33 後編 (拓真)
佐々路と分かれて俺は自分の部屋へと戻ってきました。神沢と真面目に話す為に……。
だけどその前に俺にはやるべき事がある。それは、レイと崎本の処刑だ。女子風呂を覗く件であんなにも俺を煽ったくせに、最終的には俺を生贄に逃げる始末。どういう風に社会的抹消をしてやろうかと考えているダーク凡人です。
だが、部屋に入っても崎本とレイの姿が見当たりません。部屋にいるのは神沢だけで、窓際にある小さなテーブルの椅子に座って外の景色を眺めている。そんな神沢に
「なぁ神沢。レイと崎本知らないか?」
「あー、二人なら門倉くんの部屋に遊びに行くとか言って出ってたよ」
あの野郎ども、翔悟のところに逃げやがったな。俺が帰ってくれば処刑が遂行される事が分かっていたんだ。まぁレイがいるからその情報を知っていてもおかしくはない。
何はともあれレイと崎本がいないのならこの怒りは後日に回しましょう。それに今は神沢と二人でいられるチャンスだ。
だが、本当に今の神沢がいつもと違うように見える。いつもなら「小枝樹くん。やっと二人きりになれたね。これで思う存分僕達の愛を表現できるんだねっ!!」とか言って俺に迫ってくるのが想像できるのに、今の神沢は窓の外の景色を見る黄昏ているただのイケメンにしか見えない。
ふざけていてもイケメンなのに、本気だすとマジでイケメンだけら本気で腹が立ってくる。だが、外の景色を眺めている神沢の横顔はとても悲しげな雰囲気を纏っていて、俺も自然とその空気に呑まれていくようだった。
「それで、なに見てんだよ神沢」
神沢のいる窓際へと近づきながら俺は言った。すると神沢は窓の外を見続けながら
「海と星を見てるんだ。真っ暗な海に映し出されている星を……」
感情なんてこもっていない。ただただ淡々と何も感じていないような声音で俺へと返答をする神沢。
そして俺も神沢と同じ景色を見る為に窓の外を見る。だが、神沢が言っているような海に映る星なんて見えない。でも確かに空には星が煌いていて、人工的な明かりがその輝きを遮ってしまっているのだと俺は思った。
だから俺は
「おい神沢、電気消すぞ?」
そう言い部屋の電気を消す。そしてもう一度、窓際まで行き再び景色を眺める。そこには、神沢が言っていたように真っ暗な海に星が達が泳いでいるように映っていてとても綺麗だと思った。
いつもなら神沢と二人きりの時に電気なんて消さない。なんか本当に既成事実を作られそうで怖いから。でも、今の神沢なら大丈夫だ。
もっと傍に居たいと思える誰かを浮かべている神沢なら……。
「なぁ神沢。少し俺と話しでもしないか?」
俺の言葉を聞いた神沢は景色から俺へと視線を移した。そして
「いいよ。どんな話しする? 楽しい話? 悲しい話? 辛い話? 嬉しい話?」
「きっと多分、その全部だ」
神沢の目を強く見つた俺は、話を始める。
「単刀直入に聞く。どうして牧下を避けてるんだ」
「僕が牧下さんを避けてる? ごめんね小枝樹くん。少し質問の意味が分からないや」
惚ける神沢は優しい笑みを浮かべ、そしてとても悲しそうだった。
「悪いけど、今は真剣に話してるんだ。中途半端に話を流そうとか、曖昧にしようとするのはやめてくれ」
そんな神沢とは正反対に俺は睨みつけるように神沢へと言う。すると神沢もそんな俺の気持ちに気がついてくれたのか、作っていたつまらない笑みを止め、少し俯いた。そして
「そうだよね。僕が牧下さんを避けてる事なんてきっと誰でも分かっちゃうよね……。でも仕方ない事なんだよ……。これ以上僕が牧下さんの近くに居たら、僕は牧下さんを更に傷つけてしまう……」
牧下を更に傷つける……? いったいどういう意味なんだ……?
「きっと僕にこんな話をしてるって事は小枝樹くんも知ってるんだよね……? 僕が文化祭で牧下さんに告白した後から、僕のファンクラブの子が牧下さんに嫌がらせをしてるって事……」
神沢も牧下が嫌がらせを受けている事を知っていたのか……!? ならどうして神沢は牧下になにもしてやらない。やれる事なんて沢山あるだろう。なのに何で……。
俺は言葉を発さずただ神沢の質問に肯定の意を示す為に頷いた。
「僕は取り返しのつかない事をしたんだよ……。僕が僕になる為に、顔だけじゃないイケメンだけじゃない神沢司になる為に、僕は自分の気持ちを牧下さんに押し付けたんだ……!! 大好きな人を傷つける未来を僕は選んだんだ……」
大好きな人を傷つける未来……。同じような事で俺も悩んだな。神沢も俺と同じような事で悩んだりするんだな……。
ずっと何かを勘違いしていたような気がする。神沢と牧下は俺等と一緒に居るけど、どこか違う苦しみや悲しみを抱いている人だと。
確かにその結論は間違ってはいないのだろう。だけど根本の苦しみが違うだけで苦しいって気持ちは一緒なんだよな……。そして神沢は選んだんだ。
大好きな人を傷つける未来になったとしても、自分の気持ちや自分という存在を全ての人に知ってもらいたいって……。だから不特定多数が集まっている会場で告白なんていう大それた事を神沢はしたんだ。
誰も傷つかない未来なんてない。だからこそ人は選ぶ。全てが正しくて全てが間違っている選択を……。
「これ以上僕が牧下さんの近くに居たら、牧下さんはもっと苦しんじゃうんだよ……」
きっと後悔しているのであろう。そして自分の無力さに苛立っているのだろう。今俺の目の前にいる神沢司は愚行を犯した神沢司を許せないのであろう。
そんな神沢に俺は何を言えばいい……? 慰めるのか? 曖昧でただ優しいだけの言葉を言って慰めれば良いのか……? それとも突き放せば良いのか……? 神沢の行動を愚行と言って傷つければ良いのか……?
違う。全然違うだろ小枝樹拓真……!! 友達が苦しんでるんだ。辛いよ、助けてよって叫びたいのにその気持ちを押さえ込んでるイケメン野郎が目の前にいるんだ。だったら俺は
「どうして神沢は牧下を好きになったんだ……?」
質問を投げかけられた神沢は俯いていた顔を上げて、俺の事を見る。そして
「牧下さんは僕と同じなんだ……。ただ心から信頼できる友達が欲しかった……。自分達の表面上だけじゃなく、深い所に土足で入り込んでくるお節介な友達が欲しかった……。きっと牧下さんも分かってる筈なんだよ。僕達は皆と違うって……」
俺の静かに神沢の話を聞く。
「僕と牧下さんは何も失った事がないんだ。小枝樹くんみたいに親友や家族を失ったり、佐々路さんみたいに魔女だって言われて信用を失ったり……。でもね、その代わりに僕達は何も得た事がないんだよ」
言って神沢は優しくて苦しい笑みを浮かべた。
「牧下さんは引っ込み思案だったから。そして僕はイケメンだったから……。何も得る事もなく、自ら得ようともせず上辺だけの自分を肯定して生きてきたんだ。僕はイケメンに生まれてしまったからしょうがない、私は内気な人間だからしょうがないって諦めて生きてきたんだ……」
イケメン王子のこんな辛そうな顔初めて見た。コイツもコイツで沢山考えて、何が正しくて間違っているのかを理解しながら、他者から見た自分を肯定して、そして諦めて生きてきたんだ。
誰に何を言っても伝わらなくて、誰かに本質を見せれば「違う」と否定され、俺なんかよりもずっとずっとコイツは孤独に生きてきたんだ……。
「でもね、そんな僕と牧下さんの前に一人の凡人さんが現れるんだ。その凡人さんは凄く冷たくて、いつもいつも僕の事を苛めて、牧下さんだけは特別扱いする本当に嫌な性格の凡人さん。だけど、その凡人さんは凄く優しい人で困ってる人を見過ごせないお節介な人で、僕はそんな凡人さんに救われて……」
神沢の手が震えていた。そして月と星の明かりが神沢の瞳を光らせた。
「だから僕もそんな凡人さんみたいに強くなりたかった……!! 出来ないって言われても、馬鹿だって罵られても、僕は君のようになりたかったんだよ小枝樹くんっ!!」
「神沢……」
「同じだからだけじゃない……!! 僕は牧下さんの強さにも憧れた……。小枝樹くんのように強い意志を持っている牧下さんに憧れたんだ……。どんなに状況が悪くても最後の最後まで絶対に諦めない牧下さんに……。わかんないよ……。何で好きになったのかなんて分かんないよ……。気がついた時にはもう、僕は牧下さんを好きになってたんだ……」
気がついた時には好きになっていた、か……。俺もそうだな。どうして好きになったかなんて聞かれても、自分になって分からないんだよな……。
もしも今の神沢と対等になる術があるとしたら、俺はそれを選択するのか……? 自分の気持ちを、自分の心を俺は神沢に見せることが出来るのか……?
だけど、なんだろう。こういうのも悪くはない。
「分かんないよな。どうして好きになったかなんて、自分でも分からないんだよな……。なんかさ、俺も神沢と一緒で分からないんだよ。俺はお前が思ってるほど強い人間なんかじゃない。お前なら分かるだろ? 俺は自分の弱さを受け入れられなかったから翔悟と真剣勝負をする時、俺を止めてくれた神沢に甘えられなかった……」
そう。あの時の神沢は本気で俺の事を心配してくれた。それだけじゃない。他の奴等の事だって心配していて、俺等の楽しい空間を壊さないように必死になってくれていた。
自分が弱いばかりに大切な友人を傷つけて、そして今だって俺は神沢を救う事すらままならない……。だけど
「どうしてさ、何かを得ようとすると何かを失っちまうんだろうな……。どうしてさ、苦しめたくないて思ってるのに大切な人を苦しめる事をしちまうんだろうな……。俺もきっと神沢と同じなんだよ」
俺は窓の外を見た。さっきまで綺麗に輝いていた月は小さな雲に隠れてしまって、今はその美しい光で俺等の見えない雲の裏側を照らしている。
月は自分で輝く事すら出来ないのに、それでも真っ暗な俺等の世界を照らしてくれて自分の事よりも皆の足元を見つめている。きっと俺は月なんだよ。でも神沢や牧下は太陽なんだ。
俺等を輝かせてくれているのは、そんな無垢で強い存在なんだ。だから
「俺もさ、神沢みたいに好きな人を傷つけてるかもしれないんだ。自分の気持ちを押し付けて相手の未来なんて考えないで……。今の自分にできる事を選べば選ぶほど、きっと俺はソイツを傷つけちまってるかもしれない」
好きだから近づいて好きだから触れる。でもその行動が全て裏目に出てしまって、後悔して悩んで苦しんで……。きっと今の神沢も同じで、だから俺は素直に神沢に自分の好きな人を言える。
「俺はさ、一之瀬の事が好きなんだ」
窓の外を見ていた視線を神沢へと俺は戻した。それと同時に一之瀬の名前を口にする。そして俺の突然の告白を聞いた神沢の表情は驚きを隠せないでいて、だけど俺は不思議と冷静でいられた。
「なんかさ、本当に誰かを好きになるって辛いよな。頭の中グチャグチャになるし、どうしていいのかも分からなくなる。でもきっとそうやって考えながら皆前に進んでいくんだよな」
傷ついて苦しんで、何度も何度も転んでは立ち上がって、最後には立ち上がれなくなっちまうかもしれないけど、そんな時は誰かに頼っても良いんだよな……。
「俺が言えた義理じゃないけど、もっと俺を頼って良いんだぞ? 神沢」
これが今の俺の気持ちだ。でも
「ごめん小枝樹くん……。僕は君を頼れないよ……」
予想に反した神沢の返答。
「これ以上君達を頼ったら、僕は何も出来ないただのイケメン王子に戻っちゃうんだ……。だから全部僕だけで何とかしなきゃいけない……」
神沢の言葉を聞いて少しの怒りを感じた。そして
「だったら、何で牧下を助けないんだよ……」
神沢も俺の声音が低くなった事に気がついて、少しの恐怖を帯びているようだった。
「お前は知ってたんだよな……? 牧下が苦しめられてるのを知ってたんだよな……? 自分の好きな人が苦しめられてるのを知ってたんだよなっ!!」
俺の怒声が部屋に響き渡る。もしかしたら部屋の外まで聞こえてしまっているかもしれない。だけどもう止められない。
「散々言い訳を並べた結果、牧下を助けようとしてない神沢に何が出来るんだよっ!? 好きなんだろっ!? 大切なんだろっ!? だったら何で指咥えて見てる様なマネしてんだっ!!」
「僕だって助けたいって思ったよっ!! 少しずつ牧下さんの元気がなくなっていくのも、皆と距離を取ろうとしてるのも全部見てたんだっ!!」
「だったらどうして何もしなかったっ!!」
「出来るわけないだろっ!!!!!!」
俺の怒号よりも大きな声。その迫力はただのイケメン王子ではなく、神沢司の心からの叫びだったと俺は信じていたかった。
「牧下さんを助ける為に僕が動いたらどうなると思っているんだっ!? そんな僕の姿を見た牧下さんはもっと僕達の前からいなくなろうとする。僕の気持ちを受け入れても、僕の気持ちを受け入れなくっても、最悪の状況になる可能性があるって思った牧下さんを助ける事なんて出来るわけないんだよ……。それは、牧下さんの好意を無碍にする事になっちゃうから……」
なんだよ……。そこまで牧下の事考えられてるのに、なんでコイツは何もしねぇんだよ……!!
「おい神沢」
「つっ……!!」
気がついた時、俺は神沢の胸倉を掴んでいた。
「そこまで分かってんのにどうして何もしねぇんだっ!! お前が言ってる事は正しいよ。俺にはそこまで見えてなかったのも事実だ。だけどな、お前がそう思ってんなら牧下はどう思ってんだよっ!!」
「だから牧下さんは皆を傷つけないように僕を拒絶して一人で全てを背負おうとしてるんだよっ!!」
「んな事わかってんだよっ!!」
どうして俺はこんなにも声を張り上げているんだろう。本当はもっと冷静に神沢を説得して、斉藤の依頼を遂行しようとしていただけなのに……。どうして俺はいつもこんな感情任せに動いちまうんだ……。
後悔の思考が流れていても、今の俺を俺は止められなくて、何が正しくて間違っているかなんてどうでも良いとさえ思っている始末だ。でもこんな不器用な俺が、俺なんだ。
「お前の言ってる牧下の考えは俺だって納得してる。だけど、そこには牧下の本心がないんだよ……!! 人はそんなに強くない……。自分勝手な事だって考えるし、言動にも表れる時だってある。なら、牧下の本心はどこにあるんだよ……!!」
俺だって人の事は言えない。牧下と話してもここまでの考えに至らなかった事実を変える事は出来ない。神沢と話さなかったら物事の本質すら俺は見失いそうになっていた。
でも今なら牧下の本心が分かる。だって、牧下も俺等と同じように弱い人間なんだから……。
「言葉に出来ない牧下の想いにお前は気がついてるのにどうして助けないんだよ……!! 牧下は俺でもなくて、一之瀬でもなくて、雪菜でも翔悟でも佐々路でも崎本でもなくて━━」
胸倉を掴んでいる拳が強くなった。それと同時に、悪戯をするように雲で隠れていた月が俺と神沢を照らす。
「神沢に助けて欲しいって思ってんじゃねぇのかよっ!!」
叫び終わって思う。本当に俺は何も出来ない天凡なのだと……。
自分では牧下を救えないと自覚していて、それを神沢に押し付けている。とても身勝手で自己中心的な思考。それで解決できるならまだ救われるのに、感情的になって時点で解決から遠のいてしまっている事を俺は知っていた。
「僕には助けられないよ……」
俺から視線を逸らした神沢が呟く。そして俺に見えるのは唇を噛み締めながら一筋の涙を流す神沢だった。
「僕は小枝樹くんのようにヒーローにはなれない……。全部分かっているのに動く事の出来ない臆病者だ……。こんな僕は皆の友達失格なんだ……」
そんな事考えて、お前は俺等との距離をおいてたのか……? 友達失格なんて……、誰も思ってなんかいないのに……。
「これが僕の出した答えなんだ。だからもう手を離してくれない……?」
神沢はもう、俺の事を見ようとはしなかった。逸らしたままの神沢の表情は見えなくて、ただ触れているその体が震えているのだけが分かった。
そして俺は神沢の言葉どおりに手を離す。ぐったりと椅子に自身の身体を預ける神沢。俺はそんな神沢の目の前で立ち尽くす。だが、このままで居たいなんて思えなくて、俺は何も言わずに部屋から出て行った。
ホテルの廊下の突き当たり。そこには自動販売機が備わっている。そんな自販機の横には外でもないのに数人が座れる椅子が置いてあって、今の俺はそこで一人。
既に消灯時間は過ぎていて、教師の見回りが心配になったが今はそんな事どうでもいいとさえ思える。
とても静かな廊下に響くのは自販機の機械音。どこまでも単調で鬱陶しいに辿り着かないその音は俺の思考を停止させる。先程までの神沢との言い合いが嘘だと思えるくらいに今の俺は何も考えられない。
どこをどう選択すれば皆が笑っていられるのかと何度も頭の中で繰り返してみるが、そんな未来はどこにも無かった。
そんな凡人な俺はとても弱く。誰よりも弱く。一人では何も出来ない凡人。
「寝なくて大丈夫なの? 小枝樹くん」
ネガティブな思考の中、今の俺が一番聞きたい人の声が聞こえてくる。一瞬、幻だと思ったが自販機の明かりに照らされる彼女の姿を見て現実なのだと認識する。
「……一之瀬」
「とても暗い表情をしていたから幽霊と勘違いしそうになってしまったわ。それで何があったの?」
俺に問いかけながら一之瀬は自販機で飲み物を買う。昼間の時の一之瀬とは違って、今の一之瀬はとても優しかった。だが
「別に何もないよ」
「あらそう。それなら良かったわ」
俺の適当な返答に適当な返答を重ねる一之瀬は、俺が座っている椅子の隣に座ってくる。ここで俺は何かを一之瀬に話したほうが良いのだろうか。そんな疑問が頭の中を駆け巡るが俺が口にしたのは
「もう消灯時間過ぎてるぞ? 一之瀬みたいな天才さんでも悪い事をするんだな」
「この行動が悪い事だとは思っていないわ。それに天才を理由に挙げられてしまったら私はきっと何も出来なくなってしまうわ。喉が渇いたから飲み物を買いに来た。そしたら弱々しくなっている貴方は見つけたから話しかけた。それが小枝樹くんは悪い事だって思うの?」
本当にいけ好かない奴だ。冗談を本気で論破しようとしてくる。今の俺は君が言っているように凄く弱ってるんだ。だからあまり疲れさせないでくれよ。
「何が弱々しい貴方を見つけただ。一之瀬が始めに見つけたのは幽霊じゃなかったのかよ」
「あら、貴方にしては上手く揚げ足を取れたわね」
そう言い微笑み一之瀬を見て少しだけ癒される。そして思う。本当に俺は一之瀬の事が好きなんだって……。こんな気持ちになっていても、凄く辛いって思っていても、好きな人の笑顔を見れれば元気が出てくる。
なのに神沢はその全てを捨てようとしているんだ。一番誰も苦しまない選択をしようとしている。それはレイが戻って来た時の俺と同じで、そんな俺が神沢を止める権利なんてやっぱりないんだよ……。
ダメだ。一之瀬を見てるとどうにかなっちまいそうになる。その笑顔に触れれればきっとこんな苦しみなんてなくなるのに……。
「ふぅ。それで今の貴方の表情から察するに斉藤一葉の依頼が上手くいっていないようだけれど、本当に貴方は大丈夫なの……?」
「はいはい。何でもお見通しってわけですね。まぁそのなんだ。上手くはいってないけど、受けたからには遣り通さなきゃいけないだろ? 本当は凄く辛いし、止めたいって思うけど、それじゃ本当に誰も笑えなくなっちまう……」
甘えてしまいたい。一之瀬に助けを求めてしまいたい……。もしも俺が弱音を吐いて、俺だけじゃどうにもできない事を言ったら一之瀬は助けてくれるのかな……?
「だから私はその依頼を受けなかったのよ。人の感情の部分に他人が関与なんてしてはいけないの。それは当人達の意思を無視し兼ねない結果にだって辿り着くわ。その時、貴方は全ての罪を背負える自信があるの? 私にはないわ。確かに幸せな未来だけを叶える事が出来るのならそれは幸福。でもね、それだけじゃないから人は考えて生き続けていくのよ」
一之瀬の言う考えるは苦しむという事だ。考えるという行動はとても苦しい。止めてしまえるのなら止めてしまいたいと思ってしまう。それが人間の弱さであり逃げなんだ。
だけど、考えるという事をやめる行為自体は悪ではない。ただ、その先の未来で何が起こったとしても受け入れなきゃいけなくなるだけだ。
だってそうだろ。考えないで生きてきたんだ。結果が出てから言い訳を並べる権利なんてない。だが、人はそれでも言い訳を並べ自分には何も非がないと叫び散らす。自分の思考の浅はかさを棚に上げて、努力をし逃げないで考え続けてきた奴を簡単に批難するんだ。
俺はそんなくだらない人間なんかにはなりたくない。だけど、気持ちが追いつかないんだよ……。
「本当に一之瀬は凄いよ……。大きな物を背負いながらも自分を変えないで、真っ直ぐに未来を見つめてる。自分の信じたその先を感じる為に、血反吐を吐きながら歩き続ける……。同じ天才なのに、どうしてこんなにも俺等は違うのかな……?」
「小枝樹くん……」
きっと今の俺はボロボロなんだ。ここで一之瀬と話しなんかしなかったら今の自分の現状を見ようとしないでがむしゃらに依頼を遂行しようとしていただろう。
でも、ダメだ……。一之瀬に甘えてしまいたいっていう気持ちが強すぎて張り詰めている糸が切れてしまいそうなんだ……。
「なぁ一之瀬。少しだけいいか……?」
そう言い、俺は隣に座っている一之瀬の肩に頭を乗っけた。きっとこのシチュエーションは男女が逆なのだろう。弱っている女性が、甘えたいと思っている女性が好意を持っている男性にする行為だ。
だから今の俺が女々しい奴だって言われても構わない。ただ、少しだけでいいから一之瀬を感じていたんだ。
「さ、小枝樹くんっ///」
「悪い一之瀬……。少しだけで良いから、このままでいさせてくれ……。そうすればきっと、俺はまた前に進んでいけるから……」
これもきっと俺の気持ちを一之瀬に押し付けているんだと思う。好きな人に最低な事を今の俺はしてしまっているんだ。なのになんでだろう。
凄く安心できる。
そんな俺に一之瀬が問う。
「どうして私なの……?」
「何でだろうな。良く分かんないけど、一之瀬になら俺の無意味な弱さを見せても大丈夫だって思った。ううん違うな。一之瀬にしかこんな姿見せたくないんだよ……」
「私しか……?」
凄く近い距離。こんなに近い距離に一之瀬となったのは初めてかもしれない。いや、一之瀬を好きになってから初めてって言ったほうがいいな。
「そう。だって俺は天才だから……。皆の前では本当の弱さなんて見せられない……。でも一之瀬なら、こんなカッコ悪い俺を見せても良いって思えるんだよ。それはきっと同じ天才だからとかじゃなくて、一之瀬だからなんだ……」
好きだなんて言えない。それでも今のこの瞬間が愛おしいと思っていて、このまま時間が止まってしまえばいいと思ってしまう乙女な女子と同じ思考。
そして気がつく。本当の俺は誰かに甘えたかったんだな。ヒーローとか言って強がって、自分の理想を叶えようとして……。でも、本当のヒーローって孤独なんだよな……。
昔の俺なら耐えられたって思う。それがヒーローの美学とさえ思えてしまう。でも、今の俺にはもう一之瀬がいなきゃダメなんだ……。
俺の頬には布越しで一之瀬の体温が伝わってきて、仄かに香るシャンプーの匂いで一之瀬が近くにいるのだと感じられる。
「私だから……か」
小さく呟く一之瀬の声がこんなにも近くにいるのに聞こえづらかった。でも今はそれでいい。この刹那な時を俺は一之瀬を感じていたい。
「本当に……。貴方は頑張り過ぎなのよ……。全てを諦めて願いを掲げず、ありのままの現状を受け入れさえすれば楽になれるのに……」
何を言っているのか分からない一之瀬の声を聞いている俺は、今のこの時間を幸せだと思っていた。