38 後編 (拓真)
慌しくなって公園内は後藤の一言で静寂に帰す。同時に起こる動揺は決められていた必然であり、偶然ではないのだと俺だけが感じていた。
星達は煌き月は闇夜を照らす。だがその事実はつい先刻までで、ゆっくりと光を遮る鉛色の塊。フワフワという優しいものではなく、重々しく見えてしまっているのは俺の心がざわついているからだ。
漣のように押し寄せてくる現実は俺の鼓動を早くする。自身の胸に手を当てゆっくりと早くなる鼓動を確認し、落ち着かせるために俺は空を見た。
鉛色の雲は既に星達を隠し、翳りがかかる心のように本当の自分を見せてはくれない。そんな空を見て俺は思った。
あぁ、雨が降りそうだ。
「夏蓮の過去? 夏蓮の真実? いったいアンタは何が言いたいのよ」
「心を落ち着かせてください佐々路様。これから話す事はそのような心構えでは聞き入れることの出来ないものの可能性がありますので」
怒りを抑えながら言う佐々路に後藤が答える。
後藤の話し方は普段とは違い落ち着いているような少しだけ低い声音。俺の知っている後藤はどこか俺の事をバカにしたような話し方をしていた。
そんな現実が後藤の決心なのだと嫌でも教えてくれる。もう、逃げられない。
「心構え……? ふざけないでよっ!! あたしはどんな事を聞いたって夏蓮の親友なんだからっ!! 夏蓮はあたしの大切な人なんだからっ!!」
「そのくらいにしておけ、佐々路」
「……小枝樹っ!?」
狂乱しかけている佐々路の肩に手を置き制止する。感触に気がついたのか、はたまた俺の声が聞こえたからなのか、佐々路は振り向き俺の事を見る。とても悲しそうな表情で。
そんな佐々路を振りほどくのには苦痛が伴った。でも今は真実を聞かなきゃいけない。
「話せ後藤。いや話さなきゃいけないんだろう? ……それも違うか。俺等になら話せるって後藤が思ったんだよな」
「本当に小枝樹様は天才なので御座いますね。秋様にそっくりで御座います」
俺の目を見ながら言う後藤は悲しみを帯びていた。過去の情景と今の俺を重ねて見ているような、そんな風に思わせる瞳で後藤は俺を見ていた。
「これから話す事は紛れもなく真実で御座います。ですが私の主観的な思考が混ざってしまう事をお許しください。ではまず、六年前。夏蓮お嬢様のお兄様であられる秋様がお亡くなりになる少し前から話しましょう」
真実へと誘う幕が開ける。
「今思えば秋様は全てを見通していたのだと思います」
話を始めると言った後藤の一言目は脈絡のない個人が感じる感想でしかなかった。だが、これで話しがおかしくなる事はないのだと俺は思っている。
「秋様がお亡くなりになるひと月前。秋様は私に意味深長な事を仰ったのです。『後藤。もしも僕に何かあった時、夏蓮の事を頼む』と」
僕に何かあった時は頼む。それは自分の死を予想していたという事なのだろう。だが、いくら天才だといっても自分の死を予見できるものなのだろうか。
小さな疑問を浮かべつつも俺は後藤の話しに耳を傾ける。
「初めは何を仰っているのか分かりませんでした。ですが、その言葉を言ったひと月後、秋様は夏蓮様を庇いお亡くなりになってしまいました」
一之瀬 秋の存在を知っているのはきっと俺だけだろう。そしての兄が一之瀬を庇って死んだ事も、知っているのはきっと俺だけだ。
その証拠に周囲に目を向ければ悲壮な表情の者ばかりで、悲しい感情と空の色が交わっていた。
「亡くなったって……。死んじゃったって事……?」
佐々路が口を開き、その質問に答えるかのように後藤は無言で頷いた。返答は真実であり、そして真実は時に人を傷つける。
後藤の頷く仕草を見て佐々路の体からゆっくりと力が抜けていくのが分かった。でも今の俺には何もしてやれる事はない。ただただ後藤の話しを聞き続けるという選択しかないんだ。
「話を続けますね。夏蓮お嬢様を庇い秋様がお亡くなりになってから夏蓮お嬢様は変われてしまった。あんなにも笑顔が可愛いお嬢様が物言わぬ人形のようになってしまったのです」
人形。それは何度か一之瀬から聞いた言葉だ。一之瀬財閥の傀儡。でも今後藤が言った人形と、一之瀬が言っている人形という言葉は少しニュアンスが違うように思える。
頭の中では思考を巡らし、表面上ではしっかりと後藤の話を聞く。すると再び後藤の話を割って入って来た奴がいた。
「ちょっと待って。一之瀬さんのお兄さんが貴方に頼むって言ったのは分かるし、お兄さんが亡くなって一之瀬さんが心を閉ざしてしまったのも何となく分かるよ。でも、だからってどうして今それを僕達に話すの……?」
イケメン王子こと神沢 司。確かに神沢の質問は的を得ている。
このタイミングというのは置いておいて構わないとしても、俺等に話す意味はない。いや俺に話すのならまだ分かる。だけど今まで後藤と接点を持っていない奴にも話をする意味はいったいなんなんだ。
「神沢様。貴方のその疑問は間違ってはいません。ですが秋様はこうも仰られていました。『夏蓮はとても弱い子だ。だから本当の意味で夏蓮を友と呼べる人を探して欲しい。もしもその子達が見つかったなら、全ての事を後藤から話してくれ』そう仰られたのです」
一之瀬を友と呼べる存在。それは安易的な友人関係ではなく。これからもずっと続く、絆の深い友を言っているのであろう。だがこれだけじゃ一之瀬 秋の真意には辿り着かない。
後藤の話を聞いて納得したのか、神沢は口篭り何も言わなくなってしまった。その様子を窺い後藤を再び口を開いた。
「秋様は最期の日まで笑っておられました。まもなく自分に死が訪れる事を知らないただ普通の人間のように」
自分に死が訪れる事を知らないただ普通の人間。自分に何かあった時の事を頼む一之瀬 秋。一之瀬の未来を案じ後藤に願いを託した。
おかしいだろ。どこからどう見たって一之瀬 秋は自分の死を予知している。最期まで笑っていた事だって一之瀬に心配をかけない為だ。だって一之瀬 秋が死んだのは一之瀬の誕生日。
数個の疑問点を線で繋げば仮説が嫌でも思いつく。その真実を確かめるように俺は口を開き後藤に問う。
「なぁ後藤。アンタは初め、今思えば秋様は全てを見通していたのだと思います。って言ったよな」
「はい」
「だったらその疑問が真実だったとすればどうなるんだ?」
「秋様が自分の死を予知していたという事ですか? それは流石にありえません。どんなに天才だと言っても自分の死を予知できるような人間はいませんよ。もしもその仮説を突き通すのであれば同じ天才の小枝樹様も自分の死を予知できるという事になりますよ」
後藤の言葉は正しい。確かに一之瀬 秋同様に天才の俺が自分の死を予知出来ないと言えば仮説は成立しなくなる。だが他人には普通の事でも一之瀬 秋にとって死に直結するような些細な事柄や話を数個集めればどうなる。天才の一之瀬 秋は自分の死を予測できたかもしれない。
確信はない。過去の事も俺には分からない。だけど突きつける意味はある。
「天才だから死を予見できたんじゃないのか」
「ですからそれでは小枝樹様の意見が破綻して━━」
「違う。一之瀬 秋は絶対に予見できていた」
絶対という言葉はあまり好きではない。この世界に絶対なんてないからだ。なのにどうして俺はその言葉を使ったのか。後藤を俺の流れに乗せるためだ。
どんなに足掻いた所で一之瀬 秋の真意なんて確かめようがない。そしてどんなに喚いたって一之瀬が俺に振り向く事もない。だったら俺は俺のやり方で真実に辿り着く。
「どうして小枝樹様はどう思われるのですか?」
表情は無だ。何も変わらない俺の知っている後藤。違いを上げるのであればいつもよりも落ち着いているという事。だけどソレが普通に感じてしまっている時点で後藤の普通ではないという事の証明になる。
「どうしてそう思う? 何言ってんだよ後藤。アンタは昔、諜報員だったんだろ。なら知ってるんじゃないのか」
睨んでいるわけではない。それでも睨んでいると思われているかもしれない。それくらい今の俺は後藤に強く問う。
「ははは。本当に小枝樹様は天才なのですね」
何度も聞いたその台詞。俺が天才だから分かってしまうと言わんばかりな傲慢な台詞。でもそれが真実なのだと俺は理解している。
周りにいる奴等は既に俺と後藤の会話の意味すら分かっていない表情をしていて、その会話を耳に聞き脳で再構成するのに必死なのだろう。時間が止まってしまったかのように誰も動かないし、誰も口を開かない。
そんな周囲の奴等に気がついたのか一瞬でけ笑みを見せた後藤は問う。
「そうですね。ここは城鐘家の三男様にお話を聞いてみましょう。今までの話で何か気が付いた事はおありですか?」
「……気がついたこと?」
慌てる素振りは見せない。流石レイと言いたいが、口篭り動揺を隠せないでいるのが現状だ。
考え込み何も言わないレイ。そしてその質問はレイに投げかけているようでここに皆に投げかけているものだ。他の連中もレイ同様に考え出す。
だが、その時間は数秒でこれ以上俺が待てないと思ってしまった。
「ここで考えるのは意味がない。ここからは俺が仮説を話す」
周囲の目が俺に寄せられ後藤も俺を見る。静寂のような空気の中、俺は重く閉ざされた俺等の知らない世界を構築する。
「単刀直入に聞く。後藤、お前は一之瀬 秋の命令で一之瀬 樹の動向を調べろと言われたよな」
俺の言葉に後藤は無言を返した。それが肯定だと捉え俺は更に話しを進める。
「俺の仮説はこうだ。『後藤。もしも僕に何かあった時、夏蓮の事を頼む』と言った時よりも前に一之瀬 秋は自分の死を悟っていた。現実的には事故死という事になっているが、死を予見できたという事は誰かに殺させたという事になる」
一瞬だけ後藤の表情が変わった。そして他の連中も受け入れたくないという感情が表に出て驚いているかのように瞳を大きく見開きながら俺の事を見ていた。
「誰が殺したのは置いておこう。だけど一之瀬 秋が死を確信する兆候があったはずだ。その後、アンタに一之瀬 樹の動向を調べろと言ってるはず。自分がもう死んでしまうと思い、一之瀬 秋はアンタに一之瀬を託したんだ」
言い終わった俺に爽快感はない。この仮説はきっと正しい。なのにどこか何かが抜けているような気がする。もう一歩、もう一歩なにかが……。
「小枝樹様の仰っている推論に殆ど間違いは御座いませんよ」
後藤の言葉を聞いてまるで推理小説の世界に入り込んでしまったようだった。
俺は探偵ではない。俺は被害者でも加害者でもない。俺は警察じゃない。なのにどうして俺はこんな推論を立ててしまったのだろう。一之瀬 秋の想いが知りたかったからか……? いや、その想いを一番知りたがっているのは一之瀬だ。
なら俺はどうしてこんな探偵のような真似事を……。
あぁ、そうか。一学期の時のホームズさんが忘れられないんだ。依頼を引き受けて探偵の真似事をして……。あの時は本当に楽しかった。なら今は……?
俺はただ考えたくないだけなんだ。一之瀬の話しなんか聞きたくない。一之瀬の事を思い出せば苦しくなる。だから俺は考えないようにする為に第三者を演じてるに過ぎない。
本当に馬鹿げてる。
後藤の話しの最中に思考で全てを遮る。だがそれも長くは続かない。
「殆ど間違いはないのですが、一つだけ秋様のお言葉を言っておりません。それは『後藤。夏蓮は弱い。だから僕以外の唯一を見つけて欲しい。夏蓮の隣で夏蓮を守ってくれる唯一を』そう仰られておりました。とても儚い微笑で」
唯一……?
『私は兄さんの真意を知りたい』『私は憧れた兄さんのように天才でいなきゃいけないの』『私のせいで兄さんは死んでしまった……』
一之瀬の声が聞こえた。その悲痛な叫びは胸を引き裂かれる感覚で、悲しい気持ちを上回り苦痛でしかない。そんな風に一之瀬は数年間生きてきた。
俺も同じくらいの時間を苦痛と共に生きてきた。その時間は何もかもが灰色で、自分という存在がこの世界に顕現し続けてもいいのかと自身に問いかけ続けていた。
苦しい苦しい。痛い痛い。どんなに苦痛を味わっても自分の求めた答えには辿り着けなくて、諦めて何もかもを受け入れようとしていた。
もしも今の一之瀬が俺と同じなのだとするのであれば『僕以外の唯一』なんて
ふざけんじゃねぇ……!!
怒りが俺の身体と精神を侵食していく。ゆっくりと、だが確実に憎しみも混ざらない純粋な怒りだけが俺を支配する。
だけどここは堪えなきゃいけない。ここで自分の怒りを爆発させてしまったら何も変わってない、昔の天才の俺だ。だから後藤の話を最後まで聞かなきゃいけないんだ。
「ここまでが秋様と夏蓮お嬢様の過去のお話です。そして最後に、夏蓮お嬢様の真実を言いましょう」
一之瀬の過去と真実。その真実が露見する。
「夏蓮お嬢様は、天才ではありません」
怒りが抜けていった。一之瀬 秋の事よりも一之瀬の真実があまりにも衝撃で、先程まで抱いていた怒りという気持ちは本当に些細なものなのだと気がつく。
苦痛を伴う無表情な後藤。この真実を打ち明ける事は世間から見ても大事件だと言われる可能性だってある。一之瀬財閥次期当主の天才少女の一之瀬 夏蓮はただの凡人であった。
それだけじゃない。天才少女だと思っていたから俺は一之瀬とだったら何もかもを分かり合えると思っていた。天才と天才なら、その身体と心に刻まれた傷を癒し合えると夢を見ていた。
俺はずっと一之瀬に嘘をつかれていたんだ……。
待て。嘘って……。
「夏蓮が天才じゃない……? 何言ってんのよアンタ……?」
誰よりも先に言葉を紡いだのは佐々路だった。狂乱しかけている。そんな雰囲気が拭えないほど気持ちが高まっている。それに今の佐々路は後藤が告げた真実を受け入れようとしていなかった。
「もしも夏蓮が天才じゃないならずっとあたし達に嘘ついてたってことだよねっ!? ずっと夏蓮は天才少女だってあたし達を騙してきたってことっ!?」
俺の疑問を代弁するかのように佐々路は言葉を紡ぐ。それに言葉を紡ぐのは佐々路だけじゃない。
「か、夏蓮ちゃんが、て、天才じゃない……。か、夏蓮ちゃんは……」
現状の把握に手間取っているのか、牧下も動揺し上手く言葉を言えない。
そんな不安がここにいる全員を支配する。口々に一之瀬の虚偽が飛び交い疑心暗鬼になりかけている。過去も真実も普通の高校生が受け入れるのにあまりにも酷なものだ。
この俺ですら受け入れたくない。真実なんて人を傷つけるだけのものでしかない。だったら何も知らないで甘い幻想の中、不確かな幸せを感じて生きていたかった。
その時
「夏蓮ちゃんは嘘つきなんかじゃないっ!!」
怒号が響く。
夜になってまだ浅いがここまでの声量が響けば通報される可能性だってある。だけど、それでも彼女は叫んだんだ。大切な友達の為に……。
「雪菜……?」
「夏蓮ちゃんは嘘つきなんかじゃないもん……」
俯き絞る声で一之瀬を庇う雪菜。この台詞、間違いなく雪菜は何かを知ってる。すると佐々路が雪菜に近づき
「夏蓮が嘘つきじゃない……? もしかして、雪菜は夏蓮が天才じゃなかったって知ってたの……?」
詰め寄られる雪菜は無言を佐々路に返す。そんな雪菜に苛立ちを覚えたのか、佐々路は雪菜の両肩を強く掴みながらもう一度言葉を紡いだ。
「ねぇ雪菜……。どうして知ってたのに言わなかったのっ!!!! どうして夏蓮が天才じゃないって言ってくれなかったのっ!!」
「言えるわけないじゃんっ!!」
俯いていた雪菜の顔は既に佐々路を見ていて、その瞳はとても強く佐々路を睨んでいるような苦しそうな表情になっていた。そしてゆっくる雪菜は言葉を続ける。
「言えるわけないよ……。夏蓮ちゃんの秘密だよ……? 夏蓮ちゃんが自分で言わなきゃ意味ないじゃんっ!!」
涙を浮かべていた。堪えているのは分かる。でも堪えられない悲しみや苦しみが、今の雪菜の瞳には出ていて、俺は近くにいた雪菜の事すらも分からなかったと後悔した。
そして雪菜の言葉を聞いた佐々路は自分の感情を爆発させる。
「夏蓮も雪菜も自分勝手すぎるんだよっ!! どうしてあたしに言ってくれないの……? どうして自分達だけで我慢するの……? あたしだって親友なんだよ……? だったら、あたしにも雪菜と夏蓮の苦しみを背負わさせてよ……」
泣き崩れる佐々路。地面に膝をつき、雪菜の身体を強く掴みながら佐々路は涙を流す。
そんな佐々路を見ている雪菜は何も言わない。それどころか誰も口を開こうとはしなかった。ただただ冬の曇り空の下、佐々路のすすり泣く声だけが重々しく耳を痛めるだけだった。
雪菜はずっと一之瀬の秘密を抱えながら日常を過ごしていた。言いたくても言えなくて、それを言ってしまったら何があるか分からなくて、自分の中にしまいこんで隠して、それでもずっと笑ってた。
気がつくと俺は雪菜の目の前に立っていた。
「拓真……?」
瞳が潤んでいる。という表現は良くないだろう。今にも大声を出しながら泣きそうで、触れなくても雪菜の身体が小刻みに震えているのが分かる。俺はずっと雪菜に我慢させてたんだ。だから
「よく頑張ったな雪菜。一之瀬の気持ちを汲んでくれて、ありがと」
雪菜の頭の上に俺は手をのせる。柔らかく滑らかな女の子の髪を撫でながら、造る微笑で雪菜を見る。
「た、拓真っ……!」
強がっていた雪菜の顔はゆっくりと解かれて、顔中に力が入り涙が溢れ出してきている。声は上げない。それでも自身の顔を両手で押さえながら掬えないほどの涙を零し続けた。
何も知らないは罪だ。分からなかったで済まされるものではない。知ってしまったのなら、知らなかった自分を諌め、どうすれば良いのかを模索する。
自分の過ちだ。他人の過ちではない。そこから逃げてしまえば俺は雪菜だけじゃない、佐々路だって一之瀬だって救えやしない。
その時だった。
「おい拓真」
俺の睨むレイ。その声音はとても低く、攻撃的なものを感じざるを得ないという雰囲気だった。
「今のお前が何を考えているのか何となく分かる。でもそんな事、俺がさせない」
「レイ……」
レイの言いたい事はわかる。俺を止めてくれる気持ちは嬉しい。でも、俺は……。
「おいレイ。さっきから何の話をしてんだよ。今の話の流れからして一之瀬を助けるんだろ? それを拓真がやるのを止めるって、一之瀬はどうなんだよ」
「うるせぇよ……。それでも俺は拓真を止めなきゃいけないんだ」
「ちょっと城鐘くん。今のは一之瀬さんがどうなっても良いって聞こえるよ。やっぱり君は、そういう人だったんだね。幻滅だよ」
翔悟の言葉にレイが返答をし、その間に神沢が入り込む。三人の会話を聞いている牧下はオドオドとしていて、斉藤は表情を変えない。崎本もただ三人を傍観しているように見えた。
「好きなだけ幻滅しろよ、イケメン野郎」
「どうして君は僕達の気持ちを考えてくれないんだっ!! 城鐘くんだってもう僕の中では大切な人なんだよっ!? そんな君が小枝樹くんだけを考えてしまったら僕達の気持ちはどこに━━」
「ならお前は拓真の気持ちを考えてんのかよっ!!」
慟哭のように続く怒号は悲しみの果てを知らない。終りのない光景はここにいる全ての存在に平等という名で襲い掛かり、想いを駆り立て膨張していく。
「お前の言ってる事が正しいのは分かってる。間違ってないし、俺が悪い事を言っているのも分かってる。でも俺は拓真を6年間、独りにさせちまった……。なぁ神沢、このまま拓真を一之瀬の所に行かせてその先で傷つくのが誰だか分かるか……?」
怒りを露にしていた神沢の表情が変わった。それは何も考えていなかったことを後悔するように、自分の言っていた無責任な言葉を飲み込もうと必死だった。
周囲の者も自分勝手な思考と、受け入れたくない現実が混沌を造り不安や絶望といった負の感情で塗りつくされそうになっている。
「なぁ神沢っ!! このまま拓真を行かせたら傷つくのは拓真なんだよっ!! 俺がここで悪者になるのは構わない。それでもこれ以上俺は拓真に傷ついて欲しくないんだっ!! 苦しんで欲しくないんだっ!!」
「だ、だったら皆で一之瀬さんを助ければ……」
「そんなの出来ないに決まってんだろっ!! さっきの拓真の仮説を神沢は聞いてなかったのかっ!? もしも拓真の言っていた事が現実だとしたら、俺等みたいな高校生がどうにかできる問題じゃないんだよっ!! お前は一之瀬財閥を敵に回せるのかっ!?」
レイの言っている事はまさしく現実だった。一之瀬を救う手立てはない。これ以上、俺のわがままにコイツ等を点き合わす事もできない。
でも俺はここにいる皆にも笑っていて欲しい……。一之瀬だけじゃない。皆にも……。もう、どうしていいのかわかんねぇよ。一之瀬……。
ポケットに手を入れ、願いを請う愚かな天凡な俺。最後には神頼みしかなくて、そんな願いだって叶わない。天才に生まれてしまった俺にはもう、一之瀬を理解してやる事すらできないんだ……。
「はい。喧嘩はこれでおしまい」
先程まで現状を傍観してた崎本が急に声を出した。その声音は今まで負の感情から逸脱し、とても明るいものだと俺は感じた。
「ここで喧嘩してても何も解決しないだろ。神沢に城鐘もテンション上げ過ぎだって」
「おい崎本。てめぇ今の状況が分かってんのかよ」
崎本の胸倉を掴み睨みつけるレイ。だが崎本はレイの目を真っ直ぐに見つめながらも笑みを浮かべていた。
「分かってるよ。分かってるから喧嘩はおしまいなんだ。結局さ、神沢が言った『僕達の気持ち』とか城鐘が言った『拓真の気持ち』とかって二人の独り善がりなんじゃないの?」
「独り善がりだと……? ならお前は拓真の苦しみを理解してるって言うのかよっ!!」
「なら城鐘は小枝樹の気持ちを本当に理解してるって思ってるんだね」
相反する感情をぶつけ合うレイと崎本。眉間を八の字にし崎本を睨むレイと、自分の気持ちを揺るがす事無く笑みを浮かべ続ける崎本。
そしてレイは崎本の言葉を聞いて無言を返す。崎本はレイを見ながら言葉を続けた。
「俺はさ、門倉みたいにバスケが上手いわけでもない。神沢みたいに見た目が良いわけでもない。城鐘や雪菜ちゃんみたいに幼馴染を心から心配できるわけでもない。牧下さんみたいに強い心を持ってるわけでもない。楓みたいに親友の為に泣けるわけでもない。斉藤さんみたいに一つの愛を貫けるわけでもない。一之瀬さんみたいに沢山の物を持ってるわけでもない。小枝樹みたいに天才でもない」
レイだけではなく、この場にいる者全てに語りかけるように崎本の声音は優しく言葉を紡いでいた。
「俺は凡人なんだ。いや、凡人以下なんだよ。だからずっと俺に出来る事を探してきた。凡人以下でも頑張れば何かできる。皆の気持ちを少しでも分かれるように努力しよう。でも、どんなに頑張っても俺には皆を理解する事なんてできなかった」
優しさを纏わせているが、その言葉には崎本の悲痛が感じられる。
「凡人以下だから俺には皆になにかしてやれる事がない。そんな風に思った時もあったよ。でも俺は小枝樹に言われた言葉を忘れてない」
俺に言われた言葉……? いったい俺は崎本に何を言ったんだ……?
「もしかしたら些細な事過ぎて小枝樹は覚えてないかもしれないけど俺にとっては心の支えになってた。一学期の時、小枝樹は言ってくれたんだ『お前は苦しいと思っている人間に笑顔を分け与えれる才能があるかもしれない』きっとそんな事ないのに、俺でも嬉しくて……。だから俺は今でも笑っていられる」
崎本の言葉を聞いて俺は思い出す。確かに俺は崎本に言ったのかもしれない。それは安易的で無責任に言い放ってしまっているかもしれないのに、崎本はそれをずっと……。
「それにさ城鐘。どんなに頑張ったって人は人の気持ちを理解できないって俺は思うんだ。だから俺は笑顔を絶やさない事しかできない。ここにいる皆の苦しい気持ちも悲しい気持ちも、言ってもらったって全部は分からない。でもその全てを分かる奴がいるかもしれない。なぁ小枝樹」
レイに胸倉を掴まれ続けながらも顔だけ俺の方へと向け、笑みを浮かべたまま崎本は俺に問いかけた。
「天才のお前なら皆の気持ちが分かるのか?」
不意な質問。でもこの質問は聞いた事がある。前に一之瀬が言っていた。『天才でも他人の気持ちは分からない』その言葉が頭を過ぎり、俺は素直に崎本の質問に答える。
「わからないよ」
「天才の小枝樹でもわからないか……。ならやっぱり誰にも他人の気持ちなんて分からないんだよね」
崎本の言っている事は正論だ。誰もそれに反論する事はできない。悔しそうにいつまでも崎本の胸倉を掴むレイは
「なら、どうすればいいんだよ……!!」
「そんなの小枝樹が決めればいいんだよ」
俺が決める。でも俺が決めれば絶対に一之瀬を助ける選択をしてしまう。それを危惧してレイは止めようとしてくれたんだ。俺は何を今、選べばいいんだ。
「私は司様しか愛せない体質なのだが、今の崎本 隆治の意見には賛成だ」
今まで黙っていた斉藤が口を開く。
「私はここにいる皆が羨ましかった。こんなにも感情を露見し自分達の言いたい事を言い合える。ちっぽけな関係ならすぐさま破綻させてしまうような事柄でも平気で言う。それはきっと深い所で繋がっている証なのだろう。私は最近ここにいる者達と関係を繋げた。だからどこか蚊帳の外になってしまっているようにも思えてしまっていたんだ……」
斉藤 一葉。確かに俺等との関係は浅いという言葉が適切だろう。そんな斉藤がどうして今になって口を開いたんだ。
「だがな、お前達を見ていて全部吹っ切れたよ。私は今更何を怯える事がある。最愛の司様を小さき女に奪われ、何でも持っている一之瀬 夏蓮に今の私の居場所まで壊されそうになっている。だが、今の問題を解決できるのは天才しかいない。崎本 隆治の変わりに私が言わせてもらうが」
一拍、間を置いた斉藤。そして
「小枝樹 拓真。今のお前はどうしたいんだ」
崎本と同様に微笑む斉藤。その質問の意味を俺は知っている。だからこそ考える。
俺は一之瀬を助けたい。全てを知ってしまった今だからこそ、俺は一之瀬の隣にいたい。その気持ちが強くなっている事が自分でもよくわかる。単純で安易な阿呆の思考。でも俺は一之瀬の隣にいたくて、悲しんで苦しんでいるアイツの顔なんて見たくない。
これ以上、アイツに嫌われることもないだろう。だから今の俺が出来る事はひつだけなんだ。
「斉藤さん。もう神沢なんて諦めて俺に乗り換えたらいいんだよ」
「すまない。私は司様しか愛せない体質なんだ」
この二人は本当に変わらない。
何も持っていなかった崎本と、最愛の人を奪われた斉藤。悲しみも苦しみも、俺の知らない気持ちを沢山知っているこの二人が俺の背中を押しているんだ。
笑顔を絶やす事無く、愛した人を恨む事無く。最高の友人は俺の背中を見てくれている。
「ごめんなレイ。俺は決めたよ」
「拓真……?」
既に崎本から手を放し、力なく項垂れているレイ。俺は一瞬だけレイの顔を見てから、自身の体を後藤に向ける。
「なぁ後藤。教えて欲しい事があるんだ」
「はい。何なりとお申し付けくださいませ。小枝樹様」
普段通りの紳士執事に戻った後藤は、胸の前に手を当て頭を下げた。そんな後藤に俺は聞く。
「一之瀬 秋はどこにいる」