惚れ薬、いっぱい
毒を一杯
「私のために、この毒、飲んでくれるんでしょ?」
昨晩私は半個室の居酒屋で、酔った女性がそれより若い男性の顔を覗き込むように絡んでいるところを見かけました。
その二人はスーツ姿で、年齢差を見ると、職場の上司と部下の関係を想像したのですが、実際にはわかりません。とにかくどちらもほろ酔いで、女性の方が落ち着いた様子で、男性をからかっているという印象を受けたのです。
この目撃は、お手洗いから戻る途中のことでした。しかも、二人の存在に気が付くと、私と二人の位置はあまりに近いのです。
いまどきアルコールハラスメントでしょうか、私は嫌な予想をしながら眉間に親指を添えました。
度を越えていたら店員さんに伝える必要があるでしょう。それこそ、酒は本来『毒』なのですから。
「ええ、うん」「その話ね」、と私は同席の友人らの話に気のない相槌を打ちました。
「毒がさ、呑んだら笑いが止まらないの。そんなのとか」「あとは、例えば、ほれ薬とかだったらどう?」「いやでも、ほれ薬なら君は飲まなくても大丈夫か」
女性の発言が続きます。からかうような調子です。
「いったん、ちょっと考えさせてくださいよ」
男性の声が初めて聞こえました。見た目通り若々しく、また意外に軽妙な声色です。嫌がりながら飲まされているようなパワーハラスメントの可能性は低くなり、安心しました。
「安心して。有効成分は厚労省基準の規定量以下だから」
このような、女性の方の回答の軽さとあっています。
「ちょっと、怖いんですけど」
「ゼロってことだよ、そんな成分ないんだから。そうだな、この薬の半分は、惚れっぽさでできている」
「嫌なバファリンですね」
「バファリンのもう半分がほれ薬でも矛盾しないんじゃない?」
「痛み止めを求めてる人を射止めてどうするんですか」
「弱ってる時がいちばん効くから」
私は彼女のその答えに口角が上がるのを感じました。
「さいてー」
男性の声も愉快そうに、わぁという感嘆に続けて聞こえました。
「でも結局飲んじゃうんだよね」
彼女は笑みのやや残った顔でコップの中身を見ました。実はこのときには、私は二人の声を聴くだけでは飽き足らず、どうにか冷静そうな顔つきをして二人を視界の端でとらえ始めていました。
私が自分のグラスに口をつけるふりをしていると、彼女は男性との間においていた例の毒入りのグラスを取り、「……じゃ、残りは私が飲む」と言い、次にーーーガチャン、と氷が鳴りました。
……飲み干したのだと思います。
「こんな年上に言わせるなよ」
彼女はそう言っていたように聞こえました。
私が見かけたのはここまでです。
惚れ薬、一敗




