40 後編2 (拓真)
またまたすみません。
後編を二つに分割する予定だったのですが、あまりにも話が長くなってしまったので三分割にしたいと思います。
本当にすみません。
終業式を終え二学期をすべて終わらせた俺等は冬休みを向かえる。
夏の厳しい残暑から数ヶ月。文化祭や修学旅行を経て、あの暑さが恋しいと思えてしまうくらい寒い二学期の終わり。
終業式だけの午前授業を終え俺等は岐路についた。帰る前に学校で放課後の冬祭りの話しをし学校で合流する事になった。
冬祭りの開始時刻は午後六時。今年の冬祭りには簡易的なドレスコードがあるのでしっかりと正装をしていかなくてはいけない。だが、女子はドレス男子はタキシードといった堅苦しいものではない。純粋にスーツを着用すれば事足りるくらいのものだ。
家に帰ると受験生である妹のルリが俺に泣きつく。
「ねぇねぇお兄ちゃん。あたしも遊びにいきたいよぉ。冬休みを満喫したいよぅ」
ベタベタと引っ付いてくる妹。確かにここで泣きそうな顔をし哀願するように俺に抱きついてくるのは間違いなく妹である。だが俺とルリは血が繋がっていない。いわば結婚することだって可能になってしまう。
歳は二つ違いの中学三年生。一般的に言えば普通に子供だ。だが、どうしてなのかルリの発育はとてもいい。
中学三年生とは思えないほど出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる。なので妹と同様に思春期な俺は少しその、恥ずかしいというか、色々と身体に当たってなんというか……。
ということを考えているだけで兄失格なのはわかっています。なので俺は自分の身体からルリを引き離し
「遊びたいのは分かる。それに冬休みを満喫したいのも分かる。だけどお前は数ヵ月後に迫った受験勉強をしなきゃいけないんじゃないのか?」
こんな厳しい事を兄は言いたくありません。だって、だって……。
潤んだ瞳で妹が見つめてきているんですよっ!? 本当はもっと優しくしてやりたいよっ! お願いされればブランドのバッグを買ってしまうよっ! ルリはそれくらい俺にとって可愛い妹なんだよっ!!
「お兄ちゃん……」
やめろ。やめてくれっ! これ以上、兄に罪を犯させないでくれっ!!
「はい。そんな目をしても駄目。お前はしっかりと勉強するの」
「ちぇっ。なんだよなんだよ。自分だけ楽しもうとしてさ、お兄ちゃんは白状なんだよ。はいはい、勉強すればいいんでしょ、勉強すれば」
はははははは。わかっていましたよ。妹が演技をしている事くらい分かっていましたよ。なんたって俺は天才だからっ! なんたって俺は天才だから。天才だから……。
どうして俺は後悔してるっ!? 相手は妹だぞっ!? 確かに身体の感じはその良い感じなのだが……。それでも妹に邪な考えを浮かべるのはいけないことだっ!
思春期な男子だからと言って倫理を反してはいけない事くらい俺はわかってる。だって天才だからっ!!
脳内に響き渡る俺の叫びは誰にも聞こえず、家の玄関で一人寂しく悔し涙を流しながら立ち尽くすことしかできなかった。
疲れきってしまっていた。それは自分の無駄な思考によるものなのだと理解している。なんだが帰ってきてから二階にある自分の部屋に着くまでがとても長く感じた。
項垂れている俺は自室に入ると適当に鞄を置きおもむろに制服を脱ぐ。ブレザーをベッドの上に放り投げ、ワイシャツのボタンに指をかける。
気だるそうにその行為をしているのが自分で分かる。俺はゆっくりとワイシャツのボタンを外し、それが終わるとワイシャツを脱ぎブレザーと同じ場所へと投げた。
絶妙に重なるワイシャツとブレザーを横目に、俺は半裸のままクローゼットを開ける。
沢山あるわけではない。だが少なからず思春期の男子がもっている流行の服が陳列するその空間を俺は真剣な眼差しで見つめた。
見て分かるものではない。ただ少しだけ躊躇している自分がいるのを感じた。
俺は本当にこの服を着て冬祭りに行ってもいいのか。それはアイツを辛い記憶を呼び覚ますだけの行動ではないのか。つまらない考えを捨てて当たり障りのない格好で行けばいいんじゃないのか。
脳裏を巡る自問自答。答えが出るものではないのは自分で分かっている。それは結果が答えになってしまうから。どちらを選べば正解なのかという疑念が渦巻く不確かな選択。
今の俺ならどちらを選択する。
繰り返される自問自答は時間の感覚すらも狂わせていく。昼過ぎに帰宅したのに気がついてみれば二時間もの時間が経っていた。
冬祭りまであと数時間。俺は決めなきゃいけない。だが、このままでは沢山の思考が巡り、なにも考えられなくなると思い俺はベッドに横たわった。
シーツの感覚が肌を直接刺激する。冷たいと感じるのは冬だからなのだろうか。暖房をつけていても冷えているシーツを冷たいと感じるのは極々自然だ。
身体をひんやりと包み込むシーツ、その正反対に適温を保とうとしてくれる暖房器具。あまりにも気持ちのよい空間。俺はゆっくりと目を閉じる。
淡い記憶の海が広がり俺の心はゆっくりと落ちていった。触れれば消える記憶の塊を見て、今の俺は恐怖を感じる事はない。だって俺の記憶は消えないから。
笑って泣いて喧嘩して、異常なまでに盛り上がってしまったテンションを一緒に分かち合って、雨が降ったのならやむまで待って、太陽が出てきたらまた一緒に笑うんだ。
記憶というものは美化されてしまうものなのかもしれない。思い出される記憶の中で笑っている一之瀬はどれも可愛くて綺麗だ。
笑っているときだけじゃない。怒っているときも泣いているときも辛そうにしているときも全部全部、可愛くてしかたがない。本当に、俺は一之瀬に惚れてしまったんだろう。
一学期の時からの記憶を遡ってもすべてが綺麗だ。
違う。一回だけ俺は一之瀬の笑顔を救えなかったときがある。華やかな空間で綺麗なドレスを着た一之瀬の笑顔は偽者だった。
そうだよ。俺は一之瀬にあんな想いをして欲しくないって思ったんだよ。だったら俺が着ていくスーツは決まっている。
目を開けたときにはさらに時間が進んでいて、今までの自分の思考が夢なのか現実なのか分からなくなってしまっていた。だがそんなことはどうでもいい。
眠ってしまっていたかもしれない気だるげな身体をベッドから起こし、俺は再びクローゼットとにらめっこ。その勝敗は刹那のうちに決まり、手を伸ばした服に着替えて俺は学校へと向かった。
冬は陽が落ちるのが早い。家を出たときには深いオレンジと淡い紺がグラデーションのように空を覆っていた。視覚を美しい色で犯されながらも身体は寒いと素直に感じていた。
スーツにコート。それにマフラーもつけている。長いコートは少し冒険してベージュ。巻いているマフラーは深いワインレッドに軽く白が混ざった当たり障りのないもの。
外に出て一回、震えながら自身の身体を両腕で抱きしめる。だが、その寒さにもすぐに慣れ俺は歩みは始めた。
普段聞きなれない革靴のカツカツという足音。大人の階段を一歩上がったみたいな高揚感に包まれる。嬉しいという感覚とはまた違って、立った一歩でもあの人に近づけたような気がしていた。
同じ天才なのに全く違う。天才の俺ですら憧れの気持ちが生まれてくる。それを間近で見ていた一之瀬や春桜さんはどんな気持ちで生きていたのだろう。
辛かったのであろうか、はたまた楽しかったのであろうか。過去の話しをしている時の二人は楽しい思い出をなかなか語ってはくれない。ただ今での脳裏に焼きついては消えない彼の最期を悲しい瞳で語ってくれるだけだ。
俺にはその過去に行く事はできない。六年前、一之瀬家に襲い掛かった悲劇。一之瀬 秋の死。
同じころ、俺も苦しんでいた。六年前に親友と家族を失っていたから。
きっと叫んでいた。俺も一之瀬も、叫んでいた。声にならない想いを叫びながら、枯れることのない悲痛を嘆き続けてきた。
同じ時間、同じ季節、同じ年。異なる場所、異なる空間、異なる生き方。なのに俺等は不思議と出会い、笑い、喧嘩し、泣き、そして恋をした。同じような境遇なのに全く違う結果を作り上げ、正反対の道を歩んできた。
交わる事すら皆無に等しい世界の中、やっと俺等は俺等でいられるんだ。
学校に近づいていくにつれ、うちの学校の生徒らしき奴等の正装が目につく。みんなこれでもかといわんばかりにお洒落をして、冬祭りを楽しみにしているのが見ているだけで伝わってくる。
息を吐けば白く、空を仰げば散りばめられた瞬く星々。その輝きが照らしだす、思春期の一夜の夢。
それはきっと、誰もが望んでいる幻想の中の瞬きなのであろう。一瞬の煌きを求め、思春期は無限の可能性に手を伸ばす。
冷たい空気が灰を焼きそうになり現実に戻る。ゆっくり歩いていたはずなのに、気がついてみれば学校の門まで辿り着いてしまっていた。辺りにいる生徒の数からして、俺の到着は最後のほうだったのだろう。
きっとみんなは体育館で待っているはずだ。さっさと言って遅くなってしまった言い訳でもしよう。
このあとの未来を想像し笑みを浮かべる俺は学校の門を潜る。敷地内に入った瞬間に空気が変わったような気がした。それは悲観的なものではなく、多くの人が生んだ高揚感の熱気。寒いはずの外気の温度が上がったような気がしたんだ。
きっと俺もワクワクしている。今日という日を忘れないために、冬祭りの記憶を身体に刻むのであろう。
学校の門を潜り俺はふと後方へと振り返る。俺の見えた光景は、きっと普段と変わらない静かな夜の風景。それが意味するのは学校に辿り着いた生徒の最後が俺だということ。
ゆっくり歩きすぎてしまたのか、先程まで周囲にいた生徒の姿が全くない。その光景を目にし俺は再び前を向いた。
月と星の光が学校の校舎を幻想的に照らし出す。空の漆黒はうっすらと青のように見えて、今夜が特別なのだと思わせてくれる。冬の澄んだ空気が世界の色までも変えてしまったのかと思うと不思議な気持ちでいっぱいになった。
上げていた視線を落とす。だが、歩みを止める事はない。早く体育館へと行かなきゃいけないという気持ちと、摩訶不思議なこの世界にずっと残っていたいという気持ちが交差する。
その時、一つの光が俺の瞳を刺激した。それは月の光が反射してたまたま俺の瞳へと入ってきたもの。眩しくて瞳を細める。その光に慣れてきた俺の瞳はゆっくりと開き、一面の青を瞳に焼き付けた。
美しく煌びやかな青いドレス。単色の青ではない。所々にグラデーションがかかり、濃い青と淡い青が入り交ざっていて、まるで大きな海のように見えた。
このドレスを見るのは一度目ではない。二度目なのにもかかわらず、俺は純粋に魅了されてしまっていた。そして思う。豪華な照明なんていらない。ただ月の明かりがあるだけで、こんなにも美しく輝くことが出来るのだから。
止まってしまっていた歩みを再開し俺は彼女に近づく。微笑を浮かべる彼女の顔が見えた。綺麗な黒髪を纏め上げている。うっすらと化粧をしているのか普段とは違う妖艶な雰囲気を感じた。
そして彼女の前で立ち止まる。
「なんだよ一之瀬。もしかして俺のこと待っててくれたのか?」
「えぇ。早く貴方にこの姿を見せたくて」
会話の出だしは普段と同じ。だが、愛しい彼女は俺の心を温めてくれる言葉を知っていた。
「だからコートも着ずに寒い中待ってたっていうのか?」
「そうよ。このドレス、覚えている?」
美しく潤む瞳で問う一之瀬。俺は小さく頷く。言葉はない。だけど俺の頷きを見て一之瀬は言葉を続けた。
「私の誕生日の日に着ていたドレスと同じなのよ。姉さんに無理を言って取り寄せてもらったの。あの日、このドレスを選んだ理由は兄さんが好きそうな色だったから。でも今は違う。もう一度、貴方にこの私を見て欲しかったから」
微笑む一之瀬の瞳は過去と現在を行き来しているように見えて、俺も自然と過去の情景が蘇ってくる。沢山の人が一之瀬を祝福し、誰もが幸せを感じることのできる空間で、一之瀬だけが笑っていなかった。
「どうして俺に見て欲しいと思ったんだ?」
純粋な疑問。誰もが抱くくだらない質問。
「貴方が言ったんじゃない。あの日の私は笑っていなかったって。だから聞きたいの、今の私は笑えているかしら?」
とても優しい笑顔だった。あの日、一之瀬の誕生日の日に見た偽りの笑顔ではなく、本物の笑顔。一学期から今日という日までに見てきた無邪気な笑顔。俺の大好きな一之瀬 夏蓮の笑顔。
「その質問に答える前に、とりあえず寒いからこれ着とけ」
俺は着ていたコートを脱ぎ一之瀬に羽織らせる。そのコートを肩の上から羽織、一之瀬は俺を見る。それは質問の答えを要求する子供のような瞳。だが、そんな無邪気な瞳は一瞬で消え去り、一之瀬は口を開く。
「小枝樹くん……。その、スーツ」
「着てくるか凄く迷ったんだ。このスーツを着ればまた一之瀬が苦しむかもしれないって思った。でも、考えてたことは一緒だったみたいだな。俺もあの日のことをずっと後悔してた。なにもできなくて無様な姿を見せた。だから、俺も一之瀬に聞いていいか? 今の俺は一之瀬の笑顔を守れているか?」
俺と一之瀬の身長の差は殆どない。なのに今の一之瀬は少しだけ小さく見える。俺の胸の中にすっぽりと納まってしまうくらい小さく見えたんだ。
そして俺は一之瀬に変わって微笑を浮かべる。俺の質問の答えなんて分かってる。きっとそうじゃなきゃ今日という日は来なかったから。
一之瀬の瞳は真っ直ぐと俺を見つめている。俺の服装を見てからずっと、驚いているのか切れ長な瞳を大きく見開き続けていた。そんな瞳にゆっくりと涙が溜まっていく。
そして一之瀬は、その涙を拭うこともせずに俺の問いに答えた。
「そんなの、当たり前じゃないっ!」
そう言った一之瀬は俺の胸に飛び込みしがみ付く。そんな一之瀬を俺は抱きしめる。
冬の寒さで冷たくなってしまっている身体。俺等はそれをゆっくりと温めあう。確かな温もり、確かな呼吸、確かな鼓動。今の俺は一之瀬の全部を感じている。
時間の流れなんて分からない。凄く長く抱きしめているような感覚でもあるし、その僅かな時間にも感じる。俺は一之瀬の体を引き剥がし、一之瀬の瞳を見つめた。
とても近い。少し顔を前に出せばおでこが当たってしまう。俺と一之瀬の距離。
「ねぇ小枝樹くん。私は貴方の質問に答えたわ。貴方も私の質問の答えを教えて」
涙で潤んだ一之瀬の瞳。寒さを忘れ互いに求め合う。ずっと知りたかった答えを。
俺は一之瀬の瞳に溜まった涙を手で拭った。少し強くしてしまったのか、はたまた泣いていたからなのか、一之瀬の目じりは少しだけ赤くなっていた。
「あぁ、とても綺麗な笑顔だ。一之瀬に涙は似合わない。だから、これから先もずっと俺の隣で笑っていて欲しい」
遠くから聞こえてくる楽しげな声。それは冬祭りの始まりを意味していた。だが、今の俺と一之瀬を取り巻くのは幸せな静寂。
俺の言葉に小さく頷く一之瀬の瞳には再び涙が溜まっている。その雫は悲しみを帯びているものではなく幸せの結晶で、互いが求めている温もりを輝かせた。
見詰め合うのは何度もしている。だが、瞳と唇を俺等は交互に見合っていた。冬祭りが始まり、ここにいるのは俺と一之瀬だけ。
その現実が二人の劣情を駆り立ててしまったのか、いや今の俺達が抱いている気持ちはそんないやらしいものではない。純粋に互いを求めているだけだ。
月明かりが俺等を照らす。スポットライトのように俺等だけを照らし出す月光は気持ちを高めるには最適の演出だった。
薄い口紅をつけた上からグロスを塗っているのか、一之瀬の唇はつやつやとしていて濡れた果実が目の前にあるような気がした。
ゆっくりと、だが確実に俺の唇が近づく。一之瀬をその行為を了承してくれたのか、瞳を閉じて待っていてくれている状況だ。もう止められることなんてできない……。
「お二人さん」
俺と一之瀬の唇が重なり合おうとした瞬間、近くから聞きなれた男子の声が聞こえる。その声に驚いた俺と一之瀬は身体をビクつかせ、ゆっくりと声が聞こえた方向へと顔を動かす。
「お熱いところ申し訳ないんだけど、もう冬祭りが始まっちゃったんだよねぇ」
ニヤニヤしながら言うのはレイだった。それにそれ以外に全員集合といわんばかりに見慣れたメンツがそこにはいた。
「しょ、翔悟くんっ!! 一之瀬せんぱいと小枝樹せんぱいが、き、キスをっ!!」
「よーしキリカ。お前は目を閉じて精神統一でもしてろ」
細川に翔悟。俺と一之瀬の行為に興奮してしまっていたのか、細川は顔を真っ赤に染め上げながら動揺していた。そんな細川の目を両手で隠す木偶の坊の翔悟。
「やっぱり小枝樹ばっかりずるいよなー。ねぇ斉藤さん、そろそろ神沢じゃなくて俺に乗り換える気になった?」
「すまない崎本 隆治。私は司様以外愛せない体質なんだ」
崎本に斉藤も普段通りのバカな会話をしている。他のみんなもニヤニヤしながら俺と一之瀬を見ていた。だが牧下も細川同様に顔を真っ赤に染めているのを俺は見逃していない。
全員集合といったところか。いつもと変わらない雰囲気が冷たい空気に混ざり合って俺と一之瀬を包み込む。だが、恥ずかしい所を見られてしまった俺等は言葉もでずに立ち尽くしていた。
「おいおい、なに二人とも黙ってんだよー。あれか、もうすこしで熱い接吻を交わせたのに、タイミングが悪いんだから。とか思ってんじゃないの?」
茶化すように言うレイ。こういうレイの性格を俺は良く知っている。だから別に怒る事でもない。でも一之瀬は
「城鐘くん……。私達を茶化すのはいいけれど、私の怒りの沸点は超えてしまったわ。だから、近々貴方の右手と左手を交換する手術をする事に決定したわ。異論は認めない」
「右手と左手を交換? おいおい一之瀬、天才だからって意味不明なこと言ってもいいってわけじゃないんだぞ」
ケラケラと笑いながら返答をするレイ。だが、この場で笑っているのはレイだけで、俺も含めて他のものは沈黙を選択していた。
現状の違和感に気がついたのか、ゆっくりとレイの笑い声もなくなり辺りをキョロキョロと見渡す。そして最後に一之瀬の方へと瞳を向けるレイが見たものは。
憤怒の感情だけが残された悪魔大元帥様の降臨。強い瞳でレイを睨みつける悪魔大元帥。そしてレイは蛇に睨まれた蛙の如く、その身体を硬直させてしまっていた。
「レイちゃん」
固まってしまったレイの肩に優しく手を置き、まるで女神のような微笑みで見つめる雪菜。そして
「次からは利き手を間違えないようにしなきゃね」
諭すように言う雪菜。その言葉を聞いて青ざめるレイ。
「お、おい一之瀬。嘘だよな……?」
「覚悟を決めなさい。城鐘くん」
震える声で言うレイに対し、一之瀬の表情は微笑んでいた。その微笑みは恐怖を倍増させるだけの効果がある。そしてレイは叫びながらその場から猛スピードで逃げ出していった。
ゆっくりと消えていくレイの叫びは「天才少女怖すぎだろぉぉぉぉぉっ!!」だった。
とりあえずレイを苛めて一件落着した俺等は笑った。楽しくて楽しくてしかたがない。月光が照らし出す思春期の形。それが偽りなのか本物なのかなんて今の俺等には分からない。
未来になってこの日のことを思い出し本物にするのかもしれない。だが、この瞬間みんなが抱いている気持ちは本物なのだと俺は信じている。
体育館へと向かう足取りのなか、俺はふと疑問に思ったことを雪菜に問う。
「なぁ雪菜。その、お前等はいったいどこらへんから見てたんだ?」
「どこら辺って?」
「だから、俺と一之瀬のやり取りだよ」
気になって仕方がない。キスをするタイミングで来たのであればまだしも、少し前から来ていたらかなり恥ずかしい場面を見られている事になる。あくまでも確認だ。俺はだた安心したいだけなんだ。
「あー、えっとね。確か、夏蓮ちゃんが「早く貴方にこの姿を見せたくて」って言ってるところくらいからかな」
一之瀬のモノマネをしながら雪菜が説明してくれた。その内容を聞いて俺の足が止まる。そして
「それって、途中とかじゃなくて最初からじゃねぇかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
俺の叫び声は霧散し、響きが薄く一瞬で消えてしまう。その声に驚いたのか他の奴等も俺の方へと視線を動かす。勿論、一之瀬も俺の事を見ている。だがこの話はしないほうがいいな。
もしも一之瀬にばれでもしたら、冬祭りが本物の血祭りに変わってしまう。それだけは避けなくてはいけない。
頭の中をクリアにし、俺は再び歩みを始める。そんな俺を不思議そうな視線をみんなが送ってきていることなんて今は気にしない。
何もなかったかのように歩き出す俺の姿を見ているみんな。その足は止まってしまっていて、ゆっくりと歩いていてもだんだんと距離が開いてしまう。そこで俺の歩みも止め、振り向いてみんなに言う。
「おい、もう冬祭りは始まってんだぞ。さっさと行こうぜ」
そう言い、照れ隠しのように俺は微笑んだ。