異常なアイツ――5
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それが春だったか、はたまた夏だったか、秋なのか冬なのか。僕は季節を覚えていない。それは勿論、僕があの時のあの記憶を忘れようとしているからに違いない。
ただ一つ。真っ赤な液体は想像よりも濁り黒く、とても熱い物と感じたことだけ。
”殺人鬼”。鬼と呼ばれた彼等は何を基準に人外の烙印を押されたのだろう。殺人犯という枠組みから、何を特出していたのだろう。ただ一つ言えることは、彼らは大量の人間を殺したということだけ。
――結構僕は殺人鬼に向いている気がする。けれど、それは過去の行動を元にした話ではない。そんなことを想像してしまうような頭の悪い僕にだって善悪の判別はついている。
だから、僕は過去に犯した過ちを忘れようと必死だった。
殺人犯である僕が殺人鬼に向いているかもしれないと考える事態は不謹慎極まりない。だからこそ思うのだ。僕は向いているのだと。
「まあ、王様の言葉からすれば春空君はとっくにこちら側なんだし、今の反応だけで何かを殺していることは分かったわ。貴方に見せるべき場所がある。貴方が見なければならない場所がある。さあ、付いておいで」
差し出された華奢な手。その手を持てば確実にもう後戻りは出来ない気がした。否、もうとっくに手遅れだったのだろう。ここで手を取っても取らなくても僕は既に巻き込まれていただろうし、手を取らなければ翌日には死んでいたかもしれない。それは、後々解ったことだが。
結局僕はその手を取った。好奇心が抑えられなかった。不確かな物言いをするなら、本能が疼いた。現代社会の生きる人間の本能なんて露程の意味もないだろうけど。
来た時と同じ駅からモノレールに乗る。泪が言っていた場所に向かっているのだろう。沈黙の中で椅子に座る。未だに手を繋いでいたことに気づき、慌てて手を放した。
「人を化け物みたいに扱わないでよ。傷ついちゃうわ、全く」
わざとらしい言葉に怪訝する。明るい場所で見ると由兎は仮にも美しい。そんな人間と手を繋いでられるような耐性は僕にはない。それに……やはり、恐いのだ。この人の皮を被った何かが。彼女の言う通り、確かに僕は化け物を見るような眼で彼女を見ていたのかもしれない。
「由兎は、泪を王様と言っているみたいだけど」
一つの疑問だ。知り合いだとしても知人に向ける愛称にしては些かおかしすぎる。それに、二人の仲は険悪だ。加えて彼女は皮肉のように泪を王様だと連呼していた気もする。
「それは……おいおい話すわ。その事よりももっと他に話しておかなくちゃいけないことがあるから」
「もったいぶるね」
「理解の問題よ。Aも知らずにXは理解できないでしょう?だから、まずは、A。そうね。題して世界の話、でもしましょうか」
「世界?」
「そう、世界」
言われてみれば泪はこちら側と、口には出していないがあちら側といったように境界を引いていた。
「まず世界の話をするなら世界を定義しなければならないわね。私がこれから話す世界の定義は個人の集まり。つまり、群集とする。それを踏まえて、この世界は統一されていないわ。例えば平和な世界。例えば権力の世界。例えば暴力の世界、といったようにね。そして、私や王様、それに春空君も。私達がいる世界はどちらかといえば暴力の世界に近い場所にある。言葉にするなら”殺戮の世界”」
途端に背中や手に嫌な汗が流れる。ぬめりっけのある、冷たい汗。モノレールはぐんぐんと速度を上げているというのに車内の僕たちには重力しか感じられない。これも世界の分別だろうか。
「とある学者はこんな見解を発表したそうよ。”人は三つの規制に縛られていて人を殺すことが出来なくなっている。一つは法律。一つは世間体。そして最後の一つは本能である。”ってね。人は遺伝子に同族間引きが出来ないようにプログラミングされているとその学者は言ったわけ。それを証明する力は今もないから、検証さえされずに却下されたわ。けれど、私はそれも一つの答えだと思っている」
由兎は金色の後ろ髪を遊ぶように弄っている。その姿はどこにでもいる少女に見えないわけでもない。
「人を殺す者、殺せない者。状況に流され殺す者、殺せない者。そして私達がいる世界は明確な意思の元に殺す者達の住む地獄なのよ」
体にかかる負荷が少しだけ強くなる。目的地は目と鼻の先のようだ。
「春空君もこちら側なら感じたでしょう?人を初めて殺した時、死体に変わり果てた相手を見て、堪らなく愛おしく想ったでしょう?」
答えない。答えられない。答えたくない。
僕はそれを悪だと認識した。
僕はそれを触れてはならない異常だと察知した。
僕はそれを間違いだと悟った。
あの時の過ちを僕は忘却してしまおうと必死だった。殺してしまったことが過ちなのではない。その時に思ってしまった感情が許されざる過ちなのだ。
――ねえ、それ、ちょうだい……
子供心に恐怖した。自分の感情に恐怖した。僕はそれが欲しかった。僕はそれを食べたかった。僕はそれに魅入られていた。だから――僕はあの日あの時あの場所で、大好きだったお姫様の目玉を刳り抜いたんだ。
「私達がいる世界はそういう世界なの。そして、私達にこそふさわしい場所を国は用意してくれたわ。でないと爆発してしまったシンクロニシティが平和な世界を容易く凌駕してしまうと思ったんでしょうね。ほら、着いたわよ」
立ち上がった由兎は僕の手を掴んで無理矢理に立たせた。そして、俯き動こうとしない僕の顔を覗いて冷えた声色で問いかけてくる。
「あら、泣いてるの?」
僕は自分の異常性を知っていた。だからこそ無意識の内に普通に憧れていたのかもしれない。
知りたくなかった。気づきたくなかったんだ。
頭の中で僕に「ごめんな」と言った泪の顔を思い出す。
ああ、あいつ、なんて泣きそうな面してんだ。馬鹿だなあ、本当に。お前は僕以上に僕のことに気づいていたのに僕を巻き込もうとはしなかったじゃないか。
今にして不思議に思う。泪ほど自由な奴が僕のクラスを知らないなんて異常なのだ。異常が普通に振舞うことは異常な結果でしかないのだ。
「別に、泣いてないさ」
「あら、そう。泣いているならキスしてあげようかと思ったのに」
魔女は子供をからかうようにそう言って、僕の手を引いて歩き出した。僕が連れてかれるその世界は僕が望んでいた世界に違いないだろう。それがたとえ、人として犯してはならない罪だとしても。
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・後書き的な
世界や普通といった大衆の多数が定めるものというのは、言葉としてなんとも不確かなものだよなあ、なんて思います。信頼や愛も同様に。
それでも人は普通を求めるし、異常を嫌う。その答えさえ知らないままにその言葉を使う。まあ、不確かだからこそ扱い易いからかもしれませんね。
今回で一章は終わりです。と言いましてもまだまだ続きそうですが。
第一章・異常との出会い
言葉にすればこれまたなんとも中二病な(苦笑
ではよろしければまた次話で。