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天才少女と凡人な俺。  作者: さかな
第七部 二学期 想イノ果テニ
103/134

35 中編 (拓真)

 

 

 

 

 

 俺が優しすぎる。


斉藤の言葉が頭から離れなかった。現に俺はそんなに優しい人間なんかじゃない。今までの他人にしてきた事柄ですら、単なる俺のワガママに過ぎないからだ。


俺が嫌だから、という理由なだけであってそこに他意はない。


初めは翔悟の件だ。あれに至っては嫌だとかなんかと、そういう類のもではなかったのかもしれないけど、涙を流しながら俺に願いを飛ばす細川を放ってはおけなかった。


そのワガママを通してしまったせいで結果的にバスケ部は試合に負ける事になる。


次に神沢の件だ。それこそ探偵気取りになった一之瀬に付き合った感は否めないが、あれも結果だけを見てみれば然程何かをしたという事でもない。


それにあの事件を俺が勝手に解決してしまったせいで今の現状を呼び込んでしまっている。


次に牧下の件だ。これは完全に優しさからかけ離れているな。だってそうだろう。完全に俺のワガママを牧下に押し付ける形になっている。それが丸く収まったから良かったものの、一歩間違えれば全てを台無しにしていたかもしれない。


崎本の件に関しても同じだ。アレは俺一人で解決したわけじゃない。依頼人である崎本が初めから無理だと理解していたから、それと同時にアイツが前向きな阿呆だったから……。


あの時ですら俺は何も解決なんかしていないんだ。


そして佐々路の件。俺が優しくないと言い切れるほどの事を俺は仕出かしている。それは佐々路の心を救う為だと言いながら、俺は俺の中にあるどうしようもないくらいの大きな苦しみを佐々路に背負わさせた。


小枝樹拓真が天才である、という真実。自分だけでどうにかしなきゃいけない繊細な部分を他人に吐露し、それがあたかも正当な苦しみだといわんばかりに俺は佐々路に伝えたんだ。


その経緯が佐々路の真実を聞いてからだということが俺の確信的な欺瞞だという証明になる。その欺瞞がなにか。


それは俺が他人に優しいという事だ。自己の願いをあたかも他人を救っているように見せかけて人心を掌握し、俺の汚い部分を全て消し去る。


俺は誰よりも汚い。そんな事、レイを裏切った時に痛いほど分かっているじゃないか。だからこそ疑問になるんだ。斉藤の言う、俺が優しすぎるとう事に……。


思考の海に囚われているだけで簡単に時間は過ぎていく。昼休みが終わってからホームルームが終わるまで、俺が感じた時間は刹那だった。


放課後を向かえる生徒達は各々の時間を堪能する為に身支度を整え、帰宅やら部活やらに¥へと赴いていく。そんな生徒達の姿を間接視野に留めながも、俺は何もする気にはなれなかった。


「おーい拓真ー。今日はB棟行くの?」


身支度を終えて自由を得た雪菜が俺に話しかける。きっとB棟に行きたいという気持ちよりも、この後の俺の行動が気になっているのだと悟る。


その理由は簡単なものだ。だって、俺がB棟に行くと言っても鍵を持っているのは一之瀬なんだ。もしも本当にB棟三階右端の教室に行きたいと思っているのなら俺ではなく一之瀬に話しかけるはず。


だが、雪菜はそれをしない。というか、既に俺の隣の席の天才少女さんの姿は教室にはない。すなわち、B棟三階右端の教室に行くことすら俺達には不可能になってしまっているのだ。


もしもそれが可能だとするのなら、一之瀬は帰宅ではなくB棟三階右端の教室へと向かっていなくてはならない。だが、その可能性は五分五分で、今の弱ってしまっている俺の心はB棟へと足を向かせるのには重いものだった。


「いや、今日は行かない」


「そっかそっか。でも、あたしは一応B棟に行ってみるね」


そう言った雪菜は笑顔で手を振りながら教室から出て行った。その姿を見送った後、俺は重くなっている腰を上げる。一つ溜め息にも似た息を吐き、俺は鞄を待って昇降口まで下っていった。



 昇降口。まだまだ放課後になってからの時間は浅く、少しだけ混み合っている。それはぎゅうぎゅうという動けない程のものではない。普通に自分の靴を取る事は容易い。


だが今の俺は急いで帰りたいという気持ちではない。ここまで来てなんだが、少しだけこの場で人が減るのを待とう。


どうしてそんな気持ちになったのかは分からないが、賑やかで明るい声の中心に行ったら自分の心が滅入ってしまうと怯えたのかもしれない。


一見したら俺も皆と一緒の高校生。だが、今の自分ではこの空間があまりにも広く感じていて、それと同時に訪れる孤独感。いつぞやも見えてしまった灰色の世界が広がりつつあった。


楽しげな生徒達の声はゆっくりと遠ざかり、視界からは華やかな色が消えていく。そして今の状況になって再び思ってしまう。


やはり、俺は一人のほうがいいのかもしれないと……。


「おい拓真、どうした?」


女性の声が俺の鼓膜を刺激した。その声は女子高生という若さが溢れている声ではないが、大人とした凛々しさを含めた声。


その声の方へと振り向くと、スーツを着た女性が立っている。女性の顔はいつも見慣れていて、不思議と教師という感じにはならなかった。それもそうだろう。目の前にいる女教師とは十年来の付き合いだ。今更敬意を込めろといわれても無理だと思う。


「なんだよアン子。別に俺は何もないぞ? それより、アン子はどうしていつもスーツなんだ? もっとラフな格好でも教師は務まるだろ」


如月きさらぎ 杏子きょうこという女はとても凶暴だ。年上だという理由なだけでいたいけな小学生を使い魔のように使役する。あくまでもこれは俺の経験談だ。


幼少期、その存在は悪魔のような存在に思えた。知力も武力も十歳離れた小学生と高校生では歴然だ。よく大人が子供をあしらうという言葉を聞くがまさにそのものだった。


悪く言えば阿修羅。良く言えば近所の世話焼きお姉さんだ。俺とアン子の関係はこんなもの。そこに雪菜とレイも加わる事を忘れないで欲しい。


「私は威厳をもっとうに日々の職務を全うしている。生徒の見本となるべく私は常にスーツを身に纏い気持ちを引き締めているんだ」


アン子が言うのだから嘘は無いだろう。だが、昔から少しずれている所がある。まぁ本人がそれで良いと言っているのだから何の言及もしないが……。


俺はアン子の言葉を聞いて何の返答もせずに、再び下駄箱の方へと視線を移す。それはこれ以上アン子と話すことが何もないという表れ。きっとアン子なら俺の真意に気が付いてくれるはず。


「なぁ拓真」


どうして気が付いてくれないのかな? 俺は今から帰宅するんだ。確かにここでアン子と話せば生徒達が少なくなるまでの時間を潰せるかもしれない。でも今の俺のはそんな気分じゃなんだ。


俺はアン子の呼びかけに気が付かないフリをする。だが、その後に続いたアン子の言葉で俺はアン子の方を向かざるおえない状況になった。


「お前、一之瀬となんかあったのか?」


「なんだよ藪から棒に」


「いや何だ。お前が関係していないのなら心配する程の事ではないのだが、一之瀬がB棟三階右端の教室の鍵を私に返してきたものでな」


灰色が深まる。きっと今の俺の時間は止まってしまっているのか、もしくはとてもゆっくりと動いているだろう。あくまでも思考の中の世界だ。現実の時間は関係ない。


一之瀬がB棟三階右端の教室の鍵をアン子に返した……? その行動は前にもあった。


まずは夏休みに入る前。長期休みという事もあってか、一之瀬は鍵をアン子に返していた。その理由は正当なもので何か特別に考える事でもなかった。だが、今回の返却は意味が違う。


何の理由もないんだ。正確に言えば強制された理由がない。夏休みとかそういう学校に来る頻度が少なくなる場合、それを教師に返すのは理由になる。


でも今回に限って理由が思いつかない。いや、俺のような他人には思いつかない理由なのかもしれない。それは一之瀬本人に関わる重大なもの。そうじゃなきゃ一之瀬が俺に何も言わないで鍵を返すわけが無い。


一之瀬が鍵を返す理由を考えろ。一番初めに思いつくのが俺の告白。あの事件を機に鍵を返すという事にすれば、俺に何も言わなくても返す理由になる。


だが、もしもその理由で鍵を返したとしても、俺と一之瀬は毎日のように教室で会う。それはクラスが一緒だからと言う理由だけではない。今の俺と一之瀬の席は隣通し、否が応でも顔を合わせる羽目になってしまう。


だとすれば俺の告白が原因ではない。でも、まだ決め付けるのには早い。この意見を頭の片隅に置きつつ違う理由を探してみよう。


次に考えられるのはなんだ。期末テストが間近に迫っているからか? でも一之瀬は天才だ。そんな理由で鍵を返すとは思えない。それに一学期の時のテスト前だって一之瀬は鍵を返していない。この意見は完全に却下だ。


なら他に何がある。考えろ。俺だって天才だ。一之瀬の思考になって考えるんだ。


鍵を返す理由。天才少女。一之瀬財閥。


……もしかして。


「おいアン子。鍵を返す時、一之瀬は何か言ってなかったか」


長年付き合っているアン子なら気が付いているだろう。今の俺の声音が普段より少し低い事を。そして今の俺が焦っている事実を。


俺は下駄箱付近にいる生徒達からアン子へと視線を変える。その勢いと迫力は今のアン子にも伝わっているだろう。だって、きっと今の俺はアン子を苦しそうな表情で睨んでいるから……。


「お前の推測どおり、一之瀬は言っていたぞ」


今のアン子の顔は教師の顔ではない。幼馴染の如月杏子の顔をしていた。その表情が次に聞こえるアン子の台詞に重みをつける。


「もう、私には必要ないから。だとさ」


アン子の言葉は予想の斜め上をいっているようだが、考え付かなかった事ではなかった。その結果が一番最悪だと思っていたから、俺は考えないようにしていた。でも、それは確かな真実で、もう一度俺は理由を探し始める。


B棟三階右端の教室。それは俺にとっての憩いの場だった。いや、居場所とでも言ったほうが分かりやすいかもしれない。そんな場所に天才少女は現れた。


初めは本当に嫌だった。だって俺は天才少女が嫌いだったから。でも人間という生き物は不自由だったとしても時間の流れでそれが不自由だと感じなくなってしまう。


慣れ。誰もが簡易な事で考えもしないことだろう。だが人は慣れる。自分が嫌だと思っていた環境でも、それがなきゃ生きていけないと思えば順応する。


きっと俺もいつの間にか慣れてしまっていたんだ。一之瀬がいるB棟三階右端の教室を……。でも


今の俺はそれが心地良いと感じている……。


そんな俺だけの気持ちを言っていてもしょうがない。一之瀬が絶対に裏切らない理由が俺にはあるんだ。


春。俺と一之瀬は契約を結んだ。そして、そんな契約がなくても約束した。俺が一之瀬を救うと。それまで鍵はいらないと……。なのにどうして一之瀬は……。


その理由は分かっている。一之瀬が長い期間、いやもう二度とここに来ないという証明だ。


俺は再度、アン子に聞きなおす。


「本当に一之瀬が、そう言ったんだな」


「あぁ、そうだよ。これを聞いてお前はどうする。拓真の現状は何となく把握している。お前は自分を探すことを優先するのか、それとも守りたい存在を救うのか。どっちなんだ」


ははは……。本当にこの女教師はお節介だよ。そんなの決まってんだろ。


俺は迷う事無く走り出す。自分の靴を手に取り素早く履き替える。その行動を取っている途中で女子の「ちょっと……!!」という声や、男子の「なんだよっ!!」という声が聞こえたが気にはしない。


今の俺は一之瀬に会って真意を確かめないといけないんだ。でもどうして俺が真っ直ぐに学校から出ようと思ったのか。それは簡単な事だ。


雪菜はB棟に誰かいるかもしれないと行ったが、そこには誰もいない。だってそうだろう? B棟三階右端の教室の鍵を持っているのは俺の目の前にいるアン子なんだ。


だとすれば一之瀬が学校にいる理由はない。だから俺は真っ直ぐに走り出す。一之瀬に追いつくために。





 体力は人並み程度だと自負している。走れば息は切れるし、心臓だって破裂しそうになる。それはきっとどんな人間でも感じた事のあるものだろう。


風のようにはいかない。風の速さのそれから見たら人間とはなんとも鈍間に見えてしまうだろう。でも今の俺は自分の持てる速さを最大限だしている。これを鈍間と言うのなら俺は一生鈍間でも構わない。


流れる景色は見慣れているもので、同じ制服を着た人達の間を縫って走る。ごった返しているわけではないが、それでも帰宅途中の生徒は多い。


今の季節は冬目前。既に厚めのコートを着用している生徒達もチラホラ見える中、俺は制服のネクタイを緩めて、ボタンを数個外す。


涼しいと感じてしまう冷気が上半身に流れ、今の俺の体温が上昇しているのだと伝えてくれる。


一之瀬が帰ったのがいつなのか分からない。もしかしたらもう家にまで着いてしまっているかもしれない。そんな最悪な結果が頭をよぎった。


何故最悪なのか。それはこの状況で一之瀬が家に着いてしまっていたとしよう。俺は一之瀬の家まで追いかけてインターフォンを鳴らす。そして来客が俺だと気が付いた一之瀬はきっと取り合ってすらくれないだろう。


そうすれば何も聞けないままなぁなぁにされてしまう。学校で会えるという点ですら、俺の予想が当たっているとするなら無意味になってしまう。


俺がしつこく一之瀬を問いただしても、一之瀬が強行すれば俺には何も出来なくなる。


だから今なんだ。今日じゃなきゃ駄目なんだ。


一之瀬がB棟三階右端の教室の鍵をアン子に返したのが今日。鍵をアン子に返すなんていう行動はいつだって出来たんだ。なら何故今日だったのか。


憶測の範囲を超えないが、数日の間に決意を固めたが有力だ。でも待て。思い返してみると一之瀬の様子がおかしくなったのは文化祭が終わってからだ。


それに修学旅行前。そして修学旅行中。普段の一之瀬と何も変わらないと言ってしまえば終わってしまう話だが、違和感を感じていたのも事実だ。


そこから推理するというのなら、文化最後に何かが起こり一之瀬の中で重要な考えを承諾しようとした。でもそれにはもう少し時間を掛けたいと思っていた為、修学旅行が終わるまで時間を取った。そして今日、その決意を行動で証明した。


アン子に鍵を返すという事はすぐにその情報が誰かしらに伝わる事を一之瀬は分かっているはず。そしてその一番最初に伝わるの可能性の高い人物が俺だという事も。


「一之瀬っ……」


佇まいでも天才少女だと分かるものではない。だが、後姿でもその気品を感じ取れる。長く綺麗な黒髪を冬目前の冷たくなった風で揺らす。毎日見慣れている女子の制服を着ているというのに、一之瀬夏蓮だという情報があるだけで上品さも感じ取れてしまう。


走る事を止めた今の俺の額からは夥しい量の汗が滴り落ちる。現状では身体が熱いと感じ、普段なら寒いと思える風が心地良い。だが、この状況が長く続けば汗を風が冷やし体調を崩してしまう可能性もある。


でも今はそんな事どうでもいいか。


「小枝樹くん」


振り向いた一之瀬は驚く事もなく俺の名前を口にした。それが普段の一之瀬とは違う事を物語っている。目の前に疲れ果てていて息を切らしている俺がいるのに、それに動じる事もないのなんて明らかにおかしい。


俺は自分の息を整えようと努力してみるが、なかなか整ってはくれない呼吸。それに見かねたのか、それとも俺がどうしてここにいるのかを知っているかのようのな言葉を一之瀬が俺に投げかけてきた。


「如月先生に聞いたのね。私がB棟三階右端の教室の鍵を返却した事を」


「はぁはぁはぁ……。そうだよ。全部アン子に聞いた。だから俺は一之瀬にその真意を確かめなきゃならない」


両手が膝に付いたまま、俺は顔だけを挙げ一之瀬の言葉に返答する。はっきり言って少し膝が笑ってる。運動不足と言うわけはないと思うが、こんなな惨めな姿、天才としては及第点にも満たない。だがそれほどまでに必死で俺は走ってきたんだな。


「どうして確かめなくてはならないの? 貴方にそんな義務はないわ。それに、走ってきてくれたのに申し訳ないとは思うのだけれど、何度理由を聞かれても私は答えないわ」


まだ陽は沈んでいない。夕焼けと言うにもまだ早い。それが意味するのは特別な状況ではないという事。


なのに今の一之瀬は激情に駆られるわけでもなく、悲観的な思考に苛まれる事もなく、ただただ何の感情も顕現していなかった。それは他者から見れば冷たい表情をしていると言われるかもしれない。でも今の俺が一之瀬を見て思ったことは


人形みたいだ。


日本人形、フランス人形と色々な人形が世界にはある。でもそのどれでもない。瞳が妙に開いているわけでもなく、血色が悪いわけでもない。人形だと言い切ってしまうにはまだ何か足りない。


その瞳は少し虚ろで、焦点を俺に合わせているのに俺には見られている気がしない。それはきっとボーっとしている人に近いのかもしれない。思考に海に飲み込まれ、見ている物は見えなくなり、その存在すら認知できなくなる。


そんな一之瀬の姿があまりにも不自然で、そして不快に感じた。


「それでも俺は一之瀬に聞かなきゃならない。どうして、鍵を返したんだ……?」


気がついた時には息の乱れはなくなっていて、冷静に自分の問いを一之瀬にぶつける事ができる。


「……はぁ。貴方がそういう性格なのは分かっていたけれど、ここまで思っていた行動を取られると哀れみすら感じるわ。でも、だからこそ私も答えなきゃいけないのね」


呆れた表情を見せた一之瀬は視線を俺からずらし他のどうでもいい場所へと向ける。そして嘆息交じりに俺の聞いた答えが返ってきた。


「私にはもう必要ないからよ」


分かっていた。その言葉を一之瀬が言う事なんて、ここに来る前から分かっていたんだ。確かに俺の質問が悪かったのかもしれないけど、ここまで思っていた行動を取るとは思っていなかった。でも俺は、それを哀れだなんて思わない。


「わかった。質問を変えよう。……どうして必要なくなったんだ?」


きっと今の俺は悲しみが表情に出ているかもしれない。だけど、それくら一之瀬がどうしてあの場所を必要としなくなったのかを知りたいんだ……!! それが俺のせいだとすれば俺はどんな事でもする。俺にはもう、一之瀬のいないB棟三階右端の教室なんて意味がないんだ……。


一之瀬は今までと何も変わらぬ表情のまま自身の意を俺に言う。


「そうね。どうして必要なくなったと聞かれるのであれば、もしかしたら私には初めから必要なかったのかもしれないわね。でも、今の貴方が求めている答えはこんな根本を否定するものではないのでしょ?」


見透かされている。それが天才少女の為せる技なのだと自分に言い聞かせて冷静を装う。だが、あまりにも表情が変わらない一之瀬に対して少しずつ恐怖を俺は感じていた。


恐怖を感じた生物が取る行動は逃げるだ。だが、生命の危機だと思わない恐怖に対して、人間は生きる為だという言い訳を近い暴力を行使する。その形はきっと沢山あるのだろう。


「わけわかんねぇんだよっ!! 根本を否定……!? もともと必要なかった……!? そんな回りくどい言い方なんていないで、一之瀬の気持ちを伝えろよっ!!」


怖かった。その恐怖を軽減する為には怒鳴る事しか出来なかったんだ。大きな声を張り上げ、威嚇するように棘のある言葉を言う。それが今の俺に出来る最大限の防御行動。


本当に情けなくて、本当に哀れだ……。この行動をしたところで何も解決なんかしないのに……。


「一之瀬の真意はなんなんだっ!? どうして鍵を返したっ!? 俺等は友達じゃないのかよ……!! 俺等はずっと一緒だったんじゃないのかよっ!!」


喉が痛い。せっかく整った息も再び切れている。感情が昂ぶってしまったせいで力を入れている顔も痛い。両腕を大きく広げているのは少しオーバーかもしれない。


「今の一之瀬が何を考えているのか俺には分からない……!! でも、それが自分一人じゃどうしようもないって事なら頼ってくれよ……。俺だけじゃ何も出来ないかもしれないけど、皆だっているんだぞ……!!」


捲くし立てる俺。言葉が途切れてしまったらそこで何もかもが終わってしまうと思ったから……。こんな終わり方なんて俺は絶対に嫌だから……。


だが、終りへの歩みを一之瀬は止めていなかったみたいだ。


「小枝樹くん。貴方は本当に何も分かってないわ」


……一之瀬?


「まずは今貴方が言った俺等は友達じゃないのかよ。それを壊したのは貴方じゃない。私に自身の気持ちを伝えれば友人としての関係が壊れてしまう可能性だってある。それを考えられないほど貴方は阿呆ではないと思っていたのだけど……。残念だわ」


瞳を大きく見開き、一之瀬の言葉を耳から入れて脳で確認する。その一連の行動を終えて、初めて俺の身体が震えを感じた。


一之瀬の言っている事に間違いはない。どうして俺は考えなかった。告白という行動を取ればどんな風に結果が出るにしろ、元の関係には戻れない。雪菜や佐々路と一緒にいて俺は忘れていた。


あの二人だって深く傷ついて苦しんでいる。俺はそんな二人に甘えて何もなかったかのように友人を続けていた。だけど、それはきっと特別なもので、今の壊れかけている俺と一之瀬の関係の方が普通だったんだ。


「そして次に、ずっと一緒だったんじゃないのかよ。これについては初めから不可能なのよ。貴方は私の願いを知っているわね。それにその条件も……。それが成就出来なかった時、どうなるのかも」


一之瀬の願い。それは自分の才能がないものを探す事。天才少女だという自分を嫌っている一之瀬にとって、その願いは唯一自分という存在が普通の人である証。


初めてB棟三階右端の教室で出会った時に俺と交わした、契約。その願いが成就させなかった時、一之瀬はうちの学校からいなくなってしまう。


だから俺は約束したんだ。絶対に一之瀬の願いを叶えるって……。でも今の一之瀬は言った。初めから不可能だと。もしも初めから不可能だとしたら、どうして俺と、契約、なんて交わしたんだ……? 出来ない事を何故、一之瀬は願ったんだ……?


「これが今の貴方が犯したとても小さなミスよ。ここまで言っても分からないのなら、貴方はもう誰の気持ちも分かりはしないわ」


俺は一之瀬の事を知っているつもりになっていただけで、本当は何も分かってなんかいなかったんだ……。それが目の前にいる一之瀬の拒絶に繋がっているのかもしれない。


ならもう、俺には何も出来ないじゃないか……。


「ごめんなさい小枝樹くん。そんなに悲しい顔をしないで」


ゆっくりと歩み寄ってくる一之瀬の表情はとても柔らかく優しさと温かさすら感じた。でもそれが嘘で塗り固められていると気が付かないほど、俺は馬鹿じゃない。


そして一之瀬は俺の手を握った。金属のようなものを俺に手渡してきているようだった。その手なの中の物を俺が確認する前に一之瀬は言葉を紡ぐ。


「私の願いは叶わなかったわ。きっと神頼みをしても無駄だったのよ。だからそれは小枝樹くんに返すわ。それと━━」


一之瀬の言葉を聞きながら俺は握られた手を開く。そこにあった物を見て絶望へと落とされる。


何の希望も残す事は許されず、俺の気持ちも一之瀬を救いたいと思った俺の願望も、全てが終りを迎えるようだった。


そう、俺の手の中にあったのは……。俺が一之瀬の誕生日プレゼントであげた、願いが叶うブレスレット。


恐怖は現実を帯び、目の前でその姿を実体化する。そして何も言えない俺に一之瀬が言った最後の言葉は……。


「それと、私達の契約は今日も持って破棄します」

 

 

 

 

 

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