23 前編 (拓真)
レイが転校してきてから一週間強経った。その時間は俺がもう一度全てを拒絶している時間と同等で、あれから俺はあの場所にも、アイツ等とも自分からは接点を持たないようにしていた。
だが、何があったのか分からないけど、レイが転校してから三日目以降、皆は俺にいつも以上に積極的に話しかけてきていた。
まぁバカなアイツ等だ。皆で何かを話し合って俺を助けたいだのどうにかしたいだのっていう結果になり、俺から見た不自然な行動を取っているのだろう。
そんなバカバカしいことに付き合うつもりはないし、これ以上俺と関係を持っていても何も良い事なんてない。
それは学校中の連中を見れば分かることだ。
俺が天才だとばれて以降、クラスだけではなく学校中の人達が俺を見る目を変えた。それは生徒達だけではなく教師も同じような目で俺を見るようになっていた。
だが、俺の事を昔から知っているアン子だけはいつもの様に接している。そんな事に対して少し前までの俺なら感謝の気持ちを言っているのかもしれないが、今の俺にはそんな感謝の気持ちなど皆無であった。
どうしてアン子が普段通りでいられるのか、それは考えればすぐにでもわかる。それはアン子は教師であって学校で俺と会うことは仕事だからだ。
私情をはさみ仕事を疎かにすることをアン子は嫌う。昔から完璧主義というかなんというか。それでもプライベートになればきっと感情的になってくるだろう。その時、俺はアン子に何を言うんだろうか……。
それは今考えても分からない事で、それを考えている時間すら無意味に思えてしまう。
天才に戻った俺がここまで虚無的な人間だとは思っていなかった。本当に何もかもがどうでも良くて、自分の為に頑張ってくれているのが分かるのに、それでも皆の事を拒絶する。
そして思うんだ。くだらないと。
それが今の俺が素直に思っている感情であって、その気持ちを他者に変えられることはない。どんなに自分の大切だと思っている存在が何を言おうとも、もう受け入れない。
そんな事よりも来週に控えている前期テストの事を考えたなくてはいけない。
きっと学校中の奴等が今、俺に思っている事は『本当に天才なのか』だ。だからこそ前期テストでの一位は絶対だ。
まぁはっきり言って簡単な事なんだけどな。それでも一之瀬が居る状態でのテストとなると、全教科満点が必須だな。きっと一之瀬も全教科満点をたたき出す。それは一年の成績を見ていれば分かる。アイツは全てのテストで満点を取り、学年一位をキープし続けている。それでも狙って真ん中の順位に居続けた俺だ。満点なんて簡単すぎる。
誰もが苦労し時間を費やしてやっとの思いで達成できる事柄を、俺は殆ど何もしないですることが出来てしまう。だからこそ、そのような存在は疎まれ一般社会からはじき出されていく。
有能過ぎる存在が一般的人の集団の中に居れば、そのバランスはいとも簡単に崩れ、更にその有能な人間にカリスマ性が無いとすれば……。
やめよう。考えていてもしょうがない。どんなに深く考えても、今の日常が劇的に変わることなんて無いんだ。
色々な事を思考しながら、俺は学校につき教室の自分の席に座る。
教室に入った瞬間、いやこの学校に入った瞬間の他の生徒達の視線は冷ややかなもので、本当に自分が元の天才に戻ってしまったと実感した。
それだけでは無く、毎日のように話される俺の噂話。聞こえないフリをしていても、自分が最低な人間なのだと再認識できてしまう。
「おっはよー小枝樹っ!」
席につき、他者の声を遮断しようとしている俺の背中を強く叩き、朝の挨拶をしてくる女子がいた。
そいつは俺の事が好きだと言ってきた奴で、いつもいつも元気一杯で、天才な俺を受け入れてくれた奴だ。だが俺は、そんな女子にも優しくするつもりは無かった。
「あぁ、おはよう佐々路」
俺は一瞬だけ佐々路の顔を見た後、すぐさま視線を変え小さく覇気の無い声音で応答した。
これが今の俺。夏休みを終える前までの俺には戻れない……。
「もう小枝樹ってば朝からテンション低すぎるよー」
そう言いながらケラケラ笑う佐々路。その光景は普段と何も変わらないもので、そんな佐々路を見ていると俺の心がズキリッという音を奏でた気がした。
だが、そんな事を感じていても俺は何も変わらない。いや、これが一年前の俺なんだ。そうこれでいい、これでいいんだ……。
佐々路の言葉を無視して俺は自分の鞄から授業に使う教科書やノートを取り出していた。それでも佐々路は諦めずに俺に話しかけてくる。
その内容はごくごくありふれた日常的なもので、一学期の時と、夏休みの時の感覚を思い出させるものだった。
そんな会話の内容ですら俺は反応せず、自分の世界に浸る。だが、そんな会話をしている佐々路の事を悪く言う奴等が現れる。
俺や佐々路にも聞こえるくらいの小さな声で「どうしてあんな奴に話しかけるんだろう」「たぶん佐々路も小枝樹と同じなんだろ」そんな会話が聞こえてきて、それを聞いた佐々路は怒りをその表情に出していた。
その顔を見た俺は席から立ち上がりその場から立ち去ろうとする。そして俺は佐々路の耳元で囁いた
「もう、俺に関わるな」
その言葉を言った後、俺は教室から出て行った。本当な佐々路の方を一瞬振り向こうとしたが、今の俺にはできなかった。だって、どうせ佐々路は悲しそうな表情をしていると思ったから……。
そんな日々が続き、少しずつだが俺の事を話す奴等が減っていった。それは前期テストへと皆がシフトチェンジしたからであって、俺の事を許したとか完全に興味が無くなったとかではなさそうであった。
結局、レイとぶつかったのも初日だけで、あれからレイは俺に絡んでこない。
俺が学校内で一人になったからだと俺は推測している。というかそれくらいしか理由が思いつかない。それでも無駄に絡んで来られるよりかはマシだと思っていた。
そして何の緊張感も無いまま前期テスト週間に入り、各々が恥をかくまいと必死で解答欄を埋めていく。そして俺も、誰の事を気にせずテストという無駄で何も生まない競争というつまらない競技を淡々とこなしていった。
全てのテストが終わり、学年別順位表が廊下に張り出される日。その日はテストが自分の手元に戻って来る日でもあって、一番初めに張り出される順位表。上位は合計点を表記され、階は順位だけ表記される。
そして二学年の順位表が張り出されている廊下前、そこにはいつもの様に人混みができている。そんな集団へと俺は近づいていく。
すると俺の存在に気がついた一人の生徒が俺の顔を見るなり驚いた表情を見る。そしてその生徒は体を端へと寄せ、俺に道を譲るような動きをみせる。このような奇怪な行動を取るものはその生徒だけではなかった。
俺の姿を見た生徒は皆避けていく。そして俺は何の苦もなく順位表の前まで辿り着いた。普通なら順位表を見る前、緊張をしてゆっくりと恐る恐る順位表をみる生徒が殆どだ。
だが今の俺には何も恐れるものなんて無い。そして俺は表の上から順位を確認した。
1位 一之瀬 夏蓮
1位 小枝樹 拓真
この場にいる全ての人達が唖然としているだろう。俺と一之瀬の結果の隣には全ての教科で満点を出した合計点が記されていて、天才少女と凡人な俺の名前が同じ順位で並んでいる。
そんな結果を見ている人達は俺の名前すら知らなかったであろう。一年の頃から真ん中の順位に居た俺の名前なんか。
だが、俺と同じクラスの者達は別だった。そして俺が天才だという事実を噂で聞いた奴等も何も知らない人達とは表情が違っていた。
俺は自分の順位を確認し、何事も無かったかのように順位表に背を向ける。そこには沢山の生徒達が俺の事を驚きの表情で見ていた。だから俺は
「そんな顔すんなよ。これが天才と凡人の差だ」
その言葉を投げ捨て、俺はその場から教室へと向かっていった。
朝の出来事を見ていた生徒達は俺の事を影で悪く言う。それは自分達に出来ない事を簡単にやってしまった俺に対する嫉妬であって、群れに属さないと何も出来ないひ弱な凡人達の集団と化していた。
個々の力では何も出来ないと悟り、集団という大きなものの中に属する事で自分達の虚栄心を守ろうとする心理。そんな集団に属している者達は何も分かっていない、弱者の集まった集団が力の無い虚像という事に。
それでも人は何か少し大きめなコミュニティーを求める。それは自分達の無能さを他者を蔑むことによって補おうとするつまらない集団心理。
そんな場所に居るから何も見えず、自分の能力を飛躍させる為の努力を疎かにする結果になるんだ。
だが、今の俺のように涸という存在になるのが良いという事でもない。天才は自ら孤独になるのではなく、ただただ理解者がいないだけなんだ……。
そんな風に考えていても何も始まらないし何も解決はしない。そして事件というものは唐突に、日常という当たり前な日々に起こる不可解なものだ。
それは放課後の事だった。
きっと俺はもう学年中の奴等を敵に回しただろうな。でもそれでいいんだ。俺みたいな奴に関わらばろくな事なんてない。異端は異端のまま放っておけばそれでいいんだよ。
俺は帰り支度を整え教室から出た。そして昇降口へと続く階段を下りる。その時
「おい、拓真」
階段と階段の間にある踊り場から俺を見上げながら、そして睨みつけながら声をかけてくる一人の男子生徒。俺はその男子生徒の顔を見て嘆息した。そして
「なんだよ、レイ」
今の状況からして俺はレイを見下す形になってしまっている。そんな俺を見ているレイは、俺の事を呼び止めたのにそこから先、何も話さずただただ俺を睨みつけているだけだった。
どれくらいの時間が経っただろう。きっとものの数秒だろうか。でも俺にはその静寂があまりにも長く感じてしまっていた。そして
「何も用がないなら俺は帰るぞ」
そう言い再び階段を下り始める。そしてレイの横を通り過ぎようとした時だ。
ダンッ
壁に何かを打ち付ける音と同時に、背中には痛みを、そして首元には息苦しさを感じた。そう、俺はレイに胸倉を掴まれ壁へと叩きつけられたのだ。
その現実に気がつくのには刹那な時間だけで十分だった。
「いったい、お前は何がしたいんだよ拓真……!」
俺よりも身長の高いレイは、今の俺を見下しそして低く音量の小さい声で俺に問う。だがそれでもレイの言葉には怒りが詰まっていて、眉間には皺が寄っていた。
「何がって、なんだよ」
そんなレイとは正反対に無表情で覇気の無い俺は淡々とレイに問い返した。
「今日の朝のことだ。お前の成績は調べたから知ってる。なのに今回のテストでは全て満点だと? それに他の生徒達を煽るような台詞。いったいお前は何がしたいんだ」
「そういうことか」
俺はレイの話を一通り聞いて、少し俯き言葉を発した。だがレイにはそんな俺の態度が気に入らなかったのであろう。
「なに分かりきった顔してんだよっ!! なに悟ったような顔してんだよっ!! 拓真が俺の全てを奪った事を忘れたなんて言わせねぇぞ……?」
「分かってるよ。俺はレイから全てを奪った。だからレイは俺から奪いたいんだろ? 俺だけが幸せでいるのが腹立たしいんだろ? だから俺は奪われる前に、自分の手で壊すんだ」
そうだ。壊すんだ。全部を無かった事になんてできない。造り上げてしまったモノを無かった事になんてできないんだ。だから俺は壊す。それを誰かに奪われるくらいなら。
「自分で、壊すだと……? ふざけんなっ!! 拓真のモノは俺が壊さなきゃ意味が無いんだよっ!! なのにどうして、今更天才なんかに戻ってんだよっ!!」
「何言ってんだよレイ。今のこの俺を求めたのは、お前だろ?」
俯いていた顔を上げ、俺は俺を見つめながら言った。そう、とても冷たく何も感じていない表情で。
そんな俺の言葉を聞き、俺の表情を見てレイは何も言わなくなってしまった。怒りをぶつけたいというレイの気持ちは伝わってくる。だがレイには今の感情を言葉でどう表現して良いのか分かっていない状態だった。
そして再びの静寂。そんな時、誰かが階段を上り俺等に近づいてくる足音が聞こえた。だが今の状況は未だに俺の胸倉をレイが掴んでいる。
「おいレイ、誰かが来るぞ? こんな状況を誰かに見られたらお前も大変だろ? それに今は放課後だ。教師に見られでもしたら問題になるぞ?」
俺の言葉を聞いているのにもかかわらず、レイはいっこうに何も言わないし、胸倉を掴んでいる手をどけようともしない。ただただ俺を睨みつけているだけで、何かアクションを起すことはなかった。そして
「何やってるの……? レイちゃん、拓真……」
階段を上ってきた主に目撃されてしまった。そしてその主の声を聞いたレイは、その主の方へと振り向き
「……ユキ?」
俺とレイの昔からの付き合いで、幼馴染で腐れ縁。そう、俺等の目の前に現れたのは白林 雪菜だった。
今の俺とレイの姿を見て一瞬雪菜は思考が停止したように見えた。だがそれも刹那な時間で、すぐさま雪菜は
「何でこんな事するの……? レイちゃん……」
雪菜はレイがまた俺ちょっかい出しているように見えてしまったのだろう。悲しそうな表情を浮かべながら雪菜はゆっくり俺等に近づいてきた。
「何で……、そんなに拓真を苦しめるの……? 確かに拓真がレイちゃんを裏切ったのが発端かもしれないけど……。それでも拓真は━━」
「うるせぇよ……!!」
雪菜の言葉を遮るレイ。雪菜の言葉もレイの言葉も震えていて、こんな状況を作ってしまっている原因が自分だと理解し本当に嫌になる。それでもこれは俺が望んだ事なんだ……。
そしてレイは俺の胸倉を掴んでいた手を解き、ポケットに手を突っ込んで雪菜の横を通り過ぎた。それは今起こっていた出来事の終わりを告げていて、レイも雪菜も、そして俺も何の言葉も発さずに静かに終わっていった。
レイが居なくなり雪菜は俺の元へと近づいてくる。
「だ、大丈夫……? 拓真」
優しいく温かい雪菜の手が俺の腕へと触れ、その温もりを永遠に感じていたいと思ってしまう俺。だが今の俺にはそんな願いを叶えて良い道理はなく。
「俺は大丈夫だよ。つか今の雪菜なら誰が一番大丈夫じゃないか分かるだろ?」
雪菜の優しさに当てられたのか、俺が少し微笑み、雪菜を優しく諭す。すると雪菜は
「だけど、拓真だって全然大丈夫なんかじゃないっ! あたしは拓真の隣に━━」
「雪菜。お前は昔の俺みたいなヒーローになりたいんだろ? だったら今のお前がやるべき事は一つしかないんじゃないのか?」
何となく分かっていた。雪菜は俺だけのヒーローになりたいとか言っていたけど、本当は皆のヒーローになりたいんだって。ずっと雪菜の世界には俺だけしか居なかった。だから俺だけのヒーローでよかった。でも今は違う。雪菜にだって大切な友達や仲間ができたんだ。
だから俺だけじゃなくていい。雪菜は雪菜らしいヒーローになればそれでいいんだ。
そして雪菜は言葉を無くした。だがそれは一瞬で、次の瞬間には
「わかったよ拓真。あたしレイちゃんを追いかける。でもこれだけは覚えておいて? あたしはちゃんと拓真も救ってみせるから」
そう言った雪菜の表情は俺の知らない表情で。いつの間にか泣き虫で弱虫の雪菜は居なくなってしまっていた。それでも俺は思う。どうやって雪菜ごときが俺を救うんだって。
走り出した雪菜の背中を見ながら、そう思ったんだ。
それから俺はその場に数分の間居続けた。その理由は、帰る為にすぐに動いてしまったら雪菜とレイにまた会ってしまうからだ。
せっかく雪菜がレイの所まで行ってくれているのに、再び俺と会ったら本末転倒だ。
俺は階段の踊り場に腰を下ろし、ゆっくりと流れていく時間を感じていた。だが、その時
「よかった。まだ帰っていなかったんだな拓真」
下の階から上って来た一人の女性教師。彼女はとても綺麗な女性で、スタイルだっていい。出る所は出てて締まっている所はしまっている。まさに女性の憧れを体現しているような存在だ。
明るい茶色に染められた髪はエレガントな巻紙になっていて、一瞬見ただけでは教師というよりも仕事の出来るキャリアウーマンのようだった。
そんな女性教師と目が合った俺は
「はぁ……。次から次へと……。で、何の用だ? 杏子」
如月杏子。俺の幼馴染みたいな存在で今の俺の学校の数学教師をしている。普段なら杏子という名前の読み方を変えてアン子と呼ぶが、天才に戻ってしまった俺にはもう呼ぶことができない。
そんな杏子と目が合っている俺は少しの違和感に気がついた。
慌てて俺を探していたように見える杏子の姿。その表情は不吉なものを伝える為な顔をしていて、その表情を見た俺は何となくだが杏子が伝えたいことが分かってしまった。だから
「はいはい。分かりましたよ。それで、生徒指導室にでも行けばいいのか?」
俺は立ち上がり尻に付いた埃を払い落とす。そして床に置いてあった鞄に手をかけ、その鞄を肩へとかけた。
「あぁ、生徒指導室まで来てもらう」
何となく予想は出来ていた。それは俺が何か問題を起こしたという事実ではなく、問題を起している可能性があるという不確かな仮説を追求するものだ。
本当に問題に取り上げられるとは思っていなかったが、それが現実になるとなんだか不思議と笑ってしまう。
どうしてなのだろうか。どうして、俺が天才でいる事を、この世界の人達は拒むのだろうか……。そんな疑問を浮かべていても現実が変わるわけでもなく、ただただ俺はその現実を受け入れ俺という存在を認めさせなくてはいけないんだ。
そして生徒指導室に着き、部屋の中へ入るとそこには沢山の教員達が待ち構えていた。校長や副校長の姿は無く、その代わりに生徒指導の教師が居た。
生徒指導室の中の空気はピリピリとしていて、俺は連れて来た杏子ですら緊張した表情を浮かべている。そして俺は構えている大人達の目の前に立った。
「小枝樹 拓真君。君が何故ここに呼び出されているのか君自身は分かっているのかな?」
生徒指導の教師が口を開く。その言葉はとても威圧的で、捕まえてきた犯人だと思われる人物に誘導尋問しようとしている小説とかに出てくる警察のようだった。
そんな教師に俺はほくそ笑みながら。
「分かってますよ。今までテストの点数が平均レベルだった俺がいきなり天才少女と言われている一之瀬夏蓮と同位になった。そして俺の席の隣は現在、一之瀬夏蓮。そこから推測するに満点を取った俺がカンニングをしたかもしれないという事ですよね?」
俺の言葉を聞いた教師達がざわついた。それもそうだろう。普通ならばここに呼び出された理由なんて俺には分からなくて当然なんだ。だって俺はカンニングなんてしていないのだから。
だが、それでも俺が一之瀬と同位になった事は不可解な現実で、カンニングでもしなきゃ俺がトップと同位なんて有り得ないと教師達は思っている。
本当にくだらない。
「そこまで分かっているのならカンニングをした事を認めるという事ですね?」
「認めてなんかいませんよ。寧ろ疑われている俺の心が深く傷ついているくらいです」
思ってもいない事を俺は言った。何が傷ついてるだ。凡人のコイツ等を馬鹿にしてほくそ笑んでるだけだろ。そんな事をしたって何も満たされはしないのに……。
そして教師達は俺の言葉を聞いた瞬間に怒りを覚えたのだろう。生徒指導の教師が
「貴方がカンニングをしている事は分かっているのですよっ!! 今、自分の口で真実を話すのなら私達も許しましょう」
「お言葉ですが先生。そんな誘導尋問に引っかかるような馬鹿に俺が見えるんですか?」
怒りを押さえ込むように生徒指導の教師は唇を噛み締めた。そして俺は反撃の好機だと思い言葉を紡ぐ。
「はっきり言いますが、カンニングは現行犯で取り押さえるのが必須です。なのにも拘らず先生方は俺を呼び出した。それは高得点を、いや満点というこの俺では有り得ない点数をたたき出してしまったらだ。その現実を目の当たりにするばカンニングやその他の不正があった可能性を考えるのは不自然ではないです。ですが今回のこの呼び出しは強行すぎます。可能性があるからにしても証拠がない以上、この俺を問いただすのは不自然極まりない。もしも今の俺の言葉で納得できないようでしたら証拠を出してもらいたい。先生方は俺がカンニングをしている事は分かっていると言いました。それは確固たる証拠があるという事ですよね?」
睨みつけているわけではない。だが、ここにいる者全てが俺が睨んでいると思っているだろう。
ただの無表情は相手の感情に左右されその見え方が変わってしまう。
そして俺の言葉を聞いた教師達はその口を噤み、俺から視線を逸らした。ここまで分かりやすく嘘をついていましたという表情を見せられた俺は、少しばかり呆気に取られている。
大人ならもう少し先の事を考えた上で行動をしてもらいたい。
「だんまりという事は、何の証拠も無く俺をここに呼び出したんですね? テストで満点を取ったという事柄だけで生徒を疑い、証拠も無いまま悪さをしたと決め付けたという事ですね?」
俺は教師達をつめる。だが、やはり教師達は何の言葉も発さず、ただただ時計の秒針の音だけが強く耳を打ちつける。
そんな大人達を見ていた俺は、もう我慢が出来なかった。
「だから何も出来ない凡人は嫌なんだよ……」
俺は小さく呟いた。だが今のこの空間は時計の秒針の音が聞こえるくらいの静寂さがあって、俺の声なんてこの空間にいる全ての人たちに聞こえている。そして俺の声が聞こえた生徒指導の教師が
「今、何て言いましたか」
「はぁ……。何の能力も無く、ただただ普通に生活をし他人より少し勉強をして勉学を教える立場になったくらいの凡人が粋がってんじゃねぇって言ったんですよ」
俺は教師を睨みながら言い返した。
「言葉を慎みなさいっ!! 教師に向ってなんていう口を聞くんですかっ!!」
「言葉を慎めだって……? その言葉そっくりそのまま返してやるよ」
ここまでくればただの水掛け論だ。完全に教師側が悪いのは明らかだが、俺はただの生徒。今の言葉遣いでカンニングの話からシフトを変えてくるだろう。まぁ、論点が違うと言えば俺の方が再び優位にはなるが、その行動を取ることすら面倒くさい。
「小枝樹君。貴方ね、学校内で自分は天才だと言い回っているみたいじゃないですか。私達教師の事まで凡人と言い、他の生徒の事も罵ったみたいですね。はっきり言っておきますが貴方が自分を天才だと思っているのは妄想です。そんな他の生徒達が混乱するような発言は迷惑行為にあたいします」
確かに俺は故意的に他者を罵るような発言をした。自分を孤立させる為に酷い言動をとった。だからコイツが言っている事は間違ってない。でも
「俺が天才なのが妄想だって……? 俺だってな、好きで天才に生まれてきた訳じゃねぇんだよっ!!!!」
目の前にあるテーブルを俺はおもいっきり叩き付けた。その瞬間に大きな音が室内に響き渡り、それと同時に俺の怒号が反響した。
「アンタに天才の気持ちがわかんのかっ!? 自分の才能のせいで大切な人達を傷つけちまう気持ちがわかんのかよっ!!」
爆発してしまった俺の感情は止まる事を知らなかった。
「てめぇ等みたいな凡人に俺の気持ちなんてわからねぇよな。お前等が何年もかかってやっと出来るようになった事や、分かるようになった事が、俺には数日で出来ちまうんだよっ!! 何で俺だけ特別なんだよっ!! 何で俺だけ普通じゃねぇんだよっ!!」
「もういい拓真っ!! もういいから……、落ち着け」
後ろから俺を抱きしめるのは杏子だった。俺の身体を包んで、俺の感情を抑えてくれる。
大声で叫んだせいで息が上がってしまっていた。心臓の鼓動が自分でも聞こえてしまうくらい早く打ちつけていて、杏子が止めてくれてやっと俺は冷静じゃないのだと気がついた。
そんな杏子の腕を自分で払いのけ
「ここで何を言っても誰も理解なんてしてくれない。俺はもう帰る」
そう言い俺は指導室から出ようとした。そんな俺の事を誰かが止めるわけでもなく、杏子だけが俺の事を「待て」と言ってくれた。
だが、そんな言葉は何の意味も持たなくて、俺はそのまま生徒指導室を後にした。
◆
生徒指導室を出た俺は足早に校内から出ようとした。それは自分の心がこのままでは保てないと分かっていたから。
自分で気がつく前から違和感があったが、辺りはもう暗くなっている。そこまで長く話していたわけではないのだけれど、この時期になれば陽が落ちるのも早いという事だ。
暗くなってしまってからか、部活動をしている者達も活動を終え、他愛も無い話をしている者達だけが数人残っているという感じだった。
そんな生徒達を横目に見ながら、俺は昇降口で靴に履き替え、急いで帰路につこうとしていた。そして校門を出た時
「待て、拓真っ!!」
俺の事を呼び止める聞きなれた声。その声が杏子だと分かるのに時間はかからなかった。
「なんだよ杏子」
俺は振り返り、他の大人と何も変わらない杏子を睨みつける。だが、杏子が大人になってしまったのだからそのルールを守るのは当然のことで、俺が睨もうが何をしようが杏子には何も関係はない。
「どうしてお前はそこまで他者を受け入れないんだっ!! 確かに今回の事は私達側が悪いのは分かっている。お前の事を知っているのは私だけだ。どんなに言おうが今日までのお前が天才だったなんて誰も思いはしないだろう。だからと言ってあそこまで言う事はなかっただろうっ!! 自分で自分の評価を下げている事に気がつかないのかっ!?」
杏子の言葉は誰が聞いても正論で、俺が間違っているのだと誰もが言うだろう。だが俺は
「受け入れないのはそっちだろ。俺の言葉を鵜呑みにしたくないのは分かる。それでも結果が出ていることには変わり無い。そして杏子は自分で自分の評価を下げると言ったな? はっきり言って凡人の評価なんて俺にとってはどうでもいい事だ」
先ほどまで居た生徒指導室では見せなかった俺の表情。それは杏子を敵だと認識してしまったからこそ出てしまっている表情で。誰がどう見ても、今の俺は杏子を睨みつけている。そして
「もういいだろ……。杏子もこれで分かった筈だ。俺に関わっていても何も良い事なんてない」
「違うっ!! 私は少しでも拓真が幸せになって欲しいと思ってたから……、傷ついていく拓真を見てきたから……。どうして、どうしてお前はそうなんだっ!?」
杏子の気持ちは伝わってきた。伝わってしまったからこそ、ここで俺はまた選択しなくてはならない。
「お前はずっと頑張ってきたよ。俺とか雪菜とかレイとか、そんなガキの事ばっか考えて苦しんで……。ずっと自分だけを責めてきた。だからもういいんだ。もう、俺に関わるな」
精一杯の笑顔を俺はつくった。その笑顔は苦痛が入り混じった不恰好なもので、誰かに見せていい笑顔なんかじゃなかった。
それでも杏子は俺の顔を見て何も言わなくなり、次に出てくる俺の言葉を悲しげな表情で待っていた。
「今までありがとな。杏子」
そう言い俺は杏子に背を向けた。
今日まで何度も何度も天才に戻ると決意してきた。それでも誰かのせいで、その決意は鈍り中途半端な行動を続けていた。だが今の自分を客観的に見て確信した。
俺はもう、誰も受け入れない天才に戻ったのだと……。