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天才少女と凡人な俺。  作者: さかな
第七部 二学期 想イノ果テニ
93/134

32 前編 (拓真)

 

 

 

 

 

 今の季節は初冬。または晩秋といったところか。通学の時には冬服の制服だけでは少し寒く、既にマフラーを俺は使っている。


寒さが厳しくなり、次第に本格的な冬になるだろう。少しずつ空気は澄み渡り、夏の湿気がどこに行ってしまったのかと疑問すら沸いてくる。


そんな寒さを感じはじめる時期なのに、どうしてなのか今の俺は夏用の制服を着衣しています。それは何故なのか。考えれば簡単な事ですよね。


暑いからです。


では何故、初冬、晩秋という時期に暑いという言葉を用いるのかと言うと


「沖縄に着いたぞおおおおおおおっ!!!!」


はい。その答えは僕の友人である佐々路 楓さんが大声で叫んでくれましたね。そうです。今の俺等は沖縄に来ています。


空港の至る所に『めんそーれ』の文字。時期的に少ないと言われても観光客で賑わう空港。そしてそんな空港から一歩外に出てみると。


蒼く輝く晴天に真っ白く大きな雲。その雲が空と地上との距離を縮めてくれているみたいで、手を伸ばせば大空の一部になれるんじゃないかと錯覚してしまいそうだった。


日本という国にいるのに、南国の海外へと来たみたいな感覚。これは世界観が変わると言う奴等の気持ちが分かってしまう。それほど、何もかもが普段の日常と違っていて浮き足立ってしまう者達の気持ちが理解できる。


まさに今俺等は修学旅行に来ています。そしてここから話は少し前までの時間に戻る。


そう、沖縄に来る前、斉藤の依頼を皆に話してから数日後の話し。





 修学旅行という名目が出来た俺は少しの安心感を覚えていた。


文化祭の時のような大きなイベントじゃない限り神沢と牧下の気持ちを前に向かせる事が出来ないからだ。だが、雪菜の提案した修学旅行という大イベントのおかげで今後、どう動いていいのかが少しずつ明確になる。


そんな事を考えている今の俺は授業中です。それも


「えぇ、毎年の事で私はもう慣れているが、文化祭が終わって少ししか時間が経っていない。だが、今から皆に決めて欲しいのは修学旅行の事だ。はっきり言って修学旅行までの時間は長くない。早急に自由行動での班、それが決まり次第、自由行動時のルートを決めろ。全てが決まったら私の所まで来い。以上」


静まり返った教室内でアン子の声が響く。そしてその数秒後、教室内に響いたのはアン子が出て行く扉の音だった。


教師という鎖から解放された生徒。だが未だに誰も動きだろうとはしない。本当ならばここから自由に勝手気ままに自分勝手な行動をしても後々怒られるだけだ。


そこまで分かっているのに誰も動き出さない。それは呆然としているわけではなく、本気で修学旅行の事を考えているからこそ動けないんだ。それは中途半端でつまらない修学旅行にはしたくないという意思の表れ。


そう思っているのに動かないのには理由がある。自分じゃクラスの皆をまとめる事が出来ないという恐怖だ。


きっとクラスの連中は思っているだろう。天才の一之瀬か俺にどうにかして欲しいと。その気持ちはいやらしいものではなく、純粋に俺か一之瀬ならどうにか出来るという期待からくるものだ。


本当ならば一之瀬に任せるのが適任なんだと思うが、斉藤の依頼の一件から少し不貞腐れているように見える。そんな一之瀬の状況を知っていて、現状を把握できている俺が適任という事か……。


「あのさ、如月先生が言ってたようにとりあえず全部決めちゃおうぜ」


席から立ち上がり、俺はクラスの全員に聞こえるくらいの声量で言う。すると俺の声に同調するようにクラスの皆が動き出す。そして生徒達は俺の事を煽り、結果的に俺を中心に話しが進み始めた。


「えー、じゃあ取り合えず班決めをしたいと思うんですが、ここで一つ俺は疑問に思ってる。どうして修学旅行という大事なイベントに実行委員という役割がいないのか」


そうなのだ。俺等の学校の修学旅行には実行委員会が設立されない。確かに文化祭が終わって間もないのに、次は修学旅行だぞと言われても気持ちが追いついていかないだろう。


だからなのか、実行委員という形上のものは作らず、生徒に最低限の事をやらせて、後は問題だけ起こさないでくれという投げやりスタイルなのだ。


本当にこの学校の方針は無茶苦茶過ぎるんだよ。


「まぁそんな疑問を浮かべてここでウダウダと意味の無い批判をしていてもしょうがないんです。なので、自由行動時の班決めは適当に好きな人達と組んじゃってください。それともう一つ、このクラスでそのような事が無いのだと信じたいのですが、いかんせん一度そのような経験をしている人がいるので言っておきます。ぼっちは作らないでください。もしもそれが守れなかったら、皆さんわかりますよね」


言い終り俺は優しく微笑んだ。そして恐怖に怯える生徒達。


これですよ。ここで仕返しをしておかないと何となく惜しい事をしているような気がしちゃったんですよ。あ、皆さんは気が付いていると思いますがクラスの大半に疎まれボッチだったのは俺です。


その事をクラスの皆は気が付いてくれています。佐々路はニヤニヤしてるしレイなんてもう俺の事を見ようともしていません。それで一之瀬は……。


全てに興味がないと言わんばかりに頬杖をつきながら窓の外へと視線を向けていた。


まぁしょうがない。ここで俺の私的な感情を持ち出しても意味が無い事だ。


こうして修学旅行の班決めが始まった。






 結果的に言いましょう。ものの数十分で全ての工程をクリアできました。おめでとう。


杏子が提示した自由行動での班決め。それが決まり次第、各班に分かれて自由行動でのルートを決める。その全てを一日で終わらせる俺等って凄い奴等だと思います。


まぁ、自由行動時のルートは今日の所、概要だけで良いらしいので何とか終わる事ができました。


そして気になる班ですが。きっと誰もが予想できていると思うので割愛させてもらいます。嘘です。


俺の班は小枝樹拓真、城鐘レイ、崎本隆治、神沢司、佐々路楓、白林雪菜、牧下優姫、一之瀬夏蓮。この八人になりました。


そしてここまでは俺のシナリオ通り。ここから先は沖縄に行くまで何も出来ないけれど、まずは第一段階クリアという事だ。だが、少しだけ不安に思ってしまう。本当に神沢と牧下の関係に俺等が立ち入って良いのかと。


班を決めるさい神沢の事は崎本が誘ってくれて、牧下の事は佐々路が誘っていた。初めは男子は男子、女子は女子で組み始めていたが、その二つが合わさった時、神沢と牧下の表情が少しばかり引き攣っていたのを俺は見逃さなかった。


そんな表情を見て本当に良いのかと思ってしまったのだ。まぁここまできてしまったら、後はやるしかないのだが……。


それに一之瀬の事も気になる。普段から一緒にいるメンバーだからという気持ちで入ってくれたのかもしれないけど、明らかに一之瀬は俺等の企みに気が付いている。というか斉藤の依頼を一緒に聞いていたのだから、少しでも不自然さを出せば気がつかれる。


皆も一之瀬が今回の依頼に関与しない事を知ってるし、変に一之瀬に気を使えば終りだ。


と、思ったが。どうして一之瀬にバレちゃいけないんだ? 別に俺は斉藤の依頼を受ける事を一之瀬の前で公言してる。そして作戦を決行するタイミングは一之瀬が依頼を受けていたとしても修学旅行になってただろう。


まぁ、少し気にし過ぎているだけかもな。


考えるのをやめた俺は、クラスの連中に声を掛ける。アン子が言っていたように全ての事が終わったら報告しなきゃいけないからだ。俺がやらなくてもいい仕事なんだが、仕切ってしまったからしょうがない。最後までやる方がいい。


そして俺は各班を回り提出プリントを貰う。たかが数枚の紙を職員室まで持ってこいとか横暴すぎる。それでも言う事を聞かないと何をされるか分かったもんじゃない。


俺は嘆息気味に項垂れ、回収した紙を持って教室を出ようとした。


「あ、待って拓真ー。あたしも一緒に行くー」


雪菜が声を掛けてきた。


「一緒に行くって、別に数枚の紙を届けるだけだぞ? 手伝うとかそういう名目なら完全に破綻して━━」


「いいから、あたしも行くのっ!」


俺の言葉を遮り無理矢理背中を押してくる雪菜。そして俺と雪菜はそのまま教室から出て行くことになった。




 職員室までの距離は長くは無い。廊下を歩きながら聞こえてくる他クラスの生徒達の声。


きっとうちのクラス同様に修学旅行の事を話し合っているのだろう。笑い声が聞こえてくるのは俺等みたいに既に作業が終わってしまったクラス。はたまた集中力が切れ無駄話に花を咲かせているのだろう。


それと不思議な事に俺と雪菜以外の生徒が教室外にいる気配がしない。その光景で先ほどの答えが導き出される。そう、答えは後者だ。それを考えると俺等のクラスって結構真面目なんだな。いや違うか。担任が怖すぎるからやらざるを得ないんだ。


恐怖政治万々歳ですな。


そんな事を考えている時、雪菜が話しかけてくる。


「ねぇ拓真。どうして夏蓮ちゃんは依頼を受けなかったんだろうね」


雪菜の言葉を聞いて俺は雪菜の顔を見る。それと同時に何故雪菜が俺と一緒に来ると言い出した疑問が解決させた。きっとこの話しがしたかったんだろうな。


「真意は俺にも分からないけど、きっと一之瀬なりに意味がある事なんだろうよ」


雪菜の質問にはっきりとした答えを言えない俺。それもそうだろう。一之瀬の気持ちなんて俺には分からないし、今回の事については少しの不信感すら覚えるくらいだ。だが、一之瀬が言っていた事が間違っていると完全に否定できない。だから未だに分からないんだ。


「でもね、さっきも夏蓮ちゃんと喋ってたけど凄く普通なんだよね」


「普通ならいいんじゃねーの?」


「んー、何か普通過ぎるっていうか、普通の普通というか」


もう俺には雪菜が何を言いたいのか分かりません。それに言っている雪菜本人も自分が何を言っているのか分かっていない状況だった。


自身の胸の前で腕を組み、首を傾げながら頭上に疑問符を何個も何個も浮かべています。そんな雪菜を見てしまったら俺が頑張って理解しようとするのが億劫になってしまいますよね。


呆れてしまっている俺に気が付いたのか、雪菜が頑張って続きを話し始める。


「だからさー、普通すぎていつもの夏蓮ちゃんじゃないみたいなんだよね。ほらいつもだったら、ワーってなったらギャーになるじゃん? でも今日の夏蓮ちゃんは何かそれが無くって……。その、あっ、あたし達と仲良くなる前の夏蓮ちゃんみたいな感じっ!」


閃いたように雪菜は言う。だが、その前の発言が疑問に思う。ワーってなってギャーってなんだよ……。雪菜ってこんなに馬鹿は喋り方する奴だったっけ? まぁその事は今は考えないようにしよう。


俺等と仲良くなる前の一之瀬は天才少女という今の状況と何ら変わりは無い。だが、一之瀬と関わるようになって思ったのが、本当にコイツは天才なのか。


俺が見てきた天才少女の一之瀬夏蓮は完璧な存在で、全ての人達から愛されるような人間だ。だが関わるにつれて、ワガママだったり泣き虫だったりと天才少女という言葉にそぐわない様な一面を見てきた。


それが当たり前になり、いつの間にか天才少女の一之瀬夏蓮を俺等は忘れてしまっていたんじゃないのか。


だとすれば、雪菜が言っている普通。それが俺等と仲良くなる前の一之瀬に見える。一之瀬が俺等と仲良くなる前に何をしていたんだ。考えろ俺。


頭の中で思考を巡らせる。だが、それを邪魔する雪菜嬢の存在があった。


「なんかさ、いつも通りの夏蓮ちゃんみたいなんだけど、どこか遠くにいるような……。んー、話してるのに話してないみたいな……。って拓真ちゃんと聞いてるっ!?」


不意に背中を叩かれる。この野郎。俺は今真剣に考えているのに、邪魔ばかりしやがって……! でもここで雪菜を怒っても仕方が無い。


「悪い聞いてなかった。それでなんだ?」


「もう……。だから夏蓮ちゃんがいるかいないか分からないって事っ!!」


「あのな、一之瀬は物理的に存在してるだろ。何がいるかいないか分からない……だよ……」


違う。俺等と出会う前の一之瀬と今の一之瀬の違いはいるかいないか。それは天才少女としての一之瀬夏蓮ではなく、一之瀬夏蓮という友人としての存在。だとすれば一之瀬は天才少女に戻ろうとしている……?


でも今までだって天才少女のままだった。いや待ていったん整理しよう。


前と今の一之瀬の違いは一之瀬の事を天才としてではなく一般人として扱ってくれる俺等がいると言う事。それ以外はきっと何も変わっていない。そしてもしも一之瀬が前のような天才少女に戻ろうとしているのなら斉藤の依頼を受けないという事実がおかしい。


それじゃ天才少女ではなくなってしまうからだ。俺等と出会う前からも一之瀬は一人で依頼を受けていた。なら何故今回、依頼を受けなかった。


待てよ。一之瀬は俺に言った。『小枝樹くん一人で事足りるでしょ』その言葉の意味を単純に説き明かすと「天才は二人もいらない」という意味で俺は捉える。


一之瀬が依頼を受けなかった理由は俺がいたからなのか……? なら、どうする事もできないじゃねぇか……。


自然と歩んでいた足が止まってしまう。そして雪菜が止まってしまった俺に言った。


「拓真が考えている事を当ててあげよう。きっと今の拓真は全部自分のせいだって思ってるよね? でもそれは違うよ。きっと夏蓮ちゃんも拓真と同じように分からなくなっちゃったんだよ。それに期待されるのが怖くなっちゃったんだよ……」


期待されるのが怖い……? 少し前までの俺と一緒だ。俺は斉藤の依頼を聞いた時、一之瀬なら絶対に受けてくれるって期待していた。それが一之瀬を苦しめる結果になった。


それだけじゃない。一之瀬は天才少女としてずっと期待され続けてきた。俺なんかよりもずっとずっと長い時間。なら、今の俺が出来る事は一つしかないな。


「ありがとな雪菜。やっとやるべき事がわかったよ。それにお前は本当に俺の考えてる事が分かるんだな」


止めてしまった足を前へと動かし、俺は雪菜の隣で言う。すると雪菜は


「当たり前じゃん。この世界の誰よりも、あたしは拓真の事だけを考えて生きてきたんだよ? そんなあたしに拓真の事で分からない事なんてないのですよっ!」


笑ってくれる雪菜。そんな俺を助けてくれて支えてくれる存在がとても大きく感じる。


「んじゃまぁ、この話はこの辺にしておいてさっさとアン子にプリント渡しにいくか」


そう言い、俺等は笑った。




 アン子の元へとプリントを届けるというミッションを成功させた俺と雪菜。そんな俺等にアン子は言った。


「お前等早いな。まぁ終わったのなら今日はもう帰っていいぞ。皆にもそう伝えておいてくれ」


という適当な事を言い、俺等は下校する事になる。少しだけ早く帰れるというだけでテンションを上げているクラスの連中。だが皆は気が付いていない。これがアン子のやり方なのだと……。


安易に与える優しさは下を育てないが、このタイミングでの優しさはアン子への忠義を深めるものだ。ちゃんとやるべき事をやれば認めてくれる。本当にアン子の恐怖政治万々歳だな。


まぁそんな事はどうでも良いとして俺も帰る準備をしている。そんな中、俺は教室に一之瀬がいるかどうか確認する。そして答えはいないだ。


B棟三階右端の教室に行ったのかも知れない。そう思った俺はそそくさと支度を済ませB棟へと向かった。だが結果は誰もいないという現実。


今日の一之瀬はB棟には寄らずにそのまま帰ってしまったんだ。その現実を突きつけられた俺は溜め息を一つ零した。そして


「まぁ、しょうがねーから、行くか」


俺はB棟三階右端の教室から歩き出す。今日の目的はB棟三階右端の教室で癒される事じゃない。だから今は大丈夫。また皆で来ればそれでいい。


階段を下り、渡り廊下を進み、A棟。昇降口まで着いて靴に履き替える。部活をしている者達を横目に俺は学校から出て行く。


普段ならそのまま歩いて帰宅。だが今の俺にはやらなきゃいけない事がある。その為にバスに乗り少し離れた一之瀬の家へと向かっている。


バスの中、少し緊張しているのか俺は考えていた。


今の俺が一之瀬に何を言って良いのかなんて分からない。それでもやらなきゃいけないって思ったんだ。伝えるだけでいい。一之瀬がどう受け取るなんて分からないんだから……。


怖い怖いと思いながらも、どこか自信があって。一之瀬に絶対に伝わるって思えてしまう俺がいた。


そんな事を考えているだけで時間なんていうものは簡単に過ぎてしまい、気がつけば一之瀬の家の近くのバス停。それはバスから降りて一之瀬の住んでるマンションまで向かう。


本当に高級なマンションばかり並んでいやがる。俺みたいに庶民が住めるような場所じゃないし、今の俺ってもしかして少し浮いてる?


何度かここには来ているけど未だに慣れない俺って、もしかしてヘタレ……? いやいやいや、確かに俺はヘタレだけどやる時はやれる男の子なんですからねっ!!


とか何とか自問自答しているうちに一之瀬の住んでいるマンションの前。あー緊張する。別に告白とかするわけじゃないんだからこんなに緊張しなくても良いじゃないですか俺。


まぁここで足踏みしていてもしょうがない。


意を決した俺はマンションの入り口を通る。そしてオートロックの扉を開けさせるために一之瀬を呼び出す。


「はい、どちら様でしょうか?」


「急に来て悪い一之瀬。俺だ小枝樹だ」


インターファン越しに一之瀬の声が聞こえてきて俺はそれに答える。だが俺の声を聞いた後、黙り込んでしまう一之瀬。だから


「その、急に来たのは本当に悪いって思ってるんだ。でも一之瀬と話しがしたかったから……。その、もしも家に入れたくないならここでも良いから聞いて欲しい」


そう、今日の俺の目的は一之瀬に伝えたい事があるからであって、別に家に上がらなくても良いんだ。だが、俺の言葉とは裏腹にオートロックの扉が開く。


「そんな所で話なんてしたら他の住人に迷惑が掛かるわ。だから、早く上がってきなさい」


素っ気無く冷たい声音だったが、今のそれでもいい。


俺は扉を潜りエレベーターにのる。そして一之瀬が住んでいる階へと向かう。エレベーターの中、自身の心臓の音が聞こえていた。その鼓動はとても早く脈打ち今の自分の姿を簡単に分からせてくれる。


そして一之瀬の家の扉の前まで着き、俺は再度インターフォンを押す。


「はい」


「着いたぞ一之瀬」


「分かっているわ。それで話したい事ってなに?」


インターフォン越しで話をしようとしている一之瀬。確かにこのマンションの上層階は一階につき一部屋。この階に下りてくる人は誰もいない。


ここでなら別に誰にも迷惑は掛からないと一之瀬は思ったのだろう。だから俺もそれでいい。


「なんだよ。入れてはくれないんだな」


「貴方が部屋の中に入らなくても良いといったのよ。それにアポも無しに来られたら私だって部屋に誰かを入れる準備が出来ないの。だからここで我慢して頂戴」


一之瀬の言葉を聞いて納得する。そして俺はゆっくりと話し出したんだ。


「そのさ、斉藤の依頼の時の話なんだけど。俺はあの時、どうして一之瀬が依頼を受けてくれないのか分からなかった。だからすげー感情的になっちまったし、逃げ出すように教室から出て行った」


インターフォン越しのせいで一之瀬の表情は見えない。きっと一之瀬からは俺の事が見えていると思う。だから何も言わないという事はこのまま話を続けても良いという事だ。


「だけど、俺はあの時一之瀬が言っていた事も正しいって思えたんだ。本当に牧下と神沢の沙汰に首を突っ込んでいいのかって……。友達だからなんでもしていいなんて理屈は無い。それでも俺はどうにかしたいって思ってる」


これは俺の本心だ。俺が思っていること、それを言葉に変換しなければ伝わらない。一之瀬が俺に教えてくれた事だ。


すると一之瀬が


「ここでその話を持ち出して、狙いは私にも依頼を手伝わせるって事? もしもそんな安易な考えでここに来たっていうのなら話をしても無意味よ。だから帰って頂戴」


「違う。本当なら一之瀬にも手伝ってもらいたいよ。でも、一之瀬は一之瀬なりに考えて依頼を受けないっていう選択をした。だから一之瀬がやらないって言うなら俺は止めないし、無理に誘ったりもしない」


一之瀬の思っていたことは見当違いだ。もう俺はそんなに子供じゃない。一之瀬は俺の好きな人だから、そんな無理強いはしたくない。


「なら、貴方は何をしにここに来たの?」


「だから話したいことがあるって言っただろ」


ここからが本題。


「なぁ一之瀬、きっと一之瀬が思っているよりも皆は一之瀬の事が好きだぞ。今日だって雪菜が心配してた。夏蓮ちゃんが普通すぎるんだって言ってた。ワーってなってもギャーにならないって言ってた。でもそれってもしかしたら俺のせいなのかもしれないんだよな」


本当な目の前で話したい。一之瀬の顔を見てちゃんと伝えたい。でもそんなワガママは今はどうだっていいんだ。


「俺が天才だから、一之瀬も天才だから……。きっと俺は一之瀬に期待してた。俺が自分でされたくないって思っていた事を無意識にやっちまってたんだ……。本当に最低な自己中心やろうだよ。だから俺はもう一之瀬に期待しない」


ここまで話しても一之瀬は何も答えてくれない。だから俺は続ける。


「今俺がやらなきゃいけない事は斉藤の依頼を叶える事だ。その結果や行動が俺の憧れるヒーローのそれと違ったとしても俺はやる。一之瀬がいなくても俺はやれる。ずっと一之瀬に頼りきってきたから……。一之瀬がいなくても俺は出来るって所を一之瀬に見せなきゃいけない」


期待をされる事の恐怖を俺は知っている。期待される度にそれに応えなきゃというプレッシャー。完璧でいなきゃいけないという重圧。それをずっと一之瀬は耐えてきたんだ。だから俺はもう期待しない。


一之瀬は俺の好きな人。それだけじゃない。みんなの大切な友達なんだ。そんな友達を特別扱いしてるのなんて本当に友達って言えるのかよ……。


だから皆も一之瀬を特別扱いしなかったんだ。本物の友達だから。それを一之瀬に伝えたかったんだ。そして


「もう一之瀬は皆にとって特別じゃないんだ」


言い終り静寂が俺を包み込む。俺も一之瀬も何も言わない。そんな時間が数秒続いた後


「小枝樹くんが言いたかった事ってそれなの……?」


「あぁ、そうだよ」


「そう。ならもう、帰って頂戴。貴方の気持ちは分かったわ。だから早く帰って」


おかしい。一之瀬の声が震えているように聞こえる。何か言い方を間違えたのか? 俺は伝えたい事を伝えた。それは一之瀬にとって喜ばしい事であって、なのにどうして一之瀬の声は震えてるんだよ。


「ちょっと待ってくれ一之瀬。何か勘違いして━━」


「いいから早く帰ってよっ!!」


一之瀬の怒鳴り声と同時に、インターフォンが切れる音が聞こえた。その瞬間にこの場で独りになってしまったと俺は強く感じた。それと同時に湧き上がる疑問。


もう天才少女じゃなくていいのに、俺等は一之瀬夏蓮の等身大を受け入れたいって思ってるのに……。なんで伝わらないんだよ……。


なぁ、一之瀬。言葉を使っても人の気持ちなんて伝えられねぇじゃねぇかよ……。なんだよ、なんなんだよ……。


怒りに似たとてもつまらない感情が俺を支配して、伝わらないという現状が悔しくなった。それでも今の俺はこの場から立ち去らなくてはいけない。何も出来ないまま、何も伝えられないまま……。

 

 

 

 

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