2-2 彼の思い、僕の願い
都内の一角にあるショッピングモール。吹き抜けの天井からガラス越しに爽やかな光が降り注いでおり、タイル張りの広々とした通路を照らしていた。どのフロアにも多くの店が入っており、その光景はさながらひとつの町の様である。
その一角にあるペットショップに希人は来ていた。犬や猫は扱っていないが、小動物や観賞魚の扱いは充実した店舗である。ここに来るまでの間に購入した商品をコインロッカーに預けている修大を待たず、希人は一足先にお目当ての店へ向かい、物色している。
――まぁまぁって感じかな。みんなそれなりに元気そうだ。
見て判断できる疾病や外傷もなく泳ぎ回る小魚を見て、満足気に微笑む希人。小動物や爬虫類・両生類、更には魚類等の水棲動物の管理状態を一通り見終えた彼は、手の空いていた店員に話しかけイエコオロギを袋詰めにしてもらう。
慣れた手つきで一連の作業をする店員の姿を見て、希人はなんとも言えない懐かしさを感じていた。かつては彼も、爬虫類や両生類を扱うペットショップの店員として勤務していた過去がある。
残念ながらその店は閉店してしまったが、一体一体の生体を丁寧に扱う事が出来たかつての勤務先は、希人にとって理想と言える職場だった。
『受け取った命に対して責任を持ち、その命生涯愛してくれる人と結ぶ良き橋渡し役となれる様に尽力する事』そんな理想を持ち、彼は日々の仕事に励んでいた。
その時の経験もあってか、希人は『生体の管理がきちんと行き届いていない店には、消耗品分の金も落とさない』と言うポリシーを持っている。ややすると図々しいかもしれないが、いい加減な扱いで消費される生体をなるべく出したくないと言う彼なりの倫理観に基づく信念である。
「なんか楽しそうだなぁ……」
不意に希人はポツリと呟いた。キラキラした目で水面を覗き込む子供の様子が微笑ましかったからだ。
コオロギを購入する会計を終えた希人は、先に見た中で気になった特設売り場に来ていた。
【水辺のともだち大集合】と書かれた大きなPOPの下には、其々に生体が入れられた広くて大きいタライが床に直置きされている。丁度子供の目線からでも中を観察しやすく、夏休みの子供を対象とした企画だろう。
「俺もあんな時期があったなぁ……」
売り場に居た子供たちは皆一様に目を皿にして、タライを覗き込んでいる。まるで好奇心以外の心をどこかに忘れてきた様に思えるほどに純粋な目は、少年だった頃の記憶を希人に思い起こさせた。
少し懐かしい気持ちになり、その特設売り場を今一度希人は確認する。扱われている生体は皆、彼の基準の中で子供に扱わせても良いと言える種類の生物だった。
『ゼニガメ』と呼称されるクサガメの幼体。
水棲有尾類の中では格段に丈夫で飼育のしやすい『アカハライモリ』と『シリケンイモリ』。
〝アホロートル〟と言う正式名称よりも、かつて付けられた流通名の方が一般的になった『ウーパールーパー』。
天然記念物でありながらも、許可された個体数のみが商業ラインに乗り、夏らしさを感じさせる姿が魅力的な『オカヤドカリ』。
基本的な体色の他にブルータイプもある『サワガニ』や、現在では人工改良品種も多く作出されている『アメリカザリガニ』。
タライの中に入れられた生体は子供にも扱いやすい種類ばかりで、催しの趣旨に即したものだった。種類の選定に関しても、希人は妥当であると感心する。
――そう……それでいいんだよ。
売り場の子供たちと生物を見た希人は一人胸の中で呟いた。その子供達と手元に届いた生体の純粋な未来が、他人の業で濁らない様に願いを込めながら……。
* * * * *
「待っても来ないと思ったらこんなところに居たんだな」
「あぁ、悪いな」
ペットショップで待っていても修大は希人の元を訪れなかった。待ちくたびれた希人は、修大の携帯電話にかけてペットショップ近くの催事場に居る事を聞きだす。その返答を頼りに、希人も催事場を訪れたところだった。
「そう言えば修大は犬好きだったもんな」
「うん、まぁな。それに昔、俺もあぁ言う事していたから懐かしくなったんだよ」
修大の視線の先には、飼い主の居ない犬や猫の引き取り手を捜す譲渡会が行われていた。子供連れの家族や中高年の夫婦等の様々な家族が、新しく家族になる動物達の話をスタッフから真剣に聞いているのが遠目にも判る。
その様子を見つめる修大の視線は非常に穏やかなものだった。大きな二重瞼の目が細められ、儚げで優しい雰囲気を醸し出している。
「へぇ~、そうなんだ。譲渡会のスタッフって仕事で?」
「いや、それは仕事とは別にボランティアでやっていたよ」
希人の前職が爬虫類や両生類の専門店で働くスタッフだったのに対し、修大はドッグトレーナーをしていた。その事を知っていた希人は関連性がある様に感じられて質問をしてみたのだが、どうやらそれは違ったようだ。
「勿論、ドッグトレーナーとしての経験を生かして、引き取って貰った後でのしつけの悩みなんかも聞いてたけどね! ……あれ? 俺これ本業として金取っても良かったんじゃね?」
露骨に悔しそうな言葉を吐きながらも、修大の表情は明るい。それは恐らく、収入の有無ではない意義を、当時の彼が感じられていたからだろう。
天窓から射し込む陽光にも劣らない、屈託のないまぶしい笑顔。そんな修大を見て、希人は尋ねずにいられなかった。
「お前、本当抜けてんな。でも、そういうの悪くないと思う」
「えっ? 俺、今馬鹿にされてる? 」
「いやいや! 褒めてるんだよ。それくらい、打算のない純粋な気持ちで接していたんだなって」
「なんだよ、それ! でもまぁ、ありがとな」
「うん。……だけどさ、それって辛くなったりしないのか? だって全部の個体に引き取り手が付く確証はない訳だろ?」
いつになく真剣な表情で問いかける希人。修大の純粋さを知ればこそ、彼が向き合ってきた現実の辛さが想像できる故、希人の表情もつい強張る。
無論、聞いていい事なのか迷いはあったが、もう彼らはそこまで気を遣う間柄ではないのも事実だった。希人の問いかけに対し、修大も笑うのを止めて真摯に応える。
「まぁな……。勿論、皆が皆、幸せな結末へと向かっていける訳じゃない。正直な話、広い視野で見たら救えていない命の方が多いよ。だけどな……」
「……だけど?」
「たとえ28万頭を27万9999頭にできても、それは大局的に見れば自己満足の域かもしれない。だけどその一頭にとってはかけがえのない自分の命だし、受け止めてくれた家族にとっても代えの利かない大切な一員になる」
「……なるほどな」
「だからそんな奇跡がひとつでも多く起きるなら少しは意味があるのかなって思うんだ。……って、俺なに真面目い語っちゃってるんだ! 恥ずかしぃ~!」
照れを隠す様に、わざとらしくおどけて見せる修大。躊躇いがちに頭を下げて襟足を掻いているが、その顔の表情は非常に明るい笑顔をしていた。
「いや、そんな事ない。立派だよ、修大は」
未だ頬を赤らめる修大に、希人は賛辞の言葉を贈る。結局は照れが隠せない修大だが、満面の笑みで目の見えなくなった顔を上げて希人に「ありがとな」と礼を言った。
彼は止めれずには居られなったのだ。叶う可能性は高くなくても、願わずには居られない純粋な願いを。
愛される為に産み出されてきた命に居場所が与えられ、幸福のうちに生涯を閉じる。そんな世界を、木野修大は望んでいた。
望んで叶うとは思えなくても、その願いを止めずには居られない、青臭い程にまっすぐな思いは修大の原点とも言えるだろう。そんな彼を希人は頼もしく思い、同時に彼の願いはとても尊いものだと思えた。
……だが、心の片隅で希人はつい考えてしまうのだ。
――いいよな。最初がダメでも、やり直せる可能性のある機会が与えられてさ……。
勿論、希人とて修大の理想が容易くはない事を知っているし、素直に共感を覚えるものでもあった。しかし、それでも胸の内側を、ざらついた舌に舐められる様な冷えた感情が這っていく。それはきっと、嫉妬と言う感情にも近いものだろう。
ペットショップを後にする時、希人は少年を連れた親子と店員の会話を小耳に挟んでしまっていた。どうやら子供がお目当てにしていた種類の亀が、催事場の売り場に居なかったらしい。
その事について母親は店員に問い合わせていた。店員の返答を聞くよりも先に希人はその場を後にしたが、その親子は知るのだろう。自分達が求めていたものに付随する、責任の重さを。