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天才少女と凡人な俺。  作者: さかな
第五部 二学期 再会ト拒絶
68/134

23 後編 (拓真)

 

 

 

 

 

 

 

 

 どんよりとした空気が俺の回りを囲んでいるような感覚になっていた。


空気が湿っているわけでもなく、空に雲がかかっているわけでもない。これは単なる俺の幻想で自分の今の状況を指している。


暗くなってしまった世界で今の俺は独りぼっち。それは孤独を感じているわけでもなく、空虚になっているわけでもない。自ずと感じてしまう自己嫌悪だった。


駅の近くから家の方へと歩いていき、住宅街に入れば賑やかだった雑踏が嘘みたいに静けさへと変わる。


辺りを見渡して見えるのは、家々の優しい明かりと無機質な街灯の明かり。正反対の明かりが今の俺を鏡のように映し出しているみたいだった。


いつもと同じ道、いつもと変わらない景色。だけど変わってしまったものがある。それは俺だ。


どうしようもならない現実に直面し、混乱してしまった俺は何をしていいのかさえ分からなくなってしまっている。その曖昧で優柔不断な俺のせいで沢山の人が傷ついた。


だけど今の俺はもう大丈夫だ。全てを拒絶する覚悟がちゃんとできた。全てを無くした昔の恐怖に比べれば、こんな事は容易い事だ。もう二度と笑顔にならないかもしれない、それでも俺は天才に戻ることを決めたんだ。


全てが灰色に染まっていき、俺は家路へと歩き続ける。そして、家の前にまでついた時、一人の人物を自分の眼に映し出した。


身長が低く大人びた雰囲気は皆無、黒くて長い髪の毛を一つに結び束ねている少女。その髪は街灯の明かりに照らされて少しばかり輝いて見えた。耳前の髪の毛は束ねておらず垂れ下がっている。そんな少女がかけているメガネが一瞬だけ俺の方へと光を反射させたように見えた。


俺はゆっくりとその少女へと近づく。自分の家の前だ。その少女がいなくても俺はその方向へと歩みを止めなかったであろう。


そして少女の目で俺は立ち止まる。少女は俺の顔を見上げているが何も話そうとはしない。だから俺は


「どうしてこんな所にいるんだ、牧下」


彼女の名を口ずさみ、見下しながら威圧的に言葉を紡ぐ。


「さ、小枝樹くんと、は、話しがしたくて……」


出会った時と何も変わらない牧下。内気で言葉足らずで、儚い雰囲気を纏っている女の子。そんな子に俺は冷たく無感情な言葉を突きつけたんだ。


「別に俺は牧下と話すことなんて何もない。さっさと帰れ」


その言葉を捨て台詞にして、俺は自宅の玄関へと足を向かわせた。


「待ってっ!!」


俺の制服の裾を引っ張り俺を制止する牧下。その行動を感じ振り向くと、そこには真剣な表情で俺を見ている牧下 優姫がいた。だがそれは少しばかろ俺を睨んでいるような表情で、俺の知らない牧下がそこにはいた。


「……はぁ」


俺は一つ嘆息し


「分かった。牧下の話は聞く。だけどここじゃ俺の家族にも回りの家にも迷惑がかかる。近くに公園があるからそこで話をしよう」


そう言い俺は牧下を先導するように歩き出した。





 暗くなった歩き慣れた道を俺は歩く。俺の後ろについてくる少女を誘導しながら。


公園は然程遠くは無い。歩いて数分の距離だ。だがその数分間の無言が俺の心を苦しめているような気がした。


夏休みが終わるまでは仲良く話していた。本当に友達だと思っていた。そんな関係を作り上げることはとても難しいのに、崩す事はとても簡単だ。


そして俺はふと夜空を見上げる。そんな空には何も無くて、雲が見えるわけでもなく星が見えるわけでもない。ただただ暗闇の世界を俺の頭上に作り上げているだけだった。


暗くなっていると言っても、時間帯は夕飯時。仕事終わりの社会人や買い物を終えて帰宅している主婦。そんな人達とすれ違いながら俺は目的の場所を目指した。


どんなに歩いていても、家の前から牧下は一切俺に話しかけてこない。俺が迷惑がかかると言って公園まで自重しているのかもしれない。


そして俺は目的の公園へと辿り着く。そして公園内の街灯下にあるベンチへと俺は腰をかけた。


「それで話したいことってなんだ」


座っている俺を立ったまま見つめている牧下。そんな俺の表情は無で、真っ白な優しさも暖かみも無い街灯の明かりが俺の顔と同時に心をも映し出しているみたいだった。


俺の言葉を聞いた牧下は何も言わない。というか話そうとしない。それはまるで出会った時の牧下を見ているようだった。


他人に自分の意見を言うのが苦手で、自分という存在を表現するのが下手くそな儚い女の子。数分前、俺の家の前で見た牧下はいったいなんだったのかと疑問を浮かべてしまっていた。


「話をしたいと言ったのは牧下だぞ。どうして何も言わない」


再び言葉を紡ぐ俺。だがそれでも牧下は何も話そうとしない。俯き制服のスカートを握り締め、ただただ口を噤んでいる。眉間に皺を寄せ、その可憐な顔を苦痛に顰めながら……。


そんな牧下の態度に今の俺は嫌気がさした。ベンチから立ち上がり牧下の横を通り抜けようとする。


「何も話さないなら俺は帰る。まぁ、ここで何かを話したところで現状が変わるわけでもないからな」


結局、牧下だって分かっているんだ。ここで何をしても、俺が元に戻ることなんて無いんだと。それを理解していて何もしないで終わるより、何か行動をして「私は頑張りました」「やれる事は全部やりました」と自分を言い聞かす言い訳を作りたいだけなんだ。


「そんな事ないっ!!」


背後から聞こえる力強い声。俺はその迫力に負け振り返ってしまった。


そこには俺の家の前にいた強い少女がいて、俺の知らない牧下 優姫になっていた。


「わ、私には小枝樹くんの苦しみが分からない……。わ、私には小枝樹くんを助けられないのかもしれない……。そ、それでも、何も変わらないなんて私は思わないっ!!」


本当に強くなったんだな……。俺が何かをしたわけじゃないけど、少し嬉しいと感じてしまっていた。あの牧下が他人の目を見ながら自分の意見を言っているのが、嬉しかった。


だからこそ、今の俺は天才の小枝樹 拓真で牧下に接しなければならない。


「確かに何も変わらないは言い過ぎたな。変わる可能性は0パーセントじゃない。だけどな牧下、お前の意見を俺が一切聞き入れなかったら、それは0パーセントになる。他人の意見でも揺るがないと覚悟を決めた人間の前では、牧下の行動は無意味だ」


そう、俺が受け入れない限り牧下の行動は意味を成さないんだ。きっと優しい言葉を待っていて、求めている言葉を待っている人ならば簡単に自分の意思を曲げて居心地の良い場所へと戻っていくのであろう。


でも今の俺はもう戻れない。いや、戻る事は許されない。俺の願いは、全ての人達が笑っている未来だ。でもその全てからは俺を除外する。


「ぜ、0パーセントで、む、無意味……。そ、それでも、さ、小枝樹くんは、わ、私の為に0パーセントを変えようとしてくれたんだよね……?」


牧下の0パーセントを変えた……? いったい牧下は何を言っているんだ。


「ぜ、絶対に無理だって思ってるのに、ぜ、絶対に無理じゃないって思ってて、ど、どんなに回りに無茶だって言われても、さ、小枝樹くんは私の為に頑張ってくれた……!! じ、自分の身体に影響が出るのを分かりながら、さ、小枝樹くんは私の為に頑張ってくれたっ!!」


そういう事か……。牧下の友達になる為に俺が行動していた事を、今の牧下は言っているんだ。確かにあの時が頑張っていたのかもしれない。


それはきっと、もう二度と悲しむ人が現れないように。俺がそう願っていたから。だから牧下が負い目に思うことじゃないんだ。俺の自分勝手を牧下に押し付けただけなのだから……。


「はっきり言っておくが、発作が出るという事は予想外だった。それに牧下に対して優しくしたわけでもないし、助けたいと思ったわけでもない。ただ俺は惨めな凡人に正しい道を教えただけだ」


俺はその言葉を吐いて牧下から視線を逸らした。それは自分が言っている事を自分で納得できなかったからである。


あの時の俺は本気で牧下を助けたいと思っていた。だがそれも今となれば凡人になりたいと思っていた俺が仕出かした嘘なのかもしれない。


それか一之瀬と出会ったから、昔の俺に戻れるような気がしていただけなのかもしれない……。


「さ、小枝樹くんは、ほ、本気で、わ、私が惨めに見えたの……?」


初めて牧下と出会ったのは、誰も来ないB棟裏。そこには小さな花壇あって、一生懸命に水を上げて花を見ながら微笑んでいる牧下の姿があったんだ。


どうしてこんな場所にいるのだろうと、初めは疑問に思った。でも、決して惨めだなんて俺は思ってなんかいなかった。


「あぁ。孤独を受け入れられず自分の逃げ場を獲得しようと足掻く、惨めな凡人に見えたよ」


俺の言葉を聞いて牧下の表情が変わった。その瞳を大きく見開き、誰から見ても驚いているという表情。その顔には数秒前に起こった現実を受け入れられない顔だった。


そんな牧下を俺は無表情で見続ける。そして時が動き出したのは、牧下の瞳にジワジワと涙が浮かんできたときだった。


大きく見開いている瞳に涙を溜め込む。そんな涙は瞳と分かつ事無くその場に留まり続けていた。


「これで分かったろ。牧下の知ってる小枝樹 拓真はもういない。今の俺は誰かを傷つける事でしか自己を保てない、最低な天才なんだ」


本当に最低な天才だ。


一之瀬だったらもっと上手く出来てたんだろうな。だけど俺にはそんなに上手く出来ない。俺を否定して俺から離れてもらうことしか、皆の笑顔を守れないんだ……。


その時だった。


「本当に貴方という方はころころ自分というものを変える事が出来るのですね。小枝樹様」


先ほどまで俺が座っていたベンチの目の前に現れる初老の男。街灯の明かりに照らされその姿がはっきりと俺には見える。そして俺は、その男の姿を見た瞬間に言葉を発した。


「……後藤」


俺の言葉を聞いた牧下は後藤の方へと振り向いた。俺はそのまま後藤を睨み続ける。


「お久しぶりで御座います小枝樹様。そして牧下様とは初見で御座いますね。私、一之瀬財閥で執事をさせてもらっている後藤と申します」


後藤は牧下へ深々とお辞儀をした。そんな後藤の姿を見て俺は嫌悪感を抱く。俺の中の後藤の印象は最悪だ。


他者の心の中に土足で踏み込んできて、その人に対して選択を迫る。現実と夢を分からせるかのような口ぶりで翻弄し、人の心を踏み躙る。


きっと後藤は不思議に思っているだろう。あの時の選択と今の俺は全く逆の行動をとっている。誰も傷つけないと選んだ俺が、今は必要最低限に他者を傷つけている。そんな俺の姿を見て、後藤は何を思うのか。


「それでは牧下様は後ほど。まずは小枝樹様です」


頭を上げると普段どおりのいけ好かない笑み。そしてターゲットを牧下ではなく俺にしてきた。その意味はなんとなくわかっている。きっと今の俺の真意を確かめたいのだろう。


「小枝樹様。貴方は前に誰も傷つかない未来を所望していたはずです。ですが今の貴方は大切だと思っていた人間を傷つけている。それはいったい何故でしょうか?」


「すまないがまずは一つ訂正させてくれ。大切な人というものは俺には無い。そして誰も傷つかない未来は凡人の俺が求めたもので、今の俺が求めているものでもない。そんな無意味でくだらない幻想が叶うと天才の俺が本気で思ってたとアンタは思うかの?」


予想通りだ。この質問を俺へとぶつけ揺さぶるつもりなんだろう。でも今の俺は前にあった時のような凡人じゃない。天才だ。


「おやおや清清しいまでに意見を変えてきましたね。自分が理想としていた未来を全て凡人というもののせいにするのですか。本当に貴方というお方は機転がきく。ですが凡人の貴方の意見も天才の貴方の意見なのではないのですか? 凡人でも天才でも小枝樹 拓真という人間は一人なのではないのですか?」


「後藤。アンタの言うとおり俺は一人だ。天才だろうが凡人だろうが俺は俺。だけどなこの数ヶ月凡人で行動をして俺は思ったんだよ。誰も傷つかない未来なんてありえない。これはアンタが前に俺に言ったんだ。あの時ですら理解できていたのに、俺はその理解を無視して行動し続けた。だけど結局は誰かが傷つくばかりで救われない。誰かが不幸だからこそ誰かが幸福でいられる。こんな事、分かりきっていたんだ……」


自分の適当な行動を後悔してた。凡人だからこそ頑張って、考えて、色々な可能性を試して……。それでも上手くいかない。初めから可能性の低いものは消去するべきだったんだ。でも、それを考えれば何も行動できなかった……。


凡人の俺がしてきた事は、きっと間違っているのだろう。だが、間違ってもいないのだろう。その曖昧な感覚が、凡人な俺を堕落させていったんだ。


「そんな俺は誰かを傷つけることしか出来ない天才なんだ……。他者の夢を、希望を、心を壊してのし上がる。それが天才の小枝樹 拓真だ」


「小枝樹様の意見は理解できました。なら、今目の前にいる牧下様を傷つけ壊す事が貴方には出来るということでよろしいですね?」


この質問で俺を試しているんだな。あえてそれに乗っかってやる。


「あぁ。何の制約も無ければ、俺はどこまでも他者を苦しめることが出来る」


この言葉は本心だった。


きっとこれは俺に限ったことではないだろう。人は何の制約も無ければ他者をどこもでも傷つけることが出来る。だが人はそれをしようとしない。それは何故なのか、きっとそれが優しさなんだ。


でも今の俺にはそんな優しさなんて無くて、自分の成しえたい事柄をどんな手段を使っても成そうとする、ただのわがままだ。


「何の制約も無ければですか……。なら小枝樹様のその制約とはいつになれば消え去るのですか?」


後藤から笑みが消え、無表情で俺を見ながら言った。だが俺には後藤の表情が俺を睨んでいるように見えたんだ。その後藤の瞳を見て金縛りにあってしまったように身体が動かなくなる。そしてジワリと冷や汗をかいてきていた。


「小枝樹様の言ったように、制約が無ければ他者を傷つける事が出来るというのが真実というのなら、今私の目の前で起こっていた牧下様との会話には相手を傷つける要素がない。もしあると仰るのであればそれはとても弱い拒絶です。それは未だに小枝樹様の中に制約があるという証。さぁ、その制約をいう枷を解き放ってして貰えますか?」


俺と牧下の会話も聞いていたのか……!? それを知ったうえで俺の前に現れて、俺の心を揺さぶるのか……!?


いや、冷静になれ。これはたんなる挑発だ。冷静に聞けば矛盾が生まれるはず。そこを確実につけば良いだけの話しだ。


「どうして何も言わないのですか? ここで口篭ってしまったら小枝樹様は自分で自分の過ちを肯定することになってしまうのですよ? それとも、私が先ほどまで白林様と佐々路様とお会いしていた話をすればよろしいのですか?」


俺は瞳を見開いた。それは、後藤の言っている現実を受け入れたくなかったからだ。


雪菜と佐々路に会ってただと……? こいつはいったい何を言ったんだ。雪菜と佐々路に何を言ったんだ。


「やっと動揺してもらえましたね。今の貴方は完全に天才には戻っていない。だからこそ自分が大切だと思っている人の名前が出ればすぐにでも動揺する。牧下様を壊せと言った時に貴方は動揺すると思いました。ですが、貴方は動揺せずに私に言い返してきた。だからここで最後の切り札を使う。それが大人というものなのです」


俺が動揺してる……? そんな筈は無い。今の俺は天才に戻ってるんだ。凡人の俺のように動揺なんか……。


「もう一度聞きます小枝樹様。貴方の制約というものの枷をはずしてもてもらえますか?」


制約の枷……。そうだ、俺は自分の利益だけを考えて行動すれば何だって出来る。誰かが傷ついても俺には関係ない。はぁ……、今の俺は天才なんだ。はぁ、はぁ……、だから牧下を傷つける事だって簡単に……!!


「これ以上小枝樹君を苦しめるのはやめてくださいっ!!!!」


俺と後藤の間に大きく腕を広げ、俺を守るように立つ小さな少女。そんな少女の姿は今の俺には大きく見えて、自分の小ささを再認識していた。


「……牧下?」


「い、いったい小枝樹君が何をしたって言うんですかっ!? わ、私は貴方のことを知らないけど、そ、それでも、わ、私の友達を傷つけるのは許せませんっ!!」


どうしてだよ……。どうしてこんな俺の事を守ろうとするんだ……。ちゃんと拒絶出来ていたのに、どうして牧下は俺の前に立っているんだよ……!!


「さ、小枝樹君は天才なんだと思います。き、きっと今まで一人で苦しんできたんだって思える……。で、でもそんな小枝樹君を助けるための力なんて私には無い……。だ、だって私は凡人だから……!! そ、それでも私は思うんです」


背中しか見えない牧下の姿。それでも牧下の雰囲気が変わったのが分かった。


「天才も凡人も一人の人間なんですっ!! 私は偶然、凡人の小枝樹君に助けられただけで、天才の小枝樹君も私の大切な友達ですっ!!!!」


牧下……。


そっか。そんな風に俺の事を思ってくれていたんだな。どんなに拒絶しても、しつこい理由が分かったよ。本当に牧下は優しい奴なんだな。儚くて弱そうに見えても、根っこだけは譲らなくて信念をちゃんと持ってる。


そんな牧下だから、俺は助けたいと救いたいと思ったんだ。友達になりたいって思ってんだ……。


「牧下様。その言葉が本当に小枝樹様に届いていると思っているのですか? もし届いていたとしても小枝樹様の答えはきっと変わらないと思いますよ」


後藤の言葉。それは今の俺に最後の選択を迫る言葉だ。


見ていて分かるくらい牧下の体は震えてる。きっと俺がそうさせてしまったんだ……。でも、俺は牧下にお礼を言いたい。ありがとうをちゃんと伝えたい……!! いつもみたいに優しく微笑んで、優しい牧下の気持ちを受け入れてしまいたい……!!


あんなに弱々しかった牧下が俺を守る為に、後藤にもレイにも恐怖を抑えながら立ち向かってくれたんだ……。そんな牧下に、俺は……。


「後藤の言うとおりだ。どんなに牧下が頑張っても、今の俺には何も届かない。だからもう諦めてくれ」


背中を見ていている牧下の方を叩きながら、俺は言った。すぐさま振り向き、俺の顔を悲しげな表情で見つめる牧下を見つめながら……。


「な、何言ってるの……? さ、小枝樹くん」


「牧下が聞いたとおりだよ。つか、もう時間も遅いから早く帰ったほうがいい」


「う、嘘だよね……? 小枝樹くん」


今の現状を理解したくないんだろうな。牧下ならそうなると思ってた。だから


「今の現実が受け入れられないのは分かる。だからちゃんと言うよ、もう俺に関わるな牧下」


俺は再び、無表情で牧下を見つめながら言った。すると牧下の瞳に溜まっていた涙が流れ落ち、一瞬の間をおいて牧下は走ってどこかに行ってしまった。


そして俺は後藤と二人になる。


牧下の流れる涙を見て後悔しているのに……。あの辛くてどうしようもなくて、自分は無力だと感じてしまっている牧下の涙を見ているのに、俺はそれ以上に気になることがあるんだ。


「おい後藤。いったいアンタは何がしたいんだっ……!!」


牧下がいなくなった公園。街灯に照らされる後藤を強く睨みながら俺は問う。


「私が何をしたいのか。このタイミングで言われるものだと重々承知しておりました。ですが、今はまだその問いに答える事は出来ません。強いて言うのであれば御命令です。この言葉にも御幣が生じる可能性がありますが、今は御命令という言葉でしか説明することが出来ません。申し訳御座いません」


深々と頭を下げる後藤。そして俺の頭の中には命令という言葉が何でも繰り返し流れてくる。


いったい誰の命令なんだ。確か後藤が今現在従者をしているのは菊冬きふゆだ。でも菊冬がこんな事を後藤に命令するわけが無い。だとすれば春桜はるおさん……?


いや春桜さんがこんな命令を後藤にしても何のメリットもない。だとすれば


「一之瀬 樹の命令か?」


「申し訳御座いません。これ以上は私の口から言える事は御座いません」


言葉を濁す後藤。だが、こんな命令をするのは一之瀬 樹以外に考えられない。俺だけならまだしも、雪菜や佐々路、それに牧下まで巻き込みやがって……。


どんな意図があっての行動かは分からないが、許せないと思っているのは確かだった。


「口篭るのは勝手だが、これ以上あいつらにちょっかいをだすことは許さない」


「ですが小枝樹様は他者を傷つけることが出来ると仰いました。その言葉を真実とするのなら、今の言葉には矛盾が発生いたします」


「矛盾? 何を勘違いしてるんだ。俺の傷つけるは必要最低限。その行為に他者の力添えなんかいらない。アンタのやっている事は余計なお世話でしかないんだよ」


牧下がいなくなったからなのか、それとも後藤に対しての敵意が高いのか、俺はゆっくりと非道な天才へと戻ることが出来た。


「命令だかなんだか知らないが、これ以上俺の邪魔をするなら、俺は一之瀬財閥を敵に回してもいいんだぞ?」


「一之瀬財閥を敵に回す? そのような事を仰ってもよろしいのですか? 貴方の大切な友人だけではなく、大切な家族を路頭に迷わせる事になるのですよ?」


後藤が言っている事は尤もな意見だった。一之瀬財閥という大きな力を敵に回せば俺だけじゃなく、俺の周りにも被害が及ぶ。だが


「そんな事は百も承知だ。でもな苦しいのなんて数年だけだ。はっきり言っておく、10年で喰い尽くしてやるよ」


一瞬だけだが、初めて後藤の恐怖を感じる瞳を垣間見た。だがその時間は刹那で、すぐさま後藤はいつものいけ好かない笑みへとその表情を変えた。


「これはこれは怖い。やっと本来の天才へと戻りつつあるのですね。その非道に満ちた瞳、利益を上げる為ならば他者の犠牲を惜しまない、そして数年先の未来を予測しながらそれでも一之瀬財閥を敵に回すと豪語できるほどの器。小枝樹様、貴方は紛れも無く天才ですよ。ですが、今は貴方を敵にしたくはない。私の行動も少しの間控えさせてもらいます。次に会うときは真実をお話するときです」


そう言い後藤は姿を消した。ベンチの前を照らす街灯の明かりに残像を残しながら。






 後藤がいなくなった公園を後にし家路に辿る。


牧下を傷つけた事を予想どうりに事が運んだという感覚になっているが、後藤が現れたということは予想外だった。


だが後藤が言っている事に間違えは無く。俺の心が天才から離れ、凡人の優しさが前へと出ようとしたのを阻止してくれた。そのおかげで俺は牧下を完全に拒絶できたんだ。


不幸中の幸いとはこの事なんだろうな。後藤がいなきゃ俺はまた中途半端になっていたかもしれない。そしてこの先も、ちゃんと天才な自分を受け入れられず、凡人でいた時の微温湯を忘れられなかったかもしれない。


そうなればもっと皆を傷つけていた結果になっていただろう。


今の俺は苦しいとか悲しいなんて感情は殆ど無くて、頭の中がクリアになり冷静に思考できている。可能性、利益、不特定多数の行動、思考、その全てを計算し答えを導びけるようになってきている。


それは中途半端に俺の中になった凡人という枷が少しずつ解かれていっている証拠だ。これでやっと俺は天才に戻ることが出来るんだ。


そう、やっと……。


そんな事を考えていると俺は自分の家に辿り着いた。玄関を開け暖かい空間へとその身を入れる。


玄関を照らす明るい電気、綺麗に並べられた靴と散乱している靴。玄関の靴入れの上には意味の分からない置物が神の如く丁寧に置かれている。


これが俺の家。今の俺が守りたいもの。そうなんだよ、俺はもう家族が幸せであればそれでいいんだ。それ以上、何も求めない。この空間があればいいんだよ。俺が幼い頃から求めていた居場所はここなんだ。


「おかえりお兄ちゃん」


少し考えすぎていたようだ。玄関に長いこといたような感覚になっている。きっとその時間は刹那なのかもしれない。それでも自分の思考が時間の感覚を錯覚させる。


「あぁ、ただいまルリ」


俺はルリの声を聞いて我に返り、靴を脱ぐ。


「どうしたの? 何か凄く疲れた顔してるよお兄ちゃん」


「そうか? まぁ俺も俺で色々あるって事だよ」


俺はルリに返答すると頭を撫でて二階へと続く階段を上がる。その時


「お兄ちゃん……!」


ルリの声が聞こえたと同時に背中に温もりを感じた。それはルリが俺の背中に張り付いているからだった。


「あたしはね、何があってもお兄ちゃんの味方だよ」


味方……、か。


「急に何言ってんだよ。でも、ありがとなルリ」


そう言いながら俺は自分の部屋へと向かう。


俺は何をしたかったのだろう。天才である自分を拒絶して、そして今は凡人である自分を拒絶した。きっと考えれば初めからわかることだったんだ。こうなる未来なんて……。


でも俺はレイが一緒にいたあの楽しい空間を忘れられなかったんだ。だから俺はまた同じ過ちを繰る返してしまったんだ。全て俺の罪。


だが今の俺は後藤のおかげで天才に戻りつつある。


真っ暗な自分の部屋。着ていた制服を脱ぎ床へと放り投げる。電気はつけない、カーテンも開かない。少しだけカーテンの脇から差し込む光だけの世界で俺は考える。


もう少しで俺は本当に天才に戻る。そうすれば俺はあの楽しかった空間には戻れない。だからこそ未だに凡人の俺が残っているのだろう。だから、凡人の俺がいる今のまま少しの想いを思考しよう。


俺は親友を傷つけた。そして家族に裏切られた。だから全てを拒絶した。そのまま高校生になって杏子にある場所の鍵をもらった。


そこは埃っぽくて何もない誰も使わない教室。その時の自分と同じようだと感じた。すぐさま教室の埃をなくす為に俺は窓を開けた。そこには


夕方だったからなのかオレンジ色に輝く空が俺の瞳を埋め尽くした。何かがあるわけでもない、綺麗な景色でもない、どこでも見れる夕日だった。


でもその時の景色が俺に言ったような気がしたんだ。


『何も無くていい、何も無いがいい、特別じゃなくても綺麗に見えるだろ』


その時俺はもう一度頑張れると思った。天才の自分を捨てて凡人の自分になろうと。


そこからの毎日は楽しかった。くだらない話をして、くだらない事で盛り上がって、つまらないことで笑って、つまらない事で喜んで……。


レイがいたあの時とは違うけど、本当に楽しいって思ったんだ。そして


アイツと出会った。


今の俺を見たらきっと怒るんだろうな。馬鹿じゃないと俺を卑下し、最後には優しく笑ってくれる。そんなアイツに出会ったから俺はもっと楽しくなったんだ。


でも、ごめんな。俺はもう凡人じゃいられない……。あぁ、もっともっと楽しいことしたかったな。もっともっと一緒に笑いたかったな。


だから、これが最後だから、声にして言ってもいいよな……。


「助けてくれ……、一之瀬……!!」










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