26 後編 (拓真)
数日が経った。
文化祭事項委員の仕事が忙しくなりつつあり、俺と一之瀬はまともにB棟三階右端の教室に行くことすら出来ない状況になっていた。
ほぼ毎日のように委員会が開かれ、クラス内での決まった事や、大きいなイベントの話、それだけではなく、本番での作業員決めや、本番までの仕事の割り振りなどで毎日のように話し合った。
そしてここに来て大きな問題になっているのはクラスでの出し物だ。教室内での喫茶店にしても、外でやる出店にしても、はたまた体育館などの大きな場所を使うにしても、全てが通る話ではない。
全ての項目に抽選があり、それを勝ち取ったクラスだけが出来るというシステム。そりゃ、全部のクラスが喫茶店をやっていては文化祭の意味すら破綻してしまうだろう。だからこそ抽選がある。
祭りを盛り上げる為には色々な店が必要というわけだ。それじゃなくても、身内だけでやる祭りではない。本番では外からの人達も沢山来るだろう。
それは来年度の生徒の勧誘にも繋がるし、その親達も見ている。だからこそ学校側もこの文化祭は成功におさめたい。今年は体育祭が無かった為、一部の生徒達も盛り上がり始めている。
そんな毎日をおくる中、俺と一之瀬は疲弊しきってしまっていた。
「なぁ一之瀬……。次の会議っていつだっけ……?」
「え……? 何を言っているの小枝樹くん……。会議はもう昨日終わったじゃない……」
「あぁ、そうか。今日も会議があるのか……」
これは昼休みの俺と一之瀬の会話だ。訪れた久しぶりのB棟三階右端の教室で俺らは虚無になりつつあった。
他の生徒は何も知らない為か普通に日常を送っている。だが、俺と一之瀬は体力の限界にきてしまっているためなのか、昼食も取らずにただただ机に突っ伏していた。
虚ろな目で空間を見つめながら、俺と一之瀬の噛み合わない会話。そんな俺らを見て気の毒に思ってしまった奴が話しかけてきた。
「もう。夏蓮も小枝樹も疲れ過ぎじゃない?」
何も知らない佐々路は昼食のサンドウィッチを頬張りながら他人事のように言う。そしてそんな佐々路の言葉を聞いた俺と一之瀬は虚無から抜け出し、同時に怒りという最強の力を解放した。
「あのな佐々路、お前には絶対に分からないことなんだよ。いいかよく聞け、委員会の奴等はな何kあある度に天才な俺の事をウジウジと聞こえる声量で悪口を言う。それだけじゃない、自分達の手に負えない仕事を天才という理由で押し付けてくる始末だ。もう、文化祭委員を決める時の非にならないくらいの仕打ちなんだぞ」
「あら貴方も私と同じように苦しんでいたのね……。私なんか「一之瀬さんこれって?」「一之瀬さんここは?」と何人も何人も一之瀬さん、一之瀬さん、一之瀬さん……」
呪文のように自分の名字をブツブツを口ずさんだ一之瀬は
「私は……、私は聖徳太子じゃないのよっ!!」
机を思い切り叩き立ち上がった一之瀬は怒号を上げる。そして一之瀬の怒りが全て解放された。
「同時に何人もの人に話しかけられたって答えられるわけないでしょっ!? というか、仕事の内容なんて委員長か先輩に聞きなさいよっ!! 私が天才だからって何でもかんでも出来ると思ったら大間違いなのよっ!!」
やべぇ……。一之瀬が本気でキレてる……。だけど今の俺にはそんな一之瀬の意見に同意できるだけの器がある。いや、器じゃないな……。同じ苦しみを味わっている戦友だと思えるんだ。
そんな一之瀬の気持ちが分かるのはここに俺だけだ。他の佐々路と雪菜にレイはもう普通に怖がっています。だがそんな中に勇者がいました。
「お、おい一之瀬。そんなにカリカリすんなよ……。ほ、ほら拓真だって疲れてんだからさっ! だから、その、もっと楽しくいこーぜ」
バンッ
レイの言葉を聞いた一之瀬が再び机を思い切り叩いた。そしてゆっくりとレイを睨みつけ
「城鐘くん……。貴方は黙ってなさい」
「す、すみませんでした……」
どこからどう見ても、狼に狙われてしまった野ウサギなレイ。怒鳴っているわけではないが一之瀬の言葉の迫力は桁違いだ。俺が言われたらもう気を失ってますね。
そんなレイも身体を細かく震わせていた。ここでレイを放っておくと一之瀬に対してトラウマが生まれそうだ。
そう思った俺はレイの隣まで行き
「大丈夫だよレイ。確かに今の一之瀬は怖いけど、普段はここまで怖くないから。触らぬ神に祟りなしって言うだろ? 今の一之瀬はもはや神だ。それも怒り狂っている荒神だ。今の一之瀬を止めるには神話に出てくるような神々しい剣を用いるほか無い……。人は神には勝てないんだよ」
俺は優しく微笑んだ。今のレイの気持ちを落ちつかせる為に、精一杯の努力をしたんだ。
「ねぇ楓ちゃん、あたし達はもう出て行ったほうが安全かもね」
「確かにね雪菜」
なんだかおかしな台詞が聞こえるな。どうして雪菜はこの場から立ち去るのが安全だと思ったんだ? それに何で佐々路もそれに同意する? 俺にはさっぱりわかりませんよ。
そして雪菜と佐々路はそそくさと教室に戻っていってしまった。残される俺とレイ。俺が話して少し安心したのか、レイは少しずついつも通りのレイに戻っていく。
だがおかしい。何故か俺は、自分の後ろから殺気めいたものを感じてしかたがない。そんなものを感じたのと同時にレイの表情が見る見るうちに恐怖へと戻っていくのが分かった。
そんなレイを見て確信した。今、自分の後ろにいるのが誰なのか、そして俺がレイに言っていた事を完全に聞かれてしまっていたということを……。
だが、俺はもう慣れている。こんな事、一学期から何度も味わってきてますよ。確かに怖いけど、話せば分かってくれるのが一之瀬 夏蓮だ。
そんな事を思いながら俺は一之瀬の方へと振り向いた。
「小枝樹くん……。今の私が荒神だということは認めるわ。でもね、聖剣でも今の私を殺す事は出来ないのよ」
あれ? 見たこと無いな。いつもなら怒っている悪魔元帥モードの筈なんだけど、どうしてだろう……? もう邪悪な何かにしか見えません。
「お、おい一之瀬……? いや、一之瀬さん……!? 俺は別に悪気があって言ったんじゃないんだぞ……? ただレイが怖がってるし、親友の俺としてもどうにかしたいとか思ったり、思わなかったり……」
「そうね。ここで城鐘くんにははっきりと誰が一番なのか分からせる必要があるわね」
何だか雲行きが怪しくなってしました。だって、もう一之瀬が俺と会話のキャッチボールをしてくれていないんですもの。
そして一之瀬はゆっくりと俺に近づいてきた。その綺麗な顔が目の前にまで来て少しドキッとしている俺は本当に頭の悪い凡人なのだと再認識した。
「これが絶対的な力よ。城鐘くん、私に逆らえばこうなるとその瞳に焼き付けておきなさい」
なんかラノベに出てきそうな言葉だな。もろ悪役。王道ファンタジーならこの時点で死亡フラグか負けフラグが立っていますよね。でもね、これはラブコメなんです。
俺の額に一之瀬の手が触れた。そして
「あだだだだだだだだだだだだっ!!!!」
少年誌の沢山秘孔を突く技じゃないですからね。普通に一之瀬のアイアンクローをくらっている時の叫び声ですからね。というか体が宙に浮いてるのは気のせいですかっ!?
「や、やめろ一之瀬っ!! ほ、本当に死んじゃうから、つか本気で痛いからあああああああああっ!!」
バタンッ
俺の言葉を聞いた一之瀬が俺を解放してくれた。だが、宙に浮いていたというのと、あまりにも破壊力が凄すぎて俺は床に倒れこんでしまった。そして
「これで分かったでしょ? 私はいつでも、貴方達を殺す事ができるのよ」
もう女の子の台詞じゃないよね……。というかいったい俺はどういう扱いにされてるの……? 酷いよね、酷いよねっ!!
だが、そんな事を考えている俺は倒れながらもレイの方へと顔を向けて
「レイ……。俺はもう駄目かも知れないけど、お前だけは生き残って……、くれ……」
「お、おい……。拓真……? おい拓真しっかりしろっ!! 何でだよ……、俺だけ生き残っても意味なんかねぇだろっ!! なぁ……、目開けろよ。拓真、たくまああああああああああああああっ!!!!」
はい。この幼馴染はノリが良すぎます。普通にファンタジーなら王道の感動シーンじゃないですか。ということで、この後レイも一之瀬に処刑されたのは言うまでもありませんね。
もっとゆっくりとした昼休みにしたかったなと後悔している俺がいます。
そして放課後。
いつものように俺は一之瀬と委員会に向かっています。そして今日の最後の授業は文化祭の話し合いでした。
まぁ一般的な雰囲気を想像してもらって構いません。あーでもない、こーでもないという真剣な話し合いなんてありませんよね。今日はクラスの出し物を決める予定でした。
だが、始まって数分が過ぎれば騒ぎ出す生徒達であふれる。やりたいものを各自考えてくださいなんていう言葉は何の意味も無くて、ただただ自由にその無駄な行動で時間というかけがえの無いものを費やしてしまう愚かな凡人ですよ。
そんな状況を見ていた一之瀬が提案したのは、各自に決められた時間までに配った紙にやりたい事を記入するという一般的な作戦だった。だが、それが功を奏したのか、うるさく自由に振舞っていた生徒たちが真剣になり始めたのだ。
まぁ俺が言ってもいう事を聞いてくれなかっただろうけどね……。
何はともあれ、全ての生徒が記入を終え、その紙が集まった。そして各自の意見の集計にはいる。一枚一枚丁寧に一之瀬が読み上げ、その言われた項目を俺が黒板に書く。
喫茶店と書かれているものとメイドカフェという数年前流行った遺物は同じものとみなした。それじゃなくても同じような意見で言葉が違うものが多々あった為、結果的にまとめてしまい、その後にどういうものにするかを話し合えばいいだけなのだ。そして出揃ったものが
喫茶店、出店、お化け屋敷、演劇、などなど。お化け屋敷のような教室を使ったアトラクションは細かいのを上げてしまうと多いので割愛する。
そしてこの中で一番多かった意見はやはり喫茶店だ。それもそうだろう。凝ったアトラクション系は準備が面倒だし、外でやる出店は内容によって本気で面倒くさいものになるのだと皆が理解している証拠だ。
そんな俺も喫茶店には大賛成だ。低コストで準備も簡単。簡単だからこそ凝った装飾を作るのに時間を使える。だが、ここで問題になってくるのはどんな喫茶店にするかだ。
先にも述べたが、メイドなんていう安直なものは古いし、執事も古い。コスプレという大きな括りにでやったとしても、他のクラスと被ってしまったら元も子もない。
俺がそんな事を考えている中、一之瀬が会を進め、俺らのクラスでやるものが喫茶店に決まっていた。そこでやっと皆が気がつく。
どんな喫茶店にするのか。
俺は会を黙って見続ける。そして聞こえてくるのは俺が頭の中で既に考え終わってしまった内容ばかり。色々な意見があがるものの、なんとなく違うという事で却下の嵐だった。
そこで俺は教卓の上に置かれているアンケート用紙にもう一度目を通す。
メイド喫茶、執事喫茶、コスプレ喫茶、イケメン喫茶、獣耳喫茶、甘味処……。
「イケメン喫茶っ!?」
話し合っている生徒の大きな声の中でも聞こえてしまうくらいの声量で、俺はその言葉を口にしていた。すると
「イケメン喫茶って事は完全に僕の出番って事だね小枝樹くんっ!」
席から立ち上がりキラキラとした笑顔で神沢という学年一のイケメンさんが言ってきた。俺の考え無しの発言……、いや突発的に出てしまった言葉でこのイケメン王子を調子に乗らしてしまうかもしれない。だからこそ俺は
「おい神沢。確かに今俺はイケメンという言葉を発したが決してお前の事じゃないから席に着け」
テンションの上がり始めている神沢を止める。それをしなければなし崩しにイケメン喫茶になってしまいそうで怖かったんだ。その時
「確かに神沢じゃ駄目だな。イケメンと言ったらこの俺━━」
「崎本。お前は一度死んで生まれ変わってからものを言え」
神沢の次は崎本ですよ。俺は崎本の言葉を遮りながら冷たい言葉を言い放つ。そんな俺の言葉を聞いていた佐々路が崎本をからかいだし、教室の中は一瞬だけ笑顔に包まれた。
だが、その笑顔も一瞬で、俺の言葉で笑ってしまったクラスの連中は気まずそうに沈黙した。それは未だに許すことの出来ない天才な俺を感じ取ってしまったから。
だけど今の俺はそれでいい。少しでも皆が笑ってくれたんだから。
そんな異様な空気に気がついてくれたのか、一之瀬が再び仕切りだす。
「それで、喫茶店という案を受諾したのですが、どのようなものにするのか考えは纏まりましたか?」
一之瀬の言葉で皆はまた話を始める。だが、その内容はもう決まってしまっていて、イケメン喫茶でいいんじゃないかという流れになっていた。
そして結局、うちのクラスの出し物はイケメン喫茶になってしまった……。勿論、一番喜んでいたのは神沢だと言うまでもないですよね。
それで現在に戻ります。
俺と一之瀬は数日の間同じような行動をしているので、会議室に向かうまでの足取りがスムーズになっていた。なのにもかかわらず、もう委員会に行きたくないという想いが強すぎるのか二人とも足取りがとても重たいです……。
それじゃなくても、今日の委員会では確実にクラスの出し物の話になる。そこで喫茶店をやる権限をとる事が出来なかった時、完全に絶望しかないですよね。
うぅ……。ここで権利を取れなかったらまた俺が怒られる……。天才のくせにとか言われてしまう……。そんなの嫌だ、絶対に嫌だっ!
子供のような考えを浮かべている中、委員会の教室まで辿りついてしまった。そして俺と一之瀬は覚悟を決め、その教室の扉を開いた。
委員会の雰囲気にはもう慣れた。会議の開始までの間はただただ雑談を続けるうるさい空間。そして俺と一之瀬が教室に入る度に起こる生徒のリアクションだ。
一之瀬の周りには沢山の生徒が群がり、俺はこの空間にいない存在のように扱われる。まぁ今の俺は天下の嫌われ者だから良いのだけれど、問題は一之瀬だ。
流石に毎日毎日、同じように群がられたら嫌になるのも当然だ。それじゃなくても、今日の一之瀬は連日の会議とこの群れをかわしてきた事により疲れている。
そんな一之瀬は相変わらず作った笑みで対応をしているが、それに気がつく者は一人もいない。それどころか、執拗に質問を繰り返すしまつ。本当にここにいる連中は他者の事を考えられない幼稚な奴等ばかりと言うことだ。
その光景を見ていて少しだけ嫌な気持ちになってしまっている俺。自分が蚊帳の外にされている事なんてどうでもいい。それだけの事を俺がしてしまったのは事実だから。でも、一之瀬が困っているのをどうして理解できないんだ。
というか、一之瀬も一之瀬だ。どうしてそんな奴等に愛想を振りまいてるんだ。俺には全くもって分からない……。
そんな一之瀬の姿を見ていて、脳裏に夏休みの時の映像がフラッシュバックされた。そう、今の一之瀬は誕生日の時と一緒なんだ。
あの時は一之瀬財閥次期当主の一之瀬 夏蓮として振舞わなくてはいけなかった。そして今は天才少女の一之瀬 夏蓮として振舞っているんだ。一之瀬の近くに居過ぎたのか、俺はそんな事も忘れてしまっていた。
俺等という友人の前以外の一之瀬はあくまでも天才少女なんだ。アホでバカな一之瀬が普通になり過ぎてて、どうしてあんな事をしているのかというくだらない疑問しか浮かんでいなかったんだ。
そして今の一之瀬は沢山の人に囲まれているのに独りぼっち。俺はもう一之瀬を独りにはしない。そう思い、俺は一之瀬へと近づいていった。だがその時、再び一之瀬の誕生日パーティーの情景が脳裏を巡る。
そうだよ、俺はあの時、一之瀬を助けられなかったんだ……。自分の力量も考えずに大きな存在に牙を向け、そして何も出来ないまま終わってしまったんだ……。
嫌な光景だった。独りぼっちの一之瀬を助けに行ったのに、不可抗力で飲んでしまった酒のせいで倒れるなんて、最悪だったよ。それと同時にどうやっても一之瀬 樹には歯が立たないのだと理解できた。
でも今の俺は昔の自分に戻ったんだ。こんな凡人から一之瀬を守ることなんて容易い。だけど、それをして今何かあるのか? 確かに一之瀬は天才少女を演じ振舞っているが、それが悪い事だとは今は思えない。
誰かの悪意がそこにはないから、一之瀬だって断ることくらい出来るはずだ。ならどうして断らないのか。それに意味があるとするのなら、一之瀬にとって現状はどうにでも出来るという事なんじゃないのか?だとすれば、俺が今やろうとしていることは余計な事なんじゃ?
そうだよな。一之瀬がこのくらいで何かあるわけがない。そう考えた俺は委員会での定位置の席まで歩み始めた。
バタンッ
何かが倒れる音がした。その音と共に一瞬だけ訪れる静寂。その音は今の今まで見ていた一之瀬の方から聞こえてきたんだ。無機質なものではなく、人間が倒れてしまった時のような鈍く響かない音。
振り向くのが怖かった。何となく何が起こっているのか想像できてしまうからだ。そして後悔する。
どうして俺は選択を見誤ったんだ。どうして俺はいつも間違ってしまうんだ。どうして……。
それでも振り向かないわけにはいかない。倒れた音が聞こえてから俺が振り向くまでの時間は刹那だった。
そして現実を直視する。
「……一之瀬?」
自分が想定していた現状が俺の瞳に映りこむ。一之瀬 夏蓮が床に倒れていた。その周りにいる生徒達は何が起こったのか理解できていなくて、ただただ動揺しているだけだった。
そんな状況を見た俺はすぐさま一之瀬の方へと歩みを進める。俺が一之瀬の事をちゃんと考えて無かったからこうなってしまったんだ。
自分に対しての怒りや後悔なんて、後ですれば良い。今は兎に角一之瀬を……。その時
「い、一之瀬さん……。大丈夫……?」
やっと今の現状の意味に気がついた男子生徒が横たわってしまっている一之瀬の体に触れようとしていた。そしてそんな男子生徒の姿を見てしまった俺は怒りを押さえるので必死だった。
だってそうだろ? 何が「大丈夫……?」だ。お前等のせいで一之瀬がこんなになったんだぞ。気丈に振舞って、笑顔を絶やさないお前等の知ってる天才少女はとても弱い女の子なんだよ。
パシンッ
一之瀬に触れようとしていた男子生徒の手を、俺は払い飛ばしていた。そしてその男子生徒を睨みつけながら
「一之瀬に触んな」
何故このような言葉がでたのか俺にも理解できない。だけど、今の一之瀬に誰かが触れるのが嫌だって思ったんだ。
そして男子生徒は俺の迫力に負けてしまったのか後退する。それと同時に周囲の生徒達からの視線。その表情は困惑と少しの恐怖が混ざっていた。その恐怖の対象が俺だ。
自分でも分かるくらい周囲の生徒を睨んでいる。それと同時に思っているのは、ここにいる奴等だけが悪いわけではないと言う事。
勝手に頑張った一之瀬も悪いし、それに気がついていたのに何もしなかった俺も悪い。だからこそ、俺は一言だけ言い放ちその後は何も言わなかった。
そして倒れている一之瀬をお姫様抱っこのように抱きかかえる。気を失ってしまっている人間はとても重い。でも俺はそんな重さすら感じていなかった。
ただただ目と鼻の先にある天才少女の顔を見て酷く心を痛めることしかできなかった。
そんな一之瀬を抱きかかえて、俺は教室から出ようとする。誰もそんな俺を止めない。早く一之瀬を保健室へと連れて行かないといけないという焦りからか、教室の扉を足で抉じ開け、俺は何も言わずに教室を後にした。
保健室の中はとても静かだ。
一之瀬を運びベッドに寝かせ、先生に診断してもらった。その結果はただの寝不足からくる過労だそうだ。少し寝ていればいずれ起きると言い残し、先生は保健室から出て行った。
そして今は眠っている一之瀬と二人きり。ベッドの横に椅子を置いて俺は座る。眺めている天才少女はとても綺麗で、黒く長い髪がサラサラとしていた。
そんな一之瀬の顔を見つめながら俺は再び思う。
気がついていたのにどうして俺は何もしなかったんだ……。一之瀬なら大丈夫だとどうして決め付けた……。俺は一之瀬の事を分かっているつもりで何も分かってなんかいないじゃないかっ!!
自分の無力さに怒りを覚え、拳を強く握っている。それでも一之瀬の寝顔を見ているだけで、そんな気持ちが治まっていく。そして不意に俺は一之瀬へと手を伸ばした。
眠っている一之瀬の頭を優しく撫でて、髪の毛を綺麗に整える。サラサラとしている髪は俺の指と指の間を軽やかに通り抜ける。その時
「んっ……、んっ」
俺が触れてしまったからなのか、一之瀬が目を覚ました。
「んっ……? 小枝樹くん……?」
うっすらとその瞳を開いた一之瀬は横にいる俺の存在に気がつき名前を呼ぶ。そして俺は寝起きの一之瀬に微笑みながら
「あぁ、俺だよ」
「どうして小枝樹くんが……? あれ? 私今、何をしているの……?」
急激に訪れてしまった意識障害に一之瀬の頭はまだ着いていけてないみたいだった。混濁としている記憶を思い出そうとしている一之瀬は目を細め頭を抱えた。
「倒れたんだよ。委員会の前に教室で倒れたんだ。だから俺がここまで運んできた」
俺の言葉を聞いた一之瀬は今の現状を把握し、ここまでの経緯を思い出した。
「あぁ……。そうね、私は倒れてしまったんだわ……。確かに最近少し眠れなくて、体力が回復してなかったのは認めるわ。でも、倒れるなんて思ってなかったのよ……?」
何かを心配しているのか、一之瀬は上目遣いで俺を見つめながら言った。そんな一之瀬に俺は
「一之瀬が倒れないって思ってたんなら本当なんだろうな。でも今は、倒れているが現状だ。今日の会議は俺に任せて一之瀬は少し休んでろ」
「でも……」
そう言い一之瀬はベッドから起き上がろうとした。
「だから、寝てろって」
そんな一之瀬の肩を押さえつけて再びベッドへと横にさせる。再び横になった一之瀬の表情はとても申し訳なさそうな顔で
「確かに一之瀬は天才少女だ。でもさ、天才にも休養は必要だろ? だから俺の前では無理しないでくれよ……。他の誰かの前では無理してても、俺の前では一之瀬でいてくれよ。俺の事を支えてくれるって言ってくれた一之瀬を、俺は何があっても支えてやるから。だから今は寝てなさい」
微笑みながら言う俺の言葉を一之瀬が聞く。そして何を思ったのか掛け布団を顔の半分までかけた一之瀬は
「……わかったわ。今日の所は小枝樹くんに全てを任せる。でも、ちゃんと体力を回復させてすぐに復活してみせるんだから……」
顔をベッドで半分隠しているが赤くなっているのが丸分かりだ。本当にコイツは天才なのかと疑問に思いながら、俺はさらに微笑んだ。
「それじゃ、俺は会議に向かうかな。まぁ今から行っても遅刻なんだろうけどな。それでも、クラスの奴等のやりたい事をやらせてやるのが実行委員の仕事だ。喫茶店をもぎ取ってきますよ」
一之瀬に心配をかけない為に明るく振舞った。だって俺が行って本当に出来るかなんて分からない。確かに天才だけど、言い掛かりをつけられてしまえばなす術がない。それでも皆の笑顔の為にも、一之瀬の為にも……。
考えながら、俺は椅子から立ち上がり一之瀬に背を向けた。そして
「待って……」
俺の制服の裾を力弱く掴む一之瀬。そんな一之瀬に気がつき俺は振り向く
「その……。私が眠るまで、ここにいて……?」
恥ずかしそうに言う一之瀬を見て、心が和み俺がやらなきゃと前向きになれた。
「おいおい一之瀬。弱ってるからって、可愛らしいな。えっと眠るまでだっけ? 絵本でも読めば良いのか? それとも手でも繋いで欲しいのか?」
これでもかと言わんばかりに一之瀬を俺はバカにした。だが、バカにしながらももう一度椅子に座って、一之瀬の近くへと寄る。
「な、何を言っているの……/// 私の体調が回復したら、覚えておきなさいね……///」
頬を膨らませながら怒る一之瀬が可愛く見えた。こんな一之瀬を見るのは初めてだったからなのかな。
いまだにベッドで顔を半分隠しながら、それでも俺の制服からは手を話さない。そんな一之瀬を見ながら、俺の少しだけ自分の中に芽生える違和感を無視できなくなってしまっていた。