33 前編 (拓真)
本格的な冬が迫っている11月。季節の感覚がおかしくなってしまうくらい今の俺等がいる場所は暑い。
この時期に半袖でいられるなんておかしいよ。そんな事を考えている俺の目の前にはうちの担任で幼馴染みたいな存在の如月杏子先生が仁王立ちをしています。
「えー、沖縄に着いたわけだが、あくまでもこの旅行は修学旅行という学校行事である。したがって正しい学生の行動を取るようにしてほしい。もしも学生にそぐわない行動をしている奴等がうちのクラスから出た場合、連帯責任として全ての者に教育的指導を執り行う。私からの話は以上だ」
「「サー イエス サー!!」」
俺には今目の前で起こっている現状があまりにも不可解に見えてしまう。というか完全に軍隊だよね。みんな軍人さんになってるよね。つか、アン子の恐怖政治はんぱねぇ……。
俺等のクラス以外は皆普通に教師の話を聞いているが、うちのクラスだけは綺麗に整列し敬礼までしてしまっている。まさに異様な光景とはこの事を言うのだろう。
少しばかり呆れてしまったが、それだけうちのクラスの団結力は凄いという事実に嬉しくなってしまう凡人な俺。
それはきっと修学旅行というイベントのテンションになってしまっているからであって、沖縄という場所も影響しているのかもしれない。それくらい、生徒達は浮かれているという事だ。
そしてブリーフィングも終り、俺等はバスに乗り込む。
一日目の予定は教師の引率のもと観光になっていて、二日目は朝から夕方まで自由行動。三日目は沖縄にある文化的な何かを学び、そして帰る。という流れになっている。
まず初めに俺等が行く場所は沖縄で有名な水族館。そこで半日ばかり居座りホテルに行くという流れだ。これを説明していて思うんだが、うちの学校の修学旅行って適当じゃないですかね……?
まぁそんな疑問を浮かべたとしても何か変わるわけでもないので純粋に沖縄を楽しみましょう。それに俺にはやるべき事もあるんだしな。
なんやかんやで水族館です。
なんやかんやの部分で何があったかと言う異次元的な質問は承っておりませんのであしからず。
「うをおおおおおっ!! 沖縄の水族館だああああああっ!!」
うるさい女子が一人いますね。はい、そうです。うちの雪菜です……。というか沖縄の水族館とか言ってるけど、沖縄の水族館なだけだからね。
いや沖縄の悪口を言っているわけではありませんよ? 沖縄の水族館はとても素晴らしい所であり、しいては日本を代表するかもしれない水族館ですよ。
外観は近未来感を感じてしまうくらい綺麗で神秘的。複数ある階段の下から見上げる建物は壮観で、お世辞抜きで素晴らしいと感じてしまう。
晴天の中、暑い太陽に照らされうっすらと汗が滲み出ている事を認識しているのにも関わらず、目がはなせなくなっている。
沖縄に行けば世界観が変わると豪語している大人達の気持ちが今なら少しは分かる。
「なにぼーっとしてんの拓真? 早く水族館入ろうよー」
魅せられてしまっていた俺に雪菜が言う。だが俺は知っている。雪菜もさっきまでふざけていた事を。
でも俺は突っ込んだら負けだという事を理解している。だからこそ、ここは敢えて何も言わないという選択をしよう。
いや別に面倒くさいとか思っていませんよ? 本当にここで突っ込んだら負けだと素直に思っているだけですよ?
「おい拓真。何かつまんない事考えてるみたいだけど、早く行かなきゃ置いていかれるぞ?」
レイの言葉を聞いて我に返った俺は辺りを見渡す。その現状はレイの言葉通りで、既に館内へと向かっている生徒は俺等の周りにはいなかった。というか、いまさっきレイは俺がつまらない事を考えてるって言ったよな? 全然つまらなくないよおおおおおおっ!!
つか何で俺の考えてる事が分かるんですかっ!? 幼馴染だからって俺に思考の自由はないんですかねっ!?
とかなんとか思っているうちにレイもいなくなってしまっていた。
「はぁ……」
何か最近の俺って皆にバカにされてばかりだよな……。なんかもう、全部が嫌になってしまいますよ……。
うなだれた俺は溜め息を吐き、トボトボと館内へと向かって歩き出した。そして階段を上りだした時、誰かに声をかけられる。「早くしなさい小枝樹くん」
声をかけてきたのは一之瀬だった。
いつもと何も変わらない一之瀬の姿。菊冬や春桜さんが言っていたような助けを求めている感じには見えない。
だが俺は一ノ瀬を傷つけてしまっている。それは春桜さんから聞いただけの話だが、確信を突くような春桜さんの言葉が真実に近いものだと思わせてしまう。
なのに一之瀬はいつもと何も変わらない笑顔を俺に向けてくれて、何が真実で何が偽りなのか今の俺には分からなくなってしまっている。
「悪いな一之瀬。もしかして俺の事待っててくれたのか?」
「別に貴方の事を待っていた訳ではないわ。館内では班行動が厳守。だから貴方が来てくれないと私達は一歩も動けないの」
胸の前で腕を組み、階段の上から俺を見下しながら一之瀬は言った。
そんな一ノ瀬の隣まで辿り着いた俺は
「はいはい。分かりましたよー。別に誰も俺なんか待っててくれないよねー」
「何をそんなにふてくされているの? これから楽しい事が待っているのだから、しゃんとしなさい」
そう言い笑顔になる一之瀬に手を掴まれる。
少しばかりの高揚感と緊張感で脈打つ心臓が早くなる。その鼓動が一之瀬に聞こえていないかと心配になり、さらに加速した。好きな人に触れられるという事がこんなにも嬉しくて、そして切ない気持ちになるなんて思いもしなかった。
これが恋。
思春期になれば誰もが当たり前のように感じる気持ちで、その当たり前がとても新鮮で、それでいて懐かしいとさえ感じてしまっている。
きっと誰かを好きになるという感情は昔からあって、その好きという形が変わったものが恋なんだ。
そんな事を考えている俺は一之瀬に引かれるがまま館内へと入っていった。
俺が遅かったせいで俺等の班が一番最後に館内に入る羽目になってしまった。
その事を数分の間、雪菜と佐々路に怒られ、平謝りをする俺を再び怒り出し、結局本気で土下座してしまいましたよ。沖縄まで来て土下座をするとは思っても見なかった。
そんな茶番の後、俺等は水族館の中を探検しています。とても広い館内は落ち着いた雰囲気でとても癒される。
女子達ははしゃいでいて男子達は大人びた雰囲気を纏いながら魚達を眺める。そんな中、やはり神沢と牧下の様子だけがおかしいと思ってしまった。
牧下は雪菜や佐々路、そして一之瀬と一緒に楽しそうにしてはいるがどことなくぎこちない笑みを時々浮かべる。そして神沢にいたっては俺等と一緒にいるのに静かで何も話そうとしない。
普段なら執拗に俺に絡んでくるのに、今の神沢は何もしない。孤高の王子様とでも呼べばいいのか。寂しげな表情の中にも楽しもうと自分に言い聞かせているように俺は見えた。
だが、そんな神沢に何か出来るわけでもなく俺はただただ一緒にいる事しか出来ないのであった。
「おい拓真。こんなんで牧下と神沢をどうこうできんのかよ?」
俺の近くに寄ってきたレイが耳打ちをしてくる。そんなレイに俺も耳打ちで返答をする。
「いや、きっとこのままの状況が続けば何もないまま終わる」
「だったら何かアクション起こさなきゃダメなんじゃないのか?」
レイが言っている疑問は尤もだ。ここで何かを起こしておかないと後々になって何か作戦をする時に支障が生じてしまうかもしれない。だけど、ここで下手に動けば全てを台無しにしてしまうかもしれない。
いったい俺はどうしたんだ。昔の俺ならもっと行動的だったのに、今は意味も無く頭を使って一番良いと思える行動しか取ろうとしていない。
斉藤の依頼は決して単純なものではないという事を俺は理解している。だけど、考えるだけで何もやらなければそれこそ意味のないものになってしまう。
頭の中で思考を巡らせれば巡らせるだけ答えが出てこなくなってきて、本当に自分が天才なのかと疑問に思ってしまう。
いや、俺が天才だと決めたのは俺じゃなくて他人だ。だから俺は俺であり続けながら依頼を遂行すればいい。
「分かってる。だけど神沢だって馬鹿じゃない。俺等が適当に行動を起こしたら気づくかもしれない。あくまでも自然を装うんだ」
友人を騙しているみたいで嫌な気持ちになった。それでも俺が受けた依頼だ。最後にはきっと皆が笑っていられるから……。
そうこうしているうちに時間だけが過ぎていき、結局何も出来ないまま昼時になってしまった。
昼食は各自で適当に済ませる。それがアン子が俺等に言った事。別に昼食を取らずにそのまま館内を見て回ってもいいのだが、うちには暴食の化身、雪菜嬢はいるのでそれは無理な話であった。
そして皆で昼食を取っている時の事だった。俺は一人でトイレへと向かった。その帰りの事
「ちょっといいかしら小枝樹くん」
トイレから出てくるやいなや一之瀬が俺に声を掛けてきた。
「どうした一之瀬?」
「貴方に少しだけ話したい事があるの」
声を掛けてきた一之瀬に返答を返すと真剣な面持ちで一之瀬が切り出してきた。俺はその言葉に頷き一之瀬の言葉を待った。
「今日の貴方達の行動は露骨過ぎるわ。優姫さんの事も神沢くんの事も何も考えていないように私には映ってしまったのだけれど」
水族館に来てからの行動を一之瀬は全て見ていた。だからこそ言える的確な指摘。だが俺は少しだけ一之瀬には関係のないことだと思ってしまった。
「確かに女子の方を見ていて雪菜と佐々路の行動は露骨過ぎる。完全に牧下を気にしていますオーラが俺にも見えた。それに神沢に対して男子側もどういう行動を起こしていいのか分からず、普段のように接する事が出来ていないのも事実だ。だけど、どうしてそれを一之瀬が言うんだ?」
楽しい気持ちを持ったまま過ごしたいと俺は思っていた。確かに斉藤の依頼というものがあってそれを遂行するためには一日目からアクションを起こさなくてはいけない。でも、みんなの楽しい修学旅行を壊してまでそれを強要するつもりはない。
最後には自分だけでどうにかしようと思っているんだ。
それなのに、今回の依頼を受けず干渉する事を良しとしない一之瀬に言われるのは少し腹が立った。
「どうして私がそれを言う? そんなの当たり前じゃない。私はこの件には干渉しないと言ったわよね? だからこそ露骨に二人の事を気にしている貴方達に注意を促すために言っているのよ。それを皆に言ってしまったら場の空気が悪くなってしまうわ。だからこうして指揮を取っている小枝樹くんに直接言いに来たのよ」
一之瀬の言っている事は間違っていない。だけど今の自分がムカついている事も間違ってはいなかった。
「そうだな。今の一之瀬の行動は間違ってない。俺に言うだけで最小限の犠牲で最高の利益を得る行動だ。だけどな、一之瀬はこの件に関して干渉しないって言ったんだ。だったら俺等にも干渉するなよ」
斉藤の依頼を受けないと言った時点で一之瀬には俺等に干渉する権利すらない。だけど一之瀬は
「小枝樹くん、貴方はいったい何を言っているの? 私は依頼に干渉しないとは言ったけど、貴方達に干渉しないとは一言も言っていないわ」
「確かにそうだ。でも一之瀬は俺に言った。『貴方一人でやって頂戴。今回の件に関して私は一切の関与をしないわ』この言葉の意味が一之瀬は分かっていないのか?」
一之瀬の怒りを煽るような話し方で俺は言う。すると
「そんなもの言葉通りじゃない。斉藤一葉の依頼の件に関して一切の関与をしないという事よ」
「そうだ。一切の関与をしないという事だ。なら、俺が今やっている事は斉藤一葉から受けた依頼の範囲内になる。という事は一切の関与をしないと言った一之瀬が俺等の行動に対して注意する事すら許されない立場だと自分で言っているんだぞ?」
俺の言葉を聞いた瞬間に一之瀬は口篭る。そして俺はそんな一之瀬を睨むような視線を送り続ける。
考えるような一之瀬の素振り。だが俺は間髪いれずに言葉を紡いだ。
「今の一之瀬の行動はどう考えたって俺等と一緒に依頼を受けたいという意思の表れだ。なのにどうして一之瀬は斉藤の依頼を断ったんだっ!? 斉藤には一之瀬が必要なんだよ。斉藤だけじゃない、俺にだって……」
そうだ。俺には一之瀬が必要だ。天才少女ではない普通の女の子の一之瀬が俺には必要なんだ。それは好いている好いていないという感情を抜きにしても、俺には一之瀬が必要だ。
俺だけで依頼を完遂したって何も意味なんてないんだよ……。皆が居て、一之瀬が居るから俺は頑張れるんだ。だけど、俺はそんな一之瀬に俺だけでやれると言ってしまった。
今更、その意見を覆すまねは俺には出来ない……。
「何が私を必要よ……。貴方が私を否定して拒絶したんでしょ……!?」
苦しそうな表情で、今にも泣き出してしまう表情で俺を睨みならが一之瀬は言った。だが、そんな事よりもやっぱりあの時、俺の言葉が何も伝わっていなかったのだと理解し俺も苦しくなった。
「別に俺は一之瀬を拒絶なんてしてない。だけど、一之瀬がそういう風に感じているのなら俺はそれでも構わない。それに斉藤の依頼はもう、一之瀬には関係のない事だ。だから一之瀬は純粋に修学旅行を楽しめばいいんだよ」
一之瀬の悲しい表情なんて見たくないのに、俺にはこういう言葉しか今の一之瀬に言う事ができない。本当になにもかもが上手くいかなくて、どうして誰かが悲しまなきゃいけないんだよ……。
自分のワガママだと分かっていても、それをやめる事の出来ない愚かな天凡な俺。でも、今回の全てが終わった時、きっと傷ついているのは俺だけだから……。
言い終わった俺は一之瀬の横を通り過ぎ、皆のもとへと戻っていった。
時間が過ぎるのはとても早くて後少しでホテルへと向かう時間になってしまう。まぁ、あと少しと言っても一時間くらいはあるのだけれど。
それでも時間の流れがとても早くて、神沢にも牧下にも何も出来ていない俺。
普通に楽しく過ごすだけでいいのに、何かをしなくてはいけないという強迫観念が俺の心を支配する。そのせいで思考という鎖で雁字搦めになってしまい、結局何も出来なくなってしまっていた。
身動きが取れないわけじゃない。やれる事はきっと沢山ある。だが、疑問が拭いきれない。その疑問を消し去る為にも俺が動かなきゃいけないんだ。
「なぁ牧下。ちょっといいか?」
最後の一時間。皆でお土産コーナーに居るとき、俺は牧下に話しかける。
「う、うん」
雪菜に佐々路、そして一之瀬と一緒にいる牧下は少しだけ不思議そうな表情をして承諾する。そして雪菜と佐々路は俺が何らかの行動を起こそうとしている事を察して何も言わなかった。
一之瀬は一瞬だけ俺の事を睨み、そしてすぐさま視線を変える。そんな一之瀬を気にしていたら何も出来ないと判断した俺は牧下と二人になれる場所へと移動した。
移動したと言っても館内出口の外。ベンチがある場所だ。外の生暖かい空気で牧下の馬の尻尾が靡いた。そして俺はストレートに話を切り出す。
「なぁ牧下。最近なんか神沢の事避けていないか?」
誰もが気がついていたのに聞いていなかった核心に迫る質問。その質問に牧下は
「な、なんで? わ、私は、べ、別に、か、神沢くんの事避けてないよ?」
「そうか? 俺には少し避けているように見えたぞ?」
そう。確実に牧下は文化祭の日以降、神沢を避けている。それがあまりにも自然な時と不自然な時が混ざっているのがおかしいとは思うが、今の牧下には遠回りな質問をするよりも真っ直ぐに聞いたほうが効果的だと俺は思った。
「き、きっと、さ、小枝樹くんの勘違いだよ。そ、それに、私がどうして、か、神沢くんを避けなきゃいけないの?」
ストレートな質問が裏目に出てしまった。ここで文化祭の時の話を持ち出すのはダメだし、反牧下勢力の事も言えない。そして何より、下手の返しをして斉藤からの依頼があった事を牧下には悟られてはいけない。
「そっか。俺の勘違いか。なんか前よりも全然話さなくなったなーって思ったからさ。その、なんだ。俺は皆で仲良くしてたいだけだからよ」
今の言葉は素直な俺の気持ちだ。ただずっと皆で俺は笑っていたいだけなんだ……。
そんな俺の言葉を聞いた牧下は、風でバラけた前髪を直しながら俯き
「わ、私だって、み、皆とずっと笑ってたいよ……」
「牧下……?」
「で、でもね。さ、最近は、も、もうダメなんじゃないのかなって、か、考えちゃうんだ……」
ダメ……? 何がダメだって言うんだよ……? 俺等の関係が終わっちまうとか牧下は思ってんのか……?
心がざわついて、夕方に近づいているのにいまだに熱い太陽の日差しにイラついた。そして風で騒めく木々達の葉が擦れる音、楽しそうな観光客の笑い声全てが今の俺を不安にさせる。
「何がダメなんだよ……? 牧下」
「さ、小枝樹くんは、き、きっともう気がついてると思うけど……。わ、私がいると、み、皆に迷惑掛けちゃう……。だ、だから━━」
「ふざけんなっ!!」
叫んでいた。牧下の顔すら見れない弱虫な俺。それでも地面を強く睨みながら叫んでいたんだ。そしてそのまま地面を見続けながら俺は
「迷惑なんかじゃない。何もダメになんかならない……!! 俺がどうにかするんだ……。俺が全部を、皆を救うんだ……!! だから俺は天才に戻る事が出来たんだっ!!」
俺はいったい何を言っているのだろう。牧下の本心を聞きたくて話をしていたのに、蓋を開けてみれば俺が牧下に自分の感情を吐露している始末。
言い終わって少し冷静になれば自分の手が震えている事が分かる。そして何も変われてなくて、いつまで経っても愚かな自分に腹が立つ。
「さ、小枝樹くんには、た、沢山助けてもらったよ……? さ、小枝樹くんには、い、いっぱい楽しいを教えてもらったよ……? そ、それと同じくらい、さ、小枝樹くんには、つ、辛いって思っちゃう事も、い、いっぱいされた」
俺の横で立ち上がった牧下が話す。
「で、でもね。さ、小枝樹くんが、ひ、一人で何でもしようとしちゃうように、わ、私も一人でどうにかしなきゃいけない事があるの……。だ、だから、ご、ごめんね。小枝樹くん」
牧下の言葉を聞いて本当に俺にはどうしようもないのかもしれないと諦めの思考が脳裏を巡る。優しく暖かな牧下の声。だがそこには希望という光が見えなくて、強い意志を持てるようになった牧下へ素直に良かったと思えなかった。
そして買い物を終えた皆が俺等の所まで来る。この状況を見た神沢は以外の奴等はきっと、俺が何も出来なかったと分かってしまっているだろう。
それでも笑顔で接して、牧下も何事もなかったかのようにしている。普段とは違うぎこちない普通を装いながら、俺等は嘘で固められた時間を過ごしていく。
それがダメなものとは思わない。だって誰も傷つかないのならその方がいいのだから……。でもその時間はとても虚無的なもので、有るのに無い。そんな馬鹿げた思考すら今の俺は受け入れてしまっている。
きっと初めから全て決まっていたんだ。こんな無理難題な依頼を成功させる事なんて出来ないんだ。
一之瀬が言っていた事が正しかったんだ。他人の恋沙汰に首を突っ込んでしまった俺が悪い。何が一之瀬が居なくても大丈夫だよ。一之瀬がいなきゃ全然ダメじゃないか……。
関わるなとか、干渉するなとか、そんな言葉で一之瀬を否定して、何も出来ない俺はただの道化だ……。できない事を出来るといって出来なかった時、人はとても無様で道化になる。
一之瀬が言っていた通りだな……。俺には何も出来ない。俺には誰も救えない……。
「どうしたの、小枝樹」
「佐々路……」
水族館内から出てきた皆は早々とバスの方へと向かっていった。だが俺は今の自分の思考という鎖に囚われていて一歩も動いてはいなかった。そんな俺に声を掛けてくる佐々路楓。
いつもコイツはそうだ。俺が苦しい時にアホみたいな顔しながら話しかけてくる。だけど、その間抜けな表情が作り物だって俺は分かってる。
佐々路はいつだって俺の味方で、これ以上俺に不安な気持ちをさせまいとふざけてくる。そんな優しい女の子だ。
「どうせマッキーと話して自分の思い描いていた答えじゃなかったから不貞腐れてるんでしょ?」
「別に、そんなんじゃねーよ……」
俺の顔を覗き込みながら言ってくる佐々路から視線を逸らした。でも佐々路はそんな俺の頬を両手で押さえつけ
「何言ってんの。小枝樹が辛いって思ってる事くらい、あたしは分かってるよ。上手くいかなくてどうしようも無くなって……。でもさ、いつもの小枝樹はそんな事くらいで諦められるほど凡人じゃないでしょ? 天才の小枝樹拓真はどんなに辛くたってどんなにキツくたって、諦めないで自分のワガママを押し通せる阿呆な奴なんだよ」
なんで俺に優しくしてくれるんだよ……。俺は佐々路の気持ちを受け入れなかった男なんだぞ……。なのに、どうして……。
「そんな自分勝手な行動で他人を巻き込んで、皆で辛くなって苦しくなって……」
そうだよ。佐々路が言っているように俺のせいで皆が苦しむんだ。だったら牧下と神沢にも何もしない方がいいに決まっている……。だが
「でもさ、そんな小枝樹の馬鹿みたいな行動に付いて行ってるから最後には皆が笑ってられるんだよね。小枝樹はそんな未来を期待させちゃうんだよっ! だからあたし達は全力で小枝樹のサポートが出来る。小枝樹の描いた皆が笑っていられる未来を見たいから」
言い終わった佐々路は笑っていた。
「小枝樹が居るから皆が笑える。でも、皆が居るから小枝樹が笑えるんでしょ。小枝樹があたしに言ったんだよ。壊れた砂の山はもう一度作り直せば良いって。まだまだ壊れてなんか無いよ? 少し崩れそうになってるだけだよ? だったら簡単じゃん。城鐘が転校してきて不貞腐れてた小枝樹を元に戻すよりも全然簡単な事だよ」
そうだ。俺は皆に迷惑をかけたんだ。でもそれで皆が俺の為に頑張ってくれた事が俺は凄く嬉しかった……。こんな俺の為に必死になってくれる皆が俺は大好きだって思ったんだ。
だから牧下も神沢も救いたい。それに斉藤だって……。
俺の頬を押さえつけている佐々路の手を離し
「ありがとな佐々路。そうだよな、この俺が簡単に諦めるのなんておかしな話だよな」
「そうそう。小枝樹は真っ直ぐで自分の正しいを持ってるんだよ。それを人に押し付けようとしないからダメなんだよ。もっと押し付けていいんだよ。あたしだって小枝樹の正しいを正しいって思ってるんだから」
きっと俺は皆の事を信じているようで信じていなかったのかもしれない。皆が居なきゃ何も出来ないとか言いながら、俺は俺だけでどうにかしようとしていた。
自分の考えを他者へと押し付けて、それが正義で一番良い事なんだって言うのは間違っていると思っていたから。
だけど、類は友を呼ぶという言葉があるように、きっと俺達は似た者同士なんだ。だから一緒に居て楽しく、一緒に居て笑いが絶えないんだ。
なんだよ、俺等はもう繋がってんじゃねーかよ。
「だから小枝樹は神沢をお願い。マッキーはあたしと雪菜でどうにかする。それに夏蓮の事もあたしに任せて。あの意固地な夏蓮には制裁が必要だからさ」
笑顔で怖いことを言っている佐々路。でもそんな佐々路に言われて元気が出た。牧下が言っていた『もうダメ』なんて無いのだと理解できたから。
「分かった。牧下は佐々路と雪菜に任せる。俺は神沢に集中させてもらう。それと、一之瀬の事も頼んだ……」
「それで良しっ!! まぁでも、最後には小枝樹が夏蓮をどうにかしなきゃいけない事だけは忘れないでね」
苦笑を浮かべながら言う佐々路。俺はそんな佐々路に言葉を返そうとしたが、集合の合図が聞こえ佐々路はバスの方へと小走りで向かってしまう。
俺は一之瀬をどうにかするか……。春桜さんにも菊冬にも頼まれて、佐々路はきっと何かを分かっているんだと思う。だからこそ、今は自分の出来る精一杯をやろう。
再び決をした俺も佐々路同様に小走りでバスの方へと向かっていったのだった。