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平和な世界――3

PAGE15

 ぼうっと空を眺めていた。

 青い空に浮かぶ雲はおおらかに伸びていて、遠くの方では太陽が光を発していて、その中に溶け込みたいなと思いながら。

 それは何も自殺願望とかではなく、平穏な日常に思える遠くの空に想いを馳せているだけだ。

 あれから校舎の中に入って教室に入ると、自分の席に着くまでに相当の時間がかかった。とっくに噂は広まっていて、僕と由兎は熱愛カップルという関係に発展していた。ただの恋人ではなく、熱愛だ。愛しても愛しても足りない位の愛情を注ぎあっている恋人だ。どこにそんな要素があったのか。これが神様の手の平での話しなら、一体なんの冗談だろう。

 あまりにも問い詰められすぎて疲れてしまった僕は授業をさぼり、こうして屋上へと逃げ込んできた。掃除もされていなくて綺麗な場所とは言えないのだが、静かという一点に限り、この学校で今最も安らげる場所には違いない。


「なんでこんなことに……」


 がっくりと肩を落として項垂れる。後悔した所でもう遅い。

 しかし、物事に驚きを感じた群集の問いとはなんともおかしな物だった。なにせ、問いかけてる筈なのに答えを求めてないのだ。それが一重二重と重なり続けて僕は答える暇など無くなって、気づいた頃にはチャイムが鳴った。

 一転、由兎はというと。


「いつから付き合ってるの?」

「昨日から」

「どこが好きなの?」

「春空君の全部」

「なんで彼なの?」

「春空君しかいないって思ったから」


 とても面倒くさそうではあるが淡々と答え続けていた。楽しい方がいいと言いつつ楽しんでいなかったようにも思える素振りに、もしかしてもう飽きたのだろうか?なんて頭を捻る。その場合、僕の疲れや憤りは何処にぶつけたらいいのか解らない。由兎に怒りをぶつけても意味がない。なんとなく、そう思ってしまう。


――コツッ


 不意に背後で音が鳴った。僕は今、入り口の壁を背もたれにして立っている。耳を澄ますとコツッコツッと屋上に繋がる階段を静かに登ってくる音が聞こえた。

 泪だろうか?

 ふと思う。泪なら授業中に屋上に来ることなど日常茶飯事のような気がしたからだ。だけど、僕はもう二度と泪には会えないんじゃないか?という疑問を感じていた。それは不確かな直感でしかないのだけど。

 では誰か。由兎の可能性もある。教師だという可能性は無いだろう。もしかしたら僕の全く知らない生徒かもしれない。

 かちゃりと金属のドアノブに手がかけられた音がした。そいつはもう直ぐそこにいる。けれど、隠れる必要性もないと考えた僕はそのまま壁を背もたれにして、首は入り口のドアに向けて、何が出てくるのかを見守っていた。


「あ……」


 ドアが開いて直ぐに目が合った。向こうが何かしらの人の気配を感じていたのかもしれない。その人間は僕の全く知らない子供だった。この中学の制服を着ているのだからここの生徒だろう。付け加えてその制服が女生徒用なのだから女の子なのかもしれない。身長が僕よりもずっと低く、顔立ちは身長に見合ってとても幼い。ただし彼女が子供だという根拠はなく、それは何故かと言われれば、あまりにも儚い存在のように思えたからだ。

 腰にまで届いた薄紫の髪も、日の光を浴びたことのないような純白の肌も、何も見ていないかのような淡いグレーの瞳も、僕を見つけた時の表情も、全てが儚い。


「先客……いたんだ……ごめんなさい……」


 消え入りそうな、風に飛ばされてしまいそうな声で、儚げに熔けてしまいそうな風体で突然謝られる。自分の心の善人が、帰ろうとする女の子に向かって僕の口を開かせた。


「いいよ。僕はもうそろそろ教室に帰るし」


 ゆっくりと振り向いた幼き少女は僕の目を見て言う。


「ここに……いてもいい……?」


 感じるのは当たり前のことで、この少女は線が少なくとも三四本はちぎれてしまった危ない子供だということだ。それでも、愛玩動物よりもか弱く聞いてきた少女に出来るだけの優しい声を出して「いいよ」と答えた。



 僕と少女は一言も会話をしなかった。ただ、壁を背もたれにしている僕の隣に立って、同じように壁を背もたれにした彼女と、状況を共にしていただけだ。ある種それは心地いい物であり、反面少しだけ寂しい気持ちにもなる。なにせ僕は彼女の名前をまだ知らない。

 ふと少女を見やる。制服の胸元に赤色の学年バッチがつけられているのを見て、少女が二年生であることを知った。学年バッチは色毎に学年が決まっていて、僕の学年である三年生は緑、二年生は赤、一年生は青となっている。そして彼女が一つ下の歳であることを知ったのだが……どうにも半信半疑だ。彼女は私服を着れば小学生で絶対に通用するだろう。それでも、彼女の空を見詰める視線は無邪気とは掛け離れていて、それさえも儚い。唯一彼女が年増に見える部分。言動は全て大人としても有り得ない程に大人しくて年齢の概念を超えている。

 この中学は私立でもなんでもないただの、普通の中学校だ。だから、由兎も、泪もあの髪色は規則違反である。由兎は先天かもしれないが、泪の青髪は染髪であり、入学当時は赤かった。暫くして青になり、気に入ったのかずっと青のままだ。だが、この校則にも例外はある。例外の一つとして先天性であること。これは由兎に該当する。もう一つは病気が原因であること。

 少女はどう見ても泪のような人間には見えない。そして、頭の悪い不良にも見えない。そもそも、薄紫色というのが疑問だ。とても美しいのだが、彼女の性格(出会ったばかりなのだから推測に過ぎないとしても)から見て、こんな派手な色にしたがる人種とは思えない。それに、こんなに独特な少女。見方を変えれば美しい少女なのに、僕はその噂すら聞いたことがない。学年が違っても噂ぐらいは耳にしそうだ。由兎と対等、とはいかないにしても、意見は分かれそうなものだ。

 だから彼女は体が病弱なのではないか?と思った。もしかしたら由兎と同じで転校生なのかもしれないのだが、転校初日に(それこそこんな少女が転校してきたら噂に乗ってとっくに僕の耳に入っているだろうから、転校してきたとしたら今日しかない気がする)屋上で授業ボイコットをするような性格を僕は知らない。いたとしてそれは超問題児なのだが、彼女が超問題児には見えない。勝手な憶測と偏見だが、僕は勝手に考えていた。


「屋上は好きなの?」


 沈黙が息に詰まったわけではないが、空気をするのと同じ感覚で聞いてみる。


「……そうでもない」


「空が好きなの?」


「……そうでもない」


 では何故この少女はここにいるんだろう?と小首を傾げた所で、彼女が答えた。


「静かな場所が……好きなだけ……」


 ああ、確かにここは静かだ。だから僕もここに来たんだ。

 風の音以外はしない屋上。時折遠くの方でスピーカーで増幅された新聞回収等の音が聞こえるが、基本的にはとても静かだ。


「僕と一緒だ」


「静かな場所……好き……?」


「うん」


 特に今はね、と心の中で付け足しておく。

 結局一時間目の授業中はずっと屋上で少女と空を眺めていた。どちらかといえば空を見ているわけではなく、空間を共有していたと言えば正しいのかもしれない。僕たちは空を見るためにこの場所に来たわけではなく、空間に佇むためだけに此処に来たのだから。




***************


 チャイムが鳴って僕は屋上を後にした。一日中いるのもなんだかな、と思った僕は諦めの覚悟をして教室に戻った。扉を開けた瞬間に質問攻撃が再開されるかと危惧していたのだけど、実際はそんなことはなく、皆一瞥しただけで目線を元に戻した。

 自分の席に座ると由兎が窓の外を見ていた顔をこちらに向けた。


「どこ行ってたのよう」


 ぶすっと膨れた頬を見るに不機嫌なのだろうか?と考えたがそうではないらしかった。


「つまんないじゃないのよ、前にいなきゃ」


「ああ、ごめんごめん。ちょっと疲れたから、屋上で日向ぼっこしてた」


「ぶー」


 一人で抜け出し置いてかれたことにどうやら由兎はむくれているらしい。

 確かに、僕と由兎にしかない絶対的な共通点があり、その人間がいないのは少しつまらないのかもしれないな、と思う。


「皆には春空君はそういうのを聞かれると頭の中で処理しきれなくて寝込むって言っておいたから」


「だからか……ありがと」


 僕がどこかに行ってしまった原因が自分にあると少しは感じたのだろうか?実際の所は全て由兎が原因なのだけど。


「今度は私にも声かけてよね!」


 キッと僕を睨んだ由兎だったが、その目は不思議と恐くなかった。構ってもらえず拗ねた猫のような可愛らしさを見た気がしておちょくってやろうと悪戯心が胸に湧く。


「ええー」


「ええーって何あからさまに嫌な顔してるのよ!」


「だってそうなると僕は誰のノートを写せばいいのさ」


「たかだかノート如きで誘わない気!?他にももう少し取って付けたような理由が……ってなんで私が君の味方しなきゃいけないのよ!私が君の味方をしたら私達の敵は誰よ!?」


 軽く暴走し始めた由兎がとても面白くって笑えてくる。

 これ以上由兎をからかうと後に何をされるか解らないため「じゃあ次は誘うね」と言って止めておいた。

 体を前に向けて、黒板に書かれた数式に目が行く。まだ書ききれていない人の為に残された数字の配列になんの意味もなく見呆けた。


――じゃあ、行くよ


 屋上で僕がそう言うと、少女の口から何かが帰ってきた気がした。その声はあまりにも儚くて風に消え入りそうで、全てが僕の耳には入って来なかったが”いつもここにいるから”と聞こえた気がしないでもない。それが間違いだとしたら、蒸気機関車のように湯気を出してしまいそうな程に恥ずかしい自意識過剰な妄想だ。

 嫌だなあ、それ。と、自分に呆れる。

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