17 後編 (拓真)
俺は部屋で一人ベッドの上に座りながら色々な思考を巡らせていた。
縦長になっている六畳の部屋。その部屋の中は必要なもの以外なにも置かれてはいなかった。きっとお客様用の部屋なのだろう。
勉強机のような机と椅子。そして大きめなベッドがあるだけの殺風景な部屋。
そんな学校の寮のような部屋だが、間接照明ようのスタンドや壁に施されている模様。それら全てが金持ちの人間が自己の表現の為に作られていると俺は思っていた。
「どうして俺はこんなにも弱い人間なんだ……」
ベッドに座りながら俺は呟いた。そして自分の無力さと弱さを後悔し嘆いている。これが俺の今の姿であって、昔の自分では想像もしていなかった現実だ。
何も言えなかった。本当の俺を皆に伝えることが出来なかった。きっと俺のことを理解している人間ならしょうがないと言ってくれるであろう。
確かにあの状況になってしまったら、俺が真実を言うタイミングは完全になくなってしまっていて、どうしようもないことなのだと思う。
だけどその考えは逃げであって、俺が無理矢理話を戻して自分の事を話す事だって出来たはずなんだ……。なのに俺は、神沢や牧下が感情的になって言い合っている姿を見て本当に怖くなった。
ここで俺が自分の真実を話せば俺は楽になるかもしれない。だけどきっと、皆の心はもっと苦しくなって本当の意味で傷を負うことになったかもしれない。
俺はそれが怖かった……。
頭の中で思考を巡らせれば巡らせる度、俺の体温は上がっていき思考の停止を促しているようだった。
「水でも飲むか……」
体温の上昇と同時に喉の渇きを感じた俺は、ベッドから立ち上がり一回のリビングへと向っていった。
静まり返る別荘内。
一之瀬財閥の別荘だということもあってか、一人ずつ部屋が割り振られることになった。
別荘というのに部屋が人数分以上あるという事に驚きはしたが、まぁそのおかげで自分の時間を作れるという点には感謝している。
そんな風に考えていても辺りからはあまり音が聞こえない。皆もう寝てしまったのか?
俺はそんな疑問を抱きながら一階へと行く。そしてキッチンへと向かいコップを取り出し水道水を流し込む。
俺はなみなみと水で満たされたコップを手に持ちながらリビングの大きなソファーに腰を落とした。
一口水を飲み目の前のテーブルにコップを置く。
体の中に流れ込んでくる水の感覚で、俺は自分が考えなくてはならない事を思い出す。
「本当に俺は、何やってんだ……」
俺は俯き自分の情けなさを再度認識する。 手と手を組み祈るように額に当てる。だが今の俺は何を祈るわけでもなく、自分の惨めさを後悔することしか出来なかった。
どうしても言えなかった。あれ以上、皆に苦しい思いをして欲しくなかった。それが俺の弱さで、そのせいでレイの事も裏切る結果になってしまったんだ……。
心の中で助けを求めている。誰かの温もりが欲しい、誰かの優しさが欲しい、誰かの理解が欲しい……。
そんな風に思っていても、俺はずっとこのまま一人なんだと思う。それが俺に課せられた償いであり戒めなんだ……。
カタンッ
「誰かいるのか……?」
部屋の中で何かの音が響いた。その音と同時に俺は音の方へと向き、言葉を発した。そしてそこに居たのは
「ご、ごめん……。もう皆寝ちゃったと思ってたんだけど、小枝樹も起きてたんだ……」
間接照明に照らされ姿を現したのは佐々路 楓だった。いつも跳ねている髪の毛先がストンと真っ直ぐになっていて、ショーパンにTシャツ姿。明らかに寝る前の格好だとすぐに分かる。
そんな俺の事を見ている佐々路の瞳は少し気まずそうな雰囲気を纏っていて、一回言葉を発した後黙り込んでしまった。そんな佐々路を見かねた俺は
「佐々路も起きてたんだな。案外、佐々路って夜型か? それとも喉が渇いて下りてきただけか?」
優しく言葉をかける。だが、それでも佐々路の表情は何も変らなかった。だからこそ思う。今の俺は頑張って笑顔を作ったところで無意味なんだと。
俺は作り笑いを止め
「わるい。今は独りになりたいんだ。用事がないなら部屋に戻ってくれないか?」
冷たく言い放ち、俺は佐々路を拒絶する。それほど今の俺は考えなきゃいけない事が多すぎるんだ。部屋で考えれば良いのかもしれないが、少しでも広く自分の存在が小さくなるような場所で考えたかった。
俺の言葉を聞いた佐々路は悲しげに俯く。そして一瞬唇を噛み、佐々路は口を開いた。
「あたしまた嘘ついた……。皆が寝たと思ったなんて嘘……。本当は、きっと小枝樹がここにいるって思ってた」
小さな嘘。俺にとってはどうでも良いような嘘をついたことを後悔する佐々路はゆっくり近づいてきて俺の隣に座った。俺の隣にちょこんと座る佐々路の髪から良い匂いがした。
そんな佐々路を俺は無意味に見つめる。
「そ、そんなにジロジロ見ないでよ……。お風呂上りだからスッピンだし……///」
佐々路の頬が少し赤くなってた。きっと風呂上りで火照っているんだろう。そんな佐々路を見ていたら、なんだか少し心が楽になった気がした。
「それで、俺がここにいるって思ったんだろ? なんか俺に用でもあったのか?」
「別に用はない……。ただ少しだけ小枝樹と一緒にいたかっただけだから……///」
俺と一緒にいたいか……。こんな俺と一緒にいたところでいったい何になるんだ。それで今の俺は隣にいる佐々路に少しドキドキしていて、そして凄く心地が良いと思っている。
「用がないなら独りにしてくれって言ったのに、お前は本当にバカな奴だよ」
俺はそう言い最後に呟く
「俺は、大丈夫だから……」
「……小枝樹」
「つかさ、俺が自分の話をしてあの状況になるかもしれない確率のほうが高かったんだ。まぁ神沢と牧下があんなに感情的になったのは予想外だったが、それでも俺の想像の範囲内で事が終わった。結局、あの場の雰囲気のせいで自分の事を全部話す事は出来なかったし、きっとこれからもしないと思う。嘘をつき続けても、皆と一緒に俺はいたい……」
心配そうに俺は見る佐々路。そんな佐々路の熱が伝わってきているのか、俺の体温も少し上がっているような気がした。
「ねぇ小枝樹ってさ昔からそんな感じだったの?」
急に脈絡のない何を聞きたいのか分からない質問をされる。
「そんな感じって何がだよ?」
「だから、今みたいに勝手に自分で予想を立てて最悪の未来を想像して理論的に物事を把握しようとしてる感じ」
テーブルに置いておいた俺の飲みかけの水を、佐々路は何の躊躇いもなく一口飲み、俺の事を見た。そんな佐々路の質問を俺は真面目に答えることにする。
「昔か……。小学生の時はもっと無鉄砲だったな。気に食わない事があれば直ぐに怒ってたし、勝てないって分かっててもムカついたら喧嘩してたし。保身を考えるようになったのはレイを裏切って、家族に裏切られた後からかな」
「レイ?」
「あーすまん。俺が裏切っちまった親友だよ。レイとはさ、いつも喧嘩ばっかしてたんだ。俺のほうが足が速いとか、俺のほうが気に上るのが上手いとか、本当にあの頃は毎日が楽しかったな」
楽しかった頃の記憶を甦らせ、自然と笑みが零れていた。そんな俺を静かに見つめ、話を聞いてくれる佐々路。
「でもさ毎日毎日喧嘩ばっかしてるのに、雪菜が誰かに苛められたりしたら二人で助けに行くんだ。それで最後はボロボロになって息を切らしながら地面に二人で横たわって、そんな腫れた顔を見合って大笑いするんだ。まぁ雪菜はいつも横で泣いてたけどな」
「本当に楽しかったんだね」
微笑む佐々路を見て俺は我に帰った。そしてその瞬間、俺の気持ちのバランスがおかしくなる。
「なぁ佐々路。どうして俺はこんな風に生まれたんだろうな……。本当の親の顔も知らないし自分が何者なのかも分からない……。心の中でずっと叫び続けてるんだ。どうして俺が、どうして俺が、どうして俺が━━」
きっと今の俺は泣き出しそうな顔をしているかもしれない。佐々路には今の俺がどんな風に見えているんだろう。惨めに見えるのか? 哀れに見えるのかな?
そして俺は今まで言わなかった本当の自分の気持ちを言い放つ。
「天才で生まれたんだって……」
天才。この世界で俺が尤も忌み嫌っている存在。
何でも出来て何でもこなして、そのおかげで周りからは称賛されいつも笑顔の中心にいる存在。だからこそ天才という存在のせいで傷ついている人間の影すら見えなくなってしまう。いつもいつも陽の当たる場所にいる天才は影で泣いている凡人に気がつかない。
たったそれだけのせいで、俺は親友を裏切る結果になってしまい。俺が凡人になりたいと願うようになってしまった。
そんな俺が嫌いなのは天才少女の一之瀬 夏蓮ではなく。他でもない自分の事だった。
同族嫌悪という言葉があるように、一之瀬を初めて見たときから自分を見ているようで嫌だった。それに一之瀬は俺とは違い、誰かを幸せに出来る天才であって、俺は誰かを傷つけることしか出来ない天才だったんだ。
そんな一之瀬を見て嫌な気持ちを羨ましいと思う気持ちが芽生えた。その時やっと俺は自分が卑しい人間なんだと理解したんだ。
これが俺の真実であり、皆に言う事の出来ない俺の秘密だ。
「きっと俺が天才だって事が知られれば、今の楽しい皆との関係が簡単に壊れる……。皆の事は信じてるけど、どうしても信じきれない……」
「でも、あたしはここにいるよ? ずっと小枝樹の傍にいるよ? あたし達は同じだから……。みすぼらしく互いの傷を舐めあうことしか出来ないかもしれないけど、それでもあたしはずっと小枝樹の傍にいたい」
瞳を潤ませる佐々路。そんな佐々路の瞳に吸い込まれそうな感覚だった。俺はもう何も出来ない人間なんだ……。
「ありがとな。そう言ってくれるだけで救われるよ」
「どうしてよっ!!」
俺の言葉を聞いて急に激怒する佐々路。その場から立ち上がった佐々路は俺の目の前に立ち
「どうして小枝樹はいつもいつも自分の中に苦しいって感情を押し込めちゃうのっ!? どうしてあたしを頼ってくれないのっ!? あたしじゃ、ダメなの……? あたしじゃ、小枝樹の力になれないの……?」
佐々路の涙が俺の膝の上へポタポタと落ちてくる。力強く握る佐々路の拳は、今にもその力の強さで壊れてしまいそうだった。
そんな佐々路の手を俺は握り。
「さっきも言ったろ? 俺は誰かを傷つけることしか出来ない天才なんだって……。俺は佐々路に傷ついてほしくない。俺は佐々路に笑っていて欲しいんだ……。そんな風に考えたら、頼りたくても頼れないだろ……?」
「あたしは傷ついてもかまわないっ!! 小枝樹に傷付けられるならあたしはそれでいいっ!! 小枝樹はあたしが笑っていて欲しいって言ったけど、あたしだって小枝樹には笑っていてほしいもんっ!! 小枝樹はもう……、沢山傷ついてきたもん……」
大きな声で叫ぶ佐々路の手も声も震えていて、その苦しみが掴んでいる手から俺の心の中まで伝わってきた。佐々路がどれだけ俺の事を心配しているのかも、佐々路がどれほど俺の事を考えてくれているのかも全部、全部感じた……。
でもダメだ。俺はもっと傷つかなきゃいけない。俺が幸せになる事なんて許されないんだ……。だって一之瀬の願いが叶ったら、俺は皆の前から居なくなるつもりだったんだから……。
今更誰かを頼るなんてダメなんだ。壊れた砂の山を俺は何度も作り直す。でも俺は砂じゃない。だから最後には消えなきゃいけないんだ。
俺は誰も選ばない。選ぶ権利なんてない。こんな俺にもう一度楽しい時間をくれた皆を、俺は幸せにしたいだけなんだ。だから、だから俺は……。
ガバッ
「……小枝樹?」
持っていた佐々路の手を強く引っ張り、俺は佐々路を抱きしめる。今の俺がどうしてこんな行動をとったのか分からない。それに何だか少し意識がハッキリとしない。それでも今は佐々路をもっと近くに感じていたかった。
「……佐々路。俺はお前の事を傷つけると思う。それでもお前は俺の傍に居てくれるのか……?」
「……うん。ずっと傍にいるよ。だって、あたし小枝樹のこと大好きだから」
涙で頬を濡らしながら俺を見つめる佐々路は笑顔で、そんな佐々路を今の俺は愛おしいと感じていたのかもしれない。
魔女だと言われ罵られ続けた女の子。そんな今の彼女はきっと嘘なんかついていない。だって彼女がつく嘘は誰も傷つけたりはしないから……。
「佐々路……」
「小枝樹……」
きっと今の俺等の考えている事は一緒なんだと思う。互いが互いの瞳と唇を交互に見つめ、そしてゆっくりと近づいていく。そして俺は
この日、佐々路を傷つけたんだ。
「……んっ/// んっんっ……///」
生暖かい感触が唇に当たり、佐々路の声が少しずつ漏れてくる。吐息も体温も小刻みに震えている身体も、今の佐々路の全てを俺は感じていた。
ソファーの上に座っている俺の体の上に座る佐々路は、唇と唇を接触させる為に俺の肩から腕を背中へとまわし、俺の事を強く抱きしめる。
「……はぁ、はぁ。はは、しちゃったね」
唇が離れると目の前には頬を赤く染めた佐々路が恥ずかしそうに笑っていた。そんな佐々路の頬へ手を当て、俺は優しく撫でる。
「ねぇ小枝樹……。もう一回……。んっ」
そう言うと俺の唇を貪るように情熱的な佐々路の唇が当たる。この艶かしい佐々路の柔らかな唇は俺の思考をどんどん停止させ意識を遠のかせる。
俺の事を抱きしめているからか、佐々路の体が俺の体に当たり、その柔らかさと体温でどうにかなってしまいそうだった。
「はぁ、はぁ、はぁ……。佐々路……」
息をするのも困難になるほど佐々路は俺を求めていて、それ応えれば応えるほど、俺の息は上がりおかしくなってしまいそうだった。
「……小枝樹。好き」
目の前で可愛い女の子が息を切らしながら俺の名を呼び、好きと言う。そんな女の子を見ていて俺の理性は完全に消え去り、その代わりに欲望だけが俺の体を動かした。
バサッ
俺はソファーに佐々路を押し倒す。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「ちょ、小枝樹……。だ、ダメだよ……。あたしにだって心の準備くらい必要なんだからね……」
俺の体の下で小さくなる佐々路が言う。頬が赤く染まり、間接照明でいやらしく佐々路を演出する。その姿が俺の欲望を駆り立てて、もう何も考えられなくなっていた。
そして自分の体から力が抜けていくのが分かった。俺は俺は自分の体を両腕で押さえられなくなり佐々路へと覆い被る。
「佐々路……」
「だ、ダメ……! んっ!! さ、小枝樹……、んっあっ……!!」
耳元で聞こえる佐々路の声。だが俺の体はもういうことを聞かなくなっていて、俺はそのままソファーから転げ落ちた。
ドタンッ
「えっ……? さ、小枝樹……?」
「はぁ、はぁ、はぁ、……」
いったい今の俺はどうなってるんだ? 体が熱くてとても苦しい。瞼は重くて、関節が悲鳴を上げている。頑張って重たくなった瞳を開くと
「小枝樹しっかりしてっ!! な、何これ……。凄い熱……」
熱……? あぁ、今日一日体調が悪かったのは熱があったからなのか。皆で遊びに来れて少しテンションが上がっていたのだと思っていた。通りで体がダルイわけだ。
そんな俺は心配してくれている佐々路をよそに、リビングの扉付近へと何故だか目を向けた。そして
雪菜……?
そこで俺は意識を失った。
真っ白な世界。上も下も右も左も真っ白で距離感が全く掴めない世界。
そんな世界にいるのに俺はいたって冷静で自分の姿を認識する。
手の大きさ、足の長さ、筋肉の感覚。それは間違えなく現在の俺の体をしていた。そして俺は小さく呟く。
「夢か」
この真っ白な世界が夢なのだと認識するのに時間はかからなかった。それもそうだろう。ここまで真っ白な空間がこの世界に存在するわけがない。というか本当にこんな場所があったら常人は数分持たずに精神崩壊するだろう。
まぁ俺はもう、全てを失っている立場の人間ですから。そんな簡単に精神を乱されることなんてない。とか思ってるけど、最近は本当に乱されっぱなしだな。
夢の世界の中で俺は苦笑する。そんな時
『ここが拓真の新しい家よ』
遠くの方で母さんの声がした。その声のほうを向くと、若い頃の母さんがそこにはいた。
『ここが、俺の家……?』
『そうよ。ここが拓真の家。そしてこの子が拓真の妹になるのよ』
『こ、この人、誰……?』
幼い頃のルリだ。確か俺が始めてルリに会った時、ルリは怖がって母さんの後ろに隠れてたんだっけな。
『待ってよたっくーん』
母さんとルリの幻が消え、今度は違う所に幼いときの雪菜が現れた。
『ねぇたっくん。あたしね、たっくんと友達になれて本当に嬉しいんだっ!!』
雪菜に昔言われた事だ。本当に嬉しそうに言う雪菜。でもさ、その言葉で嬉しかったのは雪菜だけじゃないんだぞ。
『おい拓真っ!! 魚そっちいったぞっ!!』
レイ……。
毎日楽しく遊んでいた頃の情景。何も考えないでずっとこのままだって信じてた。それがいつの間にかこの夢の世界と同じように簡単に消えてしまうんだ。
一瞬現れた昔のレイは、ほんの数秒で消えていく。そして
『私には小枝樹 拓真、貴方が必要なの』
一之瀬夏蓮との出会い。俺が大嫌いな天才少女。でも本当は俺も天才で、アイツを嫌うのはお門違いなんだよな。そんな一之瀬も今じゃ前と雰囲気が少し違う気がする。
『何故これから尾行という行動をするのに探偵の代名詞でもあるホームズの格好をしてはいけないのかねワトソン君』
本当に一之瀬はバカな女だ。どうして尾行をするのにホームズなんだろうね。もっと難解な推理をするのにホームズなら分かるけど。つかあの時解決したのって俺だったな。まぁあんな簡単な事件、すぐに答えが出なきゃおかしいくらいだけどな。
こんな風に今まで起こってきた俺の記憶の中での楽しい時間が甦ってくる。何度も何度もそんな光景を見せられて俺は
「夢だって分かってんのに……。どうして、涙が出てくるんだ……」
気がつけば俺の頬は涙で濡れていて、懐かしい時間の光景を見るたびに悔しくてたまらなかった。
どうして俺は何も言えないんだっ!! どうして俺はこんなになるまで何もしてこなかったんだっ!! どうして俺は……、こんなに苦しんでんだよ……。
自分の考えているように物事は進まない。そんなのは分かってる。だから俺は逃げてきたんだ。そして悪夢が俺の目の前に現れた。
『お前も俺と一緒だよ』
雪菜を苦しめていた男。雪菜の体をアザだらけにした男。
「違うっ!! 俺はお前なんかと一緒じゃないっ!! お前は雪菜を苦しめて、雪菜を傷つけて━━」
俺もレイを傷つけた……。それになんだ、俺は他にも誰かを傷つけてる……?
違う……。違う違う違う違う違う違うっ!!!!!! 俺は違う……。俺はあんな男と一緒なんかじゃない……。俺は、俺は……。
誰か助けてくれ……。お願いだ、俺を助けてくれよ……。
「小枝樹っ!!」
誰だ……? 俺の名前を呼ぶ女の子の声……?
真っ白な夢の世界で嘆く俺は、その女の子の声が聞こえる方へと走っていった。
「んっ……。はぁ、はぁ、ここどこだ?」
何か嫌な夢を見ていたような気がする。だけど最後に俺の事を呼ぶ女の子の声で俺は救われたような感じだった。というか、俺は何をしてるんだ……?
「目が覚めた? 小枝樹」
「……佐々路?」
そうだ。俺は熱が出てて体調が悪くなって倒れたんだ。つか、ここ最近俺って倒れすぎじゃない? なにかある度に倒れてるような気がする……。
つかまだ体が重い。せっかくの旅行なのにどうして俺はこんな感じになってしまうんでしょうかね。
「佐々路が運んでくれたのか?」
「そうだよもうっ! 女の子が一人で男子を運ぶとか、かなりしんどかったんだからねっ!!」
冗談交じりで怒る佐々路。そんな佐々路の姿を見ていると少し体のほうも大丈夫な感じになった。
「ははは。まぁ佐々路なら余裕で俺を運べただろうな」
「な、なによそれっ!! 死に物狂いで運んできたんだからねっ!! 急に倒れたから心配したよ……」
冗談が抜け、本気で怒りながら俺の心配をしてくれる佐々路。コイツは本当に優しい奴だな。俺は微笑み
「冗談だ。ありがとな、佐々路」
ベッドで横になりながら言うのは申し訳ないが、感謝の気持ちを伝えないよりかはましだ。少し照れながら佐々路は俯いた。
それにしてもクラクラする。世界が少し歪んでいるような感じさえする。
「つかさ、その……。倒れる前の事って覚えてるの……?」
倒れる前のこと? いったい佐々路は何を聞きたいんだ? まぁ思い出してみよう。
確か色々考える為にリビングに行って、そこに佐々路が来て、それから佐々路と色々話して、それから……。あれ? それか何があった……? 確かまだ何かあったような気がする。だけど思い出せない……。
「佐々路と話をしていたのは思い出せたんだが、その後のことが思い出せない……。なぁ佐々路、俺は何かしたのか?」
俺の言葉を聞いた佐々路の瞳は刹那の時間、驚いたのか見開いた。だがその一瞬で何かがあると俺は思えず、佐々路は笑顔で俺に答える。
「何もなかったよ。急に小枝樹が倒れるからビックリしたけど、本当にそれ以外は何もなかったから……」
意味深な言い方をする佐々路。俺はそんな佐々路に追及しようとしたが、どうしてだろう、あまりにも佐々路の表情が悲しそうな雰囲気で、俺は何も言えなかった。
「それじゃ、あたしはそろそろ部屋に戻るね。明日の朝には小枝樹が風邪引いてるって皆には伝えておくから。薬と水は隣に置いておくね。じゃ、ゆっくり寝なさいよ」
そう言うと佐々路は俺の部屋から出て行った。
そして俺はこの熱を早く直そうと必死に眠りに落ちる。さっき見ていた夢の事はよく覚えてないが、佐々路が最後に見せた悲しそうな表情だけが俺の頭から離れることをしなかった。