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天才少女と凡人な俺。  作者: さかな
第三部 夏休み 求メラレル選択
37/134

13 中偏 (拓真)

 

 

 

 

 

 俺はまた期待されてしまった。


数ヶ月前の時よりかは悪くないと思えている。それでも、誰かに期待されるのは本当に苦痛だ。一之瀬だから大丈夫とか言うつもりはない。俺は本当に誰かに期待される事を恐れているんだ……。


そう、俺が期待させるような事をしていたから、小枝樹家を壊してしまった。でも、あの時の俺は本当に幼くて、あれしか出来なかったんだ……。


レイを裏切った俺には、あの選択しかなかったんだよ……。


自分の頭の中で言い訳を並べながら、俺は一之瀬の家に向っていた。


どんなに考えていても答えが纏まるわけでもない。だから考えるのはやめよう。だって、今日は一之瀬の誕生日だ。俺がこんなに暗くなっていてもしょうがない。今の俺に出来る全力を今日は出さなきゃいけないからな。


そんな事を考えているうちに、俺は一之瀬の家の前まで来た。


高性能のセキュリティーが設備させている完全要塞。オートロック式の自動ドアを潜り抜ける為に、一之瀬宅のインターフォンを鳴らす。


「俺だ。さっさと開けろ」


「本当に小枝樹くんは礼儀がなっていないわね。今開けるから待ってなさい」


一之瀬の言葉が途切れ、目の前の自動ドアが開く。俺はその扉を潜り、エレベーターに乗り込む。


最上階のボタンを押し、勝手に上っていく機械の中で俺は到着を待った。一つ、一つと階が上っていくのを見ながら、俺は雪菜の事を思い出していた。


自分の事をずっと肯定してきてくれた雪菜。だけど、結局俺と雪菜の考えは違う方向を向いていて、どうしようもない壁がそこにはあった。


ずっと雪菜とは一緒にいられると思っていたのに、それは幻想でレイと同じように雪菜も俺の前からいなくなる……。きっと俺は、そんな未来が嫌だったから全てを拒絶したのかもしれない。


俺がずっと心を閉ざしていれば、雪菜はいなくならない。そんな浅はかな考えがどこかにあったのだろう。でも、今の俺は昔に戻ろうとしている。


自分なりに考えたつもりだったが、きっとこれも浅はかな行動だったのだろう。それでも、今俺の周りにいる奴等を裏切ることも俺には出来ない……。



 最上階に着きエレベーターの扉が開く。


その階に下りれば一之瀬の家の扉しかない閉塞的な空間。明るい照明が廊下を照らしているが、明るいだけで監獄と何が違うのか分からない俺がいた。


「おーい一之瀬。勝手にあがるぞ」


俺は勝手に玄関を開け中へと入る。その場で一之瀬の返事を待ったが応答がない。俺は待っているのが面倒になり、勝手にリビングで待つことにした。


ついこの間来たばかりだが、本当に広いなこの家は……。つかこの間来た時は20畳くらいだと思っていたが、このリビングもっと広いぞ……。


そんな事を考えながら俺はソファーに座り一之瀬を待つ。


つーか一之瀬はどこにいるんだ。玄関から声をかけても出てこないし、てかインターフォンを鳴らした時には出たのにどうして今はいないっ!!


一之瀬がいない事に不満を感じた俺は、この家の中をモラルに反しない程度に物色する事を決意した。


まずはキッチンだ。オープンキッチンになっているこの場所は綺麗に整頓されていて、シンクもピカピカだ。棚に並んでいる調味料、その横にある大きな冷蔵庫。さすがに冷蔵庫の中身を見るのはモラルに反するのでやめておこう。


次に何を見るか。つか、リビング以外の部屋に入るのはモラルに反するし、もうやる事がない……。


俺は諦めてもう一度ソファーに座ろうとしていた。だがその時、キッチン横にある棚の上にある物を見つけた。


「写真か」


そこに置かれていたのは洋風なフォトフレームに入れられた写真。その写真には一之瀬と男の人が写っていた。


写真の中の一之瀬はとても幼く、俺が見たこともないくらいの無邪気な笑顔を浮かべている。そして、その横に立っている男も笑っていた。俺はその写真を見て、


「一之瀬 秋……」


その人物が一之瀬の兄貴なのだとすぐに理解する。一之瀬 秋はとても優男な雰囲気で、長くもなく短くもない黒髪。そして、本当に妹の一之瀬を愛しているのだと分かるほどの笑顔だった。


でも、この写真の中に写る優男はもうこの世にはいない。一之瀬を助ける為に、死んでしまった人間。失った悲しみは何となく分かるが、俺の失った人はまだ生きてる。


この時俺は本当の意味で、一之瀬の苦しみや悲しみを理解出来ないのだと写真の中にいる一之瀬 秋に言われている感覚になった。


そんな俺が一之瀬の願いを叶えるのなんか無理なのかもしれない……。


ガチャッ


リビングの扉が開かれる音。俺はその音に反応し、やっと一之瀬が来てくれたのだと思った。


「おい一之瀬。人を待たせるのもたいがいに、し、ろ……?」


リビングの扉の方へと振り返った俺は見てはいけないものを見てしまった。


そこにいたのは確かに天才少女だった。だが、身に着けている衣類はバスタオルのみ。きっと今の一之瀬の防御力はかなり低いだろう……。って言ってる場合かっ!!


「どうして貴方がここにいるの」


「それは、一之瀬が俺をここに呼んだからだろっ!!」


「確かに小枝樹くんが家に来たのは知っているわ。そうじゃなく私が聞いているのは、何故家の中にいるかって事よ」


もう一之瀬の質問の意味が俺には分かりませんよ。つか、質問とか尋問とか拷問とかは後にして、取りあえず何か着てくれませんかね!?


「だ、だから、俺は家の扉を開けて中の一之瀬に一声かけた。でも応答がなかったからそのままリビングで待つことにしたんだ。一之瀬が風呂に入ってるなんて知らなかったんだよっ!!」


「常識的に考えて私が出てくるまで玄関で待つのが普通よね。これは列記とした住居不法侵入よ」


髪の毛が濡れているせいか、毛先からはポタポタと雫が零れ落ちる。


「確かに勝手に入ったのは俺が悪かった。だからさ、その、そろそろ、服を着てくれませんかね……」


俺はそっぽを向いて一之瀬にお願いした。これ以上一之瀬のバスタオル姿を見ていると、思春期な俺はもう、俺はもう……。


「ご、ごめんなさい……/// 私も少し取り乱していたみたいね」


俺の言葉を理解してくれた一之瀬は着替えるために別室へと歩き出す。その時


ツルッ


「きゃっ」


「あぶねっ!!」


ドタンッ


一之瀬の髪の毛から零れていた水滴で一之瀬は足を滑らせた。そんな一之瀬を間一髪で俺は支えることが出来た。


「いってー。おい大丈夫か、一之……瀬……!?」


一之瀬の安否を心配した俺は一之瀬を見たが、そこにいる一之瀬には先ほどまで体を隠していたタオルが少し肌蹴ていて……。それだけでは無く、柔らかい女性の身体に触れているわけで……。


「ち、違うぞ一之瀬。これは不可抗力だっ!! 俺は転びそうになった一之瀬を支えようとしただけで意図的にやった事じゃないからなっ!!」


「小枝樹くん……」


一之瀬は自分のタオルを身体に巻きなおし、俺の方を向いて俺の名を呼んだ。そして


バチンッ


ははははは。まぁ、こういう結果になる事は目に見えてましたよね……。




 俺はソファーに座り一之瀬に説教をされています。はい、そうです。全部俺がいけないのです。


左の頬に赤い手形を作り、痛みに耐えながら俺は一之瀬の話を聞いていました。


「まぁ説教はこのくらいにしておいてあげるけど、実際の所、見たの?」


もの凄い剣幕で俺を睨みつけている一之瀬。完全に蛇に睨まれた蛙状態ですよ。


「……俺は何も見てません」


「……ふぅ。もう一度聞くわね。これが最後だと思って構わないわ。小枝樹拓真はいったいなにを見たの?」


完全に拷問じゃないですか!? この流れってイエスでもノーでも殺される流れのあれですよね!? もうわかった。こうなったらやけくそだよ!!


「すみません……。少し見えました……」


一之瀬の眉間に皺がよる。ここで止めておけばよかったのに、俺はあまりにも一之瀬が怖くて余計な事まで口走ることになる。


「で、でも大丈夫だっ!! その、普通に綺麗だったというか、シミとかも見当たらなかったし、やっぱり一之瀬は天才美少女━━」


ガバッ


俺は何者かに、いやここで名前を伏せても意味がないな。そうです俺は一之瀬さんにアン子必殺のアイアンクローをやられています。


「いだだだだだだだっ!! や、やめろ一之瀬っ!! 本当に綺麗だったから━━」


「それ以上口を開いてみなさい。この場で三枚に下ろしてあげるわ」


先ほどよりも睨みを利かせ低い声音で言う一之瀬。本当に怖いと思っている俺は、一之瀬にたいして


「す、すみませんでした……」


謝るしかなかった。


つか三枚に下ろすって俺は魚かっ!! ギョギョッとか言えばよかったのか!!


「まぁ良いわ。さっきの光景を記憶から貴方が抹消するというのなら許してあげる」


「消します。もう凄い勢いで消します。ボクハ、ナニモ、ミテイナイ。イチノセノ、ハダカ、ミテイナイ」


ガバッ


「いだだだだだだだだだだだっ!! 悪かったっ!! ふざけて悪かったよっ!!」


再び俺は一之瀬のアイアンクローをお見舞いされることになった。まぁ今回は俺が悪い。


「はぁ……。まぁ良いわ。ここでふざけていたらパーティーに遅れてしまうわ。小枝樹くんはスーツに着替えてちょうだい」


ダメージが残ったままの体を起こし、俺は一之瀬に言われたとおりスーツに着替えることにした。





 着替えが終わり一之瀬に髪の毛をセットしてもらった俺は鏡の前で呆然としていた。


「おい、一之瀬。本当にこれは俺なのか?」


「何を言っているのか分からないけれど、鏡に写っているのは正真正銘、小枝樹拓真よ」


分かってる。着ている物が高く、天才の一之瀬にセットしてもらった髪型。これが自分の力で成し得なかった事はわかってる。でも、


「本当にこれが俺なのか……?」


「自画自賛したいなら別の所で一人きり寂しくおこなってちょうだい」


「待て一之瀬。俺は別に自画自賛したいわけじゃない。でも、今まで生きてきた中で俺がこんなにも変身できるなんて夢にも思ってなかったからさ」


鏡の中にいる人物が自分じゃなきゃ俺は普通に褒めているだろう。着飾るだけでこんなにも見た目が変わるなんて思ってもみなかった。本当に俺はファッションとかに興味がない人間なんだな……。


「前にも言ったけど、小枝樹くんは普通にしていてもカッコいい男子の部類に入るのだから、ちゃんとすれば神沢くん同様にイケメンと言われてもおかしくはないのよ。ううん、違うわね」


鏡の前に居る俺の肩を後ろから掴んだ一之瀬は、


「カッコいいわよ小枝樹くん」


そう言い微笑んだ。そして


「だから、今日は期待しているわ」


「……一之瀬?」


何か違和感を感じた。期待されるのが嫌のもそうだが、今の一之瀬は何かおかしい。誰かに頼る事をしない一之瀬なのに、今回の件は俺に頼ってきた。


それほど、家の事情が入り組んでいて自分ではどうしようもない事なのかもしれない。それでも、今の一之瀬の微笑みはまるで━━


「ほら、支度が出来たなら早く会場に行きなさい。私の会場入りは貴方よりも遅いから、早く行きなさい」


自分の中に疑問を残しながら、俺は一之瀬夏蓮の誕生日パーティーが開かれるホテルへと行った。







 そして今に至る。


一之瀬が言っていた通り会場には俺でも知っているような有名人が沢山いた。


こんな場所に凡人な俺がいるのは本当におかしな現象である。でも、俺以外の人間達は俺には目もくれず自分達の利益になる人間同士で会話に華を咲かせていた。


パーティー会場は有名ホテルの広い会場を貸しきっているもので、立食形式な会場は沢山のテーブルに食事が並べられている。


だが、それとは別に少し開けた空間が用意されているのに俺は少し疑問を抱く。


俺の中での答えは、これだけの大きな誕生日パーティーだ、クラシックの生演奏や今日来ている著名人の中でパフォーマンスをする人もいるかもしれない。それに、今日のパーティーは一之瀬の誕生日と言っているだけで、社交界にすぎない。


もしかしたら、あの場所では交流を深める為にダンスとかをするのかもしれないな。


まぁ要するに、俺には関係の無い空間という事だ。


会場の端っこで独りぼっちな俺は、小説や漫画の中で起こりうる状況を妄想してしまっていた。そりゃ、凡人な俺がこんな場所にいる事すらミラクルなんだ。


つか、一之瀬財閥ってどんだけだよ。この物語の最後って夢オチとかそんなんじゃないよね!?


メインである一之瀬夏蓮がいないのに、会場は既に笑い声や笑みが沢山あって、なんだが俺は嫌な気分になっていった。


「あれ? 拓真も来てたの?」


この会場に入って初めて誰かに話しかけられた。でも待てよ、俺が見渡した限り俺の見知った人はいなかった。ならいったい誰なんだ。


俺はすぐにでも解決する疑問を抱きながら、声の主の方へと向きを変えた。そこにいたのは、


長くて綺麗な金髪、すらっとしたスタイルで線の細い女の子。身体は細いのに、出るところはちゃんと出ていて、この人物が俺より年下なのだと思うと困惑してしまう。


「おー菊冬。やっと話す相手が出来て俺は嬉しいよ」


「なに言ってんの……?」


綺麗なドレスで身を包んだ菊冬は、俺の言葉が理解できなかったらしく呆気にとられている。


「この会場で俺が話しできるやつなんかいるか? いないだろっ! まぁだから菊冬に会えて少し安心したよ」


「まぁ……、安心できたなら良いけどさ」


気恥ずかしそうにそっぽを向く菊冬。でも本当に安心した。一之瀬は全然会場に出てこないし、本当にこのままこんな煌びやかな場所で孤独死するかと思ってましたよ。


「それにしても、今日の菊冬はいつもより一段と綺麗だな」


俺が会った時の菊冬は金髪の髪の毛をツインテールにしていて、白の清楚なワンピース姿だった。でも、今日の菊冬は綺麗な金髪をストレートに下ろしていて、まるで貴族か何かと勘違いしてしまいそうなドレス。


お姫様という言葉がピッタリな感じだ。


「ば、何言ってんの/// 別に綺麗なんかじゃないし……///」


照れたりするのは一之瀬に似てないのに、面倒くさい所で似てるんだよな。


自分がすげー苦しいのに相手の事ばっか考えて、それで悩んで苦しんでたり。喧嘩の内容だって互いの事を心配し過ぎて起こってるし。つか


「なぁ菊冬。お前、一之瀬と仲直りできたのか……?」


そう、俺が余計な事をしてしまったばかりに、一之瀬と菊冬の間の溝を深めてしまったことがある。一之瀬には関係ないって言われてる。でも、状況を悪化させたのは俺だから……。


菊冬の事は本当の妹のように思ってる。だからこそ、心配になってしまうんだ……。


「うん。仲直りできたよ。あの後も沢山喧嘩しちゃったけど、拓真が私の背中を押してくれたから頑張れたんだよ」


「……そっか」


普通に嬉しいと思った。俺のおかげとかそんなんじゃなくて、ただただ菊冬と一之瀬が仲直りできた事が嬉しかった……。


「だから今度は私の番だね」


謝りたい気持ちと嬉しい気持ちが入り交ざった俺の顔を見て、菊冬が言う。


「今度は私が拓真の背中を押してあげるよ」


満面の笑みで俺に優しい言葉を言ってくれる菊冬。本当にコイツは純粋で、今この会場にいる他の大人達とは違っていた。そんな菊冬に俺は


「ありがとな」


優しく頭を撫でた。


だが、その光景を見ていた阿修羅様が俺の目の前に現れる。


「おい拓真。貴様は何度私の大切な妹に破廉恥な行為をすれば気がすむのだ」


声の主は俺の事を睨みながら歩み寄ってきた。身長はとても小さく俺よりも低い目線から殺気を放つその人は、


「は、春桜さん……!?」


一之瀬春桜。一之瀬家の三姉妹の長女でとても成人した人には見えない体格をしている阿修羅様です。


そんな春桜さんは菊冬とは違い、大人びたスーツを着ていた。つかそのサイズどこで買えるんだよ……。


「というか何故貴様がここにいる」


一瞬前まで俺を睨んでいた春桜さんは、冷静な表情になり俺が何故ここにいるのかを問う。


「い、いや、その、俺は一之瀬に呼ばれただけで、別にやましい気持ちなんか全くありませんっ!」


俺はいったい何を言っているんだあああああああっ!! これじゃ完全に俺がやましい気持ちでここに来たみたいじゃないかっ!! どれだけ自分の首を自分で絞めるのが得意なんですか俺はああああああっ!!


「……夏蓮に呼ばれたのか? おい菊冬、何か飲み物を取ってきてくれ」


意味深長な言葉を言い、春桜さんは菊冬をこの場所から離れさせるように飲み物を取りに行かせる。そんな春桜さんの言葉を何を疑わずに菊冬はこの場所からいなくなった。


「それで、夏蓮に呼ばれたってどういうことだ」


確か一之瀬は言っていた、自分だけが天才だったから次期当主に選ばれたのだと。だが、その真偽が俺には分からなくなっている。初めて会ったときから思っていた事だが、春桜さん……、一之瀬春桜は勘が良すぎる。


それでも、俺には話さない理由もない。だから今回の件の全てを俺は春桜さんに話す事にした。


「俺は一之瀬に今回の誕生日パーティーにボーイフレンドとして呼ばれました。最初は意味わかんなかったけど、アイツの話を聞いて納得がいきました。俺は、この会場にいる全ての人間に対する敬遠をしています」


「……敬遠?」


「一之瀬は俺に言ったんです。誕生日パーティーとは名ばかりの一之瀬の婿を探す為の会だって……。最初は半信半疑でした。でも、ここに来て俺も確信してます。ここには自分達の私腹を肥やす貪欲な人間達しかいないことを」


きっと会場にいる人達は俺みたいな凡人を見ていないだろう。だからこそ、今俺は会場にいる人達全員を睨むことが出来る。それでも数人は気がついているみたいだな。


「一之瀬はきっと全部分かっています。だからこそ、俺をこの場所に配置した。なかなかの策士ですよ」


「今の話だけだと、夏蓮の策士ぶりが分からないのだが」


「……はぁ。いいですか春桜さん、ここに来ている著名人達はなんとしても一之瀬夏蓮との繋がりを求めている。それを手っ取り早くするのだったら、一之瀬夏蓮へ自分達の子供を婿養子に送ることだ。でも一之瀬夏蓮が連れてきたボーイフレンド。それだけで敬遠になる。そしてそれだけじゃない、一之瀬が誘ってきているという事で俺が凡人だと他者にはバレない」


俺は話し終わり春桜さんを見る。


「確かに拓真が言っている事は尤もだな。だが、凡人だとバレない保証はないぞ。貴様は作法を知らない。付け焼刃の作法で熟練者を欺くのは用意ではないぞ」


「まぁ、そうですね。春桜さんが言っている事は正しいです。でも、ここにいる全員を俺の作法から目を背ける事が出来たとすればどうなりますか?」


そうだ、春桜さんが言っている事は尤もな事で、俺にはこんな上流階級の人間達と同様な作法なんか出来やしない。でも、その視線を逸らす事なら俺にも出来る。


「本当にそんな方法があるのなら、是非ご教授願いたい」


俺を馬鹿にするような微笑を浮かべる春桜さん。でも、俺はそんな春桜さんの表情を驚愕へと買える自信があった。


「……ふぅ。そんなの簡単ですよ。菊冬と春桜さんがいるだけで大丈夫なんですから」


「それは、どういうことだ」


「俺は今回のメインになってる一之瀬財閥次期当主から呼ばれた人間ですよ。そんな奴が一之瀬だけじゃなく春桜さんや菊冬とも親しく話をしていたら、ここにいる奴等はどう思いますかね」


俺の考えは単純だ。ここに来ている奴等は決して馬鹿ではないだろう。だからこそ、俺はどうにかして自分が凡人だと隠さなくてはならない。


それを隠すのには春桜さんと菊冬はもってこいなんだ。


馬鹿ではない人間は色々な知識やスキルを身につけている。俺が何もしないまま、ただ普通にこの会場にいれば俺が凡人だとバレていたかもしれない。


そんな知識やスキルを習得している人間は俺が春桜さんや菊冬と親しく話していたらどう考えるか。それは簡単な事だ。


ここに来ている人間達はどうしても一之瀬家との繋がりを深くしたい。だが、そんな所に見覚えの無い人間が一之瀬夏蓮に招待されている。いったい、この男は何者だ。


そこまで思考を絞ってしまったら俺の作法なんか目にもとまらないであろう。この会場に入ってから俺への視線は嫌でも感じていた。


俺を嘲笑っている奴、俺を警戒している奴。他にも色々な感情が俺へと向けられていた。そんな奴等を見ていて俺は心から思った。


本当につまらない奴等だ。


「お前……。そこまで先の事を考えて行動していたのか……!? いったい拓真には何手先が見えているんだ」


大きく瞳を見開き俺を見て言う春桜さん。つか、この人はよくもまぁそんな恥ずかしいセリフを簡単に言えたものだ。成人者はやはり羞恥が少なくなっているのか?


「いやいやいやいや。そんな異能系の戦闘シーンじゃないんですから……。まぁパズルみたいな物ですよ。目の前にあるピースをありとあらゆる角度から見て、頭の中で何個か完成図を想像する。何個も未来を想定しておけば、想定外だった最悪なパターンを回避する確立もあがる。簡単に言えば、俺は臆病者って事ですよ」


「はははははははははははっ!! 確かに拓真は臆病者かもしれないなっ!!」


この場所であった時は怒りを表面上に出していて、すぐさま冷静になり、そして今のこの人は笑ってる。感情の起伏が激しすぎて俺にはついていけない……。


「まぁそれでも、貴様がここにいて私も嬉しいと思っているぞ。やはり貴様に夏蓮を頼んだのは間違いではなかったようだな」


微笑む春桜さん。菊冬もそうだが、ここの姉妹は簡単に俺を認めてくれる。そんなに出来た人間じゃないのに……。


そんな春桜さんは周りをキョロキョロと見渡し始めた。


「それにしても菊冬の奴遅いな」


「いやいや、菊冬ならさっきから向こうで男性達に捕まっていますよ」


春桜さんは全く気がついていなかったみたいだが、飲み物を取りにここから離れた菊冬は数十秒後に男性達話しかけられ、そこで足止めをくらっていた。


俺はそんな菊冬の状況を春桜さんと話しながら気がついていたが、あまりにも会話の内容が真剣なものだった為、今の今まで放っておいてしまっていた。


そして今の俺は思う。あんなに男性達に囲まれて、苦笑を浮かべながら話をしている菊冬を見て阿修羅様が完全に目覚めるものなのだと。


「そうか。まぁ菊冬には良い社会勉強になるだろう。少しは男というものを知っておかなくてはならない歳でもあるしな」


おかしいだろその反応っ!!! どうして俺の時とは違うんですかねっ!? あの場所に居るのが俺だったらもう完全にバラバラにされていますよっ!?


俺は春桜さんの言葉を聞き項垂れる。きっとこの会に出席している人たちの中で項垂れるのは俺くらいであろう。それでも、春桜さんの言っている事は俺の心を完全にへし折るものだった。


「まぁ拓真も楽しんでやってくれ。夏蓮の為にも……」


ふざけている時間は殆ど無く、春桜さんの表情は再び曇っていった。この時俺は思った。


俺はこの人の心も救えないだろうか。現実を知らない幼い思考。そうだと分かっていても、俺はこの人の心も救いたい。


「あの、春桜さん━━」


「ほら拓真。今日の主役のお姫様の登場だぞ」


春桜さんに言いかけた言葉は途切れ、俺は言われた方へと目を向ける。


そこに居たのは一之瀬夏蓮だった。


一之瀬の登場に、待ちに待ったと言わんばかりの拍手。この会場にいる全ての人達が今の一之瀬を見ている。俺もその中の一人だ。


誕生日に相応しいかどうかは分からないが、一之瀬は青く綺麗なドレスに身を包み、いつもは下ろしている綺麗で長い黒髪を、束ね上へ上げている。


今までに見た事も無い一之瀬だ。こんなにも外見が変わるだけで人が美しくなるなんて思っていなかった。


「どうだ拓真。私の自慢の妹だ、綺麗だろう」


「はい。凄く綺麗です」


確かに今日の一之瀬はとても綺麗だ。俺が凡人で一之瀬が天才だと言う事を改めて感じてしまっている。


華やかなドレス、煌びやかな会場。どれをとっても最高の誕生日パーティーだ。一般市民がこんなパーティーを開いてもらったなら一生の思い出に残り、子孫達へ語り継がれるであろう。


登場と同時に会場にいる全員に笑顔を振りまく一之瀬。その笑顔はとても綺麗で美しくて、これが本当にあの一之瀬なのかと疑問に思ってしまう。でも


「……ってない」


「どうした拓真?」


「アイツ、全然笑ってない」


「何を言っている。夏蓮はあんなにも笑っているではないか」


俺は春桜さんの言葉を聞き、眉間に皺を寄せ不安げな表情をした。


「春桜さんには、分からないんですか……?」


「なにがだ?」


どうして、何で……。一之瀬は全然笑ってないじゃないかっ!! 確かに笑顔を作っている。でもそれは作っているだけで、一之瀬の本当の笑顔じゃない……。


アイツの笑顔はこんなに綺麗じゃないんだ。一之瀬の笑顔はもっと不器用で、馬鹿みたいで、そして


無邪気なんだ。


「行かなきゃ」


一之瀬の傍に居なきゃいけない。アイツはこんなの本当は望んでいなかったんだ。どうして俺は気がつかなかったっ!! 何で一之瀬の真意に気がつかなかったんだっ!!


今の俺は自分で自分を責めていた。でも、責めている時間なんか無い。一刻も早く一之瀬の所に行かなきゃ……。


「おい拓真っ!! どこに行くんだっ!!」


「そんなの……。一之瀬の所に決まってるでしょ」


アイツを独りぼっちにさせられない。


「どうした拓真っ!? 何をそんなに焦ってるんだ」


焦ってる……? 俺が、焦ってる……?


「春桜さんには分からないんですか……。本当に今の一之瀬が笑ってるって思ってるんですか……」


「……何を言っているんだ」


やっぱりこの人には分かっていないんだ。なら、やっぱり俺が一之瀬の傍にいなきゃいけない。


確かに俺は焦っているのかもしれない。一之瀬の願いを本当に俺が叶えることが出来るのか、不安で仕方が無い。でも、今日の一之瀬の頼みを無碍には出来ない。俺はアイツの駒で良い。使い捨ての駒で良いんだ……。ただ


一之瀬 夏蓮が笑ってくれるなら……。




















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