馬を散々コケにしたその罪は重いぞ。
「でも珍しいものよね。貴方のような人間が、まさか城馬さんと親しい関係だなんて…。てっきり、誰とも話さない冷酷な男だと思っていたけれど」
「……」
言われてみれば、俺が高校生活で今まで数多く話してきた人間は城馬くらいだろう。俺は人間は偽善者という観点で見てきた。その中で、信頼関係を築けたのは城馬ただ一人だった。しかし、三笠は違った。誰とも接触せず、誰にも心を開かない。近づく者には制裁を加える。彼女はそういう人間だった。
「私からしてみれば、ああいう人間が一番腹立たしいわ……。癪に障る」
「何?」
こいつ、今なんて言った? 城馬が腹立たしいだと?
先ほどのご丁寧なお断りは些細の裏返しとでも言うのか?
「先ほどの話だけど……。はっきり言って私、城馬さんのこと、嫌いなの。言ってしまえば、一番嫌いなタイプの人ね」
「貴様……!」
俺は三笠に掴みかかろうとしたが、先を読んで(先ほどの件で呼び出しを再び食らう可能性が考えられたため)立ち止まり、拳を握っていた。
そういえば、こいつはずっと前からこういう性格だったのだろうか。あらゆる人間を拒み、心を開かず自らの殻に閉じこもっている。俺も城馬と友達になるまではそうだった。人との接触を嫌い、常に一人で行動していた。そういう面では、不本意だが三笠と共有しているのだろう。
「――先ほども言ったように、私は人と触れ合うのが嫌いなのよ。人間不信、全てが偽り。私のやってきた全てにおいてが“偽り”なの」
「……どういう意味だ?」
「今の私が「本当の私」とでも言っておきましょうか……。昔の私は百八十度、性格が違っていたわ」
「……」
昔の三笠は仮面をかぶった性格で、化けの皮が剥がれたのが今の三笠という訳か。その仮面はどうやら重要な役割を果たしていたらしい。そのおかげで、その“偽善”の性格を振舞ってきた。この解釈は間違いないだろう。
――仮面を被る。つまり本性を隠すということになるのだが、三笠は偽物の自分と本物の自分と二つに分けていたことになる。本来あるべき姿は今の三笠であり、偽物の彼女はその真逆。つまり、演技ということだろう。
「――仮面を被ることで自分の本性を隠すことができる。表面上で振る舞える。その分、リスクも伴うけれど、それだけの価値を得ることもできたわ。具体的には、裏切りやすい人間を見つけることが出来たこととか」
「裏切りやすい人間探し前提か!?」
「言ったでしょう。――仮面を被ってあえてその人と友達になることで、最終的にはその人は憎い相手であり、そいつを地獄の底へと叩き落とすことが、私の唯一の楽しみでもあったわ」
過去に人間関係に対するトラウマでも抱えていたのか。誰かが三笠をどん底まで突き落とし、彼女を嘲り笑う人間がいたとでもいうのだろうか。
「そうなる前までは……、私も一人の、普通の女の子だったわ。仮面を被った性格をしたのは、その直後」
これ以上話を進めると誰かが聞いてしまっては、三笠が学校の晒し者になると考えた。そのまま支度を終え教室を出る。
「三笠、今日は一緒に帰ろう」
「え……?」
「今日のこともある。それに……」
「それに、何よ?」
俺はとりあえず一呼吸おいて言った。
「さっきの取っ組み合いではあえて誤魔化したが、俺とお前は似た者同士なところがある。それらを兼ねて、ゆっくり話し合おう。話しを聞いてあげることくらいはできるはずだ」
「……人を“偽善者”と呼ぶあなたが、私と話がしたいだなんて……。大した度胸ね」
“言っておくけど、私は手強いわよ“と三笠は立て続けに言った。
手強いことなど百の承知だ。三笠とは、話をつけておかなければならないという俺の直感があった。性格や観念はお互い似た者同士、信頼関係は別として。これは白黒をはっきりさせるといというのではなく、何かしらの真実がお互いに分かり合えるのではというのが俺の考えである。
「とりあえず、荷物をまとめて移動するぞ」
「気安く私に命令しないで」
扱いにくい奴だ。自意識過剰すぎるだろ。極端な話、「私に話しかけないで」といっているようなものである。三笠と二人で廊下を歩いていると(渋々ながら)、一人の少女が目の前に現れた。
「城馬……」
「やっぱり二人、あの後も一緒にいたんだね」
城馬は俺と三笠の行動を見据えていたかのように語りかける。俺たちの行動を監視し先生に言いつけた張本人。彼女はにっこりと笑っていた。
……いや、その笑顔は後始末を終えた充実感を漂わせるものとしか思えないのは俺だけだろうか。なんて恐ろしい女だ、油断も隙もない。
「……聖童くん。あまり女の子を疑っていると嫌われちゃうよ?」
「人の心を読むな」
「そこからどさくさに紛れて私のヌード姿を想像してたりして?聖童くんのエッチ」
「お前は俺をなんだと思っているんだ!?あらぬ誤解であり、無実無根拠だ!」
本当にどさくさに紛れてとんでもないことを吐き出してきた。お前は男という生物を偏見な目で見ているぞ。世の中の男性に失礼だろ。
「エッチ、変態、スケベ。これだから男の子は困るわ」
「お前その発言は世の中の男子全員を敵に回したぞ。今すぐ謝れ」
「冗談冗談、面白くてつい……。てへっ」
言って城馬は舌をペロッと出して頭をこつんと軽く叩いた。よくある女の子のしぐさだ。
何が「てへっ」だ。それで許されると思ったら大間違いだぞ。
「何事もその仕草で事が済むと思うなよ」
「まあまあ聖童くん。ここは冷静に話しましょう」
城馬はにっこりと話す。
……だから、その笑顔がお前の充実感を漂わせるんだよ。少しムカついた。
「……」
三笠は城馬を睨み付けるかのように見つめていた。
「……ど、どうしたのかな?三笠さん……」
何かしらの敵意を持っているような、そんな目つきだった。城馬は若干怯えているようである。
三笠は城馬を見据え、黙ったまま静かに眼を閉じた。
「……」
彼女は無言でゆっくりと歩き出した。俺を抜かし城馬を横切り静かに前に進んだ。
俺は三笠の冷たい背中から視線をそらすことが出来なかった。城馬をひるませたその姿は、威圧感を漂わせていた。
かと言って、俺も立ち止まるわけにはいかない。
「悪いが城馬、俺はここで失礼する」
「あ、うん……」
心の中で申し訳ないと城馬に詫びながら、俺は三笠を追いかけた。
学校を出、路上を二人で歩いていた。時刻は五時半で、日没にだいぶ近くなっていた。三笠は俺の後ろを歩いている。無言だった。俺はその沈黙を破るように、三笠に声をかけた。
「三笠」
「……何?」
「お前が先ほど言っていた「城馬のような人間が嫌い」という話……。詳しく聞かせてもらってもいいか?」
「……それよりも貴方、さっきはよくも私の胸倉を掴もうとしてくれたわね。セクハラ及び強姦罪で訴えるわよ」
それを言われると、言い返しようがない。というか強姦はさすがにいきすぎだろ…。力の差は歴然としているが、法律としては女性のほうが立場が上であり、権力が強いのだ。俺は三笠に振り向き、頭を下げた。
「すまん、あの時は感情的になっていた」
「……やけに素直なのね、貴方。しかも頭を下げるだなんて、思いもしなかったわ」
こういうことにはけじめをつけるのが、俺のアイデンティティでもある。人間として、最低限の礼儀はわきまえているし、あれは手を出そうとした俺が悪い。どんな理由であろうとも、暴力はしてはならないと母から教わった。もう一度言うが、先ほどの取っ組み合いは正当防衛だ。暴力ではない。
「いいわ。その素直さに免じて、教えてあげましょう」
三笠は一呼吸をおいて説明してくれた。
「城馬さんに限ったことではないけど……。彼女のような人間が、一番に癪に障るのよ。確かに彼女は文武両道、実力は認める。けれど、万人受けになろうというあの姿勢が一番気に食わないわ。皆が皆、寛容な人間だとは思えないし、逆に同情されていると感じた人間にとっては、それは腹が立つでしょう?私にとっては、彼女のような人間には、一番構ってほしくないのよ」
「……」
「委員長になったのは、彼女の人柄だと皆は言うけれど……。私に言わせてみれば、彼女はとことん人に同情しようとしている。構ってほしくない人間にとっては、たまったものじゃないわ。落ちこぼれの人間が一番嫌うタイプね」
「それは……」
「同情」という言葉に、俺はどこかで引っかかる節があった。三笠は、自分が弱い立場にいると思い込んでいるのかもしれない。同情は人間の弱さである。落ちこぼれの人間にとって、同情は最も嫌うというのを俺は知っていた。
――人に同情する=バカにされているという解釈だと考える。同情は自分がコケにされている、或いは同情されることによって安心感を得られるかのどちらかである。俺の考えとしては、同情は弱い人間の象徴である。つまり前者の立場だ。後者の人間はとことん人に甘える傾向が強いと認識している。仮に誰かに同情されたりしたら、俺はその人間を確実に殴り飛ばしているだろう。同情されるのが嫌いなのは俺も同じだ。
「確かに人からの同情など、余計な御世話だ……。むしろ、怒りがわいてくる」
「これはあくまで私の印象だけれど……。城馬さんはよき理解者として、人に同情しようという傾向があると思うの。彼女のような人間が傍にいたら、どれだけの人が安心していたと思う?」
確かにそれには一理ある。男女ともに城馬に助けられた人間は少なくないのだ。俺はその光景を何度か見てきた。彼女のおかげで立ち直れた人間は大勢いる。その分、三笠のような人間からしてみれば「迷惑な人間」と感じられたのだろう。
だが、何かが引っ掛かっていた。
何かが……。
「聖童くん。貴方、“人間は偽善者”という概念を持っていたのよね?じゃあ、城馬さんこそ、典型的な偽善者じゃなくて?」
「何?」
「――情は偽善行為に値すると、少なくとも私はそう思うわ。だって、余計なお世話でしょう?傷ついている人間と同等の立場になって同情することは非難されることではないけれど、人によってはそっとしておいてほしいという子もいる。優しさは時に、凶器になるのよ」
「……」
同情=偽善者。
優しさは時に凶器と化す。
ある意味それは正解だった。人からの慰めは安心感と凶器の二つに分かれる。今回の場合は後者になるだろう。三笠が城馬を嫌う理由は、もしかするとそこにあるのかもしれない。同じクラスメイトとしては、何らかの事情は見てきた筈だ。彼女が城馬の誘いに辛辣な言葉を浴びせたのも、自分が同情されることに耐えられなくて、あえて傷つけることで構われなくなるというのが正しいだろう。
「人間、同情なくして生きてはいけないとはよく言ったものだわ……。その人をさらに突き落すだけなのに、馬鹿みたい」
「……似ているな」
「え……?」
「やはり俺とおまえは考え方が似ていると思ったのだ。俺も他人に同情される筋合いはないし、大きなお世話だと思っている。だがな……」
俺は立て続けに三笠に言った。
「先ほどの台詞……。城馬が典型的な偽善者だとお前は言ったが、俺はあいつに心を開くことができたんだ。あいつは俺に約束してくれた。絶対に裏切らないと」
「……」
「――例えお前が城馬に対して偽善者と認識していても、俺は決してそうは思わない。あいつだけが、唯一信頼できる人間なんだ」
三笠は沈黙し、目を瞑った。
「……そう。貴方がそう言うのなら、私はもう何も言わないわ」
彼女は俺にそう告げた。それは彼女なりの優しさなのかもしれない。これ以上話をしても何の価値もないと判断したのだろう。俺が強く言い切ったことにより、三笠も納得してくれたのだと、そう解釈した。
「それより……」
「……?」
三笠は俺に顔を向けた。ロングヘアーで容姿端麗の彼女の振り向きに、不覚ながら一瞬ドキッとしてしまった。振り向いたと同時に、彼女の髪からシャンプーの甘い香りがした。
「貴方が私と一緒に帰るには、きちんとした理由があるのよね?その本題、聞かせてもらえないかしら?」
「……ああ、そうだな」
どうやら三笠は俺が一緒に変える最大の理由、話し合いを持ちかけてきたようだった。
先ほど教室で言っていた三笠の本性。そして俺と性格や観念が似ているところ。もしかしたら三笠は、俺と同じ過去を歩んできたのかもしれないと思ったのだ。
三笠の過去、仮面をかぶり性格を偽って生きてきた過去。性格を偽って生きていこうとしたその切っ掛け。一番に気になったのは、「偽物と本物」である。今の彼女が本物であると見出したのはいつなのだろうか。人間を裏切るようになったのも、何かトラウマ事があってのことだろうと推測した。
ここで、俺はひとつ提案した。
「近くの喫茶店でゆっくり話し合おう。その方が落ち着くだろ」
「……」
彼女は少し俺を警戒しているようだった。
「疚しいことは何一つ無い。ゆっくり話がしたいだけだ。その喫茶店は俺の行きつけの店で、パフェはかなり美味いぞ」
鋭い目つきで俺を見つめてくる。すごい威圧感だった。だが、俺はこういう人間にはどちらかというと好意的なのだ。お互い似ているだけに。
「……いいでしょう。じゃあ連れて行きなさい」
俺は三笠を連れて喫茶店に向かった。そこは俺の行きつけの喫茶店で、勉強する際にたまに来るのだ。少し歩いたところに、その喫茶店が見えた。
俺と三笠は店の中に入った。店内の雰囲気はすごく落ち着いており、壁のデザインはそこまで派手でなく、清楚のある感じに描かれていた。天井にはランプのような電球がついている。客は俺たち二人だけ。ファーストフード店にあるような机と椅子が二列に並んでいた。ここは、俺がたまに来る喫茶店で、一人で勉強するときなど最適な場所なのである。
「今日は俺の奢りだ。好きなものを選ぶがいい」
「そう、じゃあお言葉に甘えさせてもらうわ」
言って、三笠はこの店お勧めのメニューであるチョコバニラのミックスパフェを注文した。
……本当に遠慮の無い奴だな。
一方の俺はチョコレートケーキとコーヒーを注文した。俺の大好物である。甘いものを食べることで心身の疲れを癒し、本題はその後に話せば良いだろう。
「聖童くん、一つ聞きたいのだけれど……」
三笠が俺に質問を投げかけてきた。
「何だ?」
「貴方……、城馬さんの片思いの相手なの?」
「……とんでもないことを口にするな、お前は」
「実際のところ、どうなのよ?」
「違う、そんな関係じゃない。城馬は言うなら、俺の恩人だ」
唯一心を開かせてくれた人間。彼女は俺を殻から出してくれたのだ。それはもう「恩人」という地位に値する。
しばらくすると、注文したデザートが運ばれてきた。三笠が頼んだパフェはグラスが若干でかく、中身も豪勢である。彼女は一口運んだ。
「……美味しいわ」
「だろうな。この喫茶店は、かなりの腕前を持つシェフが揃っているから評判が高いんだ」
彼女は無表情で上品に食べていたが、とても美味しそうに食べているように見えた。どうやらハマってしまったようだった。俺はその様子をじーっと伺っていた。何となく、女の子がデザートを食べている姿に見惚れていたりする。
三笠の性格。俺と共通している部分がいくつか見受けられた。人間不信、偽善者、信用するに値しない。普通なら人前では話さないだろう。しかし、三笠は教えてくれた。自分は人間不信だと。
それは俺も同じことだった。人間は信用するに値しない、裏切る生き物だ。三笠も何かしらの被害を受けたに違いないと思ったのだ。スタンガンを持ち歩く理由もそこに絡んでいるのではないかと考えられた。
「三笠……」
俺は三笠に声をかける。彼女は口を拭き俺に顔を向けてくれた。
「俺とお前……。性格は違えども“観念”はお互い似たようなものを持っている。今日はそれについてゆっくり話し合いたい。俺はお前にありのままの自分を話す。お前は話せる範疇でいい。答えられないなら答えなくてもいい。少しでも、お前の力になりたいと思っている」
「……」
三笠は無言で俺を見つめた。だが警戒心を表しているわけではなかった。こいつと話すにはかなりの忍耐力が必要とされるかもしれない。それでも俺は、三笠の話し相手になりたかった。
「……貴方のような人間は初めてだわ。私の力になりたい?そんなことがよく言えたわね」
彼女は嘲笑うかのような口調で言った。だがここで引き下がるわけにはいかなかった。
「先ほどお前が言っていた「偽物と本物」の性格を聞いて、少しでもお前をサポートしてやれたらと思っている。これは本当だ」
「……」
三笠は静かに俺を見つめた。俺の言っていることは半信半疑かもしれない。しかし、もしかしたら三笠を助けられるのではと思った。どこからそんな自信がわくのかは自分でもわからなかったが、少なくとも彼女を楽にさせることができるのは俺だけだと思えたのだ。
俺は三笠の視線をそらすことはしなかった。彼女はゆっくりと目を閉じた。
「……いいでしょう。貴方がそこまで言うのなら、話してあげる。その覚悟は認めてあげるわ。後悔、しない?」
「ああ、しない。最後までやり遂げると、約束しよう」
「……了承したわ」
三笠は俺の言葉を信じ、ゆっくりと話し始めてくれた。三笠が少し心を開いてくれた瞬間だった。
「――私の家庭は父親のせいで崩壊したの。ギャンブルに明け暮れ、母と私は暴力を受ける毎日だった……」
俺が聞いた話はこうだった。
――当時の三笠はまだ五歳にも満たない幼女だった。
やりたい放題の父親に、業を煮やした三笠の母が離婚協定をだした途端に、父が暴れだして母を嬲殺しにしたという。
彼女自身もその標的とされ、父から強姦を受けた。否、正確にはその寸前までいかされたらしい。彼女は正当防衛として近くにあったバールで父を殴ったという。その後逃げてすぐ警察に通報。
父は逮捕され三笠自身は施設に預けられた。
この施設がまた最悪な環境だった。施設の管理者をはじめとした多くの職員たちからの扱いがぞんざいな有様で、塵を見るような扱いであった。それが原因で密かに自殺する人間も少なくなかったという。
三笠もその標的とされた。顔を打たれ、体中を殴られけられる日々が続いた。もちろん相談相手は誰もいなかった。彼女の人間不信、人に心を開かなくなったのはその頃からである。それは次第にエスカレートしていった。普段はものすごく大人しく過ごしていた三笠にも容赦のない鉄槌が下る。
「私はあのまま無様にやられるのがもう嫌だったの。近くにあった鉄パイプのような棒で、私に暴行した人間をタコ殴りにしたの。施設にいる全ての人間に復讐してやろうと、そう思った……」
「……」
「でもそれは失敗した。殴ったのはわずか一人で、駆け付けた職員たちに取り押さえられた。さすがにあれは窒息死するかと思ったわ」
その後、警察による取り調べと事情徴収が行われたあと、三笠は別の施設に預けられた。そこでは前回とは違い、何事もなく穏やかに過ごすことができたという。
「たまたま施設にあった新聞を見てみたら、私たちを虐待していた施設は取り潰しが決定したの。今までを隠していた不祥事が、あの一件ですべてが明白になったの。ある意味、私たちを助けてくれた出来事だったわ
」
「……そうか」
「それと同時に、怒りも沸いた……。何もかもが、遅すぎたのよ。どうして今まで誰も気づいてくれなかったのか。近くに来てくれた先生が、私にこう言ったのよ」
三笠はそれを口にした。
――“人間は悪態を起こした者には必ず制裁を受ける。だが被害を受けた人間には誰も同情しない“。
「……」
つまり、第三者から言わせてみれば傍観者というわけか。いわゆる無関係。横暴な話ではある。しかし、それも社会の一つとして形成されているのだ。
「私はその言葉を聞いて、人に同情される愚かさを知ったの。人間の同情がどれだけの人を陥れるかを、ね……」
「それで城馬を嫌っているのか」
そして彼女は続けた。
「その後には、施設の援助もあって小学校、中学校に普通に入学したわ。その時は、大人しい印象を与える事しか考えていなかった。私の性格…、本物と偽物の価値は当然本物にある。価値のない性格でやり抜いてきたのも中学まで。高校では、ありのままの自分をさらけ出すと、そう決めたの」
簡単にまとめるとこうだ。
三笠は小学生から中学生までは大人しい性格をした少女であり、義務的な人付き合いを果たしていた。グループの友達もできた。しかし、自分が憎い人間と思った途端、化けの皮がはがれたかのようにその人間を地獄の底に叩き落すことも少なくなかったという。
「それが原因で、その子は約二週間ほど登校拒否した。腹の中で嘲笑ってやったわ」
「お前……、よく報復されずに済んだな」
「私を不快にさせる人間が悪いのよ。私が偽りの性格をしていたのはあくまで“学校”という団体の中だけ。それ以外では別に問題はないでしょう?」
「被害者面も甚だしいわ!」
真剣に考えていた俺が馬鹿だった。すごく簡単な答えである。正に「猫をかぶる」だった。
「スタンガンはそのころから持っていたわ」
「中学生がどうやって手に入れたんだ!?」
「密輸よ」
「この犯罪者がっ!」
「叫ばないでちょうだい。私が逮捕されたらどう責任取るのよ?」
思わず叫んでいた。幸い人は誰もいない。ここまで突っ込みを入れながら叫んだのは何年振りだろうか。
我ながら恥ずかしい有様である。
だが、三笠の話を聞いていると、なるほどそういうことかと納得がいく。
スタンガンを持って自己防衛を図っている理由も先ほどの話でよく分かった。しかし一度警察に怒られている身である。そこはあえて深追いはしないが。俺は話を続けた。
「そういえば生活はどうしている?」
「今では生活保護を受けて一人で暮らしているわ。高校入試の際は特待生として授業料は免除されているの。最低限のことはしているし、それほど苦労はしないわ」
「そうか……」
だろうな。成績優秀で常に学年トップクラスだし。
「炊事や洗濯は女子の嗜みよ」
「……」
突っ込みどころが分からねえよ。こいつは読めない女だ。
「じゃあ……。次は聖童くんの話を、聞かせてもらえるかしら?」
「……ああ、そうだな」
「今の間は何?」
「深追いするな。ややこしくなる」
俺は自分のありのままを三笠にさらけ出した。彼女は静かに聞いてくれた。
途中で相槌に「そうなの」とか、「そんなことがあったのね」と反応を見せてくれ、上手く話を進めることができた。
何となくだが、三笠との話はかみ合っていた。一件ダークネスな展開にも見られがちだが、俺たちの間ではそういう関係も悪くなかった。
俺と三笠の距離は、だいぶ縮んだような気がした。
会計を済ませ店を出た後、俺と三笠は街角に出た。特に話し合うこともなく、ゆっくりと歩く。
三笠を見る。その横顔はとても凛々しい雰囲気を放ち、上品勝つクールなお嬢様を演出しているかのような、そんな感じだった。俺はその横顔に少し見とれてしまっていた。
「……?何かしら?」
「……!いや、別に」
お前の顔に見とれていただなんて、口が裂けてもいえるか。恥辱で死んでしまう。
その時、一陣の風が吹いてきた。強い強風だった。視界が落ち葉やゴミで妨げられる。俺は三笠のほうを向いた。
「……!」
絶句した。三笠は風を片腕で抑えていたのだが、彼女の短いスカートが思いっきり捲れてしまったのだ。
余談だが、俺の高校はスカートがなぜか短く見えるのだ。規定の長さを穿いている城馬のスカートも、上の制服の裾が長いせいか短く見えてしまうのだ。
片腕で顔に落ち葉がかからない様に風を抑え、片手には鞄を持っているためガードができなかった。
――黒い、ダークネスのような清楚な下着だった。いかにもお嬢様が穿いていそうな、上品なデザインである。目もくらむような、とても黒い闇色な下着だった。しかもニーソックス(黒)を履いているということもあって、ものすごく妖艶に見えたのである。いわゆる“絶対領域“というあれである。
「……っ!」
このままではまずいと思い、目を瞑る。風は思ったより強風だった。その時、風に乗せられてきた空き缶が俺の額を直撃した。
「ぐおっ!?」
倒れそうになった体に全体重をかけ、大勢を整えた。額を抑える。これは痛い。たんこぶが出来たんじゃないか?
その間に風は止んだ。少し足取りが悪いようであった。眼を開け、制服についた落ち葉を振り払う。額がジンジンと痛い。
「聖童くん」
後ろから冷たい声がした。その声には殺意のようなものが含まれていた。正直ゾッとした。恐る恐るその声に振り向く。振り向いたそこには……。
「……」
――三笠は、笑っていた。今まで見たこともない笑顔だった。しかしその笑顔には、怒りの表情も入っていた。これは、怖い。
彼女は懐から、スタンガンを取り出した……っておい!?
「さっき私のスカートの中……、見たでしょう?」
スタンガンを手に持ち、平然とした顔でバチバチと電気を鳴らす。描写にしてしまうと、トラウマものになるくらいに怖かった。
「ま、待て三笠!今のは事故だ、誤解だ!」
俺は必死に弁解する。が、今の彼女には通じるはずもなく……。
「一瞬で楽にしてあげるわ、安らかに眠りなさい……。この変態、スケベ」
「――っ!?」
言って彼女は、俺の心臓にスタンガンを当て感電させた。見事なクリティカルヒットである。俺は悲鳴をあげる暇もなく、ゆっくりと倒れる。
まあ敢えて言わせてもらえば……、悔いなしだった。