8 中偏 (拓真)
家に着き、暗い部屋に引き篭もる。妹のルリが晩飯の時に俺を呼んだが、俺は何も答えず晩飯にも行かず、自分の部屋で一人考えていた。
佐々路楓の涙。元気が取り柄でいつも誰かの輪の中にいる彼女の涙は、俺にとって衝撃的だった。
それでも、今の冷静な俺なら分かる。涙を流さない人間なんかいない。だけど、他人に涙を見せる人間も少ない。
帰ってきてから制服を脱ぐ事もせず、俺はベッドで横になり考える。だが、どんなに考えても何も纏まらなくて、結局、一之瀬のいない俺はただの凡人でしかない。
俺には誰も幸せに出来ない……。
脱力し無気力になってしまった俺は、携帯の時計を見た。携帯の明りは眩しくて、明りが灯った瞬間少し目を細めた。
その明りに目が慣れた時に見えた今の時刻は、23時間近だった。
俺は何時間考え込んでいたのだろう。一人で、何も聞こえない部屋で、真っ暗な場所で。そんな時、心の中で昔の俺が言った。
「お前じゃ何も出来ない。いや違う、お前を必要としている人間なんかいない。お前は他人に利用されるだけでさえれて、最後にはゴミのように扱われるんだ」
笑みがこぼれた。分かっているのに、分からないフリをまたしていた。どんなに俺が頑張ったって、どんなに俺が努力したって、誰かが認めてくれなきゃ意味がないんだ。
俺は独りで、いつまでも独りで、それなのに何で今の俺は自分の事じゃなくて、他人の事でこんなにも悩んでいるんだ。
憎いよ、全ての人間が憎い。俺を利用してきた奴等も、俺も過大評価してきた奴等も、全部全部憎い……!
なのに、佐々路の涙が俺の気持ちを、心をグチャグチャにする。俺はいったいどうしたいんだ……。
ブーッブーッブーッ
頭の横に置いておいた携帯が震えだす。そんな携帯を手に取り俺は画面を見た。
佐々路楓からの着信だった。
「もしもし」
「私の正体は明かせないが、君にある依頼を頼みたいと思っ━━」
ブツッ
どうしてだ、何故なんだ。俺は本気で色々と今、苦悩していたんだ。自分の事も一之瀬の事も、佐々路が見せた涙の事も。なのに、なのに
ブーッブーッブーッ
「もしもし」
「いやいやいや、あたしが喋ってる途中で電話切らないでよっ!!」
この女はよくもまあいけしゃあしゃあと……!
「それは全部、お前のせいだ。俺に非は無い」
どんな気持ちになったと思ってるんだ。俺がどれだけ苦しい気持ちを抱いたと思ってるんだ。佐々路へ対する怒りは少しずつ大きくなる。
「まぁまぁ、そんな怖い感じに喋らなくても良いじゃん」
「ふざけんなよっ!!」
俺は声を張った。下の階にいる家族にも、隣人の人にも聞こえてしまうんじゃないかと心配になるくらい。俺は大きな声で言った。
「俺は佐々路を傷付けるような事を言った。一年前の自分に戻っていく感覚さえあった……。それでも俺は今の自分を肯定したくて、今の環境を否定したくなくて、最後にお前を傷付けるような事を言ったんだよな……」
神に懺悔するように、俺は自分の罪を吐露した。その行動で、俺は自分が救われるのだと信じていたかったんだ。
「……そんな事ないよ」
小さな声で、それでも俺の耳には届くくらいの声で、佐々路は言った。今の自分の悲しみを俺に伝えるように。
「謝らなきゃいけないのはあたしだと思う、ごめんね……。何かさ、小枝樹の優しい言葉が怖かったんだ、冷たい感じに言い続けてくれた方がまだよかった……。でもあの涙は気にしないで、なんたってあたしは『魔女』だから」
佐々路の口から聞かされる『魔女』という言葉。佐々路の幼馴染の崎本も同じ事を言っていた。
「ただ、謝りたくて電話しただけだから。本当に今日はごめんね……。じゃ、おやすみ」
そう言い佐々路は電話を切った。
俺の耳元で流れ続ける電話が切れた音。暗い部屋で独りの俺には、その音が大きく聞こえた。耳元から携帯を離したいと思っているのに俺の手はそのまま硬直し続け、自分の不甲斐無さを噛み締める事しか出来なかった。
次の日。
「おっはよー小枝樹っ!」
何事も無かったかのように挨拶をしてくる佐々路。俺にはその真意が分からなかった。だけど、こんな凡人の俺にでも想像できたのは「空元気」佐々路はきっと無理をしてる。今の俺は何となくそう思ったんだ。
「何朝から暗い顔してんだよ小枝樹っ!」
まるで昨日という日が無かったように、同じ事を繰り返す佐々路。そんな佐々路を俺は見てられなかった。
「おい、佐々路━━」
「……お願い。昨日の事は忘れて」
俺の言葉を遮りながら、耳元で囁くように言う佐々路。その声音は苦しそうで、悲しい気持ちがこもっていた。だから俺は
「おい、佐々路。お前は毎朝毎朝、うるせーんだよ。お前はあれか、俺が暗い顔をしているとうるさいのか?つか、この顔は生まれつきだよっ!!」
何も知らないフリをして、いつもの俺を演じる。
「そうだぞ楓。小枝樹の顔は前からこんなもんだっ!!」
援護部隊の崎本が俺の味方につく。だが
「おい、崎本。今の言葉は俺の味方につくと見せかけて、俺に攻撃をしたと俺は捉えてもいいよな」
「おい待て小枝樹……。俺はお前の味方なんだぞ……!?」
「ははっははは。侮辱された気分だ」
俺はそう言い、鞄から極太ロープを取り出し、崎本を蹂躙した。
「そうだぞ隆治。小枝樹がイケメンで羨ましいからって嫉妬するのはやめなさい」
その言葉を佐々路が崎本にかけた時、もう崎本はあられもない姿になっていた。まぁ俺がやったのだが。
そんな風に冗談を交えた会話をしていても、どこか佐々路は無理をしているように見える。だけど、今の俺が出来る事はこれくらいで、他に何かをしてあげられる訳ではない。
「イケメンって僕の事呼んだ?」
最近のイケメン王子は本当に空気が読めない奴だ。いや、寧ろ今回は空気が読めているのか。
「あ、大丈夫だ神沢。お前の事は誰も呼んでない」
「何だか最近、小枝樹くんが冷たい気がする……」
眉間に皺を寄せ、悲しげな表情を浮かべる神沢。それは見た俺は何だか嫌な予感が脳裏を巡った。
「僕はこんなにも……、小枝樹くんの事を想っているのに……!」
………………。
『キャーッ!!』
このイケメン王子は何度同じ事で俺を苦しめたら気が済むんだああああああああああっ!!つか周りの女子もうるせぇんだよっ!!何がキャーだ、俺はギャーだよっ!!
それでも、そんなくだらない事を神沢がしてくれた事で佐々路は腹を抱えて笑っている。昨日の出来事が嘘だったと思えるくらいに、今の佐々路は笑っていて、その笑顔が嘘だったとしても、俺は少し嬉しかった。
何も出来ない俺じゃない。今の俺には誰かを少しでも笑顔にする事が出来る。たとえ独りじゃ何も出来なくても、俺にはもう友達がいる。心から信頼出来る友達がいるんだ。
その事実が俺の心を救ってくれて、何よりも俺の気持ちを前向きにしてくれる。こんな出会いを俺にさせてくれたのは一之瀬だ。
だから俺は一之瀬に謝りたい。アイツともう一度あの場所に戻りたい。それが、今の俺の本当の気持ち。
放課後。
俺は誰もいない自分の教室にいる。あの場所より静かではないが、それでも一人でいるこの感覚は似ている。
B棟三階右端の教室から聞こえるよりも大きく、部活をしている生徒や、放課後の学校で話をしている楽しげな生徒の声が聞こえた。
俺は窓際から外を眺めていて、窓が開いているからか優しい春の終わりの風が俺の髪を靡かせた。
教室から生徒が出て行ってから結構な時間が経ったせいか、初めはモワッとした熱を帯びた湿った空気が、今や爽やかな風と共に木々の香りを運んできていた。
今の俺を他の生徒に見られたらきっと「何一人で格好つけてるの?」とか言われそうだな。
「……アンタ。何一人で格好つけてるの?」
ほらな。幻聴まで聞こえてきてしまった。俺の想像力は幻聴まで起こせるまでのレベルに達してしまっていたという事か。あぁ、空がとても綺麗だ。
「だから小枝樹、何一人で格好つけてるの?つか何で黄昏てんの」
その幻聴は俺の名前を呼んだ。何故幻聴が俺の名前を知っているのか疑問に思ったが、結局の所、俺の妄想な訳で、俺の名前を呼んでもおかしい事ではない。
でもなんだろう。妙に聞きなれたその幻聴の声はついさっきまでこの教室で聞いていたような気がした。まぁ最近色々あって疲れているんだろう。
そんな俺は帰る為に廊下側へ振り向いた。
「……うわっ!!ビックリした、いつからそこに居るんだよ佐々路」
振り向いた先に佐々路楓がいた。
「さっきから居たわよ」
さっきから?という事は俺が幻聴だと思っていたのはもしかして、佐々路の声だったのか……?だとすれば、物凄く恥ずかしい所を見られた。
一人で格好をつけている所も、そんな雰囲気に煽られ黄昏ていた俺の姿も見られてしまった……。
そして少し冷たい視線で俺を見ている佐々路の目が怖い。変なものを見るような目で俺を見ている。なんだよ、俺が黄昏ちゃいけないのかよ。
「なぁ佐々路。見ていたとしても見ていないと言うんだ」
「あたしは、放課後の誰もいない教室で一人格好をつけながら黄昏ている小枝樹を見てません」
棒読みだし、もう完全に見てましたって言っているような言葉じゃないかあああああああっ!!もう嫌だよ……、恥ずかしすぎて穴があるなら入りたいよ……。
赤面し俯く俺に佐々路は
「そんな事はどうでも良いけどさ、小枝樹は何でここにいたの?帰らないの?」
俺の事を庇ってくれたのか、はたまた本当に興味がなかったのか、佐々路は話を変えた。
「まぁ、暇だったからだな。それと帰りたくないから帰らない、帰りたくない理由は詮索しないでくれ、思春期特有の病気みたいなものだから。つか佐々路も何で帰らないんだよ」
「あたしは考え事してたから」
他のみんなといる時とは正反対に感情がみえない表情をしている佐々路。昨日の帰りに見せていた佐々路の表情に似ているような気がした。
そんな佐々路は窓際に近づき、開いている窓から外の景色を見始めてた。そして
「ねぇ小枝樹。昨日の話の続きでもしよっか」
思い出したくない話題。俺ですらこんな風に想っているのに、佐々路だってきっと話したくない筈なのに……。だから俺はこの話を強制的に終了させる事を試みた。
「昨日の話って、何度も言ったけど一之瀬との件は話すつもりは無い。これで話は終わりだろ」
「ううん違う。夏蓮との事じゃない」
一之瀬との事じゃない……?だったら他に何を話していた。それ以外の内容が俺にはあまりあまり思いだせなかった。
「昨日小枝樹は言った「お前に俺を理解できるとは思えない」って、だからあたしも言った「小枝樹には、あたしの事なんか何も分からないんだよ」って。本当にさ、人って他人って何考えてるか分からないよね」
微笑みながら言う佐々路はどこか苦しそうだった。昨日みたいに感情が大きく表現されているわけじゃないけど、昨日よりも苦しそうだった。
「本当の自分、嘘の自分。どれが本物で、どれが偽者なのか。小枝樹は本当の自分がもうどれなのか分からないって言ってたよね」
「あぁ」
「……あたしも、分からないんだ」
佐々路は俺を見つめながら言った。心の中を空っぽにしているような瞳で、何を見ているのか分からない瞳で。
「だからね、懺悔とかじゃないけど、小枝樹にあたしの本当を一つだけ教えてあげる」
風が佐々路の髪を靡かせた。そして教室内の空気が変わった。さっきまで聞こえもしなかった教室にある時計の秒針の音が聞こえるくらい、一瞬だけこの空間は静寂になった。そして
「私は……。私は夏蓮を利用しただけなの」
佐々路の言葉が理解できなかった。何を言っているのかも分からないし、もしかしたら俺の聞き間違いなんじゃないかって思いたかった。
「何言ってんだよ、冗談にしては笑えないぞ」
「笑えなくて良いよ。冗談なんかじゃないから」
佐々路が一之瀬を利用してた……?それが冗談じゃない……?だけど、一之瀬と佐々路は親友でいつも一緒にいて、一緒に笑いあってて、だけどそれが全部、嘘……?
「全然信じられないって顔してるね小枝樹。だから全部話すよ」
何がどうなってんだよ。今の状況が全然掴めない、俺の頭の中は自分の想像から逸脱した情報を整理するのでやっとだった。
「あたしは夏蓮……、一之瀬夏蓮っていう天才少女を利用した。理由なんか簡単な事で、あの天才と仲良くなれればあたしの高校生活は安泰だから。あの天才に親友って言ってもらっていれば、あたしは自分で努力しなくても他人が関わりを持ってくる。それに、あの天才は将来的にも利用価値がある」
完全に感情を無くした佐々路は言い続ける。無表情のまま、淡々と冷静に。
「一之瀬財閥の次期当主。これほど大きな肩書きはないよ。それが親友なんだよ、大切な人ってあたしは思われてるんだよ。一之瀬夏蓮と出会えたのは幸運だった。だってこの先の人生まで安泰にしてくれる存在だから」
俺の知っている、明るくてバカな事をやっては一緒に笑っていられた佐々路はいなかった。それでも俺は今の佐々路の言葉を信じたくなかった。
「……それが本当なら、俺が知ってる元気な佐々路楓は━━」
「嘘」
「……いつも皆の輪の中で笑ってた佐々路楓は━━」
「嘘」
「……落ち込んでる俺に優しくしてくれた佐々路楓は━━」
「嘘」
俺の感情は少しずつ肥大化していき、それを押さえる為に拳を強く握り締めていた。
「じゃあ最後の質問だ。「夏蓮はあたしの親友だよ」って言ってたのは……」
「嘘」
全部嘘だったのかよ……。何もかも演技で、皆を騙してきて、一之瀬の気持ちを利用して……。ふざけんなよ……、ふざけんなよ……。
「ふざけんなよっ!!!!!」
俺の怒号が響き渡る。
「一之瀬がどんな思いで生きてるのかお前にはわかんのかよっ!!!お前の事を大切だって言ってる一之瀬の気持ちがわかんのかよっ!!!お前はそれを全て踏み躙ってるんだぞっ!!!」
感情は止まる事を知らず、俺の中にある気持ちが暴走していた。なのに佐々路楓は
「あははははははは、何怒ってんの小枝樹。やめてよ、可笑し過ぎてお腹痛いよー」
腹を抱え笑う佐々路楓。その姿を見て納得するしかなかった、これが佐々路楓の本性なのだと。
「はぁお腹痛い。というか小枝樹、アンタだって一之瀬夏蓮に迷惑掛けられてたんでしょ?あの天才少女が邪魔で仕方ないんでしょ?」
「……な、何言ってんだよ」
佐々路楓の言葉で動揺した。俺は自分が一年前に思っていた一之瀬に対する感情が、佐々路楓には分かってしまっているんじゃないかと恐怖すら感じた。
「何って、一年前の小枝樹なら分かるよね。一年の時の小枝樹の一之瀬夏蓮を見る目は━━」
やめろ。
「とてもとても冷たい瞳で、あった事も無いのに憎んでいるように見てて━━」
やめてくれ。
「本当に消えて欲しい人間を見てる目だった。だからさ━━」
違う。
「アンタも大嫌いなんでしょ。天才少女の一之瀬夏蓮が」
頭の中に一年前の情景が浮かぶ。確かに俺は天才が嫌いだ、何もかもを持っていて、凡人な俺の気持ちなんか分からないんだ。だけど、一之瀬は違った。アイツは確かに天才だけど、アイツは違った。
天才が嫌いな俺、だけど一之瀬をもう嫌いになれない俺。俺はいったいなんなんだ、一之瀬は天才で、俺は天才が嫌いで、だけど一之瀬は……。
「ねぇ小枝樹。こんなあたしが何て呼ばれてたか分かる?」
俺はその質問で佐々路楓を見た。困惑や恐怖を感じている表情で見る。
「あたしはね『魔女』なんだよ」
……魔女。崎本も言ってた、いや佐々路楓本人ですら言っていた。
「他者を利用して、何もかもを手に入れたいの。騙す事なんか子供の頃からしてきてた。そんなあたしは魔女って呼ばれるようになった。でも幼かったあたしは、何で嘘をついちゃいけないのか分からない、何で人を騙しちゃいけないのか分からなかった」
ふざけた態度をとっていた佐々路楓は真剣な瞳で、昔の無知で愚かな自分を思い出しているよに話し始めた。
「そんなあたしが作り出した名言があるの」
作り上げられる幼き頃の無垢な笑顔。そんな不確かな笑顔で佐々路楓は
「嘘はバレなきゃ真実になる。どう?かっこいいでしょ」
嘘はバレなきゃ真実になる。佐々路楓は何を言っているんだ、嘘は嘘であって真実になるわけが無い。意味不明なその言葉で俺は更に困惑した。
「あたしが言ってる言葉の意味が分からないみたいだね。だからちゃんと教えてあげる、今ここであたしが言った事を小枝樹が一之瀬夏蓮に言わなかったら、一之瀬夏蓮の中であたしの嘘は真実になるんだよ。人の心なんて結局、自分の信じたいものだけを信じる都合の良いものでしょ」
冷静さを失っていた俺は、時間が経つにつれて少しずつ冷静さを取り戻していく。今、佐々路楓が言っている事は理解できた。
確かに嘘はバレなきゃ真実になる。だけど、それはその重たい嘘を背負い続けて生きていく事なんだ。それがどれ程辛いものなのか、今の俺には分からないけど、それでもそんな事は絶対に許されないんだ。
「だったら、何で俺にその話をしたんだ。俺が一之瀬に言えば、お前の計画は全部終わるんだぞ」
「そんなの分かってるよ。でも、アンタは一之瀬夏蓮に真実を言えない。今だって、一之瀬夏蓮以外の人間に真実を言えないでいるような気がするしね」
不気味な笑顔を見せる佐々路。コイツは俺の真実をきっと知らない、だけどその鋭い勘の良さや洞察力は紛れもなく凡人の域を超えているもので、目の前にいる佐々路楓という人物を過大評価せずにはいられなかった。
「だからさ、いい加減気がついて欲しいんだけど、あたし達は同志なんだよ」
「……同志?」
佐々路楓は俺に近づいてきて、俺の頬を綺麗な指先で撫でた。上目使いをし男性を誘うような瞳で俺を見る。身長差があるせいか、近づいてきた佐々路楓の胸元が見えた。
きっと今俺が考えた事全てが佐々路楓が意図的にやっている事。それに気がつけない程、俺はバカじゃない。
「そうだよ。あたし達は同志。天才少女を利用している人間と、天才少女が大嫌いな人間。全然違うのに、マイナス的な思考に変わりは無い。だから同志」
どんどん俺の身体へと自身の身体を密着させる佐々路楓。俺の足に足を絡め、腕は腰に回され、胸は俺の身体に接触している。女の子の香りが俺の鼻を刺激し、頭がおかしくなりそうだ。
「何度も言うけど、あたしは魔女。男を利用する時はこうやって身体を使う。だけど、小枝樹は同志だから利用はしないよ」
「……じゃあ何でこんな事してんだよ」
艶やかな唇に、どこか怪しげな潤んだ瞳。普通の男なら一瞬で悩殺だよ。この俺だってドキドキしてんだから。
「どうしてあたしがこんな事してるか知りたいんだ。そんなの小枝樹がイケメンだからに決まってんじゃん」
微笑む佐々路楓。その言葉に意味はきっとなくて、ただ俺を挑発しているだけ。そんな佐々路楓は顔を俺の顔へと更に近づけてくる。
そして耳元で囁くように
「一之瀬夏蓮とどういう関係なのかは分からないけど、あたしとも楽しい事しようよ」
俺と一之瀬の関係までは知らないみたいだ。たぶん何を聞かれても一之瀬は佐々路楓に何も答えようとはしなかったんだろう。俺との関係の本質が漏れる事を一之瀬は嫌がっている。
俺も口止めされているんだ。もし言ってたら俺だって怒るぞ。
女の子の身体を意識しないように、俺は思考で誤魔化す。情けないけど俺も男な訳で、こういう状況に免疫は無い訳で、本当になんなんだよ……。
だがここで、俺の思考を完全に停止させてしまう事を佐々路楓は言う。
「もう我慢しないでいいよ。小枝樹だって色々頑張ってきたんでしょ。小枝樹がどんな事考えて、どんな気持ちで一之瀬夏蓮と一緒にいる事を望んでるのか分からないけど━━」
佐々路楓の腕が俺を強く抱きしめた。その腕は少し震えているように俺は感じた。そして
「あたしと、契約を結ぼう。一之瀬夏蓮を利用し続ける為の契約を……」
誰もいない教室、静まり返っている校舎。外から聞こえる生徒達の声と風の音、そして教室内にある時計の秒針が進む音。一之瀬とあの場所で出会った時と殆ど同じ状況で、俺は佐々路楓に『契約』を迫られた。