14 前編 (夏蓮)
広い部屋、大きな鏡、沢山並んだドレス。私はそんな部屋の鏡の前で椅子に座り、プロの人にメイクや髪型、そしてこの後には今日着るドレスを選んでもらう。今日は特別な日だから……。私の誕生日。
そして、兄さんの命日……。
私は兄さんが死んでしまってから兄さんのお墓に足を運んだ事はない。自分の目の前で逝ってしまったのに、私は未だに兄さんの死を受け入れられていない。それが自分の弱さだと分かっている。
それでも受け入れたくない。ずっと逃げ続けて、そしてこの先も逃げ続ける。こんな愚かで幼い自分が大嫌い……。天才でいる自分が大嫌い……。
そんな今の自分の顔を鏡越しに見ていて、私はふと思った。どうしてこんなにも私は弱いのだろう。
私は小枝樹くんに重荷を背負わさせてしまった。期待される事を嫌う小枝樹くんに期待していると言ってしまった。
そんな私のワガママを小枝樹くんは笑って応えてくれる。それがどれ程小枝樹くんに重圧を与えているのかも分かっているのに、私は小枝樹くんを頼ってしまう。
きっと私は怖がっているのだ。兄さんを失ったあの時から、ずっと何かに怯えて生きてきているんだ。怖くて怖くて仕方がない……。
家族も、友人も、知人も、そして何より今の私が怖がっているのは、小枝樹くんに私の秘密を知られてしまう事……。
私は彼を騙している。本当の自分を露わにせず、優しい彼を利用して、自分ではどうしようも出来ない事を私は彼に押し付けた。
そんな事を考えているのに鏡に映る私の表情はとても冷めていて、それがとても憎く思えた。
「はい。お化粧と髪の毛のセットは終わりましたので次はドレスを選びましょう」
プロのスタイリストさんが私に声をかける。彼女は座っていた私をドレスの前まで誘導し、私は立ち止まる。
「この中から好きなドレスを選んでください」
「どうして私が選ぶの? ドレスを選択するまでが貴女の仕事だったはずよ」
私情がはさみ、つい冷たく言ってしまう。こんな子供みたいな自分も本当に嫌い。私は何でも出来る兄さんのように、天才でいなきゃいけないのに……。
「お言葉ですが私が出来るのはここまでです。今日はお嬢様のお誕生日と聞いております。でしたら、私が選ぶドレスよりも、お嬢様が選ぶドレスの方が今日のパーティーに尤も映えると思います。財閥のご令嬢にこのような事を言うのはどうかと思いますが、あまりプロをなめないで下さい」
そう言い彼女は微笑んだ。そんな彼女を見て、自分が本当に惨めな人間なのだと思った。
彼女はプロとして本物を見つけようとしている。それは自分だけの力ではなく、時と場合を考え順応し他者にも何かを求める事。
やはり、私はまだまだ子供だ。何も知らないし、何も理解出来ていない。何が必要なのか、何が大切なのか分かっていない。財閥の令嬢なんて関係ない。私はまだ経験が浅いのだ。
「そんな口を聞いて自分の身がどうなるか分かっているのか?」
私の言葉を聞いた彼女は俯く。だが、そんな彼女を見て私は微笑み。
「さて、どのドレスを着ようか。服の事に対して私は疎い。手伝ってくれるか?」
彼女は私に媚びなかった。財閥の令嬢で天才の私に……。それが彼女の本心を露わにしているように見えて、私は自分の小ささに気がつく。私の言葉を聞いた彼女は笑顔になり、一緒になって今日のドレスを選ぶ。
沢山のドレスが並んでいる中、私は小枝樹くんに貸した兄さんのスーツを思い出していた。あのスーツに合うドレスはどれかと考え、小枝樹くんが綺麗と言ってくれるドレスはどれなのかと、まるで乙女のように選んでいた。
でも気がつく、私が選んでいるドレスは小枝樹くんの為ではなく、兄さんの為なのだと……。
美しいドレスを手に触りながら私は思う。どうして私はあのスーツを小枝樹くんに貸したのか。
兄さんはあのスーツをとても大切にしていた。どうして大切にしていたのかは分からないけど、それでもあのスーツを着ている時の兄さんはとても嬉しそうだった。
あ、そうか。私は小枝樹くんに楽しんで貰いたいと思っていたんだ。今日のパーティーで小枝樹くんの笑顔が見たいと思って……。
でも、それならあのスーツを貸す道理がない。楽しんで貰いたいだけなら他のスーツでよかった。なのに私はあのスーツを選んだ。
今の私の頭の中は小枝樹くんで埋め尽くされていて、春にあの場所で出会った事、それ以前から小枝樹くんを見てた風景が思う出されていた。そして気がつく。
……私はずっと小枝樹くんは私と同じ苦しみを抱いている人だって思っていた。きっとそれも勘違いじゃない。でも、私が小枝樹くんを求めた事はもっと別の理由があった。そう、それは
小枝樹くんはとても兄さんに似ているから……。
たったそれだけの理由で、私は小枝樹くんを苦しめ続けている。小枝樹くんは兄さんのように私のワガママを笑って許してくれる。そして小枝樹くんも兄さんと同じ、自分ではどうしようも出来ない苦しみを背負っている。
それを私のように誰かに縋って解決を求めるわけでもなく、自分の事なんか後回しにして他者の気持ちを考えて、そんな彼を私は兄さんの代わりにしている……。
本当に私は最低な人間ね。
その時、手に取ったドレスはとても鮮やかな青色をしていて、私は
「この色、兄さんが好きそうな色だわ」
小さく呟き、私はそのドレスを纏い、会場へと向った。
全ての準備が整い、私は会場脇にスタンバイしていた。会場から聞こえてくる出席者達の笑い声、この中に小枝樹くんの顔も混ざっているかもしれない。
自分が誘ったのにとても複雑な気持ちに私は苛まれていた。それでも時間は待ってくれず、私は会場へと踏み出した。
私は会場に現れると会場中の人達が私を見ながら拍手をする。遠くから聞こえてくれる私を褒め称える声。そんな大人達の声が私はあまり好きではなかった。
でも今日は私の誕生日パーティー、否が応でも笑顔を作らなくてはいけない。それが一之瀬家次期当主たる私の務め。天才であり続けるためには私情を挟む事は許されない。
そんな考えを浮かべていると父様が私に近づいてきた。
「誕生日おめでとう夏蓮。そのドレスとても似合っているよ」
笑顔で言う父様。私はそんな父様に
「ありがとうございます。それで、挨拶はどのように回ればよいでしょうか」
私がこれからやらなくてはいけない事を自分で分かっている。親交の深い著名人達への挨拶回りだ。兄さんが亡くなってから私が兄さんの代わりになり数年、挨拶回りなんていう行為は当たり前になりすぎていて何も感じていなかった。
「そうだね。まずは━━」
父様の言葉を聞きながら私は父様にエスコートさせるがまま歩みを進める。そして、当たり前のように挨拶をし、当たり前のように会釈をし、当たり前のようにつまらぬ談笑をする。
この挨拶回りが終わっても、すぐに私が父様から解放されるわけではない。常に気を張り詰めさせながら私の婚約相手を探す手はずに父様の中ではなっている筈だ。
せっかく小枝樹くんを誘ったのに、きっと小枝樹くんといられる時間はほんの僅かだろう。
いや違う……。私は小枝樹くんを誘ったのではない。小枝樹くんに兄さんのスーツを着させて、兄さんのような髪型にセットして、私の中にある幻想の兄さんを作り上げて悦に浸りたいだけ……。
こんな自分勝手な私に小枝樹くんを巻きこんでしまって、いったい私は何を考えているの。それでも、これが私が選んだ道だから……。
今の自分に嫌気を感じて、何故小枝樹くんに頼ってしまったのかを疑問に思って、それでも小枝樹くんを必要だと思ってしまっている自分がもどかしくて……。でも、そんな私の傍にはいつだって小枝樹くんがいてくれる。
「小枝樹くん!?」
そう、彼は私の所までちゃんと来てくれる。私が困っていればどんな状況でも駆けつけてくれる。
「ごめんな一之瀬。話し相手がいなくて来ちゃったよ」
「話し相手がいないって、今の今まで菊冬と姉さんと話していたじゃない」
小枝樹くんが姉さんと菊冬と一緒にいたのは少しだけ見えていた。いつ姉さんと知り合ったのかは分からないけど、それでも小枝樹くんが一人じゃなくて安心もしていた。
そんな小枝樹くんを知っているからこそ、私の所まで来てくれたのが嬉しいと思っている。それと同時に、私の卑しい気持ちで小枝樹くんの事を苦しませてしまっている事に後悔を感じていた。
そして小枝樹くんは私ではなく父様に話かける。丁寧な言葉で父様と会話をする小枝樹くんを見て、私はまた兄さんの影を小枝樹くんに重ねてしまっていた。
兄さんのように朗らかで、兄さんのような笑顔で、兄さんのような優しさで……。
だが、そんな幻想を見ている私に現実という波が押し寄せてくる。
「なので、僕が樹様に申し上げるのはとても不愉快に感じてしまうかもしれませんが、どうか少しの間、僕に夏蓮お嬢様をお貸ししてくれませんか」
いったい小枝樹くんは何を言っているの……!? 兄さんは決してそんな事は言わない。
私は小枝樹くんの顔を見る。そして私が見た小枝樹くんの表情は、父様に敵意を示す顔つきだった。
何故、小枝樹くんが父様に敵意を……? もしかして、私が小枝樹くんに言った事が原因でこんな事になってしまっているの……?
確かに私は小枝樹くんに期待していると言った。でも、こんなの私が望んだ事じゃない。私は小枝樹くんと一緒に━━。
違う。私が言ったんだ……。今日の誕生日パーティーで敬遠して欲しいと……。小枝樹くんが私の為に父様へ牙を向けれる人だって分かっていたのに……。誰かの為に自分が傷つく事を厭わない人だと分かっていたのに……。
私のせいで、私のせいで……。
「拓真、もうそのくらいにしておけ」
父様と言い合いを続けている小枝樹くんを止めに入る姉さん。今の私にはそんな現状を完全に理解出来る事が出来ないでいる。
小枝樹くんが父様と言い合って、小枝樹くんは私の為に嫌な事をしてくれて、なのに私は小枝樹くんを兄さんの代わりにしようとしていた……。
姉さんに手を掴まれ少し冷静な表情になった小枝樹くん。だが
バタンッ
小枝樹くんは倒れてしまった。
私にはその瞬間がゆっくりと見えた。私の目の前で倒れる小枝樹くん、でも倒れる瞬間、私の方を見て小さく唇を動かしてた。何を言ったかは分からない、それでも私には小枝樹くんが
『ごめんな』
そう呟いたように見えた。そして私の時間が動き出す。
「小枝樹くん……!? 小枝樹くんっ!!」
「取り乱すな夏蓮。拓真なら大丈夫だ」
「姉さん……?」
倒れた小枝樹くんの体を持ち上げながら、姉さんは言った。そして一つ溜息を吐き、姉さんは続ける。
「さっき菊冬が持ってきた飲み物を拓真は飲んだ。それも二杯も。それがアルコールだとも知らずにだ。少し強めの酒だったのだろう。ほらよく見てみろ、コイツ寝ているだけだぞ」
私は姉さんの言葉をすぐに信じることが出来なかった。それは何故か、小枝樹くんには発作があるからだ。今の私は自分が小枝樹くんに期待してしまった為に発作が起きてしまっていると思っている。
今の現状を把握しきれない。それが私の素直な感想だった。
「おい、後藤はいるか」
「御用ですか、春桜お嬢様」
「このバカを上の階の部屋へ連れて行け。少し寝かせれば良くなるだろう」
「かしこまりました」
後藤は姉さんの命令を聞きお辞儀をする。そして、この場に倒れている小枝樹くんを担ぎ上げ会場から出ようとしていた。そんな小枝樹くんの姿を見た私は、いてもたってもいられなかった。
「私も行きます」
この言葉は完全に私情で言ったもの。今の私に出来る事は少しでも小枝樹くんの傍にいる事だけだと思ったから。だが、そんな私に姉さんは
「さっきも言ったが拓真はただ眠っているだけだ。夏蓮が行った所で拓真自身の現状が変わるわけじゃない。だから、お前はここに残れ」
冷静に淡々と言う姉さん。私の気持ちも知らないで、姉さんはいつも好き放題言ってくれる。私はもう、そんなに子供じゃない。
「お言葉ですが姉さん。私は━━」
「お前の為すべき事はいったいなんだ。本当に拓真が心配なら、お前にはやらなくてはならない事があるんじゃないのか」
私の顔を真剣な表情で見て言う春桜姉さん。そんな姉さんの言葉で私は気がついた。今の私がやらなくてはいけない事、そして
私なんかよりも姉さんの方が小枝樹くんを理解しているということ……。
それでも小枝樹くんを今状況にしてしまった原因には私も含まれている。そして、私が小枝樹くんに期待してしまったからこそ小枝樹くんは頑張ってくれた。だから、今の私に出来る事は……。
「分かりました姉さん。私は誕生日パーティーが終わるまで一之瀬 夏蓮でいます」
そう、今の私は一之瀬財閥次期当主の一之瀬 夏蓮。きっと姉さんが言っている私の為すべき事というのは、今日の会に出席してくれている方達に恥のない姿を見せ付けること。そしてそれが小枝樹くんが望んだ事でもあるという表しだ。
私はいつもの様に人形のような笑顔を作り、姉さんに言った。すると、姉さんは私の耳元で
「いつも辛い思いをさせてすまないな……」
……姉さん?
「さて、私は拓真の様子を見ている。夏蓮は今日のパーティーを楽しめよ」
そう言い、姉さんは会場から出て行った。
無事にパーティーは終わり。今の私は堅苦しいものから解放されている。
パーティーが終わり、私は一目散にエレベーターへと向った。そう、小枝樹くんがいる部屋へと向っているのである。
どうしても小枝樹くんを一人にはしておけなかった。私のせいで小枝樹くんは無理をしてくれたから……。父様と言い合っている姿はとても勇ましくて、私の事を考えている事が伝わってきた。
あの小枝樹くんの姿を見て私は確信してしまった。私はもう、独りで生きてはいけないのだと……。
そしてエレベーターは最上階で止まった。
最上階のスイートルーム。姉さんが後藤に頼んだ部屋。私はその部屋の扉の前で姉さんは本当に過保護なのだと思い少し微笑んだ。その微笑みも一瞬で、私は部屋へと入る。
電気が消えていて暗い部屋。この部屋に誰かがいると事前に伝えてもらってなかったら、私は誰もいない部屋だと認識していただろう。それくら、静寂だった。
私は部屋に入りベッドルームへと向う。一秒でも早く小枝樹くんの隣にいたいと思っていたから……。
そして今、私は小枝樹くんの隣にいる事が出来る。
小枝樹くんの寝顔はとても幼くて、いつも私を助けてくれる人には到底思えなかった。それでも、その安らかな寝顔が私の心を癒していく。
「ごめんなさい小枝樹くん。私のせいでまた貴方を苦しめてしまったわね……」
眠っている小枝樹くんには聞こえるはずもないのに、それでも私は懺悔する事しか出来ない。私は小枝樹くんに何も与えることができない……。
苦しいと思ってる、悔しいとも思ってる。私の無力さは昔と変わらない……。
「何が天才なのよね……」
私は小枝樹くんの頬に触れ呟いた。そんな私の表情は眉間に皺が寄っていて、今にも泣き出してしまいそうな感情に襲われる。
このまま小枝樹くんの隣にいたいと思っている私がいて、小枝樹くんを兄さんの代わりにしたいと思っている私もいた。
そんな醜い感情が私の心を侵していき、どんどん真実を言いたくないと思う思考に変換されていく。
そう、私は兄さんが大好きだった。兄さんのような天才になりたかった。ずっと追いかけていたのに、兄さんは突然私の前からいなくなってしまった……。
兄さんが逝ってしまった事で私の中の思考はメチャクチャになり、何が天才で何が私なのか分からなくなってしまった。
それでも今の私は、他者を利用してでも兄さんの願いを遂げたいと思っている。
『夏蓮、僕のようにならなくていい。夏蓮はもっと自由に、自分でいれば良いんだ』
兄さんが私に言ってくれた最期の言葉。その言葉が戒めていた自分の心壊していく……。
私は兄さんのようになりたい。でも、兄さんはそれを求めていない……。私は兄さんのような天才になりたくて、でも兄さんは私を……。
どんどん自分の感情が狂っていくのがわかる。小枝樹くんを利用しようとか、私の願いを叶えようとか、そういうのではない。自分で創り上げてしまった矛盾の中で私は混沌としているのだ。
自分が情けないばかりに他者を巻き込んで、それでも本当の自分の気持ちにも気づけない愚かな私……。
「……ん、うぅ」
そんな風にマイナスな思考が頭の中を流れていても、小枝樹くんが目を覚ませばいつも私に戻る。それが良い事なのか悪い事なのかは今の私には分からない……。
「目が覚めた? 小枝樹くん」
私の声で私の存在に気がついたのか小枝樹くんは私の方を見た。だが、まだ寝起きで曖昧な気分でいるのか、小枝樹くんはまだ私をちゃんと認識していない様子だった。
「大丈夫?」
「……一之瀬?」
もう一度声をかけてやっと私の存在を認識したみたいだった。そんな小枝樹くんを見て私は微笑む。
「そうよ。ここは会場のホテルの一室だから、安心して休んでね」
今の小枝樹くんに無理をさせられない。だって、私のせいでこんな風に小枝樹くんはなってしまったのだもの。そんな小枝樹くんの傍に私はいる事しか出来ない。
でも、意識がはっきりとしていないのか小枝樹くんは
「ごめんな一之瀬。結局俺、一之瀬の期待に応えること出来なかったよ。一之瀬が会場に入ってから、全然笑ってないって気がついてたのに、俺は一之瀬を助けられなかった……」
私が笑っていなかった……?
確かに私は心からは笑っていなかった。それでもパーティーに参加してくれている皆様には笑顔を振舞った。どうして小枝樹くんはそんな事を言うの……?
「春桜さんに怒られたよ。つーか、春桜さんにビンタもされた。それでも俺はあの時、一之瀬の隣に居たかった……。俺だったら一之瀬 樹をどうにか出来ると思った」
私の隣に居たかった……? それは私が笑っていなかったから……? 父様をどうにか出来るって思ってたって、それは私が小枝樹くんに期待してしまったから……?
分からない、私は何も分からない……。
「俺はただ、純粋に一之瀬の誕生日を祝いたかった……。一之瀬が楽しいって思える誕生日にしたかった……。誰かを利用することしか考えてないあんな奴等と、一之瀬を一緒にいさせたくなかったっ……!!!」
私の誕生日を祝いたかった。
小枝樹くんは純粋に私の誕生日を楽しみたいと思っていてくれていた。私を一之瀬家次期当主の一之瀬 夏蓮ではなく、普通の学友として何も持ち合わせていない凡人の一之瀬 夏蓮として祝いたいと思ってくれていた……。
少し期待していた部分もある。私の笑顔が作り物なのだと小枝樹くんなら気がついてくれるって……。でも、本当に気がついてくれていたなんて……。
「ありがとう小枝樹くん。そして、本当にごめんなさい……」
私は謝る事しか出来ない。そして、私の気持ちを小枝樹くんに話そう。
「私は本当に貴方に期待したわ。貴方なら父様をどうにか出来ると本気で思ったから……。でも、これじゃただの他力本願なのよね……。自分でどうにも出来ないから、小枝樹くんを利用した……。それでも、小枝樹くんは私を考えてくれて、私の表情まで見てくれていて、私の気持ちを一番に思ってくれていた……」
嬉しかった。小枝樹くんが私の事をちゃんと考えていてくれていたことが、だから
「私はそれだけで十分よ」
本当にもう何もいらないと思えた。小枝樹くんの気持ちがあれば、私はどんな苦しみにも耐えていける。彼は兄さんの代わりなんかじゃない、私の大切な友人。小枝樹 拓真。
それでも小枝樹くんは苦しそうで、今にも泣きそうな表情で私に
「違う……。違うんだよ一之瀬。俺はもっと出来た、きっと一之瀬 樹は俺の本質に気がついてる……。でも怖かったんだ、俺の本質が一之瀬にバレるのが怖いんだよ……。ずっと隠してきてる。一之瀬が思っているような人間じゃ、俺はない」
自分の事を責めながら言う小枝樹くん。でも私も小枝樹くんに言えていない真実がある。でもそれだけじゃない、今の私は小枝樹くんの事を
「なら、ちゃんと教えて……? 私はどんな貴方も受け入れるわ。それが例え、私が傷ついてしまう真実でも……。だって、私も小枝樹くんに言えない事くらいあるのよ……?」
小枝樹くんの事が知りたい。自分で言ったように傷ついてもいい。そして、私の真実も聞いて欲しい……。
「だから、私には教えて……? 私は小枝樹くんを知りたいの」
自然と小枝樹くんに近づいてしまっていた。きっと今の私は小枝樹くんを求めているんだ。互いが互いに傷を負っていて、これが慰めなのだと分かっていても私は小枝樹くんを求めてしまう。
「一之瀬……、俺は━━」
そう、私は貴方の事を知りたいの……。貴方と一緒に苦しみたいの……。
でも、私のその願いは叶わなくて。
「悪い一之瀬、今日はもう帰るわ」
突然ベッドから立ち上がった小枝樹くんはそう言うと、私を置いて部屋から出て行った。
独り取り残される私。
小枝樹くんがいなくなってしまった今の部屋はとても静かで、この部屋に入って来たときよりも静寂だと感じていた。
小枝樹くんの瞳はとても冷たいものだった。私を拒絶するようなその瞳は私の心を蝕んだ。
結局の所、私は小枝樹くんに迷惑をかけてしまって、そしてあろう事かこの状況に乗って私の真実を話そうなんていう浅ましい願いまで抱いてしまった……。
これが今の私に課せられた罰なんだ。私はそれを受け入れて自分の中で生まれている感情と合いまみれないといけない。それが、嘘をついていた私の償いなのだから。
「夏蓮姉様っ!! 拓真は大丈夫ですかっ!?」
「菊冬……?」
突然部屋へと押し入ってくる菊冬。そして私に投げかけた言葉は小枝樹くんを心配している言葉で、そんな菊冬の言葉を聞いて私は再び自分の無力さに気がついた。
「小枝樹くんなら、少し前に帰ったわよ」
これでいい。私は冷静な思考を持ち合わせていなくてはならない。一之瀬財閥の次期当主として……。
「姉様……?」
今の私を見て心配そうな表情を浮かべる菊冬。そして私はそんな菊冬を見て思った。
お願いだから、これ以上私に辛い顔を見せないで……。私はそんな顔をさせるために生きてるんじゃない……。私は、私は……。
「大丈夫ですよ。夏蓮姉様」
きっとボロボロになっていた。今の私は砂の城。作り上げることは困難なのに壊すのはとても容易い。
そんな私を抱きしめてくれる菊冬。その優しさで私の城は簡単に壊れてしまう。
「……菊冬。私はまた小枝樹くんを傷つけてしまったわ……。いつもいつも、小枝樹くんには頼ってしまっていて、なのに私は小枝樹くんに何も返せない、何も話せない……」
恥ずかしいことだと思っている。実の妹に抱きしめられながら泣き喚いている。そんな私はとても惨めだ。
「違いますよ夏蓮姉様。拓真はそんなに器用じゃありません。でも、不器用ながら自分の想いを他者に伝える力があります。私は拓真のおかげで夏蓮姉様と仲直り出来たと思っています。そして夏蓮姉様が私の事を凄く思っていてくれた事も……。だから今度は私の番です。夏蓮姉様と拓真の背中を私は押します」
優しい声で私に言ってくれる菊冬。その声で私の心は少し癒されていた。でも、私の見方は菊冬だけじゃなかった。
「菊冬の言う通りだぞ夏蓮」
声ですぐに分かった、この声は春桜姉さんだ。
「拓真は本物のバカだ。勝手に独りで悩んで、勝手に自分で答えを出す。拓真の無鉄砲さはきっと直らないだろう。でも、だからこそ拓真に隣にいる誰かが必要なんだ」
「姉さん……」
どうして私よりも短い時間しか共有していない姉さんが小枝樹くんの事を理解しているのかは分からない。それでも今の私が小枝樹くんの隣にいて良いと言ってくれている事実が凄く嬉しかった。
「だから早く拓真を追え。そして全部話してこい」
姉さんはそう言い笑ってみせた。
私は小枝樹くんを兄さんの代わりと思っていた。出会った時からずっと兄さんの写し身だと思っていた。でも、それは間違っていて、私は単純に小枝樹くんの隣にいたいと思っていたんだ。
「姉さん、菊冬。私、行って来ます」
そう言い残して私はホテルの部屋から走り出した。
私は小枝樹くんに伝えなきゃいけない。本当の私を、真実の私を……。
きっと真実を伝える事は辛いことなのだろう。言えば、私と小枝樹くんの関係を完全に壊してしまうものだから。それでも私は小枝樹くんに知ってもらいたい。
私が天才に憧れたただの秀才という事を……。