2-4 なつやすみ恐竜ショーはもうすぐ!
「すげー! 本当に海中トンネルなんか通るんだな!」
「本当だ、すごーい!」
「ちょっとみんな、他のお客さんも居るんだからもう少し静かにしないと」
「はーい」
「すみませんでしたー」
透き通る海の青さに浮き足立つ若い男女の集団。その中でも特にはしゃいでいる男女を、年長者と思しき女性が窘めた。注意された彼らも間延びした返事を返し、車内は静けさを取り戻す。
合計で八名の男女から成るその集団を構成するのは、皆立派に成人した若者達である。無論バスの車内で静かにする位の分別は身に付けているはずの年齢だ。
だが彼らが童心に帰ってしまうのも無理はなかったのかもしれない。それ程までにこの日の海の色は美しかった。
人工島へと続く透明なチューブトンネルの中から見えるのは、一面に広がる青の世界。海上から射し込む陽光は光のベールとなり、深い海の青とグラデーションを作り出す。それは陸の上で暮らしていては見る事が出来ない非日常の景色だった。
「久しぶりだけど修大の奴、元気にしてるかなぁ?」
「どうだろ……そう言えば美紗さんはちょっと前に会ったんですよね? 元気にしてました?」
「うん。まぁ元気にしてたよ」
「そっかぁ~! ねぇねぇ、木野君ってどんな恐竜受け持ってるんだろうね? やっぱり可愛い系かな?」
「ちょっと、あんまり可愛い可愛い言うとアイツ怒るよ!」
「確か俺が連絡取った時はカルなんちゃらって言ってたな。確か角生えた恐竜だってよ」
「へぇ~、どんなんだろ? 楽しみだな!」
〝美紗さん〟と呼ばれた女性が端的な返答をした後、若者達は久し振りに会う友人とその友人と連れ立って舞台に出る恐竜の姿について、想像を膨らませていた。件の彼との再会が皆待ち遠しいのか、それぞれが好き放題に予想と冗談を並べている。
そんな彼らの姿を年長者の女性は温かい目で見つめていた。だが同時にその表情は少し儚げで、長いまつ毛は僅かに細められた目に影を落とす。
――本当に無理しないで元気で居てくれたら言う事ないんだけどね……。今はどうなんだろ?
細い首筋に手を当て、彼女は考えていた。柔らかく軽い質感のロングヘアーが指に触れ、手の甲を撫でる。
どこまでも広がる海の青。その果てしない光景を眺め、美紗と呼ばれた女性は、件の彼への思いを馳せていた。
* * * * * *
「ではカルプスと麦茶で200円ですね。…………はい、丁度いただきました。ありがとうございます!」
キャップのつばに手を添え、希人は笑顔で会釈した 。紺色の下地に〝PANGAEA〟と白字でロゴの入ったポロシャツとメッシュキャップ。この日の彼は、平時とは違う制服を身に纏っていた。
(しっかし暑いなぁ……てかこれ重いわ。肩にベルト陥没しそう)
両手で支えたクーラーボックスを苦々しい思いで見つめながら、希人は心中でぼやいた。勿論、そんな思いは表情に出さないままで。
よく晴れた土曜日の正午手前。上がり始めた地面の熱が空気に昇る中、広いショーステージを囲む様に設けられた階段席は人で埋め尽くされていた。世間では夏休み期間中と言うこともあり、座席には親子連れも多い。
最前列の席より1メートル程高い位置にある半円状のステージ。これからそのステージに現れるものを、集まった人々は皆心待ちにしていた。
「……ふぅ疲れた。結構重いよね、これ」
「ですよねぇ~! 肩にベルト食い込みそうですもん」
「本当そうだよ。こんなに重いとは思いませんでした……」
「あっ、そうだ。スミマセン、私の方カルプス切れそうなんですけど篭目さんの方はまだあります?」
「うん、あるよ。じゃあ僕の方はオレンジジュースとすりおろしリンゴ貰うね。ただ持っていくだけじゃ翁さんのボックスが重くなっちゃうし」
「ありがとうございます」
「いえいえ。それにしても広報の人達も人使い荒いよねぇ~、まったく」
「本当ですよ。私も朝来たら『バイトの売り子さん足りないから手伝って!』って言われて来たらこれですもん」
そう言って、翁と呼ばれた彼女は眉毛を八の字に下げ、わざとらしく困ったような顔を作った。お陰で折角の大きくて丸い目や薄い唇の形も歪んでしまっている。だがその表情はどこか庇護欲をそそり、愛らしさを感じさせる表情だった。
彼女や希人がの肩から提げられた紐付きのクーラーボックスには、それぞれ雑多な種類の飲み物が入っている。夏の日中の気温も相まって、それを持つ彼等のシャツには汗が滲み始めていた。
「ねぇねぇ兄ちゃん、ビールはないの?」
「あたしはお汁粉がいいですぅ~」
「そんなもんあるわけないでしょ……何言ってるんすか」
階段席の最後列に腰掛けた二人の若い女性。ふざけ半分にからかって来た女性の二人組を、希人は苦々しい表情で見つめる。しかめっ面の希人を尻目に彼女たちはニヤニヤと笑っていた。
「俺、ただでさえ汗っかきで暑いの苦手なんですから崎乃さん達もあんまりからかわないでくださいよ。無駄なエネルギー使いたくないッス……」
「あっ、ごめん……なんかマジでお疲れっぽいね」
「篭目さん大丈夫ですかぁ?」
希人が言うなり、青みがかったロングヘアーの女性は気遣いの言葉をかける。それには、緩やかなパーマを当てたセミロングの女性も舌足らずな口調で続く。
崎乃瀞と飛騨みか――彼女たちもまた、対邪竜国際機構・パンゲアの一員である。後ろで束ねられたロングヘアーが印象的な崎乃瀞は人造恐竜のヘルスケアを行う獣医であり、舌足らずな口調から穏やかな雰囲気を醸し出す飛騨みかはその助手だ。
彼自身は少々疲れているものの、仕事着以外の姿を見ることがない希人にとって、私服姿の彼女達は新鮮だった。瀞は黒いノースリーブのワンピース、対してみかは白いブラウスに赤茶色のミニスカートと、彼女達それぞれが持つ凛とした雰囲気や穏やかな人柄が感じ取れる服装だ。
「しっかし、レモンがこんな事する日が来るとはねぇ~! ついこの間まで小さかったと思ったんだけどさぁ」
「まぁ本当に小さかったですからね」
「本当、結構なんでも急だよね。人の気持ちの整理なんか待ってくれないし、現実って酷い」
浮き足立つ人々の先にあるステージを見つめながら瀞はそっとぼやいた。つい漏れたしまった彼女の本音には、希人も胸の中で同意する。
この日彼女達がこの場に来ていたのは、日頃触れ合っている人造恐竜がステージに立つからだ。慣れ親しんでいる恐竜の晴れ舞台。彼女達もその姿を目に焼き付けたいと考えていたのだ、
「それにしても大変だねぇ~、こんなに混んでて」
「う~ん、なんか予想以上に反響あったみたいですねぇ~」
「まぁ生きた恐竜見る機会なんてまずあり得ないですからね。そりゃあ人も来ますよ」
「お陰で私達にまでお呼びがかかりましたけど……」
「うん。ちかげちゃんも篭目君も、本当お疲れ様」
見れば階段席を埋め尽くさんばかりの人の数である。夏と言う事もあり、飲み物を求める人はかなり多い。
無論パンゲアの方でも売り子のバイトは募集していたのだが、予想以上の来場者に人が足りず広報のみならず他部署の職員も運営に駆り出されている。
篭目希人と翁ちかげの両名も、本来は広報の仕事などしない職種の人員だ。彼らの本来の職務は、それぞれが受け持つ人造恐竜の健康管理、およびその人造恐竜がDFとして戦う際の指揮である。
「まぁ広報目的なんだし、沢山の人が来てナンボなんだけどね」
「確かにそうですね。あぁ、私もミリーと一緒にショーの方が良かったかなぁ~」
希人とちかげは雑談をしながら、ほんの少し足を止めていた。しかしそんな束の間の休息もすぐに終わりを告げてしまう。
「あの、スミマセン篭目さん」
「えっと……アルバイトの水島さんですね? どうしました?」
「お客さんコーラ欲しいって言われたんですけど、よく見たら私のところ無くなってて……それでちょっと待たせちゃってるみたいな感じです。なんかちょっと機嫌悪くなってるかも?」
「そっか……じゃあ今から僕も一緒に行くね。大変だと思うけど、水島さんも手持ちの在庫状況は把握しながら回ってね」
駆け寄って来たアルバイトの女性の相談に希人も同行する。件の客の元に行くと、そこに居たのは子供連れの父親だった。水島の報告通り、確かに少し機嫌が悪そうだ。
「お待たせしました、申し訳ございません。水島からお伺いしましたが、コーラをご希望でいらっしゃいますね?」
待たせた事の詫びを入れ、コーラを手渡して会計を済ます。どうやら子供の方がコーラを所望していたようだ。
コーラを手渡して父親の方が機嫌を直したのを確認すると、去り際に「大変お待たせして申し訳ございませんでした」と言う一言を添えた一礼をし、持ち場に戻ろうと踵を返した。その時だった。
「もぉ~! 何してるの!」
「ご、ごめんなさい……」
声のした方を見れば、今しがた対応したのとは別の親子連れの姿があった。まだ未就学児と思しき子供がジュースを溢してしまった様だ。ばつが悪そうに俯く子供に対し、母親も困りはてている様子が見て取れる。
「あっ、大丈夫ですよ! 後片付けは私の方で致しますので。それよりもお洋服は汚れていませんか?」
すぐに駆け寄り、希人は手拭いを差し出した。しかめっ面の母親と泣き出しそうな幼子。彼女達のサインを敏感に察し、希人は子供が泣き出すより先に行動していた。
「篭目さん頑張ってますねぇ~」
「本当、よく働くわ~! …………あれ? もしかして篭目君が汗かいてるのって体質のせいだけじゃないんじゃない?」
「多分そうでしょうね。篭目さん、そういう人ですから」
「なんか一生懸命だよね、ホント」
言い終えると瀞は微笑んだ。その笑みは呆れ半分、感心半分と言ったところだ。
椅子の上に溜まったジュースを雑巾で拭き、手早く後片付けを進めていく希人。細々と働く彼の様子を遠目に見ながら、ちかげ達は揃って同じ事を考えていた。
「一万円ですね……あっ、お釣り用のお札がない」
「まじか……。い、今行くからちょっと待ってて!」
今度は別のアルバイトスタッフの元でトラブルが起きる。どうやら万札に対して釣り銭のお札が足りないらしい。
「篭目君は本当によく働くなぁ~」
「本当ですね……って、私も行かなきゃダメじゃん! 篭目さ~ん!! そっちは私行くから大丈夫ですよ~! じゃあ私も行きますね!」
「うん、いってらっしゃあ~い」
みかと瀞にも軽く会釈し、ちかげも駆け出して行った。帽子から出た黒髪は走る度に揺れ、夏らしい柑橘系の香りが広がる。
「まぁ、ちかげちゃんも負けず劣らずって感じだけどね」
「本当ですねぇ~。二人ともがんばり屋さんですぅ」
公演時間が刻一刻と迫り来る。太陽が真上に昇っていくと共に、人々の期待も膨らんでいく。
騒がしくなる人の群れの中。篭目希人と翁ちかげは額に汗を浮かべながら、忙しなく動き回っていた。
* * * * * *
「なんか緊張するなぁ」
高い壁を隔てた向こう側に沢山の人々の気配を感じ、木野修大は弱気にぼやいた。唇は真一文字に結ばれ、虚ろな輝きを湛えた大きな瞳は見開かれている。
修大が着ているのも、希人達が着ているものと同じポロシャツだ。通気性はかなりいいはずなのだが本番が迫った緊張感からか、彼の全身からはじわりと汗が噴き出して来る。
「大丈夫! この日の為に一生懸命練習してきたんだし」
「夕海さん……」
「それにホラ、MCはほとんど私がやるから。木野君はレモンの指揮だけできればそれでいいじゃん」
「あ……ハイ、そうでしたね」
夕海の激励に一瞬だけ自信を取り戻した修大だったが、MCに関してはショーの司会経験も豊富な彼女が殆どを請け負う事を思い出して複雑な思いが募る。
〝あくまでステージに立つのはレモンなのにこれでいいのだろうか?〟――そんな後ろめたさが、修大の胸の内に降り積っていく。恐竜の飼育員になって半年も立たない彼ではあるが、自分を厳しく律しなければいけないとも考えていた。
「マジですみません。俺がもっと出来る奴なら、夕海さんに面倒かけなかったのに」
「えっ? なんで謝るの? 木野君は短い期間でよくやったと思うよ。ショーの依頼が来たのも本当に急だったし、レモンのリハビリだって終わったばかりだったのに頑張ったじゃん。何も後ろめたいことなんかないでしょ?」
「それはまぁそうなんですけど……」
修大の思いがけない言葉に驚いた夕海は、思わず目を丸くして修大の顔を覗き込んだ。彼女にしてみれば、そんな言葉が出て来る事さえおかしいのだ。
その表情があまりにも純粋で嘘のない表情だった為、修大も一瞬たじろいでしまう。だがそれでも胸に募った思いは消えない。思い上がりである事は百も承知であるが、彼にも彼なりの理由があった。
「う~ん……木野君もなんだかんだで真面目だよね。でも、本当に気にしなくていいんだよ。木野君は本当にちゃんとやれてるからさ!」
「あ、ありがとうございます!」
「そうそう! だからいつもみたいに元気出して行こうよ♪ お客さんも待ってるしさ!」
「ハイ!」
夕海が肩を叩き励ますと、修大の表情も幾分か明るくはなった。まだ緊張が残っている様な面持ちではあるものの、その瞳には確かな輝きが戻っている。
「よし! そろそろ出番だな……じゃあ行こうぜ、レモン。今日もよろしくな!」
――――グウゥゥウン。
修大の呼び掛けに、低く小さな唸り声が答える。パンパンと、両手で顔を張って自身の気合いを入れ直す。そうして作った笑顔の先にあったのは、八メートルを超える巨体。
その巨大な体躯の先にある、小さな宝石の様な瞳と、修大の視線は重なる。人と恐竜のアイコンタクト。種族を越えた信頼関係を確かに感じ、木野修大は相竜〝レモン〟と共に、ステージへと向かっていった。




