婚約破棄を阻止しようとしましたが、すべてが無駄だったようです
「こ、ここは?」
目が覚めて、アルフォンシーヌは自分がどこにいるかわからなかった。
豪華な家具が配置された広い部屋は、明らかに自分の部屋ではない。初めて見る部屋だった。
「私……どうして……」
頭が朦朧として靄がかかっている感じがする。どう考えても、自分がなぜこんな場所にいるのか思い出せない。
「私……確か、学園のパーティーで……」
靄のかかった頭で必死に記憶の糸を手繰り寄せる。
「アルフォンシーヌ・バロニエ! 今夜そなたと私の婚約は破棄する」
場所はカナルディル王国にいる貴族の令息令嬢が通う王立学園の大広間。
今日は王立学園の卒業式が行われた日。そして生徒会主催による卒業パーティーが、今まさに開かれようのしていた。
しかし、生徒会会長の王太子がパーティーの始まりを告げた後、彼は重大発表があると言った。
王族特有の輝く金髪に目が覚めるような青い瞳、そして整った美しい顔立ちの王太子エドアルドが、そこに居並ぶ生徒達の前で高らかに言い放ったのは、「婚約破棄」という言葉。
「婚約……破棄?」
それに対し応えるのは、たった今王太子から婚約破棄を告げられた当の本人、アルフォンシーヌだ。
代々カナルディルで大臣を務めてきた由緒正しいバロニエ侯爵家の令嬢で、幼い頃から王太子の婚約者として生きてきた。
絹糸のような美しい銀髪と、深い緑の瞳と女神もかくやと言う美しい容姿。すらりと長い手足に細い腰、誰もが見惚れるその彼女は、悲しげに二段上に立つ王太子を見上げた。
「どうして破棄などと……」
「元々そなたとの婚約は、亡くなった私の祖父とそなたの祖父の口約束から決まったこと。二人が亡くなった今、もうそれも効力を失ったも同然だ」
「たとえ口約束から始まったことだとしても、世に周知され妃教育も受けてまいりました。もっとはっきりしりた理由をお聞かせください。私が気に入らなければ、破棄ではなく事前に打診のうえ、解消するのが本筋だと思います。そして、このことは国王陛下や私の父も承諾していることなのですか?」
正論をぶつけると、エドアルドは一瞬怯んだ。
「小賢しい……その上から目線の自分がすべて正しいという態度。いや、態度だけではなくそなたから見下されるのが、我慢ならない」
「私の……背が高いことがお気に召さないと、それが理由なのですか?」
エドアルドとアルフォンシーヌは、彼が二段高い所に立つことで、僅かに彼女が見上げる形になっている。
しかし同じ地面に立つと、実際は彼女の方が少しばかり背が高い。
幼い頃はアルフォンシーヌの方が低かったが、思春期に入ってからグングン背が伸び、王太子を追い越してしまった。
その頃から、確かに彼は彼女を避けるようになった。だが、実際はそれより前……勉強でも彼女に及ばないようになってきてから、彼はアルフォンシーヌを遠ざけるようになっていたように思う。
「それだけではない、そなたは私が密かに想いを寄せていることを知って、その相手であるフィーネを苛めてきたではないか」
「フィーネ嬢……」
彼女は今王太子が名を口にした女性の姿を探す。彼女は王太子の側近で護衛のジョアンと共にいる。
「陰で彼女の私物を壊し、わざとぬかるみに突き飛ばしたり、彼女の家が貧しいことを馬鹿にしたりと、これまで散々嫌がらせをしてきたこと、私が知らないとでも?」
「そのようなこと」
「まさか覚えがないとは言わないな」
彼女が反論しようとするのを阻止するように、王太子がさらに被せるように言う。
「やり方が陰険で姑息だ。たとえ家柄が良く勉強が出来ても、そのような品性の欠片もない人間が王妃となってこの国を治める資格などない」
その台詞がエドアルドの口から出たのを聞いて、アルフォンシーヌは落胆した。
ーやはり、本当だったのね。
実は少し前から、婚約者の彼が男爵令嬢のフィーナ・ガロシアと一緒にいるところを何度か目撃していた。フィーナ嬢は、アルフォンシーヌとは違い小柄で、どこか小動物を思わせる愛くるしさがあった。
とは言え、成績は下から数えた方が早く、貴族令嬢としての最低限の立ち居振る舞いも身についていなかった。学園では身分は関係なく、共に机を並べて勉学に勤しむという建て前があれど、そこは礼儀として守らなければならない部分はある。
しかし、彼女はそれをせず、王太子に対して果敢にアプローチをかけていた。
アルフォンシーヌは上級生として、また成績上位者としと何だか彼女に注意してきた。
「私はただ、彼女のために貴族社会のしきたりや淑女としての節度を教えて差し上げただけです」
「それはそなたが彼女を下に見ているということだろう!! 傲慢にも程がある」
「そんな……」
アルフォンシーヌは周囲を見渡すが、皆彼女と目が合わないように視線を反らす。
つまり誰も彼女の援護をする者はいないというとこだ。
「こ、婚約破棄など……国王陛下や王妃殿下がお認めになりません」
「だが父上達は今外交で国内にはいない。名代は私だ」
国王と王妃は、今友好国でもある隣国の王族の婚儀に参列するため不在だ。留守の間の一週間は、今後王位を継ぐ王太子のいい練習になると、王太子が政務代行を担っている。
―この機会を狙っていたのね。
今日のパーティーも、本当ならエドアルドがアルフォンシーヌをエスコートするべきところだ。
だが、彼は生徒会長としての仕事があるからと、エスコートを断ってきた。
それを聞いてアルフォンシーヌの父は、物凄い剣幕で彼女を責めた。
「お前が生意気だから殿下に好かれないのだ。もう少し控え目にして、殿下を立てることを考えろ」
と言って、すべてアルフォンシーヌが悪いと責めた。
早くに母を亡くしたアルフォンシーヌに、父は無関心だった。彼女が王太子妃となり、未来の王妃になるとなって初めて娘に関心を向けてくれた。
エスコートを断られただけで、そんなことを言われたなら、婚約破棄ともなれば、どんな何を言われるかわからない。
今度こそ勘当されて、家を追い出されるかもしれない。
しかし、エドアルドは一度こうと決めたら、自分の意志を曲げない性格だ。今ここで彼女が何を言っても、彼はアルフォンシーヌの話に耳を傾ける気はなさそうだ。彼女は諦めのため息を吐いた。
―どうしてこうなったのかしら……
「殿下のお気持ちはわかりました。ですが、私との婚約破棄と、新たにガロシア嬢を王太子妃に擁立することは別の話。正式に議会と国王陛下の承認を得るまでは、一時保留」
「その必要はない」
「え」
目を見張ったアルフォンシーヌの目前に、エドアルドは上着の内ポケットから、丸めた羊皮紙を取り出した。
「実は先日臨時議会を招集し、そなたとの婚約破棄についての議題を提案した。結果は出席者の三分の二以上の賛成多数で、承認された」
「そんな……」
アルフォンシーヌは文字が読める位置まで王太子に近づき、目を細めて内容に目を通した。
そこにはエドアルドが言った通り、彼女との婚約破棄と、フィーナ嬢との婚約について承認がされたことを、議長の名で明記されていた。
「いつの間に……」
国王夫妻とアルフォンシーヌが共に留守になることは、数カ月前から決まっていた。それに合わせて議会を招集し、議決を得るなどという行為をエドアルド一人が考えたとは、とても思えない。
では、フィーナと二人で考えたのかと言えば、それも怪しい。
誰かが入れ知恵し、手を回したと思われる。
それが誰なのかわからないが、彼女の家と対立する派閥か、新たに生まれる勢力でもあるのだろうか。
しかし、彼女の家はどちらかと言えば王室よりでも貴族よりでもなく中立で、取り立ててどこかの派閥と仲が悪いということもない。
―私とエドアルド殿下の婚約が破綻して、 得をする者とは誰かしら?
フィーナの父かと一瞬思った。娘が王太子妃になれば、彼は一気に未来の国王の舅になる。もしフィーナが男子を産めば、祖父ともなる。だが、たかが男爵の彼が議会を簡単に動かせるとは思えない。
「本来なら婚約破棄だけで済ますところだが、そなたはやってはいけないことをした。フィーナに対し、密かに暗殺者を送ったことも知っているのだぞ」
「あ、暗殺ですって!!」
あまりのことに、アルフォンシーヌは思わず声を上げた。
「暗殺ですって」
「そこまで……」
「恐ろしい」
周りからもエドアルドがたった今放った言葉に対し、どよめきと囁きが聞こえる。
「一昨日、フィーナが私と別れて家に帰る途中、彼女の乗る馬車が襲われた。幸い、ジョアンが異変に気づき駆けつけたので、賊を退け助けられたから良かったが、危うく死ぬところだった」
「わ、私……怖かった。いきなり取り囲まれて、殿下から手を引けと言われて……」
震えながら、フィーナ嬢は自分の身に何が起こったのかを説明する。
「可哀想なフィーナは、恐ろしさのあまり夜も眠れなくなり、食事も喉を通らなくなったのだぞ。見ろ、このやつれて睡眠不足の顔を」
エドアルドはそういうが、フィーナ嬢の肌はツヤツヤで、とてもやつれて寝不足には見えない。
「私が暗殺者を差し向けたという証拠でもあるのですか」
百歩譲って、エドアルドがアルフォンシーヌを嫌い、フィーナとの結婚を望み、婚約破棄をつきつけたことは受け入れられても、暗殺を目論んだと濡れ衣を着せられてはたまらない。
ここは譲れないと彼女は抗議した。
「語るに落ちたな。アルフォンシーヌ」
待ってましたとばかりに、エドアルドはにやりと笑った。
「証人をここに連れてこい!」
エドアルドが一層声を張り上げた。すると、それを合図に甲冑を来た騎士二人に挟まれて、髭面の男が連行されてきた。
「この男性は?」
騎士達はアルフォンシーヌのすぐ前で立ち止まる。
「白々しい。見覚えがあるだろう? そなたがフィーネの暗殺を依頼した男だ」
「なんですって!!」
エドアルドの言葉を聞いて、アルフォンシーヌは驚いて男を見る。もちろん見るのは初めてだ。
「私に言ったことをもう一度この場で言ってみろ」
戸惑うアルフォンシーヌを無視して、エドアルドが男に命令する。
「確かに五十ゴールドと引き換えに、私にフィーナ・ガロシアを殺せと言ってきたのはこの女です」
「な!!!」
男が口にした言葉にアルフォンシーヌは絶句した。
「恐ろしい」
「本当だったのか」
周りからまたもやどよめきが起こる。
「そんな筈はないわ! 私はそんなこと頼んでいない。この男は嘘を言っているわ」
「白を切るのはいい加減にしろ! そなたがそう言うのはわかっていた。しかし、こうやって証言があるのだから、素直に認めろ」
「いいえ、私は、暗殺など企てておりません! 濡れ衣です。嘘をついているのはこの男の方よ」
アルフォンシーヌは両手で耳を塞ぎ、頭を振る。
身に覚えのない暗殺計画を企てたと言われ、必死で否定する。
「嘘などつかない!! どっちにしても俺は死罪だ。嘘をついたところで、それは変わらないのにどうしてそんなことをする」
男が声を張り上げ、アルフォンシーヌの言葉を真っ向から否定する。
「どこまでも強情な女だな。これでもまだ白を切るか。おい、あれを出せ」
「は」
エドアルドが騎士の一人に声を掛けると、騎士は懐から袋を取り出し、彼女の前にパセリと放り投げた。
「これは……」
足元の袋には見覚えのある紋章が描かれていた。 カエデの葉と雌の鹿の顔。
「その男が暗殺を頼まれた時に、報酬として受け取った金貨を入れていた袋だ。そこに記されているのは、バロニエ家の紋章だ。当主の侯爵は雄鹿、牝鹿はバロニエ家の女性が使用している柄だ」
「そ、それはそうですが、でもこれは……何かの間違いです」
「往生際が悪いぞ。潔く己の罪を認めろ」
「そうだ。お嬢さん。おれも罪を認める。あんたも観念して、自分の罪を認めるんだな。言っただろう? あんたとおれは一蓮托生だと」
男がニタニタ笑いながら、アルフォンシーヌにそういう。
「私は何もしていません! 信じてください。暗殺などと、そんな恐ろしいこと、考えたこともありません!」
「無駄だ! 観念して罪を認めろ! 君も王太子妃となる筈だった人間だ。これ以上無様な醜態を晒すな」
「違います、私は……」
「無駄な抵抗はするな。この女を暗殺を企てた罪で捕らえろ」
エドアルドが叫び、騎士の一人がアルフォンシーヌに近づく。
「やめて! 私はやっていない」
アルフォンシーヌはすっかりパニックになった。どうしてこんなことになったのか、まるでわからない。
たとえエドアルドに冷たくされても、彼女は誰にも恥じることなどない。
だからたった一人でもこうして今夜ここに来た。
ー堂々としていればいい。あなたは誰よりも気高く、高貴な女性。誰もあなたを貶めたりしない。ありのままの君で良い。いつかエドアルドも気づくだろう。だれが自分に相応しいかと。
そうあの人は言ってくれた。
「……確かあの後、騎士に拘束されて……」
アルフォンシーヌの細腕では、騎士に抑え込まれたら逃げることもできなかった。
あっさりと取り抑えられ、後ろ手に縛られ声を出せないよう、口も塞がれそのまま学園の外に連れ出された。
会場を出ていく彼女を眺める人々の哀れみと好奇の視線にさらされながら。
建物を出ると、窓のない罪人用の護送馬車が待ち構えていて、彼女はそこに押し込まれた。
座席もない馬車の床に倒れ込み、打った向こう脛の痛みに涙が滲んだ。馬車はすぐに動き出す。
―私はこれからどうなるの……それにしても、この匂いは何?
中は真っ暗で何も見えない。しかし、何か甘い香りが漂っている。
―気持ち悪い……
馬車の揺れと鼻を刺激する甘い香りに酔い、吐き気がこみ上げてきた。
我慢しようもするご、めまいもしてきて、頭がぼーっとしてきたかと思うと、いつの間にか意識を失っていた。
そして目を覚ますと、この部屋にいた。
「てっきり牢屋に入れられると思っていたのに……」
牢屋がどんな所か見たことはないが、ここは違うとわかる。でも助かったと言えるのかわからない。
自分がどこにいるのかも、どうやってここに来たのかもわからない。
窓辺に近づき外を見ると、目の前には海が広がっていた。自分がいたカナルディルの王都アラーニャから馬車で東に半日かけて移動すれば、海のあるオリベラという町があるが、ここはそのオリベラなのだろうか。
「一体ここは……」
窓を開けようとした時、扉を開ける音がした。
「あ……」
声がして振り向くと、そこにはアルフォンシーヌがよく知る人物が立っていた。
「お目覚めになられたのですね」
爽やかな声でそう言って彼女に微笑んだのは、長い黒髪に金のような瞳をした背の高い男性だった。
「べ、ベナール……先生?」
「シルヴァイン……シルヴァと呼んでくれてもいいといいましたよね?」
そう言って、靭やかな動作でこちらに向かって歩いてくるのは、学園で図書館館長兼歴史学教授をしているシルヴァイン・ベナールだった。
「どうし……どうして先生がここに……ここは何処なのですか?」
「どこか痛い所はありませんか?」
「え、あ……はい」
質問したのに、それには答えず逆に質問されてしまった。
「良かった。二日も眠り続けられていたので、心配したのですよ」
「え、ふ、二日も?」
「余程おつかれだったのですね」
日頃睡眠時間は四時間程度だった。少し体調を崩しても、ゆっくり休んでいることは許されなかった。
「ふむ、顔色もいい。普段も美しいが、生気が戻って肌艶も良くなって、美しさにさらに磨きがかかっている」
「え……」
まさか彼からそんな美辞麗句が聞けるとは思わず、驚くと同時に赤面する。
冷静沈着で、物静か。図書館でアルフォンシーヌが一人勉強して、わからないところがあると、さり気なく助言してはくれたが、それ以外は一定の距離感を保って見守ってくれていた。
「どうかしましたか? 顔が赤い。もしかして熱でも?」
「い、いいえ、だ、大丈夫です。そういうのではありませんから」
額に触れようとする彼の手から逃れるため、一歩さがって顔を伏せる。
エドアルドも父も、教師達も、誰もアルフォンシーヌの体調を気遣ってくれた人はいなかった。
これくらい出来て当たり前。それどころかもっともっとと、次から次へと課題をつきつけられ、休む暇もなかった。
「本当に、熱はないのですね?」
その声にチラリと視線を上に向けると、眉毛を下げて心配げに自分を見ている彼の表情があった。
アルフォンシーヌより頭一つ背が高いので、少し腰を屈めてこちらを窺っている。さらりと長い黒髪が揺れている。
その静かな佇まいと、美しい顔面は密かに女生徒達から人気があった。授業以外は図書館の館長室にいることが多く、食事もそこで取っているため、学園でも滅多に姿を見ることがない。だからその姿を見かけるだけで、皆が騒いでいた。
アルフォンシーヌはこれまで自分がエドアルドの婚約者であるということで、気持ちを律してきたが、彼の容姿が見惚れる程に整っていることは認めざるを得ない。
「あ…だ、大丈夫です。その……どうして先生が……ここはどこですか?」
「すみませんでした。まさかエドアルド殿下があそこまでされるとは思いもよりませんでした」
彼はアルフォンシーヌに謝罪した。
「いえ、先生が謝罪されることではありません。殿下の思惑など、先生は知る由もなかったことですから」
「しかし、あなたから相談を受けていたのに、結局何の役にも立ちませんでした」
「私はお話を聞いていただけただけで、随分救われました。いくら先生でも、王太子殿下の意向に逆らえばどうなっていたかわかりませんから」
アルフォンシーヌは少し前から、エドアルドとフィーネとのこので悩んでいた。
それを時折彼に話していた。だがその意図は、問題を解決したいわけではなく、ただ誰かに胸の内を聞いてほしかっただけだ。
悩みを打ち明け、彼に大丈夫だと言ってもらえるだけで、また次の日も頑張れた。
「先生のお陰で、私の気持ちは随分救われました」
「あなたは見た目の美しさだけでなく、どこまでも聡明でお優しい。まさに女神のようです」
「そんな……女神などと……ただの小賢しい傲慢な女です」
誉められ慣れていないアルフォンシーヌは、ベナールの言葉に動揺する。彼は本当に彼女の知るシルヴァイン・ベナールなのだろうか。
アルフォンシーヌは、初めて見る人物かのような気持ちで彼を見つめた。
「でも、せっかく相談に乗っていただいたのに、私は何も活かせませんでした」
エドアルドと上手くいかず悩んでいた時、彼は親身になって話を聞いてくれた。「ありのままの君で良い。いつかエドアルドも気づくだろう。だれが自分に相応しいかと」そう言ってくれて、気持ちが軽くなった。だから必死に努力して、立派な王太子妃になろうとした。
それがすべて裏目にでたばかりか、フィーネ暗殺の容疑者にされてしまった。
「あなたは何も悪くありません。あなたは立派な王太子の婚約者です。その価値を理解出来ない殿下が悪い。殿下の言葉など、まったく気にする必要はありません。己の不甲斐なさをあなたのせいにして、自分のための苦言を煩いと言い、おもねる者達の甘い言葉に酔いしれる愚か者です」
「そ、そんな……そのようなことを口にしては不敬だと処罰されます」
王族に対する悪口を言っていたと知られたら、どんな罰を受けるかわからない。慌ててアルフォンシーヌは彼を諌めた。
「構いません。ここにはそれを聞いても他に漏らす者はいません」
「あの、ここはどこなのですか?」
ベナールの登場に驚いて忘れていたが、ここは一体どこなのだろう。
「私は騎士に捕らえられて、護送車に乗せられたのでは?」
「ええ。もう少し早くに対処したかったのですが、先にあなたを救っては、計画が台無しになりますから。怖い思いをさせて申し訳ございません」
「……ということは、あなたが私を救ってくれたのですか? そのようなことをして、先生が罪を問われたりはしませんか?」
「大変な目にあったのはあなたなのに、私の心配をしてくれるのですか? 嬉しいです」
偽善だと言われても、自分のせいで誰かが誹りを受けるのは見たくない。
「真実を知りたいですか? 知ればあなたはもっと辛い気持ちになります」
「かまいません。もう既に後戻り出来ないところまで来ていますから」
「そう……ですか。では、座って話しましょう」
彼は近くにあったソファにアルフォンシーヌを座らせた。
そして彼もその隣に腰を下ろした。
「実は、殿下はあなたに罪を着せて、裁判に持ち込まれたら不利になると考え、あなたを事故に見せかけ殺すつもりだったのです」
「な、なんですって!!!」
衝撃の事実を聞き、アルフォンシーヌはさっと血の気が引くのを感じた。
「あなたから殿下のことを相談されて、私の方でも殿下の動向を探っておりました。そして偶然、その計画を知りました。もちろん、男爵令嬢暗殺も殿下の捏造です。あなたに冤罪をかけ、あなたが乱心して騎士に抵抗したため、やむなく騎士が脅そうとして、誤って殺してしまった。そういう筋書きだったようです」
「そんな……そこまで」
そこまで疎まれていたとは知らず、愕然とする。百歩譲って自分のことが気に入らなかったため、婚約破棄までは受け入れられたアルフォンシーヌも、命まで奪おうとしていたと聞いて、身の震えが止まらなかった。
「大丈夫ですか?」
声を掛けられ隣に座るベナールの方と見ると、心の底から心配してくれているのがわかる。
「先生が、助けてくれたのですか?」
「殿下の目論見を知り、先回りして賊を装い馬車を襲いました。殿下の手の者は、あなたに似た死体を見つけたことでしょう」
「では、私は……」
「世間では亡くなったことになっています」
「そんな」
今自分はここにいて、生きているのに、アルフォンシーヌ・バロニエという存在が、この世からいなくなったことになったと聞き、これから自分はどうすればいいのか。
「お、お父様は……」
「酷なことを申し上げるようですが、あなたのお父上が、あなたのために必死で何かをされるとは思えません」
ベナールの言葉を、アルフォンシーヌは否定することができなかった。
娘より家門を重んじる父は、たとえフィーネ暗殺が濡れ衣だったとしても、一度ついた娘の汚点を赦すとは思えない。すでにエドアルドとの婚約破棄は、大勢の人々の前で周知されてしまった。
父としては、悲運に命を落とした娘の葬儀で精一杯号泣し、周囲からの憐れみを一心に受けることを望むだろう。
「。それに、あなたの葬儀は既に昨日執り行われました」
「私の……私は……これからどうすれば」
打ちひしがれ、アルフォンシーヌは手で顔を覆い項垂れた。
「ここは、私の名義になっている。気が済むまでここにいればいい。幸い君と私を直接関連付ける証拠は何も無い。だから、これからのことはゆっくり考えよう」
ベナールの提案に、アルフォンシーヌははっと顔を上げた。
「そんな……先生にそこまでしていただく理由が」
「私に悪いと思う前に、君はどうしたいか教えてほしい。私は君を信じている。君がガロシア嬢を殺そうとしたなんて、私はまったく信じていない」
「あ、ありがとう……ございます。でも、どうしてそこまで良くしていただけるのですか?」
「君のことを放っておけないからだ」
彼が言った言葉の意味を、どう受け止めて良いかアルフォンシーヌにはわからなかった。
シルヴァイン・ベナールについて彼女が知っていることと言えば、年齢は二十八歳で実家の爵位は伯爵。しかし兄がいるため彼は爵位を継ぐことはなく、学園で働いているということだけ。
他の生徒達よりは言葉を交わしてはいるが、個人的な話は彼から聞いたことはない。一方的にアルフォンシーヌが悩みを打ち明けていただけだ。
その程度の知り合いである筈の彼が、どうしてこんなにも自分によくしてくれるのか。
もし自分を手助けしたことが知られたら、彼だってただでは済まない筈だ。
今のところ、自分は死んだことになっていて、自分を探そうとする者がいないことを祈るばかりだ。
「放っておけないというのは……」
「君は何も心配する必要は無い。この屋敷の外に出さえしなければ、自由にしていただいて構いません。あなたはずっと多忙な日々を送ってきた。誰のためでもなく、自分のために生きてみるのはどうですか?」
「自分の……ため?」
「そうだ」
アルフォンシーヌはこれまで、そんな風に言われたことは無かった。だから急にそんなことを言われても、戸惑いしかない。
「時間はたっぷりある。欲しいものがあれば何でも言ってほしい。このベルを鳴らせば、使用人がやってくる」
「あの、どこへ行くのですか?」
立ち上がったベナールに、アルフォンシーヌは縋り付く想いで尋ねた。場所もわからないところで一人にされるのは不安だ。彼女に彼が唯一の頼みの綱だった。
「学園に戻ります。そんな不安そうな顔をしないでください。その後の様子を確認してくるだけですから。すぐに戻って来ます」
「本当に?」
「ええ。だから安心してください」
ベナールは微笑んで、アルフォンシーヌの不安を拭う。
「……わかりました。でも、本当に早く帰って来てくださいね」
ベナールがアルフォンシーヌを置いて部屋を出ると、そこに若い男女が二人立っていた。
男性は屈強な体格をして護衛らしく武装しており、女性はメイド服を着ている。
「私は一旦、学園に戻る。警備を強化し、外部から来る者をネズミ一匹入れるな」
「畏まりました」
男が頷く。
「彼女を絶対に一人にするな。ただし、自分が見張られていることを悟らせないよう、自然に振舞え」
「畏まりました」
女が頷く。
「頼んだぞ」
「お任せください。殿下」
「それを口にするのはまだ早い」
「申し訳ございません。つい」
ベナールが男の言った言葉を注意する。
「あと少しだ。それまで待て。札は揃った。後は彼らの自滅を待つだけだ」
「その日が待ち遠しいです」
「私もだ」
ベナールは今自分が出てきた扉を振り返る。
自分が立ち去ろうとしたのを、不安そうに見上げるアルフォンシーヌの表情を思い出し、満足そうに微笑んだ。
彼女が自分に対し、絶大な信頼を寄せてくれている証拠だ。
「もう少しだ、アルフォンシーヌ。君に相応しい場所を用意してあげるから。誰も君の代わりはいない。そして君が一番輝くのは、私の傍だ」
再び二人に「頼んだぞ」と告げ、彼は屋敷を出ると待機していた馬車に乗って、王都へと向かった。
アルフォンシーヌが目覚めた屋敷は、彼女が思ったとおり王都から馬車で半日の海辺の街、オリベラにあった。だが、そこはベナール家の所有ではなく、外国人の名義になっているため、ここに彼女がいることは誰にもわからないだろう。
シルヴァイン・ベナールは、表向きはベナール家の次男として生まれていたが、ベナール伯爵夫妻の実子ではなかった。彼がそのことを知ったのは、彼が学園の図書館長に就任した後だった。
両親に呼び出され、そこで自分の出自を知った。
彼の本当の母親は、父だと思っていたベナール伯爵の妹、サラ。彼女は社交界デビュー後、すぐにある男性の子を身籠もった。その男とは、当時の王太子。現在の国王だった。
当時彼には婚約者がいた。エリザベス・バークラー侯爵令嬢。シルヴァインの生みの母は、彼女の取り巻きの一人だった。王太子は美人だが、苛烈な性格のエリザベスを嫌っていて、サラに癒やしを求めた。
気弱な彼女が王太子を拒絶することは出来なかった。
娘の妊娠を知った伯爵は、すぐに彼女を領地に送った。表向きは病だと言って。そこで彼女は男子を産んだ。それがシルヴァインだ。
その後、母は外国へと移り住み、そこで出逢った男性と結婚したと聞いた。
しかし、自分が王の落胤だと知っても、特段彼の生活に影響はなかった。王位に感心はなく、ただ慕っていたベナール伯爵夫妻が、実の両親でないことを残念に思っただけだ。
アルフォンシーヌに出逢うまでは、正直自分の血の繋がった家族のことなど忘れていたくらいだ。
アルフォンシーヌ・バロニエは、王太子エルドランの婚約者だった。
かつてのエリザベス・バークラーと同様に、彼女もきっと高慢で鼻持ちならない甘やかされた貴族令嬢だと思っていた。
しかし、図書館で見かけた彼女は、思っていたような令嬢ではなかった。
時折話しかけているうちに親しくなり、彼女からの相談を何度か受けた。エドアルドは出来過ぎる彼女に劣等感を抱き、彼女を避けていた。それだけでなく、他の令嬢と懇意にしている。
自分の母とは立場が逆だったが、自分の母を孕ましておきながら、婚約者と別れることができず、母を捨てた国王。そして婚約者がいるのに、放置して他の令嬢に現を抜かす王太子。
エドアルドは王の器ではない。彼女が妃でなければ、彼だけでは国は立ちゆかなくなるのは目に見えている。
しかし何よりも腹立たしいのは、必死に王太子妃として、未来の王妃として努力しようとするアルフォンシーヌを蔑ろにしていること。
国の未来については、国外にでも行けば何とかなる。
だが、アルフォンシーヌへの仕打ちは許せなかった。
王太子の婚約者となってから、彼女が重ねてきた努力。寝る間も惜しんで、勤めを果たそうとしてきた。その努力を無駄にしようとするエドアルドが許せなかった。
「いらないなら、私がもらう」
彼女の絹糸のような銀髪に触れ、激務で隈が出来てはいるが白く滑らかな肌を撫でるのは自分だ。エドアルドにはその権利があったのに、彼が自分がどれだけ恵まれていたのか、気づいていない。
生まれた時から王太子として、あらゆる特権を手にし、アルフォンシーヌという宝まで約束されていたのに、愚かなエドアルドはそれを放棄したのだ。
「あと少しだ、アルフォンシーヌ。君の居場所は私が作る」
彼女がエドアルドとの不仲に傷つき、思い悩んでいた時、ありのままの君で良い。いつかエドアルドも気づくだろう。だれが自分に相応しいかと。
エドアルドがアルフォンシーヌに劣等感を抱いていることを知って、わざと彼女が彼に嫌われるように仕向けた。
フィーネの暗殺は、婚約破棄をもちかけるためエドアルドが考えた案だった。無理があると思ったが、それを知ってそのまま放置した。代わりに彼が暗殺を偽装した証拠を握っている。
議会を巻き込む件は、フィーネにそれとなく耳打ちした。彼女は何を勘違いしているのか、アルフォンシーヌに対抗心を燃やしていた。その敵愾心を煽れば、深く考えもせず餌に飛びついた。
議長の弱みを握り、無理矢理婚約破棄と続くフィーネとの婚約を承認させた。その件も、議長には二人に脅されたのだと証言させる手配はしている。
もちろん、アルフォンシーヌが死んだことになっていてというのも、エドアルドが彼女を殺そうとしていたというのも、葬儀の話も嘘。
騎士も彼が雇った人間はすべてシルヴァインの息がかかった者達。
エドアルドはアルフォンシーヌを牢獄にいれられればそれで満足だ。
来週国王夫妻が外遊から戻って来たら、すべてを暴露する。
婚約者がいながら、他の令嬢と通じた不貞。暗殺の偽装と冤罪。そして議長への脅迫とアルフォンシーヌの殺害計画。すべての証拠を新聞社に送り、王太子の不適格性を問い質す予定だ。
彼は否定するだろうが、様々な証拠がすべての黒幕が彼だと物語っている。
「さて、我が世の春を楽しんでいる、エドアルド達の顔を見物しにいこう」
その後は自分が誰の息子か名乗りを上げる。そして再び彼女を迎え入れる。
「だが、まだだ。もっと彼女を私に依存させ、私なしではいられないよう彼女を甘やかせてやろう」
既に彼女は絶望し、自分を頼りにしかけている。
「愛しているよ。アルフォンシーヌ」
シルヴァインは馬車の窓から晴れ渡った空を見上げて、そう呟いた。