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天才少女と凡人な俺。  作者: さかな
第八部 二学期 何モナイ景色
110/134

37 後編 (拓真)

 

 

 

 

 次の日の学校。時間は昼休み。俺は昨夜の雪菜の言葉を思い出しながら考えていた。

 

 自分の感情を出す。


 本当に簡単なその言葉はどれ程の人達の思考の中に生まれただろう。とても単純なものなのに、決して単純ではない。矛盾するその意味は単純だからこそ陥ってしまう底無しの沼。


 今まで俺は自分というものを本当に出せてこなかったのか。


 些細な疑問が俺の脳裏で反復し更なる深みへと誘われる。深い深い沼は俺の足を絡めとり放そうとはしてくれない。


 だからこそこんな俺の手を雪菜は掴んでくれたんだ。そんな俺が雪菜のヒーローか。


 苦笑にも見える微笑を浮かべ、俺はもう一度やり直そうと思った。


 今回の依頼はそこまで複雑なものではない。頭で考えているだけでも解決策が浮かんでくる程度の幼稚なものだ。だからこそ疑問に思うんだ。


 どうして下柳は俺に依頼をしにきたのか。


 何度か現れては消えるこの疑問。だが依頼に不可解な場所はない。不可解だと思っているのは単純にどうしてなのだという理由が分からないからだ。


 生徒会室で昼食を共にした時も自分であれやこれや試行錯誤をして理想の生徒会長になろうと下柳は努力していた。


 その努力が正しいのか正しくないのかはさて置き、そこまで出来る奴が俺に依頼を持ってくるのであろうか。


 何かがまだ足りない。俺はきっと今回の依頼の本質が全然見えていないんだ。


 俺は神妙な顔で考え続ける。回りにいる奴らも気を使っているのか俺に話しかけてこない。それはそれで有り難いんだが、気を使わせてしまっているのだとしたらすまないと素直に思ってしまう。


 だが今は考え続けろ。


 今までの依頼主の中で嘘の依頼を持ってきた奴は一人もいなかった。それは本当に切羽詰っている状況か、はたまたどうしようもなくなってしまったからだ。


 嘘を吐く余裕が無いと言えばそうなるのかもしれないが、それをするメリットが無いという事にもなる。ならば今回の下柳の依頼の初めの嘘は何らかのメリットがあるという事だ。


 冬祭りの依頼が嘘。その次の下柳の会長らしいあり方を見つけるだが、これも先に述べたように努力をしている下柳には不必要な依頼だ。


 なんからのフェイクだと考えたとしても何の為の工作なのか疑問が残る。それに俺には下柳が嘘を吐いているようには思えないんだ。


 俺に対して『天才には凡人の気持ちはわからない』とまで言ってきた奴だぞ。その言葉を言う事で自分にデメリットがある事を知っているのに言えてしまう下柳は嘘は吐かない。


 この考えは完全に俺のものだ。他の奴からみたらそれすら嘘を吐くための工作だと言われかねない。だけど自分には向いていないと言っているのに生徒会長をやり続け、皆の理想の生徒会長になろうとしている下柳を俺は信じたい。


 なら何で、今回の依頼という形で不可思議な事が起こっているんだ? 今回の依頼全てが下柳の意志とは関係ないものだとするのなら、裏に何かがあると仮定できる。


 だがいったい何の為に下柳を利用したんだ。もしも俺に何かを仕掛ける為だとするのなら学校側の手引きが強い。


 生徒会長という立場を使って遠まわしに暴力事件及び全生徒への不信感を抱かせた俺への監視という名目ならどうだ。


 今では俺の事を嫌っている教師は少なくない。危害を与えられると思われているのならなお更だ。


 だがそれでもおかしい。もしも教師側に妙な動きがあるとすればアン子が俺に必ず接触してきているはずだ。昔なじみと言うだけではなく、アン子は俺や雪菜にレイの事を心配してくれている。


 だからこそ教師側が動いているというのならアン子が動かない事がおかしな事になってしまう。そこで教師側という勢力を除外するのなら、残りは生徒になる。


 今では生徒の奴等にも俺は疎まれている存在だ。その事で生徒会長を利用しようという考えに至ってもおかしな事ではない。だがもしも生徒に何らかの事を言われて俺に接触してきたのであれば、本当に下柳は嘘を突き通せたのか?


 あの性格の下柳だ。どこかでボロが出てもおかしくない。なら下柳は毎回嘘を言っていたわけじゃない。正当な理由があるからこそ自信をもって言えたんだ。


 その思考に辿り着いた時、自分の中で点と点が結びつく感覚になった。それは疑問に思っていた事が線になり、分かったという高揚感と知ってしまった後悔が入り混じる。


 箱を開けてみればとても幼稚で本当につまらない話だ。でも本人からしてみてらそれは自分にとって大切な選択だったのだろう。その理由を責める事は俺には出来ない。でも、誰かが苦しんだり傷ついたりしているのは見逃せない。


「たーくまー」


 空気を読んで誰も話しかけてこなかったクラスの中、一年中肉まんの事しか頭に無くて、無邪気でバカで、阿呆な幼馴染が声をかけてくる。


「なんだよ雪菜」


 素っ気無く返答を返す俺に雪菜は微笑みながら言い返す。


「やっと決まったんだね」


 何もかもを見通されていた気分になる。もはや雪菜に見通されていては天才という肩書きを名乗るには忍びない気分になってしまう。だがそんな雪菜がいてくれたから、俺は今でも俺でいられるんだ。


 その雪菜の気持ちを俺は踏み躙った。自分の気持ちを最優先にして雪菜の好きを奪ってしまったんだ。


 だから俺は雪菜の前では俺であり続けなきゃいけない。


「あぁ決まったよ。今日の放課後に真意を聞きに行く。もしかしたら感情的になって、また嫌われ者になっちまうかもしれないけどな」


 俺の視線は雪菜にはいかない。その理由をきっと雪菜も分かっている。だから雪菜も強制はしない。そして普段通りの日常的なクラスに溶け込みながら、優しい声音で雪菜は言った。


「絶対に大丈夫だよ」


 大丈夫。その言葉だけで俺は前に進める。


 流れる時間はゆっくりなのか足早なのか分からない。だけど俺は少しの間、安堵の表情を浮かべ放課後を待った。





 緊張しているのか少しばかり鼓動が早くなるのを感じた。


 もう起こる事はない発作の心配はしていない。だが、この後に何が起こってしまうのかを想像すると少しだけ足が竦む。


 震えているわけではない。ただこの先の未来が分からないのが怖いだけだ。そんなもの天才に生まれたって分かりはしないのに、それでも分からないという事は恐怖を引き出すのにあまりにも簡単な思考なのかもしれない。


 一つ息を吐き俺は生徒会室の扉に触れる。そして一瞬止まりかける自分の手を無理矢理動かしその扉を開けた。


 何度見てもB棟三階右端の教室と広さは変わらない。なのにしっかりと整頓されている生徒会室内はとても広いと感じてしまう。


 長方形の机が室内の真ん中にあり、壁には本棚が置かれびっしりと本やら資料やらが並べられている。清く正しいとはまさにこの事を言うのかもしれない。


「ノックもしないで急に扉を開けないでくださいよ、小枝樹くん」


 生徒会室にいた男子生徒が俺を見ながら嫌そうに言った。その言葉を聞いて俺は自分に問いかける。


 どうしてノックをしなかったんだ。普段ならしている当たり前な行動を俺は疎かにした。もしかして本当に緊張でもしているのか。


 その事実を理解し少しだけ足が震えたような気がした。


 でも今の俺はここで立ち止まる訳にはいかない。俺は今回の依頼の真意を聞かなくてはいけないんだ。


「ノックをしなかったのはすまなかった。それで下柳はいないのか?」


 軽めに謝罪をし俺は目の前にいる男子生徒に問いを投げかける。


 俺が見た限りじゃこの生徒会室にいるのは男子生徒、つまり副会長の綾瀬 道久しかいないのだ。


 自分で投げかけた問いがバカバカしく思える。誰がどう見たって下柳がいない状況でのこの質問はおかしい。もしも質問をするのなら「下柳はどこにいる」が正しいものになってくるだろう。


 だが俺はあえて『いないのか』という質問にしたんだ。そして綾瀬は俺の質問に答える。


「会長なら生徒会役員の仕事で少し席を外していますよ。多分、今日はもう戻らないと思います」


 廊下側から見て長方形の机の上座から一個右の席に座っている綾瀬は纏めていた資料から視線を俺へと変えながら言う。その言葉を聞いた俺は生徒会室に入りながらゆっくりと扉を閉めた。


「そうか。なら丁度いい。俺は下柳じゃなくて綾瀬に話があったんだ」


 俺の声は生徒会室内で少しだけ反響した。それは俺が扉を閉めるとほぼ同時のこと。少しだけ反響した俺の声は消え、綾瀬の視線だけが俺へと残っていた。


 数分間、いや数秒間であろう。静寂が生徒会室に流れそれを綾瀬が壊した。


「僕に話ですか? どうしてまた僕なんかに。すみませんがこの間の文化祭で使った正式な予算の計算と、二学期の終業式後に行われる冬祭りの計画表をまとめなくてはいけないんです。ですから今日はこのまま話をするのは少し難しい━━」


「どうして下柳を騙したんだ」


 よく回るその舌を一言で黙らせる。俺の声音は決して当たりの強いものではないが優しいとも言い難い。感情を押し殺し淡々と言っていると自分では思っている。


 だが、そんな俺の声音のせいなのか、はたまた言われた事に何か心当たりでもあるのか、饒舌だった綾瀬はその口を強く噤んだ。


 綾瀬の視線はもう俺には残っていない。その代わり目の前に置かれている資料を見つめ続ける。だが、その行動を刹那ですぐさま綾瀬は優男の笑みを俺へと見せつけ答えを返答をする。


「会長を騙した? すみません小枝樹くん。ちょっと何を言っているのか僕には分からないんですけど?」


 その返しが来るのは想定内だ。本当に一学期の時に斉藤相手に探偵ゴッコをしていて良かったと自分で思ってしまう。


「白を切るならそれでもいい。だけど、俺はここで探偵をやるつもりは無い。今お前が言わないんだったらもっと辛い現実が待ってる」


 脅しているつもりは無い。だが、これを脅しと捉えてしまう人もいるだろう。寧ろ過半数がこれは脅しだと言ってもおかしくはない。


 それくらい、俺は綾瀬の口から聞きたいんだ。俺が綾瀬を貶めるような誘導尋問をしなくても済むように……。


「ごめんさない。本当に何を言っているのか分からないです」


 惚けているようにも見えるし、本当に何も分からないとも見える。だが、どうして何も分からないのに作った笑顔をしているんだ。


 まだ確信まではいかないが、綾瀬は今回の下柳の不可解な行動に関わっている。だが、今はそんな事どうでもいい。惚け続けるという綾瀬のこの態度が、こいつの答えなんだ。


「分かったお前がそういう態度を取り続けるなら、俺は探偵にでもなってやる」


 俺は強く言い放った。そんな俺の言葉を聞いた綾瀬が生唾を飲み込むのを俺は見逃さない。明らかに動揺している。


 だけど、綾瀬が動揺していたりこの後の推理が正しいでは意味がない。


 今回のこの件は斉藤の時の一件とは違い自白をさせる為のものじゃなく。もしも綾瀬が何か卑しい事をしていたとしても、今回の件は犯罪ではない。俺はどこまで綾瀬道久を救えるのかが問題なんだ。


「ふぅ……」


 俺は一つ息を吐く。そして事の本題へと移行した。


「今から話すのはあくまでも俺の推論であって真実じゃない。それを踏まえて話を聞いて欲しい」


 俺の問いかけに綾瀬は無言を返した。それが話をしても良いのだという肯定に俺は捉え話を進める。


「まずは下柳が俺の所へと依頼をしに来た件だ。あの時は本当に頭の悪い奴が来たのだと内心ビクビクしていたよ。でもその依頼は偽者だった。一個目のフェイク、冬祭りの依頼だ」


 探偵を気取っているわけではないが、俺は扉の近くに立ったままだった足を動かし始める。歩き始めあたかも分かった雰囲気を醸し出しているのは本当に俺がバカだという証だ。


 だけど少しでも身体を動かしていないと落ち着かないのも事実なんだ。そんな俺の話を聞き続ける綾瀬。


「そのフェイクは下柳が依頼をしにきた次の日にめくれてしまう。その現場にはお前もいたよな。一つ目の依頼を偽物のにする事によって本当の依頼を大きく見せるためのつまらない工作だ。それが二つ目のフェイク、下柳の会長らしいあり方を見つける依頼だ」


 ここまでは順調に話せている。問題はここからなんだ。


「これもフェイクだと気がつくのには少し時間がかかった。昼休みにここで飯を食いながら話をして、そこで俺が今回の依頼を無かった事にしようって言い出したんだからな。でもこれがお前が目論んだ計画なんだろ?」


 俺の問いに無言を返す綾瀬。何も言わないのは肯定でもあり否定でもある。もう少しだ。もう少しで綾瀬の真意が見えるような気がする。


「要約するとお前の計画はこうだ。綾瀬に冬祭りの件で天才の小枝樹にお願いをしようと申し出る。その後、会長は会長のあり方を見つけなきゃいけないと諭す。そして最後の決め手はお前が俺を挑発し怒らせ、会長に汚い台詞を吐かせ、俺が自ら依頼を断るって事だ」


 綾瀬の瞳が少しだけ大きく見開いた。


 その表情は真実を突きつけられた者の表情だと俺は思う。だが、これでもまだ足りない。ここからでもいくらでも逃げ道はある。


 俺は仮定の中で導いた答えを綾瀬に言う。


「どうして綾瀬がそんな事を考え、そして行動までしたのか。それは、天才じゃなく凡人の僕じゃなきゃ会長を理解できませんよ。って言いたかったんじゃないのか」


 俺は座っている綾瀬の横に立ち見下すような視線で綾瀬に詰め寄った。


 静寂の線が生徒会室に張り詰める。一歩動くだけでも呼吸をするだけでも、その線は揺れ動き平穏を打ち壊す。


 だが、どんな答えを言おうとも、この後に綾瀬が口を開けば平穏は終わる。そして再び流れ出す、天才少年小枝樹拓真の噂。


 俺はそれを覚悟してきたんだ。雪菜に言われてもう一度気がつけた。絶対にあいつ等はいなくならない。


 どんなに俺が悪者になっても、どんなに俺がヒーローなんかじゃなくなっても……。あいつ等は絶対に俺を信じ続けてくれるんだっ……!! 願わくばそこに、一之瀬も……。


「小枝樹くんは本当に天才だったんですね」


 揺れ動かされる線、打ち壊される平穏。


「全部が正しいと言う訳ではないですが、確かに僕が会長を唆し貴方へ依頼を受けさせました」


 座したまま首を動かし、視線を俺へと向ける綾瀬。俺の事を見上げる形になっている綾瀬の表情は純粋なものに感じた。


 その視線も一瞬で、綾瀬は視線を真っ直ぐに戻し空間を見つめながら話し出す。


「僕が会長と話をしたのは新生徒会が発足された時でした。会計に書記、それに副会長の僕に生徒会長の下柳さんはここで話すのが皆初めてだったんです」


 両肘を机について掌を合わせる。その指と指は互いに絡めあい力強く結びついていた。


「僕は彼女の事を何も知らなかった。初めはこの人が生徒会長で本当に大丈夫なのか疑問に思ったくらいです。でも、彼女の事を知れば知るほど、僕は彼女に生徒会長であって欲しいと願ってしまったのです」


 まるで神への祈りを捧げているような面持ちの綾瀬。その言葉はには優しさと重さが入り混じり、想いの怖さと一途さを体現しているようだった。


「ひたむきに頑張る彼女はとても優しかった。自分に厳しく他人に甘く。そんな彼女は紛れもなく生徒会長に相応しいって僕は思ったんです。でも、周囲の反応は僕とは違った。ドジで失敗ばかり重ねる生徒会長を卑下する言葉を僕は何度も聞いた……」


 綾瀬の言葉を聞きながら、いつの間にか俺は綾瀬の真横ではなく壁に自身の体を持たれ掛けながら真剣に話を聞いていた。


「僕はそれが許せなかったっ……!! 何も知らないのに、誰も会長の努力を見ていないのに勝手な評価をしないで欲しいって思ったんです。だから僕は提案しました。B棟の願いを叶えてくれる教室に行こうと」


 少しだけ綾瀬の感情が表に出るが、すぐさまその感情は無くなる。だが、その感情とは真逆の苦しい感情が今の綾瀬を包み込む。


「でも会長は言ったんです。『そのような事をしなくても私は大丈夫だよ』と。笑顔で言ったんです。だけど僕は諦めきれなかったっ……!!」


 冷静を繕っていた綾瀬の箍が外れたのかもしれない。その言葉を言いながら座していた重い身体を立ち上がらせ、勢いよく後方の壁に持たれかかっていた俺へと視線を移した。


 そんな綾瀬の表情は悔しさを纏っていて、全てを理解する事は出来ないがその痛みを少しだけは俺には感じられる。


「だから僕は会長に嘘を吐いたんですっ!! 唆して貴方と関わりを持たせて、会長は天才になれなくても秀才にはなれるって気がついて欲しかったんですっ!!  誰にも評価されないなら誰かが影で力添えをしてもいいじゃないですかっ!! こんな僕の考え方は、間違っていますか……?」


 今にも泣き出しそうな綾瀬の表情。恐怖に苛まれているのか、自身の罪を思い出し後悔しているのか。俺には分からない。


 だけど、綾瀬の気持ちは本当によく伝わった。そんな綾瀬に俺は何を言えばいい。そんなもん、考える必要なんかない。


「間違ってるに決まってんだろ。誰かを騙して何かを成し遂げたとしても、それが本当のお前の幸福には繋がらない。つーかよ、別に誰にも評価されなくてもいいじゃねーか」


 確かに誰かの評価は欲しい。自分が自分である証になり、それはとても心を支えてくれるものだ。だけどそれを他人に決められるのはおかしいだろ。


「これだから天才はああああっ!!」


 俺の言葉を聞いた綾瀬は激情し、俺の胸倉を掴み壁へと押し付ける。


 背中に少しの痛みが奔るがそれほど痛くもない。だが、ひしひしと伝わる綾瀬の感情が少しだけ辛いと思っていた。


「天才の貴方には何も分からないんですっ!! 何もかもを持っていて、やろうと思えば全てをこなしてしまう。そんな貴方に会長の気持ちも凡人な僕の気持ちも分からないんですよっ!!」


 生徒会室に怒号が響き渡り、その言葉を聞いた俺は口を噤んだ。ここで綾瀬の感情を全てぶちまけられるのであれば、俺はそれで良いと思えたんだ。


「会長がどれ程辛い思いをしてきたのか貴方には分かりますかっ!? 生徒会選挙に一之瀬 夏蓮が出馬しなかっただけで、お情けで会長になったとまで言われているんですよっ!? だけど、会長は会長だっ!! 一之瀬 夏蓮なんかにも負けてなんかないっ!!」


 綾瀬の言葉を聞いて身体に電気が奔ったような、痺れるような感覚になる。それは一之瀬の名前を聞いて聞いてしまったからだと自分でも理解している。


 でも、どうして……?


「綾瀬。お前の気持ちは何となくだけど分かった。だから一つだけ聞いていいか?」


 胸倉を掴まれている。普通にこんな事をされたら俺だって腹が立つ。そんなものきっと誰しもが思うことなのだと俺は思う。


 でも今は状況が少し違う。俺はコイツに胸倉を掴まれても怒りを覚えない。だってここで感情を曝け出せなければ、コイツはもっとおかしくなっちまうって思うからだ。


 だから俺は聞く。ちゃんと自分の大切なものが見えているのかを。


「今の綾瀬の行動に、下柳の気持ちはどこにある……?」


「会長の、気持ち……?」


 強く掴まれていた襟元が少しだけ楽になった。


 動揺しているように見える綾瀬は、瞳を大きく見開きながら眼球を左右へと動かし思考の海へと溺れる。だが、それも刹那の時間だった。


「天才なんかに何が分かるんですかっ!! 僕達を毎日を精一杯生きてるんですよっ!!」


 再び襲い掛かる背中への痛み。それは先程よりも大きな痛みで綾瀬の力が強くなったのだと理解する。


 苦痛に顔を歪める俺に綾瀬は強く言い出す。


「会長の気持ちなら分かってますっ!! もっともっと生徒会長らしくなりたくて、もっともっと誰かの為に何かをしたいって思ってるって分かってますっ!! そんな当たり前の気持ちを天才の貴方には分かりませんよね。一之瀬 夏蓮も同じだ。天才には凡人の苦しい気持ちや辛い気持ちが分からないんだっ!!」


 綾瀬の言葉を聞いて一瞬だけ自分の意識が別の世界に飛んでしまったかのような感覚に陥る。


 天才には凡人の苦しい気持ちや辛い気持ちが分からない? それが俺だけに言うんだったらまだいいよ。でも一之瀬も分からないなんて事はない。


 アイツは苦しんできたんだ。アイツは辛い思いをしてきたんだ。お前の苦しみや辛さを分からなくても、一之瀬はそれ以上の苦しみを抱いてきたんだっ!!


「ふざけんなっ!!」


 俺は怒号を上げ綾瀬の襟元を掴み引く。そして自身の体を反転させながら綾瀬の身体も力ずくで反転させる。そして壁に綾瀬の身体を強く打ち付けた。


「俺の事をどんな風に言っても構わない。確かに俺は最低な天才だ。だけどな、一之瀬の事を悪く言うなら俺は絶対に許さねぇぞ」


 脅しているわけではない。だが、これを脅しと捉えてしまうものは確かにいるだろう。


 それくらい今の俺は怒りを表面化していて、綾瀬の胸元を掴む力も壁に押し付ける力も強くなっているのだと分かっている。


 俺に睨みつけられている綾瀬は蛇に睨まれた蛙の如く動こうとしない。だが、俺の怒りがそれで収まることはない。


「何が会長の為にだ。てめぇはてめぇの為にしか動いてきてねぇだろっ!! 誰かの為なんていうのはな、自分の為でしかねぇんだよっ!! お前は隣に下柳がいるじゃねぇか。お前は自分の気持ちを隣にいる下柳に伝えられるんだぞっ!!」


 いったい俺は何を言っているんだろう。もう論点すらブレブレで俺にも綾瀬にも分かっていない。


「お前が下柳を大切に思っているって気持ちを伝えたのかっ!! お前はいったい何をしたんだっ!! 言い訳ばっか並べやがって、お前は下柳に何をしたんだよっ!!」


「……っ!! 僕はっ……」


「俺の知ってる下柳はな、すげー強い奴なんだよっ!! どんなに他者に言われてもへこたれず、だけどしっかり傷ついて学んでく。良くも悪くも雑草のような女なんだっ!! 下柳は決して強くない。だけど、アイツは誰よりも強いっ!! それをお前は知ってんだろっ!!」


 息が荒れていた。感情を出しすぎてしまったのか。自分でも何を言っているのか全然分かってなんかいない。これは雪菜のせいだな。次にあったらこっぴどく叱ってやる。


 だから俺も全部出し切ろう。


「お前にはまだ下柳が隣にいろだろう。だけどな、俺の隣にはもう、アイツはいないんだよっ!!」


 俺はいったい何を言っているんだ。


 言葉を紡ぎ終わり冷静になった俺は素直に疑問を抱いた。ここで言っても何も変わらず、完全なる私情をはさんでしまった。


 でも、これが今の俺の気持ちなんだ……。


ガラガラッ


 綾瀬と俺の攻防が終わった時、生徒会室の開かれるはずの無い扉が開いた。


「な、何をしているのだね……。拓真くん」


 開かれた扉の向うには綺麗な銀髪が輝き、不安そうな顔で俺を見つめる下柳純伽の姿があった。


 俺と下柳は目が合い数秒間、その視線を絡ませる。そして


「どうして、こんな事になっているのだっ……!!」


 驚いていた表情を怒りに変えた下柳は俺を見ながら、誰に問いているのか分からない質問を投げかける。


 俺の綾瀬も何も答えない。それは、今ここであった出来事を下柳に知られてはいけないと思ったからだ。別に俺は知られても構わない。だけど、綾瀬は知られては困るだろう。


 だからこそ口を噤むという行動をするしか俺等には選択肢がなかった。だけど、下柳がどういう判断をするのかは俺にも綾瀬にも分からない。


「取り合えず、早く道久くんからその手を放してくれないか拓真くん。そして速やかにこの場から立ち去ってくれっ……!!」


 今の言葉で俺の状況がつかめた。


 結局、俺は悪者になる事が決まっていたみたいだ。綾瀬の胸倉を掴んだのは俺の意思だが、ここで下柳が来るなんてタイミング的におかしい。


 だから俺は、どう足掻いたってヒーローにはなれないって事なんだ。


 俺は掴んでいた綾瀬の襟元から手を放し、ゆっくりと生徒会室を出るために下柳へと近づく。


 そんな俺を見ている綾瀬は何かを言いたいような表情を浮かべるが、何も言わずにただただ去り行く俺の背中を見続けていた。


 そして俺は生徒会室から出るとき、下柳の横を通り過ぎながら耳元で言った。


「俺は悪い事をしたなんて思ってない。もしも真実が気になるのなら、そこの優男を問いただしてみるんだな」

 

 

 

 

 

 

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