2 中編 (拓真)
B棟三階の端っこの教室から戻っている途中、俺は一之瀬の事を考えていた。
俺に会わせたい人、細川キリカ、一之瀬は俺にピンチヒッターをやってもらいたいと言った。だが現実は一番先に一之瀬に依頼が来た。
だったら必要な人物は俺じゃなくて一之瀬だろ。確かに依頼人は男子バスケ部のマネージャーだ。
でも男子の部活だからって一之瀬が何で俺に頼む? 今までだって男子の部活から色々頼まれていただろう。なのに俺と契約をしたからって俺に頼むのはおかしな事だろう。
「おーい。小枝樹」
一之瀬の意図が全く持って分からない。嫌がらせだとは思えなくなっている俺がいた。
「ねぇ、小枝樹ってば」
ふいに俺は誰かに肩を掴まれる。
「……っ。ビックリした」
俺は肩を掴んだ相手へと驚きながら向きを変えた。
「なんだよ。いきなり」
そこに居たのはクラスの女子Aだ。
「なんか今日は小枝樹と夏蓮が仲良かったから気になってさ」
こいつも友人Aと一緒で思春期真っ只中ですか。色恋沙汰に敏感な女子高校生ですか。
「いや。別になにもないよ」
「それは嘘だよ。だって夏蓮が男子とお昼食べるなんて始めてだもん」
一之瀬が男子とお昼を一緒にするの事が始めてというのは気になるが、貴様のその安易な予測が俺を苦しめている事に気がついて欲しいと思っているいたいけな僕がいます。
なんでこう俺の周りにはこんな奴ばかりなのでしょうかね。困ったものですよ。
「でもさ、夏蓮って性格悪いでしょ」
クラスの女子Aの言葉で俺は表情を少し強張らせた。まあなんという、悪口ですね。完全に。
そりゃ一之瀬は財閥生まれのお金持ち、容姿端麗で頭も良く運動神経も良い。そしてなにより天才だ。
俺みたいに嫌悪感を抱く人が他にいてもおかしい話ではない。それでも聞いていて気分が良いものではなかった。でも俺には一之瀬を庇う必要も無ければクラスの女子Aを肯定する義務もない。
なら答えは簡単だ。クラスの女子Aの言葉に対して俺が言えること、それは
「一之瀬が性格悪かったとしても、あまり俺には関係ないな。それで、何でそんな事を俺に言う」
自分には関係ないのだときっぱり言う。これが今の俺に出来る最善だ。やっぱりあいつも人間関係は苦労するんだな。あらためて一之瀬が生まれながらに持っている資質の重さを実感した。
「何で? もしかして小枝樹、あたしが夏蓮の事嫌いだと思った?」
「……いや、別に」
自分の心が読まれていると錯覚してしまうくらい的確に俺の考えを読み取るクラスの女子A。
「やっぱり。全然嫌いなわけないじゃん。寧ろ尊敬してるくらいだよ。」
性格が悪い事を知ってもなお、一之瀬の事を好いているクラスの女子A。きっと他の奴も俺とは違って一之瀬の事を好いているんだろうな。
少し昔の事を思い出してしまっていた……。
「だってさ。夏蓮ってお金持ちで綺麗で勉強出来て運動出来て、完璧じゃん。でもそういうのを鼻にかけないし、あたしみたいな一般人とも普通に接してくれる。そんな自分を持ってる夏蓮があたしは好きだよ」
本当に嫌になってしまうくらい純粋な瞳で言うクラスの女子A。こんなの見せ付けられたら俺の心が真っ黒に汚れているみたいじゃないか。
つかどれだけ人望厚いんですか一之瀬さん。やっぱり俺には到底あんな凄い奴にはなれないな。
誰かを幸せに出来る天才には。
「ふーん。それだけ一之瀬が好きって事は、もしかして一之瀬と仲良くなった俺に嫉妬してるのか?」
いつものふざけた表情に戻り、俺はクラスの女子Aをからかう様に笑って言った。
「……ばっ。何言ってんのー。あたしはいたって普通の恋愛価値観の人間だからね。そんな事言う小枝樹こそ夏蓮の事狙って近づいたんじゃないのー?」
ニヤニヤと笑いながらコヤツはいとも簡単にカウンターを捻じ込んでくる世界ランカーだった。この歳でこんな技が使えるなんて末恐ろしい子。
だが俺は更にその上をいく
「ありえねーよ。つか俺と一之瀬じゃ釣り合わないよ。一之瀬がかわいそうだ」
俺はそう言いながら教室へ入ろうとした。これぞ奥義『敵前逃亡』俺の凡人技の中でからり上位に位置する技だ。
「あー確かに夏蓮がかわいそうだ」
おいおいおいおいおいおいおいおい。バックアタックで痛恨の一撃はチートだろ。心折れちゃうよ?
心折れちゃうよおおおおおおおおおおおお!!
俺は自分に与えられたダメージをクラスの女子に悟られまいと努力していた。
「でも」
お前は俺に追い討ちをかけるつもりかっ!! 鬼畜か?鬼畜なんですかああああああ!?
「思ってたよりも小枝樹って楽しい奴だったんだね」
そう言いクラスの女子Aは笑った。
つか今俺、褒められた? まあそれはどうでもいいか。
「思ってたよりもって、どんな奴だと思ってたんだよ」
「んー普通?」
普通……。一般人……。凡人。
何か嬉しくなってきてしまった。やべぇ破裂しそう。そうだよ俺はザ・凡人なんだよ。
いやークラスの女子Aは結構良い奴だったんだな。改めて感心してしまうよ。こんなキャラを眼中に入れてなかったなんて。少し後悔してるぞ。
「まあ俺は可も無く不可もなくだ。良いんじゃね? こんだけ普通の奴が一人くらい居ても」
嬉しさのあまりニヤニヤしてしまう。今の俺多分キモいな。
そんな他愛も無い会話をしていると
キーンコーンカーンコーンッ
昼休みの終わりを告げる鐘が鳴る。その音を聞いたクラスの女子Aは
「あーチャイム鳴っちゃった。ねー小枝樹また今度夏蓮の話聞くからね。覚悟してなさいよ」
ヒヒヒッと嫌な感じの笑い声を出しクラスの女子Aは自分の席へと足を向けた。そんなクラスの女子Aと同様に俺も自分の席へと向かった。
◆
放課後。
授業も終わり一段落つく時間。クラス中の奴等が勉強というストレスから開放され安堵の表情を浮かべながら友人達と楽しげな会話をしている。
そんな奴等の仲間に俺もなりたいと思うが、生憎この後の用事を思い出すだけで俺はそんな気分にはならなかった。
今日の放課後、俺は一之瀬が勝手にセッティングした依頼人と会わなくてはならない。
依頼人とか格好つけて言っているけど、決してミステリー小説ではないのであしからず。
それでも俺の気分的な部分はどう足掻いても高くはならないだろう。自分がやりたくない事を無理矢理させられて気分が高くなる奴がこの世界にいるか?
もしいたとするならそいつはきっと、ドMだ。だが俺にはそんな趣味はない。俺はいたって健康的なソフトSだ。
自分で自分を理解しているのにも関わらず、何故だか一之瀬と絡むと調子を害う。自分が自分で無くなるみたいな。
まあでもまだちゃんと話すようになってから一日しか経ってないんだけどね。
それほど昨日の出来事が、昨日の一之瀬の言葉が俺の中に根を張っているのだろう。それがとても俺を嫌な気分にさせる。
「小枝樹くん。準備はできたかしら?」
授業が終わり数分。一之瀬が急かすように話しかけてくる。
「おいおい。準備出来たかって、まだHR終わってないだろ」
「HRが終わり次第、すぐさま動けるように準備するのがプロでしょ」
いったい何のプロだ。もし俺がプロというのなら、昨日の今日でプロになった事になるぞ。
青春時代を全て一つの事に費やし、それでも自分の夢を諦めてしまった凡人達に謝れ。それでも出来るだけの事をしなくてはならない俺の立場って悲しくなってきますよね。
つかお前に話しかけられると周りぼ男子の視線が気になる。すげーものすげー熱視線感じてるよ。俺の体が丸焦げになっちゃうよ。
というか視線の中に憎悪って言葉が混じってますよ。危険だよ。一瞬で惨劇だよ。
そんな風に考えていてもこいつは俺の気持ちに気がついてはくれない訳で
「わかったわかった。すぐ動けるように準備しておくよ」
俺は「あっちいけ」と言わんばかりにシッシと手を振った。
そんな俺の姿を見た一之瀬は、何か不満が残った表情で自分席へ戻っていった。
◆
HRが終わり俺は自分の鞄を持ち一之瀬の所まで行く。
さっき言われたように即座に動けるように準備した甲斐があった。だが
「なんで今日無理なのー?」
「今日はちょっと用事があるのよ」
何でお前は
「そんなに大切な用事なの?」
「今日の用事は外せないのよ」
友達の女子と話しをしているんですかああああああああ!!!
「おい、一之瀬」
俺は何だか腹が立ったので一之瀬の腕を掴み
「……ちょっ、なに!?」
「いいから」
無理矢理教室からエスケープさせた。
俺はそのまま一之瀬の腕を掴んだままどこに行くわけでもなく校舎内を歩いていた。
「……どうしたの小枝樹くん!?」
だが俺が何も考えずにこの学校内で行く場所は決まっている。きっと一之瀬も分かっているだろう。
俺はその場所の前に着き一之瀬の腕から手を離した。そして
「お前な。俺にあれだけ言っといて自分が出来ないのはどういう事なんだよ」
今俺は目の前にいる一之瀬に怒っていた。
「お前が昼休みに会ってもらいたい人がいるって言ったんだろ。なのにお前はHRが終わってもクラスの女子と話している始末だ。お前が欲した物はその程度の物だったのかよ」
息継ぎもしないで喋ったせいか、俺の息は少し上がっていた。
一之瀬は俺の言葉を聞き、そして冷静に
「……ごめんなさい。早く切り上げなきゃいけないって分かってはいたけど、小枝樹くんから見たら腹が立つ行動だったのかもしれないわね。でも」
刹那、一之瀬は間をあけた
「貴方が私の事をちゃんと考えてくれていた事が嬉しいわ」
そう言い一之瀬は微笑んだ。その綺麗な瞳で。
「………っ////」
何で今俺は一之瀬から目を逸らした。何で俺は少し照れているんだ。何で俺は、何で俺はああああああああああああ!!
つか今俺は怒っているんだぞ。それなのに何で微笑まれたくらいでたじろぐんだ。
冷静になれ俺、昨日今日で一之瀬の本質は理解している。こいつは誰かを計算で貶めるタイプじゃない。
だとすると、この微笑は……。
「………っ////」
だから何で頬を紅く染めているんだ俺!! 計算じゃなくただただ普通に俺に感謝しているいだけだろ。そうだ感謝だ。
どこかの誰かが言ってた。自分の思考する青春ラブコメは完全に間違っているものだと。だから俺も勘違いするな。
そいつは勇者なんだ。ぼっちの勇者なんだ。だから俺も負けるな。
「あーなんだ。その……。ここまで連れて来ちまったけど、依頼人の奴とはどこで会うつもりだったんだ……。」
話の内容が急すぎるだろ俺。今まで怒ってたんだぞ!? それなのに何でいきなり冷静に話し出してるんだよ。
確かに冷静になれって思ったよ。でもこれじゃ全然冷静になれてないよ。寧ろ違和感だらけだよ。
そんなオドオドしている俺に一之瀬は
「依頼人の方ならもう後ろにいるわよ?」
その言葉を聞いた俺は驚きながら振り向いた。
そこには
俺よりも身長が低い女の子。雪菜よりもちょっと低いちんまりした女の子。髪型は短いベリーショート。とてもスポーティーな感じでバスケ部のマネージャーなのにも頷ける。
そんな女の子は俺と一之瀬を認識した瞬間に
「一之瀬せんぱいとあと、下僕の方ですよね。私は一年の、細川キリカっていいます。今日は私の相談に乗ってもらってありがとうございます」
そう言い深々と頭を下げた。
おい、ちょっと待て。とても丁寧な言葉遣いだとは俺も思いましたよ。しっかりしている印象は今も変わってはいませんよ。でも
何で俺が一之瀬の下僕なんだああああああああ!!!!
一之瀬に何か言われたのは分かっているが、下僕と言われた時点で気がつけよ。
こんな普通の高校でマスターとサーヴァント的な関係性なんてありませんからね。俺らは学校を舞台としたバトルものをやったりはしませんからね。
とか考えているのに一之瀬に何も言えない僕がいます。というか後輩の細川とかいう奴にも何も言えない……。
だって言ったら一之瀬にやられるんでしょ? そんなフラグ臭がプンプンしてるよ。
俺が刹那の間に色々と思考している間に、一之瀬は後輩を教室の中へと誘導していた。
なんで俺ってこんな扱いなの……? もっと優しくしてくれよ……。
俺は深く溜息をつき、一之瀬と後輩の後ろから教室に入った。
◆
何故だか教室の中は静寂に包まれている。とても気まずい。何でこの状況を作った張本人の一之瀬は何も喋らないんだ。
まさか、俺と後輩に何もかも任せているって事は無いだろうな。
一之瀬は自分で準備した椅子に、後輩は窓際に、そして俺は入り口のすぐ横の壁にもたれている。
そんな静寂の中、均衡を破ったのは
「それで細川さんが私達に……いえ、小枝樹くんにやってもらいたい事はなんなのかしら」
一之瀬だった。
一之瀬は後輩の、細川さんを少し睨みつける様に言う。それは先輩後輩という縦社会を感じさせるものではなく、ここに来て用件を話す覚悟を感じさせる為の威嚇。
なんの為に一之瀬がそんな事をするかは俺には分からない。だがしかし、本当に自分にとって大切な事柄ならば他人を頼る事の重大さを知って、その重さを背負う覚悟はしなくてはならないだろう。
一之瀬に睨まれた細川さんは何も話そうとしない。いや話そうとしないんじゃない、話せないんだ。
本当に自分には覚悟があるのか。本当に自分はやるべき事をやりそれでも解決せず、一之瀬夏蓮に頼っているか。
きっと彼女の中では凄まじいほどの自問自答が繰り返されているだろう。
俺はそんな状況を静かに見守っている。一之瀬と細川さん。両方の動きを逃さないよう集中しながら。
またも流れる静寂。張り詰めた空気は鋭く、自分の身体を切り刻んでしまうんじゃないかと錯覚してしまいそうだ。
俺はその時、微かに握られる細川さんの手を見た。そして
「……小枝樹せんぱい。どうか、どうかバスケ部を救ってください」
救ってくださいとはかなり大きく来たものだ。この俺に救世主や勇者にでもなれって事か?
生憎だが俺にはそんな器はない。無償で世界を魔王から救うような無欲な勇者ではない。
廊下で自己紹介をした時よりもさらに深々と頭を下げる細川キリカ。
きっとそれだけ真剣で本気なんだろう。だから俺は
「救ってくださいって、それはいきなり過ぎるだろ。まずはどうしてここに来たのか、そして何で俺らを頼ってきたのかをちゃんと説明してくれ」
深々と下げていた頭を上げ、細川は俺を真剣な瞳で見ながら今回何故ここに来たのかを説明し始めた。
「バスケ部には今、部員が4人しかいません。だからもうすぐバスケ部は廃部になります。……私は、私は門倉せんぱいにバスケを続けて欲しいんです……!!!」
今までの弱々しかった細川とは違い、一之瀬に睨まれて逃げ腰になってしまった細川でもなく、自分の大切な人の為に一生懸命になっている強い女の子がそこにはいた。
「門倉せんぱいは一之瀬せんぱいや小枝樹せんぱいと同学年の人です。私の中学の時からのせんぱいです。」
一瞬にして強い意志は消え、とても悲しい表情で話し始める細川。
「門倉せんぱいは中学時代からバスケが大好きでした。今でもバスケが好きな気持ちは変わってない……。でも私がバスケ部にマネージャーとして入った時に門倉せんぱいから廃部になるかもしれないと聞きました。」
悔しがるように強く拳を握る細川。その姿がとても切なく見えてしまっている俺がいた。
「私は「何で」って聞きました。そしたら先輩は「しょうがない事なんだ」って言いました。私は怒りました。何がしょうがない事なのか……。あんなにバスケが大好きだった先輩に諦めて欲しくなかった……」
唇を噛み締める細川。俺はそんな細川が少し不憫に思えてしまった。助けてあげたい、どうにかしてあげい。でも
「今細川が言ってる事は全部独り善がりだ。その門倉ってやつの気持ちを考えているようで何も考えてない。お前はただ、自分の大好きな先輩が大好きなバスケをしている姿をいつまでも見ていたいだけだ」
真剣に相談に来ている細川に対して相応の態度で、凄く純粋な女の子の心を壊すように俺は言った。
「私が自分の事だけしか考えてない事はわかってます……でも。でも私聞いてしまったんです」
俺に臆する事無く言葉を繋げる細川。
「職員室で門倉せんぱいが先生に抗議しているのを……」
細川に「しょうがない事」と言った門倉という奴が先生に抗議をした? 何を言っているのかさっぱりわからん。
俺と一之瀬が疑問に満ちた表情をしていると細川はその事について話し始めた。
◆
「ようするに、門倉ってやつはバスケ部を本当は廃部にしたくないと。だけど表面上は仕方ないと諦めている感じを出してる。だけど細川は門倉の真意を知ってしまった。だから門倉に相談して俺らの所まで来た。これで全部合ってるか?」
俺は細川が話してくれた内容を確認するかのように繰り返していた。
「私も本当にそれで合っているか知りたいわ」
一之瀬が俺に合わせるように言葉を並べる。
「はい。大体そんな感じで合っています」
細川が俺等の質問を肯定し、冷静な表情で頷く。
「話しは良く分かった。だけどその話を聞いても俺が門倉を助ける為……いや、細川の気持ちを汲む為に助力する意味がわからん」
自分で最低な事を言っているのは分かっている。ここまで事情を聞いてしまった人間は情に流されこんな台詞は言わないであろう。
だが俺は違う。どんなに情に訴えられても、もう俺は戻れないんだ。
というか一之瀬に来た依頼を俺が何でしなきゃならない。確かに男子バスケ部の助けを女子の一之瀬が出来るわけでもない。
だからこそこの話は最初から破綻しているんだ。
勝手に俺を紹介した一之瀬にも責はある。やるかやらないかを決めるのは最終的に俺だからだ。
「小枝樹くん。今の台詞を聞く限りじゃ凡人以下のへタレに聞こえるわよ」
俺が凡人以下だと……?
「おい一之瀬。俺はお前と関わる事を自分で決めた、だからこんな状況になっても何も文句は言わない。だけどな、俺に助力を求めているなら最終判断は俺が決める事だ。お前がどんなに強気でいてもそこは譲らない。だから、凡人以下は訂正しろ。俺は凡人で、それ以上でもそれ以下でもない」
今までに見せたことが無いほどに俺は一之瀬を睨んでいた。
そんな俺を負けじと睨み返す一之瀬。
一之瀬は俺の事をどう思っているかは分からない。だが俺はやっぱりこいつが嫌いだ。
自分が出来ない事を他人に押し付け、そいつが出来なければ奴隷を見るかのように蔑む。自分だったら簡単にこなせると言わんばかりに他人を下に見ている。
そんな態度が俺は気にくわない。結局、性別が女というだけで今回の件を俺に委ねようとしている天才様だ。
天才が大嫌いな俺が簡単にいう事を聞くと思っているのが安易過ぎたんだ。
細川には悪いが今回の件は無かった事に
「ぐすんっ……」
俺と一之瀬が睨みあっている中、啜り泣く声がした。俺はその泣いている主の方へと顔を向ける
「……お、お願いします……。もう門倉せんぱいの為とか言いません。だから、だから、小枝樹せんぱい。どうか私を助けてください……!!」
必死に止めようとしている涙を流しながら、くしゃくしゃになった顔で最後の言葉を振り絞るかのように言う細川。
「……もう。小枝樹せんぱいしか頼れる人がいないんです……」
言い終わると細川は泣き始めた。
あーもう。何で泣くかなー
「あーあ、後輩の女の子を泣かせてしまったわね」
一之瀬。お前はここぞとばかりに俺を攻め立てますね。絶対にこいつはSだ。
俺は少しの溜息を吐き、今までの努力が無駄になっていくのを感じていた。
つか、女の子の涙に弱い俺ってもしかしてかなり良い男なんじゃね? こんな風に適当な事を考えてないと俺のザコさ加減に自分で呆れてしまいそうで怖いです。
「あーもう。分かった分かった。取り敢えずお前の依頼は受けるから、もう泣くなよ細川」
俺は諦めたように眉間に皺を寄せ、細川へ訴えかけた。何で自分がこんな行動をとったのか全く今は分かっていない。
でも細川が泣いてしまったから、俺はきっと誰かが泣く姿を見たくないと思っているのかもしれない。
「本当ですか……? 小枝樹せんぱい……?」
自分の心の中の不安を無くしてしまいたいと思っている細川の言葉。そして俺の言葉が本心なのか疑念が残る声音。
涙を止めた細川は諦めた俺とは違い、本当に不安を表すように眉間に皺を寄せている。
「……そんな顔すんなよ。ちゃんと細川に協力するからさ」
精一杯の微笑みで、細川にこれ以上心配させない為に俺は表情を繕った。それが何になる訳でもないのに。
「えっと、それで。俺はその練習試合の助っ人で良いんだよな?」
俺は細川が説明してくれた事を再度確認した。
「っは、はい!」
寄せていた皺は無くなり、涙が流れた後を頬に残しながら細川は笑った。
「分かった。じゃあ俺は帰るわ」
少し疲れた。こんなにも他人に気を使ったのは久しぶりだ。いや違うな……。
こんなにも自分の事を再認識したのが久しぶりなんだ。自分の中にある気持ち、誰かに求められる嫌悪感。この場にある全ての事柄が今の俺の精神を壊していく。
「ちょっ、ちょっと待って小枝樹くん」
教室を出ようとする俺を呼び止める一之瀬。
「なんだよ」
「この後、バスケ部員の人達と会う予定になっているの。部員の人達とちゃんと交流して状況の把握、そして門倉くんのちゃんとした気持ちを知る事が勝利に繋がるかもしれないわ」
「俺には関係ない。バスケ部員の奴等と交流して、一緒に練習して、個々の力量を把握しておくならまだしも、門倉とかいうやつの気持ちなんか知ったこっちゃない。」
何だか少しイラついた。面倒な事を押し付けられて、渋々承諾したのにも関わらず自由まで奪われる。だからこそちゃんと言わなきゃならない。
「先に言っておくけど、細川が思っているよりも俺の能力は低い。結論から言って、俺が助っ人に入っても負ける時は負ける。だけど自分でやると言った以上、最善は尽くす。だけど」
俺は言葉を止め、もう一度廊下の方へと身体の向きを変えた。そして
「俺に期待するのだけはやめろ」
感情のこもっていない捨て台詞を吐き、一之瀬と細川を残したまま俺は教室を後にした。
◆
誰かに求められるのは辛い。誰かに期待されるのも辛い。自分の能力を勝手に過大評価されるのが辛い。
頭の中でグチャグチャになる思考。精神的に疲れてしまった身体は重く、一歩一歩足をを前へ進める事が困難になる。それでもやると言った俺を否定しきれない。
言い訳を考える事すら出来ないほど疲れていた。
「よっ! 拓真」
昇降口に着いて自分の靴を出し履いている最中、一人の女が話掛けてきた。
「なんだ、アン子か」
アン子こと如月杏子先生が俺の目の前にいた。
「だから、学校でアン子って呼ぶな」
腰に手をあて、いつものアン子よりも優しい感じに怒った。だが俺はそんなアン子に構っている余裕が無く
「あー。悪かった」
そのままアン子の横を通り過ぎ家路を急ごうとした。本当はあまり帰りたくはないのだけど。
「おい拓真。お前、何か疲れてるみたいだぞ」
後姿の俺に話しかけるアン子。俺は振り返り
「そうだよ。疲れてんだよ。昨日アン子が余計な事をしてくれたせいでな」
起こってしまった事を蒸し返すのは良くない事とは分かっている。分かてるけど、今はそれをアン子にぶつける事で心を保とうとしている自分がいた。
「あー、うん、そうか」
腰に当てていた手を力なくブラリとさせ、アン子の表情が少し強張った。
「うーん。よし、拓真。お前、職員用の駐車場で待ってろ」
こいつはいきなり何を言っているんだ。俺は疲れてるんだ、つか数秒前に言った事だぞ。覚えておけよ。
「おいアン子。俺は疲れてるんだよ。早く帰りたいんだ」
「歩くのに苦労しているお前が、ここから家まで歩いて帰れんのか? もう仕事も終わってるし職員室に荷物取りに戻るだけだから、私が家まで送っててやるよ」
そう言うとアン子は笑いながら職員室へと向かった。そんなアン子の姿を見送った俺は少しの溜息を吐き、アン子が指定した職員用の駐車場へと向かったのだった。
◆
俺は今、アン子の車の横で黄昏ています。何だかんだで俺の事を気に掛けてくれるアン子には感謝している。
考えがまとまらない時いつもアン子が気に掛けてくれた。その度にアン子は俺や雪菜よりも大人なんだと実感していた。
そして今、また俺はアン子に救われている。さっきまでの落ちていた気持ちが、壊れかけていた心が軽くなる感覚が分かる。
本当にアン子が俺と歳が離れすぎてなければきっと好きに━━
「おい拓真。お前はまた私の事を愚弄する想像をしていたな」
おいおいおい。何でですか。俺は今疲れていて心が大変な事になっているんですよ。振り向くのが怖くなってしまったじゃないですか。だって絶対に鬼がいるんですよ。そんな危険を冒す人間がいますか?
動物には元来、生存本能があり危険を察知した時、戦闘本能を出し敵に向かって牙を剥きます。だがそれはあくまで自分と同等の生命体か、自分を基準にしあまり前後しない存在にだけなんですよ。
だけどね。あまりにも戦闘能力が離れすぎているときには
「本当に申し訳ありませんでした」
うん。人間なら土下座をします。
「……はぁ。まあいい。車に乗れ」
あれ? 何で怒らない? つか怒られない方が違和感だらけで怖いんですけど。そんな事を思っていても車に乗り込むしかないわけで。
俺は車にのりアン子の運転で車は動き始めた。
走り始めてから数分。何故だか会話がない。つか絶対さっきの事怒ってるよ。だから喋ってくれないんだよ。無言の威圧だよ。
俺は冷や汗をかきながら、アン子のネクストターンを待った。すると
「悪かったな拓真」
車を運転しているせいかアン子は俺の顔を見ずに謝罪をした。そんなアン子の顔を俺は見る。
眉間に皺を寄せ、後悔の気持ちが混ざった表情。アン子は冗談ではなく本当に俺に謝ってきていた。
「なにがだよ」
そんなアン子に俺も見線を前に向け返答をする。
「いや、さっき言ってたろ「昨日アン子が余計な事をしてくれたせい」って」
「………」
俺はその言葉を聞き黙り込んでしまう。
「私は余計な事をしてしまったって事だよな。拓真が変われるなら、いや戻れるならって思ったんだけど考えが甘すぎたみたいだな」
アン子が俺の為にしてくれた事なのは分かってる。アン子が本当に俺を心配してくれているのも分かってる。だけどそれがたまに、辛くなる……。
「確かに余計な事って言ったけど、アン子がそんなに落ち込む事じゃないよ。それに今日、俺は誰かの為に自分を使う事を了承した」
俺の言葉を聞いたアン子は、赤信号で止まるやいなやその瞳を大きく見開き
「お前、細川のお願いを了承したのか!?」
「はははははは。おい、アン子。もしかしてお前、今日の出来事の一部始終を知ってるんじゃないか?」
その瞬間。アン子は何も聞いてませんでした的に違和感のある良い姿勢で運転を再開していた。
「アン子が黙秘をするならそれでいい。俺は勝手に俺の予想を話させてもらう」
俺は前置きをし、アン子と一之瀬そして今日の出来事の推論を話し始める。
「まずは昨日の事だ。アン子は俺に鍵を欲したのは向こうだと言った。向こう、すなわち一之瀬だな。確かにアン子が言っていた事は間違っていない。一之瀬は俺があの教室に出入りしている事を知っていた。だから本当に一之瀬は俺に会う為にアン子から鍵を借りた。その時何らかしらの事をアン子が一之瀬に言っていると俺は思っている」
淡々と冷静に、俺は話を進めていく。
「次に今日の出来事だ。一之瀬が色々な部活の助っ人をやっているのは俺でも知っていた。つか誰でも知ってるくらいの常識的知識だ。なのにも関わらず、昨日の今日で一之瀬は俺宛の依頼を持ってきた。俺が一之瀬と関係を持つ事が最初から分かっていたような行動だ。そしてアン子は昨日、俺がそいつに会えば変わるかも知れないと言っていた。要するにだ」
俺は少し言葉をためて
「アン子。お前最初から全部知ってたろ」
アン子の顔を見る。分かり易い位に汗をかいていた。そしてアン子は溜息をつき
「なんでお前はそんなに鋭いのかね」
「俺がアン子に昇降口で話しかけられたのは一年前、あの教室の鍵を貰った時だけだ。そんなのアン子が昇降口にいた時点で疑問に思うだろ」
その言葉を聞き項垂れるアン子。
「やっぱりお前凄いよ。お前が言った事は殆ど、九割方合ってる。だからこそ驚いたんだ。お前が細川のお願いを聞くとは思っていなかったからな」
「何で俺が細川のお願いをきかないと思ったんだ?」
俺は今抱いた疑問を率直にアン子へぶつける。
「……そりゃ。戻るつもりはないって聞かされてれば受けないと思うだろ」
アン子の言葉には悲しみが込められている様な、後悔した人が乗せる気持ちに似た声音で言った。
「確かにもう戻るつもりはないよ。だから細川にも「俺に期待するな」って言ったしな……」
車内は沈黙に包まれた。俺の発言を皮切りに俺もアン子も、何も話そうとはしなかった。
見慣れた景色。自分の家が近い事が認識できる。なのに何故だろう。とてもとても時間が長く感じてしまった。
気まずい沈黙。遅く流れる時間。早く今の状況が終わる事を俺は願っていた。そんな時
「着いたぞ」
アン子の声が聞こえた。そしてその声が聞こえたと同時に俺は窓の外を見た。そこには確かに俺の家がある。
自分の家がそこにあるのにも関わらず、俺は一向に降りようとはしなかった。
「……おい拓真。お前まさかまだ」
「大丈夫だよ」
俺はアン子の言葉を最後まで聞かずに返答をし、車のドアを開ける。そして車から降りようとした時に
「おい拓真!!私はまだ全然時間がある。このままその辺をドライブしてもいい。なんならこのまま飯にでも」
「大丈夫だからっ!!」
声を荒げながら言う俺。その言葉でアン子は何も言わなくなってしまった。
「あのさ。今度の日曜日に助っ人に出る試合がうちの学校であるんだよ。だから、暇だったら応援しに来い。つか四日前に助っ人頼むって頭おかしいよな。もっと早く頼めっての」
アン子に心配させまいと俺は気丈に振舞う。だけどそんな事がアン子に通用するわけでもなく。
アン子表情が曇っていくのを理解していた。俺は最低な人間だ。それでも俺は今の自分を貫くしかなくて
「だからさ。この事、雪菜には言わないでおいてくれ……」
俺はその言葉を言い、一之瀬と細川を置いていった時と同じようにアン子から逃げるように家へと入っていった。