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星乃純は死んで消えたい  作者: 冷泉 伽夜
三年目
137/139

握るべき手札 2

「両親のおかげで仕事がもらえる?」


 顔をしかめる月子は、こめかみに指先を当て、ため息をつく。


「よく言うわ。innocence(イノセンス) gift(ギフト)が恵さんの番組に出してもらったことなんて、一度もないくせに」


 軽蔑の感情をまとう月子は、見下すような目つきで嘲笑した。


「やっぱりただの八つ当たりじゃん。真に受けるようなことじゃないから、気にしちゃだめだよ、純ちゃん。自分より下の立場にいる純ちゃんだから攻撃しやすいの。ほんと、小さい男」


 中学三年生らしくない大人びた一言に、思わず頬が緩む。


 受験勉強を中断した月子はペンを置き、テーブルに乗せるようにして腕を組んだ。


「知ってる? お兄ちゃんね、今、お父さんと私のこと共演NGにしてるの。私とお父さんのこと、目の(かたき)にしてるってわけ」


 月子に視線を向ける純は、驚くそぶりを見せない。


 先日会った千晶から読み取った思考の中に、そういった情報がぼんやりと入っていたからだ。


「会長から聞いたとき呆れたわ。お兄ちゃんがわざわざNG出さなくても、お父さんはお兄ちゃんと一緒に仕事するつもりなんてないのにね。お兄ちゃん、お父さんに見放されてるから、優しいパパとママがいる純ちゃんがうらやましいのよ」


「坂口くんって、お父さんとも仲よくないんだ?」


「そりゃ純ちゃんのところに比べたら、全然」


 月子はイスごと、純に身を寄せた。周囲に聞かれないよう、一段と声を落とす。その表情からは、笑みが消えていた。


「お父さんはね、そもそも、お兄ちゃんを芸能界に入れたくなかったの」


 思い出すよう上を見るその目は、他人事のように冷ややかだ。


「変にプライドが高くて自己中心的、いくつになっても幼くて柔軟性もない。なにか指摘されても自分が正しいと思い込んでる。そんなやつはテレビに出るような仕事には向かないって、お父さんずっと言ってた。仕事がうまく行っても調子に乗って、ここぞとばかりに人に厳しくなるから、いつか大ポカしてやらかすか精神壊すかのどっちかだぞって」


「す、すごい……」


 さすが長いこと活躍している演出家であり兄妹の父親。純が千晶から読み取ったことを、簡潔に言い表している。


「そのうえで、お兄ちゃんは二回もやらかしたの」


 月子は純に向かって人差し指を立ててみせる。


「一回目は、アイドルデビューするってなったとき。反対されるのがわかり切ってたから、デビュー会見の直前までお父さんになにも伝えなかった」


 純は自身がスカウトされたときのことを思い出す。両親のためにしぶしぶ受け入れたものの、すぐ父親に伝えて社長に抗議してもらっていた。


 千晶とは行動が正反対だ。


「社長の入れ知恵よ。デビューしたいお兄ちゃんのためにそうしろって言ったらしいの。その結果、デビューしたことに気づいたお父さんが怒る怒る。こんな横暴(おうぼう)がまかり通るかって、しばらく事務所に電話して抗議してた」


「そうだったんだ……。全然、気づかなかった」


「私も初めて話すしね」


 純が事務所に入所した当時から、千晶はがんじがらめになった感情と思考を漂わせていた。月子は純に好感を抱き、家庭内のいざこざをうまく隠していた。


 純はと言えば、アイドル業や事務所の環境に慣れるので精一杯。高校受験もかぶっている。二人から家庭環境のすべてを把握するのは困難な状況にあった。


「お父さんがごねたとしても、お兄ちゃんの意思は固いし、契約上の問題も出てくる。だからね、お父さんはお兄ちゃんがアイドルとして働く条件を付けたの。なにがあってもお父さんを絶対に頼らないこと、お父さんの名前を絶対に出さないこと、それから、大学は絶対に卒業すること」


 あの日、千晶と一緒に乗った車内の光景が脳裏に浮かぶ。月子が話してくれたおかげで、(めぐみ)と電話をする渡辺(わたなべ)(れん)の非道な言動が、()に落ちた。


「そのうち、三つ目の条件を破ったんだね?」


「正解。お父さんの相談もなく芸能科の高校に進路を決めて、取り返しがつかなくなった。ただでさえ亀裂が入った関係だったのに、またやらかしたの。これで、お父さんはお兄ちゃんのことを文字どおり見放した」


 なぜ、千晶が純を目の敵にするのか。なぜ、純のことが気に食わないのか。なぜ、純の存在自体が千晶を追い詰めてしまうのか。


 これではっきりした。


 ――真逆だからだ。仕事も、家庭環境も、学業も、なにもかも。二人は、百八十度の両端にいる。


「坂口くんは、もう引き返せないんだね。だからこそ、お父さんと月子ちゃんを、見返さなきゃいけないと思ってる。自分の……自分だけの実力で」


 両親を守るためにしぶしぶアイドルになった純と、親と断絶覚悟でアイドルになった千晶。


 分かり合えることはない。分かり合える日など来ない。


「だから、俺がなにをしても親の力を使っているように見えて、腹が立つんだろうね」


「腹を立てることすら傲慢よ。お兄ちゃんが持ってないものを、純ちゃんは持ってる。お兄ちゃんが持ってるものを純ちゃんは持ってない。ただそれだけの話でしょ」


 膨大な仕事。膨大な給与。膨大な名誉。完璧な容姿。成功までの忍耐。千晶が持っていて、純が持っていないもの。


 子どもを想う両親。平均以上の学力。芸能界での知り合いの多さ。なにかあったら助けてくれる人たちの存在。仕事がなくても許されるような立場。純が持っていて、千晶を――あるいは爽太すらも追い詰めてしまうもの。


「優等生のお兄ちゃんは、劣等生の純ちゃんのほうが恵まれてるように見えるんでしょうね。だからって、お兄ちゃんが親を持ち出して純ちゃんを攻撃する資格はない。だって、お兄ちゃんは親に見放されて苦労する道を、自分で選んだんだから」


 ――おまえなんか大嫌いだ。


 ――だから、一緒にいると、苦しいんだ。


 階段で、胸ぐらをつかまれながら千晶に言われたこと。それから、爽太に言われたことが、頭の中で鮮明に繰り返される。


(俺の存在そのものが、二人を苦しめてる。俺がグループに入った、そのときから――)


「ほんと、馬鹿よね。意地になって自分から手札を捨てるようなマネして。だからお父さんに向いてないって言われるのよ」


 容赦なく切り捨てる声に、純の意識は引き戻された。


「純ちゃんも、手札は感情的に捨てたらだめよ。innocence(イノセンス) gift(ギフト)であることも、大物芸能人である両親のことも、味方になってる会長のことも。そして、私のこともね。捨てるときは、それらに利用価値がなくなって負担になったときよ」


 月子の顔は、自信満々の笑みが浮かんでいる。渡辺月子らしく高慢で、気高い笑みだ。


私たち(二世)って、たたかれることもあるけど、才能を伸ばすには有利な立場なの。環境がすでに整ってるようなものだからね。歌手の子どもなら歌手、俳優の子どもなら俳優、モデルの子どもならモデル。わざわざ二世と呼ばれず評価される二世は、たくさんいる。親を遠ざける必要なんてない。売れるために、こっちが利用すればいいだけなの」


 それは、七光りを使う、というレベルの話ではなかった。親以上に技術や才能を身に着け、駆使(くし)し、親以上の評価を享受(きょうじゅ)する。そういった高次元の話だ。


「月子ちゃんにはそれができるだろうけど。俺は、親以上に売れたいとは思ってないし、売れるとも、思えないし」


 そのような未来を、視ることもできない。


「それに、俺は、両親を利用したくない。利用するつもりでこの世界に入ったんじゃない」


 ひときわ、語気が強くなっていた。目をぱちくりとさせた月子は、眉尻を下げながらほほ笑む。


「親思いで優しい、いいやつだなぁ、純ちゃんは。父親を踏み台にしてやろうとする親不孝者()とは大違いね」


 月子のことだ。その言葉は決して冗談ではない。


「そんな純ちゃんだからこそ、私は売れてほしいと思ってる。どんな手を使ったとしてもね」


 それは、やけに耳に残る、凜とした声だった。


「星乃恵の番組にかかわる渡辺連の、娘である私がそう思ってる。絶対に売れさせるし、売れるって。自分の両親を絶対に利用しなきゃいけないわけじゃない。純ちゃんがもっと売れたいと思うなら、この私や私の父親を利用したっていい」


 純は、反応を返せなかった。全身を射抜くほどの衝撃を持つ、あまりにも強い言葉だったから。


「純ちゃんは昔も、今も、私を助けてくれるでしょ。だから、私も助けてあげる。この私がお父さんに話を通せば、純ちゃんになにかしらで力を貸してくれるはず。あるいは私のバーターとして、いろんな仕事を経験させることもできる」


 真剣に言い切る月子に、純は圧倒されるしかない。月子は本気だ。それができるほどの実力と権威があるのだと自負している。


(月子ちゃんが本気でそう思うほど、俺はできた人間じゃないのに――?)


 純が困惑しながら見つめていると、月子は吹き出した。


「いい? これが、お兄ちゃんが手放して使えない、使おうとしない、使うのを禁じられてるコネってやつよ。人脈って言う人もいる。仕事にかかわる身近な人間に、『自分の名前や立場を利用してでもこの子を売れさせてあげたい』と思わせたら勝ちなの」


『身近にいる人間に認められなきゃ、ファンを喜ばせるチャンスすらくれないよ』


 以前爽太に言われた言葉が頭に浮かぶ。レッスン生時代にいくつもの仕事をこなすセンターだった爽太でさえ悩むことだ。


 月子が言うほど、簡単なことではない。


私たち(二世)は最初から、そういった人脈に恵まれてる。そりゃ最初は確かに、親つながりの縁だったのかもしれない。でもそこから、『この子と一緒に仕事したい』って思ってくれる人との縁を、自分で増やしていくの。純ちゃんは、きっと、それに()けてる。少なくとも、この私より」


「俺みたいな底辺に買いかぶりすぎだよ。売れている人ですら簡単にできるようなことじゃないのに」


「私にはわかるの。純ちゃんは人脈をうまく使っていくタイプだって。もちろん人脈やコネに甘んじてちゃだめだよ? 期待してくれる人たちのために努力は続けなきゃいけない。でも、純ちゃんは期待に応えられるほどの力を持ってる。そのためにがんばり続けることもできるはず。そうでしょ?」


 月子は猫のように大きい丸い目で、純の琥珀色の目をまっすぐに見つめる。


「さっきの私を利用しろって話、本気よ。お兄ちゃんが絶対にしない方法で売れて、両親以上に評価されて、馬鹿にしてきたやつ全員見返してやればいい。純ちゃんなら、絶対にできる」


 純に向かってくる感情はすべて、高潔で、輝いていた。月子の全身は目がチカチカするほどまぶしくて、自分自身が取るに足らない存在であることをこれでもかと思い知らされる。


 そんな月子を利用しろと言われても、自信も実力も伴わない純には無理だ。


 月子の笑みから視線をそらす。先ほどから全く書き進めていないノートを指さした。


「月子ちゃんは俺のことを考える前に、まずはこっちを考えなきゃね」


 図星の月子はムッとして、イスごと身を離す。ほほ笑む純が見守る中、しぶしぶノートに向き合い始めた。

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