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天才少女と凡人な俺。  作者: さかな
第五部 二学期 再会ト拒絶
69/134

24 前編 (夏蓮)

 

 

 

 

 

 

 

 私、一之瀬 夏蓮にいったい何が出来るのであろう。


ふと感じた疑問は自分の頭の中で解決を求めるかのように思考を始めた。


誰もが知っている天才少女の一之瀬 夏蓮。でも私の本質は天才なんかじゃない。ただの凡人だ。血反吐を吐く思いで努力をし続けた結果、今の天才少女の一之瀬 夏蓮という人間は出来上がった。


それは他者の為にやっていた行為ではない。いや、自分以外の人間を他者だというのならそれはきっと他者の為にやってきた行為になるのだろう。


大好きな兄さんの為に……。


そのおかげで私は天才になる事が出来た。だから後悔はない。それどころか、自分の存在そのものが天才少女の一之瀬 夏蓮なのではないかと錯覚してしまうくらいだ。


でも、今の私の回りには天才少女という肩書きは意味を成さない。どうしてなのだろう。どうしてこんな私を受け入れてくれるのであろう。


その答えを知りたいと思っている反面、真実を聞かされるのが本当は怖い。天才少女の好奇心と凡人な私の恐怖が入り交ざり混沌と化す。


だが、今の私はそんな自分の事情よりも他者の事情を優先している。自分でも笑ってしまうくらい可笑しな話だと思う。


私は天才で在り続けなければならない。それは大好きな兄さんの為という理由もあるが、この先一之瀬財閥を継ぐにあたって天才という肩書きは必要不可欠だ。本当の次期当主の兄さんのように……。


だからこそ、こんなふざけた子供の遊びに付き合う必要なんかない。でも、雪菜さんが依頼をしてくれた。いや、私達にお願いをしてくれた。


そんな雪菜さんの想いに私は応えたい。意味が無いことだとは重々承知している。それでも、雪菜さんにとっては意味のある事なんだ。私にとって何も感じない事柄でも、大切な友人にとって意味のある事なら私は何とかしたい。


こんな気持ちをこの私が抱く時がくるなんて思わなかった。


兄さんが死んで独りぼっちの私に誰も手を差し伸べてくれなかった時から、私の心は壊れてしまったのだと思っていた。


自分の力で涙を止め、自分の力で立ち上がり、自分の力で決意した。どんなに辛くても、私は一人で何でも出来る人間になれた。


なのに、全部貴方のせいよ。小枝樹くん。貴方が私の心を侵していったのよ。貴方に出会わなければ、私は今でも自分の願いをただ遂行するだけの人形だった。一之瀬財閥の傀儡だった。


こんな風に考えて認識するわ。私は雪菜さんの為じゃなく、貴方の為に動いているのだと……。


そんな貴方は変わってしまった。天才だという自分の本質が露見し、他者を受け付けなくなった。でも今私の隣に座っている貴方は、昨日よりもっと心を閉ざしてしまっている。


貴方のそんな顔なんて見たくない。いつもみたいに私の事を小バカにして笑ってよ……。貴方が笑ってくれるなら私は何でもするから……。


「さっきから何ジロジロ見てんだよ、一之瀬」


その声はとても小さかった。授業中というのもあってか隣の席に座っている私に聞こえるくらいの声量で小枝樹くんは言った。


授業をする教師を見つめ、気だるそうに頬杖をついている。そんな小枝樹くんは無表情で、私の事なんて見ずに言葉を紡いでいた。


そんな小枝樹くんに私は何も言い返せない。その声音も表情も態度も、全て変わってしまった。きっとこれが本物の天才、小枝樹 拓真なんだ。


色々な気持ちや感情が私の中をグルグルと駆け巡る。今の小枝樹くんの本心を知りたくて、どうして、どうしてと何度も言葉が巡った。それは天才少女らしくない平々凡々な女の子みたいに……。


そうか。小枝樹くんは天才に戻ってしまった。なら今の私は、兄さんが死んでしまう前の凡人だった私に戻っているってこと……?


何も出来なくて兄さんの真似ばかりしていたあの頃の、無力な私に……。そのせいで要らぬ感情が芽生えてきてしまっているというの……? でもそれは小枝樹くんと出会ってから少しずつ戻ってきたものであって……。


待って、私は凡人に戻りつつあった……? 無力で誰も救えない凡人な私に……。また失ってしまう。


脳裏に兄さんの最期が浮かんだ。その瞬間に身体が震えた。授業をしている教師の声は遠ざかっていき、視界が狭まり冷や汗が流れる。隣にいる小枝樹くんに恐怖を感じ、自分が自分ではなくなってしまいそうな感覚になっていた。


私はここまで臆病者だったの……? あんなにも私に手を差し伸べてくれなかった人間達が憎かったのに。だから強くなると決めたのに……。私が凡人だから……? 凡人だから兄さんは死んでしまって小枝樹くんも……。


自分の思考が一瞬にして理解できた。そう、この先どうすれば良いのかちゃんと分かることが出来たのだ。その感覚はとても静寂で、波紋すら起こらない透き通った水面のようにとても静かだった。


そして私のやるべきこと、それは


天才で在り続ける。


今までの人生で培ってきた全ての知恵を振り絞って小枝樹くんを助けることだ。小枝樹くんのようにはなれないと理解している。だけど、どんなに誰かを傷つけても小枝樹くんを助けなきゃいけない。


だって、小枝樹くんに感情のない顔は似合わないもの。喜怒哀楽がコロコロ変わる小枝樹くんをいつまでも見ていたのだから……。


だから、私は私のやるべきことをするだけ。


「大丈夫よ小枝樹くん」


私は小さな声で言葉を発した。その声が聞こえたのか、小枝樹くんは誰にも気づかれない程度に顔の向きを少しだけ私の方へと向けた。そんな小枝樹くんに私は


「貴方は貴方よ。どんなに自分を否定しても、どんなに憎まれ役になっても、貴方の優しさは決して消える事はないわ」


そう言い、私は小枝樹くんの顔見つめながら微笑む。その瞬間、授業を終える鐘の音が響き渡った。





放課後。


私の成すべき事がわかった今、この足を止めている事は出来ない。きっと皆、B棟三階右端の教室に向かってしまっているのかもしれない。だが、あそこの扉は私が行かない限り開くことは無い。


だが、今の状況では雪菜さん依頼を遂行するために小枝樹くんにコンタクトを取っているかもしれない。だからこそ私は、こんな状況になっているのにも関わらず、小枝樹くんに会おうとしない人物に会わなくてはいけない。


そして彼を利用して小枝樹くんが救われる道を築かなくてはいけないんだ。


そんな私が今いるのは同じ学年の他クラスの教室前。HRを終えた生徒達が雑談をしながらチラホラと教室から出てくる。だがその生徒達は私の存在を認識するなり「一之瀬さんがいるぞ」「どうして一之瀬さんがここにいるんだろう?」と好奇心や疑問の声が飛び交っている。


そんな声に耳を傾け続けられるほど今の私は暇ではない。目的の人物が教室内にいるのかを確認することもせずに教室内の人達全員が聞こえるように私は言葉を発する。


「門倉くん、門倉 翔悟くんはいるかしら」


私の声が響くと同時に教室内にいる人達が一斉に私の事を見た。視線が私という点に集中している為か、その瞬間だけ静寂が訪れる。だがその静寂は一瞬だった。


「どうしたんだよ一之瀬。俺になにか用か?」


門倉 翔悟くん。私が小枝樹くんと出会ってから初めての依頼をしてきた細川 キリカさんが所属しているバスケ部の部長。


バスケ部だけあって身長は誰が見ても高い。とても爽やかで優しそうな人。実際とても優しい人だという印象が私にはある。友達思いで仲間思い。そんな門倉くんなのに


「急に来てしまってごめんなさい。それで単刀直入に言うけれど、この後少し時間をもらいたいの」


「時間をもらいたいって俺に何か話しでもあるのか?」


「えぇ。とても大切な話だから誰にも聞かれない場所で話したいわ」


私にとっては普通の会話。本当に今の私は門倉くんに伝えたい事がある。それはとても繊細な内容で、誰かに聞かれていい話しではない。だからこそ私は誰もいない場所と門倉くんに要求した。


だが回りの人達はそれが特別な何かと勘違いしているのだと私は理解する。自分というものを律せない人達が殆どだ。表情や態度が特別な何かを期待してしまっている。これが思春期に起こる些細な病なのかもしれないと思った。


でもそんな小さな事象など今の私が気にすることでもない。私の噂なんて沢山出回っている。今みたいな些細な事から、本当に酷い事まで……。そんな烏合の衆の言葉を気にしていたら身体がもたない。


だからこそ、目の前にある事だけに集中し自分の意思を曲げないように精一杯耐え続けるんだ。


「ごめんな一之瀬。これから俺は部活に勧誘っていうハードな放課後が待ってるんだ。だから話だったらここで手短にしてもらいたい」


苦笑しながらも気まずそうな表情を浮かべる門倉くん。そして彼が言っていることは本当なのだと理解した。だからこそ、私は門倉くんの真意をする為に心を揺さぶるしかない。


「こんな事を言ってしまうのはいけない事だと分かっているけど、門倉くんは逃げるのね」


私の言葉を聞いた瞬間に苦笑していた表情を濁らせる門倉くん。いや、濁らせたのではない。何か自分の中にある疑念や不信感、考えたくなかった事柄、その何かに私の言葉が触れたのであろう。


どこに触れたか分からないけど、どこかに触れて門倉くんを誘導できると確信していた。でも、まだ足りない。


「そうやって現在いまからも過去からも逃げ続けて、小枝樹くんからも友人からも逃げ続けるのね。貴方の笑顔は本物の道化だわ」


彼を、門倉くんを傷つけているのは分かっていた。自分がしている事の罪の深さも十分に理解している。それでも私はここで止まるわけにはいかない。この言葉でも動かなければ、私はもっと門倉くんを傷つけなければならなくなる。


それがとても怖い……。


「わかったよ一之瀬。誰もいない所で話そう」


一瞬、門倉くんの言葉でホッとした私がいた。でもその表情を見せることは無く、私は門倉くんを誘導するように先導して歩き始めた。






 放課後のせいで静けさが倍増するB棟。一学期の頃に比べて本当にこの校舎を放課後使う人達が減ったと思う。


自分の足音と門倉くんの足音が乱雑に響き不協和音になっている。それは今の私たちの気持ちが交差し分かり合えていない証拠なのだと感じた。


そして辿り着くいつもの憩いの場。私はポケットに入れていた鍵を取り出し扉を開ける。


誰もいない空虚に包まれた空間へと足を入れ、ふと見えたのが皆が楽しく笑っていた時の映像だった。


くだらなくて、つまらなくて、それでも笑顔が絶える事がなくて……。そんな場所で今、私は小枝樹くんの親友の心を壊そうとしている。そんな自分を見たくないけれど、現実を受け止めて行動をしなければ何も変わらない。


普段からの私の特等席、窓際まで歩んだ後私は振り返り門倉くんを見つめた。そして


「門倉くん、貴方の気持ちを全部聞かせてもらうわ。ここでなら冷静に話すことが出来るわね」


「俺の気持ち? そんな事はどうでもいい。でも、俺が逃げてるって言った事は訂正しろよ」


私を睨みつける門倉くん。こんな彼を見たのは初めてだった。だからなのか、自分がこんな風に彼を変えてしまった事を少しばかり悔やんでしまっている。小枝樹くんの大切な親友を私は酷い言葉で怒らせてしまった。


でも、今はこんな所で立ち止まる訳にはいかない。


「どうして真実を訂正しなくてはいけないの? もう一度はっきり言ってあげる。貴方は逃げているわ、門倉くん。もし逃げていないと言い続けるのなら、逃げていないという事をちゃんと証明してちょうだい」


「俺は逃げてなんか……」


「ならどうして小枝樹くんを避けるの? 小枝樹くんが天才だという真実を聞いてから、貴方はこの教室に一度も来ていないわ。それどころか、私達との関係すら持とうとしない。それは貴方が小枝樹くんから逃げているという決定的な証拠になるわ」


小枝樹くんが天才だと分かり、城鐘レイがこの教室に来たとき以来、門倉くんはこの教室には来ていなかった。


あの時、一番城鐘レイに傷つけられていたのは門倉くんだったから……。親友の真実を聞き、騙されていたという現実。それと同時に聞かされる過去の親友の話。きっと自分の心が何も分からなくなってしまって、どうして良いのかさえわからなくなってしまっているのだろう。


でも、だからこそ逃げちゃいけないの。


「それはさっきも言ったけど、俺だって忙しかったんだ。部活の練習もあるし、勧誘だってずっとキリカに任せっぱなしじゃダメだろ。部長として俺は最後までその責任を取らなきゃいけない。だから俺にはやるべき事があった。逃げてる訳じゃない」


「それは嘘よ。門倉くん」


私の言葉で動揺する門倉くん。驚いている、困惑しているといった雰囲気が伝わってきた。


確かに門倉くんが言っていた事は本当なのかもしれない。でも、これは決して本当の気持ちじゃない。


「嘘……? おい一之瀬、お前はいったい何を言ってんだ? こんな事で俺が嘘をついてどうするっ!? 俺らバスケ部にはもう時間がないんだよっ! ここで俺が頑張らなきゃ全部失っちまうんだよっ!」


少しずつ感情的になってきている門倉くん。ここで私も感情的になってしまったら本末転倒。心を落ち着かせて冷静に対処するの。私なら出来るはず、天才少女の一之瀬夏蓮になら。


「取り返しのつかない事なんて山ほどあるわ。大切な親友に本当の事を言えなかったというのも同じものね。確かに小枝樹くんは貴方に、いえ私達みんなに隠し事をしていた。その内容はとても大切なもので、きっと彼自身も取り返しのつかない事をしたと思っているわ。でもね門倉くん、貴方が今苦しんでいる事は小枝樹くんの真実を知ってしまった事なんかじゃないわよね」


「何が言いたいんだよ……?」


そんな雰囲気は感じられなかった。きっと私の勘違いかもしれないと思っていた。門倉くんと小枝樹くんは誰から見ても親友で、互いの事をちゃんと考えている間柄なのだと。でもそれこそが勘違いだった。


いつの頃からか、少しずつ門倉くんはあまり私達の所に来なくなった。だがそれも部活が忙しいという内容を全員知っていたから気にも留めなかった。重要な集まりには参加していたし、気にする必要もないと思ってた。


でも、小枝樹くんが天才だと露見して状況が変わった。初めは本当に小枝樹くんに裏切られて避けているのだと思っていたけれど、そんな事で親友という関係が壊れるわけが無い。まぁこれは私が勝手に描いている理想なのかもしれないけれど。


だからこそ言わなきゃいけない。確信はない、単なる誘導尋問だ。


「貴方が苦しんでいるのは、自分も小枝樹くんに真実を話せないから。その真実は小枝樹くんを過去の親友の代わりにしているという事」


私の言葉の後、一瞬の沈黙が流れる。そして


「悪いな一之瀬、今お前が言った事は的外れだ」


的外れ……? えぇそうよね、的外れよね。そんな事は初めから分かっているわ。


「そう、的外れな事を言ってしまったのならごめんなさい。それでも貴方が小枝樹くんの事を想っているという事だけはわかったわ」


「いい加減にしてくれよ一之瀬っ!!」


門倉くんの怒号が響き渡る。


「さっきから何なんだっ!! 何かを知っているような素振りを見せたと思ったら、的外れな事を言って、挙句の果てには俺が拓真を想っているだと!? 俺は拓真に裏切られたんだぞっ!! 信じていた親友に裏切られたんだぞっ!!」


門倉くんの気持ち。私はこれを引き出したかった。


本当の意味で感情的になってもらわないと何も伝わらないと思ったから。これは人間の心理をついた卑しいやり方。天才だと嘘をついている私にはもってこいのやり方ね……。


「本当に小枝樹くんが貴方を裏切ったと思っているの?」


私はゆっくり歩き出し、門倉くんがいる教室の扉のほうへと歩き出す。


そしてこの教室にある乱雑に置かれた椅子の前で立ち止まり


「小枝樹くんはこの椅子に座りながら泣いたのよ。一学期の時の、バスケ部存続をかけた練習試合の後に」


椅子の背もたれの金具に触れながら私は門倉くんに話す。


「私がここに来るまで小枝樹くんが何を考えていたかは分からないわ。それでも私が来た時、小枝樹くんは言ってくれたの。『俺はさ、細川と翔悟の気持ちを踏みにじったんだ……』そう言いながら小枝樹くんは俯いたわ。そして『俺のせいであいつ等を傷つけたっ!! 俺は最低な人間だっ!!』って……」


これは一学期の時の出来事だ。あの時はまだ、私も小枝樹くんの事を全然わかっていなくて、本当に小枝樹くんに酷いことをしていたと後悔している。


無知は罪。何も知らないは言い訳にすらならない。だからこそ門倉くんには知る権利があると思った。


「小枝樹くんが夏休みに自分の真実を旅行先で言っていたわよね? 自分の発作の内容を言っていたわよね? 昔の自分に戻ろうとすると発作が起きるって言っていたわよね? あの時の練習試合の最後のシュート、小枝樹くんが発作を起こしてたってどうして分からないの……?」


辛かった。本当に辛かった。苦しんでいる小枝樹くんの姿が今でも脳裏から離れない。その現実を知らない門倉くんが憎いとさえ思える。


だけど、それを知らないのなら分かり合えないのも当然の事だって思える。


人は言葉を交わさなきゃ、気持ちを伝えなきゃ何も分かり合えない。言葉を使っても分かり合えないのだから……。


だからこそ最低限の努力をしなくてはいけない。何も言わなくても伝わるなんていうのは夢見がちな幻想に過ぎない。


「何も言わなかった小枝樹くんも悪いと思うわ。でも、それを知ろうともしなかった門倉くんにも責任があるんじゃない?」


「……真実なんて知りたくねぇよ」


俯き小さく吐く門倉くん。その声も手も体も震えていて、そして。


「友哉に真実を話された時の俺の気持ちがお前には分かるのかよっ!!」


私を睨んでいた。眉間に皺を寄せながら、唇を噛み締めながら、辛い過去を思い出しながら……。


「アイツは俺に言ったんだ『俺はもっと本気でバスケがしたい』そんな友哉を俺は止められなかった……。一之瀬は俺にもう一度苦しめって言うのかよ……? 俺にもう一回、あの時を繰り返せって言うのかよっ!!」


過去の苦しみに囚われてしまって今の自分を肯定できず、同じ傷を負いたくないと壁を作り自分を守り続けている。


痛い思いはしたくない、怖い思いはしたくない、悲しい思いはしなくない。そうした感情がトラウマとなり本当の自分を曝け出せなくしてしまう。


人の弱さ……。


だけど私も感じる事が出来たの。人の強さを。彼が、小枝樹くんがそれを私に教えてくれた。傷ついてしまった私の心を少しだけ埋めてくれた。だから


「私には貴方に強制はしないわ。確かに苦しい記憶と同じ経験はしたくはない。それは私にも分かるわ。でもね、それを乗り越えて前に進みたいと思っている貴方も確実に存在しているはずよ」


「それでも、俺には無理なんだよ……」


何かを諦めてしまった人間の目。そんな目を今の門倉くんはしていた。その瞳を見て、私はもう抑えられなくなった。


「いい加減にしなさいっ!!」


私の怒号は教室内に響き渡った。そしてその声と同時に瞳を見開き驚いている門倉くんの表情が私の瞳に映し出された。


「どこまで意固地になるのっ!? どこまで目を背け続けるのっ!? 確かに親友に友哉さんに裏切られたのかもしれない。貴方も友哉さんの気持ちを裏切ってしまったのかもしれない。だけど、それでも貴方が小枝樹くんを傷つけていい道理なんてないわっ!!」


気がつけば感情的になり私の声が響いていた。子供みたいに叫んで、天才だという事を忘れて叱咤している。私がこんな事を言えた義理ではないと分かりながら……。


「どうして一之瀬がそこまでするんだ……!? なんで拓真と俺の関係を一之瀬がそこまで考えてんだよ」


「どうして私が考えてる……?」


その言葉を聞いて怒りが沸々と湧き上がってくるのが分かった。手も体も震え、その先にある感情の螺旋階段へと足を伸ばした。


「そんなの決まっているでしょ……。私じゃ小枝樹くんを救えないからよっ……!! 私にはここで、この場所で皆を待っていることしか出来ないのっ!! だけど、だけど貴方は、小枝樹くんに手を差し伸べる事が出来るじゃない……。自分の力で、小枝樹くんを救い上げることが出来るじゃないっ!!」


感情が渦を巻いて、嫉妬が私に巻きつく。初めから言っていた通り善意なんかじゃない。私の欲望を満たす為に門倉くんを利用しているだけ。今この状況で、小枝樹くんを失ってしまったら私の自我は崩壊する。だから自分の力では如何しようもない現実を、他人を利用して解消しようとしているだけ。


本当な何も考えず行動をして小枝樹くんを救いたいと思った。だけど、私はもう何も無い人間じゃないから……。持つべくして与えられた人間だから……。それが後天的なものだとしても……。


「ごめんなさい。少し感情的になり過ぎてしまったわ」


刹那の思考で冷静になれた。そこで門倉くんを見ても、未だに私の言葉でどこか異次元に飛ばされてしまったかのような表情で、虚ろで空間を見つめている。


「こんな状況にしてしまって本当に悪いと思っているわ。でも最後に聞かせて」


そう、私が今日ここに門倉くんを呼びつけても聞きたかった事。


「門倉くんはどうしたいの……?」


静寂になる。門倉くんは深く考えている様子で一生懸命に言葉を探している見たいだった。


「……俺は」


少し口篭る門倉くんを見て私は先に選択肢を決め付ける。


「答えを出すのに迷っている所申し訳ないのだけれど、門倉くんはこのまま何もしないで昔のように親友を、小枝樹くんを失ってしまうのと、自分勝手でもいい誰が傷ついても自分の気持ちを小枝樹くんに伝えて……」


一瞬の間をおいた。そして


「親友でいたいのか」


これが私の最後の決めてだ。これで門倉くんの反応が何も無ければ別の方法を考える。本当に最低な戦法だ。


「なんだよ……、なんなんだよ……。どうして一之瀬が、あの時の拓真と同じこと聞くんだよ……! そんなの、親友のままでいたいに決まってんだろっ!!」


やっと本音が剥き出しになった。これでもう門倉くんの気持ちを本人は否定できない。どんなに自分では出来ないと諦めてしまいたい思いでいっぱいになっても、けっして否定することはできない。


「なら貴方にはしなくてはいけない事があるのではないの?」


「俺がしなきゃいけない事……?」


心が不安定になってしまったのか、門倉くんの頭は混乱しているようだった。まぁこんな風にしたのは私なのだけれど……。


どれだけ自分を最低だと卑下しても許される事ではない。それが分からないほど私は馬鹿ではない。


「それは、貴方が考えて貴方が決めなくてはいけない事よ」


この言葉で私の逃げ道を確保する。私は助言をしたまで、行動を起こしたのは門倉くんが決めた事。


子供じみた言い訳にしか聞こえないかもしれないけれど、私の安全は約束される。


そして数分間の無言の後、門倉くんは教室を後にした。そして残される私。


一つ息を漏らし、窓を開けた。そこには綺麗な夕日が私を照らし出してくれて、何もないこの景色を少しだけ彩らせていた。そして私は考える。


小枝樹くんが何故この景色を見ていたのかを。あの時私が見た小枝樹くんはまだ天才だったのかを。


「ここで何があったの……? 私はここにいてもいいの……?」


怖くなった。何もない景色が今の私の心を映し出しているようで……。何も持っていない私を再認識させるようで……。ゆっくりと漆黒に染まりゆく空が、私の醜さを顕現しているようで……。


それでも知りたくて、小枝樹くんの事がもっともっと知りたくて。どうして私は天才に生まれてこなかったの……?


天才に生まれていれば、簡単に小枝樹くんを救うことが出来たかもしれない。こんな誰かを苦しめる行為なんてしなくて良かったのかもしれない……。


兄さんだって死ななくて……。


ダメ……。今はマイナスな事を考えるのはよそう。全てが終わった後に独りで懺悔すればいい。今は兎に角、小枝樹くんを助ける為に尽力するだけ。


「私がいなくなるその時まで、貴方は笑っていなくてはいけないのよ小枝樹くん」


小さく漏らし、私は一瞬微笑んだ。






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