第6話
【(8年前) カーナ村 外れの森】
雨が降り続く中、ノリムネとクラサは見えない誰かに誘われて森の中を歩いていた。
クラサが翳す杖の先が光源となって光を生み出し、暗く湿った森を明るく照らす。
「……妙だな。」
見えない誰かは確かに存在する。強大な魔力、迸る波動。
しかし何かが変だった。その何かが解らないのだが。
「ええ、妙ね。見えないけど居る。でも居ない。」
クラサは足元を照らしながら眼前に広がる暗闇に目を向ける。
敵意は無い。だったら姿を見せても良いと思うけれど。
二人は首を傾げながら森を進んで行く。
「このまま進むとノーヴェか。夜行性の魔物達に遭わなければ良いが。」
耀鉱山ノーヴェ。いや、その他の耀鉱山にも言えるのだが、耀鉱山周辺には強力な魔物が住み着く場合が多い。
さらに耀鉱山と呼ばれる一帯の地域は容易に採掘が出来なく、ポツポツとある自然の洞窟を採掘拡張しながら耀石を掘るしかない。当然その洞窟には魔物が住み着く。
耀鉱山の地表が硬過ぎる為だ。
質の悪い耀石は其処ら辺に石ころと同じように転がっているし、大きいものは土に埋まっている。
耀鉱山には多くの耀石が地から顔を出し、色鮮やかに山を守っている。
宝が埋まる危険で美しい要塞。それが耀鉱山である。
【(8年前) 耀鉱山ノーヴェ 未開拓洞窟】
森を抜けると拓けた場所に出た。
ノーヴェの一角に着いてしまったのか未だに人の手が加えられていない洞窟が口を開けている。
いつの間にか雨は止み、虫が鳴く声が聞こえ始めていた。
雲の隙間から覗き出した2つの月が辺りを照らす。
ノリムネとクラサは洞窟の前に佇む人影に意識を向けた。
自分達から20m程離れているだろうか。
真っ黒な外套を着込んだその顔はフードに隠れて見えない。
その人物の足元には布を巻いた様なモノが落ちている。
「女か。」
ノリムネはその人物の体格や雰囲気から女性である事を見破った。
「……ノーちゃん、浮気?」
クラサは正面を向いたまま目を細めて呟いた。
「え!?ど、どどどうしてそうなる?!」
「浮気したら氷漬けにして埋めてから離婚して半殺しにするからね。」
「いやそれは氷漬けにされた時点で半分死んでるから!」
この夫婦はこんな状況でもいつもの姿勢を崩さない。それは冷静だとも言える。
ズオォッ!!
急に謎の人物から強力なプレッシャーが放たれる。
夫婦漫才をしながらもその人物から目を逸らしていなかった二人は正面からそのプレッシャーを受ける。
常人なら気を失うレベルの波動を二人は平然とした顔でやり過ごした。
プレッシャーに殺気は無かった。
「すまんな。俺達に用が有るのだな。」
「あらま。ごめんなさいね。それで、あたし達を呼んだのは何故?……ん?あら?」
そこでクラサは気が付いた。
謎の女性の足元で布に包まれているその命に。
耳を澄ますと泣き声が聞こえる。
「……赤ちゃんか?」
実は完全に臨戦態勢だったノリムネは少し気を緩めた。
謎の女性は屈んで赤子の頬を撫でた。
愛しむ様に撫でたその手はクラサにも負けない真っ白い手だった。
スッと立ちあがった女性はノリムネとクラサを見つめると軽く一礼した。
すると、いきなり女性の姿が霞み始めた。
ノリムネとクラサが何かを言う前に、その姿は消え失せてしまった。
謎の女性の気配は完全に消えている。
赤子の泣き声だけがこの空間を支配していた。
呆然とその様子を観察していた二人は我に返った。
「かなりの手錬だな。魔法陣を展開せずに転移したのか?いや、それとも幻影だったのか?」
ノリムネは顎に手を当て考えに浸る。
「それだとあの魔力や波動が説明つかないわ。どっか行っちゃったのならそれまでよ。」
クラサは考え込む夫を置いて赤子に向かって歩き出した。
「それもそうか。……しかし赤ちゃんを置いていったという事は、そういう事なんだろうな。」
妻の後を追いながらノリムネは呟く。
クラサはニィっと満面の笑みで夫を見た。
「そういう事よ。きっと。」
「おぎゃぁ!おぎゃぁ!」
「あらあら、泣かない泣かない。まだ出産して間もないわね。よいしょっと。」
赤子を抱き上げあやすクラサ。
「男の子か。よしよし。泣かない泣かない。男の子でしょう。」
少しだけ生えている黒い髪の毛の頭を撫でてあげる。
そんな姿をノリムネは複雑な心境で見つめていた。
「(クラサ……。)」
若い頃から子作りに励んでいたが、ノリムネとクラサは子宝に恵まれなかった。
年を取るに連れて子を産むには拙くなる身体、そして病も重なり、子を授かる事が難しくなってしまった。(当然そういう行為は続けているが。)
二人は子供が好きだった事もあり、孤児を引き取ろうかと話し合った事もあったが急な戦争が勃発し、結局は引き取る機会も無く今に至っていた。
「(謎の女性の事は気になるが、これは良い機会だったのかもしれないな。もしも神が存在するのなら今日だけは感謝しよう。)」
ノリムネは天を仰いだ。
数え切れない星たちが輝く川を創り、2つの月は神秘的な光を放ちながら決して離れずに周り踊る。
「ノーちゃん!」
「ああ、解ってる。早くその子を連れて家へ帰ろう。クラサもその子も身体を冷やすといけないしね。」
ノリムネはクラサの傍に立ち、肩を抱いた。
「うん。それは勿論なんだけど……この子……。」
自分の妻が要領を得ない言い回しするのは珍しいなと思い、赤子の様子を見た。
いつの間にか泣き止んだその子はぼやーっと目を開けてクラサの顔を見ている様だ。
……その瞳は血の様な紅だった。
自分でも息を飲むが判った。
目だけじゃない。この子から確かに魔力を感じる。しかもはっきりとした魔力を。
「……男の子と言っていたが女の子の間違いじゃないのか?」
「いいえ。ほら、おちんちん付いてるでしょ?」
「お、おち……いやまぁ、うん、本当に付いているな。」
しかし状況の整理がつかなかった。
クラサも眉を顰め、思考を廻らしている。
「この血の様な紅い目、赤ちゃんにしてこの魔力。特徴から言うと間違いは無いと思うが、男の子か。」
「聞いた事が無いわ。それに発症は大体5歳を過ぎた辺りと言われているわ。生まれたばかりで既になんて。」
「……人族では無いのかもしれないな。」
「だとしたら、そうでないのかもしれないわ。」
う~ん、と二人で考え込む。
「うぇっ、うぇっ」
場の雰囲気を察したのか赤子がまたも愚図り出してしまった。
「あらまあ、よしよーし。」
クラサは身体を揺らしながらあやす。
その姿は母そのものだった。
「ノーちゃん。」
赤子が寝始めたのを確認して、クラサはノリムネの顔を見た。それはとても優しい笑顔だった。
「そうだな。まぁ育ててみれば判るだろう。……それにこんなに可愛らしい子をこのまま放置するなんて出来ないしな。」
我が子を見る様な優しい表情でノリムネも答える。
「子、じゃなくてリクよ。」
「……いつ決まったんだ?」
ノリムネは表情そのままで固まった。
「いま。」
「……とりあえず家に帰ろう。そこで名前は相談だ。昔に考えた名前のリストを引っ張り出そう。」
「だめよ。リクって決まったの。ね?リクぅ~?」
クラサは自分の頬を寝ているリクに擦り付ける。
ノリムネは諦めた様に苦笑いを浮かべ、愛する妻クラサと愛する息子リクと一緒に帰路に着いた。
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【カーナ村 外れの森 ノリムネの家】
「(あれから8年か。時が経つのは早いな。……儂達の息子はいつも元気じゃよ。クラサ。)」
リクとの出会いを思い出しながら老いたノリムネは妻を想い感傷に浸る。
「(自分に自信が無くて、面倒臭がりで、繊細かと思ったらガサツで、でも優しくて、言われた事を守れて、情に厚くて、少しエッチで、そして冷静で。儂とクラサの性格を見事に受け継いだな。本当に血が繋がってるんじゃないかと思うわい。)」
「ん?」
そこでノリムネはリクのいつもと違う雰囲気を感じ取った。
「……どうかしたかリク?」
リクは座ったまま目を開け、ノーヴェの山々がある方の森を見つめていた。
表情は瞑想している時の様に無だった。
ただ、その瞳は黒から紅に変色している。
魔法を使っている様では無いから何か興奮しているのか?
……いや違う。……これは。
ノリムネは椅子から立ち上がり、近くにあった愛刀を引き寄せた。
「(儂が気付かなかったのに、この子は気付いたのか。ふふ、さすが我が子だ。)」
リクも立ち上がり、先ほど自分が小突かれた木刀を手に取る。
「じいちゃん、狩りに行く手間がはぶけたね。」
「そうじゃな。まぁ喰えるヤツなら良いが……それとじいちゃんで無くて父さんな。」
「……わかったよ、じいちゃん。」
「クラサは母さんと呼ぶ癖になんで儂はじいちゃんなんだろうか……。」
家の周りは開いており、周辺は森に囲まれている為、害敵が近寄ると直ぐに判る様になっている。
木々の間から何かが蠢き近づいてくる。
「クラサの魔除けの結界を撥ね退けれる魔物は多く無い。油断するなよ。」
ノリムネは既に戦闘へとギアを切り替え、森を睨む。
「わかった。」
紅い瞳のまま、リクは木刀を正面で構える。
何かが姿を現した瞬間、戦いが始まった。