平和な世界――7
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岳虎寅一にあからさまな喧嘩を売られ、直情そのものに任せて喧嘩を買ったあの日、由兎と花恋と散々歩き回った僕はあまり時間も無いので、二人に別れを告げて先に帰った。
その晩、両親に「まだそういうのは早いと思うんだ」と勘違いも甚だしい釘を刺されてしまい困り果てていると、姉さんが子供のように泣きじゃくり抱きついてきて”困った”では済まされない状況にまで陥った。二日連続で姉さんを泣かせた僕はなんとも居心地の悪さを感じていて、二時間かけて両親と姉さんに朝の出来事は勘違いだったと説明する。
どうやら姉さんの方から両親に朝の事は伝わっていたらしく、その内容はこうである。
「あの女の子がベッドの上で春空に跨ってたんだよ、ぐすん」
とても端的で誤解を招く恐れしかない説明だ。
姉さんらしい解釈といえばそうなのだけど、その上両親に昨晩は由兎と一緒にいたと思われているのだから致命的だ。事実だけど。
幸いにも由兎の言葉が足らなかったからそれを逆手に取って親に「ずっと一緒にいたわけじゃないし、他にも友達はいた」と冷静に説明しておいた。
安いホームドラマ宜しくの慌てふためく様をしていては変に勘ぐられてしまう。これ以上、僕のイメージが家族内で崩壊してしまうのは正直ごめんだ。
僕の説明で納得したかどうかは定かではないが――両親の目を見た限りでは心底信じているようでは無かったにしろ、その場は姉さんを宥めて終結へと向かった。
翌日はこれといって何事も無く平穏無事に過ごすことができた。
学校では未だに僕と由兎の熱愛説が蔓延っていてうんざりしたけれど、初日に比べれば低俗な質問もぐっと減ったし僕も楽に終礼を迎えれらた。
その日、花恋に会うことはなかった。もしも又、一緒にあの世界へ行くことがあれば花恋の方から近づいてくるのだろうと予測して、僕も由兎も妙な詮索はしていない。いや、唯一つ。由兎は念の為と言って花恋のクラスを調べていたようだった。これは昨日の内に花恋と交わした約束の一つでもあるらしい。
「あの子が何処の子か丸っきり解らない、正体不明っていうのは信用に響くじゃない? それに、花恋とは仲良くやっていきたいしね。だから昨日、花恋に言ったんだ。明日、クラスが何処なのか調べさせてもらうね、って」
本当に同じ学校の生徒なのか、という疑問は休み時間の内に解消されたようだった。
由兎は一人で二年教室に行き相当目立ったそうだが、花恋を探していることを女生徒に伝えると妙に納得されたらしい。
由兎も花恋も、滅茶苦茶に目立つもんなあ、と由兎から話を聞いた僕は微笑み返した。
そもそも髪の色が黒や茶色でないだけで目立つような学校なのだ。その上にあの容姿と来れば目立たないことが不思議になる。
花恋は学校には来ていなかったようだがクラスも解ったし問題は無かった。
「どうやらあの子、不登校児みたいなのよ。去年の早い内から学校に来てないんだって。一度も」
「一度も?」
その言葉には首を傾げた。なにせ僕と花恋の初対面は学校の屋上だ。
「ええ。理由はよく解らないんだけどね」
由兎が言っている理由には二つの意味がある。それは勿論、どうして不登校なのかという点と、昨日学校にいたという点だ。
それに由兎と見劣りしない位に目立つ子だ。ああして街中を学生服で歩いているだけでも注目を浴びて噂は広がると思うのだが、由兎は一切そういった話を聞かなかったと答えた。
多少の疑問が残るものの花恋と連絡を取る手段を持たない僕達にはそれ以上考えるのは無意味といえた。
由兎のことだ。次に会った時に堂々と花恋に問い質すのだろう。その行動にデリカシーや常識という配慮が感じられないとしても、唯我独尊を進む彼女にそこを求めるのは間違いだ。
その夜。
晩御飯を食べた僕は宿題を片付けて、パソコンでネットを開いてあるサイトを覗いていた。
闇のような背景に赤文字で殺戮と書かれた後ろには髑髏の絵、というのを想像していたのだが違った。
〈Black looM〉という表記。これがサイト名なのだろう。背景は白でナイフやアメリカンタッチで描かれた死体の絵が所々に張られた、随分と目に優しい造りだった。
毎日のようにあそこに出向きたい僕だったが、学業生活を疎かにも出来ない。
だが、その気になればあの世界へ本格的に移住も可能だと言うのが昨日の晩に解ったことだ。
なにせ、あの場所には食べ物もあり娯楽施設もありコンビニもある。寝泊りどころか生活出来るホテルもあるのだから驚きだ。かなりの高額で一般人(あの世界で指す一般人とは死合を観戦し賭け事をするだけのギャラリーのことだ)には到底払えない金額だそうだが、上位ランクの闘士までいかなくても百位以内であれば住めるらしい。
そして、これは今、花恋に教えて貰ったサイトを閲覧して解ったことなのだが、闘士の数はやたらと多い。
「千五百三十二人……そんなにいたのか」
ババロア兄弟。
一昨日に僕と由兎が打ち倒したプロレスラーのような二人組は三十七、三十八位だった。この数からすれば相当の位置に存在していたことになる。
但し、例外的なランクではあるそうだ。
サイトには掲示板があり、そこではあの世界の住人が議論を交わしていたりする。
花恋が自身をROM専だと言っていたのだから、ROM専と観客が大半を占めているようだ。
その掲示板で書かれていた現状のランク、そしてババロア兄弟の話。
要約すると、ランキングの総数は千五百三十二位と闘士の数だけ存在しているのだが、実際に平均的に死合う闘士は少ないらしい。一度でも闘えば闘士となり、以後一年間は闘わずとも名が残るという法則。これによって一戦しか行っていない闘士が多数存在していて、ある程度闘う闘士はビギナーでさえ直ぐに三百番台に届くのだとか。つまり、実質的に存在している全国の闘士は三百人となる。
そして、ババロア兄弟。
彼らのやり方は非道そのもので、主に喧嘩を吹っかけ挑発をして二対一で闘い勝ち上がってきた闘士なのだとか。
そして、彼らの喧嘩を買った三十番台の闘士が負けてしまい、あの地位を確立したのだとか。
余談だがババロア兄弟は相当観客に嫌われていた。外見のプロレスラー容姿とは異なる戦闘。つまりは、観客の沸かない闘いをする上に卑怯なのが原因だったようだ。
下手をしなくても殺されてしまう死合なのだから「卑怯だ」とブーイングされているババロア兄弟には同情する部分もある。
観客やROM専の連中は自分の命がかかっていないからか言いたい放題だ。又、客観的に物事を捉えてきた僕としては彼等の言い分が解らないわけではない。
そして、それだけ嫌われていたババロア兄弟を倒した無名の男として、僕の名前はちょっとした物になっていた。
一昨日の死合が動画で掲載されていて、その動画を見るにはあの世界の金銭価値であるポイントを百払わなければならない。
気になった僕はポイントもババロア兄弟からので充分過ぎるほどに余裕があったから閲覧してみた。
動画はコメントをすると直接動画に反映され表示される、流行の動画投稿サイトを丸々真似した形式だった。
開いてみると中々に高画質で、望遠カメラで撮っていたのだろうけど臨場感が伝わってくる。多分、カメラは自動で四つの視点からとっていて、最も闘いが見やすい角度から常に流されている。
『おおっと!なんと僕が魔女を救い出したぁ!乱入は二対二のバトルロイヤルになるのを承知してのことだぁ!だが……魔女が戦闘不能な為に下僕は一人でババロア兄弟を相手にしなければならない!なんと美しい奴隷愛だぁぁぁ!』
あのアイドル、心身の実況に観客が大いに沸いているのが解る。
成る程、闘士として聞いていた時は鬱陶しい限りだったが、こうして観客としての立場から聞いていると、大袈裟に装飾されているのも悪くない。
妙な説明口調だったのもリスナーに先を予測させる為だったのか。
と、ここで。コメントが一気に増え始める。
〈来るぞ……〉
〈無名覚醒の時まで後五秒……〉
等々、数十のコメントが重なり画面が見えなくなってしまった。
思っていたよりもあの死合は注目されているようだ。
派手な倒し方をしたからなあ、と考える。
あの死合にそこまでの感慨がない僕は動画を止めて他の場所を見ることにした。
トップページにある項目は四つだ。
死合保管所――つまりは先ほど見ていたような死合動画が存在する場所。
掲示板――観客やROM専が大半を占める交流所。
世界概要――殺戮の世界の歴史や死合のルール、各地区に存在する地下ホールがどんな模様なのか、等が公表されている場所。
有名人日記帳――心身やサイト管理人のブログ、四位と九位の闘士のブログへのリンクが張ってある。
この中で最も気になるのは、そして知っておかなければならないのは世界概要だ。
殺戮の世界の歴史にも興味があるので僕はそこにカーソルを合わせてクリックした。
項目が幾つか分かれていて最初に僕は死合のルールを確認する。
ルールは単純で、相手にギブアップをさせるか殺せば勝ち。但し、殺した場合、相手に何かを要求することは出来ない。当たり前のように感じられたがその内容は想像と違っていて、殺した相手のポイントを奪ったり武器を奪ったりは出来ない、ということだった。
その場合、武器は物によるが再利用し、ポイントはその場にいる観客に振り分けられるという事だ。
「殺しまくる闘士は人気が高そうだな……」
ぼそっと呟いたのは単なる独り言だ。でも、必然そうなるのだと思う。
反則は元来存在しないが、唯一、銃器類だけは禁止となっている。理由は由兎が言っていたことと同じようなものだった。
他に、タッグルールとバトルロワイヤルのルールがあった。タッグはこの前に体験し、ルールとして機能しているのは参戦だけであり、それは僕が身をもって知っている。
バトルロワイヤルの方は各自ポイントを賭けなければ死合そのものが行われず、ポイントは勝者の総取りだというルールが存在しているだけだった。
元々ルールというのは危険を排除する為に、公平にする為に存在する。殺戮を前提とした死合なのだからルールが少ないのは納得できる。
次に僕が見たのは世界の歴史。
どういう過程でこの世界が作られたのか。その内容は、由兎が言っていた事と同じだった。
犯罪、特に快楽犯罪が増加する一方で国は頭を悩ませ、秘密裏にこの世界を作ったのだと書いてあった。それがまだ七年前と新しく、歴史は浅い。
その後、みるみる内に犯罪は減少を辿り、去年は快楽犯罪率が全体の殺人事件の一パーセントという快挙となった。
要するに、殺戮を楽しみたいのなら内輪でなんとかしてくれと国が僕達のような人種に放り投げた訳だ。結果としてそれは大成功を収めて、殺戮の世界の人間からの異論は未だに無いのだという。
「コンビニがあるくらいだもんな」
と、一人で静かに笑みを零す。
だが、どうしても僕にはこれが事実とは思えない。そんなことがあってはならないと思うし、なにより国がそんなことをしていてネットワークが発達した現在、隠蔽は不可能じゃないか?と思うのだ。
まあ、正直な話どうでもいい疑問だ。仮に違うとしても好奇心は沸くが詮索する気にはなれない。
必ずそれは僕の命に関わる問題になるだろうから。
歴史の欄に歴代の一位の名前があった。
一位になったことがあるのは十八人。七年でこれが多いのかどうか、という点は僕では判断できないが、驚くべきは一人の闘士だ。
現時点においても一位の闘士の名前は龍神薫。名前だけでは性別が解らない。彼と彼女と称する人物は三年前から不動の一位だ。
それまでは実力が均衡していたのか一位は入れ替わり立ち代りで交代している。ただ、龍神薫だけは別格だ。この人物は僅か三戦で十位以内に駆け上り、二戦で一位となり、以後、防衛し続けている。
そして、泪の王様、由兎の魔女のように、付けられた仇名があるようで、その名を龍神。苗字を抜粋した酷く安直な仇名。
興味を持った僕は龍神薫の死合を閲覧してみた。画面に流れるコメントが鬱陶しいので表示をオフにする。
圧倒的の一言に尽きた。
あくまでも遠くからの映像な為、身長などは細かく解らないが大きい人物ではないようだ。
由兎の言っていた通り、漆黒のロングコートを着ていて深くフードを被っている。
あれでは前が見えていないように感じるが、その動きは颯爽としていて問題が何一つないようにも感じられる。
武器を持つ手は皮のグローブが嵌められていて、その武器こそが龍神の牙と呼ぶべき真剣だった。
僕が見た死合の龍神の相手は白の胴衣に紺色の袴を履いた中年気味の男。構えも様になっていて明らかに武道者でもある。
確かに、考えてみれば快楽殺人鬼だけではなく、力を計りたい、存分に振るいたい武道家がいてもおかしくはない。
真剣を構える龍神もある意味ではそうなのかもしれない、と感じた。
中段の正中線に沿う構えは剣道部の練習でもよく見かける一般的な構えだ。それが、動画越しでも解る位に綺麗だ。綺麗すぎて恐怖しか先行しない。
構えを解かず男は微動だにせず、後の先を取る武道のようにも思えた。僕は空手しか知らない為、詳しくはないのだが、あれは合気道の構えに似ている気がする。
達人ともなれば真剣相手でも素手と変わらないだろう。
双方が動かないままに一分が過ぎた。きっと、会場では極度に張り詰められた空気で息をすることさえ忘れる程の圧迫感を感じただろう。
その空気を裂いたのは龍神だった。
先述の通り、僕はこれを圧倒的と表現することしかできない。
龍神は構えた真剣を左側に畳むようにして剣を収めたのかと思うと、ぶんと男に向かって投げた。
男の武道が合気道なのかは結局解らなかったが、後の先を取るならば相手が近づいてこなければならない。
龍神は投げた真剣を追うように腰を低くして、なんと並走したのだった。
自分が投げた物に追いつき尚且つ並走する身体能力を僕は知らない。一対一である筈なのに一気に二対一となった戦場。加えて片方は真剣であり刃があり回転しながら近づいてくる。もう片方は不動の一位である龍神だ。
男は横に二歩移動して龍神を迎え打とうとしたのだろう。
動画として、カメラとして見ている僕や遠くから観客として見ていれば一目瞭然なのだが、対峙している男にとって龍神は消えたように感じたのかもしれない。
横に移動した男がいた場所を真剣と龍神も通り抜け、龍神は更に加速した。当然男よりも大回りになるのだが、男よりも早く位置を移動した。
男が龍神を探しているような仕草を見せた頃には、とっくに龍神は背後にいて、男の背の正中線に寸分狂いは無さそうな拳を打ち込む。
龍神はきっと何かを極めている。その人間が背に拳を打つ。狙ったのはきっと骨そのもので、男の背骨は外れてしまったのだろう。倒れこんだ。
そこからは正にこの世界に相応しい殺戮ショーだった。
悠然と歩いて真剣を手に持った龍神は、男の左腕を切り落とした。続いて右足を切り落とした。
その凄まじき豪腕と剣の切れ味。なによりも躊躇の感じられない動き。
そして龍神は男に近づき、肩膝をつく。
夥しい程の血を噴水の如く散らしながら痛みに転げる男の右腕を刺す。貫通して地面に刺さっているのか男は固定されて、龍神の右手はゆっくりと男の顔に近づいた。
静かに、緩やかに、冷たく、流れるように。
龍神の手は男の瞳を抉り取り凝視しているようだった。
瞬間、背筋に言いようのない悪寒が走る。それは、羨望でしかない。
けれど龍神は気に入らなかったのか、立ち上がり数歩移動した後に、眼球を地に落として踏み潰した。
そこで、動画は真っ暗になり終わりを告げる。
「っ……ふう」
いつからか息も忘れて魅入っていた。
下手なスクラップ映画を見るよりもよっぽど恐くて興奮する。
汗ばんだ手を服に擦りつけてぼうっと想いを馳せていた。
僕が初めて人を殺した日のこと。
僕が初めて人の瞳を抉った日のこと。
僕が人として終わってしまった日のこと。
初恋のように胸は高鳴り、思い出すだけでも生理的な現象が体に起こる。
あの日のあの時のあの光景。
いつまでも忘れたくない宝物の一部。
ネットの回線を閉じて電源を落とす。
風呂に入ってから眠ろうと風呂に入った僕は浴槽でぼんやりとしながらも昨日、一昨日の事を考える。
あの世界の方が僕にはよっぽど相応しく、また、心地よく、また、楽でいられる。
あの世界で暮らす、というのも有りなのかもしれないな、と思っていると、浴槽のドアが開かれてぎょっと体を縮こまらせる。
「春空ー。一緒にお風呂に――っぐわ」
「有り得ないから! 何考えてんの!? 普通逆だから!!」
驚きすぎていきなり入ってこようと既に裸だった姉さんに洗面器をぶん投げた。
見事にクリーンヒットして姉さんはたたらを踏んで二歩下がる。
直ぐに僕は扉を閉めて鍵をかけた。
「何考えてるの、姉さん。僕はもう中三で姉さんは高三だよ!?」
「いいじゃんたまにはお姉ちゃんとお風呂入ろうよー、恥ずかしがらずにさー」
「恥ずかしいとかそういう問題じゃないって!」
扉越しに講義する姉さんに同情の余地が考えられない。
何を考えてるんだ本当に。
「ばかあきのけちー」
流石に泣き出しはしなかったが渋々と文句を垂れながら姉さんは脱衣所から出て行ったようだった。
ふう、と一息吐いて浴槽に入るとぼんやりとした頭の中で目に焼きついたらしい裸が浮かんでくる。
大きく首を振って風呂に頭まで潜り想像を必死に追いやった。
本当に、思春期は面倒くさい。
姉の体で興奮するなよ、僕。と、意思とは無関係の体に自己嫌悪をするばかりだ。