表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天才少女と凡人な俺。  作者: さかな
第六部 二学期 文化祭ノ夜ニ
83/134

28 後編 (拓真)

 

 

 

 

 

 

 文化祭という楽しい時間のせいなのか時間の過ぎる感覚がとても早く感じた。


気がついてみればもう少しで一日目の文化祭が終わる時間に近づいている。そして俺は思った。


どうして俺は朝からずっと見回りをしている。休憩時間なんてありませんでしたよ。朝から変な男達の迷惑行為を注意しまくりましたよ。


もう今日はこのまま見回りで終わってくれて構いませんから問題事が起こらないようにしてください神様。


ブーッブーッブーッ


そんな事を考えていたとき俺の携帯が鳴った。そして俺は自分の携帯をポケットから取り出しディスプレイを見た。


一之瀬 夏蓮 着信。


何だか朝の時と同じだな。どうしたんだ。あーもしかしたらクラスの方の仕事が一段落着いたとかそんな内用なのかな。


そんな事を考えながら俺は電話に出た。


「はい、もしもし。どうした一之瀬」


「何も聞かずに早くクラスに来て頂戴っ! 大変な事になってるのよっ!」


大変な事? その言葉を聞いた瞬間に脳裏に浮かんだのが二人組みの男達だった。もしも俺の予感が当たってるとしたら……。


「わかったっ! 今すぐ行くっ!!」


本当にもう、どうして今日という一日は最後の最後まで慌しいんだよ。校舎外にいた俺は走り出し、A棟へと入った。そして自分のクラスへと向かう為に階段を上る。


終わりかけているとはいえ、まだ文化祭中だ。ピークに比べて人は少なくなってはいるが、それでも走りづらい。だけど良い子は廊下を走らないでね。


というか、俺の凡人高校生ライフはどこにいった。天才だとバレた時点でもう取り返しがつかないのは分かっているが、それでももう少しくらい穏やかでも良いだろう。


そうこうしているうちに俺はクラスへとたどり着き扉をあけた。そこには


「貴様達は朝の件でも懲りていなかったようだな。一日に二度も私に喧嘩を売るとは万死に値する」


「がっ……」


想像通りの嫌な光景でした。


桃色の髪の毛を靡かせながら机の上に立ち、自分の身長を遥かに超えている男性を片手で持ち上げている幼女に見える化け物。


辺りは騒然としていてその幼女の姿から目を離せなくなってしまっていた。だが俺はそうも言ってられない。勇気を振り絞り声を上げた。最後に勝つのは勇気ある者だ。


「何やってるんですか春桜さんっ!!」


「おう拓真じゃないか。遅かったな」


「遅かったじゃないですよっ!! 今日一日をかけて俺が大事にしないように頑張ってきたのに、アンタは最後に何をやらかしてくれるんですかっ!?」


自分でも驚いてしまうくらいのボディーランゲージ。もはや言葉を発してしまっている為意味は違うが、もう物凄く身体を動かしている事を分かってもらいたい。


「というか、もうその人ほとんど意識ないですからっ! つーかどうして片手で持ち上げられるんだよアンタはっ!!」


はっきり言おう。もう完全にテンパってます。何をどうすれば事なきを得るのかと、俺の脳みそが全力で答えを探してくれています。だけど答えなんか見つかりませんよね。


その時だった。


「いい加減にしろよっ! これは完全に暴力沙汰だからな。警察にも学校にも言うからなっ!」


春桜さんに持ち上げられている男の連れのもう一人の男が声を荒げた。その言葉を聞いた俺は、何を叫んでも意味がないものだと理解している。だって相手が一之瀬財閥なんだもの。


そんな男の言葉を聞いた春桜さんは、持ち上げている男をおろす素振りも見せずに声の主を睨みながら


「安心しろ。次にこうなるのは貴様だ」


もはやただの強者だった。ここにいる全ての存在が春桜さんの声音のせいで体が動かなくなっている。恐怖という単純な思考は、人々の身体を萎縮させてしまうくらいの威力をもっているのだ。


だが、その恐怖に耐え切れる者はほとんどいなく、恐怖を向けられてしまった者は脱兎の如く逃げる事しか出来ないのであった。


そして春桜さんに睨まれた男は逃げ出した。


「おい待て。忘れ物だぞ」


そう言った春桜さんは手に持っていた人間を男へと投げつける。人を投げられて持ちこたえる事の出来ない男はその場で倒れた。だが恐怖が勝っていたのか、すぐさま立ち上がり相方の男を担ぎながら足早にこの場から立ち去っていった。


そして訪れる静寂。って訳にはいきませんよね。


「何度も言いますが、いったいアンタは何をやってるんですか春桜さんっ!!」


俺の言葉を聞いた春桜さんは悪びれる様子もなく事の経緯を話し始めた。そして全ての話を聞いた俺は少しだけ項垂れた。


だって春桜さんが大暴れしたの理由が、菊冬をナンパした男達が許せなかったからだと言う。


俺と別れた春桜さんはゆっくり文化祭を回りながらうちのクラスへと辿りついたらしい。そんな春桜さんの目に一番に入ったのがさっきの男達が菊冬をナンパしていた光景だった。


その姿を見ても「菊冬ももう少し男性に慣れなくてわな」という気持ちが先に出てきたのだが、あまりにも嫌がっている菊冬に対して男達の執拗なまでの行動。そして春桜さんの怒りを爆発させたのは、いやらしく菊冬に触れている時の男の笑みだったらしい。


そして惨劇が繰り広げられた。


その様子を見ている一之瀬が大変だと思い俺に連絡をしてきたらしい。というか、自分の姉なんだから止めてくださいよ一之瀬さん……。


全ての概要を聞いた俺は落胆した。だって言っちゃ悪いけど本当にくだらない理由で大暴れしていたから。つかこの後の学校への対応どうしよう……。もう何も考えたくないですよ……。


「そういう訳だから。悪い事したな拓真」


何をあっけらかんとこの年上幼女は言っているんですかね。つかマジで警察沙汰にはならないよね。大丈夫だよね。


「それと今回の件は全面的に私が悪い。ひと時の感情で暴力を振るい、挙句の果てには一人瀕死にまでしてしまった。警察とか学校とかほざいておったが、その件は私が全て対処しておこう」


「対処しておこうって言っても、どうするんですか」


単純に疑問に思った。さっきまでこの人がどんな人間なのかを理解していたのに。


「何を言う。あまり一之瀬財閥をなめるなよ? 学校なんて金を渡せば言い、警察だって少し手引きをすれば有耶無耶にしてくれる。そうであろう城鐘の」


そう言いながら春桜さんはレイの方へと視線を動かした。


するとめんどくさそうな表情で頭を掻くレイが


「いやいや。俺は殆どもう城鐘の子供じゃないですよ。だから結果を残す為に頑張ってるんでしょ。でもまぁ一之瀬財閥からの申し出なら断らないかもしれないですね。だけど内容がくだらなすぎる……」


嘆息し言うレイ。だがきっと大丈夫と言わんばかりのその言葉。とても心強いと思いたいが普通に怖い。なんだか、社会の闇を見てしまったような気がした。


だけどそれは俺のせいじゃない。勝手に怒って勝手に暴れた春桜さんが悪い。なのでこれ以上この話しを言及するのはよしておこう。


そして俺はクラスの中を見渡しながら


「というか菊冬は大丈夫だったんですか?」


「あぁ。菊冬なら大丈夫だ。だが、箱入り娘に育ててしまったせいか今はあそこにいる」


指を差した春桜さんの方へと目を向ける。だがそこにはいたって普通のカーテンがあった。窓を開放させる為に端の方で束ねられているカーテン。だがよく見るとそのカーテンは


「男性が怖い……。というか怒った春桜姉さまはもっと怖い……。もう嫌だよ……。どうして私がこんな目に……」


震えていた。


そんなカーテンを見て俺は確信する。確かにあそこには菊冬がいる。そんなカーテン様が震えているということは


「大丈夫か菊冬?」


「た、拓真……?」


カーテンを開いた俺の前に現れる金髪ツインテールの女の子。少しだけ涙ぐんでいて不安そうな顔で俺の事を見つめてきた。そんな光景も一瞬ですぐに俺に抱きつく菊冬。


そんな菊冬を受け止める俺。菊冬の見た目は確かに大人びている。俺よりも少しだけ小さい身長。だけど春桜さんみたいな幼稚な体躯じゃないし、モデルのような一之瀬よりも色々立派だ。これがまだ中学三年生というのが驚きだ。


うちのルリも中三なのに色々発達しているが、菊冬に至ってはもはや完成しきっているように感じる。


いや、決していやらしい目で見ているわけじゃないですよ? 菊冬の兄のような存在として成長を喜んでいるだけなんですよ?


だが、そんな脳内での言い訳なんて悪魔大元帥とただの化け物の前では無意味な抵抗だった。


「おい拓真。貴様は何度、私の可愛い妹を脳内で陵辱すれば気がすむのだ」


「姉さんが言ってる事は尤もね。貴方は自分の才能を利用して菊冬を貶めようとしていたのね」


おかしいな。一之瀬姉妹おかしいな。長女と次女がおかしいな。末っ子がこんなにも可愛らしいのに、どうして貴女達はそこまで邪悪な闘気を纏えるのでしょうかね。


「待ってください春桜さんっ!! それに一之瀬も冷静になれっ!! これは俺がしでかしたことじゃないっ!! もはや事故だっ!! 俺に悪い部分があったのかもしれないけど100パーセントではないっ!!」


何度も繰り返してきた無力な人間の抵抗。それでも俺は信じたい。この二人が正しい心を持っているものだと。


「姉さん。私は腕をもっていきたいのだけれど」


「大丈夫だ夏蓮。私は頭部があればそれでいい」


おかしいよね。この二人の会話とてもおかしいよねっ!! 完全に人が言って良い台詞じゃなかったよね。


そしてその瞳を真っ赤に染め上げた二人がゆっくりと俺の傍へと近づいてくる。


「ま、待て……。い、いや待ってください……。嫌だ、まだ死にたくない……。お願いだ、助けてくれ……。お願いだから……」


後ずさりながら命乞いをする俺。普通に怖いって思ってしまった。本当にこのまま死んでしまうんじゃないかって思った。だからこその命乞い。


だが、そんな渇ききってしまった叫びは届かず、俺は


「あ、あぁぁぁあぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁぁっ!!!!」


断末魔を残しその命の灯火を消したのであった。




 放課後。


一日目の文化祭が終り実行委員が集まった会議。その中で今日の出来事で俺が起こしてしまった事実を問いただす者はいなかった。


そんな現実を受けた俺は本当に春桜さんがどうにかしてくれたのだと感謝している。


会議は今日一日の事を話して終了。文化祭二日目で最終日の明日を悔いの無い様に過ごそうと皆で決起し解散となった。


明日も朝が早いせいなのか、皆足早に岐路につく。そして残されたのは俺と一之瀬だった。


「はぁ……。本当に今日は疲れたよ。つか、どんだけ本気で俺を殺しにかかってるんですか一之瀬さん」


「あれは小枝樹くんが菊冬を誑かそうとしていたのが悪いわ。だけど力の加減が出来なかった私にも落度があるわね……。その、ごめんなさい……」


素直に謝ってくる一之瀬の姿を見て怒りもどこかに飛んでいってしまった。本当にもう少し怒って一之瀬をいじってやろうと思っていたのに。こんなにもしおらしく謝られたら何も言い返せないのが男の性なのかもしれない。


「そんな真面目に謝るなよ。こっちの調子が狂うだろ」


そう言い俺は一之瀬へと苦笑いで応える。すると一之瀬はそんな俺の表情や言葉の意味を理解してくれたみたいで


「わかったわ。なら今度からも容赦なく貴方の腕を持っていくわね」


笑みを浮かべながら言う一之瀬。そんな一之瀬の言葉に恐怖を感じた反面、その優しい微笑みに癒されている俺がいた。


二人で過ごす放課後の空気。こんな感覚になるのは久しぶりに思えた。ゆっくりゆっくりとその時間を噛み締めるように歩みを進め、気がついた時には昇降口まで着いてしまっていた。


ほんの数十分前まで賑やかな世界だって場所が今はとても静かで、色鮮やかな装飾が相反し空間の静けさを強めているような気がした。そして俺は思った。


もう少し、もう少しだけ一之瀬といたい。


自分の中で芽生える感情を理解できず戸惑ってしまう。どうしてだろう。何でだろう。そんな解決もしないつまらない言葉だけが自分の頭の中を駆け巡る。


「あのさ、一之瀬」


「ねぇ、小枝樹くん」


同時だった。二人で顔を見合わせながら、少しだけ寂しさを滲ませながら、その瞳と声が重なったんだ。そして刹那の時間が過ぎて俺らは少しだけ微笑んだ。


なんでだろうな。どうしてなのか今の俺らの気持ちが一緒なのだと確信していた。そして再び校舎を歩き出す。


その方角は一之瀬も俺も指示するわけでもなく、あの場所に行きたいという思いだけが俺らを導いたんだ。


コツコツと響く足音。こんなにも学校内が静かだと感じたのはいつ以来の事だろう。きっとそんなに時間は経っていないのに、とても長く感じてしまったのは俺の心がいっぱいいっぱいだったからだ。


精一杯にその瞬間を生きていて、間違って苦しんで、後悔をしたくなくて頑張って、何度も何度も失敗した。


それはきっと俺だけじゃない。一之瀬だって他の奴等だって同じだ。だからこそ、俺らはあの場所に行きたいって思ってしまうんだ。


その場所に着くまでの間、俺と一之瀬は無言だった。きっとそれでも大丈夫だと思っていたのだろう。そんな無言の世界が心地よくて、急ぐ気持ちすら無くなっていた。


一歩一歩ゆっくりと、だけど確実にその歩みを進める。そして俺らはB棟三階右端の教室まで辿り着いた。


俺よりも先に扉の前に立つ一之瀬。そんな一之瀬の姿を見た俺は自分のポケットに手を突っ込んだ。そして


「ほらよ、一之瀬」


ポケットから出したソレを俺は一之瀬へと投げる。弧を描きながら飛んでいくソレは外から射し込んでくる夕日の光で輝いて、銀色の姿を露にしていた。


「ちょっ、えっ、なにっ!?」


自分の身体へと向かって飛んでくるソレを一之瀬は持ち前の運動神経でキャッチする。きっと宙を舞っていたソレを一之瀬は見えていただろう。だが腑に落ちないのか一之瀬は


「ちょっと小枝樹くん。物をいきなり人に投げるのは良くない事よ。それにどうして今更……」


「すまんすまん。確かにいきなり投げたのは悪かった謝るよ。でも俺は一之瀬に持っていて欲しいって思ったんだよ。やっぱりさ、B棟三階右端のこの教室の鍵は一之瀬に持っていてもらいたい」


俺の言葉を聞いた一之瀬は何も言わずに自分の手の中に納まっている鍵を見つめた。そして一瞬、何かを考えるような表情を浮かべたがすぐさまその顔は笑顔になり


「今私に返したら二度と返ってこないかもしれないわよ。それでも小枝樹くんはここの鍵を私に託す?」


「託すよ。つか、俺にとってこの教室はもう俺だけの場所じゃないんだよ。一之瀬が開けて一之瀬のいるこの場所に俺は来たいんだ」


素直に思えた。ずっと独りだった俺が今じゃ独りじゃない。そして一学期の時に現れた少女のいるこの教室を俺は好きになってしまったんだ。だからこの場所の鍵はその少女に持っていて欲しい。


「だからさ、さっさと開けてくんないかな一之瀬さん。早くゆっくりしたいんだよ」


「もう……。本当に小枝樹くんったら……」


嫌々俺に返答しながらも、一之瀬はどこか楽しそうで、なにか特別な宝物の箱を開けるかのようにB棟三階右端の今は誰も……、今は俺等の教室の鍵を一之瀬が開けたんだ。





 久しぶりというわけでもないのに、凄くこの場所が新鮮に感じた。


いつものような埃っぽさ、いつものような夕日の光、いつものような狭さに、いつものような穏やかさ。


なにもかもが当たり前なのに、それを新鮮だと感じてしまっている俺はもうおじいちゃんなのかもしれない。だけどここ最近の忙しさというものを感じたとき、この場所の当たり前さが俺の心をしっかりと癒してくれる。


それはきっと俺だけじゃない。。一之瀬だってそうなんだ。


廊下に出るための扉から一番離れた窓際の場所。そこはこの教室に初めて来た時からの俺の特等席だった。だけど今は違う。その場所は一之瀬の場所で、そこに一之瀬がいないと落ちつかないという感覚になってしまう俺は既に病気なのかもしれない。


だけど病気だと言われても一向に構わない。窓際から離れた扉近くの椅子に座って一之瀬の後姿を眺めているだけで今の俺は癒されるのだから。


そんな俺らは何かを話すわけでもなく、ただただ自分の時間を過ごしていた。こんなにも狭い空間でこんなにも近くに居るのに、どうしてなのか特別何かをしなくてもいいという思いになってしまうんだ。


窓を開けていつものように外の景色を見ている一之瀬。椅子に座って物思いに耽る俺。


本当ならばここにはもっとうるさい奴等が何人もいて、騒がしくて賑やかで、とても楽しい空間だ。だけど今はとても静かな空間。だけどそんな静かな空間が俺は嫌いじゃない。


祭りの熱気の残り香、明日の騒々しさを漂わせる空気。それを感じて思えたんだ。


今の俺は本当に幸せなのだと。


だからこそ俺は、これ以上を求めない。このままでいい。このままがいい。このままずっとこんな穏やかな時間が流れていて欲しい。


「ねぇ小枝樹くん」


窓の外の景色を見ていた一之瀬が振り返り話し掛けて来る。そんな一之瀬は珍しくその場の床に座り込んだ。


「今、小枝樹くんは何を考えていたの?」


「なにを考えていたか。んー、そうだな。抽象的に言えば楽しい事、明確に言うのなら床に座る一之瀬が珍しいだ」


そう言い微笑むと


「もう、からかわないで。私だって床にくらい座るわよ。それともなに、一之瀬財閥の次期当主は床にも座ってはいけないの?」


冗談交じりにむくれる一之瀬。膨らませているのかいないのか分からないくらい少しだけ頬を膨らませている。そんな一之瀬を見て癒されていると俺は実感した。


「別にいんじゃない? 天才だろうが凡人だろうが床に座りたいなら座ればいいんだよ」


そう言いながら俺は立ち上がり、一之瀬の横にまで行って座った。


その瞬間に感じる一之瀬の体温。触れているわけでもないのに、隣にいるだけで一之瀬の熱を感じた。肩が触れるか触れないかの微妙な距離。横を向けば天才少女の綺麗な顔が近くにあるのかもしれない。


普通の男子ならもっと沢山いやらしい事を考えるかもしれない。だけど俺は違う。いや、違うというのはおかしいかもしれない。なんだろう、一之瀬の横に座って隣にいる一之瀬の体温を感じたとき、心臓が大きく脈打ったんだ。


素直に思う。緊張しているのだと。だけど俺はもっと一之瀬の傍に居たはずだ。神沢ストーカー事件の時は狭い通路に挟まって、二回目の一之瀬宅訪問時には色々と見えてしまったというかなんというか……。


そんな状況よりも今の現状は軽いものだと誰もが理解できるだろう。なのにどうして俺はこんなにも緊張しているんだ? 早く脈打つ自分の心臓の音が聞こえてはいないのかと心配しになってしまう。


「小枝樹くんは今日、楽しかった?」


沢山の事を考えているなか、不意に一之瀬の質問が飛んでくる。そして思う。純粋な一之瀬とおバカな自分に。


「あぁ、楽しかったよ。だけどまぁ、殆ど実行委員の仕事だけだったけどな。だからすげー疲れてます」


そう返答し、俺は少しばかり苦笑した。そして


「それで、一之瀬はどうだったんだよ。楽しかったのか?」


「えぇ、とても楽しかったわ。こんなにも楽しいと思ってのは何年振りかしら。普段からこの教室で皆と居れるだけで楽しいと思って、それだけで良いとも思っていたのに。楽しいと思える気持ちや場所というのは案外当たり前のように過ごしている空間にあるのかもしれないわね」


当たり前の空間に、か。確かにそうかもしれない。俺にとってこの場所は当たり前で、家だって、公園だって、それこそ学校だって通学路だって。そんな当たり前の場所に確かにあって、ずっと傍にいてくれている気持ちなんだ。


少し微笑む一之瀬。そんな一之瀬の言葉に色々と気がつかされてきた。今だって、俺だったら考えもしないような答えを言っている。だからそんな空間を当たり前にしないで、俺は感じ続けていきたいと心から思う。


だけどこの場所を当たり前だと思っているのはいけない事なのかもしれない。この場所はけっして自然な場所ではなく不自然が作り出した産物だ。学校という空間から少しだけ離れた別のなにか。


逃避をして考えるのをやめて、疲れてしまった心を癒すために使っているこの場所は、俺等のエゴで作り出された楽園だ。


そして思ってしまった。ずっとここには居られないと。いずれ俺らもこの学校を卒業して、別々の道を歩みだす。だからこそ、この場所に依存してはいけないんだ。


そう思って少し寂しくなった。


「どうしたの、小枝樹くん?」


俺の顔を見て言う一之瀬。きっと今の俺は、考えている事が顔に出てしまっているんだ。だから一之瀬に余計な心配をさせる。だから俺は微笑んだ。


「なんでもないよ。ただ、未来を考えてた」


「未来?」


「そう。俺等の未来だ。だけどそれって凄く遠いもののような気がして、今の俺にはまだまだ考えられなくて。だからこそ今の俺が考えなきゃいけないのは目先の文化祭成功と一之瀬との、契約、だ」


久しぶりに聞く、契約、という言葉。自分でもどうしてそんな事を言ってしまったのか分からない。だけど、文化祭を成功させるという事柄はきっと繋がっているんだ。


契約、なんていう仰々しいものじゃないけど、俺は一之瀬と約束した。絶対に一緒に卒業するって。だから今は沢山の思い出を作っていこうって。


「だからさ、文化祭を一之瀬が楽しめてて良かったって思ってるんだよ。また新しい思い出ができた。これから先もまだまだ沢山思い出を作ろうな。そして絶対に一緒に卒業するんだ」


天井を見上げながら俺は言った。きっと今の一之瀬を見たら何かが変わってしまうような気がして。そして一之瀬は答える。


「そうね。その願いが叶うって私も信じているわ」


その言葉を聞いて俺は再び微笑んだ。天井は射し込んでくる夕日に染められて、開いている窓からは秋の気持ちの良い風が吹いてくる。少しだけ肌寒くさせる風が、俺と一之瀬の距離を更に縮めたような気がした。


コツンッ


不意に俺の肩に何かが当たったような感覚がした。それが何なのか、考えなくても分かります。一之瀬さんの頭が俺の肩に乗っかってきたんですよね。


えっ、なに? いったい何なんですか? これは何を意味してるんだ? 待て待て、落ちつくんだ俺。冷静に考えて現状を把握するんだ。


今の俺らは二人きり、そして数秒前まで大切な話をしていた。そしてその話しが終わって一之瀬が俺の肩に頭を乗せる。ということは……。


自分の心臓が更に早くなるのを感じた。だって一之瀬が変な行動をするんですもの。今の俺は完全にテンパッてる。もう何も考えられなくなっている。答えを出さなきゃいけないのに、それ以上に自分の肩へと感覚が集中してしまってる。


そんなテンパッてる俺は


「ま、まぁあれだよな。そ、その、明日も良い天気になれば良いよな」


いったい俺は何を言っているんですかああああああああああっ!! テンパッた挙句、天気の話って馬鹿なんですかあああああああああっ!!


ダメだ。完全にダメになってる。もうこうなったら行動の真意を聞いたほうが早い。覚悟を決めるんだ俺っ!!


そして俺は一之瀬の方へと顔を向けながら


「おい、一之瀬。どうしていきなり俺に寄り添ってくるんだ……」


そう言って、俺は一之瀬を見る。すると


「すー、すー」


眠っている一之瀬がそこにはいた。そんな寝顔を見て思った。


きっと今日、一之瀬は頑張ったんだな。誰よりも楽しんで、誰よりも人の楽しいを考えて。いつも以上に全力を出したんだって分かった。


「あー、俺もすげー疲れてるんだけどな」


小さな声で呟いて、もう一度一之瀬を見る。その寝顔はとても可憐で素直に綺麗だと思ってしまった。ドキドキしてテンパッてた自分がとても恥ずかしいです。


まぁでも、すぐに起こすのもかわいそうだし、もう少しこのまま眠らせといてやるか。


そんな風に考える俺も、一之瀬を見習って少しだけ瞳を閉じる事にした。

 

 

 

 

 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ