滑走路灯(2)
<toシシイ fromミテキ 今、あの小夜子からメールきました。すぐに会えないなら死ぬって。いつものことだけど。>
送信後すぐに、『you can fl』、シシイがメールを確認し、
『ごめん、ちょっとお手洗いいってくる』
トイレから連絡がきたので、「you ca」、はいミテキです、と出ると、シシイはもう泣きそうな声をしていた。
『小夜子、本気だと思う。』
ちょっと、おちつきなよ、と言う間もなく、シシイは言う。
『おとといの夜に会った時に、泣きながら言っていたから。一緒に死ぬ人探しているって。だから、僕はすぐ行かないと。ナミエ置いていくけど、あとはよろしく。』
「ナミエじゃなくて、マユミじゃなくて、ミハルだろ。本当におとといなの?おととしじゃなくて?どうせいつもの狂言だよ、落ち着きな。」
『間違いない、おとといだ、小夜子に刺された腕がまだ化膿してるんだ。あとで写メしようか』
「そうじゃなくて!刺された?大丈夫なのかよ?」
そんなことがあったと知らなかったから、俺まで不安になってきた。
『よろしく』
まて、あ、切れた、切りやがった。なんでいつも俺の話を聞こうとしないんだよ。“一緒に死ぬ人を探している”だって?まさかシシイ、死ぬ気じゃないだろうな。そんなわけ…あるかも。俺がへたって座りこもうとしたとき、
「You can fly You can fly You 」
まさかのシシイからのコールバック。俺は電話に飛びつき叫んだ。
「はい!行くんじゃねえ!死ぬ気かよ!」
『しー、ミテキ、おねがい、きいて。トイレの手を洗うところにさ、悟史がいて、出ていけないの』
「悟史?三浦悟史?おかしいな、デートの予定バッティングした?」
『動けないよ、なんとかして』
「わかった」
と言いながら、俺の右手はもう、青いスポーツカーみたいにつやつやした携帯をつかみ、カコカコカコカコメールを打って、三浦を外へ誘導していた。反射的に仕事をしてしまう俺。るんるんるん、相手に俺のメールが届く音がする。
『あ、出て行った』
「シシイ、あのさ、」
悪い予感がするから、深入りしないでほしい。行かないでほしい。そんな女の脅迫に乗らないでほしい。死ぬなんて考えてないってはっきりいってほしい。俺のことをもっと、と口にする前に、つまらない白い携帯がちらっと光りだし、俺がそれに向かってハタキをぶん投げていると、シシイが言った。
『ミテキ、ありがとういつも。何もかもミテキのおかげだよな。』
積乱雲の中から、ふいに浮上、深呼吸。静かすぎる紫色の空に星が散っているのがみえる。どうしよう、油断した。でも、俺はもう一度深呼吸してその空気を味わう。そして言った。
「絶対帰ってこいよな」
『じゃあ』
それっきり。
なんの連絡もなく、
零時をまわり、現在に至る。
携帯電話の電源も切られている。思えば、『じゃあ』ってなんなんだ、じゃあって。ちゃんと返事しろよ。愚直だからこそ得られる信頼もある、なんて思わずに、あんなメール削除すればよかった。もう会えなくなってしまうのかもしれない。そうしたら何もかも終わりだ。さっき一瞬、雲の上に顔をだした俺は今また、雲の海に窒息しそうになっている。
ホテルの窓から見える飛行場には、とっくに夜のとばりが降りていた。飛行機は、濡れた鳥がぬくもりを守ろうとするように、滑走路に並んでじっとしている。地平線までぽつぽつとならぶ滑走路灯。あれが消えるとき、飛行機は飛ぶことも着陸することもできなくなる。俺たちは、まだ、飛べるのだろうか。
このままシシイが帰還しなかったら、俺はどうなるんだろう。シシイの幽霊みたいにメッセージを送り続けて、でも、きっと、着信メールの数は減っていって、そして、忘れられる。怖くなって、俺は、今日何十回目かの電話をかける。
その時、かすかに、
巨鳥の羽ばたきの音にまざって遠くで、
扉の向こうの廊下の奥から、
You can fly! You can fly! You can fly!
聞こえてきた音に向かって俺は駆けていき、扉をあけて、
「ミテキ、いれて?」
声の主に抱きついた。
シシイは、ずぶぬれで、目がしらに血の塊をつけて、おぼつかない足どりで部屋に入ってきた。俺は、誰に対してかわからない怒りと悲しみがこみ上げてきたけど、床に倒れこみ目を閉じるシシイの体を拭き、頭の下に枕をおいて、毛布をかける。それでも、シシイの震えがとまらないので、何かないかと探して、毛布の上から制服をかけた。そうする俺の手まで震えていた。
シシイの手が、床をたたいて、そばに座れという。俺が横に座ると、シシイは頭を膝にのせてきた。俺は、シシイの髪を撫でる。
「ミテキ、俺って今日、何してた?よく憶えていないんだ。教えて」
シシイが俺の手を握った。
だから俺は、少しだけ落ち着きを取り戻して、シシイに話して聞かせる。
柏木ミハルと一昨年ぶりに会って、カフェでお茶をして、でも、臨時便の飛行機に乗ることになり、急に立ち去らざるを得なくて、泣きだしたミハルに謝って、パリのラデュレでお土産を買ってくるねと約束したよ。それから、半年ぶりに会う三浦悟史とカフェで会う予定を、急に変えて、ホテルに呼び出して。でも結局フライトの予定が入って会えなくなったから、今度こそ抱くね、って謝って。なのに、今、なぜかシシイは空にはいなくて、こんなボロボロになって、ここに帰ってきたんだよ。
「そうか、僕ってどうしようもないね」
そういって手を強く握ってくるシシイに、俺はまた、
「ミテキ、ずっと俺のそばにいて。俺のことだけみてて」
地上からは、けしてみることができない永遠の晴れ間を見せられてしまう。それは、俺が言いたかったことだ、油断した、あっちょんぶりけ。
きっと、息つぎのあいだだけだとわかっている。でも、この一瞬のために生きてもいいと思うくらいの星空が広がり、眼下の雲が地球を覆い始めている。そこに灯りがあろうとなかろうと、離陸しはじめた飛行機をとめることは誰にもできない。
朝が来たら、また長い間、シシイは空に帰る。
第一部はこれで完結です。
第二部は、気長にお待ちください。夏以降になるかと思います。