24 中編 (拓真)
前よりも平常心でいられる今の自分が不思議に思えた。
どんなに天才に戻ろうとしても心のどこかでは、まだどうにか出来るんじゃないのか、俺の選択は本当にこれでいいのか。と、何度も何度も疑問が頭の中を駆け巡っていた。
なのにどうしてなのか、牧下と話した夜、後藤と話したあの夜が明けた時から俺の心は常にニュートラルを保っている。
他人が何を言っていても、どんな目で俺を見ていても何も感じない。触れられれば暖かいや冷たいを感じるのに、感情の部分が欠落してしまったように情を感じなくなっていた。
そして訪れるつまらない日常。楽しかった日常など忘れてしまい、今目の前にある事柄だけをこなしていく人形。誰の命令を聞くわけでもなく、自分の行動を肯定し他人の無意味を否定する。見えている景色が灰色に染まり、人と人の違いを認識する事さえ困難になっていた。
授業中、窓際一番後ろの席から見える景色も灰色だ。一生懸命に勉学に励む生徒、仕事と割り切り馬鹿な子供に学を教える教師、黒板、机、カーテン、壁、全てがモノクロの世界。
そんな世界とは正反対に音だけは鮮明に聞こえてくる。シャーペンの芯を出す音、ノートを消しゴムで擦る音、黒板に当てたれるチョークの音、その中でも一番うるさく感じるのは、時計の秒針だった。
無限に続いてしまいそうな時間、つまらない日常が俺の世界を構築し鳥篭の中のように感じた。この先、自分は籠の外に出られないと認識してしまったからなのか、はたまた自分が世界の家畜になったと妄言を吐き妄想に取り憑かれる事で自己を保とうとしている表れなのか。
誰もが鼻で笑ってしまうような事を考えている俺は本当に道化だな。それでも天才の人間の思考なんて凡人には理解できないものである。分かってもらえると期待していた俺が愚かだったんだ。
そんな俺はふと昨日の一之瀬の事を思いだしていた。丁度、今と同様に授業を受けている時だ。
不意に視線を感じた。それは隣の席に座っている一之瀬 夏蓮の視線で、そんな一之瀬に俺は言葉を発した。それは一之瀬に聞こえるくらいのとても小さな声。顔の向きは変えずに言った俺は一之瀬の表情をちゃんと見ていない。
だからどんな事を考えどんな風に思ったのか、俺は皆目見当もつかいない。だからこそ一之瀬のその時に言った言葉が俺の脳裏を巡る。『大丈夫よ小枝樹くん』初めに言った言葉ですらその意味を理解することが出来なかった。
そんな俺は少しだけ一之瀬の顔が見えるくらいまで向きを変えた。そして一之瀬は更に続けて言ったんだ。『貴方は貴方よ。どんなに自分を否定しても、どんなに憎まれ役になっても、貴方の優しさは決して消える事はないわ』そう言ったんだ。
それが言霊のように俺に語りかける。意味を探し、理解をする為に模索する。だが、どんなに頭の中で思考を続けても答えが見つからない。それは一之瀬が言った言葉が曖昧かつ不確かなものだと思ってしまっているからだ。
哲学的な考えに近く、思考を繰り返しても答えが出てこない。天才だというのにどうして分からないのかな……。
そんな今の俺は現実に戻り、耳障りな音を感じ灰色な世界をこの目で認識する。これが俺の罰だと言い聞かせながら……。
だがやはり一之瀬の事を俺も出だしていたせいか、隣にいる一之瀬が気になった。
今の授業は日本史。過去の偉人達の逸話や素晴らしい社会の作り方を聞きながら俺は一之瀬の方へと顔を向けた。
そこには、いつもと変わらず授業を受けている天才少女がいて、見つめる先の黒板に何が書いてあるのかと気になってしまうほどの真っ直ぐな瞳をしている。それだけじゃなかった。
疑問を抱いてしまう。どうして、どうしてなんだと自分が見えている世界を疑う。もう何もかも捨てたはずなのに、だから世界が灰色になったのに、やっと俺は自由になれるって思ったのに……。どうしてお前は……。
そんな色鮮やかに俺の目の前にいるんだ……。
分からなかった。自分の目がおかしくなってしまったのだと思いたかった。それでもその映像は現実で、一之瀬だけがはっきりと俺の瞳には映っていたんだ。
見惚れてしまうとは違う。それでも今の俺は一之瀬から目を離すことが出来ない。その時だった。
キーンコーンカーンコーンッ
授業を終える鐘の音が響き渡り俺は我へと返った。
昼休み。
自分が天才だと露見した以来、俺は昼休みを教室では過ごしていなかった。
それは回りの奴らの目が気になるからや、陰口等が聞こえてくるからではない。楽しい昼食の時間を邪魔したくないと心のどこかで思ってしまっていたからだ。
自分が酷い言動をとったことは重々承知だ。だからこそ、そんな腫れ物は独りになっている方が皆幸せなんだ。
そして今日も行く宛てもないまま俺は昼休みという時間を独り校内を彷徨っている。
どこに行っても俺への視線は消えない。何度も思いだした。B棟三階右端の教室の事を……。でも今の俺にはあの場所へと行く権利も無い。だからこそ、日陰を探しひと気の少ない場所を探している。
そんな事を考えている時だった。
「おい拓真」
廊下の床を眺めながら歩いていた俺へと前方から声がかけられる。その声に反応し俺は顔を上げた。
「なんだよ、翔悟」
目の前にいたのは門倉 翔悟だった。はっきり言って今は会いたくない人物だと俺は思っていた。
そんな翔悟は鬼気迫る表情とどことなく静けさを俺に感じさせた。直感で思った。
翔悟は何か特別なことを今から話そうとしている。
でも俺がそんなことに付き合う必要は無い。
「どうしたんだよ。そんな怖い顔して。俺と話してる所を皆に見られてるぞ? 天才野郎と門倉が話してたって噂になったらお前も大変だろ? だから早く昼休みを堪能しに戻れよ。ここにいる回りの奴らの目も気になるだろ」
そう、ここは誰もいないような場所じゃない。普通に生徒達がいる廊下。それも昼休みだ、誰もいないなんて事はない。
俺は辺りに目を向けてみた。そして俺が見た光景は予想通りの冷たい他人の視線だった。口を噤み俺らのやり取りを遠めで見ている胸糞悪い凡人共。
そんな醜い感情が頭を巡っても、翔悟をあしらう為の涼しげな表情だけは変えなかった。
「うるせぇんだよ。回りの奴らなんか今の俺には関係ないっ!! 拓真、今日の放課後、時間空けとけよ」
「放課後……? なぁ翔悟、そんな似非ヤンキーみたいな台詞似合わないぞ? つか、俺は放課後に体育館裏に呼び出されて殴られたりするの?」
小ばかにするような発言。この場で起こった出来事を俺は茶番で終わらせたい。それがコイツの為でもあるんだ。
「ふざけんなっ!! 俺は拓真と勝負がしたいんだっ!!」
勝負……?
今の翔悟が何を言っているのか理解できなかった。久しぶりに俺の目の前に現れたと思ったら、いきなり勝負がしたいと言いだした。
こんな突拍子もない現実をすぐさま理解できるほうがおかしい。天才や凡人という事柄をありにしても理解できない。
「勝負って……、お前いったい何言ってんだ?」
「ずっと俺は逃げてきてたんだ。ずっと俺は見ないフリをしてきてたんだ。でもそれが間違いだって教えてもらった。だから俺は拓真と決着をつけたい。天才の小枝樹 拓真に俺は勝ちたいんだっ!!」
勝ちたい……。バスケ部存続をかけた試合の前にも翔悟は同じ事を言ってた。でも今はあの時と違う。
あの時は俺が翔悟をはやし立てるような言葉を使った。でも今の翔悟は純粋に俺に勝ちたいと思っているだろう。
それは今の真剣な翔悟の顔を見ていれば分かる。そして天才に戻った俺の選択は
「俺に勝ちたい……? お前が俺に勝てるわけねぇだろ。どんなに努力をしてきてたって、凡人は天才には勝てないんだよ。そんな茶番に俺が付き合うと思うか」
そうだ。俺がそんな茶番に付き合う理由なんてない。それに、俺がここで勝負を受けたとしても恥をかくのは翔悟だ。誰もが予想できる勝負なんてやる必要が無い。
確かに翔悟はバスケが上手い。一学期の時、一緒に試合をして俺は強く思った。強豪校だと言われている学校の選手相手にも劣ってはいなかった。
その全てを把握していても、翔悟が俺に勝てる確立はゼロなんだ……。
「何でお前が俺と勝負したいと思ったのかは分からない。だからこそ俺は無意味な行動だと思うぞ」
「無意味なんかじゃねぇっ!!」
翔悟の声と同時に俺は首元に痛みと息苦しさを感じる。それは俺の胸倉を勢いよく翔悟が掴んだからだ。翔悟の言葉はゼロ距離で俺に放たれる。怒りの感情に包まれ、その顔を鬼のようにして。
「やらないうちから無意味とか決め付けんなっ!! 俺は絶対にお前に勝つっ!! それてもなんだ、もしかして俺に負けるのが拓真は怖いのか? 天才だと回りに言ってきて見下すような事とか言ってきて、その評価が変わるのが怖いんだろ? だから俺とも向き合えないんだろ?」
負けるのが怖いだと……? この天才の俺が凡人に負けるのが怖い?
「手ぇ放せよ」
「どんなに凡人を馬鹿にしてたって負けたら何も意味ないもんな。天才なんて本当は嘘なんだろ? たまたまテストでオール満点を取ったからいい気になってんだろ?」
「いいから手ぇ放せ」
「本物の天才だって言うなら逃げんなよっ!! 俺と真剣に勝負しろよっ!!」
ガシッ
翔悟の話しを聞いていてイライラいた。俺がどんなに我慢してきたのかも知らないくせに、俺がどうして凡人になろうと強く思ったのかも知らないくせに……。
俺が今までどれだけ他人の事を気にして生きてきたのか分かってのか……? 何もかも失って、それでも自分を肯定しなきゃ辛いって思って、天才だという事を捨てたんだよ……。
でも今の俺は天才だ。そんな元々の自分を無かったように振舞ってた俺の気持ちがお前にわかんのかよ……!!
怒りという感情が沸々と込み上げてきて、気がついた時には俺の胸倉を掴んでいる翔悟の腕を強く握り締めていた。そして
「放せって言ってんだ」
自分でも驚いてしまうほどの低い声音。俺と翔悟のやり取りを烏合の衆が黙って見ていたせいで、その低い声が廊下に響き渡った。
俺の言葉を聞いたからなのか、それとも俺の表情がとても冷たいものだったからなのか、俺の胸倉を掴んでいる翔悟の力が緩まった。それを感じ俺はすぐさま翔悟の手を振り払った。
そして一歩後退し崩れてしまった襟元を直す。そして
「好き放題言った事は目を瞑る。今のお前の言葉で何も俺を理解していなかった事も分かった。それとお前の勝負は受けてやる。だけどこれだけは覚悟しておけ」
一瞬の間を空けた。
「もう二度と楽しくバスケは出来なくなるかもしれないぞ」
「それでも構わない」
全てを覚悟している目をしていた。きっと翔悟はわかっているはずだ。バスケが楽しく出来なくなるだけじゃ終わらないと……。
それを知っていて構わないと言っているんだ。だから俺は
「分かった。今日の放課後、体育館でいいな」
翔悟の瞳を強く見つめながら言い、俺はその場から立ち去った。
それからの時間が少しだけ遅く感じた。
このまま時間が止まって何も起こらなければいいと強く思ってしまっていたからなのだろう。それでも時間は残酷で、俺の意思とは関係なしに刻んでいく。
そして放課後を迎えた。
HRが終わり、俺は身支度を整える。周囲の人間達の賑やかな声を聞きながら、再びできた親友との最後へと俺は進み始める。
全ての荷物を鞄の中へと乱雑に詰め込み、感情が表に出てしまっているのか自分の席の椅子を強めにしまいこんだ。少し大きな音が鳴る。それでも今の俺の行動を誰かが見ているわけでもなく、俺は空気のように教室から廊下へと出た。
放課後の楽しげな生徒達の会話を耳に当てながら俺は体育館を目指した。階段を下り一歩足を進めるごとに心を落ち着かせる。この先に待っている現実をちゃんと自分でも受け止められるように。
だが、そんな俺の行動を許せないと思っている奴もいるのだ。
体育館へと続く渡り廊下を歩いている時に、その人物は俺の眼前に現れた。そして俺はその人物を見て、少し微笑み言葉をかける。
「ここは通路だぞ? そんな真ん中にいたら邪魔になる。だからそこを退いてくれ、神沢」
神沢 司。一学期の時、一之瀬が持ってきた二つ目の依頼の依頼主。
あの時は探偵の真似事をして少し楽しいとさえ感じていたな。学年一のイケメン王子で、だけど優れているのは見た目だけ。頭も良くないし運動神経だって並程度だ。
それでも俺の事を友達だと思っていてくれていたのは間違いではないのだろう。いつも明るくて虐めがいがあって、率先して楽しそうな事を提案していた。
だから初めてなんだよ、こんなに俺を睨んでいる神沢を見るのが……。
「どかないよ。小枝樹くん」
「おいおい、俺はこれから用事があるんだ。遅刻なんてしたら天才にとって恥だろ? お前が何を言いたいのかはその顔で何となくわかるよ。でも、今はお前と話している暇は無い。だからどけ、神沢」
最後の言葉は少し強めに言った。そうでもしなきゃ神沢はどいてくれない。神沢に威圧をかける日が来るなんて思ってなかったな……。だけど
「どかないって言ってるんだっ!!」
神沢の怒号を聞いて戸惑った。その言葉はとても力強く、そして揺ぎ無い想いが乗っかっているものだと理解できた。この後、神沢が何を話してもちゃんと応えよう。俺にはその義務がある。
「どうして小枝樹くんはいつも一人で解決しようとするんだっ!! 小枝樹くんには僕が、皆がいるじゃないかっ!! 何でも一人で解決なんてできないんだよ? 人間は一人じゃ生きていけないんだよ?」
「確かに一人で解決することはとても労力が必要になる。そして出来ない人間がいる事も間違いではない。でも、俺は天才だ。最小限の労力、最小限の犠牲、そして手段を選ばないという行動をする事ができる。他人に頼るというのも間違いではないが、俺の中では最小限ではなくなる。その時点で俺の提示した最小限に矛盾が発生する。だから俺は一人で解決したいわけじゃない、他人を頼ることを無意味だと思っているんだ」
威圧するわけでもなく冷静に淡々と、俺は言葉を紡いだ。それは真剣に向き合おうとしている神沢への最大限の行為だと俺は思った。
「その話し方、小枝樹くんらしくないよ……。それにその表情だって、僕の知ってる小枝樹くんなんかじゃないっ!!」
今の論点とはずれている言葉。それは神沢が俺になにも言い返せないという証明。感情的になっているのせいというのも否めないが、半分以上は反論する言葉を見失ってしまったからだろう。
神沢は項垂れた。力なく項垂れた。そして震える声で
「でも、今の僕の目の前にいるのも小枝樹くんなんだよね……。分かってる……、分かってるんだ……。でも凡人の小枝樹くんに言わせてもらうね」
そう言い神沢は顔を上げた。その瞳には涙が溜まっていて、女の子のように綺麗な顔がクシャクシャになっていて、一筋だけ涙を零した。
「僕達はこれからだったんじゃないの……? これからもっともっと楽しい事がいっぱいあるんじゃないの……? 夏休みの旅行でやっと皆が一つになれたんだよ……? 僕達はちゃんと友達になれたんだよっ……!! なのに、なにのどうして小枝樹くんがいなくなっちゃうんだ……。嫌だよ……、僕はそんなの嫌だよっ!!」
まるで子供のわがままだった。自分の気持ちが伝わらないから叫び散らす子供。そんな神沢に俺は
「なぁ覚えているか神沢」
少し優しい声音で俺が話し始めると、神沢は涙を流すのを止め、ただ呆然と俺を見てきた。
「夏休みが始まってすぐの時、一之瀬を誘って花火をしてくれって俺が頼んだ。でもその場に俺がいなかった事も覚えてるだろ?」
神沢は小さく頷いた。
「あの時の花火はさ、本当は春桜さん……、一之瀬の姉さんに今の一之瀬を見せてやりたかったから計画したんだ。だからあの場に俺はいなかったけど、近くから春桜さんと二人で皆の姿は見てた。それで、その時も思ったんだ。この先の未来で俺は皆の場所にいない。俺のいないその景色が尤も正しい景色なんだって……」
分かっていた事だったんだ。天才だとバレれば何もかもが無くなってしまうと。それでも凡人の俺は足掻いていたし、もしかしたらこのまま何も無く楽しい日々が続くんじゃないかと期待してしまっていた。
だけど結局、そんな理想は叶わなくて、今の現状が現実なんだ。
「なに言ってるんだよ小枝樹くん……。僕達の中に小枝樹くんがいないのが正しいなんて……。僕達の中には小枝樹くんがいるのが尤も正しいことだっ!! 小枝樹くんだけじゃない、誰一人として欠けちゃいけないんだっ!!」
今の神沢と同じようなことを俺は佐々路に言ったな……。本当に自分勝手な言い分だよ。自分じゃ出来ないのに他人には押し付けて、それが正しいと思わせて……。最低だ……。
「本当に神沢も他のみんなも優しいよな。そんなに優しくされると覚悟が鈍りそうになる。何となく分かってるんだ。きっと雪菜が皆にお願いしてこんな行動とってるんだろ? でも、俺が言えることは……」
神沢は何かを察したのだろう。俺の言葉が一瞬だけ止まった時に瞳を大きく見開き、その先の言葉を聞きたくないという表情に変わっていた。
「もう、俺に関わるな神沢」
そして俺は歩み始める。何も出来なくてただただ呆然と立ち尽くす神沢の横を通り過ぎた。
「ダメだよ……。ダメだよ小枝樹くんっ!! 行っちゃダメだっ!!」
「悪いな神沢。これは凡人の俺の願いでもあるんだ。自分が築き上げてきた大切を壊してほしいと天才の俺に頼んだ、凡人の最後の願いなんだよ」
「それでもダメだっ!! 壊しちゃダメだっ!! 小枝樹くん……、小枝樹くんっ!!!!」
神沢の叫びを無視し俺は体育館へとその足を運ばせた。
二学期が始まってとても苦しかった。でもこれで全部が終わる。
翔悟という親友を裏切り、希望や想いを断ち切ることが出来れば俺は本当の意味で天才に戻ることが出来る。それはきっと誰も望んでいない事なんだろう。この数日間で皆に言われてきたんだ。
優しい言葉を、俺を求める言葉を……。
だからこそ今の俺は翔悟の言っていたように決着をつけなくてはいけない。全てを終わらせるために。
もう俺が雪菜は俺がいなくても大丈夫だし、一之瀬だってきっと大丈夫だ。他のみんなも俺なんかよりもずっと強いし支えあって生きていける。そんな場所に誰かを傷つけることしか出来ない天才なんていう異端は存在しちゃいけないんだ。
体育館へと続く道はとても短いのに、どうしてなのか凄く長く感じてしまった。色々な事を思い出すのには丁度良い長さと言ってもいいのかもしれないな。
今日までのことを思いだしながら俺は体育館の扉の前に到達する。そしてその重い扉を開けた。
扉を開けた瞬間、初めに俺に襲い掛かったのは体育館独特の匂いだ。俺の鼻を刺激した匂いと同時に、体育館内の光景に俺の瞳は驚かされる。
いつものように部活動に勤しむ生徒達ではなかった。それはきっと俺と翔悟の勝負を見に来たギャラリーとでも言っておこう。
どこかで噂が回ったのだろう。昼休み、大勢に人がいる中で翔悟は俺に勝負を持ち出したんだ。放課後までにその噂が広まってもおかしくはない。でも、それを考えるとここにいる全員が俺の敵ってことか。
予想が出来なかったわけじゃないが、ここまで大人数が集まるとは思わなかった。もう少しその辺の事をしっかりしてほしいと教師達に言ってしまいたい気分だよ。
そして気分よく招かれているわけではない俺は、体育館へと入場した。
歓喜が起きるわけでもない、漏れている声は「天才が来たぞ」「本当にやるつもり?」というマイナスな言葉ばかりだ。
だが俺はそんな声で臆したりはしない。
「よう翔悟。こんなに観客集めて、自分の恥を沢山の人達に見てもらいたかったのか?」
バスケゴールの前に仁王立ちしていた翔悟へと俺は挨拶代わりの嫌味を言った。
「何言ってんだ。ここに集まった奴らはお前の敗北を見たい奴らだけだろ?」
卑しい笑みを見せながら翔悟は言い返してきた。そんな言葉を聞いて俺も一瞬だけ笑みを零す。
それは悔しいとか楽しいとか、そんなつまらない感情なんじゃなくて、純粋に天才としての自分に戻っても良いのだという高揚感からきているもだった。
だがその笑みも刹那で、俺はすぐに真剣な表情へと変える。そしてもう一度辺りを冷静に見渡した。俺の見知った奴らが何人かいた。
バスケ部のマネージャーの細川がいるのは当たり前として、その他にも崎本に雪菜、そして
レイ……。
俺は一瞬レイの事を睨みつけた。その視線にレイも気がついているみたいだが、何も反応が無い。まぁ別にここで何があってもレイには関係の無い話だ。そして他の奴も同様だ。
そして俺は翔悟の前で立ち止まる。
「それで勝負っていうのは何をするんだ?」
「そんなもん俺が勝負するって言ったらバスケしかねーだろ」
想像通りに勝負の種目はバスケ。だがこれは俺と翔悟の一対一だ。バスケで勝敗を決めるのは難しいんじゃないのか。
「勝負の内用は1オン1だ。先に相手よりも5勝上げたほうが勝ち。これでいいか?」
バスケで一対一の勝負をしようとするならこれしかないよな。それも先に何勝したほうが勝ちというルールではなく相手よりも5勝という所が試合を長引かせる事の出来る内用になってる。
普通にしていれば俺が簡単に勝ってしまうが、翔悟との勝ち点差が5を超えなければ俺の勝ちにはならないって事か……。
「わかった。そのルールでやろう。まぁ交互に攻守を交代して最低10試合やれば俺の勝ちが決まるって事だよな?」
「おい拓真。あんまり俺をなめんなよ?」
翔悟の表情が変わった。
そして、俺と翔悟の最後が始まろうとしていた……。