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天才少女と凡人な俺。  作者: さかな
第六部 二学期 文化祭ノ夜ニ
85/134

29 中編 (拓真)

 

 

 

 

 

 張り詰めた空気を感じた。少しばかりの緊張感とそれ以上に湧き上がる高揚感。


周囲には沢山の人が歩いているのに、その存在は無いもののように感じて、そしてまた自分達以外の他者もそんな俺達の異質さに気がついていない。


文化祭二日目という現状ではなかなかお目にかかれない状況だというのに、この現状に気がつかないなんてとても残念に思う。


今の俺の隣にはレイがいて、数メートル先には追っ手の敵さんがいる。


現在の場所はA棟二階の中央階段付近。そして中央階段の目の前に居るのが敵さんだ。俺等のクラスはA棟二階の左側。予測的に左階段を上るか下りるかし迂回して中央階段へと向かったのだろう。


今の場所からだと確認できる敵影は一人。だが人影や物影に隠れて最低でも一人は居るだろう。その予測が出来ているからこそ次の行動が読みやすい。


「おいレイ。分かってると思うけど、見えてるだけが敵の人数じゃない。既にここには数人いると仮定して行動をした方が得策だ。だからこそ、ここで俺等は散会するぞ」


俺の言葉に頷いたレイは先攻し追っ手の敵さんへと突っ込んでいく。そして


「はっきり言っておくけど、俺を捕まえられるのは拓真か杏子くらいだからな」


そう言い敵の目の前まで詰めた後、微笑を浮かべながら敵の顔を凝視し決め台詞を言うレイ。そしてレイの運動能力に反応しきれない敵さんは驚いた顔を一瞬だけ見せ、その後視線だけでレイを追うことになった。


そんな隙を見せてくれたレイの気持ちに報いるために、俺はレイの後方に自身の姿を隠しながら走る。そしてレイが直進をする選択をし、俺は刹那の時間、中央階段の前で止まる。


その行動の意味は何なのか。それは確かめておきたいという気持ちがあったからだ。敵の作戦が俺の思考したように展開されている事実を。


一瞬と待ったその瞬間に俺は周囲の状況を把握する。三階へと続く階段、一階へと続く階段、通路からは見えなかった壁の影。どこに他の敵が潜んでいるのかを確認する。


すると俺の考えどおりに一階へと続く階段方面の影に伏兵が存在していた。その配置から敵の一階には逃げられる事を避けたいという意思が見受けられる。それは三階に俺が逃げれば右、左、そして中央階段を占拠すれば俺を捕まえる事ができるという算段だ。


そんな状況を俺が把握できないとは敵も思っていない。だからこそ俺は裏をかいて三階を選ぶ。そう思っているだろう。


一階方面に敵が居るからこそ三階には敵が集中していると俺が考える事を想定してるのだ。そして俺が素直に三階を選べば一網打尽だろう。だが、ここで俺に裏をかかせる事が敵の作戦だとするのなら、敵が多く居るのは三階だ。


一階方面に敵がいる。だから三階に逃げよう。でもそれだともしかしたら三階に敵が居るかもしれない。だからリスクを犯しても一階に逃げるべきだ。


敵が考える俺の思考を言うのならこの程度だろう。


だから俺は素直に三階に行く。


「悪いな、お前等じゃ本気をだした俺を捕まえる事なんてできねーよ」


レイの真似をして捨て台詞を吐き俺は三階へと上っていった。



 そして三階。見渡す限り学校の生徒と来客者しかいない。二階はうちのクラスの喫茶店で混みあいしているが、三階はわりとまばらな人数だった。


この状況は敵の把握もしやすいと同時に敵からも見つかりやすいと言う事になる。だが、俺の読みが当たっていたのか三階には敵らしい人物は見えない。


かといって油断するほど俺は甘くない。一手目の予測くらいなら誰でも思いつく。だが敵はチームで動いているので予測した俺の行動を絞り込むしかできない。ましてや俺だけではなくレイもいる。


レイの行動を予測できない事を踏まえると、三階が手薄になっているのは致し方ない。そうなるとやっぱりレイの方に敵が集中していると言う事になる。


ここは中央階段。右に行くか左に行くか。その選択肢を間違えれば俺も逃げる事が困難になってしまうだろう。今の状況で俺が敵側ならどう考える。


まずはレイの捕縛。そこに人員を割いたとして、予測外の行動を起こした存在をどう詰めるか。まぁ俺等なら右と左の階段に一つずつ小隊を配置する。それが手一杯と言った方がいいかな。


なら俺が取る行動は一つ。このまま中央階段を下りて一階まで行く。


だがここで素直に中央階段を下るのは得策ではない。俺が考えている敵の行動が合っているかのチェックが必要だ。


そして俺は中央階段付近で息を潜めながら左右から敵が来るか否かを確認する。二階ほどではないが三階も人が普通にいる。目を凝らしながら俺は左右を確認した。


するとゆっくりだが、左右共に一人の敵影がこっちに近づいてくる事を確認できた。そんな状況を見て一瞬だけだがある疑問がよぎる。


俺が考えていたのはチーム行動をする敵だ。だが目の前で確認できている敵は単体での行動。予期せぬ出来事で混乱していると思い込んで良いのか、はたまた司令塔が機能していないか。


一之瀬が単騎で出ているとなると上手く司令塔が機能していないのかもしれない。まぁそうだとすればコッチとしては好都合だ。適当に逃げ回っているだけで時間がつぶせる。


ここまで先読みできれば後はどうとでもなるな。


俺は確信し、中央階段を下った。


そして二階。敵の本拠地と言って良いうちのクラスがある階。だが、人混みのせいなのか敵を確認する事は出来なかった。だが気にする必要性もないと感じ、俺はそのまま一階へと下っていった。


一階へと下り終わり、俺は左右を確認する。中央階段という位置を取っているからこそ下りてすぐに詰むと言う可能性は殆ど無い。だがそれは今の状況だからと言っても良いだろう。


あくまでも敵が追いかけているのは二人。そこに人員を割いてしまう事により、詰めないと言う事だ。はっきり言って、俺が一人になってしまったらすぐにでも掴まるだろう。それくらいの人数差ということだ。


だが、レイがそんな簡単に掴まるはずもない。そこまで敵を翻弄しあしらうのが俺の仕事だ。


つーか、こんな負け戦。楽しむ以外で達成感なんて何も無い。テンションに身を任せてしまった事を今更後悔している凡人な俺です。


だけど本気で逃げればまだどうにかなるよな。うん。そう信じよう。


俺は中央階段を下りきり、そのまま昇降口の方へと走り出す。素早く動きたいと思ってはいるが、いかんせん人が多い。こんな状況下で鬼ごっことはレイも本当にアホだよな。


そして俺はそのまま逃げ続け、屋台が並んでいる外、再び校舎に入って一階、二階、三階と敵の事を欺きながら行動をしていた。


その間に出会った敵は毎回の如く1人。人員を半分にしているとはいえ、エンカウントの仕方が明らかにおかしい。俺の予想はチーム行動だったのだが、もしかしてそこまで統率は取れていないのか……?


だとすればこの勝負は俺とレイの勝ちだな。


ブーッブーッブーッ


A棟三階付近を逃走している最中に俺の携帯が鳴り響いた。それはレイからの着信だ。ここまで逃げ続けて勝ちを確信しかけている最中の電話だ。このままレイにも勝ちの方向で作戦を伝えよう。


そう思っていた自分が浅はかだったとすぐさまに気がつくことになる。


「もしもしレイか? 今お前どこにいるんだ━━」


「ほう。やはり拓真もこの案件に絡んでいたか」


電話越しの声を聞いた瞬間に悪寒が奔る。その声は明らかにレイの声ではなく、それでも聞き覚えのある声。その声を聞いた時に恐怖のあまり一瞬だけ動けなくなってしまった。


だが、おかしい。まだ俺とレイが鬼ごっこを始めて数十分しか経ってない。なのに敵はもうジョーカーを切ってきたという現実。この早さでジョーカーを何故切った?


頭の中に疑問を浮かべながら俺は電話先のジョーカーへと話し始める。


「おいおい。このタイミングでアン子が出てくるのは早すぎじゃないか?」


「何を言っている。私という駒を最後の最後まで取っておく軍師はたんなるボンクラだろ。それに気がついていなかったのか?」


確かにそうだ。アン子という最強のチートを最後の最後まで取っておくのは双方共に被害が大きくなってしまう。本物の戦場ならば、初めから切るのが妥当。だけどソレは敵側の軍師のプライドが許さないはずだ。


「そこまで思考が至らなかった事は認める。だけど一之瀬なら最後の最後まで自分自身の力のみでどうにかするはずだ。だからこそこの状況を俺は予測できなかった。まぁそんな事はもうどうでもいい。アン子がレイの電話から掛けてきてるって事は、レイはもう……」


本当はもう分かっていた。この電話を取りアン子の声を聞いたその瞬間から……。


「た、拓真……。悪い、しくじっちまった……」


今にも消えてしまいそうなほど弱っているレイの声が電話越しに聞こえる。その声を聞き、俺の胸は痛みを感じた。


「でもまだお前は逃げられる……。拓真の考えは間違ってる……。俺等は初めから━━」


「悪いな。これ以上は喋られると面倒だ」


レイが何かを俺に伝えようとしている途中にアン子の声が割り込んできた。そして地面に何かが倒れるような鈍い音がソレと動じに聞こえた。


その音を聞いて俺は確信する。レイやられたのだと……。


「おいアン子。今の俺が怒っているのは分かるよな」


「あぁ。拓真はとても友達思いの素晴らしい人間だ。だからこそ怒りを感じているくらい私にだって分かる。だけどな拓真、これは確実に負ける戦を挑んだ貴様の失態だ」


そうだ。これは俺が招いた悲劇だ。こんな鬼ごっこ程度と甘く見ていた俺が悪い。中途半端に思考を凝らして作戦を練り、戦場へと赴いてしまった事が原因だ。


レイが倒れた事実を受け止める俺の手は震えている。そこにはもう恐怖は無く。ただただ我が友を失った悲しみと怒りに満ちている。


「分かってる。だから俺はもう手段を選ばない。何をしてでも逃げ切る」


そう言って俺は電話を切った。そして三階階段の踊り場へと行き外を眺める。それは俺の中にある可能性を信じたいという気持ちと、敵の行動が予想内なのかを調べるためだ。


そして窓の外、中庭の景色を眺めるそこには、こちらを睨みながら立っているアン子の姿と力なく倒れこんでいるレイの姿が見えた。


確認し、俺は自分で強く思った。必ず逃げ延びると。そして再び俺は走り出した。




 時間の経過とは人によって異なるものだと俺は思う。どうしてそんな事を思っているのかというと、逃げ続けているこの状況下で時間の流れが遅く感じているからだ。


きっとこんな楽しい文化祭の時間なんて他の奴にとってはあっという間なのだろう。だが緊張感のある戦場を駆け巡っている俺からしてみれば物凄く長いと感じてしまう。


この遊びを始めてからどのくらいの時間が経っただろう。そんな思考を浮かべ何度も時計を見たが、一時間も経っていないのが現状だ。


そしてさっきから逃げ回ってはいるがいっこうに敵が詰めてくる気配が無い。敵の人数が多いのは知っている。だが、それでも襲ってくる人数が少なすぎる。


というか、襲うまでに至っていない。俺が敵を発見しては逃げて、発見しては逃げての繰り返しだ。いったい敵は俺に何をしようとしているんだ。


レイの言いかけた事を考えると敵の統率が取れていないとも思えない。なのにも仕掛けてこない。


ここまでの人数差を利用すれば単騎の俺を確保する事なんて容易い事だというのに。どうして全員で俺を各個攻撃しないんだ。


疑問が疑問を作りながらも俺は敵がいない方へと逃げ続けていた。


だが、ゆっくりと敵の人数が増えていっている事に気がつく。それでも俺の方が発見が早い為、完全なるエンカウントにはなっていない。そして敵の姿を確認して逃げ道を決める。


左右前方に道が広がっていて左に敵影を確認できれば2つの道のどちらかを選ぶ。逆に選択できる道が一つしかないのだとすれば自ずと俺はその道を選ぶ。


そしてA棟からB棟に行くための渡り廊下に着いた時に気がついた。


自分が誘導されていたのだと。


だがここまで来てしまったからにはこの誘いにのるしかない。俺はそのままB棟へと足を入れる。


今のB棟はとても静かだ。文化祭が行われているというのもあるからなのか、誰の気配も感じない。いつもよりも色々な物が散乱しているが、足の踏み場も無いという事ではないので普通に歩き始める。


何も迷わずに階段を上っていく。きっとこのゲームでの決着の地はB棟三階右端の教室だろう。きっとそこに一之瀬がいる。


俺は一段一段と階段を上りながら今回の件の事を振り返る。


どうして俺が考えていた通りにならなかったのか。まぁそれは一之瀬が俺よりも一枚上手だったと言う事で片付いてしまうのだけでど。


だけど、攻めのタイミングもジョーカーの切るタイミングもまるで俺の考えを分かっているかのようなやり口だった。一之瀬の事だから正統派な戦略でくると思った俺のミスだな。


ならどうやって一之瀬は今回の作戦をたてたんだ? まぁ今から一之瀬に会うんだしそこで聞けばいいだろう。


自問自答を終えると同時に俺は三階への最後の階段を上った。そして右奥の方へと視線を向けたとき、今回の件での疑問が全て解消された。


「そう言うことかよ」


少し苦笑しながら俺は呟いた。その声は静寂なB棟の廊下で響き、右端の教室前にいる彼女にも聞こえたみたいだ。


どうして聞こえたのかと思えたのか。それは彼女が勝ち誇った笑みを浮かべたからだ。


そして俺はゆっくりと歩き出す。右端までの距離はそこまででもない。だからこそすぐさま彼女の目の前にまで着いてしまう。そして彼女は口を開いた。


「はっはっはっはー。どう拓真、参った?」


「参ったも何も、雪菜の存在をただの駒に数えていた俺の負けに決まってんだろ」


雪菜の登場は俺の思考の斜め上の状況で、だけどたったこれだけの事実が全ての点を線で結んでくれる。


「それにここに来たのは俺の意思だが、その状況になる為には何らかの事をしているわけだ。後言っても意味ないと思うけど、ここに俺が足を踏み入れた瞬間に俺は包囲されてんだろ?」


俺はそう言うと全てを諦めて床に座り壁に背を預ける。


「そう言う事だよ拓真。でもまぁあたし一人だったらきっと拓真とレイちゃんを捕まえられなかったかもしれない。やっぱり夏蓮ちゃんは天才だよ」


そう言う雪菜の笑顔を見て、俺は全てを語るように要求した。そしてその現実は本当に俺が考えられなかった事だった。


まず初めに逃げた俺等を追う為の作戦を立てようとした一之瀬はすぐに雪菜を頼ったみたいだ。子供の頃から一緒にいる事を考慮し俺とレイの思考の分析を雪菜に頼った形になる。


すなわち、俺の思考は一手目から完全に間違えているという事になったんだ。


そして雪菜からの情報を使って今回の作戦を作り上げた一之瀬。その作戦は俺の考えていた作戦の全て真逆だと言う事。


まずは、一之瀬は単騎で戦場に赴くという俺の思考とは逆に一之瀬は指揮だけに専念する為に教室に残る。そしてチームで来ると俺が思考しているからチームは作らず、個人での行動をさせる。


俺がずっと引っかかっていたのはそこだった。個人での出現が多い、だがチームを組んでないようにも見えない。だからこそ混雑している状況で上手く動けてない、もしくは指揮系統が麻痺していると俺を錯覚させた。


結局は一之瀬は細かい指示を全ての生徒に連絡しているからこそのバラつきだったのだ。一人一人にここに行くようにという指示を出しているだけで、誰かと合流しろという命令は出していなかったんだ。だから俺の目には統率が取れていないという錯覚をうえつける結果になったわけだ。


そしてジョーカーの切るタイミング。


アン子の投入はとても早い段階で行われた。まぁ普通に考えればさっさと終わらせたいという思考になった瞬間にアン子というジョーカーを投入してもおかしい話ではない。


なら何故、俺はそこに対して疑問を抱いているのか。それは、一之瀬は裏技を使ってまで最速クリアを目指してはいない。寧ろとことんレベルを上げてラスボスをワンキルするくらいのやり方を取るだろう。


その考えがアン子の投入のさいに動揺してしまった事柄だ。


そしてアン子の投入は早い、だが一向にアン子は俺の目の前に現れない。ストレスが溜まる状況。否が応でも沢山の思考を巡らせながら逃げなきゃいけないという状況を一之瀬は故意的に作り出したんだ。


だからこそA棟からB棟への渡り廊下に辿り着く前まで俺は自分が誘導されている事に気がつかなかった。敵の思考を読む事に必死になってしまった事が、逃げ切るという目標を失わせたのだ。


そしてB棟三階右端の教室の前にいるのが一之瀬ではなく雪菜。もう完全に術中にはまり、愚かに逃げていた姿を見せつけ、挙句の果てには最後の答えすら間違わせる。その一之瀬の策士的手腕。あっぱれとしか言いようが無い。


本当に雪菜の意見を採用して俺の裏をかき続けたのが今回の結果なのだ。


まぁ説明はこのくらいにして現実に戻りましょう。


「それで、俺とレイはこれからどうなるんだ?」


素朴な疑問だった。というか戦争を起こし、捕虜となった人間の先は奴隷になるしかない。それすなわち、この後何を言われても俺とレイに拒否権はないと言う事だ。


俺は無傷でここにいるが、レイはアン子に半殺しにされていたな。本当にレイが不憫でしょうがない。


「本当に拓真は何でも分かっちゃうんだね。そう、これから拓真とレイちゃんにやってもらう事は━━」


雪菜の言葉を聞いて呆然としてしまった。それは俺が考えていた以上に羞恥を晒す事柄で、それを考えた奴等がただの鬼畜にしか思えないと思ってしまった。


そして俺は雪菜の顔を見ながら引き攣った笑みを見せるのであった。





 今の俺は雪菜に連行され空き教室に来ています。そこには既に連行されたと見られるレイの姿もあり、そして神沢の姿もあった。


鏡を見ながら自分の髪の毛を整える神沢の姿はクラスのイケメン喫茶で仕事をしている時の服装ではなく、どこぞの演劇集団の王子様みたいな格好になっている。だが翼は生えていないのであしからず。


そしてレイに至ってはいまだに意識を失っているままだった。まぁこのまま意識を戻さない方がレイにとっては都合が良いのかも知れない。俺等に課せられた事柄をレイが聞いたら絶対に拒否するからだ。


まぁ俺はこれ以上自分を傷つけない為に仕方なく従うしかないという思考になっているので少しは冷静になっている。


それでも目にとまってしまう俺が着なきゃいけない衣装。それはとても高級そうなスーツ決して特別なものじゃないのは分かる。だけどこんなものどこで仕入れてきたんだと疑問に思う。


あー、そうか。一之瀬さんがいましたね。あいつならこんなもの簡単に持ってきますよ。きっと神沢が着ている服だってそうだ。


これだから金持ちは困るんですよ。たかが学生の文化祭なのに出しゃばり過ぎなんですよ。


と、言ってやりたいが今の俺は捕虜であり奴隷だ。そんな事を言える立場ではなく、自分の気持ちを飲み込み胸に秘める選択をしてしまう弱い存在です。


そして自分の姿を鏡で見ながら深く溜め息をついた。その時


ガラガラッ


教師の扉が開き俺のその方へと自身の視線を動かした。


「大きな溜め息を付いているみたいだけれど何か不服でもあるの、小枝樹くん」


一之瀬さんの登場です。


だが俺の目に入った一之瀬の姿は制服姿ではなく、とても綺麗なドレスを身に纏っている。そしてそのドレスはどこかで見覚えのある青いドレスだった。


そう、今年の夏、一之瀬の誕生日パーティーで着ていたドレス。それを着た一之瀬の姿を見た時、少し心が痛むのを感じた。だがそれ以上にあの時よりも一之瀬が綺麗だと思ってしまっていたのだ。


そして俺は言葉を失っていた。


「おーい拓真ー。大丈夫かー? そんなにあたし達が綺麗だった?」


一之瀬の横から出てくる雪菜の姿を見て少しだけ落ちついたような気がした。だけどそんな雪菜も綺麗なドレスを着ている。


淡いピンク色のパーティードレス。色自体が華やかだがドレスの作り自体は落ちついていて無邪気さと大人と魅力を同時に引き出してくれているドレスだった。


そんなドレスに負けないように美しく化粧をしている。高校生らしく濃すぎず薄すぎず。きっと一之瀬が連れてきたプロにでもやってもらったのだろう。


幼い頃から知っている雪菜がここまで大人になってしまった事実を目の当たりにして、動揺をするかと思いきや雪菜の成長を素直に喜んでいる俺がいた。それはもう我が子が結婚してしまう時のような父親の気持ちだ。


だが、これだけで終わるほど人生というものは甘くない。一之瀬、雪菜の後ろに隠れているマイエンジェルを見た瞬間に俺の思考は完全に停止してしまった。


真っ白な純白のドレス。それは無垢な存在が着てこその価値を見出すだろう。特別な仕様をなく、ただただ純白なそのドレスは着ている本人を更に純潔な者へと昇華しているようだった。


翼は無い。だが俺の主観的な思考を抜きにしても天使だと思えてしまったんだ。


「ほら優姫ちゃん。隠れてないで見せてあげなよ」


「で、で、でも……。は、恥ずかしいよ」


雪菜が手を引き、舞い降りた天使が目の前に現れる。その天使は純潔さを失わない為に薄っすらとだけ化粧を施し、自身の美しさを壊す事無く顕現していた。


「どうしたんだよ牧下。恥ずかしがるような事じゃないぞ? 普通に綺麗だって思ったよ」


「あ、あ、ありがと……」


恥ずかしそうにモジモジとしている牧下。んー、可愛い。


そんな邪な事を考えている場合じゃない。俺は今回の経緯を一之瀬へと問う。


「それで、俺達をミスターコンテストに出場させるから自分達もミスコンに出ますよってアピールしたかったのか?」


「それは違うわ小枝樹くん。初めから貴方の知らない水面下で事は運んでいたの。それをどう説得しようかと迷っていた最中、貴方と城鐘くんが逃亡してくれたわ。その時思ったの。これで心置きなく彼等をミスターコンテストに出せるってね」


あーあー。レイの遊びに付き合った時点でこの結果は逃れられなかったってことなんですね。本当に俺の選択って間違えまくりですね。


「だけどお前等が出る事はないだろ。特に一之瀬は去年のミスコン優勝者だぞ? 雪菜と牧下が出る意味が分からん」


そうだ。一之瀬は去年のミスコン優勝者。ついでに神沢もミスターコンテスト優勝者ね。


だからこそ雪菜と牧下が出場する意味がない。勝てない勝負に挑んでいるだけだ。そう思う俺に雪菜が


「あたしはただ面白そうだから出るだけだよ。初めから夏蓮ちゃんに勝てるなんて思ってないよ。だから楓ちゃんは出ないんだしね」


確かに佐々路がいない。あいつだって出れば少しくらい票をもらえるのに。まぁフッた俺が言う事でもないか。


「雪菜の言い分は分かった。なら牧下は何でなんだ?」


俺の言葉を聞いた牧下は一瞬だけ間をおいた。そして


「わ、私は……。も、もっと自分を変えたいって思ったから……。ゆ、優勝なんて出来ないけど、そ、それでも、も、もっと自信を持ちたいから……」


そうだよな。内気な性格の牧下がミスコンに出たいなんて思ったんだ。それは生半可な覚悟で出来るものじゃない。だからこそ俺は


「優勝できないなんて決め付けんな。今の牧下は本当に綺麗だぞ。だから今から自信もっていこうぜ」


そう言い笑ってみせた。すると牧下だけではなく雪菜も一之瀬も微笑んで


「本当に小枝樹くんはたまに言い事を言うからダメなのよ。もっとその言葉を沢山の人に言えたならミスターコンテストで優勝できたかもしれないわね」


「ははは、夏蓮ちゃん手厳しいなー。でも拓真だってその捻くれた性格が無ければきっともてるんだよ? と夏蓮ちゃんは言いたいのです」


「ちょ、ちょっと雪菜さんっ!?」


他愛も無い会話ではしゃぐ二人。そして牧下の決意。何かが起こってしまうというフラグ臭はプンプンするのは俺だけですかね。


まぁ何はともあれ、俺等はこれから始める文化祭の一大イベントのミスコンとミスターコンテストへと赴くのだった。


って今思ったけど、俺にとってこれって罰ゲームだったよね……。





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