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天才少女と凡人な俺。  作者: さかな
第九部 冬休み 刻マレル証
132/134

44 前編 (拓真)

 

 

 

 

 

 この俺、小枝樹拓真にはいったいなにができるのであろう。


 雪菜とレイがB棟取り壊しをどうにかすると言って、俺は下柳にあいつらを頼んだ。それ以外に俺が出来ることはいったいなんだ。


 他の連中にも雪菜とレイをよろしく頼むとお願いしに行けばいいのか? いや、そんなことしなくてもあいつらなら勝手にどうにかする。


 俺は考える。ベッドに座って考える。俺は横になる。ベッドに横たわって考える。


 うん、なにも思いつかないな。


 というか俺が考えてもしかたないことなのではないだろうか。結局の所、考えて答えをだせばそれをするのに行動を起こさなくてはならない。一之瀬樹に勘付かれなかったとしても、非常に面倒くさい。


 どこかで俺は自分がなにもしなくてもどうにかなってしまうのではないかと期待している部分がある。そうなって欲しいと願ってしまっている。


「あと少しで冬休みも終りか」


 つまらない独り言。天井を見てもベッドに触れてもカーテンの脇から差し込む光を仰いでも時間の流れを止めることなんてできやしない。


 だから楽しいことを考えつつ今後のことも考えよう。


 さて、今日はなにをしよう。年末から年始にかけて色々ありすぎたからもう何もしたくないなー。楽しいことだけしたいなー。


 そんなときだった。


「お兄ちゃんっ!!」


 急な出来事に身体がビクつく。俺の部屋の扉を勢いよく開け大きな声を張り、何故なのか涙目で何を訴えかけようとしている我が妹。


 兄妹だから別にいきなり部屋に入ってきても俺は構わないけど、なにか特別なことをしていたらどうするんだ。特別なこと? そんなの女の子には刺激が強いことに決まっているでしょうがっ!


 なになに? 自分の部屋で一人で出来る女の子には刺激的なことって? あのですね。思春期男子ならほぼほぼ誰でもしている賢者になるための修行ですよ。えぇ。


 とまぁ、久しぶりに脳内解説をしてみたところで本題に戻りましょう。


「どうしたルリ?」


 扉付近で立ち尽くしているルリは何も言わない。どうして何も言わないのか不思議でならない。だってそうでしょ。一月に涙目で俺の部屋に突撃してくるんですよ? 遅いと言いたいところだが、うちの妹ならありえない話ではないから怖い。


 さて、先ほど脳内解説を終えたばかりだがルリの登場が久しぶりなので一応説明を加えておきましょうか。


 小枝樹ルリ。現在中学三年生。身長は俺よりも小さく雪菜と然程変わらないだろう。髪は肩に掛かるくらいの明るめな茶髪。体躯は中学生しては成長が早いというかなんというか、まぁいい感じとだけ言っておこう。


 俺から言えることは以上だ。いや待て、重要なことを言っていなかった。


 血の繋がりがないとはいえ天才少年である俺の妹だ。なのにもかかわらず、本当にうちの妹君はバカである。


「お兄ちゃあああああんっ! 勉強教えてえええええええっ」


 大粒の涙を流しながら訴えかけるルリ。そんなルリを見ている俺はというと、とても冷たい目で妹を見ています。


 溜め息をつき俺は横になっていた身体を起こしベッドに座る。そして再び冷たい視線。


 きっと妹なら気がついてくれるはずだ。この視線の意味を。だが、やはり妹はバカでした。


「お願いお兄ちゃあああああんっ!! もう一ヶ月しかないのっ!! 一ヶ月しかないんだよおおおおおおっ!!」


 まるで君主に哀願するようにルリは俺の膝元に縋り泣き続けている。


 そして思う。あぁ、今日も平和だ。


「そんなに泣くなルリよ」


 俺は泣いているルリの肩を持ち立たせる。鼻をぐずつかせながらも、俺のいうことをちゃんと聞こうとする可愛い妹。俺はそのままルリの手を握り部屋を出る。


 今の構図は部屋の外にルリ、部屋の中に俺。そして俺は兄のありがたい言葉を妹に言うのであった。


「今まで勉強をしてこなかったお前が悪い。だから俺はなにもしてやらない」


 バタンッ


 扉を閉める。


 これでいいのだ。俺が手伝いでもすればルリの将来にかかわってしまう。誰かに甘えればなんでもしてくれるという甘ちゃん妹に育ってしまう。それだけは避けなくてはならない。これは愛情なのだ。だが


 バンッバンッバンッ


「お願いだよお兄ちゃああああああああんっ!! 私を助けてよおおおおおおおっ!!」


 諦めの悪い妹だ。どんなに泣き叫ぼうが俺はなにもしないぞ。


「お兄ちゃあああん……、お兄ちゃあああん……」


 扉の外にいるルリの声がゆっくりと小さくなっていく。次第に扉を叩く音もなくなり、最後にはルリの声すら聞こえなくなった。


 考える俺。


「あぁっ!! もう分かったよっ!! 勉強教えてやるから入って来いっ!!」


 考える時間なんてものは本当に一瞬だった。結局、妹を甘やかしてしまう阿呆な兄なんですよ俺は。


 扉を開けると床にぺたりと座り俯いているルリの姿。こいつのためだと思って言ったが少し言葉を間違えたのかもしれない。あまり強くは言ってないが、受験ギリギリのこの時期だ。色々とストレスも溜まってたんだろう。


「その、なんだ。意地悪したのは俺が悪かったから。ほら勉強も教えてやるし、なんなら脳を活性化させるために甘いモノも買ってきてやる」


 どうして俺はこんなにも妹に甘いんですか。でも、泣いてる妹を放っておくよりかは最善な判断だ。自分が天才に生まれてきてよかったって本当に思うよ。うん。


「甘いモノも買ってきてくれるの……?」


「あぁ、何個でも買ってきてやる。だから、その、もう泣き止んでくれよ……」


 俺の大切な妹だ。確かに勉強をしなかったのはルリの落ち度になるかもしれないけど、それを助けてやるのも兄の仕事だということだ。


 ルリの啜りなく声がなんだ。やっと俺の声が届いたのかとおもい一つ息を吐き安堵に浸る。だが刹那の後、俺は本当にただただ甘い人間だったのだと気がつかされる。


「やったー!! 勉強だけじゃなくて甘いモノまでゲットできるとか、天才の兄をもった私もやっぱり天才だったかっ!」


 さっきまでも泣いていたルリが嘘のように飛び跳ねながら大喜びしてますよ。えぇ、天才の兄は凡人な妹に騙されたんですよっ!


 だが、こうも清々しく喜ばれると諦めがつくというかなんというか。俺は嘆息気味に妹に言う。


「勉強も教えてやるし甘いものも買ってやる。本当にお前は調子のいいやつだ」


 諦めた天才の嘆息と、勝者になった妹の歓喜が家の中を駆け巡った。





 勉強を教え始めて一時間くらいが経った。


 リビングでノートと教科書、それに大学受験用の参考書を開いて俺は丁寧に教えてやった。だが、集中して聞いていたのは初めの十分くらいであとの時間はルリの唸り声が響く恐怖のリビングと化していた。


「お兄ちゃーん、お兄ちゃーん」


「唸ってても問題は解けないぞ。つーかお前は集中力がなさすぎる」


「だってぇ……」


 ぶつくさと文句を言いながら参考書のページを無意味にペラペラとめくっている。


 その様子をみていると妹が本当に浪人生になってしまうのではないのかと恐怖すら感じてきてしまう。ここで俺が諦めたらダメだ。


「なぁルリ。どうしたらお前はちゃんと勉強をしてくれるんだ」


「ちゃんとやってるじゃん」


 やってないから言ってるんだよねっ!? 始めて一時間の中で真面目にやってたの十分くらいだよねっ!? もうお兄ちゃん本気で怒っちゃうよっ!?


 脳内でつっこみをしているとルリの様子がおかしくなってきていた。


 テーブルに突っ伏し足をばたつかせながら「甘いものー」とウダウダしはじめたのだ。どうにかしてこの妹のご機嫌をとらないと勉強どころではなくなってしまう。


 俺は考える。確かに甘いものを買ってやるとは言った。だがそれは、勉強を頑張ったご褒美のつもりだった。でもここでそのジョーカーを切らなきゃ妹は浪人してしまう。


 だが待てよ。ここで褒美をだせば確かにルリの機嫌は回復しヤル気も回復するだろう。そして再び勉強を始める。と、思うのが、その先の未来は今の現状に戻ってしまうような気がする。


 それでは褒美にもならないし勉強もしないで本末転倒になってしまう。


 うー。考えろ俺。考えるんだ。ルリの機嫌を回復させヤル気スイッチをオンにし勉強への向上心を高める方法……。


 あっ。


「よしルリ。少し休憩しよう」


「でも、大丈夫なの……?」


 コイツ、自分がちゃんと勉強していないことを自覚してやがったな。まぁでもいいだろう。


「大丈夫だよ。集中できないなら甘いものでも食ったほうがいい」


「甘いものっ!!」


 喜びのあまり立ち上がる我が妹。そんなルリを落ち着かせながら俺はある人物へと電話をした。


 ことなく電話相手には俺のお願いが了承され、俺とルリはいざ甘味処へと向かったのだった。





 真冬の太陽の眩しさは真夏の太陽のソレとは違う澄んだ眩しさがある。冷たい空気を切り裂くように真っ直ぐと人々を照らし出す。


 コートも手放せなければマフラーも手放せない。防寒具を一つでも減らせば簡単に凍えてしまいそうだ。


 はやく春が来てくれればいいのにと願いを飛ばしながらも、今を生きることをやめられない。


「ねぇねぇお兄ちゃん。どこ連れてってくれるの?」


 暖かそうなコートに真っ白のニットを被る妹は、無垢な笑みを浮かべながら子供のようにはしゃぐ。


「それは着いてからのお楽しみだ。つっても俺もよくわかってないんだけどな」


 そう。俺すら目的の場所をしらない。何故なのかと聞かれれば答えますけど、どうしますか? はい、分かりました。答えます。


 家を出る前に俺はある人物に電話をした。そしてこちら側の事情をすべて話した。すると相手側が場所を指定してきたというわけだ。


 とまぁこんな感じでことが進んでいます。


「つーかルリ。甘いもの食うのはいいけど、ちゃんと勉強もするんだぞ?」


「わかってるわかってるっ。でも、なんだかんだ言って優しいからお兄ちゃん好き」


 言いながら俺の腕に自身の腕を絡ませてくる妹。なんとも可愛い妹ではないか。


「そんなこと言ってもなにもないぞ」


「あたしが好きで言ってるんだからいいんですー」


 本当に可愛いですな。もうお兄ちゃんなんでも買ってあげちゃう。


 そんな風に妹を愛でているときに事件というものは俺の心を壊しにかかってくる。


「ちょっと、そんなに拓真にくっつかないでくれる」


 目的の場所についたとき、目の前に現れる美少女。高めの身長にモデルのようなスタイル。年齢にそぐわない女性的な肉体。綺麗な長い金髪をツインテールにし透明感のある冬の光が彼女の美しさを増幅させていた。


 だが、その美しさに目を奪われるのは刹那だけだ。この美少女の登場が何を意味しているのか、すぐさま理解し俺は青ざめる。


「は? つーか何でアンタがここにいるの」


 妹が金髪美少女に対し攻撃態勢をとる。というか完全に攻撃してますよね……。


「私は拓真に呼ばれたから来ただけよ」


 やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい。


 俺はこの美少女を召還した覚えがないんですが、どうしてなのかことがどんどん悪い方向へと向かってしまっています。つーか元凶は絶対に紳士執事野郎だろ。


 冷や汗をかきながら俺は周囲を確認する。どこかに紳士執事さんが絶対に隠れているからだ。というか俺が呼んだのは紳士執事さんなんだけどな……。


 だが、どんなに辺りを見渡しても影すら見えない。妹と金髪美少女は睨みあって火花を散らしてるし、もうこうなったら素直に呼ぶしかありませんね。


「影で楽しんでないで、さっさと出てきてくれませんかね後藤さん」


「お呼びでしょうか小枝樹様」


 間髪いれずに返答が返ってきて同時に姿まで現す後藤。


 紳士服で身を纏い白髪をオールバックにセットしニコニコと笑っているこの男こそが一之瀬財閥の執事、後藤さんです。


「お呼びでしょうか、じゃねー。どうして菊冬がいるんだよ。俺が呼んだのはアンタだけだぞ」


 嘆息気味に俺が言うと、後藤は笑みを崩さないまま返答する。


「おやおや、そうでありましたか。てっきり私は同い年であられる菊冬様とルリ様の仲を深めるためにご連絡されたのかと」


「冗談はやめてくれ……。あの二人が犬猿の仲だってことくらい後藤も分かってるだろ。あれを落ち着かせることがどれだけ大変か……」


 もう溜め息とかじゃ終わらないですよね。カフェについたばかりなのにすげー疲れてますよね。


 後藤が何を考えてこんな地獄を作り出したのかは分からないが、とりあえずどうしよう。


「それでは理由をお話して菊冬様には帰っていただいたほうがよろしいですね?」


「あー、んー、あー!! これもいい機会だから菊冬にルリの勉強を見てもらおう。俺が楽できるならそれのほうがいい」


 俺は頭を掻き毟り、諦めたかのように返答をした。


「左様で御座いますか」


「分かったら、さっさとあの二人を止めて菊冬とルリに説明をしてくれ……」


「かしこまりました」


 俺の言葉を聞いた後藤は深く頭を下げ、菊冬とルリにもとへ今回のことについて説明しにいった。一人になった俺はこのあとに何も起こらないで欲しいと願いながら疲れた肩を丸くさせた。





 現在。俺等はカフェで勉強をしています。と言っても勉強をしているのはルリでそれを菊冬が教えてくれている。


 オープンテラスになっているカフェ。暖かい気候のときなら外でもいいが、一月の今日はお世辞にも暖かいとは言えない。なので店内で勉強というわけです。


 菊冬とルリが一つのテーブルで勉強をし、俺と後藤が少し離れたテーブルにいる。


 どうして少し離れているのか。それはルリと菊冬がもっと仲良くなるためです。というのは建前で、後藤がなにか俺に話しをするのではないのかと思い席を離したのです。


 まぁそれが当たらなくてもルリと菊冬がもっと仲良くなってくれるならばそれでいい。


 俺はテーブルに頬杖をつき、ルリを菊冬を見つめる。


「本当にルリ様と菊冬様を見ているときの小枝樹さまはお兄様なのですね。とてもお優しい視線です」


 ふいに後藤が言いだす。


「ば、べ、別に優しくなんかねー。ただあの二人にはもっと仲良くなってもらいたいって言うか、本当は気が合うのにな、とか思って……。っていったい俺はなにを知っているのですかねっ!?」


 自分で言っていることを理解し少しだけ恥ずかしくなる。でも後藤に言われたように、あの二人は俺の妹だ。血が繋がってるとか繋がってないとかそんなのは関係ない。


 だが、この空気に居た堪れなくなってしまった俺は、


「あぁもう俺のことはどうでもいいから、話したいことがあるなら話してくれよ」


「やはり小枝樹様は気がついてしまうのですね」


 後藤から笑みが消える。それは、この後に話される内容が楽しい内容ではないということを物語っていた。だからこそ俺も真剣な表情になるしかない。


「そんな真面目な顔してなんだよ。もしかして一之瀬のことか?」


「いえ、今日は夏蓮様のお話ではなく、春桜様のお話です」


「春桜さんの?」


 考えてはいなかった人物の名前がでてきて少しだけ動揺した。というか、どうして後藤が春桜さんの話しを俺にしようとしているんだ。


 一之瀬のことだったり菊冬のことだったらなんとなくわかるけど。春桜さんだって成人している大人だ。大学生だといってもあの人は普通に大人だ。そんな春桜さんのことを俺に話すってなにを話すっていうんだ。


「はい。春桜様のことです」


 俺は無言のまま後藤をみつめた。すると後藤は少し目を伏せながら憂いの帯びた表情で言葉を紡ぐ。


「春桜様が婚約するかもしれないのです」


 後藤の言葉の後、少しの静寂に包まれる。店内の軽快な音楽と俺等以外の客の楽しそうな喧騒が痛いほど俺の耳に入り込んでくる。


 運ばれてきたコーヒーを一口飲み、カップをテーブルへと置いた俺は


「そかそか。それはめでたい話だな」


「本当そう思っていらっしゃるのですか?」


「なんか不思議なことでもあるか? 春桜さんが結婚するかもしれないんだろ? それはめでたい話じゃないか」


「その婚約が春桜様の意思とは関係ないと言っても小枝樹様は同じことを言えますか?」


 春桜さんの意思とは関係のない婚約。予想するに、金持ちの親同士が決めた縁談だろうな。一之瀬 樹ならやりかねない。


「一般的に言うのであれば物申したいところだが、一之瀬家は大きな財閥だ。そこの娘が意思とは関係無しに結婚をすることだっておかしな話じゃない。だから俺の意見は変わらない」


 言い終わり、俺は再びコーヒーを口に運ぶ。口に入れた瞬間に豆の香りが鼻腔を刺激し、喉を通せばゆっくりと豆の残り香が吐く息と共に至福へと誘う。


 カップを置くとあーでもないこーでもないと言う菊冬の声が聞こえ、それを聞いているルリのうめき声が聞こえてきた。


「なぁ、後藤」


 返答のない後藤に俺は話しかける。


「アンタが言いたいことはなんとなくだが分かってるつもりだ。だけど、アンタも分かってるんだろ? 今の俺がなにもできなことを」


「それは……」


 口篭る後藤に俺は続けた。


「きっと数ヶ月前までの俺なら春桜さんの件にムカついて首突っ込んで、どうにかこうにかしようって考えたと思う。でも、今の俺にはなにもできない。俺が何かすれば事はもっと大きくなるって考えてる」


「左様で、ございますか……」


 後藤の表情は真剣なものだった。俺がなにもしないことを本気で悔やんでいる。だけ俺にはそれに応えられない。


「なぁ、後藤。菊冬とルリを見てみろよ」


 俺の言葉に反応し後藤が菊冬とルリのほうへと視線を動かす。


 そこには、いつもみたいに悪態をつく菊冬に唸りながらも言うことを聞いて勉強をしているルリの姿があった。


「あの二人が仲悪いの後藤も知ってるだろ?」


「存じ上げております」


「なのに今はどうだ? 仲悪そうには見えるけど、ちゃんと相手のことを考えて少しの譲歩をぎこちなく使いながら協調しようとしてる。あの二人にとっては大きな進歩だな」


「申し訳御座いません小枝樹様。なにを仰りたいのか私には━━」


「だからー、あの二人の仲を良くしたのは俺じゃないってこと」


 後藤の言葉を遮り、俺は言う。


「ようするにだ。俺じゃなくてもいいんだよ。つーか、春桜さんが無理矢理婚約されそうになってるのに、一之瀬が黙ってるわけないだろ? それに春桜さんのそばにはアンタだっている。それだけじゃダメなのか?」


「そうやって、小枝樹様はまた逃げるのですね」


 後藤の言葉は辛辣だった。だが、それが間違ってるって俺は思えなかったんだ。


「そうだな。確かに逃げてるんかもしれない。色々な事柄を言い訳にして、自分から関わらないようにしてる。それが逃げだって言うならそれが正しいと思う。だけど、これが最善だって思うんだ」


 言いながらコーヒーの入ったカップに触れる。すると少しだけ減っているコーヒーが揺れ波紋を作った。俺はその波紋も見つめながら言葉を続ける。


「俺は天才かもしれないけど一般人。そんな一般人が一之瀬財閥に喧嘩なんか売れないだろ? もしも俺が春桜さんを助けたとしよう。それで春桜さんは結婚しなくてすむかも知れない。でも、ただそれだけだ。他のことはどうする、他の連中はどうする。もっと俺は大人にならなきゃいけいんだ」


 見つめる水面は波紋が止まり俺の顔を映し出す。


「きっと俺はまだまだ子供で、だけど確実に大人に近づいてる。おれは俺だけじゃない、皆だって同じなんだ。自分達のできる範囲を理解し己の程度を理解する。そこにはきっと譲れなくても譲らなきゃいけない諦めだってあるかもしれない。きっと子供でも大人でもない俺達はそうやって自分で決めてかなきゃいけない」


 本当はまだ子供でいたいって思う。でも大人にならなきゃ大人には勝てない。


「小学生の頃はグーで殴ればなんでも解決できた。中学生の頃は表面上の正論だけで突き通せることだらけだった。そして高校生になって、どちらでも解決できない理不尽に襲われて、子供だった俺等はゆっくりと大人の世界を垣間見る。正しくないことに頷いて、間違ってることを見ないフリする。自分の立場が悪くならないように自分で自分の位置を定めて、生き残るためと言い訳を並べては環境に馴染めなかった奴等の淘汰を横目で見続ける」


 ヒエラルキーとはよく言ったものだ。どんな状況であれ特質的な個は潰され、表面上だけの綺麗なモノをもっている者が頂上に居続ける。


「そうやって成長してって夢だったり希望だったり、曖昧で手に入れることが困難なものを捨ててって、きっと子供は大人になるんだ」


「小枝樹様も捨てるというのですか?」


「そうだな。捨てなきゃ誰も助けられないなら、俺は全部捨てる」


 そんなものよりも大切なものがあるから……。


「きっとさ、一之瀬秋は大人になりきれなかった子供だったんだよ」


 俺の言葉を聞いた後藤は怪訝そうな表情をみせる。だが、俺は気にせず話しを続けた。


「天才だったから全部自分だけでどうにかできるって思ってたんだろうよ。だけど天才だろうが凡人だろうが人一人の力なんてたいしたことない。でも自分が死ねばどうにかできるって一之瀬秋は考えたんだろ?」


 後藤は無言を返した。


「本当は俺もそうなんじゃないかって思ったんだよ……。俺だけが犠牲になればみんなを助けることができるって……。でもそれじゃダメなんだ。だから俺は大人にならなきゃいけない」


 真っ直ぐと俺は後藤を見る。それに応えるように後藤も俺のことを見た。


 考えてみれば後藤は俺等なんかよりもずっと大人で、子供な俺等に色々なことを教えようとしてくれてたんだよな。それが一之秋の命令だったとしても、ずっと見守ってくれたんだよな。


「前にさ……」


 俺は再び口を開く。


「前に、俺は後藤に誰も選ばないって言ったよな。でも結果だけを見れば俺は一之瀬を選んだ。だから思うんだ。あの時の俺には覚悟が足りなかった。でも今は前とは違う。本当に守らなきゃいけないものができたし、信じられる友達もできた」


 何度も何度も大人になろうとして、沢山の人たちを傷つけたり、その逆に傷つけられたり……。強さを履き違えて沢山道に迷った。でもそれが全部間違っていたとは思えない。


 きっと正しいことなんてないのかもしれない。自分の中で生まれた正しいは、他人にとって間違いにもなる。その擦れ違いを重ね続けると、人はきっと臆病になって選ぶことから逃げようとしてしまう。


 なあなあに流されて、何でも良いやと見ないようにする。だけどそれじゃなにも変わらない。


 だから俺は何度でも自分で選ぶんだ。それが正しいと信じて……。


「後藤、俺は選ぶよ。その答えの先がなにもなかったとしても、俺は『何もしない』を選ぶ。正確には『何もできない』だけどな」


 そう言い俺は苦笑に近い笑みを後藤に見せた。


「だからさ後藤。皆に……、一之瀬になにかあったときは力になってあげてくれないか」


「小枝樹様……」


「なに暗い顔してんだよ。アンタみたいな頼れる大人がそんな顔してちゃ不安になる奴もでてくるかもしれないだろ? だからアンタには辛いかもしれないが、無理にでも気丈でいつづけてくれないか」


「それは命令で御座いますか……?」


「んな大層なものじゃねーよ。たんなるお願いだ」


「お願い、ですか……。承知しました。この後藤、小枝樹様のお願いしかと承りました」


 言うと後藤は頭を深く下げた。そんな後藤を見ながら俺は席を立ち


「ということで、ルリと菊冬のことは頼んだぞ」


「どこに行かれるのですか?」


「いや、ルリは菊冬がいればどうにかなりそうだし。少しその辺ブラブラしようかなって」


「左様でございますか」


「左様でございますよ」


 俺の返答を聞いた後藤に笑みが零れる。


「それと、ここの代金は大人であるアンタが払っといてくれ」


「承知したしました。小枝樹様の出世払いとしてツケておきますね」


「さいですか」


 くだらない会話をし俺はカフェをあとにした。



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