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天才少女と凡人な俺。  作者: さかな
第二部 一学期 晴レノチ雨
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6 後編 (拓真)

夕方に近づいていく空の色、空気、ざわめいていた群集は少しずつ散り散りなって、街を覆っていた賑やかさが薄れていく。


綺麗な金色の髪を二つに結んでいる少女は、とてもとても甘くて美味しいクレープを地面へと落としていた。


それはきっと今聞かされた言葉に動揺をしたから。「何でそんな事言うの」という風に感じ取れる強く悲しい瞳をしていた。


俺が悪者になれば全て上手くいく。


今の俺はそんなマイナス的な志向を頭の中で巡らせていた。


「なんでアンタにそんな事聞かれなきゃいけないの……?」


俺の目の前にいる、金髪ツインテールの美少女は雑踏の音にかき消されてしまうくらい小さな声で呟いた。


それでも俺は、そんな少女の悲愴な声が聞こえていて


「……いや。きっと菊冬きふゆは一之瀬に自分の思いを伝えたいんじゃないかなって思ったから……」


言葉をなくす菊冬。何も言われない方がよっぽどキツイ。今日みたいに罵倒されてる方が楽だった。それでも俺は菊冬の本当の願いを叶えたい。


「わるい。今日一日、俺は菊冬に付き合ったんだ。これからは俺に付き合ってもらう」


そう言い俺は菊冬の手を握った。連れて行きたい場所があるから、きっとそこに行けば菊冬はもう一度笑えるから。


どんなに俺が苦しんでも良い、俺は苦しまなきゃいけないから。だけど一之瀬も菊冬も、本当は傷つかなくて良い存在なんだ。


誰も傷付けたくない、誰も悲しませたくない。そんなのは俺のワガママで、自分の気持ちの押し付けだ。それでも、誰かが傷つくのは嫌なんだ……。


俺は何も言わずに菊冬の小さく細い腕を掴み、歩き出した。








 「ちょ、ちょっとっ!!いい加減離しなさいよっ!!」


俺は菊冬の声で我に返った。


「わ、わるいっ!」


結構な距離を歩いた。もう駅前からはかなり離れていて、住宅街の中に俺と菊冬はいた。


冷静になった俺は自分のポケットから携帯を取り出し、今の時刻と他の用事を直ぐに済ませた。すると


「アンタの用事に付き合うのは良いけど、ちょっと強引過ぎよ……」


怖がらせてしまったのかもしれない。少し俯き、今まで俺が握っていた場所を、反対の手で菊冬は握っていた。


「それに、まださっきの事の真意を聞いてないわ」


菊冬は直ぐに顔を上げ、俺の事を睨みながら言う。その行動は正しい。俺は菊冬の心の中に土足で入っていこうとしたのだから。


「その事を話す前に、少し俺の話を聞いてくれ」


俺は自分の中で描いている作戦をはじめた。


「俺はさ、家族に裏切られたんだ。お前はいらない子、不必要って言われたんだ。まだまだガキだった俺は本気でショックを受けたよ」


淡々と俺は菊冬に話し出す。惨めな俺の過去を、誰にも知られたくない過去を。


「そんな俺が菊冬に言う資格なんか無いのかもしれないけど、それでも家族は最後には笑い合えるって俺は信じたい」


俺の言葉を何も言わずに聞いてくれている菊冬。話せば話すほど、今の俺の行動が矛盾に思えていく。


「だからさ、菊冬も一之瀬を信じてあげてくれよ」


「……そんな事、出来るわけない」


菊冬の言葉に耳を疑った。なんで出来ないなんて言うんだ……。


「私は夏蓮姉様を信じてる。だけど、夏蓮姉様は私を信じてくれていないっ!!あの時から……、兄様が死んでしまってから夏蓮姉様の時間は止まったままなのよっ!!」


泣き崩れる菊冬。やっぱり、俺がどうこう出来る事じゃなかった。こいつの苦しみは、俺が思っていたよりも辛くて深い。俺はこれしか出来ないのか……。


「アンタに言われなくたって、私だって夏蓮姉様に言いたいわよっ!!もっと私を頼ってって……、もっと私を信じてって……。それでも夏蓮姉様の中には兄様だけなのっ!!私を見てくれない……、もう夏蓮姉様は昔のように私に笑ってくれない……」


何も言えなかった。俺には菊冬を助けられない、救ってあげられない……。


震えながら泣き続ける菊冬に、俺は何もしてやれなかった。そんな菊冬は大きく叫ぶ。


「……助けてよ。こんな私を助けてよ……。ねぇ、助けてよ拓真兄様っ!!」


その言葉を聞いたと同時に、俺の脳裏に過去の映像が流れた。幼い少女に手を伸ばす俺の姿、蹲り泣きじゃくる少女に手を伸ばす、笑っている俺の姿。


まだ諦めちゃいけないと、幼い頃の俺が今の俺に言ったような気がした。


「わかったからもう泣くなよ菊冬」


俺は目の前で蹲り泣きじゃくる金髪ツインテールの少女に手を伸ばした。昔のように、あの時のように。


「た、拓真兄様……?」


「大丈夫だ。昔のように一之瀬は菊冬に笑ってくれる。だから菊冬も俺を信じて頑張るんだぞ」


俺は笑って菊冬の手を掴んだ。昔のように、あの日に雪菜に手を差し伸べたように。


「わ、私が頑張れば、夏蓮姉様は笑ってくれるの……?」


「そんなもん本人に直接聞けよ」


俺が菊冬に連れてきたかった所は俺の学校だ。そしてそんな校門の前に一人の天才少女はいた。


「……小枝樹くん?それに、菊冬……!?」


「よー一之瀬。呼び出して悪かったな」


俺は予め、一之瀬を学校へと呼び出していた。これが俺の作戦だ、まぁ途中で諦めムードになっていたけど、ここまで菊冬を連れて来れてよかった。


でも、これで俺は悪者になるかもしれない。今回の件は完全に個人の家庭の話だ。俺が首を突っ込んで良い話じゃない。


まぁこれで一之瀬に嫌われたら晴れて契約もなくなるし、それでも良いと思える。一之瀬と菊冬がもう一度笑い合えるなら、俺はそれだけで良いんだ。


「これはいったいどういう事なの菊冬」


いつもなら俺に突っかかってくる一之瀬が、俺には目もくれず菊冬に言い寄る。そんな菊冬は俺の後ろに姿を隠した。


大人っぽい見た目のくせ中身はまだまだ中学生なんだな。そんな菊冬に俺は


「言いたい事があるんだろ。だったらちゃんと言わなきゃな。頑張るって決めたんだろ?」


「で、でも、拓真……」


まごまごとしている菊冬の最中を俺は強く押した。そして菊冬は一之瀬の前に立つ。


「んじゃ、俺はもう帰るから。後は姉妹で話し合ってくれ」


「ちょ、待ってよ拓真っ!!」


去ろうとする俺の事を引き止める菊冬。だが俺は


「菊冬、お前はもう子供じゃねーんだろ」


そう言い。俺は菊冬の言葉を何も聞かずにその場から帰っていった。








 夕焼けに染まる学校を背に、二人の少女がそこにはいた。


何を話す訳でもなく、二人はそこにい続ける。暖かくなってきた春の夕方は、火照った身体を気持ちよく冷やしてくれる風が吹く。


黒く長い美しい髪をした一人の少女、線の美しい体躯をしていて、その切れ長で大きな瞳はもう一人の少女を睨んでいた。


「どうして菊冬が小枝樹くんと一緒にいたのか説明してもらえないかしら」


菊冬と呼ばれるもう一人の少女。綺麗で細い金髪を二つに結んでいて、黒髪の少女と同等に線の細い美しい体躯をしている。そんな菊冬は


「か、夏蓮姉様……」


菊冬は怯えていた。鋭く細めた夏蓮の瞳に、菊冬は身体を小刻みに震わせていた。唇を噛み締め、眉間に皺を寄せ、その白く細い手を握り締めながら。


「何故、菊冬が小枝樹くんと一緒にいたかと来ているの」


自分の妹が怯えていても、今の態度を改める事は無く、夏蓮は菊冬に言う。


その時菊冬は思っていた。何で拓真は帰っちゃったの、何で私の傍に拓真は居てくれなかったの、何で私はこんなにも弱いの……。


『それでも家族は最後には笑い合えるって俺は信じたい』


菊冬の脳裏に拓真の言葉が流れた。そして


「きょ、今日、拓真と居たのは全部夏蓮姉様の為だったの……」


自分の気持ちを素直に夏蓮に伝え始める菊冬。今の行動がこの少女にとってどれ程決意を固めたものか、涙を堪えながら、大切な人へと自分の気持ちを話し始めた。


「夏蓮姉様は変わってしまった…。昔みたいに笑っている夏蓮姉様が大好きだった。だけど、兄様が死んじゃって夏蓮姉様は笑わなくなった……。だけど今、拓真と一緒にいる時の夏蓮姉様は昔のように笑ってる。それが嫌で、拓真を試す為に後藤に調べさせて連絡したの」


戸惑いながら話す菊冬はもう居なく、天才少女一之瀬夏蓮の妹に恥じる事のない、堂々と語り始めていた。


「会ってみたら本当に夏蓮姉様にそぐわない男だった。バカだしアホだし、女の子の気持ちも分からないし、全然その辺に居そうな凡人だった。だけど、今日初めて会った拓真は私の事を理解しようとしてくれた……」


少し俯き、今日の出来事を思い出しながら、菊冬は淡々と話す。


「夏蓮姉様の傍にどうしても居たいとかそんな邪な気持ちなんかなかった。ただ純粋に、私の楽しいと私の苦しいを分かろうとしてくれてた。そんな拓真に勇気をもらったから言うね」


そう言い菊冬は笑った。


「私は夏蓮姉様が大好き……。笑ってる姉様が大好き……。小さい時に私の手を引っ張って、色々な楽しいを教えてくれた夏蓮姉様が大好きっ!!!だから、笑わなくなってしまった姉様をどうやったら昔みたいに笑ってもらえるか、ずっと考えてた……」


涙を流し、自分の感情を抑える事をやめた菊冬。それが夏蓮に伝えたい今の思いだから。今の自分に出来る精一杯の事だから。


「だけど、私には無理だった……、夏蓮姉様は笑ってくれない……、だから私諦めてた……。だけどそんな私に拓真は言ってくれた。『それでも家族は最後には笑い合える』って。だから私は夏蓮姉様に言うっ!!」


止め処も無く溢れ続けるその涙を拭うことも無く、菊冬は夏蓮へ全ての思いを曝け出す。


「昔のように夏蓮姉様と一緒に笑っていたい……!!夏蓮姉様の笑顔が見たい……!!ううん、きっと違うな……。私は━━」


強く拳を握り、菊冬は意を決した笑顔を見せた。涙で汚くなったその笑顔を。


「私は、夏蓮姉様の止まった時間を動かしたいの」


強い瞳、誰にも見せられないであろう汚い笑顔。だけど、そんな菊冬の表情は邪気を落としたかのように晴れやかで、自分の思いを大切な人に伝えられた現状を満足しているようだった。


嫌われてもいい、もう会えなくなってもいい、これは私のワガママだから……。夏蓮姉様がまた一歩踏む出せるなら……。


「……菊冬」


菊冬を睨んでいた夏蓮の表情は一変し、辛く悲しい表情へと変わっていた。


自分の妹が思っていた事、それに気づけなかった愚かな自分。そんな気持ちが頭の中を巡り、本当に自分は最低な人間なんだと夏蓮は思う。


そんな夏蓮は泣いている菊冬に近づき


「菊冬が言いたい事はそれだけかしら」


冷たく言い放つ。そんな夏蓮の言葉を聞いた菊冬は、自分の無力さに心が押しつぶされそうになっていた。だが


ガバッ


菊冬を抱きしめる夏蓮。


「ごめんなさい……。菊冬がそんなに私の事を考えてくれているなって思ってなかった……。私は本当に菊冬を傷付けてしまっていたのね……」


強く菊冬を抱きしめる夏蓮は後悔の念をその心に抱きながら、その細い腕で包むように抱きしめていた。


「だから……」


夏蓮は呟いた。抱きしめていた腕を解きながら、菊冬をこれ以上苦しめさせない為に。


「これ以上、菊冬は何も考えないでいいわ。私は大丈夫だから、私の事だけを考えるのはよくないわ」


子供に言い聞かせるように夏蓮は言う。それが今の夏蓮に出来る事、自分の悲しみ苦しみを大切な妹に背負わせたくない傲慢過ぎる我侭。


そんな事実さえ受け入れ、自分の背中に背負い込もうとしている夏蓮。何も考えてない訳ではない、彼女は天才だから。これが最善の選択なのだと、今の夏蓮は自分に言い聞かせていた。


「……違う」


夏蓮の身体を押しのけ、人二人分の間を取る菊冬。そんな菊冬の表情は、夏蓮を否定している困惑な表情。


「夏蓮姉様……、全然笑ってない。全然、大丈夫じゃない……」


「この状況で笑うのは無理よ。それでも私は菊冬を勘違いしていた事を理解した、菊冬が私の事を考えてくれていた事も理解した。だけど私の事でこれ以上、菊冬には苦しんで欲しくないのよ」


言い訳を並べるように夏蓮は弁解した。自分が考えている事を菊冬に伝える為に、夏蓮は必死に言葉を並べる。


「私の事は私がどうにかする。菊冬はそんな事で悩まなくて良い。私は姉として菊冬に傷ついて欲しくないの、これ以上菊冬の妨げになるのは嫌なの。だから菊冬、私は━━」


「全然違うっ!!!!」


菊冬は叫んだ。自分の感情をそのまま表に出したかのように。静けさが漂うこの場所で、菊冬の声は響き渡った。


「拓真が言ってたのと全然違う……。結局、夏蓮姉様は私の事なんか何も考えていない……、私がどんなに頑張ったって、夏蓮姉様はもう笑ってくれない……。こんなに苦しい思いするなら、こんなに自分の事嫌いになるくらいだったら……。夏蓮姉様の妹になんか生まれたくなかったっ!!!!」


自分の心が具現化したように、菊冬の言葉を垣間見る。その叫びが、今の菊冬の全てなのだろう。どんなに苦しんでも労したとしても、それが報われなければ人は自分の行動に意味を成せない。


それでも良いと思ってしまう人間を、他人は偽善と言う。どちらが間違っているという事ではないが、自分の願いを叶えられなかった人はきっと、嘆くのであろう。


理想も思想も理論も全てを無視して、人は自分勝手に生きてしまう。


そんな菊冬に何も言えず、ただただ立ち尽くす天才少女がそこに居た。








俺は一人、暗くなった住宅街を歩いていた。空に浮かぶ月は静かな家々を照らしている、その月は今の俺を嘲笑うかのように下弦の輝きを魅せていた。


自分のやっている事に後悔し、俺は俺をまた許せなくなっていた。


菊冬本気で一之瀬と笑っていたいと願っていた。だから俺はそんな菊冬にやるべき事を教えた。だけどそれじゃ━━


「本当に見事なまでのお手並みでした。小枝樹様」


俺の目の前にいきなり現れる一人の紳士執事。そんな超常現象みたいな人間業にはとても思えない登場でも、俺はもう驚く事は無かった。


「今更なんで俺の前に出てくんだよ」


俺は歩みを止め、目の前にいる紳士執事を睨みながら言った。仕事柄なのか、微笑みを浮かべているこの爺さんが俺は堪らなく許せなかった。


「何を言っておられるのですか、私は結果を聞きに来ると言いましたよ」


「アンタが言ったのは『良い御報告をお待ちしております』だ。だから、アンタから来るのはおかしいだろ」


街灯が俺を照らし、紳士執事はその明りの届かない場所で俺の話を聞いていた。だけど今の俺にとって明りなんかどうでもよくて、惨めで無力な俺を笑いに来たこの爺さんが、俺を苛立たせた。


「何を仰いますか小枝樹様。貴方が選んだ選択は何も━━」


「俺は一之瀬と菊冬にとって尤も過酷な選択をしたんだっ!!!!」


感情が抑えられなかった。俺は間違えた選択をした覚えは無い。だけど、それは俺が傷つかない選択で……。


「一之瀬と菊冬が笑い合える未来を想像した。俺は出来る限りの事をしようとした。だけど、それでも最後は、俺は俺を選んだんだ……」


何であの場所に菊冬一人を残したのか後悔している。どうして俺は逃げ出したのか、自分の弱さに嫌気がさす。


菊冬は本当に傷ついていた。本気で一之瀬と笑い合える未来を願っていた……。どうにかしたいと思っている俺は、そんな菊冬を一人にした……。俺がどうにかしなきゃいけないのに、俺が菊冬の代弁者にならなきゃいけないのに、俺は自分が悪者になるのが怖くて、逃げたんだ……。


「貴方の選択は間違ってはいませんよ」


「どう考えたって間違えてんだろっ!!!今頃、あいつ等は全部失って……、家族なのにその絆が壊れていってるんだ。俺は、自分の力じゃなくて、結局あいつ等に全部投げ出したんだよ……」


自分の弱さが悔しかった。どうにか出来たかもしれないのに、俺は傷つくのが怖くて逃げた。昔みたいに、俺は逃げたんだ。


「今入った情報ですが、夏蓮お嬢様と菊冬お嬢様は無事和解できたそうです」


紳士執事が放った言葉を、俺を理解するのに刹那の時間がかかった。


「……和解、出来た……?」


「そのように部下が申しております」


……菊冬、頑張ったんだな。一人で、頑張ったんだな……。


込み上げてくる感情を無理矢理押さえ込みながら、俺は少し笑った。


「やはり貴方に期待した甲斐がありました」


俺はその言葉を聞いて我に返った。期待という言葉が俺の心を揺さぶっている。俺は紳士執事をもう一度睨み、その言葉の重さを伝えようとした。だが


「小枝樹様の情報を調べるにつれて貴方の本質に辿りついた。そんな貴方なら、夏蓮お嬢様と菊冬お嬢様の関係の修復など造作ない。だから私は貴方に期待したのですよ」


微笑みながら話す紳士執事。何もかもを知っているような口ぶりが、俺の全てを知っているのだと物語っていた。


「貴方が何故、そのようになられたのか不思議でなりません。昔の貴方のまま今を生きていれば、貴方は全てを手に入れることが出来た。なのに、たった一回の些細な過ちが幼い貴方を変えてしまった。その現状が私は嘆かわしい」


感慨深く言う紳士執事。そんな紳士執事に俺は怒りを覚えていた。


「何故貴方は手放してしまったのか、何故貴方はそれを必要としなくなったのか。ですが今回の件を見ていて思いました。貴方はまだ昔のように━━」


「それ以上言うな」


俺は紳士執事を睨みながら言った。相対する人間を殺してしまうんじゃないかと疑われるくらい、憎しみを込めて睨んでいた。


「これは失礼しました。ですが今回の件は私の独断です。夏蓮お嬢様や菊冬お嬢様、並びに旦那様の意向は微塵もありませんので心配しないで下さい」


美しく綺麗にお辞儀をする紳士執事。その職種に恥ずることの無い姿勢。だが発した言葉は、紳士から逸脱した刺々しいものだった。


その言葉言って紳士執事は姿を消した。俺を試しているのか、はたまた俺を馬鹿にしているのか。


そんな俺は菊冬と一之瀬が和解できた事を安堵し、そして紳士執事が言った『旦那様』という言葉が頭の片隅に引っかかったままだった。その時


ブーッブーッ


俺の携帯が震えた。ポケットに入っている携帯を取り出し画面を見る。そこには、登録されていないアドレス。きっとこれは菊冬のアドレスだ。


一之瀬と和解できた事を俺にわざわざ伝える為にメールをしてきたのだろう。どんな返信をしていいのかを考えながら、俺は菊冬からのメールを見た。


『拓真……。私、夏蓮姉様をまた傷付けちゃった……。姉様の妹になんか生まれたくなかったって言っちゃった……。せっかく拓真が私に勇気くれたのに、ごめんね……。本当にごめんね……』


……なんだよこれ。紳士執事が言ってた事と全然違うじゃねぇか。何が和解しただよ……、あの爺俺を騙しやがったな。


ふざけんな……、菊冬がどんな思いで一之瀬に……。


違う、全部俺が仕向けた事じゃないか。俺が傷つかないように菊冬を誘導して、逃げ道を作ってあいつ等の事に首を突っ込んだ。


「……ははは。結局、菊冬を傷付けたのは俺なんだよな。俺が、一之瀬と菊冬の絆を壊したんだ……」


何が家族は最後には笑い合えるだ。俺は適当に良い事を言葉にして、菊冬をその気にさせて弄んだだけじゃないか。


本当は自分がしたい事を、俺が本当に欲している願いを菊冬に強要しただけだ……。どこまで最低な人間になれば、俺は気がすむんだ。


だけど、今の俺はそんな自分を認めたくなくて、必至にこの状況を打破しようとした。その為に、俺はある人物へ電話を掛ける。


「もしもし。どうしたの小枝樹くん」


「どうしたのじゃねぇよ一之瀬。何で菊冬を拒絶したんだ」


天才少女の一之瀬夏蓮へと電話をした。一之瀬の抱いている今の気持ちを聞きたかったから。


「何で貴方にそんな事を話さなくてはならないの。というか、私も何で貴方が菊冬と居たのか聞きたいわ」


「何で俺が菊冬と居たかなんて今はどうだっていいんだよっ!!」


声を張り、大声を出す俺は、一之瀬への怒りで満ちていた。


「何で、何で菊冬の気持ちを受け入れなかったんだっ!!アイツは一之瀬の事を本当に大切だと思ってるんだぞっ!!」


「その事なら菊冬から全て聞かされたわ。あの子の気持ちは本当に嬉しかった。でもね、これは私の問題なの。菊冬には何も関係ないわ」


感情的になる俺とは正反対に冷静に淡々と話す一之瀬。そんな態度が更に俺をイライラさせた。


「どうしてだよっ!!一之瀬の事を思ってくれる家族じゃねぇかっ!!何でそんなに引き離すんだよっ!!」


「家族は最後には笑い合える。菊冬はそう言った。それが、貴方に教えてもらった事とも言ったわ。だけどね、家族に傷付けられているのは貴方だけじゃない。私だって、家族に傷付けられて生きてきた」


一之瀬の言い分で言葉を無くす。何も言えない、一之瀬も家族に傷付けられた。その真実が俺の口を硬く閉じさせた。


「貴方が家族に『必要ない』と言われた事を聞いた時、私は本当に悲しかった。だけど、それと同時に少し嬉しかったのよ。だって、私と同じで親に愛されていない人が目の前にいたから。汚い感情だと思ったわ……、それでも、嬉しかった……」


泣き出しそうな一之瀬の声。だけど、その『嬉しかった』が今の俺を苦しめる。一之瀬が必要な俺は━━


「だからこれ以上、私の家族に関わるのはやめて。きっと小枝樹くんと出会わなければ、菊冬は苦しまなかったわ」


やっぱり、俺が菊冬を傷付けたんだ。


最初は意味不明な事ばかり言って、俺を貶して楽しんで、それでも笑っていて。悲しい表情を見せながら、一之瀬の事を話してた。


無邪気に笑ってる菊冬は本当に妹みたいで、いつの間にか菊冬の味方になりたいって思ってた。なのに俺は何も出来なかった。だから、惨めでも良い、かっこ悪くても良い、俺は


「なぁ一之瀬。もう一度菊冬と話し合うことは出来ないのか……?」


「何度も言うけど、もう話しは全て終わったわ」


「だけど、菊冬は本当に一之瀬の事が大好きで、一之瀬ともう一度笑いたいって言ってて……。アイツは……、アイツは……」


自分でも何が言いたいのか分からなくなっていた、感情の赴くままとは今の状況を言っているのだと、初めて思った。


「菊冬は一之瀬の家族だろっ!!家族が家族の心配して何がいけないんだよっ!!家族が家族の事で苦しんで何が悪いんだよっ!!!!」


「それでもこれは私の問題なの」


一之瀬の言葉を聞いて俺の感情が、想いが、完全に理性を凌駕してしまったのだと俺は全てが終わる頃に気づく。


「……だったら、俺に家族をくれよっ!!!一緒に悩んで、一緒に苦しんで、一緒に笑える家族をくれよっ!!!!!」


「小枝樹くん……?」


「なんでそんなに意固地になるんだよ……!!何でそんなに自分だけでどうにかしようとしてんだよ……!!菊冬を関係ないって思うのに、何で俺に頼ったんだよっ!!!!!」


叫びすぎたのか、俺の息は上がり声も少し枯れていた。そして俺の言葉を聞いた一之瀬は何も言わない。


少し冷静になった俺は、感情のまま発言してしまった事を少し後悔していた。それでも今俺の気持ちに嘘偽りは無く、本当に心から自分の気持ちを言った。


それはきっと一之瀬を苦しめる言葉で、俺が悪者になってしまう表れで……。どんなに後悔しても、もうその言葉を帳消しにする事は出来ない。


だから俺は一之瀬の返答を待った。


「……それが小枝樹くんの気持ちなのね」


プーップーップーッ


一之瀬は一言言うと、電話を切った。悲しそうな声色で、それでも何故だか少し悲しそうな顔で笑っている一之瀬の姿が浮かんだ。





どうもさかなです。


これで第六章の完結です。


いかがだったでしょうか。


今回の話は夏蓮の妹を登場させるという事で話を考えるのに苦労しました。それでも何とか書き終えられて良かったです。


では、今回も『天才少女と凡人な俺。』を読んで頂き有難うございました。

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