2-7 この空いっぱいの
(なんか、やたら青いな。本当に真っ青。……アレだ。昔見た特撮映画の背景。そんな感じ)
トレーラーの助手席から見上げた空は、見事な日本晴れだった。爽やかな夏晴れの空。だがそれを見上げる希人の心は曇りがちだ。
今日、邪竜が出現した。だから彼は戦わせなければいけない。自分自身ではなく、大切に育て上げた恐竜を。鎧を纏わせ、人類や世界を守る盾にする事。恐竜達はその為に生み出されたのだ。他の存在理由など、有りはしない。
彼はそんな殺伐とした現実が本音では嫌だった。心に宿る閉塞感と罪悪感。それは彼の瞳に空の青さえもフェイクの様に映らせた。生み出された恐竜達にとって、この世界は選択肢や可能性の幅など無い閉ざされたものだと意識すれば、無限に広がる空も限られたものに見えてくる。
――本当、この世界が作り物だったら良かったのに。でも、そうじゃない。そうじゃないんだ。……だから、やらなきゃ。
叶わぬ甘えなら捨ててしまおう。そう言い聞かせ、希人は目を閉じる。いくら祈りを並べたところで、何かが変わる訳ではない事を知っているからだ。
例え自分が目が背けても、都合の悪い事がこの世から消える訳ではない。邪竜を放置すれば幾万の命が糧にされる。その土地に〝生きるべき命〟が居場所を失う事。それは希人の本意ではない。……まして友の苦しみを知ってしまった今、自分だけ逃げたいとも思わない。
決意を固め、目を見開く。やさしい光の太陽は木々達に影を与え、影はアスファルトへ伸びていった。時刻は午後四時手前。眼下に生きる命の苦悩など関係ないなのだろう。太陽は眠りにつく西へと向かっていた。その光の中を、彼らは進んでいく。閉塞感でいっぱいの空に押し潰されそうになっても。
* * * * * * *
レモンのショーが無事に終わった週の半ば。茹だる様な昼下がりに、DFを輸送する長大なトレーラーや装甲車が並ぶパンゲアの格納庫に、五十人は下らない隊員達が集結している。その恐竜の体長をも凌ぐ巨大な壁に覆われていた室内の一角に、希人は居た。
「邪竜が出現した。数は二体。いずれも半水棲型で、一年前に横浜に出現したものと同型の個体であると報告を受けている」
爽やかでありながら、はっきりと通る声が希人の耳に届く。青年は精悍な瞳に確かな輝きを灯し、列の前から隊員達を見据え、邪竜の出現を伝えていた。彼――勇部亘はDFを指揮する部隊の隊長である。そんな彼が作戦の概要を伝えているのだが、当の希人の関心は違うところへ向いていた。
「一年前…………横浜……」
空気が漏れる様な微かな呟きは、誰の耳にも止まる事なく消えていく。希人が懸念していたとおり、大きな二重瞼の瞳には不安の色が浮かんでいる。それは彼――木野修大が普段見せる快活な印象とは明らかに異なるものだった。
彼の周囲の隊員達は亘のみを見ており、希人からは列の端と端で大きく距離がある為に実際に今の修大の状態を伺い知る者は居ない。ただ、友として修大を案じずには居られなかった。木野修大と言う人間が感じているであろう痛み。それを想像する事は、今の希人にとっては難しくない。
――変な事言えば、かえって動揺するよな……。
しかし音にならない声など届くはずもなく、希人の思いは心の中だけで消えていく。知ってしまった修大の痛みの理由も、希人は彼自身から聞いた訳ではない。余計な同情はかえって彼を混乱させる事もあるだろう。
今は黙っておこう。今は声を掛けないでおこう。逃げとも言える予防線を張り、希人は修大への言葉を見つけれらないままでトレーラーの助手席へと乗り込んだ。
* * * * * * *
邪竜の出現と言う凶報に、静まりかえった町。人々は地下シェルターへと退避した今、そこは冷たい狩場へと姿を変えていた。
「出現した邪竜は既に東京湾から江戸川に進入し、現在遡上中だ。今回の作戦はその二体を分断し、設置した削腹地雷で仕留める」
地雷の設置作業を進める工作部隊を背に、亘は自らの部下達へ作戦の概要を告げる。体型のハッキリ判る様なライダースーツも逞しい彼が着れば、その凛々しさも一入であった。
「……あれで本当に倒せるのかな」
「わかんない。でもやるしかないよ」
「そっか……そうだよな。わるい、変な事聞いた」
「いや、いいよ。俺だって心配だし」
呟くように投げかけれた修大の問いに、希人も静かに答える。視線がかち合う事なく、無機質に交わされた会話。彼らの視線は互いではなく、眼前で設置が進められている罠へと向けられていた。
段上になった鋼鉄製の円盤『対邪竜用削腹地雷』は、任意のタイミングで起動させる事により、山状になった突起部が地下から押し上がり真上に存在する目標の肉を抉る。突起部にはねじれ溝が彫られ、回転しながら突出する事により肉を抉るドリルとして絶大な威力を発揮する。
――まさか初っ端からこんな相手に当たるなんてな……。
自らの運命を呪う様に、修大は心の中で呟いた。恐怖と重圧、そして心の中に燻り続ける感情。圧し掛かる己の弱さに、思わず泣き出したくもなる。
だがやるしかないのだと、彼は自身へと強く言い聞かせた。ほんの少し赤く色づき始めた夏の空。見上げ、修大は己の決意を確かめた。
「……じゃあ、俺もそろそろ持ち場のポイントへ移動しないといけないから。絶対、生きて帰ろうな」
「おう、希人も気をつけてな」
凛と輝く修大の瞳が、いつもより眩しく感じたのは気のせいだろうか。希人は後ろ髪を引かれる思いでその場を後にする。
今自分が修大に対して抱いた違和感が、裏目に出ない事を希人は願った。修大の責任感や使命感。そんな美徳とも言える彼の個性で、彼自身が苦しむ事が無い様に、と。
深い川底を二体の巨影が進む。川底の砂を巻き上げ、重い質量を持った足が一歩一歩前進してくる。ふと、その巨影は何かの存在に勘付く。金色に光る瞳は遥か上方の水面を睨み、本能で彼らは認識しのだ。――――憎い敵が近くに居る。
敵の存在を認知し、一体目の巨影は長い尾で川底を叩く。巻き上がった砂煙を抜けて、まずは一体目の影が水面へと迫る。水中でも光る金色の瞳は確かに水上を目指し、長い尾をしならせて進んでいった。
水面で揺れる太陽を目指し、巨大な体は一直線に進んでいく。水のベールを抜ければ、そこは水中とは別世界。大きく空気を吸い込む。すると鼻腔を伝ってくるのは、忌々しい恐竜のにおいだった。
「前方一五〇メートル、邪竜出現!」
後方から響く隊員の声に、修大の意識は河川中央へと向けられる。土手から見下ろす視線の先、確かにそれは存在していた。
盛り上がった水面から徐々に水が滴り落ち、露わになったのは凶悪な面構え。凶暴な種類のカメに近い、鉈の様に重く刀の様に鋭い嘴。幾多の命を手にかけてきたその有り様は、差し詰め「生きたギロチン」と言ったところだろう。
その嘴の上にある金色の瞳も、修大達と同様に自分達の敵の姿を認識していた。ぎらついた目と目の間から背中を通り、尾先まで体毛が密に生えている。体毛は一本一本が長く鋭く、そして硬い。硬質化した体毛自体が自身を守る鎧となるのだ。
――半水棲型邪竜〝ベルーダ〟。ヨーロッパ圏の伝承に登場する怪物に酷似した姿からその邪竜は名付けられた。もっとも、ヤマアラシの様な胴とカミツキガメやワニガメを彷彿とさせる頭部と脚は、「ライオンの鬣を彷彿とさせる毛で覆われ、頭部と尾は大蛇」と伝えらるものよりも凶悪さを増している。
「来た……」
自身の運命を呪う様に、木野修大は小さく息を漏らした。川中より姿を露わにしたベルーダ。今、冷たい黄金の双眸には自分と後方に立つレモンが映っている。
その事実だけで、彼の胸は恐怖に締め付けられてしまう。だがここで退く訳にはいかないのだ。
「行けるな、レモン」
――――……ウウゥゥン。
絞り出された修大の声に、レモンは低く唸り応えた。カルノタウルス属の角を更に強調させる、水牛の様な角を持った頭部装甲。全体的に曲線的であったサラのものとは違い、頭部から尾先までカバーするダークグリーンの鎧は石畳状に区切られ、ゴツゴツと角ばった印象を与える。
深緑の鎧から覗くライトイエローの表皮とスカイブルーの瞳。体色から『レモン』と名付けられたカルノタウルスは木野修大が育て上げた人造恐竜であり、その真価はDFとして邪竜と戦う事にある。ゆっくりと岸辺に歩み寄るベルーダを、修大とレモンは鋭い眼光で睨みつける。
「対邪竜レーザーキャノン起動!」
後方の指揮車で隊員が状況を確認し、スイッチを押下する。すると川岸の土が盛り上がり、砲台が幾つも姿を現した。邪竜の脅威に晒され続ける人間も無能ではない。生きた生物の細胞を焼き尽くす事を主眼に置いた、高出力レーザー砲。都市に仕込まれた自衛の為の兵器が今、火を吹いた。
* * * * * *
(一体は修大達のポイントから上陸しようとしているのか。だけど報告によると出現したのは二体。一体がこっちに来るかもしれないから、持ち場を離れる訳にもいかないんだよな……)
修大達がベルーダと遭遇した地点から更に上流へと登った川岸。その土手に相竜であるサラを待機させながら、希人は手元の通信機を眺める。
下流域では邪竜とDF、そして人間が入り乱れての激しい戦闘が繰り広げられているかもしれない。だが、今希人が居る場所は平穏そのものである。寧ろ民間人がすべて退避しているが為、昼間の騒がしささえも今はない。カラスでさえ危機を感じて飛び去った街は今、静寂で満たされている。
修大やレモンは無事だろうか。しかし彼らの現状を確かめる手立ては定期的に入る通信しかない。本当は駆けつけて支援してやりたいが、今この場を離れる事もできない。もどかしさと緊張、そして焦燥。希人の心を覆うのはやり場のない感情ばかりだ。
……そんな彼の目に、ある花が映った。それは土手下の隅で群生する黄色い花々。仮に邪竜の存在が間近に迫ったとしても逃げる事すら出来ないが、凛と花弁を開いて天を仰いでいる。〝きらびやか〟と言う花言葉が似合う、切れ込みの入った黄色の花びらを放射状に開くキク科の花。
「……ついでだし、こっちもやっておこうか」
明るい暖色の花弁。だがその花々を見つめる希人の瞳は、酷く冷たい。柔和な彼の印象とは不釣合いにも思える大きな手が花を包み、握りつぶした。
* * * * * *
「……全然ダメじゃん」
目の前に広がる光景に、木野修大は唖然とする他なかった。意識して抑えようにも戦慄〈わななき〉は止まらず、背中を冷たい汗が流れていく。
直前にベルーダへ向かって放たれた閃光。それは確かに届いていた。だが効果があったかは別の話である。確かにレーザーは邪竜の皮膚を補足し、火を上げた。だがベルーダは全く音を上げず、それどころかその砲台へと向かってきたのだ。
前身をかがめ、背中を走る鬣を砲台へと向けた刹那、川岸を埋め尽くす砲台の数々は機能を停止した。今修大の眼前に広がる川岸には、照射部を破壊されて沈黙した砲台が無意味に整列している。この現状を嘲笑うかの様に不気味な咆哮を上げ、ベルーダは再び背中を向けた。今度の鬣の毛先はレモンに向けられている。
「まずい!」
修大が危機を感じるより先に、レモンは彼が着るスーツの首筋にある突起を咥えて走り出していた。素早いレモンの行動で一命を取り留めたが、振り返った先に見えた光景に修大は再び戦慄する。
それは大地から生えてきたのではないかと思うほどに根深く刺さっていた。川岸から土手までの大地を貫き、宙へと抜けて放物線を描いて落ちてきたものでさえアスファルトに突き刺さっている。まるで鉄で出来ているのではないかとさえ思える程に硬質な棘。それは他でもない、ベルーダが飛ばしてきた鬣の毛一本一本である。
「こんなの資料にねぇよ……やべぇ、助けて貰わなきゃ」
先刻までは恐怖に震えていたが、生きたいと言う本能が修大を冷静にさせた。即座に右手首の通信機を使い、応援を要請する。
「こちらDポイントの木野。目標と遭遇し現在交戦中。出現したベルーダは過去の情報と大きく相違あり。鬣の毛を飛ばして攻撃してきます。単騎では対処困難。援軍を求めます」
本音を言えば、落ち着いてなど居られない。予想外の攻撃に、遭遇した命の危険。だがレモンに咥えれながら移動する現状で慌てれば、舌を噛んでしまいかねない。震えそうになる体に心で渇を入れ、修大は努めて冷静に状況を告げた。
(アイツ、一年前はあんな攻撃してこなかっただろうがよぉ……)
一通り状況を説明し終えた後、修大は心中でぼやいた。もし彼がこの状況で冷静で居られる要因があるとすれば、それはこの恐怖を体感するのが初めてではなかったと言う経験だろう。




