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天才少女と凡人な俺。  作者: さかな
第九部 冬休み 刻マレル証
127/134

42 中編 (拓真)

 

 

 

 

 

 

 もうすぐ今年が終わる。年末の特番もゆっくりとだが確実にその終りを彷彿を匂わせてきていた。確かに番組の盛り上がりかたを見ればもうすぐ終わるのだと分かるが、俺は普通に時計を見ているから分かっていたのだ。


 年を越すときには今年起こった出来事を振り返ったりする奴等のほうが多いだろう。それは楽しかったことも苦しかったことも全てだ。そして新しい年には良い事がありますようにと、願いを飛ばしながら新年を迎える。


 きっと、そんな風に考えているやつらでさえ、自分が新しい年に期待を膨らませているとは気がついていないだろう。年を越すという大きなイベントを控え、気持ちが高揚しそれどころではないのだ。


 かくして俺は今年の最後に起こってしまった大きな出来事のことを考えている。


 B棟の取り壊し。それに融資したのが一之瀬財閥。


 わかってる。一之瀬の意志がそこにはない事くらい俺にだって分かる。一之瀬は今、何を考えているのだろう……。


「お兄ちゃーん。お蕎麦できたよー」


 ルリの声が聞こえて考えを中断させる。それに、考えていても一之瀬の気持ちが分かるわけでもないし、今はただ純粋に新年を迎える心の準備をしなくちゃな。


 俺はルリに返事をして立ち上がる。リビングのテーブルに置かれた温かい蕎麦と別皿に取り分けられた天ぷら。


 和風だしの良い匂いと湯気が俺の鼻と視界を刺激し、純粋に腹が減ってきた。蕎麦はシンプルにネギとカマボコだけ、天ぷらはエビにイカ、ナスに大葉にシイタケ、そしてかき揚げがあった。黄金に輝く衣に油の匂いが更に俺の腹を空かせる。


 席に着き「いただきます」と礼節を重んじながらも、ガツガツズルズルと食す。そのうちルリも自分の蕎麦と天ぷらをもってきてリビングで食べだした。


 というか、何でこんなにこの蕎麦美味いんだろう? 天ぷらの揚げ加減も絶妙だし、その油をリセットするのに蕎麦のつゆが最適すぎる。


 テレビをつけっぱなしにしていたせいか、テレビの音から除夜の鐘が聞こえ始めた。その音を聞いて俺は蕎麦を食べている手を止める。規則正しく響く金の音が、今年の終りと始まりを告げているように思えた。


 こんな風に家族で年越し蕎麦を食べるなんて思ってもみなかった。去年までの関係だったら今頃、俺は外に出かけているか自分の部屋に引き篭もっていたに違いない。それもこれも全部、雪菜のおかげなんだよな。


 今年の夏。雪菜が父さんと母さんを説得してくれた。いや、説得というのは語弊が生じるかもしれない。でも雪菜が今までずっと見てきた俺のことを父さんと母さんに言ってくれなければ、雪菜が勇気をだしてくれなければ、今年も同じことを繰り返していたのだろう。雪菜には感謝してもしきれないくらいの恩ができてしまった。


 箸が止まってしまった俺に気を使っているのか、ルリがチラチラと俺の事を見ているのに気がつく。


「どうしたルリ?」


「え、い、いや、別に、なんでも……、ない」


 あきらかに気を使っているのは分かっている。俺は嘆息しながら再び蕎麦を啜る。そして


「クリスマス・イブのことならルリが気にすることじゃないぞ。確かに驚きはしたが、考えたって悩んだって解決する話じゃない。それに年明けて、三が日過ぎた頃くらいに一之瀬にはちゃんと聞くつもりだから。あんま気にすんな」


 俺の言葉を聞いたルリは何も言わなくなってしまった。そして俺や父さんの蕎麦をズルズル啜る音がリビングに響き渡る。


 会話がないというのは寂しいと感じるが、数日しか経っていない状況でルリが納得できるわけでもない。だからこそ俺は普段通りに接して気を使わせないようにしなくてはいけない。


 するとルリが藪から棒に、


「てかさ、お兄ちゃんと一之瀬さんって付き合ってるの?」


 ブフッ


 あぶねー。口の中のものを飲み込んだ後だから良かったー。唾だけじゃなく危うく噛み砕いた蕎麦までテーブルに散乱されるところだったー。


 というか、どうしていきなりこの妹様はそんなことを聞くんですかね。もう脈絡とかって完全に関係ないよねっ!?


 だが俺は冷静になってルリの質問に返答する。


「きゅ、急にどうしたんだよ。俺と一之瀬が付き合ってるって誰かから聞いたのか?」


「ううん。クリスマス・イブの時に楓ちゃんとお兄ちゃんが話してるの聞こえちゃったから、付き合ってるのかなって思っただけ」


 確かに俺は佐々路とそんな会話をしていたような気がする……。だけど、話している内容自体は付き合っていると考えるのには早計過ぎる内容だったはずだ。たしか……。


 だけど、隠す必要性もないよな。


「あぁ、付き合ってるよ」


「なら……、一之瀬さんはお兄ちゃんの彼女なんだ……」


 なんだか雲行きが怪しくなってきた。なぜだかルリは俺の言葉を聞いたと同時に俯き、己の背後に禍々しい真っ黒なスタンドを召還していた。箸を持っている手がプルプルと震えている。


 少しの恐怖を感じながらも俺はルリに言う。


「えっと、それがどうしったっていうんだ……?」


 ルリは何も言わない。ただ、背後に見える真っ黒なスタンドが俺の事を睨みつけていた。


「お兄ちゃんが一之瀬さんと付き合ってるってことなら、いずれ結婚だってするんだよね……? だとすれば、私のお兄ちゃんがあの菊冬という奴のお兄ちゃんにもなっちゃうんだよね……?」


 顔を上げたルリの瞳は虚ろだった。生気を感じないその瞳が俺の瞳を貫き、言い終わったルリは薄っすらと笑みを零した。素直に俺は思う。


 俺の妹ってヤンデレだったっけぇぇぇぇぇぇぇっ!? ちょー怖いんですけどっ!! ちょー怖いんですけどっ!!!!


「ちょ、ちょっと待てルリ。結婚とかの話は飛躍しすぎじゃないかっ!? 確かにそういうことを考えないでもないけど、でもそれはまだ先の話だ」


 言い訳を並べれば並べるほど、自分で何が言いたくて何をどうしたのか分からなくなってくる。ただ純粋に目の前にいる禍々しいルリをいるもの可愛らしい妹に戻したいだけなんだよ。どうすればいい。どうすればいつものルリに戻ってくれるんだっ!!


 俺は不意に隣にいる父さんに視線をおくり、次にルリの隣に座る母さんに視線をおくった。勿論、助けを求める視線だ。この俺は育ててきたのであれば応えてくれ、ルリを闇から解放しこの俺をも救ってくれ親っ!!


 視線に気がついたのは父さんだった。持っていた箸を蕎麦のどんぶりの上に置き、俺の方へと顔を向けた父さんは真剣な表情で、


「それで、その一之瀬さんというのは可愛い子なのか」


 真剣な顔してなに言ってるんですかうちのお父様はああああああああっ!! 完全に気になっちゃってるよ。自分の息子の彼女が気になっちゃってるよっ!!


 こうなったら母さんに助けを求めなくては……。


「お父さん。拓真だって年頃なんだから下品な聞き方はやめてください。それで、拓真の彼女さんは可愛い子なの?」


 アンタは父さんと同じだよっ!! 何で注意した? 何で注意したっ!! 言ってる結果が同じだったら意味ないでしょうがっ!!


 無意味に疲れ果てている俺をよそに、ルリは「お兄ちゃんの妹はあたしなんだから……、へっへっへっへ」とか言ってるし、父さんと母さんは一之瀬が気になるらしく、何度も何度も「可愛いのか」とか「綺麗なのか」とか、本当にくだらない質問ばかり投げかけてきた。


 俺は嘆息し、食べ終わった蕎麦のどんぶりと天ぷらの器を持ちキッチンへと片付けに行こうとする。すると父さんと母さんが「待ちなさい」と同時に言葉を紡ぎ、振り返りながら再び嘆息して


「分かったから。今度一之瀬をちゃんと紹介する。それでいいか?」


 俺の言葉を聞いた二人は互いに顔を見合わせ、作ってるのか本物なのか分からない満面の笑みを浮かべて「それならいいぞ」と何度も頷きながら言う。


 これでやっと解放されるとおもい俺は再びキッチンへと歩みを始めるが、どうも俺の服を引っ張り俺をキッチンへと向かわせまいと最後の足掻きをしている妹君がいる。


 嘆息しそうになるのを堪え、俺は妹君を見下しながら言う。


「確かに一之瀬と結婚すれば菊冬も俺の義妹になる。だけど、心配すんな。俺の本当の妹はルリだけだから」


「ほんと……?」


 ゆっくりと禍々しい黒いスタンドを消していくルリ。見てみれば瞳を潤ませながら上目遣いで俺のことをルリは見ていた。微笑を浮かべたのはごくごく自然で俺はルリの頭をクシャクシャと撫でてやる。


 猫のように目を細めたルリを見て少しだけ安心した。この安心かを得たとき、クリスマス・イブでの出来事が俺にとってとても重要なことだったのだと理解する。


 どこかで逃げていたんだ。いずれB棟三階右端の教室にはい行けなくなる。理由は単純で、卒業してしまえば毎日のように行くのは困難になる。


 頭の片隅でいずれ訪れる別れを認識していたからこそ、俺は冷静でいられたのかもしれない。でも、本当は……。


「どうしたの……? お兄ちゃん」


 ルリの声を聞いて我に返る。中途半端な思考を中断するとルリの髪の毛がグチャグチャになっていることに気がついた。手をどける俺は踵を返し


「なんでもないよ。それじゃ、俺は初詣に行ってくるわ」


 背中にルリの視線を感じるが、ルリは何も言ってこない。もしかしたら何も言えないが正解かもしれないが。俺も俺で、一言残すとそのまま初詣のために家をでた。

 

 

 

 

 新年までは残り数分。雪菜の家の前で待たされながら、本日、いや、今年何度目かの過去を振り返る。


 一学期や二学期。沢山の出来事の中で大切なものが育まれた。何かを失ってしまいそうになったときもあった。そのすべてが悪いわけではない。神沢が言っていたように俺らの絆はちゃんと繋がってる。


 息を吐けば真っ白く染まって、空を見上げれば寒さを強くさせるほどの満点の星空。空気は澄んでいて息を吸い込めば少し肺が痛いように感じる。


 数日前に降った雪の残骸が道路の端で輝き、星達と共にその世界から暗闇を遠ざける。コンクリートでできた壁は分厚いコートの上からでも冷たさを感じるように思え、自分の体がゆっくりと凍えはじめていることに気がついた。


 雪菜の家の前に来てから数分しか経っていないのに、今日はなんだか凄く寒い。気を抜けば本当に凍え死んでしまうかもしれないと脳裏を巡ったときだった。


「ごめん拓真。待たせちゃった」


「おせーよ」


 雪菜の謝罪を無視しながら言うと、俺はそのまま歩き出す。後方から雪菜の足音が聞こえてくるので、その場で立ち止まったりはしていないのだろう。俺の隣に並ぶわけでもなく、雪菜は俺の後ろからついてくる。


 初詣は近くの神社。夏祭りのときに行った神社だ。大きいわけではないが、ここいらに住んでいる奴等が結構来るので毎年賑わっている。まぁその記憶も子供のときの記憶になってしまうので今は分からない。


 一瞬見ただけだが、雪菜の格好は着物ではなかった。普段から見慣れている制服とも違いクリスマス・イブの日の猫耳でもない。


 ジーンズに黒のピーコート。そして赤と黒のチェックのマフラー。猫耳はついてないが手編み感のある白のニット帽も装着している。


 少しずつだが初詣に行こうとしている人達の姿が見えてきた。楽しそうに今年を振り返り、来年への抱負や新年一発目の台詞の話などをしているようだった。その時


「あ、年越した」


 小さく呟く雪菜の声が後ろから聞こえる。除夜の鐘が聞こえないにしろ、新年を迎えた瞬間の若者達が歓喜をあげていた。一応俺も若者だが、雪菜の二人で盛り上がるのもおかしいと思ったので何もしてません。


 俺は振り向く。雪菜は俺の顔を見ながら言った。


「あけましておめでと、拓真」


「あけましておめでとう、雪菜」


 つられたわけではないが、自分の意思で言ったのかどうかを聞かれると曖昧な答えを言ってしまいそうなくらい、新年の挨拶はぎこちなかった。


 挨拶だけをし俺等は再び歩き出す。


 流れる静寂はきっと俺と雪菜だけのものであって、周囲の人達の笑い声や弾む声を聞けば聞くほど無言を切り裂くことが難しくなってくる。


 ゆっくりと周囲の声が聞こえなくなり今は自分の足音と雪菜の足音しか聞こえなくなってしまった。それがありえないことくらいわかってる。少し視線を左右に振れば楽しげに笑っている人がいるから……。


 気にしてないんじゃないのか。自分の頭に流れる自問に俺は何も答えをだせない。B等がなくなるのが嫌ならそう言えばいい。どうして一之瀬財閥が融資を決めたのか知りたいのなら一之瀬に聞けばいい。


 何度も何度も流れ続ける己の声に俺は振り向く事さえできない。その時だ。


「ねぇ、拓真」


 擦れているような小さな声。その声の主が雪菜だと気がつかないことなんてなかった。


「ん?」


 俺は歩みを止め後ろを振り向く。そこには寂しげな、悲しげな表情で目を伏せる雪菜がいた。表情を見ればわかる。きっとクリスマス・イブの日のことを雪菜は話したいんだ。俺は雪菜が話しだすのを待った。


「あのね……」


 ゆっくりと雪菜の唇が開き、伏せていた瞳を上げ俺を見つめた。


「B棟の件、拓真はどう思ってるの……?」


 雪菜の質問は俺の予想を超えることはなかった。だが、俺は雪菜の質問になんて答えればいい。


 分かっているはずだ。俺らしく答えればいい。今までの俺なら「そんなもん、嫌に決まってんだろっ……!」とか「神沢が言ってたように、あの場所がなくなっても俺らの絆はなくなったりしねーよ」とか……。だが俺は雪菜の質問に無言を返すことしかできなかった。


 今では雪菜の顔を真っ直ぐと見ることすら出来ていない。初詣にいく人達の群れをただただ瞳に映し出しているだけだ。


 なにか言わなきゃいけないと思っていた。この話しを無かったことにして早く神社に行こうと促せばいいんだ。


「そ、それよりも早く神社に━━」


「あたしはね、拓真」


 俺の言葉を遮り、鉛のような重たい声音で雪菜が話し出す。


「あたしはね、神沢くんの言ってたように全然割り切れないんだよね……」


 胸を貫かれるような感覚になる。B棟がなくなるってことを、どうして雪菜が割り切れないんだ。あの場所を雪菜は嫌っていたじゃないか。脳内で自分の声が流れ続けるのに現実の俺は何も言えずに雪菜の話しを聞くことしかできない。


「クリスマス・イブの夜。きっと楓ちゃんはレイちゃんに「あたし達は大丈夫」って伝えたくてあんなことしたんだと思う。その気持ちがみんなに伝わって、大丈夫みたいな雰囲気になった。でもね、あたしは全然大丈夫なんかじゃないって思ったの。あたしがあのとき言ったように、あたしなんかよりも拓真のほうがずっとあの場所にいて沢山の思い出があるって分かってるのに……。B棟がなくなるってアンちゃんが言ったとき、レイちゃんみたいにあたしも叫びたかった」


 一息で言った雪菜は息を整える。冷たい空気を吸ったり吐いたりして、最後に吐かれた真っ白な息が消えるとき強い瞳で俺を見ながら言ったんだ。


「あたしもB棟三階右端の教室が好きっ! なくなってなんかほしくないっ! あの場所がなかったら、あたしはずっと拓真に自分の気持ちが伝えられなかったっ! あの場所がなかったらあたしに勇気をくれたみんなに出会えなかったっ! あたしにとっても、あの場所は特別なんだっ! って……、本当は言いたかったんだよ……?」


 せっかく整えたのに叫んだせいで雪菜の息が荒れている。何度も何度も吐き出され、たゆたう白い息を俺は見つめている。ぼんやりとした白い息は幻想の世界に誘ってくれるのかのように思えた。だが、


「それだけじゃない。今のあたしは夏蓮ちゃんのことだって心配だよ」


 一之瀬……。


 逸らしていた視線を自然と雪菜に向けてしまっていた。眉間に皺を寄せながら辛そうに俺を見つめる雪菜。その顔を見ても俺は何も言えずに、ただただ目を伏せ俯くことしかできなかった。


 俺はいったい何をしたいんだ。B棟の取り壊しを嘆けばいいのか? その融資をしたのが一之瀬財閥だと知って怒ればいいのか? 俺にはわからない。だって、今の俺は大切なものを全部手に入れたから……。これ以上、何か求めるものなんてないから……。


「ねぇ拓真。拓真は夏蓮ちゃんが心配じゃないの? きっと夏蓮ちゃんはB棟がなくなることもう知ってるよ? きっと独りで心細いって思ってるよ? そんな夏蓮ちゃんが拓真は心配じゃないの?」


 心配に決まってんだろっ! アイツが心細いって思ってるとか、俺に助けを求めてることなんて分かってんだよっ! 一之瀬は俺みたいな天才じゃない。不安で不安でしょうがない気持ちでいることくらい俺だって分かってんだよっ!


「ねぇ拓真っ!!」


 感情が現実についていかず俺の叫びは思考の中に取り残されたままで、それが本当の自分の叫びなのかさえ分からなくなってしまっている。


 雪菜の怒号に似た叫びは俺の耳にも届いていた。だけど、それに応えれば俺は答えを出さなきゃいけなくなってしまう。このまま何もしなければB棟がなくなるだけで、他には何も失わない。


 ちゃんと俺は雪菜に言わなきゃ、雪菜は俺の大切な家族だから……。


「なに熱くなってんだよ。このくそさみー日によくやる。ほら、アン子とレイが待ってんぞ。はやく神社に行かなきゃあいつ等が凍えち━━」


「あたしの知ってる拓真なんかじゃないっ!!」


 怒号に似た雪菜の叫びは本物の怒号へと化し、その勢いに負けた俺は黙り込んだ。


「あたしを守ってくれた拓真はどこのいったのっ!? あたしのヒーローはどこにいったのっ!! ねぇ……、昔みたいに守ってよ……。あたしがあの男に殴られて苦しかったときみたいに守ってよ……。昔のヒーローの拓真のように、夏蓮ちゃんも守ってよっ!!!!」


 雪菜の怒号に周囲を歩いてる人達が見ている。立ち止まりながら見ている者から、歩きながら視線を隠すように見ている者と様々だった。新年を迎えて浮かれている連中には悪いが、きっと俺等はそれどころじゃないんだ。


 ずっと雪菜は白い息を吐き続けている。何度吐いたから分からないくらい白い息が雪菜の周囲を覆う。感情が高まってしまったのか、うっすらと額に汗をかいているように見えた。


 だが、俺は体が温まってしまった雪菜とは正反対に強い寒さを感じている。


 凍えそうだ。寒い、寒いと思いながら俺は拳を強く握り締める。下唇を噛み、悔しさを露にしているが何も言葉がでてこなかった。


「答えてよ、拓真っ!!」


「俺だって……」


 食いしばるように歯を噛み合わせる。それと同時に更に強く握り締めた拳が痛いと感じた。だけど、とめられなかった。


「俺だってどうにかしたいって思ってるよっ!! だけど、どうにもできないことだろっ!? B棟は取り壊されるけど、神沢が言ったように俺らの絆はなくならない。それでいいんじゃないのかよっ!!」


 雪菜同様に俺からも白い息が何度も何度も吐き出され、その白い靄が消えるたびに自分の思い出が消えていってしまうような感覚になる。


 もう周囲の存在を気に留められるほど、俺は冷静ではなかった。


「B棟がなくなるのは丁度良かったんだよ。俺たちはあの場所に、B棟三階右端の教室に依存してた。あの場所がなきゃ駄目になっちまうって思ってた。だけど、もう俺等は独りじゃない。あの場所がなくなっても繋がっていられるんだ……」


「依存してるのは、拓真と夏蓮ちゃんだけだよ……」


 聞いて俺は雪菜を見る。再び目を伏せた雪菜はさっきの俺のように下唇を噛み、拳を強く握り締めている。そんな雪菜の姿をみて俺は踵を返し、無言のまま歩き始める。


 辺りを数人の足音が響くせいか後ろから雪菜が歩いてきているのかは分からない。それでも俺は振り向かずに歩き続ける。


 依存してるのが俺と一之瀬だけってどう意味なんだよ。雪菜だってなくなってほしくないとかさんざん喚いてたじゃねぇかよ……。それに、どうして今の俺はこんなにもイライラしてんだよ……。


 その後、俺と雪菜は終始無言のままだった。永遠のように続いてしまうのかと思えてしまう長い時間をかけて、神社についたときにはアン子とレイが待っていた。


 普段と何も変わらない態度で接してくるレイだったが、俺と雪菜の表情を見て気を使ったのかその後はずっと無言のままだった。


 アン子は初めから気がついていたのか、俺と雪菜が到着して「あけましておめでとう」と言ったきり何も話さず、いつも通りふざけているレイを止めるわけでもなく、ただただ俺等と一緒にいてくれた。


 無言なのまま鳥居をくぐり階段を上る。少し上っていくと広場がでてくる。


 祭りのときのように辺りが所々に灯され、簡易的な小屋掛けがいくつもあって、笑顔を振りまきながら巫女さんの着物みたいな上下が紅白になっているものを着ている女性が食べ物や飲み物を振舞っている。甘酒の香りと豚汁の香り。甘味と塩味が交ざった不思議な香りが俺の鼻腔を刺激した。


 年越し蕎麦を食べてきたからなのか腹の虫が泣きだすことはなく、俺は何も見えなかったように境内へ続く階段へと向かっていった。


 境内に向かう階段は多少の混みを感じたが、階段の途中で止まってしまうほど混んでもいなかった。だたゆっくりと階段を登りながら頂上を見たり帰ってくる人達の顔を見たりと、呆れてしまうほど意味のない行為を繰り返した。


 すると、俺の隣にレイがやってきた。


「おい、拓真。なにかあったのかよ?」


「別に何もない」


「はぁ……。お前とユキがどうのこうのしたのはいいけどよ。お前等が静かだと杏子が気にするからやめてくれ」


 こともあろうこと親友の城鐘レイくんは幼馴染のことではなく、最愛のアン子様の心配をしてらっしゃる。まぁそれが当たり前だといえば当たり前なのだが。


 レイの言葉を聞いた俺は苦笑しながら言い返した。


「そんなにアン子が心配なら隣にいてやれよ。俺と雪菜は大丈夫だから。別に喧嘩っていう喧嘩をしたわけじゃない」


 俺がそう言うと「あっそ」と言いながらレイはアン子の傍へと戻っていった。

 

 数段先をアン子をレイが歩く。俺の数段後ろを雪菜が歩く。


 初詣。一年の計は元旦にあり。俺はこの階段を上りきったあと、何をお願いするのだろう。今さっきの雪菜との喧嘩をなかったことにしてほしい。B棟の取り壊しをなかったことにしてほしい。


 きっと違う。


 俺の願いなんて本当にちっぽけで、いつもいつも俺は俺のことしか考えていなかった。だけど、無病息災、恋愛成就。当たり前の願いすら今の俺には浮かんでこない。


 『私は自分の才能がないものを探したいの』


 一学期の春。B棟三階右端の教室で出会った天才少女の声が俺の頭に木霊した。その声を聞いて笑みが零れそうになる。


 だって一之瀬は天才少女なんかじゃなくて、一之瀬財閥という大金持ちの家に生まれた、ただの凡人だったんだ。きっとあのころから、俺と一之瀬の願いは真逆だったんだな。


 俺は天才じゃなく凡人になりたくて、一之瀬は凡人じゃなく天才になりたかった。それは紛い物ではなく本物の凡人と天才に……。


 俺等は弱かった。自分の願いを貫き通すことができなかった。だから本物の天才と凡人になれなかったんだ。俺は天才と凡人を受け入れ今の幸せを感じることのできる俺になれた。でも、一之瀬は凡人を受け入れられているのであろうか……?


 雪菜が言ってたように、今の一之瀬は独りで苦しんでいるのではないのか。どうして俺は大好きな一之瀬の隣にいないんだ……。


 思考の海に呑み込まれそうになった俺を現実世界へと戻したのは階段の終りだった。


 俯いていた顔を上げると広場よりも狭いが開けた場所が現れる。社の前には沢山の人が群れをなし、願いを言うのは今か今かと待ち遠しいといった楽しげな表情を浮かべている。


 社の周りとこの場所を囲うように沢山の木々は新年を迎えた俺等を出迎える。葉に雪は残っていないが、木々の根元にはまだ溶けきっていない雪が銀色の光を放ちながら笑っているような気がした。


 階段を上っているときは然程混んではいないと思ったが、社の前に来て思うのは、結構混んでいるだった。


 だが何時間も待つような大きな寺や神社ではない。十数分待てば賽銭を入れて願い事を神様に言うことができる。


 沢山の人達の背中を見ながら俺は自分の願いが決まっていないことに気がつき思考する。


 何も決まっていないということならば、先程も述べたとおり無病息災でいいじゃないか。健康でいることはとてもいいことだ。だけど、それを許さない感情が自分の中の深い所で蠢いているような感覚になる。


 俺の願いはなんなのだろう。深く考えても今の俺には分からないことで、それじゃなくてもあまり時間がないのに願いを決めるなんて無理強いにも程がある。


 だけど、この自分の中の深いところの蠢きが俺は分からないわけじゃないんだ。自分の中で芽生えた自分の気持ちや願い。それを認めるのが怖いだけで、本当は分かってる。


 一之瀬を守りたい。一之瀬を助けたい。一之瀬を幸せにした。一之瀬を笑顔にしたい。一之瀬を……。


 長いようで短い自分の思考を遮ったのは、賽銭箱の前にまで辿り着き大きな鈴をガラガラとならす雪菜に気がついたときだった。


 我に返るのが遅かったのか、雪菜は既に手の平を合わせながら目をつむり何かをお願いしている。俺はそんな雪菜を見て慌てて手の平を合わせた。


 目をつむり自分の願いを再び思考する。一之瀬のこと、B棟のこと、みんなのこと。沢山の想いが重なり合って何が正しい願いなのか分からなくなってしまう。だけど分かっているんだ。自分がなにを願いたいのか。


 そう俺の願いは……。

 

 

 

 

 

 

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