第8話
私がシアン・ランエーズという男に引き取られたのは3年前。春先の出来事だった。
桜の花はあと少しで満開。暖かくなり始めたとはいえ薄着ではまだ拙い街中でも、花見をする人々も見受けられ穏やかな日常が過ぎていく。
しかし、そんな事はお構い無しに現実という無情な牙が私の胸に突き刺さる。
私の気分は最悪だった。
大体、私は孤児院での生活に満足していたんだ。
血は繋がっていないが、孤児院の大切な兄弟に囲まれ。
自由な時間で大好きな魔耀石を視て、触って、改造って。
院の経営状況は良いものとは言えなかったが、自分の力でどうにでもなる自信はあった。
なのに。
「君がユウリ君だね?今日から君は私の息子となる。ここを出る支度をしなさい。直ぐに出る。」
5歳になったばかりの私であったが、シアンの物言いに腹が立つ位には頭が回った。
「(なんですかこいつは?自分中心の言い回しですね。)」
はい分かりました。という訳にはいかない。
私は現在のままが良い。
「院長。私は行きません。今までもそうだった様にこれからもこの院を出る気はありません。」
ユウリは立ち上がると孤児院の責任者である院長の顔を見て言った。
それに答えたのはシアン。
「そうはいかない。この孤児院は王家直属魔耀石研究所であるバルゴ魔耀研究所が買い取った。子供の我儘を聞いている時間は無い。君は神童とまで呼ばれているのだろう?この意味が解らない訳であるまい。早くしなさい。」
……私の気分は最悪だった。
**********
【カーナ村 バルゴ魔耀研究所カーナ支部】
ユウリはカーナ村にある研究所に来ていた。
勿論一人で来ているのでは無く、特殊魔耀石担当主任である母と数人の研究者と一緒である。
「ユウリ、私達は打ち合わせに行ってくるわ。あなたは好きになさい。……学校を休んで無理して付いてきたんだから存分に勉強して行きなさいな。」
行くわよと言いながら取り巻きを引き連れて会議室へと入って行った。
「どうせ不毛な金儲けの話でしょ。それに付いて来いと言ったのは貴方でしょうに。クソみたいなプライドですね。」
ユウリは母の姿が完全に消えてからさらりと毒を吐いた。
連れて来られた理由は天才と呼ばれる自分をここの支部長へ自慢をし、そして将来性を視てもらい今後の協力体制を維持していく積りだろうと理解している。
「(そんな事したら自分自身は無能ですと言ってる様なものだと判らないのですかね。)」
母、ユニ・ランエーズ。シアンの後妻であるこの女は経営力と枕で現在の地位を築いた。
シアンより1周り年下である為、若さが残り、スタイルも良い。噂では若い男を囲っているらしい。
ユウリにとってはただの戸籍上の母。何の感情も無い。要はどうでも良い。
「……。暇ですね。」
クシャクシャッ
研究所内のソファーに座りながら今日の日程が記載された書類を丸めた。
そのままコップの口の形をしたダストボックスに投げる。
スポッ
「ふふふふふ。これはまた。ふふふふふ。」
ユウリは資料が記載された書類にまで手を出して丸め始めた。
スポッ
「ははっ。」
スポッ
「ふはっ。ふはははははっ。」
ユウリ・ランエーズ8歳。神童、天才、鬼才などと世間で呼ばれている。
スポッ、スポッ
「はははははははっ。」
ユウリ・ランエーズ8歳。幼くして魔耀石研究を行い、その才能を発揮している。
スポポポポンッ
「あはははははっ!!」
……。
―――あの子は何をやっているんだろ?
さっきから紙を丸めて紙コップ用のゴミ箱に投げ入れては高笑いをするあの男の子は。でも1回も外してないし、ちょっとスゴイかも。それにあの子からゴミ箱って結構離れてるし。
そして女性は変な子供の容姿に注目した。
そんなに長くない深緑色の髪の毛を後ろで縛ってるけど、結構きれいな髪の毛してるなー。なんだかよくよく見ると可愛い顔してるし……将来はイケメンになりそうかも。ちょっと変だけど。というかなんで子供が研究所に?関係者なのかしら?白衣着てるし。
「…ね…ん。」
もしかして迷子かな?だったら私がお父さんかお母さんを一緒に探してあげようかな。あ、でもナンパって思われたらどうしよう。最近の子供ってマセてるからありえるわよね。
「お…え…さ…。」
どうしよう。でも困ってるなら助けなきゃ。お母さんも困っている人がいたら率先して助けてあげなさいって言ってたし。でもなんて話し掛けたらイイのかな?なんかちょっと話し掛けづらい雰囲気だし。もしも冷たくされちゃったら私ショックだよー。う~ん、でも私は大人なんだからしっかりしなきゃね!
「お姉さん!」
「きゃあっ!」
話掛けようとしていた相手が急に目の前に現れて、女性は驚いて尻餅をついてしまった。持っていた研究資料がバラバラと周りに散らばってしまう。
「あーっ。やっちゃったー。順番あるのに……。」
「申し訳ありません。驚かせてしまったようで。」
二人で資料を集める。
ユウリは軽く目を通しながら女性に資料を渡す。
「ありがとう。こっちこそごめんね。私よくぼーっとしちゃってさ。あ、それより君ダメだよ~?あれはクズ入れじゃなくて紙コップ用のゴミ箱なんだからね!」
細めの眼鏡を直しながらビシッっと人差し指を立てて叱責する姿は怖いというより可愛らしかった。
栗色の髪をショートカットにしたこの女性はここの研究者なのだろう。
「重ねて申し訳ありません。つい楽しくなってしまって。でもただ遊んでいた訳では無くて、物体の運動に対しての重力と空気抵抗の関係性を確認すると共に放物運動が描く軌跡の美しさに見惚れていたんです。しかしやればやるだけ不思議ですが、正確で楽しいですね。」
「……え?」
10歳にも満たない様な子供の言う事では無い。女性は呆けた顔で男の子の顔を見直してしまった。
回収し終わった資料をクリップに留める作業が一時停止する。
……しまった。またやってしまいました。でもまあ、引かれてしまっても全然問題無い事ですが。
「忘れてください。それより私に何か御用ですか?先ほどからこちらを窺っていた様ですが?」
「可愛くないな少年。」
「え?」
女性は腕を組みながら眉間に皴を寄せてからユウリと同じ視線まで屈み、ジっとユウリを見つめる。
ユウリの目には彼女の大きな瞳。小振りな鼻。潤う唇。その全てが視界に埋まる。
ほのかに良い香りがした。
「(っっ。)」
後ずさるユウリ。その頬は微かに桃色に色づいている。
「あ。いま照れた?うふふ。ぃよし!お姉さんと一緒に身体を動かして遊ぼっか!とりあえずお外に行こう。うん!そうしよー!」
女性はそう言うと拳を天高く突き上げた。
バサリとクリップで留められた資料が再度落下する。今後は散らばらなかったが。
「い、いや。ちょっと待って下さい。私は別に外に行きたいとかそういうのでは無くて。」
これまで会ったことの無いタイプの相手で、ユウリは珍しく焦って要領を得ない。
彼女のペースに乗せられてしまっている様だ。
「まぁーいいから、いいから。私の名前はヒナミよ。ピチピチの18歳!君の名前は?」
ユウリの頭を撫でながら問いかけるヒナミ。満面の笑みだ。
「ユウリです。今年8歳に成りました。ヒナミさん、私はこれか……うわっ!」
なんだか照れてしまってヒナミの顔を見れなくなり、外方を向きながら律儀に年まで答えたが急に自分の身体が宙に浮いたのに驚いた。
「軽いなーユウリ君は。ちゃんとご飯食べてる?」
片手で脇に抱えるようにユウリを持ち上げたヒナミはそのまま歩き出す。
「確かに私はこの年代では軽い方ですが20Kg前半はありますよ。軽く感じるのは膂耀石を使っているからですよね。……良いんですか?研究材料である貴重な耀石をこんな事に使って。」
ユウリは諦めた様に手足をブランとさせている。
ヒナミは少し驚いた顔をしながら片手でぶら下がっている子供を見た。
ふふっと笑った後にユウリの頭を空いている方の手でグシャっと撫でながら答えた。
「良いも悪いも自分が決める事だよ。他人からの評価は所詮他人が決めた事。自分の信じた道を歩いてこそ生きてるってモンだよ。」
ユウリはその言葉を聞いた瞬間、胸の奥で閊えていた何かが少し軽くなった気がした。
何か言いたい訳でも無かった。でもなぜか彼女の顔が見たくなって、ヒナミの方を振り向いた。
柔らかい。
「まぁこれはお父さんからの受け売りなんだけどねー。ってユウリ君のえっち。」
振り向いた先には極端な主張はしないが、柔らかくそして温かな乳房があった。
「っっっ!!」
あまりの居心地の良さにそのまま感触を堪能してしまったユウリの顔は瞬く間にまっ赤となった。
慌てて逆方向に向き直るユウリを見てヒナミはニヤニヤと笑っていた。
「うふふ。やっと年相応っぽくなったね。んじゃあ行きますかー!何して遊ぼうかな!」
「……ヒナミさん、資料落とした儘ですよ。」
「あーっ!早く言ってよユウリ君!……って何よそのしてやったり顔はーっ!」
彼女との出会いは、彼の今後の人生を大きく左右する事となった。