15 中偏 (夏蓮)
どうして私は小枝樹くんを追いかけてきたのだろう。
静かな場所、夏の香りを運ぶ風、汚れてしまったドレス、そして暗い世界でも悠々と私の事を見続けている祠の神様。
今の惨めな私を見て何が楽しいの。そんな疑問をこの世界には存在しない神へと投げかけたい気分になっている。それほど、今の私は狂ってしまっている。
私は小枝樹くんを追いかけた、それは自分の真実を話すため。私が、本当は天才ではなくただの秀才なのだという事を……。
姉さんと菊冬にも迷惑をかけてしまった。今年の誕生日パーティーはいつもよりも最悪な形で幕を降ろすことになってしまった。それでも父様以外の人達は最高のパーティーだったと言うのであろう。
そんな人達の事なんかどうでも良かった。私は小枝樹くんに真実を……。ううん、違うわ。
私は小枝樹くんの傍にいたかっただけ……。私の為に頑張ってくれた小枝樹くんの傍にいたかっただけ……!!
そんな自分のわがままを私は小枝樹くんに押し付けに来てしまった。でも、どうしてか小枝樹くんは混乱していて、雪菜さんがいないとか言っていた。
適当な事を言ったつもりはないけど、それでもあの言葉を言ったとき私は思った。
雪菜さんじゃなくて、私の隣に居て……。
この感情がとても醜いものだと理解はしている。それでも、押さえるのが精一杯なほど、自分の中に溢れてきていた。どうしてこんな感情が私の中で渦を巻いているのか自分では全くわからない。
そんな私の醜い感情とは正反対な神社の空気。一人取り残されてしまった私はの愚かな思考。悲しむことすら許されない私はそれでも願いを口にしてしまっていた。
「神様、どうか私の願いを聞いてください。小枝樹くんが、ずっと私の傍にいますように……」
呟く私は、自分の言葉を聞き眉を顰めた。そして社に背を向け、誰もいない家へと歩きだした。
帰り道に何か特別な事件が起こるわけでもなく、気がつけば家の前まで辿り着いていた。
着ているドレスのせいか、道行く人が私を見ていたのには気がついていた。それでも、そんな一般人に興味も出ず、疲れてしまった身体を動かすのに精一杯だった。
そして、家の中へと入る。玄関に入って気がついたこと、私の靴ではない靴が存在していたという事だ。
私はその靴を見て誰が来ているのかわかった。
「おかえり夏蓮」
リビングの扉を開けると、玄関に置いてあった靴の人物が私に言った。その人物に対して私は
「ただいまと言ったほうがいいのかしら姉さん」
一之瀬 春桜。私の姉さん。一之瀬家の長女であり、現段階では私に仕事のイロハを教えてくれる人。そして今日の私の誕生日パーティーの最後、私の背中を押して小枝樹くんを追いかけさせた人。
そんな姉さんはリビングのソファーに座っていた。でもどうしてか部屋の明りは点けておらず、帰ってきた私を見ている姉さんには優しさと妖しさが混同していた。
「お前も素直じゃない。そこは何を聞かずにただいまと言っておけばいいのだ。それで、拓真とはどうだったんだ」
ホテルで私の背中を押してくれた姉さんとは打って変わって、今は冷静でとても残酷な雰囲気をしていた。でも私は知っている。これが一之瀬家長女の
一之瀬 春桜だ。
父様は一之瀬家次期当主に私を抜擢した。その事実は公の場でも公表していて、私が次期当主に選ばれた理由も公開されている。私が選ばれた理由は、天才だから。
でも本当は違う。私は兄さんに憧れ続けたただの秀才で、私達三姉妹の中で兄さんと同等に天才なのは春桜姉さんだった。
兄さんは自分の立場を弁えて、自分は天才でなきゃいけないと強く自分を律していたお方だった。だが姉さんはその逆で、自分が天才だと誰にもばれないように生きていた。
幼少の頃から姉さんは他人から「変わり者」だの「一之瀬家の恥じ」だの言われ続けてきた。でも私は知っている。この人が本物の天才だという事を。
夏休みが始まった直後にあったイッチーシーでの仕事でもそうだった。
姉さんは適当な事を言っているだけで、イッチーシーを任されている重役は困惑してた。でもそれは姉さんが私に答えを見つけさせる為にわざとやっていたことだと私は思っている。
結果、姉さんは途中で仕事を抜け出し重役は私に「本当に夏蓮お嬢様が次期当主で安心ですよ」と言われた。その時私は思った、この人間の目は節穴だ。
表面上のことしか見れない人間はダメになる。だが、姉さんと姉妹ではなく他人だったとしたら私に姉さんの本質は見破れなかったかもしれない。それほど、姉さんの演技は常に完璧だ。
そんな姉さんの表情が天才に戻っている。
「小枝樹くんとは何もありませんでしたよ」
私はあった事をそのまま姉さんに伝えた。だが
「何もなかったか……。それは嘘だな。いや嘘ではないけど嘘に近いと言ったところか。拓真には何かがあった、でも夏蓮がしたかったことは何も出来なかった。こんな感じか?」
全てを見抜かれてしまっている。これが一之瀬 春桜の正体だ。
「そうね、姉さんが言っている事は当たっているわ。でも、その事について私から姉さんに言える事はなにもないわ」
私はあくまでも黙秘を続ける。だって、あの場所に居た小枝樹くんはとても苦しそうだった。だからこそ簡単に他人に話していいような事じゃない。
だが、この無能な人間でもやっている黙秘というものが姉さんにいつまで通用するのか……。
「……ふぅ。話したくないなら話さなくても構わない。夏蓮のことは本当に心配だが、私にとって夏蓮と拓真がどうなろうが興味はない」
冷たい瞳、冷酷なまでの言葉。久し振りに姉さんのこの姿を見たからなのか、私は恐怖を感じている。
兄さんはとても優しく聡明な方だった、それはきっと母様譲りでのもで、でも姉さんのこの冷酷さは間違いなく父様から譲り受けたものだ。
普段は阿呆を演じていても、本質は冷酷な完璧主義者。どうして姉さんが父様に歯向かわないのか不思議でならない。
きっと自分の能力をフルに使えば兄さん以上の成績だって残せたはずなのに……。そんな姉さんを羨ましく思う反面、憎いと思っていた時期もあった。
そんな姉さんは、冷たい表情のまま話し続ける。
「すまないな夏蓮。どうにもお前と二人きりになると素に戻ってしまう。あまり怖がるな、お前が思っているほど私は天才ではないのだぞ」
大きな窓から外の明りが差し込む。それと同時に姉さんの顔が一瞬だけ見えた。その時の姉さんの表情は、とても苦しそうだった。
「何を言っているの……? 姉さんは紛れもない天才で、私は天才を装っている秀才……。姉さんがこれまでやってきた愚行は私の事を考えての行動だってわかってる。だから、これ以上を私を惨めな気持ちにさせるような事を言わないで……」
惨め……。
私は小枝樹くんに自分の真実を話せなかったことを後悔している。どうして無理矢理にでも小枝樹くんに話さなかったのか。そんなこと後悔しても意味は無い。私はあの時、小枝樹くんが幸せになれる尤もベストな選択をした。それで私は良いと自分に言い聞かせた。
そんな私が悔やむことなんか道理ではない。
姉さんに八つ当たりをしてしまっている自分の愚かさ、幼稚さ……。本当にどうして私は天才で生まれてこなかったの……。
「夏蓮なら私の行動をきっと理解している思っていた。だが、その行動ですら私は夏蓮を苦しめていたのだな……」
私の言葉に反応した姉さんは俯き、自分がしてきた行いを後悔していた。
「でもな夏蓮、もう私にはお前を救う術がない。きっと私は、お前が一之瀬家次期当主に決定された時点で何も出来なくなってしまっていたんだ」
私が一之瀬家の次期当主に決まってから何も出来なくなった……?
「ふざけた事を言わないでっ!!」
私は激怒していた。そして
「私は兄さんの死をこの目で見たっ!! そのせいで私は何も分からなくなってしまった……。でも、兄さんの死んでしまった矢先に私が一之瀬家の次期当主に選ばれた。私は天才じゃないのに……、兄さんや姉さんのように全てを完璧にこなす事なんか出来ないのに……。苦しかった怖かった……。でも姉さんはそんな私を助けてくれなかったじゃないっ!!!」
兄さんが死んでしまって私は全てを拒絶した。自分が目標にしていた兄、兄のような天才になりたいと思い続けていた私。なのに兄さんの最期の言葉が私の全てをおかしくさせた……。
私は兄さんに拒絶されたんだ、私には兄さんの役にはたてないんだ……。
兄さんの死を受け入れられない幼すぎる考えと、兄さんのようにはけしてなれない自分の無能さ。
あの時の私はきっと誰かに優しくして欲しいと思っていた。でも、苦しみ続けた私に誰かが優しくしてくれることはなかった……。父様も母様も
姉さんも……。
私の感情は姉さんに届いているのだろうか。無様にも大きな声を出してしまった。息が切れてる、こんなにも感情を抑える事が出来ないなんて、本当に私は子供だ……。
そんな私は膝から崩れ落ちて、力を入れることすら儘ならない。その時
「すまなかった……。すまなかった夏蓮……」
私は不意に姉さんに抱きしめられた。
「夏蓮が私を憎むのは道理だ……。あの時、私は夏蓮を助けることが出来なかった……。夏蓮が苦しんでいるのを知っていたのに、私の力が及ばず、私は夏蓮を救えなかった……!!」
私を抱きしめる姉さんの力が増した。
「あの時、私は父様に異見を唱えた。でも父様は私の言葉を一蹴し、そのまま夏蓮を一之瀬家次期当主にしたんだ……。私が一之瀬家の人形になるのは構わない……。でも、大切な妹を贄にするのは許せなかったっ!!!」
抱きしめられているせいで、姉さんの顔を見ることは出来ない。それでも姉さんが泣いている事だけはわかる。だって、耳元で啜り泣く姉さんの声が聞こえたから……。
「私は……、私は……、私は大切な妹も守れない愚かな人間だ……。秋が私たちを守ってきてくれたように、私にも出来ると思っていた……。秋が大切にしてきた妹を私が守らなきゃいけないと思っていた……。でも、私が自分自身の力を過信していたせいで、何も守れなかった……」
更に姉さんの力が強くなったと感じた。
でも、姉さんが言っている事、それは私の事を思っている言葉で、あの時も私の為に父様に異見しに行ったという事実。
どうして私は姉さんの苦しみに気がつかなかったんだ。どうしてずっと自分だけが苦しんでいると思っていたんだ……。
そんな事を考えた私は、つむんでいた口を開く。
「……姉さんはあの時、私を助けようとしていたんですか……?」
「当たり前だろっ!! 夏蓮も菊冬も、私の大切な妹だっ!! 妹が苦しんでいるのに、助けようとしない姉がどこにいるんだっ!!」
真実とはときに人を傷つける。それでも人は真実を、本当の事柄を知りたがる愚かな存在だ。
ずっとこう思っていた。知らなくて良い事なんか沢山ある。それを知らない方が幸せなときだってある。でも、今の姉さんの言っている真実は違う……。
私の心を救ってくれる一言で、今まで私が抱いてきた愚かな思いを消し去ってくれる言葉だった。
でも、そんな姉さんに私は何を言えなくて、姉さんは続けて言葉を紡ぐ。
「お前を救えなかった私は無能な人間だ……。秋が大切に思っていた人間を守れない私は凡夫以下だ……。だから私は、拓真に託したのだ……」
姉さんの涙が私の首筋に零れ落ちた。
「拓真の瞳は本気だった。アイツはどんな障害をも乗り越えて夏蓮を救ってくれると私は思えたのだ……。今日のパーティーでも、私は拓真を止めた。それでも拓真は笑っていない夏蓮の隣に行かなきゃいけないと言い、そして父様にまで牙を剥いた……。私には拓真のようには出来ない……」
姉さんの言葉で私の心臓が大きく弾いた。小枝樹くんが私の隣に来てくれた理由が、父様に牙を剥いた理由が私の為だったから……。
確かに小枝樹くんは言っていた。私はパーティーで全然笑っていなったと。だけど、そこまで私の事を考えてくれていたなんて思ってなかった……。
どうして、どうしてなの……? 貴方はどうしてそこまで他人の事を考えることが出来るの……? 自分が傷ついてしまう可能性が高いのに、何故誰かの為に自分を犠牲に出来るの……?
姉さんの言葉を聞きながら、私は自分の思考の海へと落ちていく。それでも姉さんは話し続けた。
「夏蓮が何故、拓真を選んだのかはわからない……。それでも、あの男は、小枝樹 拓真はきっと夏蓮の望みを叶えてくれる。私はそんな気がするんだ」
今まで抱え込んできた姉さんの本当の気持ち。私が知ることも出来なった思い。そんな姉さんの話しを聞いて、小枝樹くんが私の事を考えてくれていた事実を知って、私の心はもう限界だった。
「姉さん私はね、兄さんが死んでしまってから本当に全てがどうでもよくなってしまったの。一之瀬財閥の事も、父様の事も、姉さんの事も、菊冬の事も、勉学も、学友も、自分自身の事も……。でもね、初めて小枝樹くんを見た時感じたの。あぁ、この人も私と一緒なのかもしれないって……」
過去の情景を思い出しながら私は話し始めた。
「始めに私をもう一度奮い立たせたのは兄さんの最期の言葉だった。兄さんは私に言ったの『夏蓮、僕のようにならなくていい。夏蓮はもっと自由に、自分でいれば良いんだ』って、私は兄さんのようになりたかった、でも兄さんはそんな私を否定した……。だから私は今の自分の本当の願いを知りたくて今の学校に入学したの」
そう、いつまでも逃げ続けるのはダメだって思ったから……。
「でも、私の名前は一般人にも知れ渡っていて、私は今の学校でも天才でい続けなきゃいけないって思った。そんな時、私を小枝樹くんを見つけた。今の小枝樹くんとは別人のようで、全てを拒絶した瞳をしていた。そんな彼なら私を理解してくれるかもしれない、私の本質をわかってくれるかもしれない、そんな淡い期待を抱いていたわ」
本当に期待していた。自分の弱さを棚に上げて、私は小枝樹くんに逃げようとしていた。
「だけど、そんな小枝樹くんは数ヶ月経った時いなくなってしまった。今の小枝樹くんのようにとても笑うし、他人とのコミュニケーションもとるようになっていた。そんな小枝樹くんに私は興味を失ってしまったわ。やっぱり彼も普通の人間だったんだなって……。でもね、それは私の間違いだったの。彼は何も変っていなかった。私が始めてみた時と同じような瞳を彼はまだしていた」
B棟三階右端の教室から外を眺めている小枝樹くんの表情が私は忘れられない。寂しそうで、悲しそうで、諦めてしまった瞳なのに、どうしても自分の失ってしまったものを取り戻したいと思っているあの瞳が……。
「だから私は小枝樹くんにコンタクトをはかった。そして私と小枝樹くんは出会ったわ。それが今年の春の話。あれからこんなにも時間が早く流れてしまうなんて思ってなかった」
そう、B棟三階右端の教室で小枝樹くんと出会ってから時間が過ぎるのがとても早い。自分が楽しいと思ってしまっているからなのだろう。早くあの教室に行きたい。そんな風に思うようになっていた。
そして、私は小枝樹くんとあの教室で出会ってからずっと夕方になると窓の外を眺める。
何もない景色。ただ空がその日によって表情を変えるだけで、他には何もない。でも、私が見たあの時の小枝樹くんがどんな景色を見ていたのか私は知りたいのだ。どんな気持ちで、どんな事を思って、あの窓から景色を見ていたのか知りたいのだ。
彼が見ていた景色を私も感じたいから……。
姉さんには言っていなかった事実を話した私は、私を抱きしめてくれている姉さんを体から離した。
「これが私がずっと思っていた事で、姉さんが知らなかった真実。私はこんな風に普通の姉妹でいたかったの……。喧嘩をしたり気持ちを吐露しあったり……。私達、やっと昔のように戻れたわね」
仲が良かった昔の私と姉さん。私はずっと、戻りたかった……。でも兄さんが死んでしまってから私は必死で、私は姉さんの気持ちなんか何も考えなかった……。
私の瞳からは自然と涙が流れていた。この涙が、悲しいのか嬉しいのかわからないけど、それでも涙が溢れてきた。すると姉さんは
「ははは、やっと泣いたな夏蓮」
「……え?」
「私が先に泣いておいて悪いが、良いんだよ夏蓮。泣いたって良いんだ。私はお前の姉だぞ? 苦しくて辛くて泣いてしまった妹を慰めて安心させるのは姉の仕事だ」
いったい姉さんは何を言っているんだ。私は別に、泣きたい時には、泣いている……。独りで、部屋で、真っ暗で……。
「ね、姉さん……。私、わたし……。あ、あぁぁぁ、あ、あぁぁぁぁぁ……!!」
私は姉さんにしがみつき、声をあげて泣いた。
「大丈夫だ、お姉ちゃんがちゃんとここにいる」
「姉さん……、怖かった、ずっと独りで怖かったぁぁぁ……!! 私はいらない子だと思ってた……、私は一之瀬財閥の歯車になればいいって思ってた……、あ、あぁぁぁ、あ、あぁぁぁぁ……」
今の自分を、自分では全く理解できていなかった。どうしてこんなにも泣いているのか、不思議で仕方がなかった。でも
「本当に、夏蓮は私達三姉妹の中で一番泣き虫なんだからな」
「うわぁぁぁぁん、お姉ちゃん、お姉ちゃん……!!」
私の事を抱きしめてくれている姉は、私なんかよりも体躯は小さい。なのに抱きしめてくれている姉はとても大きくて、そしてとても温かかった……。
「ん、んうぅ……」
気がついた時、私は眠っていたみたいだった。
昨日の事はぼんやり覚えている。私の誕生日パーティーがあって、小枝樹くんが私の為に頑張ってくれて、そんな小枝樹くんに私の真実を話しに行って話せなくて、小枝樹くんがとても苦しんでいて、そんな私を姉さんが……。
「姉さん……?」
ハッキリとしない意識の中で、今日の出来事を思い出しているうちに姉さんの存在に気がついた。姉さんは弱りきった私を優しく抱きしめてくれていた、そんな私は姉さんの胸の中で子供のように泣いていた。
こんな私を慰めてくれた姉さんは私の視界にはいなくて、どこに行ってしまったのか機能しない頭で考え続ける。
どうして私は自分のベッドで寝ているのか、どうして泣いた後の記憶がないのか、私は思い出せない。姉さんがあの後私に何を言ったのか何をしてくれたのか何も思い出せない……。
そんな私は部屋のカーテンを開けた。
眩しい明りが私の事を照らした。それでもその明りは太陽ではなくて、人間が作り出した人工的な明りだった。
私は昨晩から日が落ちるまで眠ってしまっていたみたいだ。
そんな私は部屋から出てリビングへと行った。そしてリビングのテーブルの上には姉さんからの置手紙があった。
『昨日は本当にすまなかった。でも、夏蓮の本当の気持ちや感情を伝えてくれて嬉しかった。私は姉として本当に何もしてやれない……。夏蓮が苦しんでいるのを知っていても何もしてやれない未来がきっと待っている。それでも私は夏蓮の姉でいたいと思う。だからもう、自分だけで何かを背負うのはやめろ。誰かを頼ってもいいんだ。お前は天才なんかじゃない、どこにでも普通の女の子だ。苦しい時には私じゃなくても良い、夏蓮が信じることの出来る者を頼ってくれ。お前の悲しい顔はもう見たくはない』
殴り書きで書かれている姉さんらしい置手紙。私はその手紙を読んで姉さんの大切さにやっと気がつくことが出来た。そして、この手紙の最後に書かれていた言葉。
『夏蓮、私たちは姉妹なんだ。どんなに擦れ違っても、どんなに行き違っても、私は夏蓮の味方だ』
姉さんの気持ちが伝わってくる。この手紙を書いていた時の姉さんがここにいるみたいだった。
そして私は手に持っていた手紙をテーブルの上に置き直し、よれよれになってしまったドレス姿のまま窓の外をガラス越しに見ていた。
私はずっと自分の事は自分だけで解決しないといけないと思っていた。深い部分を他人には見せず、他人を利用して自分の為し得なくてはならない事を遂行しようとしていた。
結果的にその行動は全て裏目に出てしまっていたみたいで、一人では何も出来ないのだと実感した。でも、私はこのことに気がつく前から小枝樹くんに頼ってしまっていた。
きっとそれは、小枝樹くんなら私の事を理解してくれるという表向きの思考ではなく、小枝樹くんが兄さんに似ていたから甘えてしまっていたのだ。
兄さんなら私を助けてくれる、兄さんなら私の傍にいてくれる、兄さんなら私を肯定してくれる、兄さんなら今の私に優しくしてくれる……。
それは完全に独り善がりで、私のワガママな願いを小枝樹くんに押し付けていた。でも小枝樹くんはそんな私の願いを一つずつ、一つずつ叶えてくれた。こんなワガママな私の傍にいてくれた……。
でも、今の小枝樹くんが求めている人は雪菜さんであって私じゃない……。だからこそ、神社で私は小枝樹くんを雪菜さんのところまで行くように言ったんだ。
私が伝えたいと思っていた事なんかどうでもよくて、目の前ので苦しんでいる小枝樹くんを救いたいと私は思ったのだ。
そう、私なんかよりも雪菜さんのほうが小枝樹くんを知っていて、小枝樹くんの傍にずっといた。だから私が小枝樹くんに選ばれなくてもそれは至極当然のことだ。
だけど、それでもいい。
こんな私の為に自分を犠牲にしてくれて小枝樹くんの願いなら、私はそのついででもいい……。
どうしてこんな気持ちになるのかはわからない。それでも、私は小枝樹くんをもっと知りたいと思ってしまってる。
だからこそ、本当の一之瀬 夏蓮を小枝樹くんにも知ってもらわなきゃいけない。
私が私であるために、私の願いが成就される為に……。
そして次の日。
昨日の目覚めたのが遅かったのか、私は少し夜更かしをしてしまい寝るのが遅くなってしまった。
そのせいか、今日起きたのは午後四時。
こんな堕落した生活を送って良いのか、怠惰な生活は一之瀬財閥にも迷惑をかけるんじゃないのかと私は少し心配になっていた。
それでも思い出されるのは私の誕生日パーティーの日の事であって……。小枝樹くんに何も言えなかった後悔と姉さんの本当の気持ちを知れた高揚感で今の私は混沌としていた。
そんな中、私は思う。一昨日の誕生日は人生で尤も最悪な誕生日だった。
確かに姉さんの事は嬉しいと思っている。でも、誕生日パーティーそのものは最悪だった。
自分がどういう立場に位置づけられているのわかってはいる。それでも、あんなにも苦しいと思う誕生日は初めてだった。
それも全部、小枝樹くんがいたから……。
シャツに下着姿のまま、私はキッチンでお茶を入れていた。
財閥の娘だとか、天才だとか、そんなものは何も関係していなく、私はいつも家ではこんな感じだ。
どうして誰もいない空間で何にかに気を使わなくてはいけない。自分だけの空間は私のもので、私の好きに使っていい特別な空間なのだ。
それを誰かに知られたとしてもきっと私は止めることはないのであろう。それほど、日常であたえられるストレスが大きいのだ。一人で過ごしている時くらい他者の事を考えたくはない。
お茶をカップに注ぎ良い香りが漂ってくる。心を落ち着かせてくれるその香りは、私の気持ちを癒してくれる。
その場で私は一口紅茶を飲む。口に入れた瞬間に、私の鼻を刺激する茶葉の香り。喉を通した後、鼻から息を漏らす。その瞬間にも香りが私を支配した。
気持ちをやわらげてくれる。きっと今の私は凄く、追い詰められているのであろう。こんなにも簡単に心を満たされて、こんなにも簡単に安らぐことができる。
それはきっと何不自由の生活をしているからではない。私がそれを強く思っているからだ……。
人は優れている者、もっている者を拒み疎む。確かにそれは間違った考えではないし、そういう思考になってしまうのもわかる。それでも
それでも人は一緒なのだ……。私は一之瀬財閥に生まれ、金銭面では何も不自由なく過ごしてきた。ならどうして私は天才に生まれなかったのか……。
求められていない部分で苦しんでいる人間は沢山いる。なら、私は天才でなければいけないという苦しみを、全ての人間がわかってくれるのであろうか。持たぬ者、求めらぬ者が私の苦しみに気がついてくれるのであろうか……。
誰もが平等に苦しみを感じる世界。それがこの世界の真理の一つであり変えられない事実だ。
なのにもかかわらず、人間は自分の持っていない物を強請り、欲求のまま他者を傷つける……。その行為が無意味なものと知らないまま……。
無知は罪だ。知らないは言い訳にはならない。それでも人は同じような過ちを繰り返して生きていくのであろう……。
私は何を悟ったような考えを頭の中で抱いているのだ。私は何もわかってはいない……。何も分からないからこそ、苦しいんだ……。
紅茶を注いだカップの中身を飲みほし、そのカップをシンクへと私は置く。そして自分の感情が不安定なままリビングのソファーへと腰を下ろした。
私は姉さんの言葉で、あの手紙で少し楽になったんじゃないのか。私はきっと本当の意味で救われてはいないんだう。
だからこそ誰かを求めてしまうのであって、私の意志はいったいどこにいったんだ……?
ブーッブーッ
ソファーで項垂れている時、私の携帯が鳴った。私は鳴っている携帯を手に取る。そこに表示されていた文字は
小枝樹 拓真。
私は一瞬、その名前を見て電話を出るか迷ってしまった。
だって、どうして小枝樹くんが私に連絡をしてくるの……? 誕生日の時の話でもしたいの……? それとも、あの神社であった出来事を話したいの……?
今の私には彼からの電話を出る事は出来ない。
そんな風に思っていても、私は小枝樹くんからの電話を出てしまう弱い人間だった……。