24 後編 (拓真)
バスケゴールの前、俺と翔悟は対峙する。
睨みあう様に互いが互いの瞳を見つめ、試合開始の合図を待っていた。
「審判はあたし、細川キリカが務めさせてもらいます。ファールがあった場合、攻守をその場で交代というルールでやります。では、互いに礼っ!!」
細川の口振りから本気で正当な試合を俺に申し込んできていることが分かった。
そして俺と翔悟は互いに頭を下げる。
「それでは攻守の先攻を決めたいと……」
「先攻は翔悟で良い。俺が先攻をしたところでギャラリーは盛り上がらない」
細川の言葉を遮り俺は言う。その言葉に細川は動揺していたが翔悟はいたって冷静で
「分かった。お言葉に甘えて先攻でいかせてもらう。後悔すんなよ」
そう言った翔悟は俺にボールを渡してくる。そして互いにオフェンス、ディフェンスのポジションについた。
目の前にいる翔悟を見て、俺の心はどんどん冷静になり鼓動が穏やかになっていく。自分のやるべき事が見えているからなのだろう。
楽しかった思い出は沢山ある。だkらもう、全てを終わらせるんだ。俺のせいでもう誰も傷つかなくていいんだ。今俺のやるべき事、それは
全てを壊すことだ。
「それでは、始めっ!!」
細川の合図と共に俺は翔悟へとボールを渡す。そのボールを受けとりドリブルをはじめる翔悟。
「おい拓真、俺は最初から全力でいく。後悔してもやめてやらねぇからなっ!!」
そう言い翔悟は攻撃を始めた。だが
バシンッ
翔悟の一瞬のフェイクを見破り、俺は翔悟の手に収まっていたボールを弾き飛ばした。その光景を見たギャラリーからは騒めく声が聞こえてきた。「マジかよ」「え、嘘でしょ……!?」そんな言葉が飛び交う中、一番驚いているのは
門倉 翔悟、本人だった。
ボールが手元から離れた瞬間、いや俺の動きをその瞳で垣間見た瞬間に翔悟の表情は変わっていた。
どうしてそんな動きができるんだと、物語っているような表情。瞳を大きく見開き今の現実を信じることが出来ないといった顔だった。
「一番初めに言っただろ。凡人じゃ天才には勝てないって」
ショックを受けているのか翔悟はなにも言い返してこなかった。そしてそのまま俺のオフェンスへと移行される。
俺のオフェンスは容易くゴールネットを揺らした。そして翔悟のオフェンス、失敗。俺のオフェンス、成功。翔悟のオフェンス、失敗。俺のオフェンス、成功。
結局、30分経たないうちに勝負が決まった。一番最初に俺が言っていたように合計10試合。0対5で俺の完封勝利。
この場にいる者全てが何も言葉を発さなかった。体育館は静寂に包まれ、俺は翔悟の事を見ながら話し始める。
「これで分かっただろ。お前じゃ俺には勝てない。どんなに努力をしてきた所で天才には誰も勝てないんだ」
冷たく言い放った俺へと集められる冷たい視線。ギャラリーに来ていた凡人共の視線。中には俺に対して諦めの視線を送ってきてる奴もいた。それは天才には凡人じゃ勝てないと認識した者の視線だった。
そんな翔悟を置き去りにするように俺は歩き出す。勝負はついたんだ、俺がこの場にいる意味はもう無い。だが
「待てよ拓真」
振り向き俺は翔悟を見た。
「まだ終わってない。俺はまだお前に勝ってない……!!」
「このルールを決めたのはお前だぞ。それでもまだ負けてないって言い張りたいのか?」
そう言ったものの、翔悟の表情は真剣で、どうしてか凡人の頃の優しさが少しだけ現れた。
「分かった。じゃあルールを変えよう。翔悟が自分で負けだと認識するか、それとも身体が動かなくなるまでやる。そして俺はディフェンスしかやらない。これでいいか?」
つまらない同情だった。ここで終わらせても続けていても結果は何も変わらないのに、俺は翔悟にとって尤も残酷な選択を選んだんだ。
翔悟は俺の言葉を聞くとニヤリと笑い、再びその瞳を闘志で満たしていった。
どのくらいの時間が経ったのだろう。体育館の窓からは太陽の光が殆ど入ってこない。
初めのルールで勝負が決まって、そして俺がルールを変えてからも翔悟は止まる事をしらなかった。
「もう一回だ拓真」
誰が見ても翔悟は疲弊している。ずっと動き続けていたせいで体力は擦り減り、俺に勝てないという苛立ちから精神的にも疲れ果てている。
それでも今の俺は壊すことしか出来ない。翔悟の心を完全に砕かなければ俺の行動に矛盾が生じる。だからどんなに翔悟が疲弊していても負けを認めてもらうか、その身体が動かなくなるまで俺はこの勝負をやめる事が出来ない。
「いくぞ、拓真」
そして何度目なのか分からない勝負が繰り広げられる。結果は同じで俺にカットされ翔悟の負け。俺は自ら転がっていったボールを取りにいき、そして再び翔悟へと渡す。
だが翔悟は疲れ果ててしまっているせいか、ボールを持ったまま蹲り立ち上がろうとしない。その呼吸は乱れていて誰もがもう終わりだと確信していた。
その時、ギャラリーから聞こえてきた。「もう無理だな」「結局勝てないのかよ」「これじゃただの虐めだよね」「見に来て損したわ」
「おい、今翔悟をバカにした奴は誰だ」
俺は声が聞こえてきた方を睨み言った。
その瞬間に空気が凍ったのが分かった。だけど許せないと思ったんだ。
「今、翔悟の気持ちを蔑ろにした言葉を発した奴らの中で俺に真正面から挑める奴はいるのか?」
怒りにも似た感情に押しつぶされる。
「この中で俺に勝てるっていう奴はいねぇのかよっ!!!!」
止まらなかった。どうしてなのか自分でも分からない。それでも翔悟がやっている事を否定されているようでムカついた。
「だから凡人は嫌いなんだっ!! やりもしないで勝手に諦めて、他人の能力に嫉妬して、なんの力も無いのに立ち向かう凡人もいるんだぞっ!! なのにお前らは何だ。出来ないことを他人に押し付けて、もしかしたらと期待する。でも期待にそぐわなかった時は簡単に手のひらを返して罵倒するのか!? お前らにそんな資格あんのかよっ!! お前らがやらなきゃいけない事は、コイツの勇姿を最後まで見届けることじゃねぇのかよっ!!!!」
叫んだ。今の自分の心を叫び散らした。翔悟は頑張ってる。そんな翔悟を否定する奴らが許せない。俺の事はどうだっていいんだ。でも、今の翔悟が否定されるのはおかしいだろ。
どんなに無理でも、どんなに困難でも、コイツは諦めてない。負けを認めない。自分の身体が動かなくなるまで俺に挑み続けてくる。そんな翔悟は誰よりも強い男なんだ……。
そして俺の言葉で再び体育館に静寂が訪れる。
「おい翔悟。まだ終わりじゃねぇんだろ」
「はっ。当たり前だろ。こんなんで勝ったと思ってんじゃねーぞ」
もう翔悟が限界なのはわかってた。でも、それを俺が言った所でコイツは勝負を諦めない。だから俺は翔悟を駆り立てるような言葉を使う。その時
「もうやめて下さいっ!!」
涙を浮かべながら叫ぶのは細川キリカだった。
「どうしてこんな事するんですか……? どうして翔悟くんを苦しめるような事をするんですか、小枝樹センパイっ!!」
その痛みが俺に伝わってきた。俺だって細川の立場だったら思うよ。どうして、どうしてって……。
だけどお前には分からない。俺と翔悟はここで決めなきゃいけないんだ。
「翔悟くん、もう終わりにしよう……?」
翔悟へと近づきその疲れた体を優しく包む細川。だが
「悪いなキリカ……。はっきり言うけど、この勝負お前には関係ない」
翔悟の言葉を聞いた細川は悲痛な表情を見せる。そして翔悟を支えていた手をゆっくりと離していった。
「翔悟の言うとおりだ。この勝負は俺と翔悟のもの。それ以外の人間は関係ない」
「なんだよ拓真。こんな所で意見があうじゃねーか」
疲れ果てた笑みを浮かべる翔悟。それとは正反対に理解が出来ないといった表情になる細川。そして
「どうしてよ……。どうして二人はそこまでするんですか……。分からない、私には分からないっ!!」
「キリカに分からなくて当然だ。これは男同士じゃなきゃ分からないものだからな。だから最後まで見ててくれよ、キリカ」
そう言い細川の頭を優しく撫で、立ち上がる翔悟。優しさと苦しさが入り交ざった翔悟の笑み。それは細川を大切に思っている気持ちと、細川を悲しませてしまっている現状を理解したとても儚い笑みだった。
「なんで、そこまで翔悟くんは頑張れるの……?」
「そんなの決まってんだろ。拓真が俺の親友だからだ」
親友……。
その言葉で俺の心臓が一瞬だけ大きく脈打った。もう二度と聞けない言葉だと思っていたのに、思いのほか簡単に聞けてしまうから決意が鈍るんだ……。
「親友が間違った道を歩きそうになってるなら正してやるのが親友ってもんなんだ。それは殴り合いだったり語り合いだったり色々なやり方がある。でも、俺にはこのやり方しか思いつかなかった……。天才とか言ってるバカな親友に敗北を味わわせるのが俺のやり方だ」
敗北なんてどんなに頑張っても翔悟じゃ俺には味わわせることは出来ない。分かってる。でも今はこんな時間が永遠に続けばいいなと願ってしまっている愚かな凡人な俺も確かにいた。
「よし拓真、インターバルもすんだし続きをやろうぜ」
そう言い翔悟は俺にボールを渡してきた。そのボールを俺が翔悟に再び渡すことで試合が始まる。そしてこの時間の終わりを告げるんだ。
手に持つボールが熱くなるのを感じた。それは俺の掌から発せられる熱であって何か特別なものではない。でも何故なのか俺は思ってしまった。
もう終わりにしなきゃいけない。翔悟を解放しなきゃいけない。天才なんていう異端な俺と親友になったから傷ついたんだ。苦しんだんだ。全部俺のせいだ……。
初めから嘘なんかつかなきゃよかった。俺は天才で誰かを傷つけちまうかもしれないって言っておけば……。
そういたら誰も友達になんかなってくれなかったよな。いや違う。コイツは、翔悟はそんなことお構いなしに俺の心の中に入ってきたはずだ。翔悟だけじゃない、皆もきっと俺を……。
「始めるぞ、翔悟」
「あぁ」
自分の思考と決別し、俺は現実に戻る。そして手に持っていたボールを翔悟へと投げた……。
ダンッ、ダンッ、ダンッ
だが俺の投げたボールは翔悟の手に収まることは無く。翔悟を通り過ぎ無様にも転がり続けた。
それと同時に翔悟はもう一度、床へと膝を崩す。
「翔悟くんっ!?」
「門倉っ!!」
近くにいた細川がすぐさま翔悟の体を優しく受け止める。そしてこの試合を見に来ていた崎本も我慢できなくなってしまったかのように走り出し、翔悟の元へと駆けつける。
「もうやめろよ小枝樹っ!! 門倉は限界なんだぞっ!?」
叫ぶ崎本。その言葉は本当に正しくて、俺は何も言い返せなかった。
分かってたんだ。だいぶ前から翔悟の限界が来ている事を。それでも俺はやめる事が出来なかった。ルールとはいえ俺は翔悟の苦しんでいる姿を垣間見ながらそれを見ないフリし続けたんだ。
「そうだな。崎本が言っていることは正しい。これでお終いだ翔悟」
俺はゆっくりと歩きだした。もうここにいる意味なんて無いのだから。
体育館の中は耳が痛くなってしまうくらいの静寂。沢山の人たちがいるのに、誰も話そうとしない。だが
「待てよ小枝樹……。お前はこれでいいのかよっ!! 俺は嫌だね、こんな皆が苦しんでる結末なんて俺は嫌だねっ!!」
崎本の叫びで俺は足を止め振り返る。そして
「崎本。お前の理想なんて俺にとってどうでもいい事だ。今目の前で起こった現実を受け止めろ。少し考える時間は必要なのかもしれないが、そのうち慣れる。だから俺にもう関わるな」
「小枝樹……」
悔しがっているのか、それと俺の言葉を聞いて何も言い返せないのか。崎本は俺を見ながら絶望したような表情を見せている。そんな崎本を見て、俺は再び歩き出した。
周囲の人達はの目線が少しだけ気になる。俺の事を最低な人間を見る目で見つめている。それでも誰も口を開くことはしなかった。それはこの現状を見て、もう俺には敵わないと思ってしまったからだろう。
これでいい。これでいいんだ。俺はこれでいい……。
「なぁ拓真」
翔悟の擦れた声で俺の名前を呼ぶ声。自分でも何故だか分からないが足が止まってしまった。
「やっぱり俺じゃお前には勝てなかったわ……。本当にお前は天才なんだな。歯が立たないってこういう事を言うんだって思ったよ。それでもさ、俺はお前に勝ってお前の隣にいたいって思ったんだ……。親友っていうのはさ、肩並べて歩いていける対等な存在だろ……?」
もうやめてくれ。これ以上、自分を傷つけないでくれよ……。
「俺はお前の親友になれて良かったって思ってる……。なぁ拓真、お前は俺のこと親友って思ってくれてたのか……?」
そんな事当たり前じゃねぇかっ!! 俺の大切な親友で、誰の代わりでもない親友だったんだっ!! 凡人な俺ならすぐにでも翔悟のもとへ駆けつける。そしてすまなかったと謝るだろう。だけど今の俺は、天才なんだ。
「そうだな。確かにこの夏までは本気で親友だと思ってた。でも、もうそんなつまらないしがらみは俺にいらない。今の俺はもうお前の親友なんかじゃないんだよ。だからもう俺に関わるな」
「そっか」
見えていないのに翔悟が笑ったような気がした。だけどその笑みの意味を今の俺には分からない。なんで笑っているんだよと問い詰めたい気持ちになってしまう。
俺は今最低な事を言ってるんだぞ。俺は今、お前を裏切ってるんだぞ。なのにどうして……。
そのまま俺は歩き出し体育館から出ようとした。だが体育館の扉の前に悲しそうな顔で立ち尽くしている一人のイケメン野郎がいた。
「小枝樹くん……」
「今の試合、神沢も見てたんだろ? それならもう分かるよな。これが俺の答えだ」
悲痛な表情を浮かべる神沢へ一言残し、俺は体育館を後にした。
何故なのか疑問が頭を巡った。それは今の自分の体に対する疑問だ。
体育館を後にして俺は帰るために昇降口へと向かっている。不思議と誰ともすれ違う事は無い。
一歩また一歩と歩みを進める度に俺の体が悲鳴を上げ始めていた。
「はぁ……、はぁ……、はぁ……」
息が上がる。それは今の今まで体を動かしていたからで、それ以外の理由がなにも浮かばない。激しく運動をしてしたんだ。息が上がるのも当然の事。
だけど、何かが違う。それは昇降口に着き、自分の靴を取り出した時に起こった。
ドクンッ
「……あっ」
大きく心臓が跳ね上がりその瞬間、切り裂かれるような胸の痛みに襲われる。だがその痛みは一瞬だけで、それでも今の俺の膝を折ることには造作も無かった。
手に持っていた靴を落とし俺はその場で下駄箱にもたれる様にして座り込んだ。
「はぁ……、はぁ……、はぁ……」
なかなか整わない息。それが何故なのか自分でも理解できた。だがそれでも疑問が残る。だってそうだろ、俺は全てを受け入れたんだ。なのに
「ど、どうして……。今さら発作が起こるんだ……」
発作。それはレイを裏切ってしまったショックと親に裏切られたショック。その二つが重なり天才だった時の自分に戻ろうとしたり、過去のトラウマが強くフラッシュバックした時起こっていた精神的な胸の苦しみ。
精神科の医者に診てもらったわけじゃない。だたこの発作のせいで何度か意識を失い病院へと運ばれている経験がある。その時々に担当した医者が言っていたのが精神的な発作だと言う事だ。
だがその医者達も専門医ではない。たぶんそうだろうという曖昧な回答を告げ専門科へと行くように進められていた。
だが俺は行かなかった。これは自分で起こした過ちなのだと分かっていたから。その罰を自分で受け止めて生きていかないといけないと思ったから。だが何となく解決方法は分かっていた。
それは、天才だという自分を否定し完全に消し去るか、あるいは天才の自分を全て受け入れて誰かを守りたいとか救いたいとか、そんな甘い考えを捨て去る事。
凡人になった俺は発作が無くなった。それは天才という自分を完全に消去できていたからだ。とても楽しかった。何も考えず少しだけ他人との距離を保っていれば苦しまずに済む。
だけどあの天才少女が全てを変えたんだ。
どうしようもないくらいに馬鹿な連中ばかりで、俺のことなんて何も考えないで無茶ばかりして……。でも他の奴らとは少し違ったんだ。
皆は等身大の俺を見ようとしてくれて、そして等身大の自分を曝け出そうとしてくれて……。そんな奴らだったから俺は天才の力を借りてでも守りたかった。だがそのせいで再び発作が起こるようになった。
後悔はなかった。でも天才と凡人を選びきれないジレンマ。それが発作という形で俺の体を蝕んでいったんだ。
だから俺は天才に戻った。全てを受け入れる事でジレンマをなくす。そうすれば最低な結末にはならないと信じていた。でもどうして今の俺は発作で倒れかけているんだ。
全てを受け入れてもダメなのか……? 全てを拒絶してもダメなのか……? 全てを壊してもダメなのかよ……!!
悔しい思いで胸がはち切れそうになる。発作の物理的な苦しみと精神的な苦しみでもう限界になってしまいそうだった。
タッタッタッタッ
意識が朦朧としている中、誰かが走ってこっちに近づいてくる足音が俺の耳を揺らした。その音を聞いた俺は思った。
早く立ち上がらないと……。これ以上誰かに迷惑をかけることは出来ない……。
無理矢理体を動かして見るものの、その体は鉛のように重く自分の体なのかと疑問を抱いてしまうほどだった。だがそれで立ち上がらなきゃいけない。俺なら出来る、だって俺は天才だから……。
もたれていた下駄箱を使い、やっとの思いで立ち上がる。それでもその体は下駄箱という支えが無い限り立ち続ける事が困難だった。
「はぁ……、はぁ……。拓真」
結局俺はまた誰かに迷惑をかける。俺の名前を呼ぶ男の方へと顔を向けた。
「なんだ……、レイか」
自分でも理解できるほど声に力が無い。ボソボソと喋っている訳ではないが、小さい声音のせいで聞き取りづらいかもしれないと少し思った。
「おい拓真、さっきのあの試合、いったいなんなんだよ」
声音でも表情でも分かる。レイは怒っているんだ。だがまだ俺とレイの距離は2、3メートルあって、ゆっくりとレイが近づいてくる。
「さっきの試合? あー確かレイも見に来てたな。お前には言っただろ? 全部自分で壊すって……。やっと壊し終えた。これで俺はもう自由になれるんだ。はぁ……、はぁ……」
虚ろな瞳をしていると自分でわかる。いや虚ろというよりも、もう意識を保っているのが辛い……。
「何が自由になれるだ。お前はまた俺の前からいなくなるのかよっ!!」
「いなくなる? 何言ってんだよ……。始めにいなくなったのはレイの方だろ……?」
「あれは……、違うんだ。俺はあの時、拓真を苦しめる為にいなくなったんじゃ━━」
「悪いレイ……。もう限界だ……」
レイの言葉を遮った俺は、力なく下駄箱を背中で擦るようにその場へと座り込んだ。
「……拓真?」
再び息が切れる。呼吸がしにくい。こんなにも強い発作は牧下の件以来かもしれない。だけど今の俺にはそんな事を考えている余裕なんて無くて、俺が座り込んだせいでレイが慌てて駆けつけてくるのが見るだけだった。
「おい、どうしたんだよ拓真……? 凄い顔色が悪いぞ……? それに呼吸だって……」
「やめろレイ。もう俺に優しくすんな」
俺は自分の体を支える為に伸ばしてくれたレイの手を振り払った。それは今の俺が出来る最後の抵抗で、これ以上凡人の俺が出てこないようにする為のくだらない感情だった。
「何も心配はいらない。ただの発作だ。つか雪菜に聞いてないのか? 俺の発作のこと」
「なにも、聞いてない……」
この時のレイの顔は俺の知っている本物のレイの顔で、転校してきた時の様な憎しみに支配されていたレイではなかった。
「そうか。なら話しておくべきなのかな……」
俺は切れる息を整え、発作が起こる原因をレイに話した。
レイを裏切った後、俺に何があったのか、そしてどうして発作が起こるのか。それだけじゃない俺がこの高校二年という時間をどのように過ごしたのか、そしてもう何も思い残すことが無いことも全て……。
「なんだよそれ……。なら今、拓真が苦しんでるのは俺のせいじゃねぇよかっ!!」
レイのせい……? 違うな俺のせいだよ……。
頭の中では言いたい言葉が巡るのに、発作のせいで口に出すことが出来ない。そして目の前にいる悲痛な表情を浮かべているレイに俺は何も言ってあげる事が出来ない……。
「何なんだよ、何なんだよっ!! どうして拓真はそこまですんだよっ!! どうしてお前は━━」
「レイ……」
消えてしまいそうな自分の声。だけどこんな悲しんでいるレイにはちゃんと言おう。それが俺の最後の仕事だ。
「俺はさ、お前のいない未来を生きようとしてたんだ。雪菜は昔みたいに3人で一緒にいたいって言ってたのに……。その気持ちも無視して雪菜と喧嘩までしちまったよ……。はぁ……、でもお前がいない未来は凄く辛くて、でもこれがレイを裏切った自分に与えられた罰なんだって思った……」
そうだよ。ずっと後悔してたんだよ……。何も言えない自分も、天才で生まれてしまった自分も……。全部、全部、無くなればいいと思ってたんだ……!!
どうして自分だけが苦しい思いをするんだ、どうして自分だけが悲しい気持ちを抱かなくちゃいけない……。そんな風に思った時期もあった。でもそれは間違いだったんだよ。
苦しい思いや悲しい思いを抱くのは俺だけじゃない。みんなそうなんだって……。気づかさせてくれたんだよ……。
あれ……? どうして一之瀬を思いだすんだ……?
「だからお前に優しくされるなんて許されないんだよ……。はぁ……、はぁ……、もう俺を突き放せ、レイ」
「お前が俺に何をしたかなんて今は関係ねぇだろっ!! 苦しんでる奴が目の前で倒れてんだっ!! それを放っておけるほど、俺は悪役になった覚えは無いんだよっ!!」
そっか……。そうだよな。レイは昔からそうだったもんな。酷いことを言いながらも相手が本気で傷つく事はしなかった。だから俺が天才だという事をばらしたとき、レイが変わっちまったんだって思った。
でもそれが俺の勘違いで良かった。
「おい拓真、立てるか? 今電話で兄貴を呼んだから、病院行くぞ」
俺の体を起こそうとしてくれているレイの腕を掴み俺は制止した。そして
「ダメだ」
「そんな事言ってる場合じゃねぇだろっ!!」
「レイ……。本当にお前は優しいよ……。それで本当に強い……。お前は誰かを救うことが出来る優しい人間だ。だからもう、俺に関わるな」
最後だから、もう少しだから……。まだ意識を保っていてくれ……。
「こんな天才は見捨てろ。誰かを傷つけてしまう可能性のある奴は切り捨てるんだ……!! お前なら出来るだろ……?」
苦しそうな表情になるレイ。だけどそんな苦しみも今だけだ。俺を切り捨てて俺を忘れれば何てこと無い。
やっぱり俺があの場所にいる未来なんて無かったんだ。きっとあの場所にはレイのような奴が相応しい。傷つけることしか出来ない俺はこれから一人で生きていくよ……。
自分の体に起こっている今の発作が死ぬものではないのだと理解している。ただ苦しいだけで、病院に運ばれればどうにかしてくれる。まぁきっと寝て気持ちが落ち着けば治るものだと思う。
だから意識を失う前に言おう。
「レイ……、ごめんな……。それと━━」
どうしてこの言葉を言ったのか分からない。意識が朦朧としているせいで天才なのか凡人なのか分からなかった……。
「ありがとう」
意識が失われていくのが分かった。その瞬間はとてもゆっくりとした時間の流れで、刹那の時間を体で感じているようだった。ゆっくると失われていく意識の中で俺の親友が叫んだんだ。
「おい、しっかりしろよ……。もうすぐ兄貴がくるから……!! なぁ拓真……。拓真ああああああああああああああああっ!!!!」