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星乃純は死んで消えたい  作者: 冷泉 伽夜
二年目
77/139

犠牲にしてまでやりたかったこと




「月子が腕を切って家から出てきたところを、あろうことか記者に目撃されて通報されるって……なんなのそれ。どういう状況なの?」


 社長室に、圧のある声が響く。ソファに座る社長は、こめかみに指を当てながら正面をにらみつける。


 正面のソファに座るのは、月子と平山だ。月子は顔を伏せたまま、何も反応しない。


 となりに座る平山は、頭を下げた。


「申し訳ございません。私の力不足です」


「ええ、そのようね」


 失望のにじむため息が、平山を突き刺す。


「月子がこんなことをするなんて思わなかったから、びっくりしてるわ」


 記者に現場を目撃され、記事も出されてしまった今、事務所全体を巻きこむ大事件となっている。事務所の管理責任や過剰労働が問題視され、その対応を求められていた。

 この状況は、とても一個人の問題として処理できるようなものではない。


 社長は自身を落ち着かせるよう、深いため息をつく。


「腕の傷は残りそうなの?」


 月子は返事をしない。その左腕には、包帯が巻かれている。


 平山が代わりに答えた。


「それが……何度か切り付けてるみたいで。すべての傷が完全に消えることはないんじゃないかと……」


「どこの病院でもいいから傷を消してもらいなさい。化粧でごまかせるならそれでもいいけど」


 社長は神妙な顔で上を見る。重苦しい空気が続く中、その視線は平山を向いた。


「あのとき、言われてたこと、覚えてる?」


 社長の全身から、権威のある圧がにじんだ。返事に迷う平山に、社長は語気を強める。


「言われてたでしょ、会議のとき。なんて言われたか覚えてる?」


「あ、その……」


 平山の返事はない。今さらになって、あのとき純に言われた忠告が、頭の中を巡っている。


「あの子は強い言い方をしなかったし、詳細も話さなかった。あなたが自分で気づいて、なんとかしてくれると思ったからよね。……でも、あの子の見込み違いだったのかしら」


 社長の言葉が、平山に鋭く突き刺さる。苦虫をつぶすような表情を浮かべ、膝の上に置いていた手を握りしめた。


「申し訳、ございません」


「あの子の予想よりもあんたは無能だった、ってことなのね?」


 声は穏やかなのに、言葉は攻撃的だ。平山は返す言葉が見つからなかった。


「……で? あなたはなにか言っておきたいことはないの?」


 社長の視線が月子に向かう。


「わたしは心を読めるわけじゃないからね。あなたがなにを考えてるのかなんてわからないのよ」


 うつむいていた月子が、顔を上げた。挑発的な目で社長を見すえる。社長は負けじと続けた。


「どこもかしこもあんたの話題で持ちきりよ。『天才子役と事務所の闇』ですって。記者たちはあんたの話を聞きたがって事務所こっちを悪者に仕立て上げようとしてるわ。金稼ぎの道具としか見てないってね」


 顔をゆがめて頭をかかえる社長は、疲弊しきった息をつく。


「よりにもよってなんであんたが私の邪魔を……」


「違う。……違うよ……」


 突然。月子は鼻をすすりだした。ボロボロと涙を流し、手でぬぐう。


「お仕事がたくさんで、苦しいと思ったことなんて、ない。事務所の人もみんないい人、だから、……でも、平山さんが、私と一緒に仕事したくないって……」


「え……」


 月子の言葉に、平山は顔を青くさせる。社長はあくまでも冷静に顔を向けていた。


「わたしは……お仕事好きで、たくさん頑張ろうって思ってて……でも、それなのに、平山さんが、勝手に仕事減らして……」


「いや、それは……」


 月子の涙は、平山に反論の隙を与えなかった。


「だって、だって、平山さん、仕事しないで学校に行けって言うの。お仕事好きなのに……歌もお芝居も大好きなのに、取り上げようとするの。……何度もやりたいって言ってるのに、減らして……ふ……うー……」


 嗚咽を漏らしながら、体を震わせて涙をこぼす。


「わたし、そんなに、頑張ってなかった? そんなに私と仕事したくないの? 私より、arcanaアルカナ secretシークレットのこと褒めてたもんね、でもさぁ……」


「ちがう! そんなこと……」


「がんばってるのに、勝手に仕事減らされるし……そんなことされたらもうわたし、必要ないのかなって、なんか、もう、がんばれなくなっちゃって……歌も、演技も、楽しく思えなくってぇ……」


 泣き止まない月子を見つめる平山は、言葉を失っていた。平山が今までに見たことのない月子だった。


 平山と月子の姿に、社長は薄い笑みを浮かべる。


「……いうこと聞かなきゃ、世界中の週刊誌にあることないことしゃべって、本当に自殺しそうな勢いね」


 月子の濡れた瞳が社長に向いた。体を震わせながらも、その目つきは鋭く、意志の強さを感じさせる。


「月子が感情的になって自分の体を傷つけるくらいだもの。……見限られたわね、あなた」


 平山は、この世の終わりとでも言いたげな表情でうつむいていた。優秀で大人しかったはずの月子にここまで言われるのは、ショックが大きい。マネージャーとしての自信も急速に下がっていく。


「月子、あんたの話はよくわかったわ。でも今年度まで我慢してちょうだい。新しいマネージャーを探すのも、時間がいるの。あんたに合う人なんてめったにいないんだから」


「でも平山さんが……。それに、たくさん、迷惑かけちゃったし……」


 目を伏せる月子の姿に、社長は短く息をつく


「今回の件、週刊誌の問い合わせには応じるわ。過剰労働については認められないけど、月子の意思に沿って仕事をさせていくってね。行き過ぎた批判の記事には名誉棄損も考える。だから」


 先ほどよりも温かみのある声を、月子に向けた。


「化粧だろうと手術だろうとなんとかして仕事は続けなさい」


 月子は涙をぬぐいながらうなずく。


「普通なら、腕に傷があると価値が下がるものだけど、あんたは大丈夫。傷すらも利用できるでしょうから。……それから、平山マネージャー?」


 社長は厳しい視線を平山に向ける。


「わかってるわよね?」


「……はい」


「年度末ぎりぎりまで時間をあげるわ。なんとしてでも挽回なさい」


 平山は青白い顔で、ぎこちなくうなずく。


「あんたはすでに失敗してる。マイナスからのスタートよ。私としては、できればあんたも手放したくないの。……今回の責任をあんた一人に押し付けて消すなんてことは、ね?」


 月子の時とは違い、声には圧がある。平山は迷いのある表情を浮かべながらも、うなずいた。


 となりで、あきれたように鼻を鳴らす音を聞きながら。



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