第四章・孤高な王者を目標に行進
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「……春空…………知って、る……?」
独特な花恋の間。
沈黙と沈黙の狭間でやっと紡がれる言葉。
僕達のような中学生、或いは高校生などの格好の遊び場である大きな商店街。アーケード。
その一つの通りである別名『スタン通り』。因み、老人の好む通りは『レトロ通り』と呼ばれていて、マニアックな方々が好み姉さんのバイト先がある通りは『サブカル通り』である。なんとも解り易いがなんともセンスがない。こんな名前を考えた奴が誰かは知らないが全くセンスの欠片もない。ほっとけ、と名づけ親が言いそうなものだけど。
ともあれ、スタン通り。この通りだけでも五十はざっと見ただけでも店が並んでいるのだが、その中の一店舗のクレープ屋。
クレープ屋の近くに置かれているベンチに僕と花恋と由兎は腰をかけて、舌を天国へと委ねかねない甘いクレープを食べていた。
四月二十六日。日曜日である。
日曜日にこうして三人並んで普通にクレープを食べているという絵面自体がかなり珍しい部類に入る。なにせ、この三人で集まれたのはまだ二度目だ。
偶然(偶然と呼ぶのはおかしい。学生ならば本来当たり前なのだから)金曜日に花恋が登校していて、屋上で授業をサボっていた。
前に一つ沸いた疑問があった。それは、花恋のクラスメイトは花恋が不登校児だと言っていたという事実。だが、どうやら花恋はたまに学校に来てはいるらしい。
但し、花恋は誰にも見つからないように登校し、屋上で時間を潰した後、誰にも見つからないように下校しているとのこと。
……それはもはや登下校とは言わないと思うのだが。それより、どうしてそんな無意味で無価値な行動をしているのかが解らない。それに対しての花恋の返答はこういうものだ。
「…………学生だか、ら」
返答であっても答ではなかった。
ともあれ、金曜日に花恋と屋上で会った僕は三人で遊ぼうと誘っていた。
花恋は快く頷いてくれたのだが、一つ余計でおかしな言葉も言っていた。
「…………さん、ぴー……」
僕が言うべき言葉ではないのだが、親御さんは花恋の育て方を大幅に間違えたと思う。
勿論、僕は全力で花恋の言葉を否定したのだけど。
そして、今。
ベンチには僕の隣に由兎、その隣に花恋という形でならんでいて、由兎はこれで中々世間に詳しい所もあり、テレビで見た面白かった話を花恋に喋ったり、花恋も相槌を打って聞きに呈している。
感情表現の薄い花恋だから由兎の話題に笑ったりしないのだけど、由兎は別に話を聞いてもらえるだけでいいらしい。凸凹な二人だけど凹凸が上手い具合に噛み合っているようだ。
さて、僕としてはそんなことを語りたいわけではない。
僕が今一番声を高らかに話したいのはそんなことではないのだ。
今日は日曜日。
ともすれば、二人は私服である。
由兎の輝きはなつ金髪。
花恋の透明のような薄紫髪。
どちらも個性的で鮮やかで、その二人が制服を着ていると妙に栄えて語り尽くせぬ感慨があるのだけど、二人の私服もそれはまた格別だった。
何度首を縦に振って頷き想いに老けても足りない位に、格別。
由兎はデニム生地で細身のダメージジーンズを穿いていて、上にはショッキングピンクの柄入りタンクトップ。上から黒のシックな薄手のジャケットを羽織っている。靴も動き易そうなスニーカーで、中学三年生らしく、彼女の外見にあった爽やかな印象を抱かせる着こなしに僕は心を震わさずにはいられない。
花恋は純白のワンピースを着ている。横にはスリット状に赤のタータンチェックが一本伸びていて、腰周りから三段のフリル、小さな花のワンポイント刺繍。それらがぐんと花恋の可愛らしさと奥ゆかしさを表現しているようでとても好感がもてる。とても幼く見えるけれど、とても可愛らしい。
なにより二人とも元が良いのだ。中性美女に美少女だ。何を着ても似合いそうである。
由兎は僕と身長が変わらない位でスタイルも良い。正直、僕と身長が変わらないのに明らか僕より足が長い由兎を見ると悔しいというよりも嘆息だ。
花恋は僕達よりも頭一つ分は小さい。保護欲が溢れるというか、問答無用で抱きしめたくなる愛玩動物のような可愛さがある。
そんな二人と並んでいるのだから集まる視線は予想以上に大きかった。ここまで注目の的になるとは。
二人が蜜と仮定して、群がる視線が蜜蜂とするなら……僕はなんだろう? 蝶? いやいや、自らを蝶と称するのは流石に頂けない――というより痛い。ならば、そうだな。人、でいいか。え、でもそれって搾取じゃないか。と妙な問答を始めた所で、花恋が言った。
「……春空…………知って、る……?」
あまりにも非生産的な考え事に没頭していたのもあり、急に由兎を挟んで話題を振られた時、僕には何がなんだか解らなかった。
勿論、花恋は声がとても小さいから、ずいっと大きく身を前に(横に)乗り出して、由兎の膝の上に乗っかるような姿勢だ。
「なにが?」
「春空君、聞いてなかったの?」
大袈裟に溜息を吐く由兎に何故だか申し訳ない気持ちになる。
きっとこの気持ちは由兎を目の前にすれば誰もが思う感情なのだと思うけど。
「大会よ、大会」
「大会? なんの?」
「それは勿論――あちらの」
明瞭に濁した言葉。
その伏字がなんなのかなんて考えなくても解る。
あちら、こちら――殺戮と、平和。
接点だらけでありながら裏表ではない二つの世界。内の一つ。
「大会なんてあるんだ」
「ええ。トーナメント式の、ね」
「……い……ち年に、一度」
一年に一度のトーナメント。
殺戮の大会。
殺戮の世界の大会。
「景品とかあるの?」
「今年はなんだったかしらね? 去年は一位が百万円と百万ポイントで、確か……願いが一つ叶うとか」
「ちょ、ちょっと待った」
なんだそのとある漫画の神様みたいな景品は。
「百万円って、こっちの金?」
「そうそう、こっちのお金」
「何を叶えてもらったの?」
「さあ」
素っ頓狂な返事をする由兎。興味がないのか調べていないのか、由兎らしいけれど。
横からROM専の花恋が会話に入り直す。
「去年……は、ギャルの、パンティー……」
「豚!?」
「う、そ…………くすくす」
どうやら花恋は僕をからかうのが相当好きなようだ。
「実際、は…………心身、の……キス……」
「…………」
呆然、唖然。
殺戮トーナメントは決して甘い闘いではないだろう。必死の思いと覚悟で勝ち上がった筈だ。その優勝者がこともあろうに、あの心身のキスを願うだなんて……いや、なんかもう、それはあまりにも場違いな気がするんだが。
「……因み、に……優勝者は…………王様……」
「おう、さま?」
随分その名前を聞いていなかった気がする。
いや、その名前で聞いていなかった気がする。
それは紛れもなく、青い髪の暴走天使である、天童泪に違いないのだけど。
しかし何やってんだあいつ。優勝してアイドルのキスが欲しいなんて子供じゃあるまいし。いや、子供か。
「あれ? 意外だな。龍神じゃないのか」
僕の疑問に、何故か黙っていた由兎が思い出したように口を開いた。
由兎の言葉は中々衝撃的ではあったけど。
「トーナメントはさ、あの世界では規格外とも思えるルールがあって」
次の言葉だけは由兎が意識して耳元で囁く。
「殺戮禁止なんだけど」
周りを意識してのことなのだろう。
実際、そんな言葉を聞かれても何がなにやらではあると思うのだが。念を込めた配慮だろう。
「龍神は毎年一回戦落ちなんだって。ほら、やっちゃうから」
「殺っちゃう、ね」
あの動画で見る限り、龍神という人間は完璧に壊れているようだった。
ずっと殺欲が溢れているような印象。
あんな人間が殺戮を我慢だなんて、狂信者が神に祈りを捧げないようなものだ。
「それで、春空君はどうする?」
「ふゅ?」
「え、えらく可愛い返事をするのね……」
龍神を思い出しながらクレープを食べている最中だったのだと言い訳させて欲しい。
だからそんな冷めた視線を投げかけないで、魔女様っ。
「だから、出るの? 大会」
「んー……出たいかな。出てみたい。面白そうだし」
「そう。じゃあ、決まりね」
「ああ」
殺戮の大会。
生殺与奪はどうやらないようだが、龍神のような輩は普通にいるだろう。
そういう世界なのだから。
もしかしたら僕だって、身に沸き起こる殺意を、殺欲を、止められないことだってあるかもしれない。
気を引き締めなければ――
「三泊四日ゴールデンウィーク東京旅行ーっ!!」
え、ええ?
「三泊四日? ゴールデンウィーク? 東京?」
「あれ、言ってなかった? 場所は東京で、大会は三日間で、日にちは五月の二日から五日までよ」
「一つも聞いてないです」
故意に教えなかったとしか思えない説明の抜け方である。
「……いぇー、い」
花恋はずっと由兎の膝にぐでーんと乗っている。
とてもゆるい意思の表現ぶりだけど、どうやら楽しみではあるらしい。
「花恋も行くの?」
いぇー、い。と言っているのだから花恋も行くのだろう。
だけど僕は聞くべきではなかった。
直ぐに後悔した。
花恋は滅多に笑わない表情をにんまりと作り、白い歯を魅せて楽しそうに言ったのだった。
「さん、ぴー……」
顔を真っ赤にして慌てふためく由兎と花恋の言葉を強く否定する僕をみて、花恋はそれは無邪気に微笑んでいた。
***
今日は四月二十六日。
出発日は五月二日とまだ一週間はあるのだけど、もう一週間しかないともいえる。
あの二人は普通に三泊四日の東京旅行と喜んでいたけれど、家庭環境がどうなっているのか全く不思議である。放任主義なのだろうか?
対して僕は――普通の親と過保護な姉だ。
親は普通だから中学三年生の僕に三泊四日の旅行なんて許しはしないだろう。姉さんはまあ、泣くのかもしれないけど。
……軽く絶句してしまう。
弟が旅行に三泊四日分いなくなり、それを知った姉さんが泣き喚き、それを予測し理解し受け入れている自分に嘆息を吐く。
しかし……どうしたものか。
当然、旅行と言っては認めてくれないだろう。
三泊四日だから友達の家に泊まりに行くと言っても許されないかもしれない。
その場合、空手道場の漱石辺りを頼りにしたいのだが、紅練師範が「もう来るな」と言っていたし、あいつらと関わりを持つのはあまり得策ではない。
恩を仇で返したくはないのだし。
困った。かなり困ってしまう。
軽やかに突破したいのだが、中学三年生が三泊四日もしていい理屈が一つも浮かばない。
さて、どうしたものか……。
「きゃっほーい!」
語っていなかったが僕は自分の部屋にいた。
自分の部屋で、椅子に座り、うんうんと唸っていたのだ。
当然、扉を閉めた状態で。
だから今聞こえたのは幻聴なのかもしれない。
「きゃっほほーい!」
二度言うか。
僕が無視したからって二度言うか。
しかもドアを平手で押し開けて(言うまでもなくノブがついているのでノブを下ろしてからだ)その体勢を維持したままで、片足を上げて擬音はきゃるーん(星)の状態。
……確かに滅茶苦茶な人格だとは思うけどここまで支離滅裂にぶっ壊れていなかった気がする。
何かあったのかなあ、姉さん。
「きゃっ「わかった、わかったよ。気付いているから」
流石に三度目ということもあって姉さんは涙目である。
どんな高校三年生だ。友達百人できるかなっとか地で言っていそうで恐い。
何が恐いって僕の姉だと周知にばれるのが恐い。
姉さんを綺麗だとは思ったことないけど(こんな性格破綻者なのだから当然だ)多分、世間的な容姿評価は良い方なのだろう。寄ってくる男が絶えないらしいから。
そんな姉さんの外見を一纏めにして言うなら、変態だ。否、これは僕の思いの丈か。
黒髪ツインテイル(本人に「ツインテイルにしちゃったい」と言われたからそういう髪型なのだろう)、前髪は綺麗に横一線。身長百五十五センチ(自称)で花恋と同じ位の背だ。メイド喫茶で真面目に働いているからか姿勢が良く、いつも背筋が伸びている。職業病だろう。どうでもいい知識だが胸はDカップ強(自称)。鼻は低めでたれ目である意味純正日本人だ。
「もう、虐めないでよ、ぐすん」
「虐めてないから『ぐすん』とか口で言うの止めよう」
あんたもう十八歳だろう。痛々しすぎるよ。
「えー、でも、あきあきはこういうの好きでしょー?」
「いつ僕がそんな性癖を暴露した!」
「うわああん! あきっちが虐めるー!」
「個人的には定着しない姉さんの呼び方に虐められているようだよ」
普通に春空と呼べばいいだろう。
せめて仇名で呼ぶなら自分の中で位は定着させてから来訪してくれよ。
「それでさー、あきりん」
けろっと表情が戻る姉さん。
とりあえず呼び方にはもう触れないでおこう。
「何を唸っているのさ。私の部屋まで聞こえてきたぞ?」
因みに姉さんの部屋は僕の部屋を出た対面にある。
だから――
「嘘だ!」
「もうシンジ君ったら、その台詞を言えば許されると思ってるのん?」
別にそんな意図があったわけじゃないし僕は許される立場ではない筈だし。
元の元ネタまで姉さんが理解してくれてるのは嬉しい限りだけど。
「唸り声が姉さんの部屋まで聞こえているとしたらよっぽどの大声だよ!? 『きゃっほーい!』とか言ってないで慌てろよ!」
もうそれは狂人の如き唸り声なら聞こえるのだろうけど。
だからそれはつまり、姉さんの部屋まで聞こえていたのではなく。
「また扉に耳をくっつけていたんだろ?」
壁に耳ありというが、諺を実行しないで欲しい。
「違うよー。扉の穴から覗いてたんだよー」
「そっちを体言してたの!?」
今度きっちり修理しておこう。
障子でなくとも目はあるようだから。
「ほんでほんで、どうしたの? はきちん」
「待った。話を進められないレベルの呼び名は止めよう、姉さん」
はきちんは明らかに侮辱を目的とした仇名だ。
お下劣な想像が浮かぶ。
「はいはい、それじゃあ秋の木漏れ日ちゃん、どうしたの?」
なんだろう。僕、姉さんを怒らせるようなことしたのかな。
最早それは連想ゲームだ。
しかし、これは、もしかして妙手なのではないか?
姉さんを味方につけて姉さんに協力してもらう。それなら両親も納得させられるかもしれない。
心の中で覚悟を決める。
よし、そうしよう。
「いや、今度のゴールデンウィークさ、三泊四日で友達と東京に行くんだけどさ」
「お姉ちゃんも行くーっ」
「駄目だよ! 何考えてんの!」
「いいじゃない。駄目なの?」
「駄目って言いました」
「ちぇっ」
ちぇっ、と言われても反応に困る。
中学三年生の友達旅行についてくる姉がどこの世界にいるというのだろう。しかも、僕の交友関係と仲がいいわけでもないのに。
まあ、だからこそ姉ちゃんも「ちぇっ」で済ませたのかもしれないけど。
「それでさ、父さんと母さんをどうやって説得しようかなーと思って……」
と、ここで俯く。
しょんぼりしてみせる。
姉さんの前だろうと誰の前だろうとこんな行動をするのは幼少振りなのだが、多少の演技も必要だろう。
そして、この行動が予想以上の効果を挙げた。
「きゃ、きゃ、きゃ、きゃわゆすぃ!!」
中々発音の難しい言葉を発した気もするがそこは黙認。
そして、姉さんに抱きつかれたことも黙認。
「お姉ちゃんがなんとかしちゃる!!」
「ほんと?」
上目遣いで姉さんに問う。
こんなの姉さん相手じゃなきゃ効果はないけど。
というより、旅行の為とはいえこんなことをしている自分が激しく嫌になってきた。
あとでゆっくりたっぷり自己嫌悪に浸るとしよう。
「ほんとのほんとよ! お姉ちゃんは虎の口よりも嘘に厳しいんだぞ?」
だったら僕の演技も見抜けるだろうに。
その言葉が嘘だと既に露呈してしまっている。
「でも、条件があるわ」
と、卑らしい笑みを浮かべる姉さん。
笑い声は「ぐえっふぇっふぇ」ってそれは悪役でしかないんだが。
当然、最悪の事態を想定する。
「今度、そう、明日。学校が終わったら直ぐにお姉ちゃんのバイト先まで来てくれる?」
「え、そんなんでいいの?」
「それで充分よっ」
なんだろう。
仕事ぶりでも見てほしいのだろうか。
それならそれで別にいいのだけど。
仕事中の姉さんはいつもと違いとても熱心に真剣だから、弟としては誇れない姿でもない。たとえそれがメイド姿であれ、仕事に真剣な姿というのは見ていて悪くないものだ。
結局、そんな取引をして姉さんは承諾してくれた。
姉さんと共に両親を説得し(流石に姉さんが味方となると説得は容易かった。僕一人では確実に無理だっただろう)、その日は久しぶりに姉さんに感謝をして眠りにつく。
僕は、本当に改めて姉さんを見直した。
眠る前に大っ嫌いな予定調和を口ずさんだ位だ。
「ありがとう、姉さん」と。
***
翌日。
放課後。
帰り道。
僕と由兎。
商店街。
道中で花恋を発見。
三人でメイド喫茶へ。
片言なのは既に事が終わったあとだからだ。
今の僕は記憶力も語彙も散漫としていて、ってかそれどころじゃない。
気を取り直して。
翌日、姉さんのバイト先に行くのだと由兎に伝えたら姉さんがメイド喫茶で働いていることを知っている由兎は「興味津々だわ」と一緒に来ることになった。
サブカル通りに行く道中、不登校児の花恋が制服姿で商店街を歩いているのを発見した僕達は今からメイド喫茶に行く旨を伝える。
「……いく」
そんな訳で三人で、僕達は姉さんのバイト先である『ふわふわ喫茶』に足を踏み入れた。
店内はとてもふわふわしていた。
実際に浮いているのではない。確かに、現実としては浮いた店内なのだが、ふわふわが一番良い表現であるかのように、ふわふわをテーマにした薄いピンク調の店内だった。
僕は何度か姉さんに呼ばれて来たことがあるのだけど、大分久しぶりで若干の違いがある気がする。
「いらっしゃいませ、ご主人様。お嬢様」
定番の挨拶で迎えられた僕達三人は一つの丸テーブルに移動されて、暫くの間、午後の一時を満喫していた。
姉さんはどうやらまだ店に到着していないらしい。
「意外に普通なのね」
これは由兎の意見だ。
店によってまちまちなのだろうけど、確かに普通という印象はある。
今はイベントも実行されていないし、お客さんが僕達以外にいないからだろう。
当然、メニューの右下にある『特別サービスメニュー』を注文すれば一気に異常と化すのだろうけど。
『ドキドキLOVEジャンケン』とか『ぎゅっときゅっとヒヤリング』とか。
内容が想像できるのから不明なものまで多種多様にある。
「やっ――ほい?」
突然忽然とメイド姿で現れた姉さん。店内には僕達しかいないからか「やっほーい!」と駆けてきたのだろうけど、由兎と花恋の姿を見て硬直したようだ。
「ありゃ、美少女が二人もいるじゃない。由兎ちゃんと……」
「花恋だよ。白百合花恋」
名前を告げると、姉さんは遠慮知らずに花恋の頭を撫で始める。
気持ちは解るけど。
「かわいいねかわいいねー。私はあっきゅんのお姉ちゃんだからねー、よろしくね、花恋ちゃん」
「ぶっ、あ……あっきゅん……」
由兎が妙な仇名に腹を抱えている。
一度つぼに入ると長いからなあ、この魔女は。
「よし、それじゃー皆、ついてきて」
「? 来るだけで良かったんじゃないの?」
「いいからいいからー」
半ば強引に僕達は姉さんに連れてかれて、行き着いた先は店内奥の従業員専用ロッカーのようだった。
そこで僕は地獄を見る。
脅される。
もしも従わなければ夜這いをすると実の姉に脅される。
結果――とんでもないことになってしまった。
「きゃははははははあははははあはははあはははあっは!!」
由兎は自分の性別を忘れて狂ったように爆笑している。
正に破顔一笑だ。ここまで笑っても崩れない美形が凄いけれど。
「……春空…………かわ、いい……」
花恋に至ってはかなり的外れな感想だ。
ぽけー、とした表情で見詰める……見詰めるな!
「はうあー、やっぱりお姉ちゃんの目に狂いはなかった」
「狂ってるよ! あんたの脳内狂いまくりだよ!!」
もう説明はいらないだろう。
寧ろ説明させないで欲しい。
けれど説明しておく。簡潔的に状況を。
僕は今、メイド服を着せられている。
以上!
ちくしょう、この字面で異常以上とか言いたいけど言っても終わりそうにないのが悲しすぎる。
「さーて、後はお店の売り上げ貢献をしないとね」
姉さんの言葉はこう続いた。
「由兎ちゃんと花恋ちゃんも着替えようねー」
十分後。
廊下に出されて待たされていた僕は開いたロッカー室のドアから光が差したのを感知した。
錯覚じゃない。確かにロッカー室から光が輝いたのだ。
それもそうだろう。
金髪金眼中性美女の由兎と、薄紫長髪天然美少女の花恋が、メイド服に身を包んでいるのだから。
メイド服自体はありふれたデザインだ。豪華ではなくシック。メイドなのだから。白黒基調でスカートは若干短め。由兎は美脚を晒し、花恋は黒のタイツを穿いている。
「えへ、へ……メイドさ、ん…………えへへ」
花恋、何気に楽しそうである。
まあ、花恋は大分世間とはずれた部分があるからこの程度が恥じらいに繋がることはないのだろう。爆弾発言を口にし易い美少女だし。
とても可愛いです。
「に、似合う、よね?」
先程からきょろきょろと視線を泳がせている由兎は、似合うのを前提で僕に問う。
頬も若干赤みを帯びていて、どうやら少し恥ずかしいらしい。
それでも自分の美意識の高さを理解してしまっているものだから、こんな滅茶苦茶な言動となっているのだろう。
それが妙に可愛いのだけど。
「似合うよねって聞いてるでしょう?」
僕がほくほくと由兎を眺めていると、冷たい視線が鋭く投げられる。
「似合っています」
若干発音がおかしいのは怯んでいるから。だって、由兎を怒らせたらかなり恐い。
実際似合っている。
「そうよねそうよね、ふふ。春空君が似合って私が似合わないわけがないものね」
……由兎が似合うと言う程に僕は似合っているのだろうか、メイド服。最悪でしかない。
「それじゃ、行くわよー」
と、姉さんが掛け声を発する。
「ね、姉さん、まさかとは思うけど、どこへ?」
「メイド服で行く場所といえば、ご主人様のところしかないじゃない。もう、春空ったら、馬鹿だね」
……この際呼び名が元に戻ったのを喜んでおくべきなのだろうか。
この日、店の売り上げは平日の割りにかなり良かったらしい。
由兎と花恋の効果だろう。二人は今日だけの、という扱いで店に登場したから、メールなりなんなりで情報が発信されたのだと思う。
そこには僕も一応いるのだけど、僕が効果に相乗したとは考えたくもない。
「い、いらっしゃいませ、ごしゅじんさまー」
本当に、悪夢のような時間だった。
二度と思い出したくもない。
そして、僕は二度と姉さんを見直したりしないし感謝もしない。
せめて二人の美少女を眺めて目の保養をしよう。
「春空ー、『ドキドキLOVEジャンケン』の指名が入ったよー」
……夢なら褪めてくれ。
または殺してくれ。
人殺しの僕が言うにはあまりにも辛辣なブラックジョークだけど、間違いなくそれが本音だった。