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留守番電話は一軒だけ

作者: 弓庭柔悟
掲載日:2026/02/12

帰宅したのは、夜の十時を少し回った頃だった。


玄関の電気をつけると、留守番電話のランプが赤く点滅しているのに気づく。


「あれ……?」


この家の固定電話なんて、もうほとんど鳴らない。


営業か、間違い電話か、それくらいだ。


受話器を置いたまま、靴を脱ぎながら本体を見る。


――留守番電話 1件


「珍しいな」


再生ボタンを押した。


《……》


無音。


数秒、ザーッという微かなノイズだけが流れる。


《………………》


「なにこれ、無言?」


切ろうとした、その時。


《……おかえり》


小さく、かすれた声。


思わず、背筋が伸びた。


「……今の、誰?」


聞き覚えは、ある。


でも、すぐには思い出せない。


《今日も、遅かったね》


息を呑む。


声は、まるで受話器のすぐ向こうで囁いているみたいだった。


《電気、ちゃんと消して出た?》


私は、反射的に振り返る。


今つけたはずの廊下の電気は、確かに点いている。


《最近、忘れっぽいから》


「……やめてよ」


誰かの悪戯だと思いたかった。


でも、この電話番号を知っている人間は、ほとんどいない。


《ご飯、冷蔵庫に入れてある》


《温めて食べなさい》


そこで、音声が切れた。


ピッ、という無機質な終了音。


私はしばらく、その場から動けなかった。


「……気持ち悪い」


冷蔵庫を開けると、本当に、ラップのかかった皿が一つ入っていた。


「……え?」


カレー。


私が子どもの頃、よく食べさせられた味。


喉が鳴る。


「たまたま……だよね」


そう自分に言い聞かせて、受話器に手を伸ばす。


発信履歴を確認しようとした。


けれど、画面にはこう表示されていた。


――着信履歴 なし


「……?」


留守番電話があるのに、着信履歴がない。


嫌な予感がして、再生ボタンをもう一度押す。


《……おかえり》


同じ声。


同じ内容。


でも、よく聞くと違和感があった。


《今日も、遅かったね》


その“今日も”が、少し強調されている。


《電気、ちゃんと消して出た?》


《最近、忘れっぽいから》


――忘れっぽいのは、私じゃない。


《ご飯、冷蔵庫に入れてある》


《温めて食べなさい》


私は、はっと気づいた。


この言い方。


この順番。


生前、母が毎日留守電に入れていた内容と、ほとんど同じだ。


「……そんなはずない」


母は、三年前に亡くなっている。


事故だった。


しかも、この家じゃない。


「残ってただけ……?」


そう思って、留守番電話の詳細設定を開く。


保存日時。


――本日 21:42


心臓が、嫌な音を立てる。


「嘘……」


その時間、私はまだ会社にいた。


つまり、このメッセージは――


今日、誰かが入れた。


震える指で、音量を上げる。


すると、今まで聞こえなかった微かな音が、声の奥に混じっているのに気づいた。


《……おかえり》


――カチャン。


《今日も、遅かったね》


――ガチャ。


《電気、ちゃんと消して出た?》


――キィ……。


ドアの音。


この家の、玄関の音。


《最近、忘れっぽいから》


足音。


ゆっくり、廊下を進む音。


《ご飯、冷蔵庫に入れてある》


キッチンの引き出しが開く音。


《温めて食べなさい》


そこで、音声が終わる。


私は、今、自分が立っている場所を見る。


玄関。


留守番電話の再生が始まる直前、


私はこの家に入った。


つまり――


「……違う」


声が、震える。


「これ、留守電じゃない……」


再生されたのは、


私が帰宅する前、この家の中で起きた出来事。


ゆっくりと、電話機の表示を見た。


――留守番電話 1件


なぜ、一件だけなのか。


理由は、簡単だった。


この電話は、


外からの着信を録音しているんじゃない。


受話器が置かれたまま、


家の中の音を、ずっと拾っている。


そして――


留守番電話が「一件」なのは、


まだ切られていないから。


背後で、誰かが息を吸う気配がした。


《……ちゃんと、帰ってきたのね》


私は、振り返れなかった。


留守番電話のランプは、


今も赤く、点滅し続けている。


――録音中、を示す光のまま。

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