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『信じるものは』

作者: ミオ
掲載日:2026/08/09

「今月、ちょっと足りない」


娘がそう言うと、母親はすぐに財布を開いた。


「いくら?」


「二万円くらい」


「貸すよ、お給料入るまでね」


娘は少し困った顔をした。


「でも、今はバイトできないし……」


「働いてから返してくれればいいから」


母親は笑った。


娘には毎月、父親からの養育費も振り込まれていた。


生活に必要なお金は、それなりに確保されている。


それでも娘が困ると、母親はお金を出した。


交通費。

洋服代。

美容代。

ちょっとした買い物。


「お母さんに言いなさい」


母親はいつもそう言った。


娘が何かを欲しがれば、


「いくら?」


と聞いた。


娘が困れば、


「貸すよ」


と言った。


娘が喜べば、母親も嬉しかった。


だから母親は、自分は良い母親だと思っていた。


けれど、娘が少しずつ母親から離れていくことには気づかなかった。


連絡が減った。


家に来る回数も減った。


電話をしても、


「今忙しい」


と言われることが増えた。


それでも母親は気にしなかった。


「大人になれば、そんなもの」


そう言って、通帳を確認した。


お金さえあれば、いつでも娘を助けられる。


お金さえあれば、娘との繋がりは切れない。


母親は、そう信じていた。


娘が就職すると、母親は少し期待した。


「これからは自分で稼げるんだから、少しは楽になるわね」


けれど、娘は自分の給料での生活を始めた。


母親にお金を渡すことはなかった。


「一人暮らしってお金かかるんだよ」


娘がそう言うと、


「でも、あなたにはお父さんから養育費も出てたでしょう?」


母親は言った。


娘は黙った。


母親には、その沈黙の意味が分からなかった。


「あなたに、いくら使ったと思ってるの?」


母親は、そう言った。


娘は小さく息を吐いた。


「……その話はもういいよ」


「何が?」


「お金の話」


母親は傷ついた。


けれど、反省はしなかった。


「心配してるのに」


そう思った。


娘が結婚したあとも、母親は何かあるたびにお金を出そうとした。


孫の誕生日。


入学祝い。


引っ越し祝い。


「これくらい受け取って」


娘が断っても、


「いいから」


と押しつけた。


そして帰宅すると、母親は通帳に金額を書き込んだ。


いくら渡したか。


いつ渡したか。


何のために渡したか。


忘れないように、きちんと記録していた。


それは母親にとって、愛情の記録だった。


年月が流れた。


母親は年を取り、娘との連絡はさらに減った。


娘から電話が来るのは、母親の誕生日や母の日くらいになった。


それでも母親は、


「忙しいんだから仕方ない」


と言った。


そして電話を切ったあと、独り言のように呟いた。


「まあ、困ったら私が助けてあげればいいんだから」


通帳には、まだ十分なお金があった。


だから大丈夫。


お金があれば、娘は自分を必要としてくれる。


そう思っていた。


ある日、母親は体調を崩した。


病院で検査を受けることになった。


受付を済ませ、待合室で一人座っていると、隣の老人たちが話していた。


「娘さん、今日は来ないの?」


「仕事があるからね。でも、明日は来てくれるって」


母親は何となく聞いていた。


そして、自分のiPhoneを見る。


娘からの連絡はない。


少し寂しくなった。


けれど、すぐに考え直した。


「まあ、仕方ないわよね」


そして思った。


――必要になったら、お金を出してあげればいい。


――そうすれば、きっと来てくれる。


母親は財布の中を確認した。


現金は十分にある。


銀行口座にもある。


だから大丈夫。


娘に何かあったら、いつでも助けられる。


娘もきっと、それを分かっている。


母親は安心した。


だから、


自分が寂しい理由も、


娘が距離を置いている理由も、


気づかない。


ただ、


「私は、ちゃんと娘を愛してきた」


そう思いながら、母親は通帳を引き出しにしまう。


そこには、娘に貸したお金と、渡したお金の記録が何十年分も残っている。


母親にとっては、


それが娘を愛した証拠だった。

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