18 中偏 (雪菜)
拓真と楓ちゃんがキスをしていた。
誰もいない部屋で、二人きり、間接照明の中、互いが互いを求めるかのように、その唇を重ねあっていた。
あの現場を見てしまったのはたまたまで、故意的に二人を監視していたわけじゃない。だけどあのキスの後、楓ちゃんが拓真を運んだ部屋での会話を聞いたのは故意的だった。
自分の汚い感情がそんな愚かな行動をさせたんだって思う。それほどあたしは拓真の事を思っていて、拓真を苦しめる人を憎むことしか出来ない。
それが自分の中で拓真に出来る精一杯のことで、あたしはまた拓真を苦しめている事を理解出来ていなかった。
「それでどうして楓と雪菜さんは喧嘩をしていたの?」
リビングで喧嘩をしていたあたしと楓ちゃんの間に入った皆。そして冷静さなくなっている状態のあたし達を皆は離しあたしは夏蓮ちゃんと二人きりになっていた。
部屋に連れて行かれあたしはベッドの上に座る。そして夏蓮ちゃんはそんなあたしを監視するように目の前で立っていて、その重圧感がヒシヒシとあたしの心を締め上げるようだった。
そんな重圧感の中、あたしは口を開く。
「別に、なにもないよ」
「何もないのに、あそこまで人は激しく喧嘩をすることは出来ないわ。それじゃなくても未成年の私達はアルコールを摂取することができない。なのにもかかわらず感情的になっていた。それはとても重要な何かが引き金になったとしか私は思えない」
今の夏蓮ちゃんが言っている事は本当に正しいことだ。それでも拓真と楓ちゃんがキスをしていた事実をあたしは伝えたいとは思わない。あの二人がどんな関係にあったとしても、あたしは拓真が笑っていられる皆との空間を守りたい。
そんな風に思うあたしは黙秘を続けた。その態度に嫌気が差したのか、夏蓮ちゃんは話し始める。
「ねぇ雪菜さん。私は楓の事も雪菜さんの事も、それに他の皆のことも大切な友達だと思っているわ。私の事を一之瀬財閥の令嬢として見ることをせず、等身大の私を受け入れてくれた皆の事を私は凄く感謝している」
部屋の窓を開け、夜風を室内に流し込みながら夏蓮ちゃんは話し始めた。
「雪菜さんに小枝樹くんの真実を聞いた時は本当に自分を責めたわ……。無知は罪と言うように何も知らなかった私は小枝樹くんを傷つけてしまった。だけどね、あの時雪菜さんが小枝樹くんの事を話してくれていなければ私はもっと小枝樹を傷つけていたのかもしれない」
目を細めながら数ヶ月前に起こった出来事の話をする夏蓮ちゃん。あたしはそんな話を静かに聞くことしか出来なかった。
「そしてどんどんと楽しい友達が増えていった。そんな空間が私は凄く心地よくて、とても大切にしたいと思うようになった。だからこそ、楓と雪菜さんがどうして喧嘩をしているのか私は聞かなくてはいけないの」
少し悲しげな表情の後、夏蓮ちゃんの瞳はあたしの事を強く見つめた。そんな強い瞳をあたしは見る事が出来なくて、無意識のうちに視線を逸らしてしまっていた。
俯いて目線を逸らしても思い出されるあの光景。苦しくて苦しくて、忘れてしまいたいとあたしは願っていた。
「雪菜さん。全てを話さなくてもいいわ。でも貴女の苦しみを少しでも良いから吐き出してちょうだい。私にはその苦しみを受け止めることしか出来ないのだから……」
あたしの横に座った夏蓮ちゃんはとても優しい顔をしていて、こんなあたしの体を抱きしめてくれた。
優しい言葉、温かい温もり、それが今のあたしの心をおかしくさせる。
「どうしてそんなに優しいの……? あたしは夏蓮ちゃんが思ってるような人間じゃないよ……? だからもう止めようよ。こんなママゴト……」
拓真は言った。今の皆がいるこの場所があたし達の居場所なんだって。でもやっぱりあたしには思えない……。レイちゃんがいない未来を生きていく覚悟は出来た。でもそれは拓真がいる場所で生きていきたいって思えるようになったから。
昔みたいな3人じゃなくても、あたしは拓真がいればそれでいいから……。でも、この場所には沢山の人がいる。あたしと拓真以外にも沢山の人が……。
それがあたしは嫌。どんなに仲が良いフリをしていても、あたしは拓真以外を理解したいなんて思えない。この場所は拓真を苦しめるんだ……。
「ママゴト……? 雪菜さんは本当にそう思っているの……?」
あたしを抱きしめていた体を離し、夏蓮ちゃんは再び悲しげな表情へとその綺麗な顔を顰めた。
「思ってるよ。あたしと拓真にはこんな居場所いらない。誰かと仲良くなれば仲良くなるほど、その場所の居心地が良くなれば良くなるほど、拓真は苦しむし、そんな拓真を見てればあたしも苦しい。だからもうこんなママゴト終わりにするべきなんだよ……」
夏蓮ちゃんの顔は見れなかった。どうして見れなかったのか自分でも分からない。でも、今夏蓮ちゃんの顔を見てしまったら自分の決意や意思がどこかに飛んでいってしまうような気がしたから。
そして訪れる静寂。静かな空間すぎて耳が痛くなった。仄かに香る夏蓮ちゃんの匂い。甘い匂いなのにどこか清涼感があってその香りと正反対の耳の痛みがあたしの心を強く締め付けた。
自分がいけない事をしていると分かっているからこそ苦しくなる。夏蓮ちゃんには何も悪意は無く、本当に今のあたしを心配してくれているだけなんだと思える。
せっかく皆が楽しみにしていた旅行なのに、こんな形であたしが台無しにしてしまうなんて思ってなかった。
それでもあたしは楓ちゃんが許せなくて、どんな状況になったとしても彼女を問い詰める選択肢をあたしは選ぶんだ。そうじゃなきゃ、拓真の隣になんていられない……。
ゆっくりと進む時間。その時間はとても気まずい時間で、息苦しいと感じてしまうほどだった。だが、そんな静寂を夏蓮ちゃんが破る。
「ねぇ雪菜さん。貴女は小さいころママゴトはした?」
不意に脈絡のない質問をしてくる夏蓮ちゃん。あたしはその質問に
「う、うん。したよ。それがどうしたの?」
「私もしたわ。でも数回しかした事がないのだけれどもね。やる時はいつも兄さんがお父さん役で、姉さん私でお母さん役の喧嘩になった時もあったわ」
夏蓮ちゃんにはお兄さんがいる事実をあたしはここで始めて知る。そしてそんな楽しい昔話をしている夏蓮ちゃんはとても辛そうだった。
「私達が喧嘩をしていると兄さんはいつも困った笑顔で私たちの喧嘩を止めていたの。そして最後には『じゃあお母さん役は春桜と夏蓮で順番にやればいいんだよ。僕はずっとお父さん役をするからさ』そう言って私と姉さんの頭を撫でるの。そんな優しかった兄さんは6年前に私のせいで死んでしまった……」
愁いを帯びた瞳で話す夏蓮ちゃん。そして夏蓮ちゃんの話す真実に私は動揺した。それと同時に浮かび上がる疑問。
どうして夏蓮ちゃんはそんな話をあたしにしているの……?
「兄さんの最後を看取ったのは私だったわ。大好きだった兄さんが目の前で息を引き取る所を見た私の精神状態はどんどんおかしくなっていった。私のせいで兄さんは死んでしまった、私がいなければ兄さんは死なずに済んだ。何日も何日も私は同じ事を考え続けたわ」
自分の過去を話す夏蓮ちゃんは苦しそうで、あたしはそんな夏蓮ちゃんを見ているのが辛くなった。
「も、もう止めようよ……。どうして夏蓮ちゃんが昔の話をしてるか良くわかんないけど……。そんな辛い話し、あたし聞きたくないよ……」
「最後まで聞いて」
話の腰を折ったあたしを微笑みながら見る夏蓮ちゃん。そんな夏蓮ちゃんの話しをあたしは聞くことしか出来なかった。
「兄さんはね、風で飛ばされた私の帽子を取りに道路に出て車に轢かれてしまったの。その光景を私は今でもはっきりと覚えている。思い出せば体調が悪くなって、私は今でも兄さんの死を受け入れられていないのだと実感するわ」
「どうして辛くなるのに、そんな話をあたしにするの……?」
「もう失いたくないからよ」
綺麗で長い黒髪を手櫛で整え、夏蓮ちゃんはあたしを見ながらそう言った。
「もうママゴトが出来るほど私達は幼くない。でもママゴトのように幻想の中で生き続けることはとても幸福だわ。それでもね私は兄さんの死を乗り越えて一之瀬財閥次期当主の一之瀬 夏蓮ではなく、つまらない事で笑って単純な事で怒って、私の事を私と認識してくれる友達の中でただの一之瀬 夏蓮になりたいの」
「……夏蓮ちゃん?」
夏蓮ちゃんの瞳には涙が溜め込まれていて、いつその涙が頬をつたわってもおかしくない状況だった。だけど涙を溜め込んでいるのに、夏蓮ちゃんの瞳は真っ直ぐで、自分の想いを本気であたしに伝えようとしていた。
「今はまだママゴトだって言っていてもかまわないわ……。だけど雪菜さんがママゴトで終わりにしたとしても、私が雪菜さんを友達だと思っている事はママゴトなんかじゃない」
とても強い意志を持った天才少女は目の前にいる凡人少女に自分の姿を露わにして、自分は誰とも何も変らない普通な少女だと言いたいように見えた。
愚か過ぎて思考が偏っていた凡人少女はそんな天才少女を見つめる事しか出来ない。そして
一筋の涙が夏蓮ちゃんの頬を流れた。
「どうしてよ……。何で、そんなに夏蓮ちゃんは強いの……? あたしには分からないよ……」
「いえ、雪菜さんなら絶対に分かるわ。だって、雪菜さんの小枝樹くんへの想いはママゴトなんかじゃないから」
あたしの拓真への想いはママゴトじゃない……? それで、夏蓮ちゃんがあたしを友達だと思ってるのもママゴトじゃない……。
「あたし……、あたし……! ママゴトなんかじゃない……、ママゴトなんかにしたくないっ!!」
「ええ」
「あたしの気持ちが拓真に届かなくたっていい……!! でもあたしの気持ちがママゴトみたいに偽りになんてしたくないよ……」
叫び散すあたしを優しく見守ってくれている夏蓮ちゃん。その姿を見てあたしは思う。夏蓮ちゃんは本当にあたし達の事を大切に思ってくれているのだと……。
こんなにわがままで自分勝手で、拓真以外の人間なんてどうでも良いって思っているあたしにすら優しさを向けてくれる。その優しさは虚偽ではなく、なんの偽りもない純粋な気持ちだと夏蓮ちゃんの頬を流れた一筋の涙が物語っているようだった。
その優しさに触れればあたしはきっと簡単に壊れてしまうかもしれない。だってあたしは拓真が壊れてからずっと我慢してきたから……。誰かの優しさに触れて拓真の事を見れなくなるのが怖かったから……。
それでも最近の拓真はあたしに優しくなった。昔のようにあたしを守ろうとしてくれるようになった。でもあたしはそんな拓真の優しさにも甘えられない……。もし甘えてしまったら拓真の苦しみから目を逸らしてしまうそうだから……。
だから夏蓮ちゃんにも甘えられない。あたしは誰の優しさも受け入れない。拓真の苦しみがなくなるその日までは……。
「ご、ごめんね夏蓮ちゃん。少し取り乱したみたい……。でももう大丈夫だから。夏蓮ちゃんも自分の部屋に戻って休んで?」
「だけど雪菜さん━━」
「お願い。あたしを心配してくれてるのは凄く嬉しいし、この旅行をメチャクチャにした事も悪いって思ってる。だけど、今は一人になりたいの」
精一杯の笑顔を作り、あたしは夏蓮ちゃんに言った。その笑顔と言葉の意味を理解してくれた夏蓮ちゃんは
「そう。わかったわ……。何かあったら遠慮なく部屋に来てね」
そう言い微笑んだ夏蓮ちゃんは悲しみを帯びていて、でもそれ以上は何も言わずに部屋から出て行った。
夏蓮ちゃんが出て行ってからどのくらいの時間が経ったのかあたしは把握していなかった。
夏蓮ちゃんが出て行って直ぐに部屋の電気を消してベッドへとあたしは倒れこんだ。
フカフカで温かいベッド。空調も丁度良く本当に寝心地が良い空間だ。なのに今のあたしは眠ることが出来なくて、夏蓮ちゃんの優しさを受け入れられない弱さを噛み締めていた。
どんなに頑張ったってあたしは夏蓮ちゃんのように優しくなれないし、楓ちゃんのように積極的にもなれない。
あたしのポジションは幼馴染。きっと楓ちゃんは昔から拓真と一緒にいるあたしを羨んでるんだろうな。でもさ、幼馴染のほうが凄く辛いんだよ。
子供の頃からずっと一緒にいるって事は、女の子って思われないって事なんだよ。拓真があたしを女の子として見てくれてないのは分かってる。それがあたしは辛い……。
目の上に腕を乗っけ声を抑えながら泣いた。涙が溢れ出てくる感覚、腕の中が熱くなる感覚、頬を冷たくさせる感覚。それら全ての感覚が今のあたしの心をそのまま映し出しているようだった。
あたしはどうすればよかったんだろう……? 楓ちゃんと拓真がキスしたのを黙って見過ごしておけばよかったのかな……? どうしてあたしはこんなにも汚い人間なのかな……。
どんどん溢れ出てくる涙。それと同時に悲しみが増幅しあたしの心を深く傷付けていく。それは自分がしでかしてしまった事だと理解していて、更に自分が惨めになった。
優しさを受け入れられず、大切な人を誰かに取られるのも我慢できない。そしてあたしは呟く
「あぁ……。あたし、こんなに苦しんでたんだ……」
過去の情景が甦りあたしは彼の名前を呼び続けた。
中学三年生の秋。
それは突然で何の前触れもなく訪れた。いつものような日常が始まると思っていた。だけどその日常ですら幻想だったのかもしれないと思えてしまうほど衝撃的で、この日あたしはどうすればいいのか分からなくなった。そう
拓真が全てを拒絶した日。
「おはよう拓真っ!!」
いつもの様にあたしは拓真に挨拶をする。
「あぁ」
素っ気無くなってしまっている拓真の返事。だけどあたしはまだその異変に気がついてはいなかった。
「どうしたの拓真? なんか元気ないねー」
「別にいつも通りだろ」
素っ気無いだけではなく拓真の表情は無に等しくて、全ての感情をどこかに落としてきてしまったかのようだった。
「なになに? どうしたの? 悩みがあるならあたしに相談してよ?」
そう言いあたしは拓真の肩に手を置く。だが、
パシンッ
その手はとても簡単に振り落とされてしまって、その現状を把握出来ないあたしのその場で立ち止まってしまった。
「なぁ雪菜。もう俺等ガキじゃねーんだから、あんまりベタベタすんなよ」
その言葉を聞いてあたしは異変に気がついたんだ。拓真がおかしくなってしまった。その原因は分かる。だけどどうして今のこのタイミングで起こってしまったのかは理解が出来なかった。
優しい拓真はいなくなってしまって、いつもあたしの事を考えてくれてた拓真が消えてしまって、あたしの傍から少しずつ離れていく拓真に手を伸ばすことすらこの時のあたしは出来なかった。
「まって……、待ってよ拓真……」
あたしの声が聞こえていないのか、それとも聞こえていないフリをしているのか分からない。だけど拓真は動揺し混乱しているあたしを一人にしあたしの目の前からいなくなってしまった。
それが拓真が全てを拒絶してしまった日。
それからも拓真はどんな事にも関心を持たず、少しずつ友達もいなくなっていった。
夏休みがあけていきなり変ってしまった拓真を心配してくれる人達は沢山居た。それだけ拓真には人気があったから。だけどひと月ふた月と時間が過ぎれば過ぎるほど拓真の周りには誰もいなくなっていった。
学校の中、クラスの中から聞こえてくる拓真への不信感。あたしはその言葉を聞いて我慢することしか出来なかった。そんなある時、学校内で拓真の噂が広まった。それは
小枝樹 拓真は天才だ。全ての人間を見下し大切な親友をも裏切った最低人間。
どんなに痛い思いしても、どんなに苦しい思いをしても、どんなに寂しい思いをしても我慢できた。だけど、そんな風に拓真が言われる事があたしは我慢できなかった。
そして事件が起こった。
ある時の昼休みの事だった。
「本当なんだって、小枝樹ってマジでヤバイらしいんだよ」
また始まった拓真の噂話。タイミングが悪いのか良いのか、今はクラスに拓真はいない。
そしていつもの様にあたしは知らん顔でその話しを聞き流していた。だが
「でもさ親友を裏切っただけじゃなくて、大人と喧嘩して警察沙汰にもなった事あるらしいぜ」
大人と喧嘩……? あたしを助けてくれた時の話し……? だけどあの件は警察沙汰にはなってなかったし、何かの間違えだ。
「それに家族は崩壊してて妹脅してヤリまくってるらしいよ」
妹ってルリちゃんの事だ。この学校の一年生だし、こんな出鱈目な話しが出回ったら拓真だけじゃなくてルリちゃんも……。
そう思ったらいても経ってもいられなくなった。
「ちょっと。そういう根も葉もない拓真の噂とか止めてくれる?」
感情的になってしまったあたしは拓真の噂話をしているクラスの男子を睨みながら言っていた。するとその男子は
「あー確か白林って小枝樹の幼馴染だよな。つかあれか? 小枝樹とデキてんのか?」
あたしの事をどんな風に言われようがどんな風に思われようが関係ない。拓真のことをこれ以上侮辱されるのは我慢できない。
「別にそんの関係ないでしょ」
「てかあれだ。妹と白林で小枝樹を癒してあげてんのか。なーんだ、白林って結構ビッチだったんだな」
「それに小枝樹くんの近くにいつも居て、女子の間ではかなり迷惑してるんですけど」
男子の後に女子が続いて言う。そしてあたしはクラスの中を見渡し、どこにも見方が居ないのだと理解した。
拓真の事を本気で心配している奴なんていなくて、拓真の見方になる人間を攻撃して自尊心を保つ。そんな馬鹿みたいな人間しかいないんだ。
群衆は時に勇者を殺す。
そしてあたしは一人、何も言い返せなくなって体を小刻みに震わせていた。怖かった、誰も助けてくれないこの状況があまりにも怖かった。あたしを助けてくれるレイちゃんも拓真もいない……。
ガラガラッ
不意に教室の扉が開いた。そこに立っていたのは拓真で、あたしのヒーローで
「おい。雪菜を苛めてたやつ誰だよ」
冷たく淀んだ瞳でクラスの連中を睨みながら拓真は言う。そんな拓真の事を誰も見ようとはせず、当たり前のように拓真への返答はない。
だが返答がないのにもかかわらず、拓真は教室内へとゆっくりと入って来た。そして
「雪菜を苛めてた奴はお前だな」
一人の男子の前で立ち止まり言う拓真。そんな拓真から目を逸らす男子生徒。そして拓真はその男子生徒の胸倉を掴み
ドスッ
力強く握り締めた拳を男子生徒の頬目掛けて振りかざした。その衝撃と共に吹き飛ばされる男子生徒。そして
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
その光景を見た女子生徒の悲鳴。そんな声が聞こえていても拓真は止まる事を知らなかった。
「雪菜を苛めてたのはお前なんだろ?」
倒れた男子生徒に馬乗りになり拓真は胸倉を掴んで言う。そんな時ですら拓真の瞳は淀んでいて、拓真の見方でありたいと思っているあたしですら今の拓真に恐怖を感じていた。
「ち、違うっ! 俺じゃない……!!」
「でもお前も加担したんだろ? だったら同罪だ」
ドスッドスッドスッ
馬乗りのまま男子生徒の顔面を何度も殴る拓真。周りに居た男子生徒は後退りしながら「やばい」と口々にし、女子生徒は悲鳴を上げている人と泣いている人が居た。
「俺の事をどんな風に言っても構わない。だけど、雪菜を苛めることは絶対に許さない」
今の光景を目の当たりにしているあたしはやっと理解した。
拓真はどんなことがあってもあたしの事を守ってくれる。だからあたしも、そんな拓真を守りたいんだ。
結局、この事件は先生が駆けつけ終わりを迎えた。拓真は指導室に連行され拓真に殴られた生徒は保健室へと連れていかれる。
結果だけを言えば拓真はその後、一週間の停学になる。そして馬乗りになって殴った生徒と拓真を止めに入った生徒、計四人が怪我を負い拓真はほぼ無傷の状態だった。
あたしを守るためだったという理由があったとしても、人を殴っている時の拓真の表情は本当に無だった。
過去の情景。あたしが体験した記憶。その記憶はとても悲しいもので、あたしは涙を流しながら言い続けていた。
「拓真……、拓真……。助けてよ……、拓真……」
何度も何度も拓真の名前を呼び続けて、あの時のように助けてくれるのだと信じていたかった。だけど、どんなに拓真の名前を呼んでも拓真は来なくて、あたしはベッドの上で泣き続けた。
そしていつの間にか、あたしは眠りに落ちていた……。