40 後編4 (拓真)
冬祭りの喧騒は嫌なものではなかった。二学期という呪縛から解放された生徒達の楽しげな声に、愉快な気持ちを増幅させてくれる音楽。その全てが調和を生み、キラキラと輝いた世界へと変貌させていた。
生徒の声や音楽だけではない。簡易的なものであったとしても出されている食事も美味しい。飲み物はシャンパンを模倣したジュース。甘いが爽やかな風味が広がり微炭酸が喉を刺激する。
これが大人かと言われれば違うのかもしれないが、この特別な瞬間で大人に近づきたいと願って少しだけ背伸びしても誰にも咎める事はできないだろう。
結局、サプライズを用意された俺と一之瀬はここにいる全員の前で踊る羽目になってしまった。ゆったりとしたピアノの旋律を聴き滑らかなステップを踏む。
男の俺が一之瀬をエスコートしなきゃいけないのはわかっていたが、なんせ初めての経験だ。一之瀬の誕生日のときに見たとは言え、なれるまでに少しの時間がかかった。
俺を小ばかにしながらも一之瀬は笑みを浮かべながら俺を先導する。そのうち慣れた俺が一之瀬のことをエスコートしダンスは終わった。
きっと綺麗なものではなかっただろう。一之瀬の誕生日のときに踊っていた奴等はもっと優雅だったようなきがする。だが、俺と一之瀬のダンスが止まりピアノの音が消えた静寂ののち、大きな歓声が上がったときは二人で驚いた。
それと同時に優越感ではない心が満たされる気持ちでいっぱいになり二人で笑い合った。その後は吹奏楽部が奏でる軽快な音楽の中、みんなが踊っていた。
生徒会長の下柳が言ったように踊り明かす勢いが伝わってきた。
そんな熱気から逃げ出すように俺と一之瀬は体育館から出て、今は澄み切った冬の空気を満喫しています。
「おぉさみぃ」
体育館内の熱気とは相反し、外の空気はとても冷たく澄んでいる。俺は自分の身体を自分で抱き、わかっていながらも空へと息を吐く。真っ白になる自分の息が霧散し消えていくのを見ながら、雲に覆われ消えてしまった月と星達の残り火を感じていた。
「あら、寒いかしら? 今までの熱気で身体が火照っているせいか、私はとても涼しく感じるわ」
「確かに涼しいと言われればそうかもしれないが、これは普通に寒いだろ。つか、コート着なくて大丈夫なのか?」
俺はスーツのジャケットを着てきた。だが一之瀬はキラキラと煌く大きな海のような青いドレス姿のままコートも羽織らずに外の世界へと迷い込んでしまっている。
その姿を見て心配しない奴のほうが珍しいだろう。足元まであるドレスだが、肩から腕にかけては完全に露出してしまっている。すると一之瀬は微笑を浮かべながら俺のほうへと近づいてきて
「寒くなったらこうして温まるから大丈夫よ」
そう言い俺の腕を抱きしめるように掴み身体を密着させてきた。
急に感じる温もり。温かさだけではなく触覚を刺激する柔らかさ。不意の出来事に俺はどう反応していいのかわからず、一之瀬から顔を背ける。
「あら、もしかして恥ずかしがっているの?」
「べ、別に恥ずかしがってるわけじゃねーよっ! ただ、急だったからビックリしてるだけだ」
あきらかに恥ずかしがってしまっているのがバレてしっまっている。だが、一之瀬はそのまま俺の腕にしがみ付いて「うふふ」声を零しながら笑った。
近くにいる最愛の人。とても幸せな時間。空を見上げても、もう月も星も見えないのにどこかキラキラと輝いているような気がした。
そんな大切だと思える時間を感じているとき、一之瀬がゆっくりと俺の身体から離れていく。そして俺と少しだけ距離をとり、光の輝きを失ってしまった空を見えあげながら、
「ねぇ、小枝樹くん。今私はとても幸せだわ」
一之瀬の声音は言葉と少しだけ噛み合わないように思えた。とても幸せだと言うわりには、楽しげな声音ではなく冷静すぎる声音。
俺が見えているのは一之瀬の後姿。綺麗に纏め上げられた綺麗な黒髪。少しだけ顔をだすうなじの妖艶さ。後ろで手を組んで空を見上げている一之瀬の姿はどこか切なさを俺に運んできた。
「本当にこんなにも幸せで大丈夫なのかと疑念が浮かんでしまうくらい、幸せだと感じているの。でも……」
言葉をきり一之瀬は振り向く。そんな一之瀬の表情は俺の身体に引っ付いていたときのような笑みではなく、真っ直ぐと俺のことを見る天才少女のもののように思えた。
一之瀬の視線が俺の瞳を射抜く。俺はその視線を受け止めても倒れてしまわないように、大地に足が着いているのかを再確認した。そして、
「私は、ずっと小枝樹くんに嘘を吐いていたの。だから、今からその話しをさせて」
罪を犯した子羊が神の前で懺悔するように、一之瀬はゆっくりと話し始めた。
「私は天才少女の一之瀬 夏蓮。私は一之瀬財閥の令嬢と同時に財閥の次期当主。それが当たり前のように私の中で形成されていって、いつのまにか疑問を抱くことすらやめてしまっていてわ。だかど私は一つだけ諦めきれなかったことがあったの。それが兄さんの最期の言葉よ」
少し前の一之瀬なら、この話をとても冷めた瞳で話していただろう。だが、今の一之瀬の瞳はとても優しくて、俺のことを見つめながらも遠くの何かを見ているような瞳をしていた。
一之瀬 秋の最期の言葉。『夏蓮、僕のようにならなくていい。夏蓮はもっと自由に、自分でいれば良いんだ』なんとも適当で無責任な言葉なのであろう。
だけど、今の俺なら一之瀬 秋がどうしてこの言葉を最期に残したのかわかる。だけどきっと、一之瀬はわかっていない……。
冷たい風が俺の髪を靡かせた。それは一之瀬も同じで、だけど靡く髪を気にも留めずに一之瀬は話しを続ける。
「でもね、今の私は兄さんの言葉の本当の意味を理解できなくてもいいと思えるの。だって自由に自分らしくいればいいのなら、私は何も迷わずに天才少女を求めてしまうから」
天才少女ではないと自らの口で言った一之瀬。それは天才少女じゃなかったという真実を伝える為の行為ともう一つ、本当の自分を知って欲しいため。
「それだけじゃない。私が求めているのは小枝樹くんも同じ。それに私を友人だと言ってくれたみんなも。私が私でいいと教えてくれたのは、なにも兄さんだけじゃなかったのよね」
切なさを纏っている微笑が強くなる。視線は俺から空間へと向けられ、沢山の情景をみているのだと認識する。その情景は辛いものではなく、とても優しいもの。
風が止み完全なる静寂が訪れる。遠くから聞こえてくる冬祭りの喧騒は今の俺と一之瀬には聞こえていない。二人きりの世界。
「ねぇ、小枝樹くん。貴方は兄さんの想いがわかったと言っていたけれど、いったい兄さんは私に何を伝えようとしていたの?」
不意な質問。静寂に身を投じてしまっていた俺は我に帰った。
「その、なんだ。一之瀬 秋はただ純粋に一之瀬のことを心配していただけなんだと思う……」
俺は嘘を吐く。真実を話してくれている一之瀬に俺は嘘を吐いているんだ。駄目だ。こんなのは答えなんかじゃない。真実を先延ばしにしているだけの逃げだ。
「ごめん一之瀬。今のは忘れてくれ」
「…………?」
不安が混ざった表情を俺へと向ける一之瀬。俺は自分の頭を掻き毟り、決意する。
「一之瀬 秋はきっと全部知ってたんだと思う。自分が死ぬ未来も一之瀬が苦しむ未来も……」
俺は知ってる。一之瀬 秋の願いを。だから一之瀬には伝えなきゃいけないんだ。逃げちゃいけないんだ。これからの俺達の未来のために。
「一之瀬 秋が死ぬ前の話しを俺は後藤から聞いた。俺だけじゃない、他のみんなも……。その時の話はあくまでも後藤の解釈も混ざってた。でも一之瀬 秋が後藤に言った最後の命令が……」
言ってしまって良いのかと躊躇してしまう。だけど
「『後藤。もしも僕に何かあった時、夏蓮の事を頼む』そう、後藤に言ったんだ……」
少しだけ体が震えているのがわかる。小刻みに動く自身の身体はまるで別の存在なんかと思えてしまえるくらい、思考と乖離されていた。
「兄さんが……、そう言っていたの……?」
か細い一之瀬の声音。悲しい、苦しい、辛い、痛い。そんな感情が伝わってくるように思えて、今の俺は一之瀬の顔が見れない。
せっかく楽しい冬祭りだったのに、どうしていつも俺等はこんな結末になってしまうんだ。もしも神様がいるのなら、もう許してくれないか。俺の犯した罪も一之瀬が背負った罰も……。
「あぁ、そう言っていたらしい。それと『後藤。夏蓮は弱い。だから僕以外の唯一を見つけて欲しい。夏蓮の隣で夏蓮を守ってくれる唯一を』これが一之瀬 秋の最期の言葉だ」
再びの静寂。耳が痛い。肌が痛い。張り詰めた空気が耳を痛め、生物の動きを止めてしまうくらいの冷気が肌を痛める。スーツのジャケットを羽織っている俺がそんな風に思えるんだ。肩から腕にかけて露出している一之瀬はもっと痛いだろう。
でも、今の俺には何もできない。
「兄さんが、そう言っていたのよね……?」
静寂を切り裂く天才少女の透き通る声。俺は驚きのあまり顔をあげ天才少女を見る。
そこには泣いている天才少女がいると思った。なのに、なのに、一之瀬は微笑んでいた。
「ねぇ小枝樹くん。兄さんがそう言っていたのよね?」
俺へと詰め寄る一之瀬。俺はその迫力に押され
「あ、あぁ。そう言っていたらしい」
本当に間抜けな声で言ってしまう。というか俺はもっと最悪な状況になるものだと思っていた。一之瀬が泣き、真実を知って何も考えられなくなる。そんな未来を想像していたのに、いったいなんなんだ?
「なら、私は唯一を見つけられたわ」
言った一之瀬は俺に抱きつく。そして
「私の唯一は小枝樹くんよ。私を部屋の外に出してくれたのは小枝樹くんよ。本当に兄さんのおかげで貴方という最愛の人に出会えたのね……。それが知れて、よかった……」
震える俺の身体を強く包み込んでくれるのは、ここで一番苦しいはずの天才少女で、何も出来ない俺は自分を責めることしかできないのに、この温もりにすべてを捧げてしまっていた。
安らいでしまう心。緊張の糸が解け、身体から力がゆっくり抜けていく。そして俺は思うんだ。
あぁ、俺は一之瀬が大好きなんだ。
鼻を鳴らし笑みが零れる。その音に気がついた一之瀬が俺の顔を見る。不思議そうな表情だ。どうして貴方はわらっているの、と今にも言い出しそうな表情をしている。
そんな一之瀬を見ているととても愛おしい気持ちが溢れだしてきて、それと同時にすこしだけ苛めたくなってきてしまった。
「なぁ一之瀬。話の本質からずれていることに気がついているのか?」
「話の本質? あぁ、そうね。私が嘘を吐いていたという話しをしていたんだったわ……。その、だから……」
「悪い。一之瀬が天才少女じゃないの知ってたんだわ」
バツが悪そうに言う俺の言葉を聞いた一之瀬は、切れ長な瞳を大きく見開き、口を半開きにさせて時が止まってしまったかのように硬直している。
そんな一之瀬を見ているのは実に辛い。言うタイミングがなかったとはいえ、このタイミングになってしまったことには申し訳ないと思っている。
ゆっくりと時間を動かし始めた一之瀬が
「し、知っていたの……?」
「だから、その……。後藤に一之瀬 秋の話しを聞いたって言っただろ? その時、一之瀬が天才じゃなくて凡人だっていうのも聞いたんだ。だから、俺だけじゃなくて、その……、みんなも知ってる」
言葉尻が近づくにつれ、俺の声が小さくなっていく。
すると一之瀬は俺の身体から離れ再び俺と距離をとる。その行動を見て少しだけ心配になってしまっている天凡な俺がいます。
だってそうでしょ? なんか気まずいこと言ったら、俺から離れていくんだよ? なんか嫌われたとか思っちゃうのが思春期だよね? 思春期だよねっ!? あぁ、もう嫌だな……。どうして言っちゃったんだろう……。
「ふふふ、あははははははははははっ!!」
やばい。一之瀬が壊れた。
急に笑いだす一之瀬の姿を見て俺は呆然とする事しかできなかった。なにがそんなにも可笑しいのか、そしてどうして急に笑いだしたのか。
疑問を抱けば抱くほど答えのでない半永久的なスパイラルが俺の思考を襲う。
駄目だ。このままじゃ何も解決にならない。
俺は生唾をゴクリと飲み、冬の澄んだ空気を吸い込んで言葉を発する。
「お、おい一之瀬……。な、なにがそんなに可笑しいんだ……?」
神様仏様、どうかまともな答えが返ってきますように。
「ふぅ……。急に笑いだしたことは謝るわ、ごめんなさい。でもね可笑しいじゃない。私達はずっと互いに嘘を吐いてきたのに、結局その真実を他者から聞いてしまうんだもの」
笑いすぎたせいか、一之瀬はその瞳に涙を浮かべ指で拭いながら言う。そんな一之瀬は美しい微笑みを浮かべ人工的な光しかないのに、その姿を輝かせて俺の心を魅了した。
「夏の、私の別荘に行ったときのことを覚えてる? あの時の最終日、私たちは互いに真実を言い合おうとしたわね。だけど花火の音のせいで何も聞こえなかった。そのあとすぐに城鐘くんが転校してきて小枝樹くんの真実を露見させる。そして私の真実は後藤から聞かれてしまう始末。本当に、私達は似たもの同士なのかもしれないわね」
一之瀬の言葉を聞いて思い出す。あの日の光景。
俺が熱をだして倒れた夏の旅行。そして最終日に無理矢理に一之瀬に連れ出された俺はバルコニーで一之瀬と二人になった。他の奴等は近くで開催されている夏祭りに出かけたって言ってたな。
そんな俺らは色々な話しをした。そして最後に二人の真実を言おうって事になったんだ。結局、一之瀬が今言っていたように花火の音に掻き消されて二人の声は虚空に消えていった。
過去の情景を思いだし、なんだか俺も可笑しくなってきてしまった。そして
「そうだな。あの時もタイミングが悪かったんだよな。一之瀬いうように俺等は本当に似たもの同士だよ」
そう言いながら俺は一之瀬の傍まで歩いていく。近くに寄ったときには上着を脱ぎ一之瀬に羽織らせる。一瞬、驚いた表情を浮かべる一之瀬だったが、その表情は刹那なことで、すぐさま羽織った上着を自身の手で握り締めていた。
再び訪れる静寂。その静寂は耳を痛めるような静寂ではなく心地の良い温かな静寂だった。見つめあい互いが互いを求めるような熱い視線を交差させる。
だがそのとき、間接視野になにやら白くて柔らかそうなものが浮遊しているのを俺は見た。
「おい、一之瀬。雪だ」
俺の言葉を聞いた一之瀬が空を見上げる。それと同時に俺も空を見上げた。
真っ黒な空。だがどこか鉛色を感じさせる仄かな色合いを見せていて、静まり返った空が俺等に送る真っ白な贈り物をシトシトと降り注がせていた。
風はなく真っ直ぐに落ちてくる白の結晶。とても寒いと感じているのに、嬉しくなってしまう幼い心がそんな寒さを忘れさせてくれていた。
何も言わずにただただ二人で白の結晶を見つめる。そんな静寂を俺が破った。
「なぁ一之瀬。この雪ってさサンタクロースからの少し早いクリスマスプレゼントだって思わないか?」
「はぁ……。どうして小枝樹くんはそんな恥ずかしい台詞をいとも簡単に言ってしまうのかしら……」
俺の台詞に呆れながら言い返す一之瀬。そんな一之瀬の言葉を聞いてなんだか恥ずかしくなってくる。きっと今の俺は頬を赤く染めているだろう。俯き、何も言えなくなってしまっている自分を客観的にみてそう思えた。
どうしよう。何も言い返せなくなってしまった……。なにか雰囲気のある良い台詞を絞り出すんだ天才の小枝樹 拓真っ!
だが、そんな言葉が簡単に出てくるわけでもなく、一之瀬に先を越される事になる。
「まぁでも、そういう貴方も素敵だと思うわ」
俺の顔をみつめる一之瀬の瞳は潤んでいた。キラキラと輝かせた瞳と寒さのせいなのか頬を少しだけ赤く染め上げる。そのとき
「あ、そうだ」
俺はクリスマスプレゼントという言葉で思い出す。不思議そうに俺の顔を見ている一之瀬をよそに、俺はスーツのポケットに手を突っ込んだ。そしてその手をポケットからだし、一之瀬の腕を掴む。
「サンタクロースの話はなかったことにして、これは俺からの少し早いクリスマスプレゼントだ」
一之瀬の細い手首に輝く歪な銀色。鉛のような安っぽく鈍い輝きを放ちながら、降り注ぐ白銀の光を反射し世界を少しだけ明るくさせた。その光で俺は目を細めながら驚いている一之瀬に言う。
「せっかくのプレゼントなんだ。だからもう返すなよ」
今の俺の言葉を一之瀬が聞いているのかはわからない。でも、自分の手首で鈍く輝く銀細工を大切そうに握り締めて、嬉しそうに微笑んだ一之瀬だけはわかる。
刹那の時間が過ぎ一之瀬が口を開いた。
「本当に願いが叶ってしまったのね……。私の願いが……」
「何言ってんだよ。一之瀬の願いが叶ったか叶ってないかを決まるのはこれからだろ? それでも俺は一之瀬の隣から離れるつもりはねーけどな」
そう言いながら一之瀬の頭を俺は撫でる。嫌がる素振りも見せず、まるで猫のように気持ちよさそうに目を細める一之瀬。
そして再び見詰め合う。降り注ぐ白銀の結晶を視野の端に映しながら、ゆっくりと一之瀬だけしか見えなくなり、薄く紅を塗った一之瀬の唇へと俺の唇を近づけた。
俺の行動を咎める事もせず、受け止める態勢になる一之瀬。そして俺と一之瀬の唇が重なり合いそうになるまさにその瞬間。俺は大事なことを思い出し、一之瀬と少し距離をとった。
「どうしたの、小枝樹くん……?」
不安げな表情で俺の名前を呼ぶ一之瀬。だが、今の俺は確かめなくてはいけない事がある。それは、外野がどこかで俺等を見ていないかというとだ。
冬祭りが始まる前に一之瀬と今と同じような雰囲気になった。そのときの状況をアイツ等全員見ていたんだ。もうそんなヘマはしない。
「ねぇ、小枝樹くん……?」
「待ってろ一之瀬。ちゃんと確認しなきゃいやないんだ」
「いったいなんの確認をしているの?」
「そんなの決まってんだろ。さっき俺が学校に着いたときも同じような雰囲気になっただろ? そのときの状況をみんなは全部見てたんだよ」
俺は右左、上下と色々な場所へと視線を送って誰もいないかどうかを確認する。
でも待てよ。確か俺は、さっきみんなが見ていたことを一之瀬には内緒に……。
「あのシーンをみんなが見ていたの……?」
とても低い声音で発せられる一之瀬の言葉。俺の後ろに立っている天才少女が悪魔大元帥へと変わる瞬間だった。恐怖を抑えつつ俺は振り返る。
そこには、顔を真っ赤に染め上げながら怒りを押さえ込んでいる悪魔大元帥様のお姿があった。恥ずかしさと安易な行為をしてしまった自分の愚かさが入り交ざっているような、そんな表情を一之瀬、もとい悪魔大元帥様がいる。
「お、お、おい。落ち着け一之瀬。別に悪気があって見たわけじゃないと思うんだ。だから、その……。死人だけはださないでくれ……」
この発言は精一杯のみんなへの配慮だ。ここで俺が何も言わなければ確実に死人がでる。
「えぇ、大丈夫よ小枝樹くん。死人なんてださないわ。生きたまま殺すだけなのだから」
怖いよぉぉぉ。この天才少女怖いよぉぉぉ。だけどこの人が俺の恋人なんだよぉぉぉ。
でもなんだか、いつもの俺等らしい光景だとなんとなく思えてしまった。肝心なときにタイミングが合わなくて、くだらないことで怒って笑って、決めなきゃいけないところで決めきれない。
だけど、俺はそんないつもの日常が好きだ。
「まぁまぁ本当に落ち着け一之瀬。辺りには誰もいなそうだから」
「いないからって落ち着けるわけないでしょっ!? さ、さっきの現場を、み、みんなに見られているのよっ!? どうして小枝樹くんはそんなに落ち着いていられるのっ!?」
「なんか、俺等らしいって思ったんだよ。せっかくいい雰囲気でキスできるかもしれないのに、そんな雰囲気ぶちこわして、こんなくだらないことで恥ずかしがって笑ってる」
俺の言葉を聞いた一之瀬はゆっくりと冷静になっていった。
「そうね。いつもいつも、上手くいかなくて空回りばかりで……。でもやっと、私達は私達でいられるのよね」
「そうだよ。だからこれから始まるんだ」
見詰め合う。その瞬間がきたのだと俺と一之瀬は感じた。
きっとすごく遠回りをしてきたんだって思う。だけど、ここに至るまでの遠い道のりは決して無くてもいいものなんかじゃなかった。
傷ついて苦しんで、何度も何度も互いに傷つけあっては笑い合って……。それが当たり前なんかじゃなかったから、今の俺等はここで見詰め合える。無くしたものを取り戻そうと足掻いた凡人と、無くしたものを受け入れようと藻掻く天才。
触れ合うこともなかった錆びだらけの歯車が、奇跡という神様の悪戯で出会い、ゆっくりとその錆をおとしていった。そしてようやく綺麗になった歯車が、互いの時間を動かそうと廻りだす。
そして俺と一之瀬は同じことを口にした。
「「本当の自分達の時間が……」」
静寂は甘味のような心地良さだった。触れ合う柔らかな感触は一つになれたことを俺の身体に信号し全身を痺れさせる。
止まってしまったかのような時間のなか俺と一之瀬は互いの気持ちを抑えることなく、強く熱くその唇を合わせ続けた。二人の唇が離れれば、
「ねぇ、小枝樹くん……。もう一回……」
返答をするよりも身体が動く。つやつやとした艶めかしい一之瀬の唇を俺は何度も、何度も、何度も、何度も……。
唇を合わせた瞬間の吐息も、俺を求めるように強く抱きしめられる腕も、零れ落ちる一之瀬の甘い声も、全部が愛おしい。このまま時間がとまって二人だけの世界に行ってしまってもかまわないとさえ思えてくる。
唇が離れれば数秒のあいだ見つめあう。半開きになった妖艶な少女の瞳は俺の理性を壊していき、再び甘い接吻をする。
何度も何度もしているうちに俺も一之瀬も物足りなくなってしまい、最後には互いの唇を貪るような溶け合うキスをする……。
寒い冬に熱を帯びた二人の高校生。互いの本当を求め合うように、天才と凡人は心を通わせる。
どうも、さかなです。
えっと今回で第八部が終了しました。
はい、凄く長かったです。私のうp率が低下していたせいで読者様には迷惑をかけたことをお詫び申し上げます。
それに今回は最後のほうがなんかとてつもなく長くなってしまって……。
本当はもっと短かったんですよ? でもなんか全然話しがすすんでくれなくて……。
という言い訳をしても駄目ですよね。反省してます……。
ですが、無事に第八部も書き終えることが出来たので良しとしましょう。
今回の話は自分の中で凄く書きたかったシーンが多かったので、書いててとても楽しかったです。
冬祭りのシーンがあんなに長くなるとは思いませんでしたが……。
やっと夏蓮と拓真の気持ちが繋がりあえて私も嬉しい限りであります。
ということで第八部を終了します。
次からは第九部ということになりますね。
物語りも終りに近づいていますので第九部もお楽しみにしてください。
『天才少女と凡人な俺。』を読んでくれている皆様本当にありがとうございます。
でわ、さかなでした。